――あとは法にのっとって手続きされる
「そうです。私はもう何も守るものがない。私の心の支えは『寺田がいるから、寺田のかみさんになれるから』だったんです。だから仕事も続けてきました。私が西麻布で水商売していた時も、寺田氏が『イヤだ』っていうから、寿(ことぶき)閉店≠オたんです。みんなに『結婚するから』って店を閉めました。でも結婚できなくて…」
――一緒に住んでいなかったとはいえ、事実上の夫婦だった
「家族≠ナした。寺田氏が車を運転して大学の講義に行くときも『危ないな』ってずっと心配していた。だから『帰ってきたら電話ちょうだいね』って言っていたし。でもそれも私が『強制的にやらせていたことだ』と寺田氏に言われました。一度寺田氏が交通事故を起こしたことがあったので心配で心配でしょうがなかったんです。寺田氏は『家族ぐるみのお付き合いをしていた』と周囲に話しているそうですが、私と寺田氏は家族でした。家族同然とは違うんです。家族だったんです。知人から『マスコミの取材を受けるときは、言葉使いに気をつけて。お金を払ったことがないなんて言うとマズイみたいだよ。妻でしたと言ってもいけないみたい。ストーカー行為ととられてしまう可能性があるらしよ』と注意されたりしましたが、私はもう何があっても、向こうが何を訴えてきても、何を言われても構わない。9月のサンスポ報道以降、ずっと抑えていたんです。寺田氏側からは『お金お金っていうから悪い』なんて言われて『弁護士が入ったからもうダメですよ』って。以前、私の息子が事故を起こして、救急車で病院に運ばれたことがあったのですが、『その時の入院費や治療代も返していない』とまで言われました。けれど息子の治療代って父親が払うのが普通ですから、そういう意味で私は払う気がありませんでした」
――最後に何か言いたいことがあれば
「きちんと内容をまとめて話さなければと思っていたのですが、話が前後したり、まとまらなくてごめんなさい。でももう覚悟はできました。賛否両論あるでしょうが、どんなことを言われても、私はもう寺田氏を許せない。だって最後の恋だったんだもの…」
「恋なんてもうしない、何も信じない。もう人なんか好きになりたくない」と記者に言い残し、涙を流しながら取材現場を後にした尾台さん。1月25日現在、尾台さんの勤める料理店には迷惑電話が殺到、同店が営業できなくなるというトホホ事態に発展している。尾台さん自身が言う通り、賛否両論あるだろうが、尾台さんの勤め先に嫌がらせ電話を入れるような行為は絶対に止めてほしい。(佐藤修)