――今まで別れ話が出たことは無かったのですか
「何年か前、私が『50歳を過ぎた失恋は悲しくて耐えられない』と寺田氏に言ったことがあります。失恋の話をしたことはありますが、私と寺田氏の話ではなく、世の中の一般的な話をしただけです。女は一途だし、これだけ長く付き合っていると、50歳を過ぎてからの失恋は耐えられないという話はしました。でも別れ話じゃなかった。それ以降、たまたま寺田氏の取材をした記者さんのブログを見る機会がありました。そのブログには『寺田氏は取材現場に女性を連れてきて、仲良さそうに連れ添って取材を受け、取材を終えた後、2人は抱き合って闇の中に消えていった』というようなことが書いてあったんです。当時、この件で寺田氏を責めたら『そんなことはない。京都の知り合いから頼まれたお嬢さんだ。東京に来たから連れて行っただけだ』と私に言い訳をしました。そして『あけみがそんなに苦しんで悲しむとは思わなかった。二度とそんなことしない』と頭を下げたんです。私と別れているというのなら、そんなこと(頭を下げるということ)しなくてもいいですよね。私はその記者さんに連絡して、ブログを削除してもらいました」
――寺田さんは、尾台さんといつ頃別れたと主張されているのですか
「4〜5年前に別れたと、周囲に話しているようですね。その後の電話やメールは、私に言われて強制的にさせられているものだと。私は寺田氏のお母様の具合が悪くなった時『離れているとお母様の体が心配だから、早く一緒に住みたい』と言いました。寺田氏は『まだ女房と別れていないからもう少し待っててくれ』と言ったんです。彼が実家から引っ越しをするときも『引っ越す場所を探すのなら、私も一緒に住むから』と告げましたが、寺田氏は『自分は母親が亡くなって、遺産相続などの後始末があるから、住み慣れた実家の近くにいなければならない。待っててくれ。高い部屋に行って下を見ると飛び込みたくなっちゃうんだよ。死にたくなる』って私に言ったんです。それで『責めないでくれ』って言われたから、私は付き人の男の子に電話して『寺田が精神的に不安定だから気をつけてあげて』と伝えたんです。それ以降は寺田氏に『一緒に住みたい』『籍入れて』とは言わなかった。情けないけど、女って学習するから…。若いときはそうやってせがんだりして、フラれたりしたこともあった。だから寺田氏が『イヤだ』ということはしませんでした。『待って』と言われたから待っていました。『信じて』と言うから信じてた…。(携帯電話を差し出して)寺田氏は地方ロケの度に写真付のメールを送ってくれていたんですね。このメールは昨年の10月28日のものです。待っている私が嬉しくなるようなメールを送ってくるので、私『もうすぐ入籍できる』って思っちゃったんです。バカですよね。この2カ月後に、今の奥さんと入籍しているんです…」(下に続く)