――寺田さんは尾台さんのことを「おちょん」と呼んでいた
「私は昔の絵本話が好きで、舌切り雀の絵本を読んでいたことがあります。話の中に出てくるスズメの名前が『おちょん』というんですね。その絵本を私が声をあげて読んでいたことから寺田氏がつけたあだ名です。『ミノボー』というのは、昔から寺田氏が呼ばれているあだ名です」
――寺田さんの再婚をお知りになってから、ご本人と会われた
「昨年の11月21日に会いました。私の知人男性と私と3人で会いました。この知人男性が間に入って話を進めてくれていたのです。その時寺田氏は『11月中に自分ができることは弁護士もしくは司法書士と連名で書類を出す。それを読んで検討してくれ』って言いました。私が『もう少し早くならないですか』と聞いたら『仕事で地方に行っているので11月末になる。その代わり末には書面で出すから』という約束をしました。けれども月末まで連絡が無くて…。連絡が取れたときには『弁護士を入れたので、一切話はしない』と。『だからそちらも弁護士を立ててくれ』と寺田氏は言いました。私が経済的に弁護士さんを雇うことが困難だと知っていてです。彼は自分の幼なじみに有力弁護士がいるから強気だったんですね。2003年ごろから住んでいるマンションは、寺田氏と私の息子と3人で住むことを前提にして借りたマンションです。一緒に住むということで、寺田氏は保証人にはなれませんでした。だから同居人の欄に、寺田氏と私と私の息子の名前が書いてあるんです」
――寺田さんが前の奥さんと離婚していたと知ったのはいつですか
「話し合いが持たれる昨年の11月21日直前です。私は9月6日のサンスポ報道とその後の週刊誌報道で2回死にました。弁護士先生に調べていただいて、寺田氏がとっくの昔に離婚していたという事実を聞かされて、さらにもう1回死にました。計3回死んだんです。倒れて救急車で運ばれたりしました。その後、まだ未確認の話もあって…。これでもかこれでもかって。本当に何をどうしたら、このような仕打ちを受けなくてはならないのかって、神様に聞きたいです。私、10年間、自慢じゃないけれど1分1秒たりとも寺田氏を疑ったこともなかったし、途切れることなく愛していました。それは寺田氏も分かっていたはずです。その気持ちを、話し合いの席で寺田氏に伝えたら『分からなかった。待っていたなんて思えない』って言われました。それだったら私と別れておいてよ。私に別れ話をきちんとしてよ、です」
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