生かして生かされて生きる

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宗教問わず信仰について考える
ほとんど私用メモ帳化してます

気高く、強く、美しく

2006年11月09日 | 創価学会問題
 「気高く、強く、美しくあれ」
(日本の復活は憲法改正からはじまる)
櫻井よしこ著

何年か前、香港人の方と一緒にお仕事させていただいた帰り、
居酒屋でお互いの国の話をさせていただいた。
英語(私は片言)と身振り手振りと漢字で、居酒屋の片隅で異文化交流。
 焼き鳥片手に香港返還前後の話、建築、自国のジャンケンの仕方、食文化、遊び、仕事の取り組みなどなど。
日本のブルセラビデオが当時香港で流通したらしい。へぇ。

 ひとつ、日本人と大きくちがうなぁと思ったのは、
その方は、自分の国にとても誇りを持っていると、当たり前のように話していたこと。
自分の国の歴史で起きた一つ一つを、自分の事のように身振り手振りを交えて、
テーブルの紙ナプキンに書き込みながら説明してくれた。
そして、自分の国が大好きだ、ということを話してくれた。
私はかなり歴史音痴だけど、ひょっとするとそれは、
テストの為に年号だけで覚えちゃった日本人にはない自国の歴史の捉え方。
私は日本の田舎の景色や風土は好きだけど、それは愛国心というものなのか、
ちょっと考えさせられた。
日本人同士で「愛国心」「自国の成り立ちと歴史」「日本人の誇り」なんて居酒屋で話したら
「何?右翼?左翼?それともサッカー好きになった?」
なんて言われそう。

さて、話は戻って、
櫻井よしこさんの”日本についてきちんと考えよう”という姿勢はとても好きだ。
私は、現行日本がダメダメだ、という思いはない。
「このままではよくない、今どんどん悪い方向へ進んでいる」
という言葉に煽られる必要もないと思っている。
今の日本にも自信を持っていい部分、優れた部分はたくさんある。
けれども、現行のままですべてOKかというと、それもそんなことはないだろう。
常に国の中にも取り組むものはある。

この本は、現代の憲法から問題点を絞って提議されている。
憲法というとなんだか難しげなイメージがするけれど、
そこはジャーナリストでニュースキャスターだった櫻井さん。
きちんと取材に基づいたものを、素人の私でも読めるくらいの語り口で書かれている。
私が気になったのは、九条、教育と家族、政教分離。

・政教分離。
アメリカとフランスとイギリスの政教分離にいたる歴史と実態に触れながら、
日本は靖国問題から、公明党・創価学会の意見にすっぱりと切り込みを入れる櫻井さんの意見にうなづく事多し。
そして批判に対して、一方的な主張で押し通すのではなく、
開かれた場で議論する事で、お互いの理解が深まるであろうということものべられていて、これまた納得。

・憲法九条。
戦争には思い切り反対だけど、平和ボケもしていられない。
親戚が自衛隊で、会えば日本と世界の軍隊の話と軍事情勢を教えてもらう。
「自衛隊の訓練て世界と比べてどう?」
と聞くと
「日本はぜんぜん遅れてる、というか、内容がまったく違う」
と話してた。いろいろ聞いていても、
「今の自衛隊で、自衛として機能できるのだろうか」と素直に思ったので、気になる問題。
サイトをぶらぶらしていたら、「9条の会」というものも発見。こちらは九条を守る側。


・家族と教育
これに関してはごくごく身近な問題。
親が、町が、社会が、メディアが、日本が、これから子供達に何をどう教えてゆくか、とても考えさせられる。
人って、環境次第でどうにでも変わる。
育つ環境と言うのは、人格形成に重要な影響を及ぼす。
教育も、子供だけではなくて、大人も必要なのだと思う。
大人になったら成長はおわりではない。
体の機能は徐々に衰えても、精神は死ぬまで成長し続けるものだと思う。
常に学ぶ姿勢は大事だし、何を学ぶかでも、いくらでも変わってゆくのだろう。


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遠藤 誠氏

2006年10月11日 | 創価学会問題
 
遠藤誠氏の言葉。
自分の信仰スタイルというものを、あらためて振り返らせてくれる言葉の数々。

●「まやかしですね。(略)
真の宗教というのは、拝んだから病気が治ったり、交通事故が防げたりというような迷信ではない。病気になろうが貧乏になろうが、配偶者に裏切られようが、へとも思わない自分になることが本当の信仰なのです。
今の新興宗教は、八百屋に行って金を出して野菜を買うのと同じで、金を払って拝んでもらって反対給付を得るという、物の売り買いを宗教的な装いでカモフラージュしただけのもので、まさにサギだね。」

●「いったい、仏教徒が、それぞれのお寺のご本尊を通じて如来に対し合掌し頭を下げるのに、どうしてカネが要るのか。これは、見物小屋や観光株式会社以外の何物でもない。」
「フザケルナと言いたい。
いったい、見世物小屋のどこに「信仰」があるというのか。
如来と衆生とが、自由に会うことをへだてている者は、いったい誰なのか」

●「寺請制度・檀家制度により、日本国中の寺に、庶民の信仰を統制する権限が与えられると、檀家にたいする寺の横暴は、その極みに達した。(略)
生まれたときから自分の葬式寺がきまっているということになった。(略)
そのお寺の教義に対する信仰とは何の関係もないというパターンが形成されるに至ったのである。」

●「道元さんから、二十世紀のわれわれ現代人が訓えられる点は、
仏教というものに対して、物欲しさでもって対してはならないということです。」 
「成田山に行って、ぜにを上げて護摩をたいてもらって、お札をもらった。
お札には、「交通安全」と書いてあるからもうあとは余り注意をしなくても絶対大丈夫とか、あるいは「家内安全」のお札をもらったから、女房には尽すべきことを尽さなくても死ぬまで女房とけんかしなくて済むとか、あるはい「受験合格」と書いてあったから、きょうからは寝ていてもいいわいとか、いったようなものが仏教だと思ったら大間違いだ。」

●「最初はやはり『衆事』、もろもろのことも、ある程度は見学しないことには食わず嫌いになってしまう。特に創価学会の人にそういう傾向が多い。
創価学会の方々は、真言宗を勉強し、天台宗を勉強し、曹洞宗をやり、臨済宗をやり、日蓮宗をやったうえで日蓮正宗というものを選び取っているかというと、そうじゃないので、たまたま隣にいた人が熱心な学会の人だったとか、いろいろとしつこい折伏に染まって自分までそうなったとか、そういう人が大部分名なわけで、彼らにとっては創価学会の教義が最も大事なのかもしれませんが、しかし、それ以外にもひろびろとした別の世界があるんだということが、彼らにはわからない。またわかろうともしない。意識的に目をつぶっていますね。それじゃだめなんだ。それでは、『イワシの頭も信心から』になっちゃいます。」

●「学会が信ずるという日蓮正宗の根本的な教義が末法思想です。(略)つまりお経の否定ですね。
じゃ、何を末法における真理というかというと、彼らに言わせれば日蓮大聖人の御書であるという。(略)それと日蓮さんが発明したという南無妙法蓮華経という題目。(略)
お経を否定するといっても矛盾があるのですね。否定すると言っておりながら法華経というお経だけは否定しない。
ところがこの法華経というお経も、彼らの教義からすれば正法時代にできたものなのです。そこに創価学会の根本的な矛盾がある。
そこで『それは矛盾じゃないか』といままでぼくは二三の創価学会のおえらがたに質問したことがあるのですが、、満足のいく回答をしてくださった方は一人もいなかった。」

●「要するに数の多少をおもんばかることなかれ、また数の多きを誇ることなかれ
とにかく禅というのは一人一人のものなんです。
だからまず、あなた自身がやること、そこから先どうなるかは心配するなということです。この点では、創価学会なんかは逆をいっていますね。『おれのところには何百万世帯集まったぞ。こんなに人間がいっぱい来ているんだぞ。どうだ、スゲエだろう。だからおまえも信じろ』と。(略)
ところが、本来の仏教は数じゃないんですよ。一人のものなんです」

●「言葉の文字面だけにしがみついちゃうと馬鹿みたいなことが時々おこる。
創価学会の会員は概ねこの教条主義者である。
『日蓮大聖人の御書何ページにこうかいてある。だからこうする。』と。
『池田会長はかくかくしかじか言った。だから俺もそうする。』と。
いかなるときに日蓮さんが、そうお述べになったのか、いかなるときに池田さんがそういうことをおっしゃったのか、そういった背景とか本当の意味を全然考えずに、うわっつらの言葉だけで適用しようとする。これが教条主義。」

●「宗教団体というものは、本来、信仰が自由独立である以上は自治組織であるべきはずだ。従って、そうした宗教団体がらみのトラブルが起きた時に、それを裁判所という国家権力に持ち出して、そこの判断を仰ぐことによって解決しようということは、もともと教団の持っている白油権ないし自律権を自ら権力に売り渡すものとして、本来あってはならないという基本的見解を持っています」

●「(釈迦や道元)の場合は、そういう欲(煩悩)を主人公とし、自分自身をその家来にするという生き方では無しに、自分自身が主人公となり、自分の欲(煩悩)を家来にして添えを支配するという生き方をとったのです。この点、ブランドもののファッションとグルメと風俗産業とレジャーにのみうつつを抜かしている現代人は、完全に煩悩がご主人様になり、自分がその家来になっています」

●「たいがいの人は、自分の身体を自分のものだと思っています。しかし、もし本当に自分の身体が自分のものであるとすれば、自分の思い通りに動くはずです。」
「しかし、自分の心臓に対して『心臓とまれ!』と命令しても、心臓はとまりません。(略)
このように見ていくと、じぶんのからだだというのは、自分のものではないのです。」
「同じように、自分の心も不可得なのです。ふつう自分の心は自分のものであり、自分の本質は自分の心であると思っていますが、はたしてそうでしょうか。
自分の心が自分のものとしてつかめるのであれば、自分の心に対して命令を下せるはずですね。ところがそうじゃないから、人は悩み、悲しみ、イライラし、怒るのです。」
「しからば、このからだと心は誰のものでしょうか。それは(略)法身仏のものなのです。そう思うと気が楽になります。『文句があるなら、私の後ろにおられる法身仏に文句を言え』と言っておけばいいのです」

●「どんな人にも欠点があります。愚痴蒙昧な人もきます。しかし、どんな人にも、少しはいいところがあります。私は、それらの人の中の、すこしでもいいところを見つけ、それをほめることにしています。欠点は攻撃しません。そうすると、そのいいところが、だんだんだんだん伸びていき、結果として悪いところが、だんだんだんだん少なくなっていくのです。釈尊も、すべての弟子にそのような教育をされたようです。」

【遠藤誠】
ウィキペディア

出典元サイト孫文侍の世界より

補足
遠藤氏の道元禅師の見解について「『正法眼蔵』「看経」巻で、施主のために修行僧達が経典を読むことが行われている以上、いわゆる現世利益について、全く排除してはいないのです」とあらためて曹洞宗の見解をいただきました。ありがとうございます。

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学会問題

2006年10月08日 | 創価学会問題
【カルト宗教創価学会批判】
学会の問題になる部分が脱カルト協会の理事の方より。

キリスト系カルト(エホバ、モルモン、統一教会など)の脱会者ケアのサイトがありますが、
脱会した学会員さんからの問い合わせも増えたと聞きました。

【フランスのカルト認定の経緯】
学会の公式見解が載っているので。

【グローバリゼーションと民主主義】
(3番目の個人、生命を尊重する理念と方策を)
聖教新聞に寄せられた記事。いい記事だと思います。
ちなみにこの方に昔メールを送って学会問題について問い合わせた事があり、参考にさせていただいてます。
(PDFファイルなのでリーダーが必要です。)

桜井教授のサイトは こちら


【創価学会について調べてみた】 (ぬる速)
外部の一印象

【聖教新聞の4コマ漫画の印象】 (ネコゾーン)
あくまでも外部からみた一意見。

セクトやカルトに関しては、「カルト宗教のトラブル対策」も参考にされてみるといいと思います。
脱カルト協会のシンポジウムなども行かれてみるといいと思います。


【言いたいことが少しある】とある個人の一意見

【権威主義の正体】 (本をクリックすると中身がみれます)
 

学会でも、批判に耳を傾け、矛盾に気づき、真摯な姿勢で内部改善の声をあげる学会員さん達は応援してます。
一人でも苦しむ方がなくなりますように。
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宗教の復権

2006年05月17日 | 創価学会問題
「宗教の復権」〜グローバリゼーション・カルト論争・ナショナリズム〜(中野毅著。2002年9月初版)
(第一部・グローバリゼーション、宗教的ナショナリズム、原理主義。第二部カルト/セクト論争とナショナリズム)(著者のサイトでも一部考察が拝見できました)

学会問題を考える時、創価学会の本の中に、外部サイドの私からみて、(学会員さんに)読むのをお勧めしたくない本もあれば(たいてい絶版になっているらしいが)、友岡さんの本のように読んでみたほうがいいと思う本もある。

この本はいきなり題名もセンセーショナル(人によってはラディカルに感じる部分)かもしれないですが、カルト・セクトと日本でも海外でも話題にあがるいくつかの団体について、創価大学の研究者の方が”創価学会も含めて”カルト側、反カルト側の両方を検証、考察されている。
そういう意味ではカルト問題、原理主義問題に前向きと言える本。
ナショナリズムグローバリゼーションもカルトの展望も、理論だけで実践が伴わない限りは手放しでは賛同できないものの、著書では多元主義も視野に入れてバランスはとられていると思う。
被害者問題にはあえて触れずに「マクロの視点」ということですが、広い視野での考察は今の出来事をみる一つの考え方として知ってみるのもいいと思う。

また、アンチサイド、カルト問題に関心のある方も今後の批判姿勢を問うのに読んでみるといいと思う。
宗教が個人の生き方だけでなく政教分離といえども国や政治に与える影響というのは実際少なくないと思っているので、宗教に関して無関心でいるのもよろしくないと思っているし、また宗教に対して偏見だけでもよくないと思う。
宗教に関しては私もいろんな視点のほしいところでもあったりする。

また、あとがきより気になったところを一部引用。
今まで被害が出ていても一部の学会員さんから「個人の問題、組織には関係ない。トラブルなんて起こしてナンボ」で済まされていた部分が、団体、信者個人としてのあり方と反カルトのあり方を問う形で述べられている。これらの声が末端信者の盲信されている方にも届いて迷惑行為が減ってほしいと願うし、外部側も批判にあたって心がけるものでもあると思う。

・『この自由で多元的な社会を是とする立場からの方法的視座は、やはり文化相対主義に近い立場であると考える。
端的にいえば、 「自由や人権などの価値観も、特定の歴史と伝統を有する具体的社会における産物であり、相対的な価値でしかない。
社会や文化が異なれば、真理や価値も異なってくる」 という認識である。』

・『「自由は個人の内面の自由のみでなく、外的行為として表現されるものであり、共同行為を求めることもある。
その際大切な事は、自分の自由を追求することが、他者の自由を奪ってはならないし、他者の自由を内的にも外的にも保障することと両立しなければならない」と。
そしてこの基準は、個人にも、宗教教団やその他の社会集団にも、また強制的な権力を持つ政府や国家になによりも要請される。』


・『他者の自由や人権を侵害するような行為は、たとえ信仰の名のもとにおいても許されない。
この他者には、当該宗教団体に属する者も、属さないものもふくまれる。』

・『当の社会が許容する範囲においてしか自由は認められず、現行法規に違反する犯罪は裁かれなければならない。
しかし、社会一般がみとめる自由を逸脱した場合でも、直ちに法的な規制を加えよ、新たな法律を制定して取り締まれという議論は、問題をふまえる必要がある(後半に記述あり)。』

・『自由主義社会では、たとえ逸脱と見える信仰内容であっても、その信仰による外的行為が他者の自由や権利を侵害しない限り、需要していくことが求められる。』

・『宗教集団にあたっては、集団外の諸個人や、集団内の信徒個人の自由や権利を侵害していないか、常にチェックしていくことが必要である。
一般社会も、その監視が集団ヒステリー現象や社会的リンチにならないよう、自己抑制が必要である。特にマスメディアが発達した社会では、メディアによるラベリングが過度の抑圧状況を容易に生み出す危険性があることを前提として対応しなければならない。』

・『この見解に対してもさまざまな批判や異論もあることと思うが、多くの関係者や研究者との論議をとおして、さらに深めていきたいと念願している。』


文中に桜井教授、それから島薗進教授などのお名前も見受けられた。
 「カルトを問い直す」など、カルト問題に関連する書籍もみてみるといいと思う。



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私の近くの学会員さん

2006年05月15日 | 創価学会問題
先日知り合いの学会員さん(2世)と会ってお話をしてきた。

世間話を交えつつも、主な話は創価学会の現在の問題(学会内部外部にトラブルや被害が生まれることなど)と、
2世3世問題、虐待問題(主にネグレクトや信仰の強制)、
盲信による精神的な諸問題などである。

お互いの体験や知識を持って意見を交わすことが出来、
また一部の学会員さんのよろしくない行為もお互い把握しているので、
対立のようなものもなく、私も人格攻撃を受ける事も無く、
ゆったり美味しく食事をしつつ、とても深く有意義な時間を過ごす事が出来た。

この方の場合は学会に在籍されているもののあまり信心深い方ではないが、
信心深い方の学会の罰論の囚われようやトラブルの深刻さもとても冷静かつ客観的に捉えられていて、
内部改善に努めて下さっている方でもある。
(だから幹部にはならないし誘われない、とも話していた。組織はいまだ批判を受け入れる事には不寛容なのかしら)
少なくとも問題を棚上げして己の御利益を求める事はしていない。

うちの亡くなった盲信学会母のように、
創価学会員が(末端であれ、それなりの役職であれ)善意の名の元に押し付けがましい行為やトラブルをおこすパターンは今でも起こっているのも事実だし、
問題を棚上げにしたまま組織の権威や名誉にしか目が行かない人がいるのも事実なのだけれど、
すぐに私達が一つの結論を出して解決出来る問題ばかりでもないので(お互いの間では納得できたものもある)、
とりあえず、「学会員さんとそういった話し合いがスムーズに出来た」、というだけでもとてもいい事だと思う。

今後もいろんな形でお会いして話し合いが出来ればと思う。

ひとりでも宗教で苦しむ人が出なくなればいいと思う。
また苦しんだ方がやがて立ち上がれますように。
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