「君子豹変(ひょうへん)」が野田佳彦首相の今年の抱負である。君子とは地位や身分の高い人、徳を積んだ人をいう。一国の宰相をたとえるならドジョウより君子だ。
だが野田首相自身がはたして君子かどうかはわからない。しじゅう豹変するのはただの日和見主義者である。
君子の反対語は何か。夏目漱石はそれを才子だとした。「人の毀誉(きよ)にて変化するものは相場なり、直打(ねうち)にあらず。相場の高下を目的として世に処する、これを才子といふ。直打を標準として事を行ふ、これを君子といふ」(「愚見数則」)
野田首相は施政方針演説で「拍手喝采を受けることはないかもしれない」と、不人気な政策でもやりとげる決意を口にした。いっときの評判ほしさに右顧左眄(うこさべん)する才子の政治はやらないということだ。君子の政治の覚悟は伝わってくる。
ならば注文したい。政権2年余で民主党が何を間違ったか、まずそれを誠実に語ることが豹変の第一歩である。
論語に「君子の過ちは、日月の食のごとし」という。故事成語名言大辞典(大修館書店)によると、欠けても元に戻る日食や月食のように、君子は過失を犯してもそれを認めて改めれば元の徳性に返るという意味だ。過ちを認めたら価値が下がるようなら、もともと君子ではない。
「マニフェスト(政権公約)に書いてあることは命がけで実行する。書いてないことはやらない」とかつて述べた首相は、撤回して頭を下げてはどうか。自民党はやられたらやり返す泥仕合の政局を卒業し、国の再生に力を貸すことだ。
才子ばかりの政治では、日本はたちゆかなくなるだろう。国の将来がよくなるのであれば、誰が首相でどちらが政権党かは、実はどうでもいいのである。
毎日新聞 2012年1月27日 0時30分
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