十両昇進が決まり師匠と握手する千昇(右)=両国国技館で
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日本相撲協会は25日に春場所の番付編成会議を行い、モンゴル出身の千昇(28)=式秀=と千代鳳(19)=九重=の新十両昇進を決めた。千昇は外国出身力士としては史上最スローの所要65場所かけての昇進。2001年春場所で初土俵を踏んだ白鵬の同期生。部屋創設から20年で初の関取誕生に、定年まであと1年となった師匠の式秀親方(元小結大潮)は「お相撲さんとしての足跡を残してほしい」と話した。
入門から11年。外国出身力士としては最も遅い所要65場所での昇進に、千昇は「長いような短いような…。まわりがどんどん昇進して、いつか関取にならなきゃって…。悔しい思いはあったけど、師匠の喜ぶ顔が見たかった」と、定年まで1年となった師匠への感謝を口にした。
叔父がモンゴル相撲の横綱。そのつてをたどり角界入りするため2000年10月に6人のモンゴル人とともに来日した。大阪の摂津倉庫で入門の誘いを待っていたのは横綱白鵬、引退した猛虎浪ら計7人。この中で、最初に角界入りが決まったのが千昇で、帰国直前にスカウトされたのが白鵬だった。
そのときは帰国しようとしていた白鵬に両親への手紙を託したというが、その白鵬も角界入りし今や大横綱。「横綱と対戦したい」と、同期生ながら1度も対戦したことのない横綱への挑戦に胸を膨らませた。
右膝前十字じん帯断裂などのけがもあり、白鵬とは差がついたが、それだけ味わい深い人間にもなった。好きな言葉は江戸時代の米沢藩主上杉鷹山の「なせば成る、なさねば成らぬ何事も…です」と流ちょうな日本語で語った。しゃべりだけではなく、漢字も「携帯電話で変換して読みを覚えた」。新聞や本を読むのに支障が全くない日本語力を身に付けた。
しこ名には師匠の思いが込められている。師匠は現役時代に通算964勝を挙げた。1000勝まであと一歩、40歳で引退した。「964勝しかできていない。それを超えるように、千昇とつけた。番付も、全部超えてほしい」。千昇は初場所までで237勝。1000勝を超えるのは難しいだろうが、横綱・白鵬からの1勝がこれからの目標になる。 (岸本隆)
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