「加害ウイルス」の散布者たち

― やはり 朝日とNHK ―


 前章で見たように、わが国の歴史教科書のほとんどは、“ 日本の加害 ”が膨大かつ非道であったとし、とくに残虐事件、残虐行為を学習指導のポイント とし、日本が悪逆な侵略国家であったことを生徒に教え込むように意図されていました。この傾向は今なお、さほど変わっておりません。また、われわれ一般社会人はメディアを中心に報じられた残虐事件、残虐行為を通して、日本軍(民)のアジア諸国への悪逆な侵略ぶりを叩きこまれました。
 ですが、これら「日本の加害」とされたものの多くは、これを支える資料、証言等の検証を経て、事実と確認されたものではなかったのです。それどころか、“被害者”の申し立てどおりに、頭から事実と決めこんで報道したものの、加害者とされた側、つまり日本側の裏づけ調査がスッポリ抜け落ちていた欠陥報道が大部分であるといって間違いないはずです。
 こうした日本軍・民の加害報道に、マルクス主義を信奉あるいはこれにシンパシィーを持つ大学教授、高校教諭らが呼応、競うように教科書に加害事件を採り上げます。ときに現地に行っては“被害者”のいうがままを書物に著し、日本を断罪しました。これらの著作をまたメディアが好意的に報じるといった悪循環が故に、加害報道が疑いのない事実として大手を振ってしまったのだと思います。
 となれば、このような加害ウイルスを撒き散らした大元を再確認しておく必要があるでしょう。一体、どのような組織や人たちが旗振り役を担ったのでしょうか。
 なお、ここでいう「加害ウイルス」とは、日本軍および民間人の残虐事件、残逆行為を、“ 加害者側 ”の裏づけを取らず、検証抜きで「事 実」と決めつけ、あるいは「事 実}だと示唆した報道や書籍、論文等を指します。
  

1   散布者をグループ分けすると

 加害ウイルスを撒き散らした組織や人を、以下のように分類すると分かりやすいかもしれません。

    (1)  朝日新聞を筆頭とする活字メディア
    (2)  NHKを筆頭とする放送メディア
    (3)  中国抑留者( = 中国戦犯)
    (4)  大学教授、作家、文化人など“ 有識者 ”
    (5)  偽 証 者

 もちろん、上記のようにスッキリ分けられない例もあります。例えば、ある「中国抑留者」( =中国戦犯)の証言を、朝日新聞、NHK、学者の双方がとりあげるといった場合で、(1)(2)(3)のいずれにも該当します。ただ、全体をつかむには分かりやすいでしょう。
  

2   朝 日 ・ 毎 日

 最大のウイルス散布者は日本の報道機関と断定して間違いないと思います。その報道機関のうち、朝日新聞社 が文句なしの筆頭選手です。朝日新聞だけでなく、「週刊朝日」や廃刊となった「アサヒ・ジャーナル」のいずれも散布に熱心でした。
 南京大虐殺30万人、三光作戦、従軍慰安婦などなど、かなりの部分は朝日が発信源ですから、かりに朝日新聞がこの日本に存在しなければ、歴史問題にかぎっただけでも、こうまで歪むことはなかったでしょう。また、国益を害することもなかったはずです。
 活字メディアに限れば、毎日新聞 が朝日につづく2番手というのが大方の見方でしょう。毎日記者OBの某氏が、毎日新聞をして、「朝日の病める妹」 と表現したことがあります。言いえて妙と感心した覚えがあります。
 朝日報道については、 ⇒ 「朝日新聞社は何をどう報じたのか」 および、 ⇒ 「朝日・慰安婦報道」 等をご参照ください。
  

3   共同通信 ・ ジャパン・タイムズ

 地方紙はの紙面づくりには、共同通信社 の配信が欠かせません。
福島民有  この通信社も日本軍の残虐事件、残虐行為となると熱心に加盟各社に配信しました。
 紙面に載せるかどうかは各紙の判断ですが、配信をうけた新聞社がいちいち事実かどうか確かめるわけではありません。目立つように見出しを工夫し、読者にとどけるのが普通でしょう。ですから、より誇張された印象を読者にあたえることになりがちです。
 左写真はその一例(福島民有)で、共同通信の配信記事にもとづいて、中国人慰安婦の強制連行が軍命令であったことが陸軍中将の「供述書」によって証明されたと報じたものです。
 陸軍中将というのは鈴木啓久・第117師団長で、会津若松(福島県)出身であったためにより大きく報じられたものと思います。鈴木中将はいわゆる中国戦犯で、師団長という最高位の軍人にありました。同中将の「供述書」、中国人慰安婦の強制連行については( ⇒ 鈴木啓久中将の回想) にまとめてありますのでご覧ください。

 また、ジャパン・タイムズ を代表とする英字新聞も見逃せません。この新聞も共同通信、朝日などと同様、いやに残虐行為の糾弾に熱心だったのです。日本を任地とする欧米の報道記者、各国大使館関係者などは、言葉の関係から英字紙、とくにジャパン・タイムズを購読しているといいますから、影響は甚大です。ほんの一例ですが、別途( ⇒ ジャパン・タイムズ ) 、検証例を掲げました。
 全国紙(朝日、毎日等)が発行元の英字紙も同じ理由から重要と思いますが、調べたことがありませんので指摘にとどめます。
  

4   連綿とつづくNHKの “ 洗脳教育 ”

 テレビではやはりNHK が筆頭格で、TBS (毎日放送)がこれにつづくと思います。
 毎年8月、12月になると、NHKは日本軍を断罪する番組を大量放送します。それも繰り返し、繰り返し。
 8月は6日の広島原爆投下につづく敗戦(15日)、12月は日米開戦(8日)、南京攻略戦というわが国にとって歴史の節目となった年ですから、ある程度、放送が集中するのは自然でしょう。ですが、戦後60余年も経た2009年だって大差はなく、数多くの番組が流されました。それも、通年になったように思います。
 NHKは日本が過去に犯した罪を忘れないように、国民教育が不可欠と判断したのでしょう。日本軍の侵略とそれに伴う悪逆、残虐ぶり、また無謀な戦争に突き進んだ日本軍部の愚かさなどとともに、戦争の悲惨さを強調した番組を大量に放送します。以前は2月26日(2・26事件)、7月7日(蘆溝橋事件)などでも集中して放送があったものでした。

     (1)  大量報道による国民教育 ・・・・ 従軍慰安婦
 「従軍慰安婦」報道は、左偏向のもとに行われた大量報道の一例です。この問題に関連する執拗な放送が、いかに誤った事実にもとづいて行なわれ、われわれ日本人に誤った知識を刷り込み、日本軍への憎悪を駆り立てたかを証明しているものだと思います。
 まず、下の2コマの写真をご覧ください。
 1995(平成7)年8月、ETV特集「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送されました。その見出しを写したものです。

NHK「50年目の“従軍慰安婦”問題その@」 NHK「50年目の“従軍慰安婦”問題そのA」

 1回目は「“わかちあいの家”のハルモニたち」 (左上写真)、2回目は「 日本はいかに償うべきか 」 (右上写真)でした。
 1回目は、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人(ハルモニ=あばさんの意)の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みます。
 途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。
 〈 第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、占領地での日本軍兵士による強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。その数は8万人とも20万人とも言われました。 〉

 また2回目は、国連人権委員会のラディカ・クワラスマミ・特別報告官(スリランカ人、女性)一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。
 先ず、放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。
 〈 従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに 兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです 〉

 「強制連行」という言葉は使用されていませんが、日本軍は「8万人〜20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたとするNHKの解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」 など、日本軍に対する一層の嫌悪感を持ちながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”理解したはずです。

     ・  8万〜20万人の出所は?
 この「8〜20万人」の数字の出どころですが、朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」 として1面トップで報じた記事(1992=平成4年1月12日付)の右端下、「従軍慰安婦」の用語を解説したなかに出てきます。
朝日新聞  〈 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行 した。その人数は8万とも20万とも いわれる。 〉(全 文)

 朝日新聞のこの報道は「従軍慰安婦」 問題がクローズアップされる一大転機となったものでした。ここにハッキリ「強制連行」と断定されています。「8〜20万人」という数字は、平凡社大百科事典にも記載がある(産経記事)とのことです。どちらが元なのか調べていませんので確かなことはいえませんが、NHKの「8〜20万人」はこの朝日報道の影響を受けたものであろうことは、容易に想像できるところです。
 朝日の解説は、挺身隊=慰安婦 とした無知な誤説で、このお粗末な間違いもまた、日韓間に大きな誤解を与えてしまいました。

     (2)  NHKの正体を見せた「問われる戦時性暴力」
 もう1例、教育テレビで2001(平成13)年1月29日から4回にわたって放送された〈 ETV2001 「 戦争をどう裁くか 」 〉 を紹介しておきましょう。
 とくに問題となったのは2回目の「問われる戦時性暴力」(左下写真)でした。このなかで、「 女性国際戦犯法廷」 (右下写真、中央の斜めの席が裁判官席 )と称する模擬裁判を好意的に取り上げていたからです。

NHK「問われる戦時性暴力」 NHK「問われる戦時性暴力」


     ・  「女性国際戦犯法廷」 ってなに ?
 この法廷(模擬裁判)の主催者は、松井 やより・元朝日新聞記者を代表とするNGO「戦争と女性への暴力 日本ネットワーク」(略称、バウネット・ジャパン) で、〈 日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」 〉 という旗印のもと、2000(平成12)年12月、皇居に近いという理由から東京の九段会館などで裁判が行われました。
 裁判の目的は、東京裁判で裁かれなかった日本軍による「性奴隷制度」、つまり慰安婦問題を裁き、日本政府と昭和天皇の責任を追及しようとするものでした。法廷の最終日(12月12日)、マクドナルド裁判長(アメリカ人)が 「天皇裕仁を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪とする」 と言い渡したことからも、この裁判が何を意図していたのかは容易に読み取れるでしょう。
 法廷は弁護人もなく、したがって証人への反対尋問もなく、“被害者”として登場した元慰安婦たちの「証言」で、一方的に審理が進むというとんだ茶番劇でした。笑わせるのが、傍聴者はこの法廷の主旨に賛同するものだけだといい、誰もが自由に傍聴できないことでした。
 このような法廷をいち早くNHK教養番組部が題材として取りあげ、 「教育番組」 として放送したのです。それも慰安婦の「強制連行」が既定の事実であるかのように制作・放送されました。いかに左がかった考えの持ち主がNHKに巣くっていて、主導権を握っているかがわかります。
 昭和天皇を有罪とした下りこそカットされ放送されませんでしたが、これも放送直前、試写を見た吉岡教養番組部長が「女性国際法廷の紹介番組ではないか」「お前らにハメられた」などと怒り、大幅な修正を命じた結果とのことです。カットされたなかには中国戦犯の2人の証言も含まれていました。とはいえ、「女性国際戦犯法廷」を軸に番組が展開されているのは間違いないところです。
 ですが、放送された番組を見て怒ったのが主催者のバウネット・ジャパン。早速、カットしたのはケシカランとNHKに対し抗議するやら、提訴するやらの騒ぎとなりました。

     ・  朝日報道から政治問題化
 さらに約4年後の2005(平成17)年1月12日付けの朝日新聞が、中川 昭一( 経産相、当時 )、 安倍 晋三 (内閣官房副長官、同 )が、放送の前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘、このためNHKは番組内容を変えて放送したと一面上段で報じました。
 政治家の圧力により、NHKの番組が改変されたというのです。朝日報道は「事実を歪曲」したものとNHKは猛反発、朝日NHK のゴタゴタ騒ぎとなりました。あれからまだ日も浅く、ご記憶の方も多いことでしょう。
 この問題は、NHKが偏向番組を放送したこと自体が問題の核心 であることを忘れてはいけないと思います。
 
     ・  多数の慰安婦報道
 NHKはこのほかにも慰安婦に関連する番組を多数、放送してきました。下もその一例です。

NHK「51年目の戦争責任」 NHK「従軍慰安婦51年目の声」より

 これらの放送が重なり、やがてアメリカ下院本会議で、「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」 などとする対日非難決議案が可決され、日本政府に 「公式謝罪」 を求めてきました。この腹立たしい出来事の責任の多くを、NHKも負うべきものと思います。
 NHKは慰安婦問題にかかぎらず、南京虐殺をはじめ日本軍を断罪できそうなネタを探して放送することが、重要な国民教育の一環と考えているに違いなく、ズッーとつづけてきたことでした。今も変化はないと思います。
 別途、慰安婦の問題を含め、分かっていることを報告する予定です。
  

5   中国戦犯 (=中国抑留者)

 終戦とともにソ連に抑留され、その後、中国に送られた人など約1000人強が、「中国戦犯」(=中国抑留者)といわれる人たちです。ほとんどの人は中国で約6年間、「戦犯管理所」と称する「監獄」に抑留されました。
「撫順・太原戦犯管理所1062人の手記」より この人たちは、自らの悪行を記した「供述書」、あるいは「手記」を中国に書き残してきました。すでに記しように、手記のうち、残虐度の高いものが選定され、いくつかの書物になりました。『三 光』(カッパブックス、1957年 )はそのひとつでした。
 また帰国後、「中帰連」(中国帰還者連絡会の略称 )を組織、さまざまな活動を行ってきました。自らが中国で犯した数々を残虐な行為を著作にする人もありました。テレビ、新聞の取材に積極的に応じ、日本軍がいかに非道のかぎりをつくしたかを「告白・証言」する人もありました。ただ、同じ顔ぶれという特徴はありましたが。
 中帰連を主な取材源にして番組をつくり、あるいは紙面に紹介したのは、やはりNHKと朝日新聞が突出しています 。これにジャパン・タイムズも学者も加わりました。幅広くメディアを利用することは中帰連の戦略の中心を成し、両者は協力(利用)しあいながら、あたかも「供述書」「手記」「証言」などが疑いのない事実のように報じ、人間の所業とは思えない日本軍の悪行を告発したのでした。
 上の写真は、1989(平成1)年8月15日にNHKが放送した番組のタイトルです。このあともかれらを取り上げた番組が放送されています。これらも、手元に資料があるものに限られますが、まとめる予定です。
 なお、「中国戦犯」については( ⇒ こちら )をご覧下さい。
  

6   大学教授、文化人などの有識者

 大学教授や作家、文化人など“有識者”と呼ばれる人たちもウイルスの散布に一役買いました。朝日、NHKなどの報道を肯定するという形が多いと思います。南京はもとより、「三光作戦」「中国戦犯」などはその典型でしょう。
 また、自ら中国、韓国などに出向いては現地の説明を聞いて丸呑みにする、あるいは提供された資料を鵜呑みにし、それらを事実として日本(軍)を断罪するケースも少なくありませんでした。
 でなければ、「現代用語の基礎知識1996」(自由国民社)の「歴史」分野で、「南京大虐殺」 の説明として、「南京市民にたいする無差別の掠奪により、中国側の見解によれば100万人の、あるいは少なめにみても2、30万人の命が奪われた」とした樺山 紘一・東大教授、あるいは「40万人以上」 と教科書に書いてしまった東大の先生(加藤 陽子助教授=当時)などが出てくるわけがありません。樺山教授はNHKの番組にもよくでていたと聞いています。
 また、南京問題で「大虐殺派」といわれる学者らが集まる「南京事件調査研究会」 という会があります。この研究会に朝日新聞の後押しがあるのは、本多 勝一 朝日記者もメンバーの一人ということからも自明のことでしょう。
 ですから、学者、文化人ら有識者については、朝日、NHKなどで報じられた問題を取り上げれば、そのなかに自然とでてくることになります。
  

7   偽 証 者

 偽証者がバカにならない数であることを知っていただきたいと思います。慰安婦問題で決定的ともいえる役割を果たした吉田 清治 、南京問題の東 史郎曽根 一男 等々。
 問題はこれから先かもしれません。当時を知る生存者が少なくなったため、一人偽証者が出ると、検証のうえ反論することが困難になるからです。
  

8   東京裁判と東京裁判史観について

 ここまでお読みになって、東 京 裁 判 と GHQ(General Headquater 占領軍総司令部) のいわゆる「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」( war guilt infomation program ) が抜けているではないか、と思った方もおいでかと思います。
「東京裁判」  東京裁判は日本を侵略国家として裁き、戦争責任は挙げて日本にあると断じました。
 この見方を「東京裁判史観」 と呼ぶのでしょう。このほかに「自虐史観」 、 あるいは「反日史観」 という呼称もよく使われています。
 「東京裁判史観」を克服するためには、その元となった「東京裁判」の不当性、欺瞞性などを明らかにすることが重要だという観点からも、東京裁判について多くが語られてきました。
 これはこれでいいのでしょうが、かりに東京裁判の不当性が広く国民に理解されたとして、これが「東京裁判史観」の見直しにつながるのかとなると、大きな疑問があると思っています。
 何度も同じことをいうようですが、歴史観を事実上規定しているのは日本軍・民の「残虐行為」だと思うからです。
 たしかに「南京大虐殺」 は東京裁判に突如として現れ、問題となりました。共産中国がこの裁判を一つの根拠にして「犠牲者数30万人以上」 という数字を出しているのも事実です。しかし、今日現在、東京裁判の具体的影響が残っているのは南京虐殺ぐらいのものでしょう。
 ですから、東京裁判の不当性をいくら云々(うんぬん)しても、メディアに刷り込まれたものとはいえ、日本軍の残虐行為に嫌悪感を持つ国民が大多数であるかぎり、歴史観を変える力にはなり得ない 、つまり「東京裁判史観」の是正に結びつきようがないと思うのです。
   それに、「東京裁判史観」なる用語は、東京裁判が終わって30年以上も経過した1982(昭和57)年頃 、 つまり「教科書誤報問題」が起こった年あたりから使われたという経緯も、東京裁判と東京裁判史観の結びつきの弱さを表しているのではないでしょうか。
   この「東京裁判」と「東京裁判史観」、あるいは「自虐史観」等について、⇒ ブログ  に書いたことがありますので、ご参照いただければと思います。
 だいたい、東京裁判で強制された史観などというものは、戦勝国側の一時期の一つの歴史観にとどまり、とうにお蔵入りになっていたはずのものでした。
 しかし、そうはなりませんでした。どうしてそうならなかったのか。このホームページ主題の一つでもあるのですが、簡単にいえば、日本のマスメディアと学者、文化人たちが、この歴史観にいわれのない血肉をつけるために手を貸したことに原因がある と思います。
 また、GHQの「宣伝プログラム」についてもいわれるほどの影響はなかったと思います。もちろん、大きなな影響を受けた人は、「インテリ層」を中心にいたでしょうが、少数にとどまったと思います。
 当時を想像してください。情報伝達手段といえば、ラジオとペラ一枚の新聞、たまに映画館で見るニュース、それに口コミ程度でした。各家庭のラジオといえば、雑音がひどく、まともに聞こえるものは少なかったのです。
 昭和天皇の終戦の詔勅を聞くさいに、1台のラジオの前に大勢が集まって聞くシーンを写真等でご覧になったことがあるでしょう。あれは、家庭のラジオの性能にも問題があったのです。伝達手段が格段に劣っていた当時、GHQが強権をもって笛を吹いたからといって、そうそう踊るわけもありません。それに、戦争体験者が周囲にたくさんいたのですから。
 それにまた、一般庶民にとって3度のメシはおろか、2度のメシさえありつくのは大変なことでした。とくに都会ではコメのメシなどまさに夢で、配給はとどこおり、さつま芋さえ手に入らないことも多かったのです。もっとも、こういうなかでも白いコメ(ギンシャリ)を食べていた人たちがいたのは事実ですが。
 こういう環境下で、GHQの宣伝計画が、当時はもちろん、今日までも、いわれるような影響をわれわれの歴史観(歴史イメージ)におよぼしているとは私には信じられないことです。

―2005年 5月30日より掲載―
( 2010年 2月8日 NHKの項ほか加筆掲載 )


⇒  朝日新聞社は何を、どう報じたのか