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108 人中、57人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 「オレ達以外バカばっか」といよいよ公言することで、著者の活動を自己肯定しているだけの企画, 2011/12/17
レビュー対象商品: 愚民社会 (単行本(ソフトカバー))
“商品説明”を読むと、日本はいかに近代化が困難かを、”近代化”を政治・法律・経済・文化等の観点から定義しつつ、歴史に沿って丹念に議論する内容を期待するが、そういう内容では【全くない】。なにより、「愚民社会」という言葉は、本文中に一度も出てこない。もちろんその定義も書中にはない。「終わっている」という非学術的な言葉のimplicationも不明であり、本の内容以前に落第評価である。
宮台氏は自身がレギュラー出演しているラジオ番組で、「愚民社会」を「簡単に言うと(※これは宮台氏が良く使う、トリックフレーズであるので注意を要する)、依存体質の表れであって、それが3.11後の原発事故で現われた」と言っている。

■構成
まえがき
 何もしない大塚英志と、何かをする宮台真司の差異が、さして意味を持たない理由 宮台真司(5p)
2011年 1 すべての動員に抗して
      ――立ち止まって自分の頭で考えるための『災害下の思考』(25p、2011年、語り下ろし)
2003年 2 歴史を忘却する装置としての象徴天皇制(167p、初出:2003年、『新現実vol.2』)
2005年 3 アイロニカルな構造自体を示したい(221p、初出:2004年、『新現実vol.3』)
「あとがき」にかえて
 もう一度だけ「公民の民俗学」(※柳田國男)について 大塚英志(293p)

■評価
上三つの対談の関連性は、一切明らかにされていない。残り二つの既出の対談は、「愚民」をテーマにしたものではないことは、タイトルを見れば一目瞭然であるし、第2・3章は、『援交から天皇へ』や憲法学者奥平康弘氏との『憲法対論』がベースになっている。大塚氏との3.11対談に併せて、「愚民」というキーワードに引っ掛かりそうな昔の対談を引っ張りだしてきただけにしか思えない。第一章についても、宮台氏の『終わりなき日常を生きろ』がほぼそのまま節題になっているくらいである。よって、宮台氏主導の企画と考えてよく、本稿では宮台氏に焦点を絞る。いくつか引用したい。

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多数派政治よりも大切な民主主義の本質は、…1「〈任せて文句を垂れる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ」、2「〈空気に縛られる社会〉から〈知識を尊重する社会〉である」、3「〈行政に従って褒美を貰う社会〉から〈善いことをする社会〉へ」です。/(国民が何を意思できるという)民度がそもそも疑わしいのです。(37p/285p)

たいそうなことじゃなく、「ふざけたヤツを見ると腹が立つ」ということです。……(省の主要官僚である)麻布OBの経産官僚が何をどう考えているのかが麻布OBの僕には手に取るように分かる。…動機には近親憎悪が含まれます。麻布OBに限らず、似た「愚民視」を、至るところで感じる昨今です。例えば低線量内部被曝による…(132p)

アリストテレスの教養もないインチキエリートが、「家族のため」という言い草で合理性を欠いた戦争や原発を合理化するのが、日本という国です。/三島(由紀夫)一つとっても、…アイロニーとは構造的にどんな表現なのかを理解する初学者レベルの学力が、今は共有されていない。(146p/238p)
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1章だけでも突っ込みどころがあまりに多すぎてうんざりするので、2点だけ。
[1]>結局「昨日までは皆が天皇主義だといっていたから自分も天皇主義者、今日からは皆が民主主義と言っているから自分も民主主義者」というだけです。
そんなことは40年も前に、かの山本七平が名著『空気の研究』で詳細に論じている。それくらい、”愚民”でない〈教養〉ある宮台氏は知っているはずである(1章だけで184ものウィキペディア程度の脚注を降っているにも関わらず、こういう肝心な箇所に限って脚注がない)。

[2]宮台氏が批判する「低投票率=愚民社会」で、3章でバカ扱いしている左翼政党の副幹事長が、「無党派候補」と偽装して地方政治経験ゼロにも関わらず首長になってしまったのが、自身がブレーンだと実践をアピールする東京世田谷区である(54p・106p)。この矛盾をどう説明するのだろう?彼は民主主義の理念なき多数派政治を「糞食らえ」だというが、「みんなの意見」は案外正しいことが、宮台氏が「訓練を受けた」統計学では知られている。

総評。サブカルだの自然エネルギーと共同体自治だのジョブスだのTPPだの、横道に逸れまくりで読むのに非常に疲れる本書を読むくらいなら、宮台氏の師である小室直樹氏の『日本いまだ近代国家に非ず―国民のための法と政治と民主主義―』を読まれることを強く推奨します。「何もしない大塚英志と、何かをする宮台真司の差異」なんて、よほどの宮台フリークでない限り、全くどうでもいい(「愚民」の対象と意味は、官僚と国民の両方を別々に指していると読み取れる)。自らの社会的使命についての自覚について、宮台氏は師の足元にも及ばない。宮台氏はかつて『絶望から出発しよう』と言ったことがある。158p「日本は終わりです」?勝手に絶望してろ!
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このトピックの全投稿9件中1件から9件までを表示
最初の投稿: 2011/12/29 16:45:20:JST
投稿者により編集済み(最終編集日時:2011/12/29 17:03:38:JST)
ラザロフさんのコメント:
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前の投稿への返答(返答日時: 2011/12/30 18:33:06:JST )
Ashurungさんのコメント:
コメントありがとうございます。
孫引きのようですが、ラザロフさん仰る通り『「みんなの意見」は案外正しい』は、単に「三人よれば文殊の知恵」を主張した本でもなく、その中身に対して批判もある研究だと理解しています(というか、私自身、本の論理展開の一部に疑問を持っています)。私がレビュー欄で上掲書を引き合いに出した意図は、「自分は統計学の訓練を受けている」という宮台氏の”愚民視”に水を指すためです。政治過程論の文脈を持った地方選挙の投票行動論に確率統計論を持ちこんだ研究などというのは、私が指摘した宮台氏の矛盾のレベルを遥かに超える議論だと思います。

で、ラザロフさんは、本書に対してどのようなご意見をお持ちなのでしょうか?
(率直に言ってしまえば、ご指摘頂いた一文を削除しても、私のレビューの有用性/無用性は殆ど変わらないでしょう)

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/01 9:58:04:JST )
ラザロフさんのコメント:
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前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/03 14:52:29:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2012/01/03 14:53:01:JST)
Ashurungさんのコメント:
手短に結論から先に申し上げます。削除する予定は、今のところありません。
なぜなら、本引用は上述した「「自分は統計学の訓練を受けている」という宮台氏の”愚民視”に水を指す」という意図を持った引用であり(その意図とレビュの有用性/無用性に与える影響は当然別物です)、さらに、そもそも「重大な知見の誤り」があるとは私は考えていません。原題“The Wisdom of Crowds”を「みんなの意見は“案外“正しい」(引用符引用者)と意訳されていることそれ自体が、安直に「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」と誤解されるリスクを回避するタイトリングだと私は考えています。当方の意図に対して誤解リスクの方が大きいというのは一つのご意見として受け取ります。

最後に「注意深くポイントを外した」「「いかがわし(い)」とご指摘の私のコメントについて。
“保険”などという生易しいものではありません。貴殿にとっては「非常に重大」ゆえ看過しえないのかもしれませんが、私にとっては「知見の誤り」とは言えず、しかもレビュー対象本の中身とは全く関係がないという意味で「非常に重大」でもありません。引用はあくまで本書に対するレビューの一環です。勿論、私が特定の意図を持って引用している以上、その引用に「明白な知見の誤り」(もしくは誤った誘導等)があれば、修正する必要があるでしょうが(繰り返しになりますが、私はそうは考えていません)、そうでなければ、レビューの主題から外れた議論の応酬になります。私はここでその種の議論をするつもりは全くありません。

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/10 12:06:03:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2012/01/10 17:06:08:JST)
ラザロフさんのコメント:
[多くのお客様がこの投稿は参考にならなかったと投票しています。 投稿を表示する. 参考にならない投稿をすべて表示する.]

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/14 17:52:37:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2012/01/14 18:32:51:JST)
Ashurungさんのコメント:
当方の意図が全く伝わっていないばかりか、「読者の注意が厳しくゆきとどかないことを悪用した」等、勝手に一方的に驚かれても困りますので、前言撤回、再度コメントします。
>言うまでもないですが、レビュー対象本の中身と関係があるかどうかで重大性を問題にしてよい性質の話ではありません。
そういう議論にならないよう、わざわざ、
>勿論、私が特定の意図を持って引用している以上、その引用に「明白な知見の誤り」
>(もしくは誤った誘導等)があれば、修正する必要があるでしょうが(私はそうは考えていません)
と、くどいコメントをしたのですが…。

>もともとのあなた自身の意図が「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」という誤解を
>(あなたがその時点でイメージした)「統計学」の立場から肯定するものだったことは明らかです。
なぜ「明らか」なのですか?当の私にはなかった〈意図〉をあったと言われても、ありませんと繰り返すしかないですが、以下で検証してみます。

〔命題★〕
「みんなの意見」は案外正しいことが、宮台氏が「訓練を受けた」統計学では知られている。
→統計学の知見によれば、「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」

「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」というのが学術的知見だ、とするこの推論、正しいと思いませんよね?私が★の命題を初見したら、論理の飛躍したただの印象と感じます。言い換えれば即ち、「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」というimplicationを統計学の立場から肯定する“意図”など、私は持ちえないということです。

レビューの主題から依然逸れてしまいますが、“印象操作”だと断罪された部分について。
>あなたは「案外」に引用符をつけて強調しましたが、
>もとのタイトルは別の箇所(「みんなの意見」)にすでに強調を付しているのです。
>(中略)この点の認識が、あなたが行った強調への評価を大きく左右することは明らかですよね。
訳者が何かしらの意図に基づいて付けられた邦題のかっこ「」強調と、私が便宜上コメントの中で勝手につけた引用符“”強調を、同列に扱えるはずがありません(当然、軽重の問題でもありません)。コメントとレビュー本文を混同されているようにお見受けします。コメントで「みんなの意見」のかっこ引用を外した動機は単純です。「「みんなの意見」は“案外”正しい」と表記すると、とても読みづらく、当方の意図が伝わりづらいからです(うん、やっぱり↑ではどこを自分が指したいのかたぶん伝わらん…)。私が主張したかったのは、タイトルの邦訳プロセスを参照した上での引用の妥当性であり、訳者によるかっこ「」強調の箇所や意図ではありません。レビュー本文の引用では、当然ですが、もとのタイトルどおりに強調を付しています。私はレビューでの文献引用に際して、極力タイトルに手を加えないことを、レビューのポリシーにしています。当然ですが、そんな資格は、レビュアーである私にはあるはずがないからです。

繰り返しますが、本引用は上述した「「自分は統計学の訓練を受けている」という宮台氏の”愚民視”に水を指す」という意図を持つ引用であり(「その引用をもって、学術的根拠がないデタラメを言っているに過ぎないと主張している」いうのも、論理的飛躍です)、さらに、そもそも「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」というのが学術的知見だという“印象”を読者に抱かせる意図などは初めから持っていないので、削除する予定は、今のところありません。貴殿は、私に対し何を望んでおられるのですか?くどいようですが、私は「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」というのが学術的知見だという“印象”を読者に抱かせる意図など初めから持ってはおらず、そのような印象は誤りだと考えているので(それは、★の部分で検証した通りです)、削除する予定はございません

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/15 22:47:23:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2012/01/15 22:57:32:JST)
ラザロフさんのコメント:
新規投稿を読みましたが、残念ながら、彼は「自身の意図」を基準に自身の文章を正当化することに終始しているだけですね。

あたりまえですが、政治思想のような一般的な問題を論ずるときの「意図」とは、単に「ある個人が何を言わんとしているか」ではありません。問題の性質に対応する合理性と無関係に「何を言おうとしていたか」に関する情報を増やしたところで、問題を論じたことにならないからです。

私は、【彼は民主主義の理念なき多数派政治を「糞食らえ」だというが、「みんなの意見」は案外正しいことが、宮台氏が「訓練を受けた」統計学では知られている。】という文章に前提されていたとみなせる観点を、「コンドルセの定理」という「知見」に言及することで疑問視しただけです。この疑問に直接答えることは何も難しいことではなかったはずですが、彼は終始、「自身の意図」を、自身が書いた文章から読み取れる観点と無関係に反復してお茶を濁しているだけでした。「コンドルセの定理」が彼の返信の中に登場してすらいないのは驚きとしか言いようがないです。

ここで新規投稿に対応させて反論を書いたところで、ただ情報量が増えて何がなんだかわからなくなるだけなので、2012/01/10 17:06:08:JST と、2012/01/14 18:32:51:JST を比較対照して読むことをお願いして、ここへの投稿を終わりたいと思います。ありがとうございました。

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/24 19:02:23:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2012/01/24 19:06:38:JST)
Ashurungさんのコメント:
コメント遅くなりました。
今までの投稿を読む限り、ラザロフ氏は、ご自分の理解の及ばない部分は「読み取れる観点と無関係に反復してお茶を濁している」等と非難し、まさしく「自身の文章を正当化することに終始している」ようです。かなり悪質かつ迷惑と言わざるを得ません。

くどいですが、もう一度言いましょう。
「みんなの意見」は案外正しいことが、宮台氏が「訓練を受けた」統計学では知られている―命題[1]
→統計学の知見によれば、「たくさんの人が意見を寄せれば正しい答えに近づく」―命題[2]』
―〔命題★〕
「命題[1]→命題[2]」というこの推論(〔命題★〕)は、誤りである。
(※命題[1]は、文献引用を含みますから、字面だけの意味ではなく、それ以上のimplicationを持ちます)

ラザロフ氏は、この〔命題★〕が「前提されていたとみなせる観点」(2012/01/15 22:57:32:JST)「「統計学」の立場から肯定するものだったことは明らか」(2012/01/10 17:06:08:JST)という前提に立って、私に「疑問を呈して」おられるわけです。しかし、くどいですが、なぜそのように「みなせる」のですか?なぜ「明らか」なのですか?それは、【ラザロフ氏にとって】明らかなのにすぎず、その前提(〔命題★〕)がそもそも誤りだと申し上げているのです(議論の土台が誤りである以上、それを前提とする〈疑問〉など、答えようがありませんよ)。やっているのは、「ある個人が何を言わんとしているか」【ではない】数学的推論の検証です。私個人の意図など、入る余地もありません。

ちなみに、私がコンドルセの定理(投票のパラドックス)を持ち出さなかったのは、ラザロフ氏が「明らか」「みなせる」という推論が誤りであることはコンドルセの定理など【持ち出すまでもなく】、〔命題★〕を検証することで簡単に示せるからです。高校生レベルの数学力と国語力で理解できる論証に、コンドルセの定理に限って高等教育に言及する必要があると本気でお考えになりましたか?敢えて関連付けるなら、投票のパラドックスは、〔命題★〕が誤りであることを示す一つの反証ですから、ラザロフ氏は、自分が議論の出発点にしている推論を否定する「知見」を自ら持ち出していることになります。経済誌からの耳学問にすぎないのでしょうか?自爆行為乙です。

ラザロフ氏は投票のパラドックスが相当お好きのようですが、私なら、18世紀に“発見”された投票のパラドックスではなく、それより一般性を持った定理として、同時に遥かに影響力をもつ、1963年に“証明”されたアローの不可能性定理を例示します。引用書が出版されたのは21世紀に入ってからですから、非常に良く知られるアローの不可能性定理も承知の上で邦訳タイトルがついたはずです。

レビューの主題から外れた議論の応酬が続いたことを、非常に残念に思います。

前の投稿への返答(返答日時: 2012/01/26 2:03:52:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:48秒前)
ラザロフさんのコメント:
一つ前のコメントで終わるつもりでしたが、「かなり悪質かつ迷惑」と酷いレッテルが貼られた上に、まさに悪質としか言いようがない説明が付け加えられているので、できるだけ簡単にコメントしておきます。

・「命題」云々については、繰り返しになりますが、2012/01/10 17:06:08:JST と、2012/01/14 18:32:51:JST とを比較対照してみてください。結論だけ簡単に触れますと、彼の「命題[1]」の引用にごまかしがあるのです。彼は「命題[1]→命題[2]」などとわざわざ大仰な書き方をした上で【なぜ「明らか」なのですか?】等と疑問を発していますが、そのような疑問は、元の行文の趣旨を決定づける箇所を、彼が引用から省いたことによって生じているに過ぎません。元の行文を確認すれば直ちに「終わる」話です。

・また、彼はコンドルセの定理 http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2007/20070115/1198/ と 投票のパラドックス http://ja.wikipedia.org/wiki/投票の逆理 を混同したようです(リンク先を確認しても、「コンドルセの定理」で検索しても、ありえない混同だと誰でもわかります)。

ここから次のことがわかります。

1. 彼はコンドルセの定理を知らない(この点「だけ」を捉えて彼を咎めるつもりはありません)。
2. 彼は私が示したリンク先の文章に目を通すことすらしなかった。
3. 彼は「コンドルセ」でGoogle検索し、(私が検索した時点では)2件目に出てくるWikipediaの「投票の逆理」を「コンドルセの定理」だと思い込んだ(ちなみに「アローの不可能性定理」は同ページの関連項目に含まれています)。
4. 彼は自身のレビュー中[2]の問題の文章 【彼は民主主義の理念なき多数派政治を「糞食らえ」だというが、 「みんなの意見」は案外正しい ことが、宮台氏が「訓練を受けた」統計学では知られている。】 に対してどのような批判が加えられたか、全く理解せずにコメントを続けていた(ついでに指摘するなら、「投票の逆理」が、[2]への批判に論理的に関わらない病理的なケースに関する議論だということも理解していない)。

はっきり言って、かなり「イタい」です。自他の文章を忠実になぞって内容を押さえたり、内容に注意して調べる程度のことすらできないなら、強い態度で意見やレビューを書くのはやめるべきです。
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