3.11の企画についてTwitter上での炎上が起こり、問題についての長谷川 寛子さんのブログ記事への回答として、この記事を書きたい。
http://hhvstudio.seesaa.net/article/248078783.html

僕はNo Nuke Sendaiとして9月より3.11の反原発集会デモの開催をアナウンスしてきた。
集会デモには毎回、批判も強く、殊更3.11であれば、尚更だ。予め言っておくが、そうした批判的な人々の心情を僕は理解しているつもりだ。そしてその本質は「誤解」であり、言い換えれば、それはデモに対する誤解でもあるだろう。

どのようなデモも何故批判され続けてきたのだろうか。政治的である事とは反社会性とイコールだろうか。

しかし、昨年の一年でデモを取り巻く状況はそれ以前とは変わった。昨年、原発関連だけでもどれだけの数のデモが国内で企画され、実施されただろう。それは戦後最大の「事件」によってもたらされた状況、現状だ。3.11とは多くの犠牲者を出しただけではなく、戦後最大の、事件の起点となる日だ。それは政治的犯罪であり事件だ。

次に、追悼の意味
僕達が6.11、9.11と区切りの日を選んできたのには、その日でなければならない理由がある。

震災によるショックが冷めやらぬ6.11の開催は、国、県の復興政策への疑問と対応への疑問も大きかった。
テレビでは当時の枝野官房長官が「国は直ちに影響はない」を繰り返すばかりだったが、ネット上では様々な情報が溢れていた。その時点で明らかに事態は異常だった。そして4/12には、突然、「国際評価尺度(INES)」が、最も深刻な、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に並ぶ「レベル7」に引き上げられた。

震災から一ヶ月が過ぎた、4/11、村井知事は記者会見で以下のように答えている。
http://forum.alternwcs.org/viewtopic.php?f=26&t=111&sid=bba2506ede92d50b92ba93dafdba3b84

【一部引用】
■村井知事
今回、大変な地震であり、また大変な津波でしたけれども、女川原発は最小の被害でとどまったということでございまして、その意味では大変喜んでおります。ただ、原発に対する危機管理意識というものが、県民のみならず国民の皆さんが大変高くなったというふうに思っておりまして、より一層の安全管理、危機管理体制というものが必要になってくると思っております。

しかし、だから原発は不必要だというのも、やや行き過ぎの議論ではないかと考えておりまして、電力の安定的な供給ということを考える上では、やはり原子力発電というものも、その必要性は十分に認識をしなければならないと思っておりまして、必要性と安全性の折衷をいかにして図っていくのかということをしっかりと国や関係する市町と協議を進めてまいりたいと考えております。

再開については、まだ何も東北電力さんからはお話はございません。
【引用ここまで】

僕はこの4/11、宮城県議会、『平成23年大震災対策調査特別委員会』の傍聴に参加したが、原発問題に対する言及は殆どまったくなされなかった。僕はその時の録音音声を持っている。福島の隣の宮城県で、震災の影響で、放射線を測定する機械は故障ということでデータも与えられず、間一髪で最悪の事態を免れた、女川原発を抱える宮城県のその態度。その復興計画も原発による影響はまったく考慮されないまま描かれていた。しかし、この時点で復興特区などのプランだけは早々と出来ていたようだ。明らかに何かがおかしい。そう思うのが普通の感性ではないだろうか。

参考:
「県民不在の宮城復興計画」 しんぶん赤旗 5/29
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-29/2011052902_02_1.html

要はこの時点で中央財界による火事場泥棒のような収奪とさえ言える被災者不在の復興政策が描かれていたのだ。

ここで多くの人は憤るだろう。
そのような政策で犠牲者が報われるだろうか?
残された被災者は?
そして早くも「労働特区構想」lの噂さえ流れ始めた。それは被災地を労働特区とし、労働条件の緩和を図り、企業の誘致を促すものだ。つまり被災者にはこの国の本来の労働条件が適用されないことになる。
(2012年の3月以降に再燃する可能性もあるだろう)

だから僕達は6.11に「脱原発こそ復興の切り札だ」とのスローガンを掲げ、国や県に意思を示したのだ。
僕自身、原発そのものについては全くの無知であったが、震災前より、発送電分離による代替エネルギーの推進にこそ、日本の未来の可能性を感じてきた。地熱だけをとっても日本は地熱3大国家の一角である。日本の持つ代替エネルギー関連特許は圧倒的だ。それを国内に活かせてこなかった。それは、将来の見えない原発ありきのエネルギー政策のためだ。だから今こそ、その声をあげるべき時だ。それが被災地を救うことにもなるだろう。東北は自然エネルギーの宝庫とも言われる。
外資主導の植民地にされる必要などない。野田総理は「TPPこそが被災地復興にとって最重要」と明言している。それはとんでもない話だ。

参考:
代替エネルギー関連の特許、日本が世界の55%を占め圧勝 2010/10/25 7:00 日経Web
http://forum.alternwcs.org/viewtopic.php?f=34&t=115&sid=54cc65a0bd51690e182fb9458cb2f887

『TPPで日本をぶっ潰せ!!』 ~ 10分で理解できるTPPの問題点 ~
(震災前の去年の1月に製作)

僕は東北の健全な復興を願っている。3.11はその起点となった日である。

そして、それは9.11に引き継がれ、いよいよ3.11を迎える。

長谷川 寛子さんの僕に回答を求めるその記事には、「これらの根底にあるもの、それは無理解による無意識の差別です。」と書かれているが、「これら」に僕たちが含まれており残念だ。

そうだろうか。

僕達が向き合っているのは国の不正だ。国や東電、財界の結託によって行われた、今回の事件。その事件性について、改めて、ここで触れはしない。

昨年の9月、3.11の企画を決めた時、既に仙台市内中心部の主要公園は行政によって抑えられていた。それは行政による追悼式典のためと思われた。この1年の国、県、行政の進めてきたことを僕達は肯定するわけにはいかない。それは犯罪を肯定するにも等しいことだ。言うまでもなく行政とはその存在自体が政治そのものだ。

だからこそ、被災者でもある僕達による僕達のための追悼集会が必要だ。
僕達は、それを3.11に示さなければならない。

僕達の一連の集会デモはすべて、追悼を兼ねたものだ。

3.11にはライブ演奏も行われず、追悼集会、政治的声明の表明後、サイレント形式で、僕達はプラカードを持ち、静に市内中心部を行進する。それは誰を不愉快にさせるものではない。
政治的声明の内容は主にすべての原発の即時停止の要求、女川再稼働阻止、TPPに対する反対、被災者無視の復興政策に対する反対だ。

多くの犠牲者のためにも、残された僕達の復興のためにも、一人でも多くの方々が参加してくれることを願う。

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Categories: 集会デモ

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