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政治
【正論】日本大学教授・百地章 人権侵害救済法案に4つのノー
先ごろ、法務省が「人権侵害救済法案」の概要を発表したが、マスメディアの反応は今ひとつである。理由として、今回の法案では「強制調査」や「制裁の過料」が削除され、「メディア規制」もなくなったことから、別段心配する必要はなさそうだとの楽観論が考えられよう。
≪危険な本質は変わらず≫
しかし、危険な本質は変わらない。第一に、「人権侵害」の定義は従来と変わらず曖昧であるため、乱用の危険は依然、残る。法案では、「人権侵害」とは「不当な差別、虐待その他の人権侵害及び差別助長行為」を指すとされているが、「その他の人権侵害」とは何か。これではどのようにでも解釈でき、乱用の恐れがある。
この点について、法務省は「人権侵害」とは私人間では「民法、刑法その他の…法令の規定に照らして違法とされる侵害行為」としているが、これはあくまで説明にすぎず、実際にそのような解釈が守られる保証は何もない。なぜなら、何が違法な人権侵害行為かは、本来、中立公正な裁判所の慎重な審理を経て初めて結論づけられるものだからである。
この制度では、人権侵害の訴えがあると人権委員会は速やかに対処しなければならない。それゆえ、次々と出されるであろう「人権侵害救済の申し出」について、申立人の主張だけ聞いた人権委員会が中立公正な判断を行うという保証はどこにもない。それどころか、「政府からの独立」を理由に一切のコントロールを受けないで、人権委員会が暴走する危険さえある。
≪表現の自由を侵害する恐れ≫
第二に、この法案では従来の「差別的言動」に代えて「差別助長行為」を禁じているだけだが、実体は変わっておらず、憲法で保障された表現の自由を侵害し、自由社会を崩壊させる危険がある。
というのは、法務省の説明では「差別助長行為」とは、「人種等」を理由とし「不当な差別的取扱いを助長・誘発することを目的」として、「情報」を「文書の頒布・掲示等の方法により公然と適示すること」とされているが、これは「差別的言動」の取り締まりそのものだからである。
しかも何が「不当な差別的取扱い」か不明確なため、人権委員会だけの判断で表現活動を自由に取り締まることが可能となる。これは曖昧不明確な基準の下に表現の自由を規制し表現活動を萎縮させるもので、憲法21条違反である。
さらに、法案では「メディア規制」は対象外とされているが、マスコミ関係者も一個人としては当然、規制の対象となり得る。それゆえ、新聞や雑誌の署名入り記事など、真っ先に糾弾の対象とされよう。
第三に、今回の法案(概要)では、令状なしの「強制調査」がなくなり、拒否した場合の「過料」も見送られたのだから、問題はないとする意見も見られるが、これも楽観的すぎる。
なぜなら、人権侵害救済法が存在しない現在でも、法務局は人権侵害の訴えがあると任意の呼び出しを行っており、外務省主催の「意見交換会」において在日韓国・朝鮮人特別永住者の特権について批判的な意見を述べただけで「差別」であり、「人権侵害」に当たると告発され、実際に呼び出された例もあるからである。これで、もし人権侵害救済法が制定されたら、一体どうなるか。
≪なぜ人権委を3条委員会に≫
第四に、「任意調査」しか行わない組織をなぜ「3条委員会」にする必要があるのか。「3条委員会」とは、人事院や公正取引委員会などのように「形式的には内閣の下にありながら、実際には内閣の指揮監督を受けず独立して職権を行使する行政機関」を指す。
つまり内閣の統制が及ばず、それゆえ内閣を通じて国会がコントロールすることもできない強力な地位と権限が認められ、委員には「意に反して罷免されない」身分保障まで与えられている。そのため「行政権は、内閣に属する」と定めた憲法65条や、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」と定めた憲法66条3項に違反しないか、といった批判もあり、あくまで「例外的なもの」とされてきた。
にもかかわらず、「任意調査」しか行わない人権委員会をなぜ「3条委員会」にする必要があるのか。現在でも、法務局は「任意調査」を行っており、これは単に「独立性を維持するため」ではなく、将来、強制調査権を付与するためとしか考えられない。
法務省の統計によれば、毎年、約2万件の「人権侵犯事件」が発生しているが、99%つまりそのほとんどは現在の法制度の下で救済されている。
救済方法として、新しい人権委員会制度の下では、「援助」「調整」「説示」「勧告」「要請」等が行われるとされている。しかし、すでに現在でも法務省訓令に基づき「援助」「調整」「説示」「勧告」「要請」等は行われているのだから、人権委員会の設置など全くムダであって、必要ない。(ももち あきら)
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