「福島を除染ゴミと使用済み核の最終処分場に!」という民主党政権の“本音”が表面化する新年

2012年01月05日(木) 伊藤 博敏
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 そう思うのは、菅直人政権の頃から政府が、「住環境に戻れない地区がある」というのを自覚、その汚染の激しい地区の将来的な国有化と、そこを核汚染物質の処理場とする案を密かに温めていたからだ。

 私は、このコラムの5月19日付けで「試算では費用1兆4100億円 菅政権が言えない『原発被災地の国有化』というタブー」という記事を書いた。

「放射線量が高く、土壌汚染が進み、子供を屋外で遊ばせることができない環境の土地は、国が買い上げるしかない」という政府関係者の声を紹介、そこには①国の責任の明確化、②被災者の前向きな希望、③エネルギー政策への有効活用、という三つのメリットがあることを指摘した。

 当時、松本健一内閣官房参与が、「原発周辺には20年は住めない」という「菅首相発言」を伝え、菅首相が烈火のごとく怒り、訂正したことがあるが、その真偽はともあれ「将来的に住めない土地」が発生するのは、誰しもわかっていた。

 12月18日の帰還困難区域の設定は、事故から9カ月が経過、「もう戻れない」という“諦め”が住民に芽生えたことを織り込んでのものである。

 そのうえで、「エネルギー政策への有効活用」というメリットの追求も始めた。もちろん住民にとってではなく、国家にとってのメリットである。そこには、国有化した土地を除染で発生した汚染土壌などの中間貯蔵施設として利用したいという民主党政権の思惑がある。

先送りしてきた使用済み核燃料の処理

 すでに、12月28日、福島県を訪れた細野豪志原発・環境相と高山智司政務官が、「双葉郡内での貯蔵期間30年以内の中間貯蔵施設の設置」を要請した。「30年以内」は、政権交代しても守る約束というのだが、当事者の大半がどうなっているかわからない約束など、到底、当てにならない。

 原発は、「科学技術の永続的発展」をもとに推進されてきた。その技術への盲信が原子力村の「安全神話」につながり、それが今回の地震や津波を「想定外」にした。要は、自分の代では責任を取りたくないという意味での先送り。あれだけの大惨事を経て、日本の政官界の“性根”は変わらない。

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