2009-05-20 この「いじめ対策」はすごい!
先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。
その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。
それは、以下のような手順で行われます。
1 いじめの認知は、本人、親、友人の誰からの報告であっても
「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。
※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、
教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。
2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。
※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。
3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。
※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。
4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析を行う。
5 3・4を繰り返し追求することで、加害者に「いじめの事実」を認定させる。
※ 3・4・5は明日からでも実行できるノウハウではないでしょうか。
「加害者に吐かせる」必要のある仕事(刑事に限らず税金徴収員等々)ではよく使うテクニックです。
6 事実を認めた加害者に対し「泣くまで」反省を迫る。
※ ここは教師の真骨頂です。
中学生ともなると(特にいじめの加害者のような奴は)脅すだけでは、まず泣きません。
そこで、刑事ドラマのカツどんに当たる要素が必要になるそうです。
加害者ががんばってきたことの写真(部活動や体育祭・文化祭他)などを見せて、
「なのにお前は、今、何をやってるんだ」みたいな感じで迫るらしいです。
7 いじめの事実を認め、「泣くまで」反省した加害者は、通常、被害者に謝りたくなるのですが、
すぐに謝らせることはしない。
※ すぐに謝ると加害者が「すっきり」するからです。
8 少なくとも一週間の時間を置いて、加害者に謝ることを許す。
※ 被害者にとって、加害者から謝ってもらうことは大きな癒しになるという報告を別の会合で聞きました。
9 保護者を交えて、いじめの事実を報告する。
※ その際、加害者・被害者を実名で報告するのか否かは聞き漏らしました。
講演者だったヤンキー先生こと義家氏も、よほど感激したのかシンポジウム修了後、その先生や私がいるパネリスト控え室に挨拶に来て、
「何かあったら何でも協力します」と言っていました。
このような例が、蓄積されず、研究対象とならず、伝播していかず、「素晴らしい先生」の一実践の終わってしまうのが、教育界の最大の欠点です。
そこを何とかしたいと痛切に思った一日でした。
そこは「謝」らせるべきではないかと。
ということで、修正したらこのコメントは削除しちゃってください。
失礼しました。
何にしても、実戦してるのは凄いですね。
すみません、
>チーム対応は教員の一番苦手とするところ
>このような例が、蓄積されず、研究対象とならず、伝播していかず、「素晴らしい先生」の一実践の終わってしまう
これらの原因についてどう考えていらっしゃいますか?もしよかったら教えてほしいです。
DQN親、モンスター親が工程9で発狂しないといいですね。親の所業で子供のいぢめ問題は
あると思いますし。
最近の子は、諭せば驚くほど正直ですからねぇ・・・・・。
反省したあとにさらに反省させるような時間を与えることも、加害者意識をはっきりさせる上で重要だと思いましたし、このような時間はなかなかないですから。
何故に加害者はいじめをするようになったかという点が重要だと思う。
要は加害者の家庭環境が悪いとか、そもそも発達障害だったとか。
そこをつぶさないと根本的な解決にならずに、また問題を起こすよ。
泣かすまでって。。
ご指摘くださった方々、どうもありがとうございました。
読みづらいとは思いますが、戒めのために間違った部分を残したまま訂正しておきます。お許しください。
いじめは、いじめっ子に謝らせれば済む問題ではありません。学校全体、保護者も含めた地域全体で「人を大切にするとはどういうことか」などを考えなければならない問題です。
こうした心の問題を大切にできない部分が、実は
>チーム対応は教員の一番苦手とするところ
>このような例が、蓄積されず、研究対象とならず、伝播していかず、「素晴らしい先生」の一実践の終わってしまう
という事態の遠因でもあると思います。
学校は、警察と同じことをしてはいけない場所だと思います。罰することと育てることは違うのですから。
通りすがりですが、一筆書かせていただきました。
学校は更正院じゃないんだから、後は「いじめの事実」に基づいて罰則を加えれば済む話だと私は思いますね。
いきなり、ヒントと感動をいただきました。
これは世界平和の礎となると思います!
通りすがりさんのコメントも読めて良かったです。
私も強くこいうった考えに同感していたところです。
「広い意味においても『見返り』は求めない、与えるだけの愛情」
人間にはこれができるのだ、そして「『見返り』を求めずに
それができたときには、ちゃ〜んとすばらしい「副産物」が戻ってくる。
しかも『副産物』の『波紋』は広がっていく」
というのが、今、私の実感している「答え」です。
どうぞ 「あなた」にも、
この宇宙に存在する、
ありとあらゆる
「素晴らしい感動」に触れ合う
1日となりますように。
Miki
原因はドッヂボール大会で負けた相手のキャプテン。
昨年、私立から戻ってきた同じクラスになったこともない子。
話したこともないその子からの初めての言葉が
「お前、ぜんぜん弱いカスじゃん!」
長男にあまり好意を抱いていない数人の子供たちが集まり
6人がかりで「死ね」「消えろ」「うぜぇ〜」とやられ
長男はタックルで応戦し殴りかかってしまいました。
今日、学校で担任の先生(全クラスにまたがってしまいますが…)
を交え話し合いがあるようです。
友達が多く、人気者の長男は何かと目立つようで
今回の件では殆どの女子が味方につき、
また、気に入らない存在になること間違いなしです。
これだけの対策を立てて実践されているくらいですから、杓子定規ではなく柔軟な対応を行われているのではないでしょうか。
「泣かせる」のではなく「泣く」ことの意味が分かってない。
チクられた、運が悪くバレたといった逆恨み的被害者意識を改めさせ、
自分の犯した過ちの重大さを認識させることが大事、というのが要点。
その目安が「泣く」ことだというだけ。責め立てて泣かせろといっているわけではない。
また、警察みたいな手法をとるのは、いじめ問題を取り上げるからには
必ず解決に持っていかなければならないから。
加害者を呼び出しておいていじめ事実を明らかにできないと、
加害者が味をしめる&告げ口されたことに対する逆恨み、
及び被害者が周囲の人間は頼れないと思うことで被害が深刻化してしまう。
これはいじめ問題に対応するに当たって一番やってはいけないこと。
それを避けるために警察的な手法を用いるのであって、加害者を犯罪者扱いしているわけではない。
このくらい反省を促さないと、他人の痛みなんてすぐ忘れてまた同じことを繰り返してしまうでしょう。
「加害者には加害者の理由が〜〜〜」
とかいうひとっているよね。
仮にそうだとして、その「理由」と関係ない人間がとばっちりを繰っているのを
後回しにされるのはかなわない。
どんな理由だかしらないけど、そんなのそっちで解決してよ。
親殺しでも自殺でもなんでもすればいい。
無関係の他人をいじめていい理由になんかならない。
殴れば傷害罪、物を隠せば窃盗罪でしょっ引けると思うんですが。先生に叱られるより、警察に引き渡して「前科一犯」でも付けてやった方が、よほど反省しそうな気がします。
何もわかっていないのに、泣くまで反省させるのはやり過ぎだとか書かれていて腹が立つ。
靴を隠したとか野軽いレベルだったらやり過ぎだという意見もわかるが、半身不随になったり、失明したり、重い精神障害や、過大なセクシャルハラスメントを行った者に対しても泣くまで反省させるのは全くやりすぎではない。
逆に、逮捕や、1ヶ月の停学ぐらいレベルのいじめも確実に存在する。
泣くまで反省しなくていいって言う人達って、いじめで子供達が自殺したってニュース聞いたこと無いのか?
教師でも何でもありませんが・・・「いじめは警察に通報しない」と決まっているわけではないと思いますよ。むしろ、この記事にも少し書かれていますが、学校としても責任を個々の教師に押し付けてしまう傾向があって、対応が個々の教師によってバラバラなことが問題なのではないでしょうか。
で、警察に通報するのは個々の先生の判断によると思いますが、程度問題でしょう。一旦、社会に出れば「前科一犯」は非常に重い制裁であることが分かりますが、中学のうちは分からないでしょう。そして、前科一犯はいくら悔やんでも消えません。残りの人生、前科一犯であることと付き合って生きていかなければなりません。
そうすると、もう、「反省する」「反省しない」などという問題ではなくなってきます。いくら反省しても、誰かが飯を与えてくれるわけではないのですから、現実問題、「前科一犯」であることが問題にならない組織(犯罪組織など)の下で生きていくしかなくなるのではないでしょうか。前科一犯であるために皆に拒絶され、絶望の淵にいるときに、犯罪組織が「あなたを歓迎します」といって手を差し伸べてきたら、大抵の人間は、犯罪組織の方に感謝の念を抱くのではないでしょうか。犯罪組織もバカではありませんから、そうやって、人の反省の念・後悔の念に付け込んでいくのです。
「前科一犯を付けてやればいい」「前科一犯の奴は悪い奴だから仕事がなくて当然だ」そういう考えは、排除する側は楽しいかもしれませんが、排除される側にとっては死活問題となります。これは、いじめと同じ構図ではないでしょうか。
前科一犯を必要以上に付けて排除することは、結果的に犯罪組織に人材を送り込むことにつながるのです。
>チクられた、運が悪くバレたといった逆恨み的被害者意識を改めさせ、
>自分の犯した過ちの重大さを認識させることが大事、というのが要点。
分からないですね。学校は更正院じゃない、と書いた通りです。
我々は法治国家に住んでいるわけですから、ルールに基づいて処罰すればいい。
最初は停学から始めて、退学、少年院送り。一発退学でも良いと私は思いますが、ここら辺は学校側の裁量に任せるところでしょう(私が通った高校は一発退学でしたね)。要は、いじめを社会が許さない事、そしていじめて得する事は何も無いこと。これを厳格な処罰で分からせる事。これがアメリカをはじめとする法治国家の考え方です。(ちなみに私はアメリカに住んでます)
加害者の教育や反省させることは学校の仕事じゃありません。泣く事を一つの目安とか言ってるけど泣くまで謝らせないなら泣かせてるのと同じ事。下手すりゃ逆にハラスメントになります。
癒しになんかなりません。
学校側と加害者側は満足でしょうけど。
あと、法治国家ってひとくくりにしても、法律が同じじゃないわけだし。
中学生を退学させる事が難しい理由など何も無い。
>あと、法治国家ってひとくくりにしても、法律が同じじゃないわけだし。
法治国家というのはルールに基づいて処罰するという考え方を説明しているだけ。それぞれの学校のローカルルールに基づいて処罰すればいいと書いてあるのだから、的外れな突っ込み。
この方法で、まず被害者を助ける!
加害者の理由は助けた後でもいいじゃないですか
ええ。そのローカルルールでは簡単に処罰できないからこういう話が出てるんじゃないかなぁ。という。
おかしな事があるから改訂もされる。法律は人間の、政党間の駆け引きの末にできる
物で決して絶対の正義ではない。
人間である以上間違いは犯します。
今回のやり方が正しいか間違いか
はこの文章だけでは判断できないと思います。
実際のやっている様子も見ず断言は
危険
ただ、いじめっ子を前科者にすることなく
反省させるこっとが出きるのなら
間違いではないと思います。
100%完璧な方法を探して方法論をこね回してるだけで結局何もやらなかったり、論議ばっかりで何もやらなかったり、被害者より加害者の心情を優先するようなのばっかりな中、何かアクションを起こしてるのは素晴らしいと思いますよ
周りでもいじめる側は、確かに親に問題があるケースが多いが、親に学校がアクション起こしてもモンスターぺアレントに限らず、全く直す気は無い(どころか教師や学校への攻撃が始まる)ので、子供が自分で反省する事ができる方法が実践されている点が素晴らしい。いじめられている方の傷口が深くなる前に対処できるフットワークの軽さも良いです。
実践してブラッシュアップしていって欲しいですね
普通に訂正した文のみにしてもらえませんか?
罪状は傷害・暴行なんだからこここそ言葉狩りしないとなのに……
別件ですが「万引き」とかも
私がいじめを受けていたころの教師は決して間違ってなかったが、ちょっとツメが甘く、いじめは表面的にはそう見えづらくより陰険に変化してしまった。私は、私をいじめていた彼女たちがどんな母親になっているのかちょっぴり心配だ。
「加害者が泣くまで反省させるのはやりすぎ」とちょっとでも思う方は、自分がいじめを受けた事がないはずです。加害者の立場でしかこれを読んでいないからです。
被害者の涙はその「やりすぎ」の結果ではないとでも言うつもりでしょうか。
加害者を反省させた結果出てくる涙は本人にとっても、間違ったことを正してもらったんだからありがたいものです。
被害者はありがたくもない辛い涙を毎日こらえているのです。
ああ、自分が小学生のあの頃あんな方法ではなくこの方法をとってくれてたらなあ・・と思いながら読みました。
「当校では、他人に暴力を加える行為は固く禁じております。このルールに何度も違反する生徒は退学処分にする可能性があります」
というルールさえ「学校の判断」で実行できないなら日本の教育システムは終わってるとしか言いようがないね。
ヨーロッパとか他の国は知らないけどアメリカでは普通に退学に関するポリシーが明記されてるよ。そこを明記しておかないと他の生徒を守れないし、生徒の親だって黙っちゃ居ない。自分の子供を安心して学校へ送れないのだから。
もちろん、誰がいじめっ子・いじめられっ子になるのか事前には分からないけど、「分かった時点で対応するためのポリシーがある」事は非常に大事なわけ。
と常々感じていたからこの方法はいいと思う
ただ気になるところが一点だけ
いくら反省しても泣かない人はいるんだから
涙以外でもちゃんと加害者が反省したか見極められる教師がやるべき
まず、3から6まで1日で全て終わらせられるのか?ということ。
途中で帰せば被害者が通報したと考えて報復行動を取る。
また、謝らせるのは1週間後というのもほぼ不可能。
隔離処置でも取らないと会えばそこで謝ってしまう。
その隔離は学校以外でも必要なのだがそんなことは可能なのだろうか?
そして、いじめのダメージが浅い人以外は被害者は加害者から謝られても癒されることは
決してない。
そう言っておかないとまたいじめられるかもしれないからそういう振りをしてるだけ。
ただ、全ての責任を加害者だけに押しつけることは間違い。
私は引っ越ししても、クラス替えしてもずっと虐められていた。
すなわち加害者と合わなくなっても別の加害者が現れいじめられていた。
何処に行ってもいじめられ易い人は確実に存在するし、私の知る限り例外はあれど殆どの被害者は虐められ易い人つまり
被害者自身がいじめられる要因を持っているのです。被害者が良い悪いではなく…
加害者が悪いのは100パーセント間違いない。
だけどその加害者を責めるだけでは決して解決しない部分も確実にそんざいします。
ボクシングの内藤大介選手は何故虐められなくなったか考えて欲しい。
そんな要素を持っているというだけの理由でいじめてしまうというのは、
その社会自体が未成熟だとは考えられないでしょうか。
今回の手段がいつでも使える万能な手段とは思いませんが、
未成熟な社会を成長させる一手段として、考慮に値すると思います。
特に学校という社会は、一度構成員が決まったら変更は難しいのですから
そういう要素を持つ人がいる事も含めて容認し、
双方協力して「いじめられやすい要素」を解消できるような方向になればいいと思います。
だから、そりゃ、公立中学校でも退学の基準を明確にしているアメリカのやり方であって
公立中学校を義務教育とし、地域と連携して子供の人格育成機関としての役割も担っている
日本の中学校とは違うってことだけだと思いますけど
更正院ではありませんが『間違ったことをすると正される』機関ですよ、日本の小中学校は
アメリカ型に変えりゃいいじゃん。変えられない理由は何かあります?
義務教育はアメリカも同じですよ。年齢は州によって違いますが。
アメリカと日本が違うという事のみに終始して、結局やり方を変えないならいつまでもいじめが続くのは歴史が証明している通りです。
私はむしろ学校は更正院でもあるべきだと思いますが。
また加害者を擁護するようなコメントがいくつか見られますが、集団で個人を精神的に追い詰める事で、どれだけの弊害が長期に亘って生じるかを考えれば、この程度では手緩いとさえ感じました。
また加害者を擁護するようなコメントがいくつか見られますが、集団で個人を精神的に追い詰める事で、どれだけの弊害が長期に亘って生じるかを考えれば、この程度では手緩いとさえ感じました。
コメントに前科者と犯罪組織の構図が出ていましたが、アメリカで学校をフェードアウトした人間が行き着く所はギャングくらいのものではないでしょうか?
フェードアウトした者同士でつるんで、他のグループと対立して、下手すれば殺し合い。銃だって簡単に手に入るから殺人を犯したり、殺される側になるなんて事もしょっちゅう、そして巻き添えをくって亡くなる無関係な人、街の安全の悪化…。
悪い人間を一見自分の周囲から排除したようで、結局社会全体としては治安の悪化を加速させる。
そして自衛の為にまた銃が売れ、事故で亡くなる子供までいる…。アメリカの悪循環だと思います。
その点日本の、この学校のやり方の方が、加害者の心に訴えかけて反省やもう同じ過ちを二度と起こさないと加害者本人が本人の心に誓う事で再発を防ぎ、また『より悪の道へ近づく人間』を減らす努力によって、学校以上の社会全体として安心な社会を作れると思います。
被害者も、いじめが止まって、そして二度と起こらないでくれればそれが一番の望みだと思いますし、加害者がいじめをしない人間になる所を見られれば、いじめ被害者の、傷ついてしまった人間そのものへの不信感も癒せる事があるのではないでしょうか?
実際退学処分が適正とされる学生もいるでしょう
しかし全ての学生が退学処分が妥当か少し考えて頂きたいです
日本の現行法にも間違いは沢山あるでしょうがアメリカの法律に間違いが全くないわけでもないと思います
そもそも元の文化が違うんだから慣習や法律だけを真似しても壁にぶつかるし反発は免れないはず
アメリカが優秀で日本が劣っているとは思いたくないし違うと思う。日本が優秀とは言わないけど
このような取り組みを実践しているのは前にもあったけど机上の空論になっていなくて良いことじゃないでしょうか
どうして広がっていかないか考えて自分の周囲の学校に関係している人と話すだけでも前に進むんじゃないでしょうか
始めか終わりかに注記だけしてさ.
過信というか確信ですね。私は日米両方の学校を経験してますから、日本のいじめ被害者が声をあげても対応してもらえないことも、アメリカで被害者が声をあげたらすぐに対応してくれることも知っています。
確かに加害者を排除し続けることの弊害はあるでしょう。ただし、社会全体として治安が悪化すると結論付けるのは早計かと。処分に懲りて結局改心に至るケースも当然考えられるからです。
日本の、この学校のやり方で加害者が心から反省し、二度といじめをやらなくなるなら十分に効果的な方法だと思います。泣かせるのはやりすぎだとは思いますが、本当に二度といじめなくなるなら必要悪でしょう。
>pさん
えーと、全ての加害者を退学にせよと書いた覚えはありませんが・・・
あと、法律が正しい・間違っているという議論はしておりません。
自分一人だけ「オレの意見は正しい。完璧。正論。オレに反する意見はすべて間違い。」と吠えていても、誰にも賛同してもらえなければ無意味だよね。
ハタから見れば誰が間違ってるかは一目瞭然なんだけど、本人だけが気付いていない、っていう。滑稽で惨めで可哀相。
自分の意見が正しいとか書いてないのにそう読めちゃう馬鹿が居るんだな。
被害者の救済こそが、最優先するべきことなので。
そのうえでしっかりと反省させないと、また同じようなことを繰り返す可能性が高いので、
「泣く」のを一つの目安として反省を促す、と。
罰則は罰則で与えればいいだけのことだし、なんで反省を促しちゃいけないのか、
いくら考えてもわかりません。
アメリカだろうが日本だろうが、「悪いコトしちゃダメ」って教えるのは大切だと思うんですが。
反省を促す過程で、加害者に「なんでいじめたんだろう?」という気づかせ、それを聞き出して、
加害者本人以外にその要因があるようなら、それを取り除くべく対応する。
そのための方法論とかを考えたほうが、有益な気がするんですが。
もちろん、すべてを学校だけでやらせるのではなく、行政や地域社会を含めたあり方という部分で。
いじめ問題に関して伝えたいことが本当にあるなら、幼稚な言葉ではなく、相手に伝わる文章を書いてください。
あなたが本当に「伝えたいこと」を持っているのなら・・・ですが。
> 日本の、この学校のやり方で加害者が心から反省し、二度といじめをやらなくなるなら十分に効果的な方法だと思います。
と書いているにも関わらず、アメリカ式を推す理由は何ですか?
この方法では、加害者は再びいじめをしてしまうということですか?
その原因は何だとお考えですか?
アメリカ式云々以前に、この本記事の方法の何がいけないのかを教えてください。
おっしゃる通りです。反省を促すことに問題は全くありません。
>おやじさん
>と書いているにも関わらず、アメリカ式を推す理由は何ですか?
別に本記事のやり方を全面否定してるわけじゃないから。
私自身の意見は持ちつつ、本記事の方式で良いところは認めるだけのこと。
>この方法では、加害者は再びいじめをしてしまうということですか?
>その原因は何だとお考えですか?
もちろんケースバイケースなんだけど、よいこさんが書かれたように「罰則は罰則で与え」ないと、また加害者になる可能性は高いと思う。あくまで私個人の意見。
>アメリカ式云々以前に、この本記事の方法の何がいけないのかを教えてください。
上にも書いたけど本記事のやり方が駄目だとはどこにも書いていない。泣くまで反省させるのはやり過ぎじゃないか?とは書いたけど。
私は加害者がそのままで良いとは考えては居ないのです。
加害者に逆恨み反省をさせることができるのであれば間違ってないとは思いますと申し上げて
ただ加害者が悪人だからと責めるだけでは解決しない部分もあると申し上げたのです
A君を改心させたとしてもまたB君にいじめられるようになったのでは被害者にとってなんの解決にもなってないのですよ…
ナナシさん
私は小中高校と終わりなく苛められてましたよ。ほぼクラス全員が敵と言う構図で…蹴られるのは毎日だし教科書をぐちゃぐちゃにされたり虫入れられたりそんなんばっかり、授業中も…トラウマ?人が手を上げるまねをするだけでびくっとなる癖がつきました。
でもあなたの発言は問題解決に対しての物ではなく単なる復讐感情にすぎません。
加害者を許せないと思いましたよね。あんな奴居なくなれと…ならば自分がそんな奴になってしまっては意味がないのです。被害者と言う立場を利用し加害者をいじめていたのではあなたも加害者と同類です。私も加害者に対する憎しみがありました。でもそれじゃいかんのです。
> 学校は更正院じゃないんだから、後は「いじめの事実」に基づいて罰則を加えれば済む話だと私は思いますね。
というのは、加害者に反省させるところまで学校が責任を負う必要はない、法治国家としてルールに基づいた対応をすれば良い
あとは本人次第という立場ですよね。
つまりあなたのここでの主張は「加害者に反省させるのは学校の仕事ではない」という立場ですよね。
しかしここで議論しているのは、学校の仕事がどこまでかではなく、
いじめをなくすにはどうすればよいかということです。
その方法を議論している場において、学校の責任範囲を限定してしまっているアメリカの方法は
比較の対象にすらならないと思うのですがどうでしょうか?
現にあなたも本記事が紹介している方法それ自体が効果的であることを大筋では認められているようですし。
(泣くまで・・・という点には納得されていないようですが)
にもかかわらずあなたが継続的にここで書き込みされているからには別の真意がありそうですが、
周りにはそれが伝わってきません。
何を言いたいのかわからないひとが乱暴な言葉遣いで度々書き込んでいるのを見た第三者からすると、
単に虚栄心を満たしたい人が独り言を言っているように見えてしまうのではないでしょうか。
>その方法を議論している場において、学校の責任範囲を限定してしまって
>いるアメリカの方法は比較の対象にすらならないと思うのですがどうでしょうか?
いじめをなくすには、少なくとも二つの方法があります。
1. 加害者に反省させて、再発防止を試みる方法(本記事方式)
2. 加害者に罰を加えて、長期化・悪化する前に対処する方法(アメリカ式)
この二つの方法が比較の対象にならないと論じられる意図が私には分かりかねますが・・・
>単に虚栄心を満たしたい人が独り言を言っているように見えてしまうのではないでしょうか。
あなたがそう思われたのならそれで良いと思います。
では法律を変えれば。。というのは話を簡単にし過ぎで。。。
そこに違和感を覚えるのです。
突き詰めれば法律を変えられない理由は無いでしょうし、人の営みに合わせて適宜変わっていって欲しいとも思います。
でも、日本においてはあまり現実的では無いと受け止める人が多いと思います。
というか、私はそう思いました。
変えれば良い。というのでは無く、どうすれば変わるのかを伺いたくて、同じような話を何度もしてしまいました。
罰を与えても改める様子のない生徒は退学になるそうですが、
退学になった生徒はその後どのような過程を経ていじめをしなくなるのでしょうか?
退学後のフォローまで考慮されていないのであれば比較の対象にはならないと考えます。
> あなたがそう思われたのならそれで良いと思います。
私に限らず、ほかにもそう感じた方がいて、苦言を呈されたのです。
それに対してあなたはその方を馬鹿呼ばわりして場の空気を乱しました。
あなたは口では「それでよいと思う」とおっしゃっていますが、行動がそうではないことに気づいてください。
うちも、もうすぐ年頃になるので……。
あ、もちろん『日本在住』です。
対策の取っ掛かりがこれでは心もとない気がします。
取り調べまがいのことまでするんですから報告の信頼性が担保されなければ加害者とされる側に無視されても文句が言えません。
それに透明性にも問題を感じます。
この対策はともすれば大勢の教師で生徒をいじめてるととられかねない気がします。
そうではないということを常に外部から検証させる必要があるように思います。
仮に自分の子供がいじめの加害者としてこのような対応を受けたらさすがに不安です。
>いじめをなくすには、少なくとも二つの方法があります。
>1. 加害者に反省させて、再発防止を試みる方法(本記事方式)
>2. 加害者に罰を加えて、長期化・悪化する前に対処する方法(アメリカ式)
加害者に罰を与えることで、被害者が逆恨みされる危険性はありませんか?
被害者の家はどこにあるのか、どういう登下校のルートか、という情報は恐らく加害者には筒抜けでしょう。
「自分が悪かったのだ」と加害者が思わない限り、被害者とその家族はこういった不安を抱き続けると思います。それではいじめが解決したことにはならないと感じるのですが、いかがでしょう。
了解です。どうすれば変わるのか、という部分については一般論的なことしか言えないです。現状どこまで学校が生徒を処分できて、どうやったら処分範囲を広げられるのかを探りながら進むしかないでしょうね。
>おやじさん
>退学後のフォローまで考慮されていないのであれば比較の対象にはならないと考えます。
比較というのは「本記事式」と「アメリカ式」の比較という意味ですよね。
二つの方式を比べるには、どういう仕組みでそれぞれのやり方が機能するのかという事が分かれば十分です。退学に関する扱いはただ単に「違う」というだけのこと。
単純な例を挙げますと、(例なのであくまで例として扱ってください)
1. 日本では犯人が警官に立ち向かった場合、他の警官を呼んで取り押さえにかかる
2. アメリカでは、犯人が警官に立ち向かった場合、発砲して射殺することがある。
というやり方を比べた場合、「発砲後のフォローまでしないと比較できない」とか言われても困るわけです。単純にやり方が違うというだけの話なんですから。
ただし、(発砲後のフォローの話も含めて)上記の二方式の良い点・悪い点を比較することは可能です。
>私に限らず、ほかにもそう感じた方がいて、苦言を呈されたのです。
いじめの事については何も書かず、私への個人攻撃のみを行った人の事ですか?
その方の言動こそ非難されるべきものでしょう。
あなたの発言の中にも私への攻撃が含まれていますが、私があえて反撃していない事はご理解いただけるかと思います。
>あなたは口では「それでよいと思う」とおっしゃっていますが、行動がそうではないことに気づいてください。
私は、「あなたがそう思われたのならそれで良いと思います。」と書いたのです。他の方に関しては全く言及しておりませんので、私の書いた事を勝手に一般化しないでください。
>gthmさん
私も上の方に「下手すりゃ逆にハラスメントになります。」と書きましたが、同感ですね。加害者が泣くまで反省を強いるのは「大勢の教師で生徒をいじめてる」ととられても仕方がなく、「やり過ぎ」だと私も思います。
>はとさん
>加害者に罰を与えることで、被害者が逆恨みされる危険性はありませんか?
大変良いご指摘です。逆恨みされる危険性は、もちろんあります。
でも逆恨みをするとどうなるか?さらに酷い罰を加害者は受けるわけです。
例えば、ある生徒を加害者三人がいじめたとします。
初犯:昼休み抜き
逆恨みしてもう一回いじめた場合:放課後居残り
もう一回いじめた場合:停学
もう一回いじめた場合:少年裁判所
もう一回いじめた場合:退学
という風に、罰がエスカレートするのがポイント。「いじめ」という行為を社会が許さないのが大きな特徴です。加害者はいじめを繰り返せば繰り返すほど自分の人生を台無しにすることになります。
>「自分が悪かったのだ」と加害者が思わない限り、被害者とその家族
>はこういった不安を抱き続けると思います。それではいじめが解決した
>ことにはならないと感じるのですが、いかがでしょう。
「理想的な解決」という意味では、加害者が反省していじめなくなるのが一番でしょう。それが中々うまくいかないのが現状だと思いますが・・・
やり過ぎ、人権侵害といった良くある犯罪者擁護の意見に
先生方が抵抗できるか疑問です。
加害者側は複数の学生の保護者が人権侵害と喚き、
被害者側は対象一人の保護者になるので
先生方が対処するには人数少ない方が楽じゃないですか。
被害者側が初期の段階から声を大きくして学校外で宣伝すれば別ですけどね。
対処できなかった虐めが裁判等で認定されたら、
校長から主任、担任、虐め側の担任と
関わった先生を懲戒免職にする先生側への厳罰化を行えば
先生も自分のメシの種のために真剣に取り組みますよ。
ぷーはイヤでしょ
ただ、なかなか教員全体で意思統一して、一糸乱れぬ体制で取り組むのが難しいのです。あと、管理職の態度が及び腰な場合もダメ。
保護者への説明方法や生徒指導上の処分については各学校での首尾一貫した者があれば良いのですが、教育委員会という名のお上からの指導という妨害が入ったりします。
私の感想を言わせていただければ、取り立てて特別なことをやってるわけではなくて、現場の教員が「いじめは許さぬ」という強い意志と、管理職の指導力さえあれば実行できるのです。
ところで「ヤンキー先生」の話が出てきましたが、あの男、調子に乗るなと言いたい。出しゃばり君は引っ込んでいろと言いたいね。
北星余市時代のウソがバレ始めて、あわてて退職後、国会に逃げ込んだくせに。
・泣くまでやる
・罰をあたえる
で、日本では罰よりも涙が有効と感じる人が多く、かつ、泣くよりも罰のほうがひどいと感じる人も多いという事では。
ま、このどっちがひどいかなんて話より、「日本では」どっちが有効かだけだと思うんですけど。
この有効は被害者や加害者や先生を含めてですよ。
アメリカ式が日本式より優れていても日本人に合わなければ意味ないです。
そういうことでしょうね。
とりあえず、私を叩くことだけを目的としたクズが沸いてきたようなのでそろそろおしまいにしようとは思います。民度が低い人も多いですからね。
まぁ、そうおっしゃらず。
「その2」でlaclefdorさんが紹介してくださった「ゼロ・トレランス」について言及したので、そこでもコメントくださいな。
ここの対応はまさしくこのとおりです。学校側でここまで対応できればまずいじめはひどくなりません。
特に「泣くまで反省をさせる」これは絶対に必要です。ここまで反省させないと必ず、再犯を犯します。
また、「泣くまで反省させる」ことを見たいじめ予備軍が、ヤバイと感じていじめを控えるという効果も期待できます。
ちょっとでも情けを書けたら「必ず」いじめは繰り返される!
絶対に情けをかけない!これを肝に銘じるべきだと思います、
いじめ対策というものは、いじめをなくすためにベクトルの向きがあるのですか?
私は教育機関の人間ではないのですが、それは少し違うような気がします。
いじめという現象は確かに忌むべきもので、無い方がいいのかもしれません。
無くすことよりいじめアカンということをしっかり分からせることにいじめ対策は向くべきではないでしょうか。そのための手段であったり、あるいはペナルティなのではないでしょうか。
大人には罪を犯せばペナルティがあります。それがそっくり子供に適用されるのは違うでしょう。
それは教育者(周囲の人間全て含む)の責任にもよるからです。
学校は更正院ではないです。
しかし、人格というか、善悪というか、人間常識、道徳教育の場であるべきです。義務教育、特に小学校は。
それは学校だけに期待するものではありませんが。地域、家庭、社会全体。
でも、それにも確固としたものさしはありません。
法はかならずしもそれには当たらないと思いますがどうでしょうか。
成熟した一人の人間が、罪を犯せば罰せられるのは然り。
しかし、その過渡期の人間が同じ罪を犯したからといって、同じように罰せられることは、その人間を切り捨ててしまうことになります。
それはとても冷たい、人間的でないと思います。
もちろん、ケースバイケースですが。
私の思想には性善説が根底にあるかもしれませんね。
奇麗事すぎるかもしれません。
ただ、生まれてきた子供は(おそらくほぼ)真っ白な人間であるということは多くの人が思うことではないでしょうか。
このいじめ対策については、手法としてなるほどと思いました。こういった対策を明らかにしているところに、その先生の研究の跡が確認できます。しかし、こうやってテキストとして省略されたものを読んだからかもしれませんが、素晴らしいとは思いませんでした。
いじめた側のみに言及している点もありますが、その先生のベクトルが明らかでないからです。いじめに対する思いが。
あと、重要な事は考える事だと思います。加害者、被害者、第三者、保護者のそれぞれの立場において、または立場を入れ替えて。そして話合うことです。
なにがいけなかったか、どうしていけばいいのか。
かなり困難な事だと思いますが。(人間は百人百通りですし)
単純なケースからものすごく複雑なケースもあるでしょうが、そこで大人の手腕がとわれるのではないでしょうか。
やはり、いじめという現象の結末に、明らかなビジョンを持たなければいけないでしょう。
それが勧善懲悪的な解決に向いているのであれば、残念だと私は感じるのです。
子供たちがいじめがいけないことだと最初から分からなのと同時に、我々大人もいじめ対策を最初からマスターしているわけではありませんし、子供たちから教えてもらうこともたくさんあります。
その積み重ねていったプロセス、結果を伝達する、研究練磨することは先生の仰るとおり、非常に大切であると共感いたします。
まとまらない乱文失礼しました。
乳ガンのため、24歳の若さで亡くなった長島千恵さんと、彼女を支えた恋人・太郎さんの愛の物語を綴った感動作『余命1ヶ月の花嫁』
http://yaraseyomei.blogspot.com/
感動的な話とは裏腹に、長島千恵さんと友人がAVに出ているというのだ?!
ネット上ではこの作品についてさまざまな議論が交わされ祭り状態になっていた。
http://yaraseyomei.blogspot.com/
既に検証されてほぼ本人だという事が明らかになったのはご存知だと思いますが、念の為にご存知ない方の為に検証された画像と動画をご用意したので確認してみて下さい。
私も教育に関わったことがあり、なおかついじめ被害者だった経験からすると
いじめの加害者側にしっかりと罪の意識を持ってもらうことが大切だと思います。
いじめが悪であることをしっかりと認識させない限り
いじめがなくなることはありません。
この方法での「泣くまで」は自分で「自分の罪に気づくまで」であり、
反省を促すためにはいい方法だと思います。
もちろん、完璧な方法と言うのはないと思うのですが、
ことの本質をしっかりと理解した上で実践すれば
きっと効果は大きいことと思います。
加害者と被害者を無理矢理会わせて、謝罪させて仲直り・・・なんて言って、
悦に入っているのは学校の教師だけ。
>8 少なくとも一週間の時間を置いて、加害者に誤る(「謝る」)ことを許す。
これは最もやってはならないことで、
被害者が求めているのは、謝ってもらうことなどではなく
加害者が目の前にあらわれないこと。
一度、加害者と被害者の関係が築かれると、どんなにいじめが無くなろうと、
同じ教室にいるだけで息が詰まる思いをする。
「子供間の摩擦をつくる場所が学校なんだ」
「俺が教育してみせる」
・・・みたいな、学園ドラマの世界を思い描いて教師になるのが多いから、
トラブルが耐えないのだ。
集団で少数ないし個人をいたぶるしかできない歪んだ児童を是正するに真に必要な施策であると思いました。
例え嘘泣きでも人前で泣いたという事実は他者をイジメて優位に立っているという下らないプライドを粉砕するに充分でしょう。
泣くまで追求した挙げ句に、その泣き顔を見られた教師の指示に従って下に見ていた人間相手に謝らせられる。
被害者からすれば大して救いにならないのは事実(恐らく又イジメは始まる)でしょうが、しかしこのプロセスは何度でも繰り返す事により
初めて意味が出てくる物です。
イジメの問題点は100%加害者にあると見て構いません。
この方法を是非各地に広げて欲しいものですね。
二度と被害を受けないのであれば、謝ってもらうだけでそれ以上の事は求めない生徒もいると思いますから。
もちろん被害内容にもよるから、場合によっては加害生徒を転校させた方がいい場合もあるでしょう。
さらに場合によっては、転校ではなく更正施設というケースもあるでしょうけれど。
全国すべての学校でこのように真剣に取り組んで欲しいと思います。
無論、加害者をその様に育てた人間もまた、責任を取らなくてはいけないと考えられます。
>>被害者自身がいじめられる要因を持っているのです。被害者が良い悪いではなく…
>>被害者と言う立場を利用し加害者をいじめていたのではあなたも加害者と同類です。
それらは虐めとは無関係の者、そして何よりも加害者が思い、考え、口にする言葉です。
>>加害者が悪いのは100パーセント間違いない。
>>だけどその加害者を責めるだけでは決して解決しない部分も確実にそんざいします。
>>ただ加害者が悪人だからと責めるだけでは解決しない部分もあると申し上げたのです
果たしてそうでしょうか?
まずは罪を明らかとし、それに罰を与える事こそがむしろ始まりではないかとも考えられます。
>>でもあなたの発言は問題解決に対しての物ではなく単なる復讐感情にすぎません。
当時の事を考えれば、復讐感情を持つ事に対し、否定する材料は何一つありません。
>>加害者を許せないと思いましたよね。あんな奴居なくなれと…
いいえ。居なくなれ等と生易しい事を思えるほど安穏とした状況ではありませんでした。
私は当然の事として、間違いなく、確かに、その時、彼ら・彼女らに対して明確な殺意を抱いていました。
>>私も加害者に対する憎しみがありました。でもそれじゃいかんのです。
何がいけないのか、まずは道義に基き、筋道を立てて説明して頂きたく思います。
>>ボクシングの内藤大介選手は何故虐められなくなったか考えて欲しい。
それは本件に関して最も関わりのない事柄です。
仮に関わりがあると仮定しましょう。
当時の私は剣道をやっていました。名のある道場で本格的な稽古をしていたのです。
では私は、大会で良い成績を修めれば良かったのでしょうか?
それとも私は、手にした木刀を以って、虐めていた者達を滅多打ちにすれば良かったのでしょうか?
>>私は小中高校と終わりなく苛められてましたよ。
以上の事柄からすると、貴方のこの言葉からは『実』を感じられません。
貴方は本当に、貴方が言うように虐められていたのですか?
本当は虐められていた人を、ただ眺めていただけなのではないですか?
本当は虐められていた人の話を聞いて、ただ哀れんでいただけではないのですか?
本音を言いましょう。
貴方の書き込みを見ていて、私は遠い遠い当時の事を鮮明に思い出しました。
何も知らず、何も理解せず、ただお為ごかしと綺麗事だけを口にする人達の事を。
……私が当時、虐めていた者達に対してよりも、より深い憎悪と殺意を抱いた者達の事を。
私は『内藤大助』なる人物を全くと言ってよいほど知りません。
その為、彼が如何なる方法を以って虐められていた環境から抜け出せたかも知りません。
『内藤大助』なる人物の逸話が、本件に対して最も関わりがない事柄であると断じたのは、その様な側面があっての事でもあります。
この方法が取れるのでしょうか?
laclefdorという方の発言が不愉快で気になりま
した。もういらっしゃらないみたいですが、馬鹿
とかクズとか他人に言ってる時点でlaclefdorさん
がご自分を攻撃(?)していると思っている相手の
方と大差ないですねー…
まぁ、それは置いておいて。
この「いじめ対策」を実行していくことにより
改善策も出てくると思います。机上で試行錯誤
するより効果が出てくるのではないかと思いま
した。
マッチでレインコートにマッチのすすをつける。
クラスメートを全て巻き込むなど、一歩間違えると
いじめを超えた事をしています。
何も言えない教師も多いので、このような方法は
必要な時代になってきてしまった気がします。
最善の更生を愛を持って行わないと、簡単に人に
危害を加え、平気な人間が増えて言ってしまうので
専門の更生の仕事としての団体が必要な時代になっ
たのだと思います。
いじめは大人も子どもも、けっしてやってはいけない
行為です。
ここに書かれたものに近い対応をしていただきました。
登校拒否気味だった息子も
今は毎日楽しく学校に行きます。
いじめはあってはならないことですが
この経験がオトナになってからも糧になるだろうし
周囲の対応も覚えていて、同じ状況の時に活かせると思います。
学校だからこそ、「すぐに謝らせない」=考える時間を与える事
が可能だと思いました。それは「育てる」教育という学校の役目に合っていると思います。
犯罪ですから社会では処罰対応です。
中学生だから自分で気がついて
自分のおかれた環境を理解し、判断していく力を身につけなければいけないと思いました。
いつまでも「環境」や何かのせいにばかりできません。
その「自覚」は幼い時から持つよう誘導していかないと。まして中学生。
責任を持つ部分が多くなっていくのに。
どんな環境だろうが、してはいけない事はしていけない。
迷惑を最小限に抑えるストレスの発散の仕方。
そういう事も自分で考えていかなきゃいけない。
それを教えるのは本当は親の役目なんだけど。
学校という集団生活の中でも学べたらいいですよね
社会人・・・会社のイジメは情けなくなります。
パワハラセクハラ・・・調べると学生時代に平気で行っていた人がすごく多い。
中学生のうちに軌道修正できていたら・・・
そう思う事が多く、この対策、イジメの対策を教師が研究してる事がすごくうれしかったです。
娘は身に覚えが無かったので否定しましたが、教師たちは信じてくれず、廊下で皆の見ている前で娘を泣かせ、
謝らせました。それからしばらく、娘は「OOちゃんをいじめた奴」と、友達が一人もいなくなりました。
それから何ヶ月かして、その児童が娘にこっそり、
「あの時は、あんなこと先生に言ってごめんね。あの頃、うちの店うまくいってなくて、赤ちゃんも生まれて、
お金なくなって、私の服小さくなったのに買ってもらえないし惨めで精神的におかしかったの。
楽しそうなあなたが憎かったの。
でも今はお店もなんとか立ち直って、大丈夫だから・・・」
娘がこのことを話してくれたのは、事件から1年もたってから。
当時、チームで娘に迫り、泣かせ謝らせた教師たちに、どうやってこの事実を伝えたらいいのか思案中です。
いじめられた、
と訴えてこられたら、教師も慎重に、本当に慎重に、先入観なしに、
すぐに、「いじめた」とされる生徒を懲らしめたりせず、
まず事実関係をじっくり調べてください。
恐ろしい罠だったりします。
服が小さくなったのに買ってもらえなくて
http://fty53d3.blog76.fc2.com/blog-entry-1.html
森田のファンらしき人物による動画の流出などもその一因と言えるだろう。
★上戸彩&森田剛、破局の最大の原因が判明!?
http://fty53d3.blog76.fc2.com/blog-entry-1.html
です。
最後の一行、削除です。なんでこれ入ったんだろう?
http://yamamotokichi.cocolog-nifty.com/blog/
●元極楽とんぼ山本圭一が『めちゃイケ』オーディションに出ていた?!
http://yamamotokichi.cocolog-nifty.com/blog/
「泣くほどの反省」はしなかったような・・・
いや、させてもらえなかった気がします。
「泣く」ことは全然やりすぎではないし
人を心底傷つけて泣かせたほうが涙を流すことを
やりすぎだというのは、加害者擁護だと思います。
「うちの子を、泣かせるまで叱ったんですか!?」とか
言っちゃう親は要注意。
本人が何をしたか、をよくよく考えることが出来ないわけだから、
この親にしてこの子ありの典型。
こういう場合は親も一緒に泣かせましょう。
そこに教師の真剣な姿勢があれば誠意は伝わります。
心底反省したら涙を流すぐらい当たり前。
心底反省したら心が震えるのは当たり前。
本当の感情や心のゆさぶりがあってこその涙なら、
意味があると思います。
教員はチームを組むのが苦手とありましたが、私のいた
学年部はそうでもなかったですね。
学校や学年にもよりますが、チームを組む体制作り、
風土作りを学校側にもして欲しいです。
「慎重に」さんのお嬢さんのように、濡れ衣でいじめっ子にされた
子もいるでしょう。
でも、チームを組んで真摯に取り組めば、それが
濡れ衣なのか、事実なのかは割りと早いうちに把握できます。
本当のいじめは絶対「チーム」で行われていますからね。
そこに気づかない教師も教師だな・・・(汗)
人間に「嫉妬」「被害妄想」「ストレス」がある以上
「いじめ」は永遠のテーマです。
人を傷つけることの罪を学んで、社会に出ればそれ以上の
処罰があったりすることを「親子ともども」認識すれば
将来、「ストーカー殺人」のような、独りよがりな
犯罪は減ってくるのではないか、と思います。
学校に任せておけばよいという親ばかりのようです。 自分の子供は親が、おじいちゃんやおばあちゃんが教えるという基本的なことが今の日本になくなってきたと思います。
私の子供のころは、遊びは自分たちでルールを作る。 今は、ゲームです。 昔もいじめはありましたが、発覚した時点で、まず親にぶんなぐられたりして、相手の家に
親と謝りに行きました。 時には先生にも殴られました。 いじめられている子が自殺・・・悲しいことですが、自分の子供は親が守る。
現実には、共働きの親。 家族で田植えをする・・・ような とにかく今の社会の仕組みがおかしいみたい
の期間の被害生徒へのフォローはどのようにするのでしょうか。
こちらに書かれたやり方も含めいろいろな対策について事例を集め、「ここはよかった」「ここは問題点」などの検証が頻繁に行われるとより良い対策に洗練されていくように思います。
先生方はお忙しいようなのでそんな発表をする時間をとれないかもしれませんが・・・
一読した限り、私も「泣くまで反省」の部分が気になりました。
加害者が泣くこと自体、私はやりすぎとは思いませんが、教師も人間ですので必要以上の制裁に発展しないか、心配です。
教師の真骨頂と書かれているとおり、上手な先生はうまくやるでしょうが、やり方のマズイ先生もいることでしょう。
そのあたりのシステムも検討して頂ければ、被害者の親、加害者の親どちらの立場になってしまった場合でも
お任せできると思います。
うちの娘はまだ幼児ですが、この記事をきっかけに将来のことを考えさせられました。ありがとうございます。
被害者はいじめが常習化するまで、常習化してから
いじめが公に出る前も、いじめが終わるまで
ずっと泣いてるのだから。
責め立てて泣かせるのではなく
「反省の涙」を是非流させてください。
「いじめ」と認定される加害者が
すでにやり過ぎです。
AはBを毎日グーで殴り、Bは毎日泣いていた。
Bの存在が気に入らないだけで、AにBが何かしたしたわけではなかった。
ある日、Aはやり過ぎを指摘され
Bのつらさを理解して、Bを殴ったことを反省し
Aは1度だけ涙を流した。
どこがやり過ぎですか?
反省後、その日だけではなくAがしばらく泣き暮らしたとして
それはBの痛みを実感するための因果応報なだけです。
むしろ、Bが泣いた日数と同じくらい泣いてほしいものです。
Aの家庭環境や背景も、本来は無関係と思います。
同じ境遇の人全員が、Aと同じ行動をとるとは限らない。
傾向は無視できないとしても、少なくともBには関係ない。
Bへの暴力をやめさせることと
Aの環境を思いやることは、全く別問題です。
入院したのは5年生の3学期でした。親としてうかつだったとは思いますが、この事件があるまで、わが子がいじめられていることに気づきませんでした。
4年生が終わるまで、同じ小学校に兄が通っていたので、いじめはありませんでした。
兄の卒業後からいじめが始まったようです。
このことから、外部からいじめの情報が入りやすい風通しのいい状態だといじめはあまり発生しないものと考えられます。
かんたんに結果を言いますと、入院させられた時には、先生から、今度は逆にいじめっ子がいじめられるようなことになっては問題が解決しないので、
教育委員会や警察等に、被害の届けは出さないで下さいと言われ、親子で話し合った結果、届は出しませんでした。
しかし、届を出さなかったことが、いじめっ子にも、その保護者にも、反省をさせるきっかけを与えなかったことになったのだと思います。
このブログに書かれている方法が効果的なのかどうかはわかりません。なぜなら、この方法を有効に活用できる先生がほとんどいないと思われるからです。
話がこのいじめがやんだのは、退院後も、大人に分からないような形でいじめは続きました。その都度、先生に訴えても、うちの子が本気で嫌がらないせいだと言われ、
非常に不愉快な思いをさせられてばかりでした。でも、2学期の終わりごろ、いじめっ子も調子に乗りすぎたのでしょう。息子の制服を破ってしまったのです。
それを糸口に私は学校に行き、今回は教育委員会と警察に届けを出します。と言いました。先生方はあわてました。それはやめてほしいとお願いされました。
お願いをしました。いじめっ子の保護者を、本人(いじめっ子)と先生方同伴で学校で会わせてください。とお願いして、会わせてもらいました。
結果、いじめっ子の保護者、本人、学校に、届を出さない代わりに、いじめっ子を違う教室で、学習させて下さい。とお願いし、実行してもらいました。
それからいじめはやみました。
長くなりましたが、私が思うのは、いじめられっ子を、違う教室で学習させずに、いじめっ子の方を教室から締め出すということが有効に思いました。
ただこれは小学校だったから効き目があったのかもしれませんが・・・
現在は私立中学に通わせています。こういったケアは、公立より私立の方が、真剣に取り組んでくださっているように感じたからです。
自分達だけが何か特別な存在だとおもっているんだろうか?
相手が未成年者とはいえ、一介の地方公務員が、他人の人生をここまで踏みにじっていいの?
自分は人を傷つけ、大変なことをした…とその時点でわからせる事が大切です。
一生忘れられないトラウマになってもいいくらいです。
いじめはそれくらい罪な事です。
大人になっても子供のころの辛い経験が生きることって大いにあるし、自分が犯した罪と向き合い自分を戒められたらいいと思います。
そうゆう意味でいじめた子供を異常に守るのはよくないと思うのは私だけでしょうか?
警察みたいなやり方ですが、犯罪者が自白して刑務所に入っても、やはり再犯する人は沢山います。
いじめの加害者も、一時的に泣いて反省しても根本的な原因を治していかないと、イジメはなくならない気がします。
面倒くさいから、演技で泣いちゃって反省するふりの子もいますよね。
みんな見て見ぬフリなんですよね。
すべてがこう上手くは行かないでしょうが、こうした具体的な取り組みがもっと広まればと思います。
そうすれば、さらに効果的な対策も出てくるでしょうし。
「いじめ」って便利な言葉ですよね。
でも実際にやってるのは暴行だったり盗みだったり、相手に犯罪行為を無理やりやらせることだったり。女の子ならレイプもありますね。
子供のやることだからと簡単に片付けずに対応していただきたいものです。
自分の過ちに気づいたとき,子供はしばしば涙を流すもので,実際に泣いたかどうかを基準にしているとは思えません.端的に表現したのが「」付きの「泣く」でしょう.
いじめは一度発覚すれば陰湿になることが多いようで,停学では問題の解決には繋がらないでしょう.いじめた生徒を完全に隔離するのは実際問題として困難なため,残された方法は会心を図る以外にありません.
先生方の追求は厳しいものです.「なぜいじめたのか?」「イライラしていたから」といった三文記事のようなものではありません.「何にイライラしていたのか」「なぜそれがいじめに繋がるのか」いじめた側が普段全く意識しない心の奥底まで言葉にするように促します.『いじめる側が100%悪い』と言われることは多いですが,いじめる側の何が問題なのかはあまり論じられることが無いように思います.自身に満足している人は他人をいじめません.いじめる側には自分の能力や環境に対する不満があります.それがいじめの根本的な原因です.それを洗いざらい喋らせた上で,その不満を他人をいじめることによって発散しようとした行動の是非を問いただします.いじめられた子供がうけた傷を諭します.
教師の真骨頂とは上のようなやりとりをちゃんとできることです.いじめた人間が心に抑鬱している感情に共感すると同時に行為の間違いを悟らせることは,更生院はおろか親にすら困難なことです.
いじめられた経験のある方は(程度にもよるでしょうが)たとえこのような過程をへて会心したとしても,顔すらみたくないという気持ちにはかわりないかもしれません.実際「反省するぐらいなら最初からしなければいいじゃないか!」と怒りをおさめられないケースもあります.いじめられた側が非難されるいわれはありませんが,どこかで折り合いをつけてもらうよりありません.寛容を示すことも社会にでていく上で必要な技術でしょう.
大昔から性善説・性悪説が議論されてきました.性悪説の帰結として法律による罪と罰とが成文化されましたが,多くの法律は未成年に対して寛容です.未成熟な人間に対しては罰によるよりも,人のあるべき姿を説く方が効果的だったのでしょう.義務教育の期間では過ちを犯した人間を排除するのではなく,反省を促すことの方が社会にとって有益だと私は考えます.
長文になりましたが,件のいじめ対策がマニュアル化されてしまわないようにと祈ります.何よりもこの対策の核になっているのはいじめた生徒が「泣く」という箇所です.コメントのいくつかに見られるように,それがただの現象として捉えられてしまい,生徒の表面的な反省だけを求めるようになってしまえば,全くの無価値,むしろ悪影響にしかなりません.
卒論を書くのに、大学名も自分の名前も名乗らずいじめ関係本の著者に聞くという姿勢はいただけませんね。
私の意見を聞きたいのであれば、メールをください。
メールが大学4年生に相応しい内容と判断すれば私見を申し上げます。
それより、被害者をある程度、保護できる環境にするのが先決。
加害者が泣いて謝ったら心から反省していると言えるのでしょうか。
加害者が泣くのは、演技かまたは教師から与えられた精神的ストレスによるもので、
反省や後悔によるものではないと私は考えます。
本当に反省してるのかも知れませんが確かめようがありません。
だから、加害者を反省させる事よりも、被害者の安全を確保するために監視を強化し、
加害者を停学や退学、または逮捕したほうが効果的ではないでしょうか。
例のアノ人ね。元ヤンキー、強者側・いじめる側、昔やったカツアゲや恐喝を「若い時のやんちゃ」で済ます人種。
「そういう側」の人間に、やられる側の気持ちは絶対に理解できない。
言葉だけ、表面だけで理解した気になってるだけ。
このブログ記事書いてる森口さんもそうだが、いじめの実態を「聞いた話」でしかしらない人間は、必ずこういう記事を書く。
いじめられた側が先生に言ったわけでなく、第三者が言ったものだとしても、先生の前で泣いて反省する姿を見せたとしても、
いじめを行うタイプの人間に細かい理屈は関係ない。
全てはいじめ対象の人間に「俺らがあんな目にあったのはおまえのせいだ!!」と倍返しになって返っていくだけ。
教師がそこを見極めて、とことん話あって心から反省を促し、いじめの対象者に謝罪させればお互いすっきりしていじめが解消?
ちゃんちゃらおかしい。
謝罪なんかさせた日にはそれこそ倍返しではすまなくなる。
今まで「教室内や人目に付く場所で行われていたいじめ」は、教師や一部の良識ぶった人間のせいで、
「人目につかない場所で行われる陰湿な恐喝・暴行」へと姿を変え、最悪の場合命を落とすような事になる。
解決には教師同士で連携をするのなく、学校同士での連携が必要。
「いじめをしていた側の人間」をやっていたいじめの内容レベルによって移動させるべき。
まず、いじめ対象者に万引きをさせていた・カツアゲをしていた・数人で取り囲み通院が必要なレベルの暴力をふるっていた
これらを「いじめ」で済ませるのは止めるべき。
どう考えてもこれらは犯罪なのだから。
これらをやっていた人間は親元から離し、更生施設へ送る。
いじめ内容が申告な場合は親も一緒に引越しをさせるか、いじめられている側も話し合い次第で学校を移動。
本気でなくそうとするならば、それくらいしなければ絶対に無理だと言い切れる。
なぜなら、相手は「さしたる理由もなく、同年令の人間を追い詰め、恐喝や暴力、金をゆすりとれる、モラルの崩壊した人間」なのだから。
ドラマのように教師の体当たりの説得や話し合いでなんとかなると思っている馬鹿がいる限りは、いじめの被害者が減る事はない。
このような記事を「凄いことだ!これならば!」などと得意顔で語る人間がいる限り、過去〜現在進行形の被害者が救われる事はない。
こんな骨太な対応ができるやり手教師がいる学校なんてほとんどいないだろ。
自分の立場を危うくするリスクにビビって何もできない教師しかいない。
これがマニュアル化されて上から配布されない限り絵に描いたモチでしかない。
いじめられる側に立ちすぎた極端な考え方です。
もっと俯瞰し、全体が得をする方を選ぶことに腐心すべきです。
というのも、若者は過渡期にあり、変わることが出来る可能性を持っているからです。加害者は、永遠に加害者側なのだという思想の元に切り捨ててしまうのが教育ではありません。
といった思想が今の教育界の前提としてある気がするがどうなのだろう。
若者は、未成熟な存在であり全体として保護すべきだ!という前提がある限り、イジメは絶対になくならない。というのも、若者が過渡期であるのは事実だが、人は簡単には変われない。少なくとも、学生生活の間は被害者は苦しみ続けることになる。結局のところ、最後は被害者を取るか加害者を取るかになる。
そう考えると、加害者を切り捨てて被害者の未来を守るべきだだろう。
もし、どちらも取るなら傷を作った被害者側に前途はない。
どちらも保護するという選択は被害者を切り捨てることに他ならない。
加害者は安穏と暮らし、被害者は一生の傷に苦しみ続ける。
これは不公平というのものではないのかねえ。
いじめが原因で死人が出ているわけだから・・・
「いじめる側になった生徒が会心できる」ことが前提なのですね。その前提に対するものか、学校自体へのものか、とにかく不信感をお持ちになっている方のコメントも沢山見受けられます。いじめる側・いじめられた側どちらか一方のみを楽にすることや、形式だけで気持ちを落ち着かせること、恐怖や規律で支配することを最終的な目的にしては、ただの処理と力勝負でしかなく、真の解決には至らないと私自身考えています。その場の流れを無闇にせき止める必要性は感じていません。
ただ逆を言えばこの方法でも、いじめた側には「きっかけは別として、無闇やたらと相手を傷付けた側面は問題である」と認識させることはできます。更には、いじめられた側に「傷付ける行為は問題だが、いじめる側の人格全てが悪という認識をしていないだろうか」ということを考えさせることもできます。
この方法を使う人間も、使う対象になる両者の生徒も、考えることをやめないで自分たちの頭で考えて改善させていくことが肝です。
問題に対して受け身にさせず、自己解決させる手助けをする環境を作るにあたって、まず頭に入れておいて損のない記事だと感じました。
下手をすれば、被害者が辿る道なんだからさ。
ここで「人権がー権利がー」っていう奴は、被害者が追い込まれて保健室に隔離されるのは、保身だから有りとか言わないよな?
加害者の人権や未来考えるなら、被害者の人権や未来も考えてやれよ。
↑にも書いてあるが、「力勝負」の何が悪いんだよ。
加害者はまさに「力勝負」で悦に入ってたろが。
「真の解決」なんて絵空事が本当に成立するなら、世の中から差別も犯罪もなくせるよ、バカバカしい。