福島県川内村の特産品「いわなの寒風干し」作りが今冬、東京電力福島第1原発事故の影響で中止を余儀なくされている。阿武隈山地に囲まれた村特有の寒風にイワナをさらす冬の風物詩は見られなくなった。それでも、14年前に製法を開発した村内の体験交流施設「いわなの郷」の主任、渡辺秀朗さん(61)は復活を信じ、ただ一人養殖イワナの世話を続けている。【山本太一】
川内村は東側の一部が第1原発から20キロの警戒区域に入り、他の地区も9月末まで緊急時避難準備区域に指定されていた。約3000人の村民の大部分が避難生活を続ける。
「いわなの郷」は警戒区域近くに位置し、林の中に養殖池や釣り堀、コテージがある。一角が干し場で、冬場はずらりとイワナの開きをつるした干しかごを並べていた。
寒風干しは、東京からUターンしてきた渡辺さんが「農閑期の新たな特産品」として考案した。魚の臭みがなかなか抜けず、干す期間やワインに漬け込む時間など試行錯誤を繰り返し、納得の行く味に育て上げた。
1日100匹程度を開きにし、大滝根山(標高1192メートル)から吹き下ろす寒風に2昼夜さらし、味を凝縮させる。凍ると味が落ちるため、気候の変化にも気を配る。初めはひと冬数百枚程度だった販売実績は昨冬6000枚まで伸び、県外から買いに来る常連客も増えていたという。
昨年3月11日の東日本大震災発生時は、稚魚を養殖池に放す準備をしているところだった。知人のつてで千葉県に家族で避難。だが、放置したままでは魚は野鳥などの餌食となり十数年の苦労も水の泡になる。昨年5月に単身で川内に戻り、管理人室で寝泊まりしながら世話を再開した。
今期、養魚池に放した稚魚約10万匹は途中の餌が少なかったせいか生育状態が悪く、約3割は死んだ。それでも毎日の餌やりを欠かさない。原発事故後、福島県内の川魚では、いわき市や福島市のアユやヤマメから国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された。「いわなの郷」でも調査されたが、多くても15ベクレル前後。ただし風評被害も考えて生産・出荷は自粛している。
それでも渡辺さんは昨年11月ごろから例年通り人工授精を始めた。一部は既にふ化し、新しい「命の胎動」を感じながら、誓いの言葉を口にした。「見通しは分からないが、川内の寒さで作ったおいしい寒風干しを必ず復活させる」
毎日新聞 2012年1月23日 東京夕刊