2012年1月23日(月)

善人が負うリスクは「人助け奨励金」で減らせるのか?=「女児ひき逃げ・見殺し事件」

2011/11/0205:00
今回のテーマ:

 中国全土に衝撃と憤りを与えた『悦悦ちゃんひき逃げ見殺し事件』は、ついに悲しい結末を迎えた。この事件は、広東省で2歳の女の子・悦悦ちゃん(上写真)が2台の車に前後してひかれたが、2人の運転手と18人もの通行人は息も絶え絶えの悦悦ちゃんを横目に、無視して通り過ぎた事件だ。結局、通りかかったごみ拾いの女性が発見。悦悦ちゃんは病院に運ばれたが、手当の甲斐なく息を引き取った。この事件の後、福建省は人助け行為に対する奨励金を8万元(約96万円)から12万元(約144万円)に引き上げたという。また、これに伴いその他の報奨金もそれぞれ値上げした。(翻訳:KH)

視点:

【《中国青年報》評論員曹林】

 福建省の今回の措置はもちろん、『悦悦ちゃん事件』を受けてのことだろう。奨励金が善意の人助け行為を促し、廃れきった社会道徳を救うための一助にならんことを願うばかりだ。

 奨励金を上乗せすることを決めた動機自体は尊重に値する。しかし、根本的な問題の解決はあまり期待できないだろう。なぜなら、道徳は金銭で救うことはできないし、金銭で向上させることもできないからだ。善意の人助けとは、多くの場合本能から発する行動であり、利害を計算した結果ではない。その心は“義”であって、“利”ではない。利益によって生み出される作用には限界がある。

 今日の社会道徳の崩壊、無関心の蔓延の原因はすべて、善人が負わされるリスクが大きすぎることにある。人を助けても、助けた相手から感謝されない、国や政府から褒められることもない。却って自分が傷つけられ、挙句の果てに莫大な医療費まで負担させられることもある。これほどまでに善人が報われない世の中で、いったい誰がこれ以上人助けをしようと思うだろうか。

 確かに、手厚い奨励金を与えることで善意の人助けの後押しにはなるだろう。だが、一人でもその保障制度から漏れる人が出れば、結局『善人は報われない』という記憶だけが残るだろう。道徳を救う一番の近道は奨励金の額を増やすことではなく、リスクをできる限り取り除くことだ。国や政府は司法と救済保障措置制度の立場から、善意の人助けを支持するべきだ。すべての善人がみな奨励金目当てではないにしても、考えられ得るリスクを無視することはできない。

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