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焦点/臨時災害FM18局奮闘/継続へ資金など課題
東日本大震災の被災地で、FMの臨時災害放送局(臨災局)=?=が地域密着の情報を伝え続けている。岩手、宮城、福島の3県で計24局が開設され、現在も18局が放送を継続している。復興期を見据えた長期間の放送を目指す局が多いが、運営資金面など課題は山積みだ。東北の既存のコミュニティーFM局などは、臨災局を支援する組織の設立に動きだした。
<生活情報流す> 放送を続けている3県の臨災局は図の通り。石巻や塩釜のように既存のコミュニティーFM局が臨災局の免許を取得して切り替わった例は少数派で、ほとんどが新規に開局した。 東北総合通信局によると、全国の過去の災害時に運営された臨災局は7局しかなく、放送期間も11カ月が最長だった。今回の開局数はかつてない規模で、大半の局が仮設住宅の入居期間である2年間の放送を目指す。 臨災局の特長について、仙台市泉区のfmいずみ取締役で防災士の資格を持つ阿部清人さん(48)は「放送エリアが狭く、リスナーの生活圏と直結したきめ細かい情報を流せる」と説明する。 いずみは臨災局の免許を取らなかったが、震災時には泉区役所に臨時スタジオを設置。被災者の安否のほか、スタッフ5人が区内を駆け回って収集した給水や食料品販売、ガソリンスタンド再開の情報を24時間体制で提供し、実質的に臨災局となった。
<防災無線代役> 災害関連の情報発信以外にも音楽を流し、パーソナリティーが語り掛けることで被災者を元気づけるのも臨災局の役割。沿岸部では、津波で使えなくなった防災無線の代役を担っている。 被災地になくてはならない存在となった臨災局だが、放送継続に向けては難題もある。 阿部さんによると、臨災局の放送には基本的に広告がないため、多くの局は資金不足に直面。ボランティアが手弁当でやりくりしている状況で、日本財団や民間企業が費用を助成している。 設備の保守や良質な番組の制作も欠かせない。ボランティア中心でノウハウのない臨災局を支援するため、東北の既存コミュニティーFM23局が中心となり、NPO法人「東日本地域放送支援機構」を発足させる計画が進んでいる。
<無償サポート> 支援機構は全国初の取り組みで、ラジオ放送の専門知識を持つ団体をつくって各種助成金の受け皿となり、臨災局を無償でサポートする。運営や技術に関する指導のほか、アナウンサーら人材の派遣、研修も手掛ける方針だ。 東北の既存局は臨災局12局の開設に携わり、小型ラジオ約6000台を被災地に配布した。機構の理事に就任するfmいずみの作間吉博専務(61)は「使命感を持って活動を続け、被災地で必要とされている臨災局を手伝いたい。各局と意見交換し、支援のニーズを調べることから始める」と話している。
[臨時災害放送局]災害時、住民の安否やライフラインの復旧状況など災害関連情報の放送を目的に、自治体が開設する臨時FM放送局。地元の既存コミュニティーFM局に業務委託する場合もある。1995年の阪神大震災で初めて運営され、2000年の北海道・有珠山噴火や04年の新潟県中越地震で実績がある。東日本大震災では、大半の局がインターネット上で同時に番組を流すサイマル放送に対応している。
◎番組に工夫、被災地浸透/宮城・女川
宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいエフエム」は、東日本大震災後の昨年4月に開局した新規局だ。ラジオ放送未経験の被災者らがスタッフとなり、手探りで運営を支えてきた。放送内容を、炊き出しなど当初の避難生活向け情報から、徐々に復興を見据えた身近な話題に切り替え、地元に浸透している。
「女川町から復興まちづくり説明会のお知らせです」「ハローワークで福祉の仕事面談会を開催します」「今日の満潮予想時刻をお伝えします」 津波被害を免れた女川二小の校庭の一角にあるプレハブ小屋。約2坪の特設スタジオに、放送機器が所狭しと並ぶ。そこから平日は昼と夕方、土曜は昼に生放送する。
<避難所で誘われる> 伝えるのは、町内に住む10代から40代のスタッフ約10人。多くが津波で家を失い、親族を亡くした人もいる。それぞれが被災者の立場で、マイクや機器に交代で向かう。 開局当初から参加する元ゲームセンター店員山本真吾さん(27)は、高校の放送委員会で活動した実績が買われ、避難所で誘われた。自宅は流失し、仮設住宅暮らし。余震や台風などの災害時に、正確な情報を迅速に伝える責任の重さを感じる。「知らない人からも声を掛けられる。少しでも役に立っているとすれば、うれしい」と語る。 「女川につくってほしいものは?」「簡単レシピは?」。パーソナリティー同士が交わすフリートークは軽妙で、被災地の今を伝える町民へのインタビューコーナーも、明るさが持ち味だ。 元コンビニ店店員の宮里彩佳さん(24)は「少しでも楽しく聞き続けられるラジオにしたい。楽しくなければ、必要な情報も町民が聞き逃してしまう」と説明する。
<関連機材の提供も> 放送局の開設は、女川町出身でIT関連会社に勤める松木達徳さん(41)=東京都=が、発案した。震災直後に地元入りし、避難者に十分な情報が届かない状況に強い危機感を持った。 インターネットを通じ協力を呼び掛けると、放送にも詳しい仲間ら約20人が集まり、関連機材を貸してくれる会社も現れた。当初は素人同然だったスタッフの放送原稿づくりなどを、東京から支えた。 3月までの継続は決めているが、コミュニティーFMへの移行などで、4月以降も放送を続けるかどうかは、決まっていない。代表を務める松木さんは「自主制作番組の比率など制度上のハードルが高く、運営費も多額になる。費用と人口規模などを見極める必要がある」と慎重に検討している。
2012年01月22日日曜日
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