2010.02.18 代々木Bogaloo
本間太郎(笑)
天国のピアニスト、本間太郎氏のソロライブでのアーティスト名である
ウェブにもライブハウスのマンスリーにも (笑)までが正式にアーティスト名となっている。
彼は、照れ屋さんなのだ。
「音楽なんて嫌いなんだよねえ。長生きできるならその代わりに腕を切り落とせって言われたら、そうしてもいいと思ってるしねぇ」
国立音大を卒業していて、ライブで彼の次に出るピアノ弾きをして「あの鬼のような超絶技巧の後じゃ弾き辛い」と言わしめる実力を持ちながら、そんな事を言うピアニストがいったい何人いるだろうか?
僕はそんなピアニストいないと思う。
というより、彼は完全に「ピアニスト」の枠を超えてしまっているのだ。
知性を隠すためかどうかは、それを持たない僕には理解できないことだが、
彼はよく、ろれつの回らない喋り方をパフォーマンスとしてやってみせる。
彼の言うところの、白○の真似である。
本間さんそれは、この文章中に使っていい言葉ですらないのですよ。
「あぁ下ネタと差別用語しか思いつかないなぁ」とも彼はよく言うのだが
それを文章にする僕としては、こちらもどこかから怒られる覚悟はしておかねばならない。
本間太郎という男はそういう男だ。
彼をリアルに描写することが出来た引き換えとしてどこかから非難を受けるなら僕は光栄だと思っている。
僕は今夜、彼のソロライブを初めて拝見した。
当然トリか真ん中あたりだろうと思って油断していたところに、見慣れた長髪の横顔。
一夜のライブのしょっぱなにこの人を選ぶというのは、ライブハウス側に敬意を表したい。
なぜなら彼のピアノは、一番手にしては技巧的に優れてい過ぎる。
それに、トークはどう考えても夜が更けてからの方が相応しい代物なのである。
彼はすたすたとステージを横切り、ピアノに向かって、座ると同時にひょいと片手をあげる。
あまりにその仕草が自然でさりげなかったために、客電を落とす合図であると気づいたのは、実際ホールが暗くなってからだ。
オープニングは
君が代
なるほど彼らしく、オープニングで度肝を抜いてくれる。
「こけの むうすうまああで」 の部分の 繊細で完璧な《小さな音》の出し方が
彼がHPで、「本当に力を込めるのは小さな音を出す時」 と書いていたことを思い出させた。
でも、こんなのは序の口だよ、と音が言っていた。
弾き終えると彼は
すかさず照れ隠しのようなMCをし始める。
「こういうふざけたことをやってると怒られちゃうんですが
今の曲は君が代と言って僕のオリジナル曲です
国歌にもなってますね」
本間太郎節炸裂といった感じだ。
こんなことを書いたら僕も確実にどこかの団体から怒られるが、
結構真剣に言わせてもらえば、確かにあれは彼のオリジナル曲だった(笑)
こういうことをしてしまう人だから、僕は彼をピアニストだなんて思えないのだ。
彼はきっと落語家か喜劇俳優か何かだ。
「ある昔話がありまして、昔話かな?僕も又聞きなんでよくは知らないんですけど、三兄弟の話です」
と、彼は
次の曲の前にひとつ小噺を入れた。やっぱり落語家なのかもしれない。
「時計を忘れてきちゃったんで、こんなに話してていいのかわからないんですが、しかも家に」
彼が(笑)をしないので
客が笑う。
その小噺の要点をまとめるとこうなる。
〜三兄弟がある日本刀を持った怖い親父のいる家に泊まることになり、そこのお嬢さんにムラムラきて犯してしまう
そして激怒した親父に、
「お前らを生かしておいてやるかどうか決めるから食料を持って来い」と言われ
三男は葡萄を取ってくるが、急いで帰ったために最終的に房に残っていたのはひとつぶの葡萄だけだった
日本刀を持った恐ろしい親父は
「お前それを自分のケツに入れてみろ」 と言う
三男は、葡萄が一粒になっちゃってて助かったな と思う。
次男が持ってきたのは栗だった。
彼は気の利く男だったために、栗のイガを剥いてあって、助かった と思う。
しかし葡萄よりは大きく、硬く、少しとがっている栗であるので
次男は苦労してそれをオシリに入れる
そして、許してもらえる運びになるはずだったのだが
次男と三男はそこで大笑いをしてしまい、激怒した親父に首をはねられてしまう。
なぜ彼らは大笑いをしてしまったのか?
それは、長男が、嬉しそうな顔をして、大きなスイカを抱えて帰ってきたのを見たからだ 〜
というような話をした後に本間氏は、
「っていう
この話をイメージして作った曲、オリオン座の三ツ星 です」
と言って、客が笑う隙も与えずに曲を弾き始める。
散々笑いを取っておいて、曲は前衛的で素人の理解が及ばないほどの表現だった。
しかし彼は難しいことなんかしていないような顔で鍵盤の上で遊んでいる。
彼はいつだって一番好きなおもちゃで遊んでいるのだ。
卓越したテクニックは、彼にとって本来は一番最初に語られるべき魅力でもなんでもない。
彼は当然してきたであろう血の滲むような努力というやつを客には見せず、
ただ鍵盤の上でそのすらりとした指を躍らせる。
無表情な顔とは裏腹に、指は楽しそうに踊る。
彼のピアノは鍵盤の上でのコンテンポラリーダンスなのだと僕は思う。
楽曲の説明は僕の言葉では不可能だが、見てきたことを言葉にするならば、
彼のその「鍵盤上での指のコンテンポラリーダンス」は見事に、彼の宇宙観を表現していた。
3曲目は、彼がピアニストとして参加しているデュオ、「天国」の曲。
「これは天国の曲でして、猫ちゃんとお魚の話、という曲なんですが、どういう話かっていうと、あぁ今何分経ったかわからないんだけど、この話してもいいのかな?いいんですか?」
僕が
話して という意味の拍手をすると
「うわ何今のパチパチって音?聴いたことない」 と彼。
「で、これはね・・・猫ちゃんが、えっと、なんかわかんなくなっちゃったから弾きます」
最初から長く説明を加えるつもりなどなかったのだ。
僕が思うに、彼は、説明なんか要らないから曲を聴け!と言わんばかりにくい気味で弾き始めるところまでをひとつのパフォーマンスとしたのではないだろうか。
演奏は、宮国氏のボーカルが入っていなくても少しも物足りなくはなく、ライブのために作曲されたのだと実感できるものだった。
変則的なリズムの楽曲に対して、倍で取っているであろうきちっとしたビート感が心地よく、ピアノは弦楽器であると同時に打楽器でもあるという事を想起させる。
かっこいい
ぐだぐだ言うよりこの一言が一番的確だ。
そういう演奏だった。
弾き終えるとまた、余韻を与えずにMCが始まる。
「これは滅茶苦茶なリズムですけど、ヒップホップのリズムで、本当はJラップなんですよ。Jラップ?かな?違うかな
天国というユニットはもう少しまじめにやっています。
いやここだって僕は真剣にやっているんですよ?
で、天国のCDをそこの物販のとこに今日持って…
き忘れたので〜、どうしようかな
あそうだ。天国のライブは3月の8日に吉祥寺のスターパインズカフェでやりますので
ぜひ来てください
3月8日 吉祥寺 スターパインズカフェです
と何度も繰り返し
客が笑うと
「いや、こういう風に何度も同じことを言う人がいるんですよ
スターパインズカフェまで言い終えると最初に言った日付のところの記憶がもうないので、何度も言ってしまうらしいです
笑い事じゃないんですが
3月8日 吉祥寺 スターパインズカフェです 3月8日…」
客席の、彼の友人らしき人が
もういいよという意味の突っ込み的笑いをした。
エンディング曲はバレエの曲[火祭りの踊り]だった。
君が代で始まり
最後に本気を出したと言わんばかりに超絶技巧を披露する本間太郎(笑)。
「大衆っていうのはバカなんで、少し指を多く動かしてやって、速く弾いてやると、やれ超絶技巧だとか言うんですよ。リストとか弾くと喜ぶ」
と、以前、ふたりで飲んだ時に言っていたことを思い出した。
彼の弾くリストを聴いてみたいと、お馬鹿な大衆の代表である僕はその時思ったのだが・・・
どんなに素晴らしいことか。
聴く前にもう解ってしまうし、彼はミュージシャンではなく表現者なので、クラシックの作曲家の曲を弾かせるなんて、野暮なのだろう。
僕は彼の、毒舌なのに憎めない感じがいつもずるいなぁと思うのだが、そこは彼の社会性がきちんと発揮されているからこそだろう。
大衆に向かっては、大衆はバカなんで、というMCはしないし、
飲み屋に行っても、店員が僕なんかぜんぜん見ずに、彼の方ばかりに何度もお礼を言うくらいの、優しくて素敵な人だなという印象を与える紳士的な対応をするのである。
だから僕がここに彼のプライベートでの口癖である、大衆はバカだからという台詞を書いてしまうのは、禁忌を犯す行為かもしれない。
本間太郎(笑)
僕はいつも、うまい人のライブを観ると、悲しくなる。
しかし、彼のライブを見て同じ感覚に陥ることはなかった。
どんなにがんばろうとこんな表現なんて出来るはずがないし、これは本間太郎だけの表現であって、僕が真似すべきものでは決してないからだ
と僕は理解した。
もっと何度も見せて頂かないと
彼の「言葉よりも雄弁に語る表現」に
僕の言葉の表現を到達させることは未だ出来ない
と思えた一夜だった。
次は3月8日
吉祥寺
スターパインズカフェ
天国のライブも必ず行くと約束をして、僕は帰路に着いた。
3月8日 吉祥寺 スターパインズカフェ
ですよみなさん
もうわかりましたか?
「天国」
覗いてみたい人は
ぜひお運びを。
本間太郎
(笑)をつけてもつけなくても、彼は日本では数少ない本物の表現者である。
神崎 潤