戦時中の赤ポスト
昭和14年2月17日、大阪朝日新聞・三重版に、赤ポストについての記事が載っています。
長い間のお馴染みだつたナア 赤ポストは鐡總動員に”應召”
お馴染みの郵便ポストが鐡總動員令で三十七年ぶりに街頭から姿を消すことになつたが津市内だけで九十三個(三千六十九貫)の赤ポストが赤襷といふわけだ、この際郵便ポストの変遷をみると、、、、、
文明開化の明治三年十二月書状集函といふ四角い木製の黒箱が街頭にデヴューした、もちろん大してハイカラな物ではなかつたが珍しい物の出現にやんやと騒がれたことは想像に難くないついで五年には書信函と名が変わり、八年には柱函となつて街頭に立つやうになり、黒色の木製時代が三十四年まで三十年の間つづき、三十五年には柱函が鐡製に替へられ、これと同時に朱色の派手な物になつた、これは抽斗し付きで四十一年には全國一斉に鐡柱回転式に変更され、漸次改良され現在のものになつた
木製から鐡製へ、鐡製からお次ぎは、、、、さあ逓信省で考案中ださうで代用ポストはコンクリート製かストニー製かはたまた陶製か=寫眞は姿を消すお馴染みの郵便ポスト
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コメント
いろいろ調べていただいたのですね。 昔は鉄で・・・戦時中に武器を作ったりしたのですね。 覚えているのはコンクリート製のどっしりとした赤いポストです・・・父が戦地に行っていたのでいつもはがきを出しに行っていました
今度は交通事情からか?今の四角の金属製に変わったのでしょうね、 ポストひとつをとってもその時代を反映して姿を変えている・・・丸い赤いポストは、遠くからもよく目に付いて・・・ その姿が消えていくのは淋しい気がします。
投稿: michi-anndou | 2007年8月 9日 (木) 03:19
代用ポストはコンクリート製だったのですか。
今残っている丸ポストがいつ作られたのか再度見に行ったのですがどこにも製造年月日がなく、分かりません。郵便局で聞いてみようと思っています。
投稿: こえびちゃん | 2007年8月 9日 (木) 05:36