お気に入り登録
|
ログイン
|
ブログを作る!(無料)
投稿内容
タグ
ブログタイトル
ウェブ全体
IE9ピン留め
トップ
世に倦む日日
critic5.exblog.jp
本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
今日
昨日
since 2004.9.1
ご意見・ご感想
最新のコメント
保安院の「ストレステスト..
by 芝ちゃん at 07:53
今現在、日本は皇室存続の..
by ローズ at 17:47
昨年の夏頃に同僚と「脱原..
by カプリコン at 23:51
運動の舞台が福一の地域と..
by 司聖尊 at 04:07
「五日市憲法」など,知ら..
by H.A. at 10:40
自由民権運動というと、..
by カプリコン at 23:20
日本でOWSをやるときは..
by ろうのう at 22:26
自分は地方が専門なので,..
by 33 at 21:46
昨日のクローズアップ現代..
by カプリコン at 21:35
最新のトラックバック
モモのいた場所 モモのい..
from NY金魚
以前の記事
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
more...
since 2004.9.1
XML
|
ATOM
skin by
thessalonike5
再稼働なしの環境は政府が予算でコミット - 政府資料を検証する
1/18のストレステスト意見聴取会の問題について、新聞各社がどのように反応しているか気になって調べてみた。やはり、
読売
と
産経
が1/19の社説で再稼働を急げと書いている。朝日と毎日は社説を上げていない。東京新聞は
1/20
の社説で、今回の保安院の「妥当」の判断に対して異議を唱えている。「その不透明な審査には、大いに疑問が残る」と言い、この専門家会合に市民の傍聴を認めなかった経産省・保安院の姿勢を批判している。正論のジャーナリズムであり、国民多数の声の代弁だ。東京新聞は
1/19
の社説でも、原発の運転期間の60年に延長する方針を打ち出した政府の発表に鋭く反論、「安全への決意は一体どこへ行ったのか」「原発の延命には、厳しく歯止めをかけるべきである」と主張している。東京新聞を筆頭に、地方紙の
社説
の方は読売・産経とは全く異なる立場になっていて、特に原発を抱える地元紙の論調はきわめて厳しい。愛媛新聞(
1/21
)は、「こんな手続きで理解は得られぬ」と言い、「強い違和感」を表明、「拙速な判断であり、国民の理解は到底得られまい」と断じている。河北新報(
1/20
)も、「これでは『見切り発車』だ」と言い、保安院の安全性軽視を指弾している。北海道新聞(
1/19
)は、「規制を骨抜きにする兆候」と言い、60年延長の問題と合わせて批判、国の原発規制の後退に懸念を示している。
他にも、信濃毎日新聞(
1/20
)は、「再稼働には賛成できない」「ストレステストの妥当性を判断する資格が保安院にあるのか、疑問が残る」と書き、傍聴を求めた市民の側を支持する立場を示している。京都新聞(
1/20
)も、安全性の担保にはならぬと判断を示し、市民に公開して傍聴を認めよと書いてる。他にも多くの地方紙が
社説
を上げていて、ほとんどが保安院の拙速を批判する主張ばかりだ。地方紙の社説を見ていると、安堵の気分を覚える。重視すべきは、事件の翌日(1/19)に止まらず、2日後(1/20)、3日後(1/21)に社説が上がり、後になるほど批判的な論調が強まっている傾向である。東京新聞がこの問題の言論をリードしている情勢が窺われる。この地方紙の声の波は、1/22のテレビ報道(特にサンデーモーニング)に影響するだろう。地方紙の社説の方が、ストレステストとは何かについて正確な知識を提供していて、読みながら感心させられる。1/18夜のNHKの大越健介の扇情的な報道とは雲泥で、テレビと新聞の違い(価値差)をよく示している。プロパガンダとは距離をとった新聞記事の姿があり、記者の最低限の良識や良心を感じさせられる。東京のマスコミにはそれがないのだ。新聞がテレビ的になり、テレビ報道がワイドショーかお笑い番組になっている。節度と自制がなく、官僚広報と印象操作と世論工作の主体性しかなく、事実と読者との間に立つ自己認識がない。記者が自分の頭で勉強していない。
マスコミによる「電力不足」のキャンペーン攻勢が凄まじいので、ここでもう一度、今夏に電力不足が生じるかどうかを厳密に検証したい。答えは「生じない」だが、その結論を政府の公式資料が証明し、国民に数値でコミットしている。政府の公開情報をおさらいしながら、マスコミの「電力不足」の拡声が根拠のないデマであることを確認しよう。まず、思い出すべきは、昨年7/29に国家戦略室が発表した「当面のエネルギー需給安定策」の
資料
である。ブログの
記事
でも詳しく紹介したが、閣議決定後に玄葉光一郎の記者会見があり、マスコミでも大きく報道された。作成したのは「エネルギー・環境会議」で、菅直人の
肝煎り
で6月に内閣に発足させた組織である。国家戦略室に
事務局
が置かれ、現在も活動を続けていて、政府の新しいエネルギー基本計画を策定する正統な本拠とされている。国家戦略室を本部にしたのは菅直人の意向であり、要するに、原子力村の胴体である経産省からエネルギー計画立案のミッションを切り離し、経産官僚から奪権する目的でこの会議を立ち上げたのだ。浜岡停止後の菅直人と経産官僚との熾烈な権力闘争の中で生まれた組織であり、7/29の発表内容は、菅直人(脱原発)と経産官僚(原発推進)の間で、玄葉光一郎が中立にスタンスした性格を漂わせるが、まさしく、再稼働を容認するかどうかの議論に政府が数字で正面から回答したもので、公式見解として現在まで生き、政府機関の原発政策を拘束する指針となっている。
資料の3頁目に要点が表式で総括されている。それによると、空前の酷暑だった一昨年(2009年)夏のピーク時需要を基準として、原発が全基停止して再稼働しない場合、今夏、東日本(50Hz)は-10.4%、中西日本(60Hz)は-8.3%の供給不足となると予測されている。数字はここでフィックスされている。不足電力分は、全体で約1割であり、東日本で834万kW、西日本で823万kW、合計1656万kWなのだ。この不足分をどうするかが政府の課題となっている。この発表の時点では、方向性だけで具体的な解決項目は提示されていない。だが、重要なのは、不足電力量を政府が計数化して確定したことであり、不足分は全体の1割以上ではないというコミットだ。次に、エネルギー・環境会議は、11/1に「今後の電力需給対策について」と題した
資料
を公表している。この資料(PPT)のキーとなる9頁目をご覧いただきたい。ピーク時の電力不足が-1656万kW(-9.2%)とあり、3か月前の7/29の数字が踏襲されている。変わっていない。そして、その-1656万kWをどう解決するかも図示されている。問題解決は二方向で、(1)需要抑制と(2)供給増強である。その二つに数字が入っている点に注目が必要だ。需要抑制で最大980万kW、供給増強で最大642万kW。すなわち、(1)と(2)を合計すると、最大1642万kWとなり、不足分1656万kWまで残り僅か14万kWとなるのだ。誰もが感づくとおり、こうして微少な不足を残したのは、原発再稼働の余地のためである。官僚らしい姑息な数字合わせをやっていて、妙な可愛げを感じる。
(1)と(2)の合計が1656万kWを超えてしまえば、原発を再稼働させる余地がなくなる。この11/1の資料の重要な点は、こうして需要抑制と供給増強の数字を示しただけでなく、その実現をどう図るか具体的にブレイクダウンされていることだ。数字と政策の積み上げが説明されている。積み上げ項目の詳細は10頁目の表に細かく羅列されているとおりだが、この需要抑制(980万kW)と供給増強(642万kW)を実現する各政策について、予算金額が計上されている。すなわち、この資料は単に需要と供給を予測した政府指針ではなく、施策レベルまで展開された政策と予算のプログラムに他ならない。この政策の実行には合計5794億円が予算が組まれていて、3次補正で国会で成立している。あの大震災の復興予算を所得税増税で編成した3次補正だが、その中にこの電力不足対策が入っていて、巨費(直接分2353億円、全体で5794億円)はすでに執行段階に入っているのだ。つまり、国民の税金を投じて、原発が全基停止になっても支障が起きないように対策の手を打ったのであり、政府はこの税金の投入で、全原発停止後の安定的な電力環境の保障を国民に約束したのである。そいう意味だ。もし、この5794億円の投入で、なお原発を再稼働しなければならない事態が生じたなら、それは違約であると同時に失策であり、無駄な事業で税金をドブに捨てたのと等しい。何のために5794億円も電力対策に使ったのかという問題になる。裏読みすれば、官僚は、再稼働なしでも電力不足は生じないという確信を持っている。だからコミットするのだ。
広瀬隆が何度も言っているとおり、日本の発電設備はすでに供給過剰の状態にある。官僚の最終的な自信の根拠(国民には言わない秘中の策)はその点であり、真相を言えば、5794億円が効を奏して需要抑制と供給増強が達成されるわけではない。5794億円の予算と施策は、電力対策を口実にした産業界へのバラマキだ。さて、この7/29の資料と11/1の資料の二つだが、予測と政策の基本線は同じながら、実は中身に大きな違いがある。お気づきになっただろうか。それは、埋蔵電力の問題である。そして、この二つの資料の異同は、菅直人の失脚で境界される前と後の政治の実相を意味していて興味深い。11/1の資料では、原発停止で生じる電力不足については、5794億円の税金を投入し、需要抑制と供給増強でカバーすると言っている。が、7/29の資料では、5頁目と6頁目に「自家発電」についての論及があり、埋蔵電力が重要な関心事項として浮かび上がっていて、埋蔵電力の発掘で脱原発の不足電力をカバーできないかという問題意識が挿入されている。11/1の資料には、埋蔵電力についての関心や記載は一切ないのだ。この政策指針の視野から消えてしまっている。私は、この7/29の資料を分析した記事の中で、政府の埋蔵電力の処理についてのマジックを指摘し、不当に過小評価していると批判している。それについては、ブログの8/1の
記事
を読んでいただきたい。けれども、11/1の資料ではさらに後退し、原発停止後の有効電力として存在すら顧みられなくなった。存在が否定され、政府が考慮すべき代替策ではなくなっている。つまり、反動が歴然だ。
思い出す必要があるが、昨年6-7月の脱原発論議で焦点となったのは、まさに埋蔵電力の可能性であり、埋蔵電力の中身を成すところの、製造業の自家発電やIPPやPPSに対する注目と期待だった。政権の中で、菅直人だけはそれに熱心で、正確な情報を追い求め、実態を隠蔽して逃げる経産官僚を怒鳴り上げる日々を送っていた。7/29の国家戦略室の資料には、その二者の角逐の状況が紙背に映し出されていて、5頁目と6頁目にその痕跡をとどめている。この資料は、政府指針として閣議決定まで踏んだ重要なドキュメントだ。しかも、国民注視の課題を担うプロジェクトの情報発信であり、当然、供覧と公開の前に菅直人の査閲のプロセスがある。「埋蔵電力はどうなったんだ」という質問が、玄葉光一郎と官僚に対して浴びせられる。それに返答するため、5頁目と6頁目に埋蔵電力の件を挿入した。しかしながら、埋蔵電力はあくまで霞ヶ関の忌み嫌うところであり、経産官僚の猛反対があり、何と、頁の右肩には(参考)の文字が付され、本論ではない、本筋ではないと意味が限定されている。官僚の文書細工の小技であり、菅直人を退場させた後の布石がここに打たれている。菅直人は失脚させるが、政府の名で一度発行した文書は生きるのであり、絶対にリセットはされないのである。7/29と11/1の文書は二点とも「エネルギー・環境会議」が出したPDFだが、読者は二つの文書のネット上のアドレスを注意されたい。
7/29
の方はnpu.go、すなわち国家戦略室の
サイト
上にある。一方、
11/1
の方はenecho.meti.go、すなわち経産省エネ庁のサイト上のものだ。
意味は誰にでも分かる。菅直人が策したところの、政府のエネルギー基本計画の策定を国家戦略室に移動させようとした目論見は、本人の退場で水泡に帰し、実権を経産官僚が握り直したということである。
by
thessalonike5
|
2012-01-21 23:30
|
Trackback
|
Comments(
0
)
トラックバックURL :
http://critic5.exblog.jp/tb/17656685
トラックバックする(会員専用)
[
ヘルプ
]
名前 :
URL :
非公開コメント
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード
昔のIndexに戻る
黒木慎一と保安院の跳梁と暴走 ... >>
ブログパーツ