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早すぎた改革——藤波の「ドラゴン・ボンバーズ」

2012年01月20日
スポーツ

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【伝説のユニット:3】プロレス界のユニットは栄枯盛衰。時代の頂点を極めたものもあれば、主だった活動をしないまま消滅してしまったものもある。藤波辰爾(57)が新日本プロレスで立ち上げた「ドラゴン・ボンバーズ」(DB)もその1つだ。
DBは「藤波部屋」と呼ばれ、1990年3月に藤波が提唱した。当時、藤波は椎間板ヘルニアで長期欠場中。復帰戦にインパクトをつけること、そして団体を活性化することが設立の目的だった。
「当時の新日本のいろんな状況を見た中で、選手の活躍の場を広げることが必要だと思った。相撲部屋のように頭となる選手を何人か決めて下に選手を置き、あとは部屋同士で争っていけば相乗効果で伸びていく。ただ最初から全部打ち出したところで実現は難しい。俺が旗頭になって、1つの例にしたかった」
同年8月17日、元大相撲前頭の南海竜の加入とともに正式に発足。藤波はリングネームを「辰巳」から「辰爾」に変更し、心機一転を図った。9月25日には発表会見を盛大に行う。藤波は「新日プロでは不可能な他団体との交流戦を最終目標にしていきたい。我々の部屋単位で他団体と話し合い、1つの大きな協会のようなものを作り上げていけば選手の交流も可能になってくる」と決意表明。獣神サンダー・ライガー、越中詩郎、故ブラック・キャットさん、飯塚孝之(現・高史)、南海竜、元十両・高見州とともに船出した。
9・30横浜アリーナ大会で藤波は1年3か月ぶりに復帰。DBは軌道に乗ると思われたが、目立った活動をすることなく姿を消した。「結成しただけで興行をやるまで行きつかなかった」。理由は当時の現場監督・長州力の理解を得られなかったためだ。「長州は明日の興行をどうするかっていう部分を見ていた。それは当たり前のこと。交通整理する人間がいたらよかった」。しかし、結果的にDBは「無我」に形を変え、藤波のレスラー人生に大きな影響を与えることになる。さらに新日プロは故橋本真也さん、武藤敬司、長州ら主力が相次いで退団。それぞれ他団体のエースに就任し、藤波が打ち出した「部屋別制度」は皮肉にも現実のものとなった。
「形は異なるけど、同じような状況になった。これを新日本の中でやりたかった」。藤波は早すぎた改革を悔やみながらDB設立の意義を訴えた。
(毎週金曜掲載)

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