着実に白星を重ねてきていた把瑠都の長い腕が、ついに優勝を手にするところまで伸ばされた。そして13日目、もしこのまま無敗では…と仮定の話ながら、把瑠都全勝が現実のものになるという予想もしなかったコメントが、ラジオやテレビから流れた。
いつかそんな話が現実になりかねないと、危機感を持っていたが、ここまで簡単にそんな日を迎えてしまっていいのかと、衝撃効果を持った報道に接して、すぐにはのみくだせない思いが強かった。
あの双葉山の69連勝が途切れた日のことは事細かに記憶しているが、あの日に引きくらべようとは思わない。しかし、強い意外性という意味合いからいえば、どこかに似ていることがあった。
というのは、よもやをいくつか重ねて驚きの深さに迫ろうとしても、及びもないからなのであったからなのだ。その驚きに関して、まず言わないでは通れないことがある。それはこの把瑠都攻勢は、この先も続くかどうかということだ。
まずそのことについて考えてみたい。答えはどうも、この一発勝負とも言える初場所の“驚き”だけで済みそうもないということなのだ。
では、この把瑠都攻勢の永続性を考えてみよう。当然、今場所は上出来であって、いつまでも続くものではないと“考えたい”向きもあるだろう。だが、私はそうは思わない。文字通りの異能であったこの大関は、一時の大きいだけでつかみどころのない把瑠都ではなくなっている。スピード感が加わった。技の種類も増えた。その上、人柄の良さをアイされる。だから、一言で言えば、朝青龍の欠点をすべて取り去って、全部美点に入れ替えたような面がある。
どうも、私の感じているところでは、外国人に大相撲の門戸を開いた意味合いがここで分かる。そんなふうに考える。いや、そんなふうに考えたいのだが。 (作家)
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