日々の食事で、どのくらいの放射性物質が体内に取り込まれるのか。毎日新聞は、全国11カ所に住む本紙記者とその家族ら11人の3日間の食事に含まれる放射性セシウムを、首都大学東京の福士政広教授(放射線安全管理学)の協力で調べた。福島県伊達市などで一般に流通していない自家栽培の農作物を食べた3人の食事から、セシウムが検出されたが、暫定規制値以下だった。【中村美奈子】
調査は11月13~15日に実施。▽間食や外食を含むおかず▽生米▽飲料水に分け、おかずは全種類から一部を取り分けて1日分をミキサーにかけ、100ミリリットルの測定容器に入れた。生米と水は別個に測定容器に詰め、福士研究室がゲルマニウム半導体検出器で1試料(容器の中身)2時間ずつ測定した。
検出限界値を超えたのは▽伊達市▽宮城県白石市▽群馬県高崎市。伊達市は自家栽培の玄米から1キロ当たり249ベクレル、煮物と果物などから124ベクレル出た。
3人の食事には、いずれも自ら育てた農作物が入っており、伊達市の男性(77)がサトイモ、大根、キウイ▽白石市の女性(62)がサツマイモ、干し柿、タマネギ、大根、長ネギ、白菜、ジャガイモ▽高崎市の男性(70)がユズ、柿、大根葉を食材にしていた。
検出限界値とは、これ以下は測れない値のこと。食べ物の内容物や重さが違うため、試料ごとに異なる。核実験の開始後、地球上には常にセシウムが存在し、測定値はゼロにならない。
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次に、1人1日当たりの飲食物に含まれるセシウム134と137の量を、放射線医学総合研究所で内部被ばく評価室長を務めていた白石久二雄さんの指導監修で試算した。検出された1キロ当たりの数値に、各人が飲食した重さを掛けて実際に摂取した量を出し、米とおかずと水の分を足し合わせた。
最も多かったのは福島県伊達市の男性で1日最大220ベクレルを摂取。群馬県高崎市の男性の同81ベクレルが続いた。白石市の女性は同33ベクレルで他と大差なかった。
これらの人体への影響を知るため、国際放射線防護委員会(ICRP)の基準を用い、年間被ばく量に換算した。最多の伊達市220ベクレルが年1・3ミリシーベルト。来春から適用される予定の放射性セシウムの新基準値・年1ミリシーベルトをやや超えた。
ただし伊達市は、3日間のうち2日間のおかずは検出限界値以下。最も低いセシウムの推定摂取量は、1人1日当たり140ベクレル。玄米を含むため高水準だが、年間線量は新基準値以下の0・81ミリシーベルトだった。
伊達市の男性と同居する長女(49)は「地元の検査でも、隣の田んぼから取れた玄米から放射性物質が検出され、やっぱりと思った。自家栽培のサトイモは検査に出し、検出限界値以下だった。大根とキウイは検査しておらず早く調べたい」と話す。測定は希望者多数で順番待ちだという。
福島市の女性(46)は、主に市内のスーパーで買った地元産を含む食材や古米を食べていたが、検出限界値以下だった。
伊達市の井戸水を除き、どの家も水道水(浄水器使用も含む)を使っており、水はすべて検出限界値以下だった。放射性物質がたまりやすい玄米については、福島県郡山市産や新潟県南魚沼市産の市販の玄米を食べている人もいたが、検出限界値以下だった。
食品の放射性物質の新基準は、年1ミリシーベルトを一般食品にあてはめ、1キロ当たり100ベクレルとなる予定で、暫定規制値(穀類500ベクレル)よりかなり厳しくなる。調査結果を分析した白石さんは「今回は検出限界値を使って高めに見積もった。それでも伊達市以外は新基準値以下だった。実際は大部分がこれよりかなり低い線量だと思う」と話した。
伊達市の玄米から高いセシウムが出たことについては、「検査をしないと新基準値を超える食物を口にする可能性があり、食材全品の検査態勢を早期に整備する必要がある」と指摘。「新基準を絵に描いた餅にしないためにも、個々の食材にベクレル表示をすべきだ。個人で判断して被ばく線量を管理でき、風評被害もなくなるはずだ」と述べた。
食事を丸ごと測定する手法は、実際に口にした放射性物質の量を調べるのに最適とされる。神奈川県横須賀市など複数の自治体が学校給食で取り入れ、文部科学省も来年度から全国の給食で導入することを決めている。
1人1日当たりの食事に含まれる放射性物質の試算にあたっては、飲料水は厚生労働省の国民栄養調査に基づき1日1.65リットルで計算した。米は、生米の測定値を水を入れて炊いたご飯として考えた。
試算では、人体への影響が最も大きい場合を想定し、3日間のデータのうち最大値を用いて11人分を出した。検出限界値以下の場合は、検出限界値を用いて試算した。検出限界を超えた日のあった白石市、伊達市、高崎市の3人は3日分すべて試算した。
自然界に元々ある放射性物質のカリウム40は、研究室内のコンクリートの床から放出されたため、正確な測定ができず除外した。
毎日新聞 2011年12月29日 東京朝刊