ここから本文です

解決済みの質問

知恵コレに追加する

助けてください

mugimugikawayusuさん

助けてください

倫理学のレポートで人間の本質を道徳法則、中庸、等価交換のどれかを使って説明しなくてはならないのですが、人間の本質をどのよう設定してどのようあてはめればよいのでしょうか。教えてください。お願いします。

補足
回答ありがとうございます!捕捉します。
人間の本質は「悪」であるということを、道徳法則、中庸、等価交換、有用性の1つを使い具体例をあげて説明するということでした。最後には本質は「悪」であるということを証明しなくてはなりません。
私は中庸を使って説明しようと思ったのですがなかなか決まらず、このレポートで単位が決まるので、できるだけ良い具体例がほしく質問しました。何かありましたら回答よろしくおねがいします。

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

motorcycle1129さん

そうですね。全ての語を使うなら下記は如何ですか。

人間はその本質に道徳法則を持つ存在でるがその道徳性は極端な形となって現れる場合が多い。したがって中庸と概念が重視される訳で様々な宗教や思想において中庸は理想とすべき道徳性の尺度として利用されてきたものである。一方経済は等価交換を是として発展してきたシステムだがここに人間の道徳法則が関与する余地は極めて少ない、或いは限定的である。この推論はマルクスとウエーバーという二人の思想家の説を考えることにより対比的に検討できる。マルクスは簡単に言えば経済発展には道徳性は存在しないと言ったが一方ウエーバーはプロテスタンティズムの道徳性(倫理観)と資本主義経済の発展を結び付けた。

これに肉付けをすればレポートのなりますが私の考え方なのでご自分でアレンジしてください。

  • 違反報告
  • 編集日時:2012/1/15 02:08:08
  • 回答日時:2012/1/15 02:06:53
この質問・回答は役に立ちましたか?
役に立った!

お役立ち度:お役立ち度 1点(5点満点中)1人が役に立つと評価しています。

ベストアンサー以外の回答

(1件中1〜1件)

 

isuzupiazza2005さん

質問者さんのレベル(中高大)がわかりませんので、知的レベルを合わせられないのですが、あしからず。
私は「本質論者」ですので、人間は本質を持って生まれてきていると思っています。
しかしそれを「道徳法則」「中庸」「等価交換」のどれかを使って説明する?とは、どうやるんでしょうね?

まず人間の本質の説明ですが、
まず肉体を持って生まれてきます。つまり具体的には、5本の指や歩行、生殖機能、知的存在などです。
次に人は、成長して行くということです。乳児、幼児、少年期(少女期)、青年期、壮年期、老年期と成長します。
社会性(相互関係性)、言語機能、協調性、感情性等をもっています。

道徳性は、この「社会性」と結びつけられないでしょうか?
道徳とは、人が生きてゆく際に、お互いの間にあるルール(マナー)のことなので、人間は(特に赤ちゃんの間は)家族の中で育てられるので、人間の本質である「社会性」の例として道徳法則が自然に生じると思われます。

同様に、がむしゃらに後先考えずに問題に取り組んでしまうのが「蛮勇」であって、逆に怖がりで、何もしないのが「臆病者」。
よく考えて、冷静に正しい行動を、適時に行えるのが「勇気」と言われるように「中庸」が社会生活では尊重されます。
(ちょっと無理がありますね。無理やり人間の本質と結びつけようとしているか?)

等価交換は、貨幣(物々交換)とか結婚相手とかに使いますね。
これは反面ということですかね?

人は、それぞれ一人格として尊重されるべきなので、誰かと交換することが決してできないということでしょうか。
人間の本質は、実存主義では「可能性」に満ちたものなので、決め付けられない存在と定義されます。
(今日のホームレスが明日は、大発明…ゴミの修理販売で億万長者…生活倉庫社長の実話)

以上ご参考になれば幸いです(笑)

PR

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。

お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。

話題のキーワード

[カテゴリ:哲学、倫理]

違いがわかる知恵袋

[カテゴリ:哲学、倫理]

ただいまの回答者

19時02分現在

4047
人が回答!!

1時間以内に7,664件の回答が寄せられています。

>>回答ひろばに行く