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著者
瞑想
著書
池田大作の行動と真実

信平狂言訴訟事件

2007年12月14日10:10:17

 マスコミ史上空前の「やらせ事件」であり、戦後最大級の「権力による宗教弾圧」と
となった「信平狂言訴訟事件」。
 北海道に住む信平醇浩(じゅんこう)・信子夫婦は創価学会幹部の役職を悪用し、恐喝
まがいのやり方で「多額の借金」を重ねていた。夫婦は創価学会役職を解任され、1993年
に脱会。その後、創価学会から金銭をゆすり取ろうと「恐喝電話」を繰り返すも失敗、
その逆恨みから、信平信子が”創価学会の池田大作名誉会長に暴行を受けた”とする事実
無根の「デマ手記」を『週刊新潮』に発表した。
 その後、自ら『週刊新潮』に持ち込んだ「デマ手記」をもとに信平夫婦は、1996年6月に
民事訴訟を提訴。裁判所は「訴権の濫用」と審判し、門前払いするも、信平らは懲りもせず
高裁、最高裁まで控訴する。当然のことながら、裁判では、信平らのウソは次々と破綻し、
狂言であることが明らかになる。
 2000年5月、最高裁は「訴権の濫用」として信平夫婦の訴え却下が確定。「100万件に1件」
あるかどうかという、極めて厳しい判決が下された。最高裁は、次の通り、裁判を続ける
こと自体が、不当な企てに加担することになると、信平らの悪質な狂言騒動を一刀両断して
いる。
「このまま本件の審理を続けることは(略)かえって原告(信平側)の不当な企てに裁判
 所が加担する結果になりかねない」
 一連の狂言騒動は、『週刊新潮』の門脇護記者と日蓮正宗の信徒グループ「妙観講」ら
による「やらせ事件」であったことが暴露される。

 そう、これもまた、自らの悪行ゆえに創価学会にいることができなくなった稀代の詐欺師・
信平醇浩・信子夫婦が、創価学会に逆恨みし、同じように元創価学会顧問弁護士の要職に
ありながら、自ら経営する会社の破綻損失を穴埋めしようと、創価学会と、当時の北条会長
を恐喝して、後に実刑判決を受け服役したこれまた稀代の詐欺師で大悪党の山崎正友に利用
され、山崎にぶらさがる日蓮正宗法主・日顕とその一派及び、反創価学会で利害をともに
する輩、勢力と結託して、創価学会及び、池田名誉会長を貶めんがためだけに仕組まれた
茶番劇であり、その根と構図は、既に別項で記載した「東村山市議転落死事件」、
「白山さん名誉毀損事件」と同じであり、この三事件を「三大デマ事件」とするゆえんでも
ある。
 経過を辿り、どれだけ卑劣な事件であったかその顛末を探ってみたい。

・1992年 5月14日 信平醇浩(じゅんこう)・信子夫婦に金銭問題が発覚、学会役職を解任
 される。
 信平夫婦は、創価学会幹部という立場を悪用し、創価学会内で禁止されている会員間の
金銭貸借を繰り返し、詐欺・恐喝まがいのやり方で、多数の会員から多額の借金を重ねて
は踏み倒していた。これらの行為を理由に同夫婦は、創価学会役職を解任された。

・1992年 5月18日 妻・信平信子が創価学会側に「謝罪の手紙」を郵送。
 「謝罪の手紙」の中には、「申しわけなさで一杯でございます。どうかお許し下さい」
「私が浅はかで悪かったのです」「どうか、いたらない、悪い私ですが学会において下さい」
と、自分の非を全面的に認める内容が記されていた。
 しかし、上記・詐欺・恐喝まがいの借金踏み倒しの手口は悪質で、信子が一人暮らしの
老人女性を狙い、「お父さん(夫・信平醇浩)に預けておくと月○万円の利息が入る」
「私のいうことが信用できないのかい」などと金を出させる。
その後、一部を返済するなどして一旦は信用させるが、「全額返済した」と言い張ったり、
「払い過ぎたから返せ」などと信じられない暴言を吐いては返済を拒んだりする。返済の
代りに「信子の古着」が送られてきた例もあるというとんでもないもので、あまりの行状の
酷さに、酌量の余地はない。

 尚、後の裁判において、この時提出の「謝罪の手紙」を後から作り変え偽装し、その手紙
は、「暴行被害を受けたことなどに対する『抗議の手紙』であり、その報復として役職を
解任された」などと述べているが、創価学会側では、同日付の信子直筆の本物の手紙を保管
しており、信平側の偽装工作が明らかになる。

・1993年12月15日 信平夫婦が脱会届を提出。

・1995年 1月 6日 信平醇浩が、創価学会に墓苑代金の返還訴訟を起す。
・1995年 4月   上記返還訴訟請求棄却。信平側敗訴。

・1995年9月-12月 信平醇浩が創価学会本部に、7回にわたり電話で恐喝。
 信平醇浩は、自分が購入した墓苑代金の返還請求訴訟に敗訴した後の、同年9月から12月
にかけて7回にわたり、創価学会に金銭を要求する恐喝まがいの電話をかけている。
 醇浩は一連の電話のなかで、「金を出さなければ、学会を東京の人間に売る」と放言。
また、反創価学会勢力との連携をほのめかしてもいる。
 最後の電話は12月22日、信子が匿名で日本共産党の機関紙「赤旗」(12月30日付)に登場
する直前のことであった。
 後の裁判において、この会話を録音した「肉声テープ」が、創価学会側から証拠提出され
ている。

・1995年12月   山崎正友と『週刊新潮』の門脇護記者、日本共産党関係者らが忘年会。
 みごとに創価学会デマキャンペーンを展開し続ける役者が揃ってきた。これが↓に繋がる
ことは明らかである。

・1995年12月30日 日本共産党機関紙「赤旗」に信平信子が匿名手記を発表 。
 信平夫婦が解任されたのは、「暴行 被害を受けたことなどに対する『抗議の手紙』で
あり、その報復として役職を解任された」との信平側の「暴行被害の捏造」を前述したが、
その件を匿名で記事にしたものである。
 信平狂言騒動の背後には当初から共産党の影が見え隠れしていた。
 この「赤旗」の記事掲載は、 『週刊新潮』に実名で「デマ手記」が載る2ケ月前のこと
であり、信平信子が初めて登場したマスコミがこの「赤旗」だった。
 信平夫婦の「多額の借金」をめぐる貸金返還請求訴訟では、共産系の弁護士が代理人を
務めたこともある。北海道共産党の顔といわれた高崎裕子参院議員の夫の共産系弁護士が
代理人を務めた訴訟もあった。

・1996年 2月 2日 『週刊新潮』の門脇護記者と信平夫婦、日蓮正宗「妙観講」幹部らが
 密談。ここに至って日蓮正宗もこの狂言事件に絡んでいることが分かる。

・1996年 2月15日 信平信子が実名で『週刊新潮』に「デマ手記」を発表。
【以下、デマ手記の内容】
 信平信子が受けた「暴行」は18年間、3回にわたり、同じ創価学会の函館研修道場で行わ
れたと主張、
○1回目:「昭和48年(1973年)6月27日21時、創価学会の函館研修道場内、本館3階の部屋」
(信子46歳)で最初の暴行があったと主張。
 これに対し『聖教新聞』(1996年2月25日付)は、「当時、研修道場には、建物は1つしか
なく、そこには札幌や東京から来た幹部が一緒に宿泊しておりました。信平の言う午後9時
頃は、まだ幹部との勤行や懇談会が続いていた最中なのです」と反論。

○2回目:「昭和58年(1983年)8月のある日の朝7時半頃、同研修道場内のプレハブ喫茶
『ロアール』」(信子56歳)で2回目の暴行を受けたと主張。
 しかし、その「喫茶ロアール」は「前年6月の行事」の際に一時的に仮設されたもので、
行事の終了後すぐに撤去されていた。これは林野庁が撮影した当時の航空写真(1982年10月
2日と1983年8月6日)の比較や、道場内で撮影された大量の写真からも裏付けられた。
 信子は裁判で、この時に負ったのケガの「診断書」なるものを提出したが、それは”事件”
の2ケ月後に、自転車事故のケガの「診断書」であることが判明。

○3回目:「平成3年(1991年)8月16日の朝7時半頃、同研修道場内の道端」(信子64歳)で
事件が起きたと主張。
 しかし、創価学会側の反論に、「17日頃」、「16〜18日の間」、「5時半〜7時半頃迄の間」
など次々に主張の根拠が変転。
 これに対して創価学会側は信子が写っている証拠写真等を提出、信平側が主張するいずれ
の時刻にも信子が現場にいなかったことを立証する。
 また、事件現場の「道端」には人通りがあり、事件の発生することが考えられないこと。
”事件”があったとする直後に撮影された写真に、信子が元気にラジオ体操に参加する姿や、
婦人たちとにこやかに笑う姿が写っていた。

 これらの信平側の証言は反論を受ける度に、合理的な理由もなく変転する。事件が「3回」
あったとする訴えの根本に関わる主張さえ、矛盾を突かれるたびに「事件は4回」「6回」と
変遷、信平らは裁判所から厳しく叱責された。
 信平手記は裁判所から「事実的根拠が極めて乏しい」などと厳しい判決を下され、一連の
騒動が創価学会攻撃のための「ねつ造」「狂言」であることが明確となっていく。
 また、この手記は、1982年10月〜翌年2月の2度にわたり日蓮正宗仏見寺の住職・藤原広行
に暴行未遂を受けたという、同寺の元女性従業員の「告発手記」に酷似してもいる。

・1996年 2月16日 日蓮正宗・妙観講の機関紙『慧妙』に「信平手記」の予告が掲載される。
 『週刊新潮』に「デマ手記」が出た翌日のこの日の日付で「緊急予告」と題し、デマ手記
の「予告」を「スポーツ紙ばりの大見出し」で掲載、信平事件と「妙観講」の深い関与を
示す証拠となった。
 「妙観講」とは、日蓮正宗の理境坊に所属する信徒グループ。当時、日蓮正宗管長・
阿部日顕の親衛隊を自認する日顕直属の謀略集団。盗聴、デマビラなど、数多くの違法行為
を繰り返している。機関紙『慧妙』を実質的に編集し、山崎正友もここに所属している。

・1996年 2月19日 国会審議で『週刊新潮』の「デマ手記」による創価学会池田名誉会長の
「証人喚問」要求。
 『週刊新潮』に「デマ手記」が掲載されたわずか4日後の衆院予算委員会の理事会で深谷
隆司代議士(当時)がデマ手記を使って創価学会名誉会長の「証人喚問」を要求した。
 捏造された手記を鵜呑みにしての「宗教弾圧」である。
 その後も、4月には白川勝彦代議士(当時)、5月には原田昇左右代議士(後に創価学会に
謝罪)が国会質問の場で、「デマ手記」をもとに創価学会を中傷する暴挙を行なった。
 自民党の一部の国会議員らが、執拗なまでにデマ騒ぎに加担した背景には、当時、旧公明
党が加わっていた新進党による自民党への「住専問題」追求への”対抗カード”として、
「証人喚問」を利用しようとする思惑があった。
 『朝日新聞』同月21日付社説では、党利党略で国民の生活を顧みない政治姿勢、謀略的な
「証人喚問」問題を取り上げ、厳しく批判している。
「こんなおかしな話はない。いま問われているのは住専問題である」
「国民が求めている住専問題の解明より、党利党略を優先する態度であり、厳しく責められ
 なければならない」
「自民党は小林氏(元国会議員秘書。口利き疑惑の当事者)の喚問をかわすため、筋違いの
 池田氏喚問を持ち出したとしかいいようがない」

 また、ここにも創価学会への宗教弾圧を企図する「憲法20条を考える会」の実行役の首魁
で、「四月会」会長・白川勝彦が登場する。
「白山さん名誉毀損事件」 http://29566.hito.thebbs.jp/one/1197435576 と、
「東村山市議転落死事件」 http://29566.hito.thebbs.jp/one/1197443659
ふたつの事件の構図と同じ臭いがしてくる。
 いずれにも登場してくるのは、自民党の「憲法20条を考える会」所属議員、「四月会」
所属の日蓮正宗、他宗連合、また共産党、山崎正友、乙骨正生、そして、『週刊新潮』記者・
門脇護らである。
 とすれば、これも国会喚問は「誤認」によるものではなく、「確信犯」であろう。

・1996年 2月23日 信平信子が「やらせ」記者会見。司会は乙骨正生。
 記者会見の会場となった都内のホテルを予約したのも、妙観講の一員。
 後の裁判における判決でも、
「それらの団体との間の一定の協力関係があることを推認することができる」と、デマ騒動
と妙観講の深い関与が認められた。
「浜中和道の告発文書」にある内藤国夫の話によると、北海道に渡り1ケ月間、信平夫婦を
「説得し告発までもっていった」のが、山崎正友の手下の妙観講幹部であったという。

・1996年4月〜5月 国会で2回にわたり学会中傷の質問。(上記・1996年 2月19日部分参照)

・1996年4月〜9月 自民党機関誌『自由新報』が内藤国夫の書いた「デマ記事」を4回に
わたり掲載。
 内容は、「信平狂言事件」に加担し、創価学会・池田名誉会長のスキャンダルをでっち
上げたもの。
 内藤国夫とは、元新聞記者で反創価学会ライター。山崎正友の元「盟友」で、新聞社を
辞めさせられた後も、週刊誌などで学会批判を繰り返す。
 山崎正友の20年来の盟友であったが、「民主主義を考える会」(代表世話人・内藤国夫)
の新進党・創価学会を攻撃用のデマビラをめぐる山崎の「裏金疑惑」から、「絶縁」を宣言
した。
 この『自由新報』の「デマ記事」に対し、創価学会は、1998年4月16日付で、当時、自民
党幹事長だった加藤紘一宛に抗議文を送付。(全文・後述)
 その後、『自由新報』1998年4月28日号に、与謝野馨広報本部長名で創価学会への公式
謝罪文が掲載され、同じく加藤紘一幹事長が「遺憾の意」を表明。さらに、当時の橋本
龍太郎総理が創価学会に2度にわたり謝罪した。

・1996年 6月 5日 信平夫婦が「やらせ」民事訴訟を提訴。
 訴訟の内容と経過については、下述・創価学会から自民党宛【抗議文】を参照されたい。

1998年4月16日 『自由新報』の「デマ記事」に対し、創価学会が抗議文を送付。
 先の信平夫婦の「やらせ」民事訴訟のその後の経過もよく理解できるので、抗議文・全文
を掲載したい。
【抗議文】
1.私共は、創価学会の代理人として、貴党に対し、機関紙「自由新報」に掲載された記事
 につき、以下のとおり厳重に抗議するものであります。
2.貴党は、「自由新報」に、平成8年1月2・9日付け(合併号)から内藤国夫氏らによる
 「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」なる記事を掲載しましたが、この記事には
 極めて重大な名誉毀損行為と言うべき内容が多数含まれております。中でもその最たる
 ものは、信平夫婦による池田名誉会長に対する虚偽捏造の中傷行為に関する4回の記事で
 あります。それらは、全く虚偽であり、しかもおよそ品位を欠く表現で名誉会長の名誉
 と人権を著しく傷つけたものであります。
3.そもそも信平夫婦は、函館で幹部の立場を利用して会員から多額の金銭を借入する行為
 を行い、その事実が次々と発覚し役職を解任された者であります。現在判明しているだけ
 でも総額5000万円以上の借金について支払いを命ずる判決が信平氏に下されております。
 ところが、信平夫婦はその解任を逆恨みして誹謗中傷を繰り返すようになりました。
 その揚げ句に、「週間新潮」平成8年2月22日号に全く事実無根の「作り話」の「手記」
 なるものを掲載させ、さらに裁判制度を不当に利用して民事訴訟まで提起するなど極めて
 意図的にこれを社会問題化しようとしました。
4.信平夫婦は、訴訟の中で、被害なるものについて、反論・反証されたり、具体的な釈明
 を求められるや、その日時や場所についてさえ曖昧にするなど、およそ実際に体験した者
 としては絶対にありえない苦し紛れの釈明をしています。
 当方としては、このような不当訴訟はいわば狂言訴訟とでもいうべきものである以上、
 信平夫婦の主張自体についての虚偽性を明確にした上で、時効であることが明白な部分
 については速やかに判決をすべきである旨主張するとともに、これを裏付ける録音テープ
 の内容を明らかにして検証の申し立てをしました。
 これに対し裁判所は、当方の主張どおりに弁論を分離して終結し、判決することを決定
 しました。この決定は、右に述べた訴訟の経緯に照らせば極めて当然のことであり、
 裁判所がこの間の双方の法廷でのやり取り及び書面の内容などから、本件訴訟の本質、
 すなわち信平夫婦の主張の虚構性と不当性を十分に理解したことを示すものです。
 判決の言い渡しは昨年12月16日と指定されましたが、その直前の12日、信平氏側が引き
 延ばし目的で裁判官忌避申し立てをしたため、現在、一時的に延期されております。
 しかし、この申し立てについて本年2月2日、東京地裁において却下決定がなされ、これ
 に対する即時抗告も4月6日却下されております。いずれにしろ、近々この訴訟に実質的
 な決着がつくこととなります。
5.しかるに、貴党は、これら信平夫婦の捏造事実を何ら検証もせず、「自由新報」に4回も
 取り上げました。さらに国会審議の場でも信平氏の虚偽の「手記」を取り上げ、また山崎
 正友らが作った、”狂言訴訟”のチラシを購入して全国に発送するなどして、名誉毀損、
 人権侵害を拡大しました。
6.信平夫婦の「手記」や訴訟の内容は極めて不自然なものであり、およそ常識的な感覚の
 持ち主であれば容易に虚偽とわかるものであり、しかも学会としては直ちにその虚偽性
 を示す反論・反証を発表しております。貴党が「自由新報」に前記記事を掲載するにあた
 り、最小限の調査をしておれば、事の真相が奈辺にあるか極めて簡単かつ常識的に判断
 できたはずであります。
 よって、創価学会として、貴党に対し、前記記事について厳重に抗議し、すでにその虚偽
 性が明らかである以上、「自由新報」紙上において、速やかに前記記事を撤回し謝罪する
 旨の記事を掲載するよう強く要求するものでであります。
 平成10年4月13日
 創価学会代理人 弁護士 八尋頼雄
 同           福島啓充

 自由民主党幹事長
 加藤紘一 殿

・1998年年4月、6月 総理大臣・橋本龍太郎が『自由新報』で「デマ事件」を報じたことを、
 2度にわたり謝罪。また、与謝野馨広報本部長名で『自由新報』に謝罪文を掲載。更に、
加藤紘一幹事長が「遺憾の意」を表明。
【自民党からの謝罪コメント】
 広報本部に於いて、過去掲載された関連記事及び関連資料などを詳細に検討いたしました。
 勿論自由新報は党の機関紙であり、人権と名誉を大切にする立場を貫かなければなりませ
んし、また、意図的に虚偽に加担する立場にはないことは言うまでもありません。
 しかし、法律的にみれば、指摘された諸点には明らかに行き過ぎがあり、将来法律上の
問題を引き起こしかねない部分が含まれていたことは否定できません。
 また、類似の事件の係争結果をみても、本件についても帰結はある程度予想せざるを得ま
せん。
 また、記事掲載の当時のことを考えると、調査不十分のまま一方の当事者の主張のみを
採用し、まったく意図とは別に結果としてその虚偽をあたかも容認することとなった点は
不適切であり、申しわけなかったと考え、遺憾の意を表します。
<コメント欄に続く>

寄せられたコメント

瞑想 2007年12月14日10:12:06

<本文より続き>
・2000年 5月30日 東京地裁が信平夫婦に対し、訴権の濫用として民事提訴の訴えを却下。
「訴権の濫用」とは、民法第1条に「権利の濫用(むやみに使う)は之を許さず」と明記
されているが、これを適用したものである。これは訴権(訴える権利)にも当てはまり、
裁判所が「訴権の濫用」にあたると判断した場合、その裁判自体が「却下」される。
「請求が棄却」されるのではなく「訴訟そのものが却下」されるという、100万件に1件、
あるかなしかの裁判史上に残る厳しい判決である。
 この期に及んでもも、信平夫妻は、高裁に控訴する。
 一緒に一連の騒動を企んだ者たち、中でも、山崎正友にそそのかされたものであろう。
創価学会の名を出し、大騒ぎできればそれでいい。ここにも「白山さん名誉毀損事件」、
「東村山市議転落死事件」と同じ構図が見て取れる。

・2001年 1月31日 東京高裁が信平夫婦の控訴を棄却。

・2001年 6月26日 最高裁が信平夫婦の上告を棄却。信平の全面敗訴が確定。
「訴権の濫用」として、「裁判そのものを受け付けない」ことが確定した。
【最高裁によって下された判決主旨】
「被告(学会側)に応訴の負担その他の不利益を被らせることを目的とし」
「真に被害救済を求める者の訴訟追行態度としては極めて不自然であり」
「これも、結局のところ、各事件について事実的根拠が極めて乏しいことに由来するもの
 であるものと解される」
「このまま本件の審理を続けることは(略)かえって原告(信平側)の不当な企てに裁判
 所が加担する結果になりかねない」
「不当な訴訟はゆるさない」

 信平らの悪質な狂言騒動を一刀両断している。
 更に判決では、7,000万円以上にのぼる「多額の借金」を踏み倒し、創価学会に7回もの
「恐喝電話」を繰り返した信平らの異常な人格にまで踏み込んだ。
 証拠として提出された「肉声テープ」から、裁判所は夫・醇浩の異常な人格を次のよう
に指摘した。
「原告(醇浩)の反発及び不満を述べる態度と言辞は、激烈にして口汚いものであり、
 原告の個性、人柄の一端をうかがうことができる」
「有無を言わせない強硬なものであり、その個性、人柄をうかがわせるに足るものである
 ばかりか、まさに恐喝まがいと評されてもやむを得ない」

【判決文の総括】
「本件各事件の事実的根拠が極めて乏しいことを前提として考えると、原告らは、禁止
 されている創価学会会員間の金銭貸借を幹部の立場を利用して繰り返し行い、会員に
 迷惑を及ぼしていることを理由に創価学会の役職を解任されたことを根に持ち、創価
 学会を脱会した後、墓地代金等の返還を求めたが果たせず、そのため創価学会本部に
 恐喝まがいの電話を繰り返しかけたが、なお功を奏さなかったため、その仕返しとして、
 信子の手記をマスコミを通じて公表し、その延長上のものとして、被告に訴訟上又は
 訴訟外における有形、無形の不利益を与える目的で本件訴えを提起したものであると
 推認されてもやむを得ないというほかない。
 すなわち、本件訴えは、その提起が原告の実態的権利の実現ないし紛争の解決を真摯に
 目的とするものではなく、被告に応訴の負担その他の不利益を被らせることを目的とし、
 かつ、原告の主張する権利が事実的根拠を欠き、権利保護の必要性が乏しいものであり、
 このことから、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反す
 るものと認めざるを得ないものである。
 したがって、本件訴えは、訴権を濫用するものとして不適法なものというべきであり、
 このまま本件の審理を続けることは被告にとって酷であるばかりでなく、かえって原告
 の不当な企てに裁判所が加担する結果になりかねないから、この時点で本件訴訟審理を
 終了することが相当である」
<次のコメント欄に続く>

瞑想 2007年12月14日10:12:41

<前のコメントより続き>
 創価学会側は、信平夫婦が学会本部にかけてきた「恐喝電話」など、6本の録音テープを
裁判所に提出。テープには、反創価学会勢力との連携をほのめかして金を要求する乱暴な
信平醇浩・信子の肉声が収められている。
 信平側は、某研究所S氏の声紋鑑定書を提出し、「テープの声は信子ではない」などと
主張。これに対し学会側は、元・警察庁科学警察研究所所長の鈴木隆雄氏に依頼し、この
鑑定書が「根本的に妥当性を欠く」ことを明らかにした。
 判決でもS氏の鑑定は「声紋鑑定の手法として妥当であるかどうか基本的な疑問が残る」
と断じられた。

【醇浩の「肉声テープ」の一部(判決文より)】
「おめえも気いつけれー。このやろう。いいか、このやろう。この、片輪(ママ)にして
 やるから、きさまら」
「あんまり人をな、なめるなよ創価学会よ。邪宗教のくせに。このやろう」
「今、必ずな、仕返ししてやるから」

 借金をした信平らが、「金を返せ」などと理不尽な訴訟を起こし、全面敗訴した裁判も
ある。被害は創価学会員だけでなく、デマ騒動に協力した日蓮正宗の「法華講員」にまで
及んでいる。返済を直訴した女性が、夫・醇浩に「腹を蹴り上げられ、2〜3日、絶対安静
の状態に置かれた」などの傷害事件も起きている。
 1996年、「信平夫婦を告発する被害者の会」が結成された。被害者が借金返済を求めた
裁判では、信平側がことごとく敗訴。わかっているだけでも7,000万円以上もの返還が命じ
られている。泣き寝入りした人を含めれば、被害者は200人ほど、総額1億円以上の金が信平
夫婦に騙し取られたという。
 しかし、信平夫婦は意図的にか、居住する高級マンションを息子名義にしており、差し
押さえができず、貸し金は返済されていない。それでいて、夫・醇浩は競輪に大金を注ぎ
込んでいるという。

・2004年 3月26日 新潮社の佐藤隆信社長が「遺憾の意」を表明。創価学会に謝罪。

 信平夫婦の狂言訴訟を煽り、操った主な関係者が謝罪することで、本件は類稀な狂言事件
として決着するが、今尚、当事者である信平や、彼ら夫婦と共謀していた山崎正友とその
一派、妙観講らに反省の色はない。

ピンポンダッシュ 2008年2月15日22:17:27

瞑想さんご壮健で何より。

 ないものをあるといい。あるものをないという。

 真実という大切な宝珠は、鍛えなければ誤った邪執や迷妄を払うことはない。
 常に正しいことを日常の中で鍛えておかなければ、最後は、信平夫婦とともに『行く道一つ所』に参らなければならない。

 己の矛盾をこの宝珠で照らせないものは、自己の迷悟の暗中で己の姿を外の敵としてとらえてしまうのだ。

 己こそ最大の敵でありながら、差す指はつねに、他に向けるものの最後は見ていて哀れである。

 ただ、今まさに、今生の終わりのみぎり、己という裁判官に裁かれるとき、その時・・・・・・
 生命の不可思議中の不可思議は、己が己を裁くということがどれほど峻厳であるか。

 己を常に傷つけてきたものは、己を傷つけたと気づきはしない。つねに、他を妬み嫉み怨憎の悪臭で打ち据え引き倒して打擲したいずれもの他人は、実は己であるということを、只今、ご臨終の刹那に、『我過てり』と気づく。

 さにあってなを、悔い改めぬものが苦の幽玄に閉じ込められ
無限に苛む苦痛と後悔と惜別の中でエンドレスに苦痛が痛みの輪廻につながれながら深く深く落ちてゆく。

 すべては一瞬で決定する。

 本当は、それが一番おそろしい。まるで『一局の碁たるべし』なのです。

 忍び寄るように俊足の駿馬のように、それはただ、一手が打ち下ろされるのを待つように。きわめて周到に、それはしのびよる。

 ・・・悲しいね。人と生まれることの難しさは『死者の書』を見てもインマニエル・スウェーデンボルグの随想を見てもあきらかなのに。

 人と生まれることの難しさとて、また人の命の短さといい。また、人の親の子となるにおいてをや。

 万里離れた針の穴に糸を投げ入れるがごとき難しさというのに。

 どうして、命をカンナで削るように生きるのか。

 マスターぴん

瞑想 2008年2月19日15:19:16

おっと、ピンさん、ご返事遅くなりました。
お元気そうで、大慶です。

そうですね。創価学会が嫌いなら嫌いで別に構いはしない。
正々堂々と事実をもって論陣を張ればいいわけで、価値観の相違というだけ
なら、それぞれの人生で自ずとより価値的な生き方というものは明白になっ
ていくことでしょう。

ただ、嘘はいけませんね。
嘘、捏造で反目する団体やその指導者、構成員を攻撃し貶めようとする。
残念ながら、そういう人間は必ず居るもので、人の誹謗中傷を好む人物は
また、尤もらしい嘘に騙されて真実が見えなくなる。
仏教では、そういう心根の曲がりきって悔恨や恥をしらない、悔い改める
ことができない人間を一闡提(いっせんだい)と呼びます。

有名な日蓮大聖人の「立正安国論」にはこう言われています。

『涅槃経に云く「仏の言く唯だ一人を除いて余の一切に施さば皆讃歎す可し、
 純陀問うて言く云何なるをか名けて唯除一人と為す、仏の言く此の経の中
 に説く所の如きは破戒なり、純陀復た言く、我今未だ解せず唯願くば之を
 説きたまえ、仏純陀に語つて言く、破戒とは謂く一闡提なり其の余の在所
 一切に布施すれば皆讃歎すべく大果報を獲ん、純陀復た問いたてまつる、
 一闡提とは其の義何ん、仏言わく、純陀若し比丘及び比丘尼・優婆塞・
 優婆夷有つて〓悪の言を発し正法を誹謗し是の重業を造つて永く改悔せず
 心に懺悔無らん、是くの如き等の人を名けて一闡提の道に趣向すと為す、
 若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども
 而も心に初めより怖畏懺悔無く肯て発露せず彼の正法に於て永く護惜建立
 の心無く毀呰・軽賎して言に過咎多からん、是くの如き等の人を亦た一闡
 提の道に趣向すと名く、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余に施さば
 一切讃歎せん』

日蓮の依った法華経の真髄は、悪逆の限りを尽くした者も含めて、全ての
人間に仏性があり、使命=自分の生まれてきた意味に目覚めれば最高の人格
者(=仏)になれるとしたことですが、ただ唯一、一闡提を除くと言われて
います。
どんな悪い事をしてしまっても、心の奥底から懺悔すれば救われるが、
一闡提という存在は、懺悔の心が湧かない衆生ですから、救いがたいと。
それらの者たちには、
『早く一闡提の施を止め永く衆僧尼の供を致し・仏海の白浪を収め法山の
 緑林を截らば世は羲農の世と成り国は唐虞の国と為らん』
のうのうと、悪人がのさばる世の中にするなと言うことです。

唱法華題目抄にも
『総じて涅槃経の心は十悪・五逆の者よりも謗法闡提のものをおそるべしと
 誡めたり』
真言諸宗違目では、
『法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく』

仏の種を自ら捨ててしまう。それが一闡提です。

コスモス 2008年4月21日2:53:13

>悪人がのさばる世の中にするなと言うことです。

全体責任ですね。
そうとしか考えられない。

悪人がのさばる土壌にしたのもやはり人。
しかし体裁よく責任逃れする人の方がはるかに多い。
それが腹が立つ。ズルイ人間は沢山いる。
私もその一人。
だけどそのずるい人間を止めた。私は立ち上がって行動した。立ち上がったら人による難にあった。
しかし、それでも私についてきてくれた人との友情はかけがえない。
友人と私は後に大功徳を頂いた。
また、人の心乱れれば土地も乱れるとは本当なのだと理解出来た。

今、その土地での使命が終わったのか、他の土地に縁あって引っ越しをした。
今の土地は私の心に描いた学会の姿がある。
嬉しい。先生の呼吸を感じる。
この土地では家を拠点にした。いつか拠点には如蓮華在水と字を額に入れて飾ってやる。
この拠点から半径100メートルには魔は寄せ付けない。
もしも来ても、この土地に住む全員で題目により追い出せるような信心になりたい。
その為には半径100メートルの皆で、異体同心にして毎日、毎日、坦々と信心したい。またこれを実行中。
ここ最近、地域の中で宿命転換や罪障消滅など、功徳と感じられる現象など少しづつ僅か僅かだけれども現れだした。

悪は悪だ。やっぱり悪だ。どう考えても悪だ。
頑張って理解する必要なし。

今までの経験が全て生かされた。

題目で叩き出してやる。

瞑想 2008年4月21日11:10:47


コスモスさん、お久しぶりです。
お元気でおられたようで、嬉しく思います。
転居されたんですね。
新居を会場にご提供されている由、素晴らしいご境涯を手に入れられ
ましたね。

お住いの環境を自らの人間革命の場としてどれだけ成長できるか。
偏にそれが大事ですね。

『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ
 穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、
 衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば
 仏と名けたり』(一生成仏抄 P384)

腰を据えて時期相応の戦いに邁進するとき、そこは必ず自身にとって
使命の天地となっていきます。

『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(報恩抄 P329)

いろいろと、思うようにいかない。
ドロドロとした人間関係、人間模様、清浄とは程遠い環境。
それらは、全て自身の成長の場と捉えて行きたいですね。

『経に云く「心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を
 縛り送つて閻羅の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う所の
 妻子兄弟等・親属も救うこと能わじ」云云、涅槃経に云く

周囲に紛動されないことです。

「願つて心の師と作つて心を師とせざれ」云云、愚癡無懺の心を以て即心
 即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや。』(蓮盛抄 P152)

自分の心の奥底に、確固たる自身の師となるべき指標を打ち立てること
です。

頑張ってください。

コスモス 2008年4月21日19:07:32

瞑想さん

本当にお久しぶりです。

瞑想さんもお元気そうで。瞑想さんは常に御書を根幹としブレることがないのですね。常に信心の姿勢が変わることがない。
まずは毎日お勤めし、新聞を読み、大百を読み。活動自体が自分の私生活の一部と体が覚えることの難しさ。
繰り返し繰り返し、毎日、毎日。この難しさ。
瞑想さんには当初から日頃の活動についてそう書き込みして頂いておりました。
地獄見てやっと理解が少し出来てきたように思います。

>お住いの環境を自らの人間革命の場としてどれだけ成長できるか。
偏にそれが大事ですね。
>腰を据えて時期相応の戦いに邁進するとき、そこは必ず自身にとって
使命の天地となっていきます。
>自分の心の奥底に、確固たる自身の師となるべき指標を打ち立てることです。

私、ここでは永住を決め込もう。
それほどに、今度こそは.......。そう思ってます。
ですから瞑想さんの書き込みに合点がいきます。
今、住んでいる土地は先生がかねてより題目を染み込ませられた土地と聞いています。もうここにきて一年になりますが、本当に住んでいるだけで自分が浄化されていくようです。

「この土地は後々の時代にあっても絶対に荒らされてたまるものか!」

人間性のない私はそんな感情論だけの話かもしれませんが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『経に云く「心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を
 縛り送つて閻羅の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う所の
 妻子兄弟等・親属も救うこと能わじ」云云、涅槃経に云く

瞑想さん、すいません。教えていただけないでしょうか。この御文。

コスモス 2008年4月21日23:20:17

言わんとされていること理解致しました。

『経に云く「心は是れ第一の怨なり此の怨最も悪と為す此の怨能く人を
 縛り送つて閻羅の処に到る汝独り地獄に焼かれて悪業の為に養う所の
 妻子兄弟等・親属も救うこと能わじ」云云、涅槃経に云く

とは

>周囲に紛動されないことです。
このことを仰って下さっていたのですね。
はっきりとした正論のご意見、有難うございます。

怒りと怨嫉は違うものと思います。
獅子句と遠吠えも違います。
一見、同じように見えても似ても似つかぬものだと痛感します。
結果、現象が何よりも違ってくるのですね。自分が怨嫉なのか怒りなのか、現象で判断するしかない状況というものもあるのですね。
とにもかくにも唱題、唱題、唱題しゆくしかないのでしょうね。
怨嫉であれば、独り地獄に焼かれて眷属をも地獄に堕とすでしょうし、怒りであれば幸福境涯に成長出来るものなのでしょうね。
異体同心も生まれてくるのでしょうね。
はじめは、全くもって賛同得られなかったとしても、それが真実ならばやがては賛同を得られるものなのでしょうね。
考えてみれば、私が怒りか怨嫉か。周囲の方も複雑です。
でもやはり、この世の中、分かっていても......。ズルイ大人の集まりの方が多かったりしてとも思います。そしてくるくるくるくる輪廻しているようにも。

ともあれ結果が出れば誤解も晴れる。
それまで、この野郎と思って、向こうもこの野郎とこちらを思っていた場合でも本当のところその人が善人、こちらも正義であった場合は、誤解が晴れる。かつての人間関係よりも深いものを得られる。
そんなものなのでしょうね。

しかし腐ってる奴はどこまでも腐ってると思います。
しかも善人面している。見抜かせない。これに皆が牽引されていく。
でも、そのうち言っていることと行動が違ってきて皆が離れだすようですね。しかも自分の生活にもあまりよくない現象が現れ出すものなのですね。

ともあれ我見、我慢偏執、怨嫉注意します。
確固たる自分づくり、周囲に紛動されないようにします。

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