芸者写真事件とは
日顕の芸者写真事件とは何だろう。
わかりやすく言うと、日顕法主の遊興を創価新報が報道したことに、宗門側は「それはウソだ」と
学会を相手取り損害賠償を求めた裁判である。
この裁判は、創価新報が「僧侶を敬え、法主を敬え、僧は上信徒は下などと威張っている一宗の
法主が、事もあろうに、料亭で芸者と酒宴を共にするなどもってのほかだ、敬えるわけなどない」
という論調の記事に、宗門は「日顕猊下は芸者などあげてなどいない!」と開き直った。
そこで、創価新報は「芸者をあげたのは事実!これが証拠だ!」と写真を公開した。
さあここからが、学会側と宗門側の言い分の違いになるのだが・・・。
この写真、実は撮影した人や料亭を特定したり、同席僧侶への配慮から、撮影者を内緒にし、
料亭も特定される事を嫌い、額縁や障子を消し、日顕法主以外の僧侶を消して公開した。
つまり修正写真を公開し、「日顕法主と芸者さんが一緒に写っているよ」と事実を示す写真を突き
つけた。
ここが問題なのであるが、学会としては、「日顕法主が芸者と酒宴を共にした」ことを問題にし、
そういう法主はその立場にふさわしくないというのが主張の本意だった。だから修正しても別に
問題ではなかったのだ。
ところが宗門はこれを「偽造されたニセ写真だ」といって「修正」したことを「偽造」という言葉に
置き換え騒ぎはじめた。つまり、「芸者との酒宴」という学会の指摘を「写真偽造」という論点に
すりかえ、ごまかそうとしたのだ。
確かに一万円札をどんなに精巧に模写しても偽札は偽札、そういう意味からいえば宗門の言い
分も間違いではない。
しかし、ないものをあらたに造ったものは偽だが、この写真は本物を一部修正したもので、人物・
ネガは本物であるという事だ。そこをとらえておかないと議論が別の方向へ行き、はぐらかされ、
宗門の思うツボになってしまう。どういうことか説明しよう。
最初宗門は、「これは偽造写真だ、写真に写っているのは日顕猊下ではない」といった。
さらに「あの写真は猊下の首の写真を持ってきて中央に座っている人物の首と差し替えた」
「首のところに不自然な線がある」「第一猊下はあのような縞模様の袴は持っていない」
などと言い、法華講員にそう宣伝し、学会員の家に行ってはそれを吹聴していた。
私も友人の法華講員と議論した時、同じような事を盛んに言っていた。
私はそのとき「写真の真偽はともかく、猊下が芸者と酒宴を共にしていたらどうしますか?
法華講をやめますか?」と聞いた。
友人は絶句し、「そんなことは絶対にない」と言い張るのみであった。
それから後、宗門は、どこが偽造されているかとくと見てみろ!」と無修正の写真を発表した。
成り行きとはいえ、後先も考えないこういう宗門の所業に、法華講員たちは面食らった事だろう。
しかし、「あれは猊下ではない」「首を挿げ替えた」「袴も違う」といって、私や学会員に詰めより、
「そんな謀略主義の学会だから早く辞めよ」といっていた私の友人や他の法華講員になんと言っ
て詫び、説明するのだろうか。
つまり、宗門は「偽造写真(修正写真)で名誉を毀損した事」を問題にし、学会は「法主が芸者と
酒宴を共にした」ことを問題にし、争点が明確になった。
では、宗門はなぜ事実である事がいずれバレるのに、裁判まで起こしたのだろうか。
ここがわからないことであった。 おそらく宗門側は、学会が撮影者(僧侶)の氏名を発表する事は
しないだろうと、たかを くくっていたのではないか
その僧侶の名前を出さない限り、裁判は勝てると踏んだのではないか。それとも、「日顕さんが
酒宴をしたことの是非はともかく「偽造写真で名誉を毀損した事」を主張すれば裁判は勝てると
踏んだのか。
それとも日顕さんは、ここで裁判を起こさないと、敗北を認めることになるので、わずかな望みを
かけてイチかバチかの裁判を起こしたのか。いずれにしても、宗門は学会に対し、損害賠償請求
の訴えを起こしたのである。
さて、東京地裁は、宗門のおもわく通り宗門の主張を認め、学会に損害賠償を支払うよう求め、
宗門の勝訴となった。
写真撮影者が明らかでないことや、日時・場所が明らかでない等のこともあったのか、裁判所は
「具体的事実の適示せず人身攻撃におよんだ」として学会の主張を退けた。
学会は、法主の資格を云々する事が目的の創価新報の報道は正当であるとして控訴した。
裁判は、お互いの主張がすれちがうまま進められていったことであろう。
そして平成12年12月5日、東京高裁での判決は、一審(平成11年12月6日)での判決を取り
消し、訴えた宗門側の請求を全面的に棄却し、宗門側の全面敗訴となった。
この審議では、もちろん写真撮影者も明かされ、場所も東京赤坂の料亭を特定し、店の名前も
明らかにされた。
日時も昭和61年11月22日と特定された事は言うまでもない。
お客のプライバシーを守る料亭が、お店の不利益を覚悟で証言をされたのでしょう。
撮影者もあとあとのご自分の立場も不利になるのを覚悟して実名を明かされたのでしょう。
真実を公表された勇気と真心は裁判の経過は別として、心から敬服するものである。いずれにし
ても「日顕法主が芸者と酒宴を共にした」ことが真実である事がハッキリしたのである。
そしてこの裁判で忘れてならないことは、
「これは偽造写真だ、写真に写っているのは日顕猊下ではない」
「あの写真は猊下の首の写真を持ってきて中央に座っている人物の首と差し替えた」
「首のところに不自然な線がある」
「第一猊下はあのような縞模様の袴は持っていない」
といった宗門の言い分はウソだったということ。
宗門がウソのストーリーを捏造し、学会に訴訟を起こしたこと。
日顕が自分の名誉を侵害された(?)のに、出廷を回避したいためなのかどうか知からないが
自分は原告をはずれ、法人である「日蓮正宗」「大石寺」を原告にしたこと等である。
ウソのストーリーで学会に裁判を起こし、敗訴したシアトル事件の裁判といい、池田名誉会長を
落としいれようと、事件なるものを捏造し、狂言訴訟でそのウソが見破られ敗訴した信平といい、
「真実に勝る正義はなし」という言葉どおり、日顕法主のウソと学会の真実が証明された2000年
であった。
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「芸者訴訟裁判」が最高裁で決着、日顕・宗門側の大敗北!
最高裁で宗門側の上告を棄却し、創価学会側の大勝利で決着した。
(この事件の経緯とその後の経過)
この事件は、平成二年末の日顕が池田名誉会長の「総講頭罷免」に端を発した問題で、学会と宗門のどちらが正しいのかという教義論争になっていったとき、学会は言い逃れの出来ない具体的な事実を示し、「宗門が絶対」とする日顕の実態が、いかに法主の資格など無い堕落した者であるかを明らかにする目的で行われたのが、いわゆる「芸者写真」を含む日顕の遊興報道だった。
「創価新報は平成4年5月6日付で、「中外日報」(同年4月15日付)にも掲載された、神奈川県湯河原市の高級旅館での日顕の豪遊を報じたのを皮切りに、同年9月2日付で静岡県伊豆長岡の超高級旅館での日顕の芸者同席の遊興を報道した。
これに対し、宗門は機関誌「妙観」(同年9月15日付)等を使い、奥湯河原の豪遊については、日顕はウーロン茶しか飲まず、旅行は親族が企画したささやかな静養などとウソを述べ、遊興の事実を否定。伊豆長岡の芸者宴席については、旅館の女将を登場させ、「うちで芸者を呼ばれたことなど、ただの一度も無いですよ」などと、ウソの証言をさせた。
そこで「創価新報」としては、日顕がしばしば芸者と酒宴をともにしていた事実を示し、日顕のウソを明らかにしようと同年11月4日付と18日付で「芸者写真報道」を行った。
これに対し、宗門は機関誌「慧妙」(平成5年1月15日付)で、「日顕は写真に写っている柄の袴は持っていない」「写真は首をすげ替えた合成、偽造である」などと言った。
しかし、この写真の撮影者である椎名住職が、この宴席の日時・場所を明らかにされ、本人である事がバレるや、遊興の事実について反論できなくなり、「大白法」は「今日、日本の社会においては、祝宴の席に芸者衆を呼び、舞踏等を干渉することは、社会的に認知された行為である」などといい、日顕の芸者同席は「一切衆生を平等に救済する、本宗の末法無戒の精神の、裏付けがあられた」などと開き直った。
宗門は、最初は「あれは猊下ではない、偽造だ」言っていたのを、創価新報が場所や料亭を特定するのは料亭に迷惑がかかるとして(写真も目隠しを含め背景を変えて一部修正した写真を載せてことにイチャモンを付け、「偽造は偽造」などと譲らなかった。
東京地裁はこうした経緯を無視し、新報の報道・表現の関連性だけに限定し、「具体的な事実を適示しないで人心攻撃に及んだ」などとして、学会に賠償を認めた。不当判決に学会は控訴した。
東京高裁は、日顕の法主としての資質を問いただした「芸者写真」報道は、日顕の芸者遊興の事実こそが問題の本質であることを鋭く見抜いた。そして、平成12年12月5日「阿部日顕個人を弾劾する事が、被控訴人日蓮正宗及び大石寺を信徒として非難する事には必ずしもならないというべきである」として、一審の判決を取り消し、宗門側の請求をすべて退けた。
そして今回(平成16年2月24日)最高裁は宗門側の上告を棄却し、高裁の判決が確定。裁判は宗門側の全面敗訴で決着した。