まず、本件第一記事<シアトル事件を報じた平成四年六月十七日付け創価新報をはじめ、同年八月に至る聖教新聞、創価新報の同事件に関する計八件の記事のこと=編集部注>及び本件スピーチ等(四)(以下、これらを会わせて「本件第一記事等」という。)において摘示された事実が、公共の利害に関する事実かどうかについて検討する。
前記のとおり、本件第一記事等は、阿部は、昭和三八年三月、原告日蓮正宗の教学部長として、アメリカ合衆国へ第一回海外出張御授戒に行った際、同月一九日から二〇日にかけての深夜、シアトルにおいて、売春婦に対しヌード写真を撮らせてくれるように頼み、売春婦と性行為を行った後、その料金をめぐって売春婦らとトラブルを起こし、警察沙汰になったという事実を摘示するものであると認めることができるところ、前記のとおり、本件第一記事等において、右トラブルは、阿部が、昭和三八年三月、原告日蓮正宗の教学部長として、アメリカ合衆国へ原告日蓮正宗の第一回海外出張御授戒に行った際、深夜のシアトルで起こった出来事として記載されていること、阿部は、本件第一記事等の報道等の当時、原告らの代表役員であり、かつ、原告日蓮正宗の法主であって、原告日蓮正宗の全僧俗から優れて高い尊崇を受け、特別な権能と権威を有する最高位聖職者とされ、信仰の中心ないし宗教上の最高指導者であるとされていること等の諸事情からすれば、右摘示事実は、阿部の原告らの宗教上の最高指導者としての適正を判断するための一資料として、公共の利害に関する事実にあたるというべきである。
この点、原告らは、本件第一記事等で摘示された事実は、昭和三八年三月に起こったとされる事件であり、本件第一記事等が報道された平成四年ないし五年から見れば、約三〇年も前の出来事であり、かつ、阿部の執務外に起こった私事であるから、公共の利害に関する事実にはあたらない旨主張する。
しかし、前記のとおり、本件事件は、阿部が原告日蓮正宗の教学部長として原告日蓮正宗の第一回海外出張御授戒の際に起こった事件であり、しかも、阿部は、原告日蓮正宗の信仰の中心者であって、その最高指導者であるところ、本件事件の有無は、その最高指導者としての適性の有無に密接に関連するということができるし、さらに、証拠によれば、阿部自身、本件事件が真実であれば直ちに法主を辞めると述べていること、原告日蓮正宗の僧侶の中にも、本件事件が真実であれば僧侶を辞めると述べているものもあることが認められること等の事情からすれば、本件事件は約三〇年前の事件であっても、公共の利害に関する事実にあたるというべきである。
したがって、原告らの前記主張は採用することができない。
(1)右(一)のとおり、阿部は、原告日蓮正宗の法主であって、原告日蓮正宗の全僧俗から優れて高い尊崇を受け、特別な権能と権威を有する最高位聖職者とされており、本件第一記事等で摘示された事実は、阿部の原告らの宗教上の最高指導者としての適性を判断するための一資料となると認められる上、証拠及び弁論の全趣旨によれば、被告創価学会は、阿部が売春婦とトラブルを起こしたという本件事件は、阿部の宗教者としての適格性及び法主としての資格などを判断する上で、極めて重要なものであると考え、阿部が法主、聖職者及び信仰者として失格であることを明らかにするために、本件第一記事等の報道を行ったこと、被告池田も、同様目的で、本件スピーチ等(四)を行ったことが認められ、したがって、本件第一記事等の報道等は、専ら公益を図る目的に出たものというべきである。
(2)この点、原告らは、本件第一記事等は何ら根拠のないクロウの供述をそのまま報道等したものであり、真摯な事実調査に欠け、公益目的はない旨主張する。
しかし、前記第二、一争いのない事実等、証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
<取材の経緯についての事実は省略=編集部注>
以上によれば、被告らは、本件第一記事等の報道などを行う際、本件事件についてクロウから供述を得た上、その供述について裏付け取材等を行ったということができ、したがって、真摯な事実調査に欠けるので公益目的がない旨の原告らの前記主張は採用することができない。
(3)また、原告らは、本件第一記事の報道は下品で侮辱的な言辞による人身攻撃に満ちており、加害目的をもってされたものであるから、公益目的はない旨主張する。
しかし、証拠及び弁論の全趣旨によれば、被告創価学会は、一般的に宗教論争は激しい表現を用いて応酬されるものであり、特に、紙面で取り扱う内容が宗開両祖の教えないし日蓮正宗の教義にかかわり、いずれが正でいずれが邪であるかを厳然と主張すべき宗教論争のような場合には、その表現は厳しくなり、その中でも聖職者の堕落を批判する言論については、信仰心からほとばしり出た批判ないし怒りの言論となることから、その表現が痛烈になるものであると認識していたところ、本件事件、すなわち阿部がシアトルで売春婦と金銭トラブルを起こしたことについての本件第一記事の報道は、信徒の側から行われた阿部が法主、聖職者及び信仰者として失格である旨の信仰上の批判であり、このような批判において厳しい表現方法を用いることは、そもそも、僧侶の堕落を痛烈に批判した日蓮正宗の宗祖日蓮大聖人、開祖日興上人の教え及び精神に適うものと判断して、本件第一記事において「大破廉恥行為」等の表現方法を用いたことが認められる。
また、証拠によれば、原告日蓮正宗側も、「妙観」、「慧妙」等において、
<「妙観」「慧妙」が下品かつ侮辱的な表現で学会を批判している報道例は省略=編集部注>
などの表現方法を用いて、被告らを批判していることが認められ(なお、このことからも、原告らと被告らは、互いに、相手方の最高指導者を批判することにより、自己及び相手方の正当性等について論争していることが窺え、宗教論争であるとの被告らの認識が裏付けられるというべきである。)、したがって、論争の一方当事者である被告創価学会の本件第一記事における表現方法をもって、公益目的を欠くということはできず、前記主張は採用することができない。
(1)真実性の立証対象について=省略(四)そうすると、本件第一記事及び本件スピーチ等(四)の報道は、公共の利害に関する事実に係り、その目的は専ら公益を図ることにあり、摘示事実は真実であると認められるので、右報道は違法性がないというべきである。
(2)当裁判所の認定事実
証拠によれば、以下の事実が認められる。
(ア)御授戒とは、新入信者が、原告日蓮正宗の信者となるための儀式のことをいい、原則として、原告日蓮正宗の寺院で行われるが、そのうち、出張御授戒とは、原告日蓮正宗の僧侶が寺院のない地域に出向き、会員の家などで行われる御授戒のことをいう。(3)クロウの証言の信用性について
アメリカでも、出張御授戒を行ってほしいとの要望が強まってきたため、昭和三八年三月一六日から三〇日にかけて、原告日蓮正宗の第一回海外出張御授戒がアメリカで行われた。
右出張御授戒には、当時、原告日蓮正宗の教学部長であった阿部と、当時妙海寺住職であった大村が派遣され、阿部及び大村は、同月一六日、日本を出発し、ハワイ及びロサンゼルスで御授戒を行った後、二手に分かれ、阿部がシアトル、シカゴなど北回りで、大村がコロラドなど南回りで御授戒を行い、最後にニューヨークで合流することとなっていた。(イ)出張御授戒のための運営は全てアメリカの被告創価学会が行うこととなったが、クロウは、当時、被告創価学会のシアトル支部長であり、シアトルでの出張御授戒について責任を持つとともに、シアトルの次に御授戒が行われるシカゴまで阿部と同行し、シカゴでの御授戒の運営を手伝うこととなっていた。
また、ウィリアムスは、当時、被告創価学会の北アメリカの総支部長であり、大村の南回りの御授戒に同行することとなっていた。(ウ)阿部は、大村と別れて、ロサンゼルスを出発した後、同月一九日正午過ぎころ、シアトルの空港に到着した。
その後、阿部は、クロウらと共に、車でシアトル市のダウンタウンにある宿舎であるオリンピックホテルへ行き、荷物をおいた後、クロウらと共に、御授戒の会場であるカワダ宅へ行った。
カワダは、当時、被告創価学会のシアトル支部婦人部長であった。(エ)阿部とクロウらは、カワダ宅に到着し、阿部は、背広から法衣に着替え、その後、夕方から、合計九八名に対し、御授戒を行った。
御授戒は、同日午後八時ないし九時までの間に、終了した。(オ)クロウは、翌日阿部をホテルに迎えに行ってシカゴまで同行しなければならなかったところ、クロウの自宅はホテルから遠く不便であったため、その日は、カワダ宅に泊まることになっていた。そこで、クロウは、御授戒終了後、阿部に対し、「私は今晩は自宅に帰らないでここにいます。」と述べ、さらに、阿部がクロウに対し何か用事があるときに備えて、小さいメモ用紙に「CLOW」と書き、その上にカタカナでクロウとふりがなを付した上、カワダ宅の電話番号を書いて渡した。
阿部は、これを受け取り、クロウに対し、「クロウさんは本当に何から何までよく気がついて。」と述べた。
また、クロウは、その際、阿部に対し、翌朝の朝食をどうするか尋ねたところ、阿部は、「さっきのご飯がおいしかった。」と答えたので、クロウは、翌朝、ホテルに日本食を届けることになった。(カ)その後、クロウは、運転手らと共に、阿部を、宿舎であるオリンピックホテルまで送った。
クロウや阿部らは、同日午後一〇時ころ、同ホテルに到着し、クロウは、阿部と共に、阿部の部屋まで行き、お湯を入れたポット、急須、湯飲み、お茶及びお菓子などを部屋に置き、お茶を入れることができる準備をした後、「お休みなさい。」と挨拶をして部屋を出た。
その後、クロウらは、カワダ宅へ帰り、カワダらと打ち合わせなどを行い、一段落した後、腰を伸ばすため、床の絨毯の上に横になった。(キ)一方、阿部は、オリンピックホテルに帰った後、間もなく、一人で外出し、明フラワーホテル内にあるカルーセルルームに入り、飲酒をした。カルーセルルームのウェイトレスは、肩や太ももを露出した水着スタイルの服を着て働いており、また、当時、カルーセルルームには、売春婦が来ることがあった。
(ク)阿部は、カルーセルルームを出た後、セブンスアベニューとパイク通りの交差点の南東角にあるマッケイ・アパートメント又はその付近にあるホテル等において、売春婦に対し、ヌード写真を撮らせてくれるように頼み、売春婦と性行為を行った。なお、マッケイ・アパートメントは、当時、売春婦が売春をするために利用するホテルとして知られていた。
その後、阿部は、よく二〇日午前二時ころ、セブンスアベニューとパイク通りの交差点の南東角の路上付近において、売春婦らと、右ヌード写真ないし性行為の料金の支払いについて、トラブルになった。(ケ)シアトル市警察署のスプリンクルは、バーナード・ビクター・メイリーと共に、パトカーに乗って、パトロール中、セブンスアベニューとパイク通りの南東角の路上において、売春婦らが、マッケイ・アパートメントを後ろにして立つ阿部に対し、手を振り回すなどして、激しい口調で迫っているのを発見した。
なお、セブンスアベニューとパイク通りの交差点付近は、当時、売春婦がたむろするような場所であった。
そこで、スプリンクルとメイリーは、パトカーから降り、阿部と話をしようとしたが、言葉が通じなかったため話すことができなかった。また、売春婦らは、阿部に対し、あなたは私に払わなければならないなどと大声で叫んでおり、スプリンクル又はメイリーは、売春婦らから、阿部とのトラブルは、ヌード写真撮影ないし性行為の料金に関するものである旨聞いた。
阿部が、スプリンクルらに対し、クロウから渡されていたカワダ宅の電話番号が書かれてあるメモを差し出したので、スプリンクルは、メイリーと相談して、そこに書かれている電話番号に電話をすることとした。
スプリンクルは、阿部をパトカーに乗せ、売春婦らに対し、その場から立ち去るように言った。スプリンクルは、パトカーを八番通りとパイク通りの交差点の南西に移動し、ラリーズ・グリーンランド・カフェの前に停めた。(コ)スプリンクルは、パトカーから降り、右カフェに入り、カワダ宅へ電話をした。
クロウは、右(カ)のとおり、床の上に横になっていたが、電話が鳴ったので、電話に出たところ、その電話はスプリンクルからであった。
スプリンクルは、クロウに対し、「こちらはシアトル市警察の者だが、日本人の男性で英語のわからない人があなたの電話番号を書いたメモを持っていたので、電話をした。その日本人男性は、売春宿の前で売春婦とトラブルを起こしているが、英語がわからなくて要領を得ないので、セブンスアベニューの現場まで来てほしい。」旨述べた。
クロウは、スプリンクルから、現場の場所を聞き、すぐに行く旨述べて、電話を切った。クロウは、セブンスアベニューは、昼間から売春婦がたむろしている場所であったため驚き、カワダに対しては、阿部がホテルから外に出て道に迷ったようだから行って来る旨だけ述べて、車で右現場に向けて出発した。
クロウは、ボーレン通りを北へ向かい、パイン通りに出たところで左折し、さらに、セブンスアベニューにでたところで左折し、パイク通りに出たところで左折したところ、パトカーが停まっているのが見えたので、停止した。(サ)スプリンクル又はメイリーは、車を降りてきたクロウに対し、阿部が売春婦らに対しお金を払うからヌード写真を撮らせてくれるように頼み売春婦らと共に部屋に入ったことをジェスチャーを交えて述べた。また、スプリンクル又はメイリーは、クロウに対し、阿部が売春婦らと部屋にいたこと、阿部と売春婦らとのトラブルは金銭上のトラブルであることを説明した。
そして、スプリンクル又はメイリーは、クロウに対し、阿部と共に警察署まで来てほしい旨頼んだが、クロウは、阿部が警察署に連れて行かれるのを阻止するために、阿部が日本の僧侶を代表してアメリカに来た人であることなどを説明したところ、スプリンクル又はメイリーは、クロウに対し、阿部の身元を保証するための書類を作成するために警察署に来るように言い、クロウが阿部の身元を保証し、警察に出頭する旨書かれた書面に署名するように求め、阿部の名前を聞いた。これに対し、クロウは、「ノブオ・アベ」と言って、そのスペルを述べ、さらに、右書面にクロウの名前を署名した。(シ)その後、クロウは、自分の車の助手席に阿部を乗せて、オリンピックホテルへ向かった。阿部は、車の中で、クロウに対し、礼を述べた。クロウは、阿部に対し、阿部をホテルまで送った後に警察署へ出頭して書類を作成することになっている旨説明するとともに、一体どうしたのかと尋ねた。
阿部は道に迷った旨答えたが、クロウが、さらに、女性とは何があったかについて尋ねたところ、阿部はこれには答えずに無言だった。(ス)クロウは、阿部をオリンピックホテルに送り届けた後、阿部に対し、部屋から出ないように念を押して、シアトル市警察署へ向かった。
クロウは、同日午前3時ころ、シアトル市警察署に到着し、スプリンクル及びメイリーと、その上司二人がいる部屋に入り、警察の要請に応じて出頭した旨書かれてある書類に署名した。また、スプリンクル又はメイリーは、クロウに対し、阿部は、売春婦との性行為を終えており、その料金について売春婦とトラブルになったことを説明した。また、クロウは、ヌード写真撮影や売春婦との金銭トラブルについて書かれてある書類にも署名した。(セ)クロウは、同日午前4時ころ、警察署を出て、カワダ宅へ戻った。クロウは、カワダに対しては、阿部が道に迷ったと話した。
クロウらは、同日朝、オリンピックホテルの阿部の部屋に行き、朝食を届けたが、その際、クロウは、阿部に対し、耳元で、警察で全部済ませてきた旨を伝えた。すると、阿部は、無言で深く頭を下げた。
その後、クロウらは、阿部と共に、オリンピックホテルを出て、シカゴへ行くためにシアトル空港へ向かった。
(ア)供述の動機等(4)スプリンクルの証言の信用性について
前記認定事実及び証拠(証人クロウ)によれば、クロウは、昭和三七年一二月、夫を失い、生まれたばかりの長男と幼い長女をかかえながら、シアトル支部の責任者として、無事故で記念すべき第一回海外出張御授戒を遂行したいとの思いで一杯であったこと、その記念すべき御授戒の際、原告日蓮正宗の教学部長である阿部が本件事件を起こしたことについて非常に大きな衝撃を受け、誰かに本件事件について話すべきかどうか悩んだが、本件事件は歴史的な第一回出張御授戒の際に起こったことであり、もし、本件事件が公になれば、一大汚点を残し、原告日蓮正宗及び被告創価学会に傷がつくところ、日蓮正宗の信徒としては、なんとしても原告日蓮正宗を守り抜くように教えられていたので、阿部の将来のことも考え、本件事件について口外しないと決めたこと、しかし、クロウは、その後、法主としての権威を振りかざし、被告創価学会を破門した阿部の現在の姿を思うにつけ、本件事件について沈黙していることは誤りではないかと思い悩むようになり、阿部の真実の姿を明らかにすることこそ、信徒としての自分の使命ではないかと考えるようになっていたところ、平成四年五月、横田<当時、聖教新聞ロサンゼルス特派員=編集部注>からの取材の申し込みを機会に本件事件について話したことが認められる。
右認定事実によれば、クロウが、本件事件について話すことにした動機は自然であるというべきである。
また、右認定事実によれば、クロウは、記念すべき第一回海外出張御授戒を無事に遂行したいと強く思っていたところ、阿部が本件事件を起こしたことにより、非常に大きな衝撃を受けたものであって、本件事件は、クロウにとって、非常に印象的かつ衝撃的な事件であるということができ、したがって、クロウが、昭和三八年三月に発生した本件事件を、平成四年五月に横田に話すまで、又は本件において証人として証言するまで、具体的な事実に着いてまで詳細に記憶していたことは、何ら不自然ではなく、合理的な理由があるというべきである。(イ)証言内容の具体性等
クロウは、証人尋問において、第一回海外出張御授戒の様子、阿部にカワダ宅の電話番号が書かれたメモを渡した状況、御授戒終了後に阿部にオリンピックホテルに送りカワダ宅に戻って懇談をしたときの状況、警察官から電話がかかってきた状況、本件事件の現場に行くまでの状況、現場での警察官らや阿部の様子、警察官らとのやり取り、阿部を解放してもらいオリンピックホテルに送っているときの状況、その際の警察官らとのやり取りなどを詳細かつ具体的に証言しているものであり、その内容は迫真性に富んでおり、実際に経験したものでなければ語ることのできないものであるということができるし、供述内容は終始一貫しており、特段の矛盾や変遷等はないということができる。(ウ)証言と客観的状況との一致
証拠によれば、クロウが証言するところの警察官から電話を受け本件事件の現場に行く際に通った道路の状況は、昭和三八年三月当時の道路の客観的状況ないし地図と一致していると認められる。この点、原告らは、当時、高速道路の工事中であって、クロウが証言するような行き方では本件事件の現場に到着することができないかのような証拠を提出するが、右各証拠に照らし、信用することができない。
また、クロウの証言は、セブンスアベニューとパイク通りの交差点付近は、当時、売春婦がたむろするような場所であったという客観的状況にも一致するものであるというべきである。この点、原告らは、右交差点付近は、当時、売春婦がたむろするような場所ではなかったと主張し、これに沿うかのような証拠を提出するが、前記に掲記した証拠に照らし、信用することができない。(エ)証言の裏付け
クロウの証言は、後記のとおり、本件事件の現場に立ち会った警察官であるスプリンクル及びメイリーの供述によって裏付けられるということができる(なお、証人スプリンクルは、クロウに対し、阿部が売春婦にヌード写真を撮らせてくれるように頼んだと言ったことを否定する旨の証言をしているが、この点に関しては、後記のとおり、クロウの証言の方が信用性が高いというべきである。)。
また、カワダは、宣誓供述書において、御授戒が行われた日の夜中に、クロウが一人で外出したこと、クロウは帰ってきた後に「御尊師が道に迷われてねえ。」と話していたこと、翌朝、阿部の朝食を準備しているとき、クロウがジャーに味噌汁を入れていたことを供述しており、この供述も、クロウの証言を裏付けるものであるということができる。
さらに、クロウの陳述書には、シカゴで、ウィリアムスから電話があり、その際、同人に対し、阿部がシアトルで道に迷った旨話したとの陳述記載があるが、ウィリアムスは、宣誓供述書において、シカゴにいるクロウに電話をして、その際、クロウから阿部がシアトルで道に迷った旨聞いたと供述をしている。したがって、ウィリアムスの右供述は、クロウの陳述書における右陳述記載を裏付けると共に、後記の阿部の供述の信用性を減殺するものであるということができる。
なお、原告らは、ウィリアムスが阿部と別れて同人の様子を初めて聞いたのはリーブマン支部長からであり、その前にクロウからは聞いていないと主張して、それに沿うかのような証拠を提出するが、ウィリアムスの宣誓供述書によれば、ウィリアムスは、阿部がシアトルで道に迷ったことについては新聞記事にするのがふさわしくないと考えたので、そのことについては話さなかっただけであることが認められ、原告らの提出する右証拠は、クロウの陳述書における右陳述記載及びウィリアムスの右供述の信用性を減殺するに足りないというべきである。(オ)重要部分につき反対尋問を受けていないことについて
なお、原告らは、クロウは、証人として、平成七年一〇月二日及び九日の本件口頭弁論期日において、主尋問を受け、平成八年二月七日の本件口頭弁論期日において、経歴及び導入部分についての反対尋問を受けたのみで、同年四月以降に予定されていた本格的な反対尋問を受ける前に、同年三月二三日、死亡したため、クロウの証言の信用性は乏しい旨主張する。
しかし、クロウの証言及び同人作成の陳述書は、本件事件の重要な部分について反対尋問を受けていないことを考慮しても、前記の事情に照らし、その信用性は高いというべきである。(カ)以上によれば、クロウの証言の信用性は高いというべきである。
(ア)スプリンクル発見の経緯及び供述の動機等
証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(あ)本件第一記事の報道がされた当時、本件事件に立ち会っていた二人の警察官は発見されていなかった。クロウは、平成四年九月、アメリカにおいて、原告らに対し、名誉毀損の裁判を提起し、その手続きをラングバーグ弁護士に依頼していたが、ラングバーグ弁護士は、その一環として、本件事件関係の調査活動を行っており、パラディノ・アンド・サザランド調査事務所を雇っていた。同事務所は、ポール・パラディノに右調査を依頼した。
ポールらは、本件事件を処理した警察官を発見するため、警察の名簿等を調査、検討すると共に、シアトル警察の警察官組合が発行する月刊誌である「ザ・ガーディアン」に広告を掲載するなどした。なお、スプリンクルは、右「ザ・ガーディアン」を購読していなかった。
また、ポールは、一九六〇年代にシアトル警察に所属していた一〇〇名以上の現役及び退職した警察官を見つけ出し、事情聴取を行ったところ、本件事件が起きた地域を担当していたのは、パトカー一二三号であることが判明した。さらに、ポールは、昭和三八年春ころパトカー一二三号に配属されていたのはスプリンクルかもしれないとの情報を得た。(い)そこで、ポールは、平成五年七月六日、スプリンクルに電話をして、同人に対し、昭和三八年にセブンスアベニューとパイク通りの交差点付近で発生した頭のはげたアジア人の男性と何人かの売春婦との間の口論を処理したシアトル警察の警察官を探していると説明した。
これに対し、スプリンクルは、その事件を記憶していること、その男は英語を話すことができず、女達には立ち去るように言ったこと、その事件はラリーズ・グリーンランド・カフェの側で発生したこと、その男は英語を話すことができなかったためそのアジア人を知っている人に電話をしなければならなかったことについて話した。そして、スプリンクルは、その事件についてそれ以上話したくはないこと、訴訟に関わり合いになりたくないことなどを述べた。
しかし、スプリンクルは、その後、ラングバーグ弁護士から説明を受け、クロウが真実を証明するためにスプリンクルを必要としていること、クロウの名誉を回復することが重要であることを理解し、本件事件について証言することを決意した。
(う)以上によれば、スプリンクルを発見した経緯及び同人が本件事件について供述するに至った動機は、自然であるということができる。
また、本件事件について話すことを躊躇していたなどの当初のスプリンクルの供述態度からしてもスプリンクルは、自らの記憶のとおり証言ないし供述していることが窺えるというべきである。(イ)スプリンクルが本件事件について証言していること
(あ)証人スプリンクルは、男性の特徴として、背の高さは相対的に背の高くなく、ダークスーツ及び黒又は濃い灰色のコートを着て、ダークの帽子をかぶり、眼鏡を着用し、頭は剃っているか短く切っていたと証言しているところ、証拠によれば、スプリンクルが証言する男性の特徴は、第一回海外出張御授戒の阿部の特徴とほぼ一致すると認めることができる。
(い)また、証人スプリンクルは、セブンスアベニューとパイク通りの交差点である本件事件の現場で、昭和三八年三月の午前二時ころ、クロウと会ったと証言し、証人クロウは、同月二〇日午前二時ころ、警察官から電話があり、その後、一〇分後くらいに右交差点にある本件事件の現場に到着した旨証言しており、証人スプリンクルの証言する場所及び午前二時ころという時刻は、クロウの供述とほぼ一致しているということができる。
(う)また、証人スプリンクルの証言によれば、同人は、平成七年三月上旬ころ、本件事件後初めてクロウと再会したとき、クロウが本件事件の際にあった女性であるとすぐに認識することができたと認められる。
(え)以上によれば、証人スプリンクルが証言しているのは本件事件についてであり、また、売春婦らとトラブルを起こしたとされる男性は阿部を指しているということができる。(ウ)スプリンクルの記憶等
また、証拠によれば、スプリンクルは、パイク通りの地域で身なりの良い東洋人を見ることや日本人男性が関係する事件は珍しかったため、本件事件を覚えていることが認められれ、したがって、スプリンクルが昭和三八年三月当時の本件事件について記憶していたことは何ら不自然ではなく、合理的な理由があるというべきである。そして、そのことは、スプリンクルが、アメリカでのデポジションにおいて、本件事件が起こった現場で、午前二時ころに、日本人又は東洋系の男性を見るのは通常のことではなかったこと、しかもその男性は壁を背にして、売春婦らが腕を振り回しながら立っており、男性は完全に恐れおののいており、男性の手には負えない状況であったことが滑稽に思えたことについて供述していることからも裏付けることができるというべきである。
もっとも、証人スプリンクルは、売春婦らは、阿部に対し、提供されたサービスに対して支払いがされていないことに関して大声で話していたことは覚えているが、売春婦らや阿部の具体的な発言内容等は覚えていない旨証言する。
しかし、前記認定事実に照らして考えると、スプリンクルは、売春婦らに迫られていたのが日本人の男性であり珍しかったこともあって、提供されたサービスに対して支払いがされていないことに関して口論していたという結論だけは印象に残り覚えていたが、具体的な発言などの詳細については昭和三八年三月の出来事であり、かつ、通常のパトロール時に遭遇した事件であったため、記憶に残っていないというものであって、右証言内容は、何ら不自然なものであるということはできない。(エ)クロウの証言との不一致等について
また、スプリンクルは、証人尋問及びアメリカにおけるデポジションにおいて、阿部が売春婦らに対しヌード写真を撮影させてくれるように頼んだことについて特に明確な供述をせず、また、クロウに警察署に出頭するように言ったこと、書類等を作成したことについても記憶がない旨供述しており、この点、クロウの証言と合致しないようにも思える。
しかし、右のとおり、スプリンクルが、右のような具体的なやり取りまで詳細に覚えていないことは何ら不自然ではなく、提供されたサービスに対して支払いがされていていないことに関する口論であったという結論だけが記憶に残り、ヌード写真撮影の点については記憶に残らなかったのも十分理解することができるところである。また、特に、書類等の作成などの警察事務における手続きについては、警察官であったスプリンクルが日常業務の中で数多く行っていると考えられ、この点について明確な記憶がないのは自然であるということができる。
したがって、スプリンクルが右の点について記憶がない旨供述しているという事情をもって、同人の供述の信用性が低いということはできず、逆に、自然なこととして、その信用性を高めるものであるというべきである。
むしろ、本件事件の起こった時刻、場所、電話をかけたときの状況、売春婦らが二名又は三名という複数であったこと、提供されたサービスに対する料金に関するトラブルであったこと等、主要な部分については、スプリンクルの証言は、クロウの証言と一致しており、信用性が高いというべきである。
なお、本件事件における具体的な状況(阿部が売春婦に対しヌード写真を撮らせてくれるように頼んだことも含む。)については、前記のとおり、本件事件によって大きな衝撃を受けたことから具体的な言動等の詳細な部分まで記憶していたクロウの証言によって認定することができるというべきである。(オ)マリオンの供述による裏付け
エドウィン・カーティス・マリオンは、宣誓供述書において、一九六二年一二月に警ら隊に配属されてから数ヶ月後、スプリンクルから、複数の売春婦と仏教の僧侶がお金のことで喧嘩になったという事件のことを聞いた旨供述しており、スプリンクルの証言は、マリオンの右供述からも裏付けられる。
(カ)以上によれば、スプリンクルの証言の信用性は高いというべきである。
なお、原告らは、スプリンクルは昭和三七年一〇月三〇日から昭和三八年五月六日まで、軍務休職中であり、同年三月に起こったとされる本件事件の現場にはいなかったと主張し、これに沿うかのような証拠を提出する。
しかし、証拠によれば、スプリンクルは、同月当時、軍務休職中であり、予備役として、ワシントン州のペインフィールド基地に配属されていたが、勤務時間に任務に就くとき以外は、基地にいることは義務づけられておらず、予備役兵の多くは軍務以外の仕事をしていたこと、スプリンクルも予備役の給料が低く、シアトル市警察の警察官として現場に戻りたかったことから、本件事件当時には、シアトル市警察のパトロール部門を担当させてもらっていたことが認められるほか、前記で認定した事実及びスプリンクルの証言の信用性が高いこと等の事情に照らし、原告らの右主張は採用することができず、軍務休職中であったという一事をもって、スプリンクルが本件事件の現場にいなかったということはできない。
(5)メイリー供述の信用性について
(ア)メイリー発見の経緯等証拠によれば、スプリンクルとパラディノ・アンド・サザランド調査事務所の私的調査員であるメレディス・ブルベックと共に、平成七年初めに、本件事件当時、スプリンクルと一緒に働いていた記憶のある者をリストアップし、順次、電話をかけていったところ、同年五月、メイリーに電話が通じ、スプリンクルが、メイリーに対し、一九六三年(昭和三八年)に、東洋人男性が関わった事件に関しスプリンクル共に仕事したことを記憶していないかどうか尋ねたところ、メイリーは記憶している旨答えたことが認められ、したがって、メイリーを発見するに至った経緯は自然であるということができる。
(イ)メイリー本件事件について供述していること
メイリーは、本件事件の男性の特徴として、よい服を着て、オーバーを羽織っており、紙を非常に短く切っていた旨供述するが、前記のとおり、メイリーが供述する男性の特徴は、第一回海外出張御授戒当時の阿部の特徴とほぼ一致すると認めることができる。
また、メイリーは、本件事件の現場についてセブンスアベニューとパイク通りの交差点であり、本件事件発生の時刻は午前一時以降であると供述しており、これは前記のとおり、クロウ及びスプリンクルの証言とほぼ一致するところである。
さらに、メイリーの供述によれば、メイリーは、平成七年九月、本件事件後初めてクロウと再会したとき、クロウが本件事件の際に会った女性であるとすぐにわかったことが認められる。
以上によれば、メイリーが供述しているのは本件事件についてであり、また、売春婦とトラブルを起こしたと供述する男性は阿部を指すということができる。(ウ)メイリーの記憶等
また、証拠によれば、メイリーは、深夜にセブンスアベニューとパイク通りの交差点のような場所で東洋人の男性を発見するのは珍しかったため、本件事件を覚えていることが認められ、したがって、メイリーが昭和三八年三月当時の本件事件について記憶していることは何ら不自然ではなく、合理的な理由があるというべきである。
なお、メイリーも、ヌード写真撮影について特に明確な供述をせず、書類を作成したことについても覚えていない旨供述する。しかし、これは、前記のとおり、スプリンクルと同様、何ら不自然なものではない。(エ)クロウ及びスプリンクルの証言との一致
また、メイリーの供述は、本件の起こった時刻、場所、売春婦らが二名又は三名という複数であったこと等、主要な部分において、クロウ及びスプリンクルの証言と一致しており、信用性は高いというべきである。
(オ)以上によれば、メイリーの供述の信用性は高いというべきである。
(6)阿部の供述の信用性について
阿部は、本人尋問において、本件事件の存在を否定する旨の供述をするので、以下、阿部の右供述の信用性について検討する。
(ア)ホテルから一歩も出ていない旨の供述ないし主張の変遷
(あ)証拠及び弁論の全趣旨によれば、阿部は、平成4年八月二八日に総本山大講堂で行われた全国教師指導会などにおいて、シアトルのカワダ宅での御授戒が終了してホテルに戻った後は、翌朝までホテルから一歩も出ていない旨供述していたこと、当庁平成四年(ワ)第二一〇三二号謝罪広告等請求事件の平成五年六月二五日付け準備書面においても、シアトルでは宿泊したホテルから一歩も出ていない旨主張していること、原告ら訴訟代理人らも、平成六年五月二三日及び平成七年六月二六日の本件口頭弁論期日において、ホテルから一歩も出ていない旨述べていたことが認められる。
しかし、原告らは、平成七年九月二九日付準備書面において、阿部は、カワダ宅で挙行された御授戒を終了して、宿舎であるオリンピックホテルの自室に戻り、一人で散策して帰室し、午前一時には就寝して、以後、ホテルから外に一歩も出ないまま、翌朝午前一〇時に起床したと主張して、従来の阿部の供述ないし原告らの主張を変更するに至った。また、宗内各位宛の平成七年九月二九日付「お知らせ」と題する書面にも、同趣旨の内容が記載された。(い)この点、阿部は、本人尋問において、シアトルでの外出を認めるに至った理由につき、シカゴで外出したことについては、非常に印象が強かったため、ニューヨークで再会したウィリアムスに話をしたり、日本に帰国した後、僧侶仲間に話をしたりしたが、シアトルでの外出を失念し、手帳の存在さえ忘れていたが、平成七年三月、シアトルでの外出が記載されている手帳を発見し、シアトルで外出した記憶を喚起した旨供述する。
しかし、証拠によれば、平成四年六月一七日にすでに本件第一記事(一)において本件事件に関する報道がされていること、阿部は、右報道がされてから間もなく、本件第一記事(一)を読んでいること、原告日蓮正宗では、右報道に関する調査を行い、阿部も事情聴取を受けていることが認められるのであり、仮に、阿部が、右記事を読み、事情聴取を受けた際に、シアトルでの外出を思い出すのが通常であるというべきである。また、証拠によれば、実修時住職である細井琢道は、阿部に対し、平成四年一〇月一八日付「宗風刷新への進言」と題する書面を送付し、同書面には、「学会でいうところの『シアトル事件』についても、私は、猊下に言われているような売春行為があったかどうかについて、もとより知る立場にありませんが、猊下は帰国後、シアトルで夜外出し、酒を飲み、道に迷ったところを、現地の婦人部の人に助けられたと、他言されていたではありませんか。それにもかかわらず、猊下は『ホテルから一歩も出なかった』と強弁され、クロウ夫人を気違いよばわりされました。事実は事実として認められた上で、事実とは違っているところがあると、率直に対応されておられれば、私自身何の疑問も持たなかったと思います。猊下のこのような対応に、かえって私の胸の内に疑念が広がるのを禁じ得ません。実に残念でなりません。」と記載されていること、阿部は右書面を読んだことが認められ、このような書面を受領して読んだのであれば、シアトルで外出したことを思い出すのが通常であるというべきである。
したがって、手帳を発見して初めてシアトルで外出した記憶を喚起した旨の阿部の供述は不自然かつ不合理であり、信用することができない。
また、阿部は、シカゴで外出したことは非常に印象が強かった旨供述するが、証拠によれば、シカゴでの外出にいては手帳に記載がなく、逆にシアトルでの外出については手帳に記載があり、しかも、カルーセルルームの店の名前まで記載されていること、第一回海外出張御授戒において初めて飲酒のために外出したのはシカゴではなくシアトルであったことが認められ、以上の事実に照らすと、シアトルよりもシカゴで外出した方が非常に印象が強かったとの阿部の供述は合理的ではなく、不自然なものである。
さらに、阿部は、シアトルで外出したことについてはクロウ以外の者に対しては話さなかったと供述するが、証拠によれば、阿部は第一回海外出張御授戒において、ニューヨークでウィリアムスと合流した際、ウィリアムスに対し、シアトルで外出して飲酒し、道に迷ったがクロウに助けられた旨話したこと、ウィリアムスは、そのことを学会員の幹部や会員に何回か話したことが認められ、右細井作成の書面はこれを裏付けるものであるということができる(なお、右細井作成の書面は、阿部が、直接、細井に対し、シアトルで外出したことを話したことを推認させるものであるということもできる。)。
したがって、シアトルで外出したことについてクロウ以外の者に話さなかったとの阿部の供述部分も信用することができない。(う)以上によれば、阿部が、シアトルではホテルから一歩も出ていないとの供述を、シアトルで飲酒のため外出したとの供述に変更したことについては、何ら合理的な理由がなく、不自然であるということができる。
(イ)宿泊したホテルがオリンピックホテルである旨の供述ないし主張の変遷
(あ)原告らは、平成六年四月八日付準備書面において、本件第一記事について、シアトルを訪問し、宿舎であったオリンピックホテルにチェックインしたとの点以外は全て虚偽であると主張し、平成七年九月二九日付準備書面において、阿部は、カワダ宅で挙行された御授戒を終了して、宿舎であるオリンピックホテルの自室に戻り、一人で散策して帰室、午前一時には就寝し、以後、ホテルから外に一歩も出ないまま、午前一〇時に起床したと主張するなど、阿部がオリンピックホテルに宿泊したことを自ら主張して認めていた。
しかし、阿部は、平成九年一二月二二日の本件口頭弁論期日での本人尋問において、シアトルで宿泊したホテルはオリンピックホテルでなはいと供述し、原告らは平成一〇年六月三〇日付け準備書面において、従前の主張を撤回し、シアトルにおける宿泊先がオリンピックホテルであることを否認するに至った。(い)この点、阿部は、平成八年二月オリンピックホテルの写真を見せられて初めて、宿泊したホテルがオリンピックホテルではないとわかった旨供述する。
しかし、証拠によれば、最初に報道された本件第一記事(一)、すなわち平成四年六月一七日付創価新報の第一面には、「深夜、単身で抜け出したシアトルでの宿舎・オリンピックホテル」との記載がある上、オリンピックホテルの写真が掲載されており、右記事の報道後、間もなく、阿部はこれを見たことが認められ、したがって、阿部は、宿泊したホテルがオリンピックホテルでないというのであれば、本件訴訟の当初からその旨主張するのが通常であるというべきである。なお、この点について、本件第一記事は「全部インチキだと思っていました」。「全部嘘だと思っていましたから」、「それは全部創価学会側の発表をそのとおりこっちが信じちゃったわけです」などと曖昧かつ不合理な供述に終始する。
しかも、阿部は、本人尋問において、自分が宿泊したホテルの特徴について、二階か三階建てくらいの極めて小さな旅館といってもいいホテルであり、部屋は、入っていったところに日本式の畳のようなものも部分的に敷いてあるようなものであるなどと曖昧な供述をするのみである。(う)以上によれば、阿部は、本件訴訟の当初から、シアトルで宿泊したホテルはオリンピックホテルであることを自ら認識して、認めていたにもかかわらず、その後、本人尋問において、何ら合理的な理由がなく、シアトルで宿泊したホテルがオリンピックホテルであることを否定するに至ったというべきである。
(ウ)カルーセルルームに関する阿部の供述前記(2)認定事実及び証拠によれば、阿部が外出して飲酒した店はカルーセルルームであることが認められるにもかかわらず、阿部は、本人尋問において、原告ら訴訟代理人から、原告らが「手帳の記載の『ウィスキーを飲んだ家』と思われる店の存在」を立証趣旨として提出した甲第一六二号証を示されながら質問されたのに対し、「ちょっと違っていたような感じもございます。これだとは、はっきり言い切れません。」などと、カルーセルルームで飲酒したことを否定するかのような供述するが、その内容は極めて曖昧である。
また、阿部は、主尋問において、シアトルで飲酒した店の中の様子について、「明るく白いような感じで全体があったように思いますが、入ってすぐカウンターがあって、手前にもちろん腰掛けがあって、そこへ腰掛けて」などと供述していたが、肩や太ももを露出した女性が写っている写真が掲載されているカルーセルルームのパンフレットを示されながらの反対尋問においては、突如、「私の飲んだところは、こういうふうに中に入らなかったんです。」と中に入ったことを否定する供述を始め、さらに、右写真を拡大したものを示されながらの反対尋問においては、「店に入らなかったとさっきから言っております。」などと中に入ったことをことさらに強く否定する供述をするに至っており、供述内容が変遷しており、右変遷には何ら合理的な理由があるとは認められない。(エ)以上によれば、本件事件の存在を否定する旨の阿部の供述は、重要な点おいて、その内容が変遷しており、その変遷には何ら合理的な理由が認められず、また、供述内容も曖昧で不自然かつ不合理な点が多いというべきであり、前記クロウ、スプリンクル及びメイリーの供述(特に、クロウの供述)に比べて、阿部の右供述の信用性は著しく低いことは明らかである。
よって、阿部の供述は信用することができない。
(7)手帳について原告らは、阿部作成の手帳を提出し、その手帳には、「さあねよう 午后1時」(なお、午后1時については午前一時の誤記であるとする。)との記載があるから、本件事件が発生した午前二時に阿部は本件事件の現場にはいなかった旨主張する。
しかし、阿部は、右「午后1時」(午前一時)との記載について、外出から帰ってきて一旦眠ったが、夜中に一度目が覚めて、そのとき、右「午后1時」(午前一時)の記載の下にある「Mrsクロウ・ヒロエの例」とともに記載したものである旨供述していたが、反対尋問において、その点の記憶の有無について質問されると、はっきりしていないなどと供述するに至っているなど、右「午后1時」(午前一時)の記載についての阿部の供述は不自然かつ曖昧であり、信用することができず、したがって、手帳の右記載の正確性についても疑問があるというべきである。
以上によれば、手帳の「午后1時」(午前一時)の記載は信用することができず、同記載が存在することをもって、阿部が本件事件の現場にいなかったということはできない。
なお、原告らは、「午后1時」の文字が、裏面の記載よりも後に書かれたものとは認められず、「午后1時」の文字とその下側の文字は同じインクで記載されたものである旨の奥田豊作成の鑑定書ないし意見書を提出するが、右の諸事情及び証拠によれば、奥田豊作成の鑑定書ないし意見書は信用することができないというべきである。(8)以上によれば、阿部は、昭和三八年三月、原告日蓮正宗の教学部長として、アメリカ合衆国へ第一回海外出張御授戒に行った際、同月一九日から二〇日にかけての深夜、シアトルにおいて、売春婦に対し、ヌード写真を撮らせてくれるように頼んだこと、売春婦と性行為を行ったこと、その後、その料金をめぐって売春婦らとトラブルを起こし、警察沙汰になったことが認められる。
したがって、本件第一記事及び本件スピーチ等(四)(平成五年三月一三日の名誉会長のスピーチ=編集部注)において摘示された事実は真実であるというべきである。
1 争点(一)(本件第二記事の内容及びこの報道による原告ら及び阿部の名誉の毀損)について=省略2 争点(二)(本件第三記事が被告SGIの関与によるものかどうか、また、原告ら及び阿部の名誉を毀損するかどうか)について=省略
3 争点(三)(被告池田は、被告創価学会及び被告SGIによる名誉毀損行為を指導したかどうか)について=省略
4 争点(四)(被告らが、原告らの教団運営権に対し不当な支配介入を行ったかどうか)について=省略
5 争点(六)(真実性及び相当性の抗弁の成否)について=省略
本件第二記事の報道は、公益の利害に関する事実に係り、その目的は専ら公益を図ることにあり、摘示事実は真実であると認められるので、右報道には違法性がないというべきである。
5 したがって、原告らの乙事件及び丙事件の請求はいずれも理由がない。
以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。