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日蓮正宗ウソ語録掲示板

 

ウソ語録

1 僧侶の妻帯  日興上人遺誡置文注釈

「先師の如く予が化儀も聖僧為るべし」

日興上人の御振舞、御化導は、その生涯を通じて本門の大戒、妙法の金剛宝器戒、そして大聖人の教導、流儀を犯すことはなかったのである。本宗の僧侶は此の御教示に随い、大聖人の御義、富士の清流を汚すことなく、らん惰懈怠を排し、正法広布に燃えたつ清僧であるべきである。
天台の余流を扱んだり、俗習、俗塵に毒されてはならないのである。
また今日の本宗の僧侶が日常の生活においても、正宗僧侶としての襟度を堅持すべきことは当然であるが、ここに仰せられる「聖僧」とは、正法の正義、正しき信仰、化儀に対する聖僧、出家の意であって、いわゆる妻子を帯せず魚鳥を食せずという類いの小乗の五戒、十善戒を守る聖僧の意ではないと思う。
大聖人の御指南によれば、謗法雑濫による神仏の混交以上の邪姪はなく、仏の本意を失い、化導の本旨を殺す以上の殺生はない。
「聖僧」もいわゆる身の精進潔斎の僧よりも、法の純一無雑の出家こそ、その第一義でなければならない。

破折

日蓮大聖人は四恩抄に「日蓮はさせる妻子も帯せず魚鳥をも服せず」と仰せであり、現に、日蓮正宗も明治以前は歴代の法主並びに僧侶は皆、妻帯、肉食を拒否してきたではないか。だから僧侶は、在家から出家した人だけで構成されていた。ところが明治に入り、政府の政策により明治五年に出された政府の通達、「自今僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事」が布告されるや、僧侶は先を争って妻を迎え、肉を食らったのある。こうした歴史的事実に目をつぶって、或いはフタをして、信徒をだますのは、もういいかげんにされたらどうか。「いわゆる妻子を帯せず魚鳥を食せずという類いの小乗の五戒、十善戒を守る聖僧の意ではないと思う。」とは何たる開き直りか、宗開両祖の顔に泥を塗って、まったく恥じない輩の言葉である。

 

bQ 59世  堀 日亨上人のご指南と現今の妻帯僧侶に対する破折

開山上人がこの法度に「先師の如く聖僧たるべし」と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埒破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埒を誠めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の在家同然の僧行を認めたものでない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。(富士日興上人詳伝 437頁  堀 日亨上人著)

 

この件についての当会の結論

日蓮正宗の御僧侶各位、並びに日顕上人、あなた方は今日までの明治以降の流れを引き継ぐ中で、以下の間違いを犯しています。それを指摘しておきます。

1 まず、あなた方が僧侶であることは認めますが、出家でないことを認識すべきです。多少の例外はあるかも知れませんし、あってほしいのですが、あなた方はほとんどが妻帯し家庭を持っておられます。これこそ、あなた方が出家でない動かぬ証拠です。「在家僧」とお呼びするのが一番適切かと思います。よって、妻帯し子供を持っておられる方々には出家の功徳も徳もないと考えます。

2 このことがとんでもない誤りの第一歩です。妻子、眷属を持って、どうして法のために命をささげきれるでしょうか。皆さんは最後のところで、保身第一になってしまっています。そうなっていることすら気が付いていない、おめでたい方も多くお見かけしますが。

3 さらに、子供が又僧侶になっていく、という場合、これは「親の家業を継ぐ」という発想をぬぐいきることが出来ません。信心で得度するのでなく、家業だから得度するんだ、という考えの得度者が増えたら、僧侶は完全に一つの商売と成り下がり、まったくの在家同然となります。

4 現今の御宗門はさらにとんでもない事態を引き起こしています。それは明治以降の妻帯解禁により、宗内に血縁関係ができ、いわゆる閨閥と呼ばれるものまで出現し、その派閥が宗内を牛耳るという事態がおこっています。現日顕上人が60世日開上人の息子であるのは衆知の事実です。

5 さらに現在、一段と酷い事態があります。それは日顕上人の息子の阿部信彰師が、重用され、次の68世を中継ぎにして、69世をうかがう様相があります。次の68世は、衆目の一致するところ、今回、能化となった、早瀬義寛庶務部長が最有力候補であり、その早瀬義寛師の法道院の大学会の一期生である、阿部信彰師は最も69世への近道に居られるようです。しかし、三代に亘る世襲とも言うべき路線は本来あってはならないことです。いかに信彰師が優秀であろうとも避けるべきことがらです。御開山上人の嘆かれるお姿があなた方には見えないのですか。一族で一宗を牛耳るなとどいうことが、どれほど宗開両祖の御精神から遠いところにいるか、よくよく考えられよ。

6 宗祖大聖人は、確かに在家僧に対して、夫婦別れせよ、とは教えられませんでした。しかしせっかく出家得度した僧侶に妻帯を禁ずるのは当然のことです。これからでも遅くありませんから、直ちに、今後における僧侶の新規の妻帯を全面的に禁止されるべきです。 そして、その禁に従えぬ得度者はどんどん還俗させられればよい。また、得度の募集時に、今後、僧侶になってからも妻帯はできない旨教え聞かせ、いやなものには、所化の段階からどんどん下山させればよい。それでなくても今、日蓮正宗は無任所の僧侶があふれていると聞く。お山としても、ちょうど都合がよいではありませんか。

7 寺族同心会なるものが本宗には存在しますが、本来あるはずのないものです。直ちに解散とすべきだと思います。世間においては「寺族」という言葉すらありません。閨閥の温床であり、本宗を派閥で雁字搦めにしている元凶だと思います。祖道の恢復の第一歩は、実にこの寺族同心会の解体にあると思います。

8 各末寺の住職のほとんどが商売で僧侶をやっていることを、信者は薄々気が付いています。聖職者の堕落、腐敗は世の常です。宗祖の最も責められた事柄でもあります。法華講に入って十数年経ち、われわれは、なぜ、法華講はこんなに元気がないのか、なぜ伸びないのか、と思い悩んできました。最初は、在家が在家を指導するのは間違いのもと、と聞かされ、そうだ、と納得していました。しかし、僧侶が主導権をとってやってこられて、なんとも発展しない理由について、われわれ信徒はやっと気がついてきました。そうです、『もし、大聖人の弟子の御僧侶が先頭に立たれたのなら、こんなテイタラクのはずがない。末寺の住職はみんな腐敗、堕落した在家僧で、しかも商売として僧侶をやっているに過ぎない。商売として住職をやっているに過ぎない。信心なんてまるで薄い。保身しか考えていない。如何にしたら信徒から供養を取れるかばかり考えている。』このことに気がつきました。日顕上人がその典型ではないでしょうか。お金がないなら、むだな、大石寺出張所は全部処分すればよいではないですか。奉安堂の御供養が足りないと嘆くより、お金を集めてから計画を練ればよかったではないですか。どうせ30万登山には間に合わないのだから。もう銭ゲバ宗門は止めにしてください。その元凶は全て明治以降の妻帯にあると気づいてください。そして勇気をもって改めてください。われわれ信徒はそれをじっと待ち望んでいます。われわれを商売の種などと思ってはなりません。われわれ信徒は面と向かっては言いませんが想像されている以上に事実を敏感に察知していますよ。

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