邪心から出る誘惑が、時間いっぱいの仕切りに入った横綱の心を乱したのだろうか。白鵬の仕切りを見ていて、私は思わず不満の声を上げた。「なぜそんなに焦るのか」。テレビを見ていて大きな声を出すのは、いかにも子供っぽい行いなのだが、黙って見過ごすわけにはいかない白鵬の挙動だった。
どだい、立ち上がる寸前の仕切りの動きを小細工の対象にするのは、白鵬のような自己の確立ができている横綱のすることではない。
いつもの仕切りに入る位置が違って、息継ぎが違うというだけで、膨大な量の情報を相手の方に送ってしまう。横綱、大関の対戦というものは、そうした極限状況に近いものだと、私たちのような素人は考える。
だから、この初場所12日目には、一種浅い失望感を味わわされた。それに加えて、大関、横綱が登場してきてからの、あのドタバタ喜劇めいた騒ぎは一体何だろう。
結びの後で、さすがに白鵬が苦笑していたが、相撲ファンとしては、そんなことで言い訳の代わりにもならないと言いたい。土俵の乱れは、善きにつけあしきにつけ、勝負の行方を見ているだけで面白いものなのだが、12日目の勝負はお世辞にもそうは言えなかった。
通常、はたき込みなどのかわし技が終盤になると出た場合は、当然のことながら後を引かないように気を付ける。たぶん、派手に転ぶところを見せるのは、あまり望ましくないと思われているからだろう。
しかし、12日目の土俵は、そんなことも忘れられてしまったようで、横綱、大関が派手に土俵上を舞ってくれた。そうなると、一人冷静で省力相撲を心掛け、我が道をひた走る把瑠都の相撲を真剣に見なければならないと思えてきた。 (作家)
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