2009年02月22日
笑止な日顕宗の難癖(3)「脇書き」列挙
笑止な日顕宗の難癖[3]
日顕宗のいい加減な御本尊の「脇書き」列挙
追い詰められた日顕宗の、悪あがきのもう一つの手口は、「学会授与の御本尊は、『示し書き』を削った変造である」という言い掛かりだ。
日顕宗が「示し書き」といっているのは、御本尊の余白部分の「授与之」などの授与者の名前のこと。
これと「現当二世」などを総称して「脇書き」「添え書き」というのである。
大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、日興上人は「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」と仰せだ。
また、堀日亨上人も「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲として衆多に護法の高名を尊称せらるべき用意」と説かれているように、脇書きの授与者の名前は、本来、信心を貫いた門下の証としての意味。
その人の信心を範として後世に称賛しようというものなのである。
その脇書き(示し書き)と御本尊の力用とは、関係ないのである。
日顕宗では、どうしても学会の御本尊授与に難癖がつけたくて、脇書きが“御本尊の御本体に列する”重要なものであると必死になって強弁している。
しかし、それほど脇書きが大事だといっているのに、宗門の古刹寺院には、「脇書き」が、故意にか自然にか、削損された御本尊が実に多い。
宗門発行の雑誌「蓮華」に掲載されている常泉寺の寺宝目録によると、日興上人の御真筆御本尊のうち、「嘉元四年三月一日」「徳治三年十月九日」「正和三年十月十三日」付の三体の御本尊の授与書きが、「削損不明」となっている。
また、日有上人の「文明五年十二月廿九日」付の御本尊の脇書きは「切損不明」、切れて分からなくなっているのである。
このような例はほかにも多数ある。
“御本尊の御本体に列する”ほど重要な脇書きが、このようにぞんざいに扱われてきたことを、日顕宗はどう説明するのか。
また、歴史上どう考えても、御本尊の本体に“列する”とは考えられない実例もある。
日顕宗は、これらの脇書きも、御本尊の本体に“列する”というのだろうか。
明治時代、東京・品川の妙光寺は、日露戦争に出征する兵士のために、日応上人の御形木御本尊を下付していた。
その御本尊の脇書きは「皇威宣揚征露戦勝之攸」つまり、ロシアを征服して日露戦争に勝つ、という意味である。
この脇書きをも、御本尊の本体に“列する”というのか。
世界広布の時代に、ましてロシアの人々がこの御本尊を拝めるだろうか。
これなど、まさに、「一閻浮提総与」の意義を冒とくする脇書きというほかにない。
また、近代では、明らかに皇国思想の影響を受けている脇書きもある。
日正、日開両法主が認(したた)めた脇書きには、「御即位御大礼紀念」というものもある。
これは天皇の即位を祝うものだが、天皇の仏法への帰依を願うとしても、こんな脇書きの御本尊を信徒に拝ませていいのだろうか。
この脇書きも、御本尊の本体に“列する”というのか。
このように、宗門の、脇書きは“御本尊の御本体に列する”重要なものであるという言い掛かりは、所詮、根拠のない暴論でしかない。
ゆえに日顕宗が、御形木御本尊を「変造」などということは、宗門の伝統化儀の否定であり、大謗法であることは明白である。
1993/11/03【創価新報】
日顕宗のいい加減な御本尊の「脇書き」列挙
追い詰められた日顕宗の、悪あがきのもう一つの手口は、「学会授与の御本尊は、『示し書き』を削った変造である」という言い掛かりだ。
日顕宗が「示し書き」といっているのは、御本尊の余白部分の「授与之」などの授与者の名前のこと。
これと「現当二世」などを総称して「脇書き」「添え書き」というのである。
大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、日興上人は「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」と仰せだ。
また、堀日亨上人も「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲として衆多に護法の高名を尊称せらるべき用意」と説かれているように、脇書きの授与者の名前は、本来、信心を貫いた門下の証としての意味。
その人の信心を範として後世に称賛しようというものなのである。
その脇書き(示し書き)と御本尊の力用とは、関係ないのである。
日顕宗では、どうしても学会の御本尊授与に難癖がつけたくて、脇書きが“御本尊の御本体に列する”重要なものであると必死になって強弁している。
しかし、それほど脇書きが大事だといっているのに、宗門の古刹寺院には、「脇書き」が、故意にか自然にか、削損された御本尊が実に多い。
宗門発行の雑誌「蓮華」に掲載されている常泉寺の寺宝目録によると、日興上人の御真筆御本尊のうち、「嘉元四年三月一日」「徳治三年十月九日」「正和三年十月十三日」付の三体の御本尊の授与書きが、「削損不明」となっている。
また、日有上人の「文明五年十二月廿九日」付の御本尊の脇書きは「切損不明」、切れて分からなくなっているのである。
このような例はほかにも多数ある。
“御本尊の御本体に列する”ほど重要な脇書きが、このようにぞんざいに扱われてきたことを、日顕宗はどう説明するのか。
また、歴史上どう考えても、御本尊の本体に“列する”とは考えられない実例もある。
日顕宗は、これらの脇書きも、御本尊の本体に“列する”というのだろうか。
明治時代、東京・品川の妙光寺は、日露戦争に出征する兵士のために、日応上人の御形木御本尊を下付していた。
その御本尊の脇書きは「皇威宣揚征露戦勝之攸」つまり、ロシアを征服して日露戦争に勝つ、という意味である。
この脇書きをも、御本尊の本体に“列する”というのか。
世界広布の時代に、ましてロシアの人々がこの御本尊を拝めるだろうか。
これなど、まさに、「一閻浮提総与」の意義を冒とくする脇書きというほかにない。
また、近代では、明らかに皇国思想の影響を受けている脇書きもある。
日正、日開両法主が認(したた)めた脇書きには、「御即位御大礼紀念」というものもある。
これは天皇の即位を祝うものだが、天皇の仏法への帰依を願うとしても、こんな脇書きの御本尊を信徒に拝ませていいのだろうか。
この脇書きも、御本尊の本体に“列する”というのか。
このように、宗門の、脇書きは“御本尊の御本体に列する”重要なものであるという言い掛かりは、所詮、根拠のない暴論でしかない。
ゆえに日顕宗が、御形木御本尊を「変造」などということは、宗門の伝統化儀の否定であり、大謗法であることは明白である。
1993/11/03【創価新報】
2009年02月22日
日顕宗の難癖(2)日顕宗のニセ札”論
笑止な日顕宗の難癖(2)
幼稚の極み!
「ニセ札」論
日顕宗こそ法盗人のニセ教団
学会の御本尊授与に、悪態の限りを尽くす日顕宗。
なかでも「素朴な疑問20題」
(「慧妙」十月一日付)などは、「ワープロ本尊」やら「コンビニ本尊」など、まともな人間には思いもつかぬ言い掛かりに終始している。
だいたい、このような質問を考える人間に、ろくな者はいない。
狂える法主に盲従する以上、当然のことだが、信心そのものが狂ってしまっているのだ。
そんな宗門で、特にはやっているのが、“ニセ札”論。
相手にするのも馬鹿らしいが、彼らがいつまでも世間の物笑いでいるのも哀れなので、二、三破折を加えておこう。
※破折その1
歴代法主の本尊を「ニセ札」と言うは「ニセ法主」の証明
今回、学会が授与している御形木御本尊は、紛れもなく二十六世日寛上人直筆の御本尊。であるにもかかわらず
この御本尊を、「ニセモノ」とは何を血迷っているのか。
この御本尊を「ニセ」というなら、それはとりもなおさず、日寛上人を「ニセ法主」と言うに等しいことが分かっているのだろうか。
日顕だけを“本”とし、大聖人も日興上人も、歴代の先師も、すべて“迹”と下す日顕宗らしい言い草だ。
そもそも、ニセモノ呼ばわりしている日顕自身、書写した御本尊に一割も誤字・脱字があり、在家の業者に指摘されて、初めて気がつくお粗末ぶりだ。
このようなニセ法主・日顕が、日寛上人の御本尊を「ニセ札」とは、笑止千万というほかはない。
※破折その2
ニセ教団が発行する“札”こそ“ニセ札”
「ニセ札」論をいう日顕の根本的な間違いは、自分が「日本銀行」総裁とでも思い込んでしまっていること。
お札に関する権能は全て自分にあり、自分だけが唯一「本物のお札」を発行できて、あとはすべて「ニセ札」だと言うのである。
歴代法主の御本尊は、すべて大御本尊の御書写であり、その意味では、日寛上人の御形木御本尊もまったく「本物のお札」である。
要は、それを本物と認めるかどうかの権限は、法主にあると言いたいだけなのだ。
だが、これこそ、まったくの錯覚で、日顕ごときに“日銀総裁”を気取る資格などないのである。
なにしろ、大御本尊をタテに信徒を脅迫するわ、丑寅勤行をさぼって温泉旅館で遊蕩三昧するわ、信徒をだまして金もうけするわ……。
こんな法主に信心の血脈などないことは、だれの目にも明らか。
大聖人、日興上人の御遺誡にすべて反し、信心を失い、狂ってしまった日顕はまさに、ニセ法主であることは明白だ。
日顕は日銀総裁などではなく、言ってみれば法盗人のニセ教団の総裁なのだ。
世間では、こんなニセ教団の発行する“札(ふだ)”こそ、“ニセ札”と言うのである。
※破折その3
御形木御本尊はすべてニセモノ?
更に愚かなことには、日顕宗の言い分が「御形木御本尊」自体を認めないという論理的破綻をきたしていることだ。
まさに、自分で自分の首を絞めているのである。
総監の藤本が週刊誌で、「分かりやすくいえばニセ一万円札のようなものでしょうか。
いくら精巧な複写機を使ってコピーしても、一円の価値もないというのと同じことなんですね」といい、そのしり馬に乗った、法華講連合会委員長の柳沢まで、「大白法」で「どんな精巧な複写器(ママ)、またカメラ等を使って、被写体の一万円札が本物であったとしても、その写した物は本物ではありません」と、いい気になっていっている。
しかし、この発言が、宗門が今まで下付してきた御形木御本尊を、すべて「ニセモノ」呼ばわりする結果となることを分かっているのだろうか。
それが分かっていれば、こんなことは、到底、口にできることではない。
つまり日顕宗は、御本尊の印刷を否定することによって、御形木御本尊の存在そのものを否定しているのである。
御本尊を“モノ”の次元でしか拝することができない「信心」なき日顕宗らしい暴論と言うしかない。
そもそも御形木御本尊がすべて「印刷」であることは周知の事実。
直筆を“精巧な複写機で印刷した”ものが御形木御本尊なのである。
藤本、柳沢の言うように、印刷をしたものがすべてニセモノであるというなら、御形木御本尊は、すべてニセモノということになる。
もちろん、日顕の御形木御本尊も、すべて「ニセモノ」といっていることにほかならない。
まったく、ナンセンスの限りではないか。
◇
かくして日顕宗の「ニセ札」のいいがかりは学会授与の御本尊が大聖人正統の御本尊であることを逆証明するとともに、日顕こそがニセ法主であることを天下に明らかにする皮肉な結果となった。
1993/10/20【創価新報】
幼稚の極み!
「ニセ札」論
日顕宗こそ法盗人のニセ教団
学会の御本尊授与に、悪態の限りを尽くす日顕宗。
なかでも「素朴な疑問20題」
(「慧妙」十月一日付)などは、「ワープロ本尊」やら「コンビニ本尊」など、まともな人間には思いもつかぬ言い掛かりに終始している。
だいたい、このような質問を考える人間に、ろくな者はいない。
狂える法主に盲従する以上、当然のことだが、信心そのものが狂ってしまっているのだ。
そんな宗門で、特にはやっているのが、“ニセ札”論。
相手にするのも馬鹿らしいが、彼らがいつまでも世間の物笑いでいるのも哀れなので、二、三破折を加えておこう。
※破折その1
歴代法主の本尊を「ニセ札」と言うは「ニセ法主」の証明
今回、学会が授与している御形木御本尊は、紛れもなく二十六世日寛上人直筆の御本尊。であるにもかかわらず
この御本尊を、「ニセモノ」とは何を血迷っているのか。
この御本尊を「ニセ」というなら、それはとりもなおさず、日寛上人を「ニセ法主」と言うに等しいことが分かっているのだろうか。
日顕だけを“本”とし、大聖人も日興上人も、歴代の先師も、すべて“迹”と下す日顕宗らしい言い草だ。
そもそも、ニセモノ呼ばわりしている日顕自身、書写した御本尊に一割も誤字・脱字があり、在家の業者に指摘されて、初めて気がつくお粗末ぶりだ。
このようなニセ法主・日顕が、日寛上人の御本尊を「ニセ札」とは、笑止千万というほかはない。
※破折その2
ニセ教団が発行する“札”こそ“ニセ札”
「ニセ札」論をいう日顕の根本的な間違いは、自分が「日本銀行」総裁とでも思い込んでしまっていること。
お札に関する権能は全て自分にあり、自分だけが唯一「本物のお札」を発行できて、あとはすべて「ニセ札」だと言うのである。
歴代法主の御本尊は、すべて大御本尊の御書写であり、その意味では、日寛上人の御形木御本尊もまったく「本物のお札」である。
要は、それを本物と認めるかどうかの権限は、法主にあると言いたいだけなのだ。
だが、これこそ、まったくの錯覚で、日顕ごときに“日銀総裁”を気取る資格などないのである。
なにしろ、大御本尊をタテに信徒を脅迫するわ、丑寅勤行をさぼって温泉旅館で遊蕩三昧するわ、信徒をだまして金もうけするわ……。
こんな法主に信心の血脈などないことは、だれの目にも明らか。
大聖人、日興上人の御遺誡にすべて反し、信心を失い、狂ってしまった日顕はまさに、ニセ法主であることは明白だ。
日顕は日銀総裁などではなく、言ってみれば法盗人のニセ教団の総裁なのだ。
世間では、こんなニセ教団の発行する“札(ふだ)”こそ、“ニセ札”と言うのである。
※破折その3
御形木御本尊はすべてニセモノ?
更に愚かなことには、日顕宗の言い分が「御形木御本尊」自体を認めないという論理的破綻をきたしていることだ。
まさに、自分で自分の首を絞めているのである。
総監の藤本が週刊誌で、「分かりやすくいえばニセ一万円札のようなものでしょうか。
いくら精巧な複写機を使ってコピーしても、一円の価値もないというのと同じことなんですね」といい、そのしり馬に乗った、法華講連合会委員長の柳沢まで、「大白法」で「どんな精巧な複写器(ママ)、またカメラ等を使って、被写体の一万円札が本物であったとしても、その写した物は本物ではありません」と、いい気になっていっている。
しかし、この発言が、宗門が今まで下付してきた御形木御本尊を、すべて「ニセモノ」呼ばわりする結果となることを分かっているのだろうか。
それが分かっていれば、こんなことは、到底、口にできることではない。
つまり日顕宗は、御本尊の印刷を否定することによって、御形木御本尊の存在そのものを否定しているのである。
御本尊を“モノ”の次元でしか拝することができない「信心」なき日顕宗らしい暴論と言うしかない。
そもそも御形木御本尊がすべて「印刷」であることは周知の事実。
直筆を“精巧な複写機で印刷した”ものが御形木御本尊なのである。
藤本、柳沢の言うように、印刷をしたものがすべてニセモノであるというなら、御形木御本尊は、すべてニセモノということになる。
もちろん、日顕の御形木御本尊も、すべて「ニセモノ」といっていることにほかならない。
まったく、ナンセンスの限りではないか。
◇
かくして日顕宗の「ニセ札」のいいがかりは学会授与の御本尊が大聖人正統の御本尊であることを逆証明するとともに、日顕こそがニセ法主であることを天下に明らかにする皮肉な結果となった。
1993/10/20【創価新報】
2009年02月22日
笑止な日顕宗の難癖(1)御本尊を法主
笑止な日顕宗の難癖(1)
すべての御本尊を法主が「開眼」「許可」は真っ赤なウソ
「すべての御本尊下附は血脈付法の御法主上人によって御開眼され、総本山より下附されてきた」
(平成五年九月七日「宗門文書」)
「御形木御本尊については、一体ごとの表具が行われる前に、すべて、総本山で御法主上人猊下が開眼の御祈念をしておられる」
(同年十月一日付「慧妙」)−−。
日顕宗では、学会による御本尊授与には、法義的には何も言えないために、法主の「許可」「開眼」がない、と必死になって強弁している。
しかし宗門の御本尊授与の歴史を検証すれば、“すべての御本尊”を法主が許可、開眼し、総本山から下付されてきたとは、真っ赤なウソである。
これは明白である。
つまり、御本尊の功徳は、法主の許可、開眼とは無関係なのである。
宗内僧侶の情報を総合すると、昭和初期から現在に至る御本尊授与の実態は次のようになる。
これにより、日顕宗のウソは明白である。
●昭和初期・戦前戦後を通じ、東京周辺の大寺院を主体に、例えば妙光寺は五十五世日布上人、法道院は五十六世日応上人、常在寺は五十七世日正上人など、各末寺から有縁の法主の御形木御本尊が授与されてきた。・遠隔地の信徒の場合、御本尊の印刷された和紙がそのまま授与され、信徒が表具店に出し、表装する場合もあった。
●昭和30年代前半/日淳上人時代
・東京・豊島区の法道院にある「大日蓮」で日寛上人御筆の御本尊を印刷。・付き合いのある表具店を持つ末寺は表装前の和紙の状態の御本尊を、基本的には百枚一束で法道院から購入し、表装に出していた。
・専属の表具店をもたない末寺では、法道院から表具店に出してもらい、表装済みの御本尊を発送してもらっていた。
●昭和30年代後半/日達上人時代
・法道院の「大日蓮」で印刷された日寛上人御筆の御本尊を法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊が法道院から各末寺へ発送されていた。
●昭和40年代〜54年/日達上人時代 ・日達上人御筆の御本尊を法道院で印刷。・法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊が法道院から各末寺へ発送されていた。
●昭和54年以降/日顕時代
・本山に御本尊を取り扱う内事部第三課が設置されてからは、富士宮市内のK印刷が日顕筆の御本尊を印刷。
・印刷会社から第三課に届けられた御本尊は、第三課の僧侶が印刷の状態と枚数を点検、印刷状態の悪いものを破棄。
・その後、群馬県のO表具店など数社の表具店に出し表装。
・表装された御本尊は、再び第三課に送り戻され、納品される。
・第三課では検査の後、別の段ボールに詰め換え、末寺の入金に応じて、宅配便で配送していた。
これらの実態は、長年宗門にいた多くの僧侶が認めている。
第三課に勤めていた複数の僧侶も「御形木御本尊の場合、表具の前にも後にも、日顕が祈念などすることは一度もありませんでした」と証言している。
これらの実態からも明らかなように、本山で、法主がすべての御本尊を「開眼」していたというのは、真っ赤なウソなのである。
1993/10/20【創価新報】
すべての御本尊を法主が「開眼」「許可」は真っ赤なウソ
「すべての御本尊下附は血脈付法の御法主上人によって御開眼され、総本山より下附されてきた」
(平成五年九月七日「宗門文書」)
「御形木御本尊については、一体ごとの表具が行われる前に、すべて、総本山で御法主上人猊下が開眼の御祈念をしておられる」
(同年十月一日付「慧妙」)−−。
日顕宗では、学会による御本尊授与には、法義的には何も言えないために、法主の「許可」「開眼」がない、と必死になって強弁している。
しかし宗門の御本尊授与の歴史を検証すれば、“すべての御本尊”を法主が許可、開眼し、総本山から下付されてきたとは、真っ赤なウソである。
これは明白である。
つまり、御本尊の功徳は、法主の許可、開眼とは無関係なのである。
宗内僧侶の情報を総合すると、昭和初期から現在に至る御本尊授与の実態は次のようになる。
これにより、日顕宗のウソは明白である。
●昭和初期・戦前戦後を通じ、東京周辺の大寺院を主体に、例えば妙光寺は五十五世日布上人、法道院は五十六世日応上人、常在寺は五十七世日正上人など、各末寺から有縁の法主の御形木御本尊が授与されてきた。・遠隔地の信徒の場合、御本尊の印刷された和紙がそのまま授与され、信徒が表具店に出し、表装する場合もあった。
●昭和30年代前半/日淳上人時代
・東京・豊島区の法道院にある「大日蓮」で日寛上人御筆の御本尊を印刷。・付き合いのある表具店を持つ末寺は表装前の和紙の状態の御本尊を、基本的には百枚一束で法道院から購入し、表装に出していた。
・専属の表具店をもたない末寺では、法道院から表具店に出してもらい、表装済みの御本尊を発送してもらっていた。
●昭和30年代後半/日達上人時代
・法道院の「大日蓮」で印刷された日寛上人御筆の御本尊を法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊が法道院から各末寺へ発送されていた。
●昭和40年代〜54年/日達上人時代 ・日達上人御筆の御本尊を法道院で印刷。・法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊が法道院から各末寺へ発送されていた。
●昭和54年以降/日顕時代
・本山に御本尊を取り扱う内事部第三課が設置されてからは、富士宮市内のK印刷が日顕筆の御本尊を印刷。
・印刷会社から第三課に届けられた御本尊は、第三課の僧侶が印刷の状態と枚数を点検、印刷状態の悪いものを破棄。
・その後、群馬県のO表具店など数社の表具店に出し表装。
・表装された御本尊は、再び第三課に送り戻され、納品される。
・第三課では検査の後、別の段ボールに詰め換え、末寺の入金に応じて、宅配便で配送していた。
これらの実態は、長年宗門にいた多くの僧侶が認めている。
第三課に勤めていた複数の僧侶も「御形木御本尊の場合、表具の前にも後にも、日顕が祈念などすることは一度もありませんでした」と証言している。
これらの実態からも明らかなように、本山で、法主がすべての御本尊を「開眼」していたというのは、真っ赤なウソなのである。
1993/10/20【創価新報】