創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(12)
創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
――――自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
正義の書
創価学会内部改革派憂創同盟残党
はじめに
愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言)
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。
同時放送に出席して、その傲慢さに呆れた人は多数存在するだろう。池田大作こそ獅子身中の虫である。創価学会の信仰を真面目に行っても幸せになれなかったのは池田大作が大悪鬼であったからである。敏感な人は同時放送のその声を聞くだけで池田大作が大悪鬼であることに気付くものである。その声は「傲慢の極み」であり、優しさ、謙虚さなど微塵も感じられない。
正しい御本尊に祈らなければ幸せにはなれない。正しい宗教団体に属さなければ幸せにはなれない。原田会長が池田大作の死後、英断を振るい再び宗門の一信徒団体に復帰することを期待する。すべて池田大作が悪かったのである。池田大作が我欲のために戸田先生の造られた正しい信徒団体を破壊尽くしてしまったのである。
正しい御本尊でも正しい信徒団体(講)に属して祈らなければ幸せにはなれない。正しい御本尊でも極悪の宗教団体(創価学会)に属したまま祈ると不幸になる。
http://sky.geocities.jp/mifune0008(**これがホームページのアドレスです)
ccc998@infoseek.jp⇦⇦⇦これがメールです。 (平成22年11月1日記す)
純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。自分はそれら純朴な古くからの会員が可哀想でならない。それが私が法華講に入らず、創価学会内部改革派を名乗っている理由の一つである。この純朴な創価学会員の存在を思うと法華講に移りにくい。創価学会を改革してこの純朴な創価学会員を救わなければという思いが強い。
我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。それ以外、創価学会が蘇生する方法はないであろう。創価学会が蘇生すれば純朴すぎて無知故に創価学会から法華講に移ることのできない人々を救うことができる。
昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切結びつきを持たない。正信会とは対決する(正信会は既にほとんど潰滅している)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
創価学会は宗門と縒りを戻し、戸田先生時代の創価学会に戻すようにする。正しかった時代の創価学会に戻すのである。つまり創価学会は日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。もう一度書く。創価学会を日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。または創価学会解散を行うべきである。
池田大作の亡き後、創価学会員が多数、宗門に入る(戻る)ことは難しい。創価学会員は聖教新聞などの偽りの報道しか知らない人が大部分である。そして創価学会に義理人情で縛られてしまっている人が非常に多い。また創価学会の矛盾に気付いていても今までの創価学会の友情と交際が絶たれることを怖れ自分から日蓮正宗法華講に移る(戻る)信仰心の強い人は少ない。日蓮正宗法華講に移る(戻る)と一人っきりになるからである。一人住まいの老人が多い昨今その仕打ちは辛い。また嫌がらせ、迫害もある。
もはや完全に謗法の魔窟と化してしまった創価学会であるが藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)が創価学会会長になると蘇生するであろう。この他に創価学会員を救う道は無い。
我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。他に可哀想な純朴な創価学会員を救う道はない。
(完)
第1章
池田大作の精神病理
【研究と報告】
池田大作の精神病理(第2稿)*
――――私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者であるーーーー
創価学会内部改革派憂創同盟残党**
【抄録】
タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国とくに欧米に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、妄想は奇妙で現実離れしている。故に妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、妄想型統合失調症を発症したと考えられる。
【key words】Daisaku-Ikeda, Soka-gakkai, Schizophrenia paranoid type
【はじめに】
日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
統合失調症には妄想型(Paranoid Type)、解体型(Disorganized Type)、緊張型(Catatonic Type)、鑑別不能型(Undifferentiated Type)、残遺型(Residual Type)があるが、妄想型が一番多く、緊張型は以前はよく見られていたが現在では先進諸国ではほとんど見られなくなった。統合失調症は生涯発病率は約0.85%(120人に1人)であり、国、人種による差はほとんど無いとされる。
池田大作は妄想型統合失調症である。下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症であることを支持する。
【症例】
昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)。
池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』
同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』
全てが奇妙で現実離れしている。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症である。妄想性障害では決してこのようなことは言わない。
以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして妄想性障害を説明する。
妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳以降(成年中期から後期にかけて)に発病する。
妄想型統合失調症とは異なり、妄想性障害は比較的稀である。
妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。
もう一つ、自己愛性パーソナリティ障害との鑑別が必要であろう。自己愛性パーソナリティ障害の統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。すなわち自己愛性パーソナリティ障害の妄想は説得により崩れる脆いものである。自己愛性パーソナリティ障害の患者は「世界は自分を中心に回っている」という妄想を良く抱くが、患者自身、その妄想に疑いを持っている脆いものである。
宗門支配にしても自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す。自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”と言われていた池田大作はやはり統合失調症しか考えられない。
よって創価学会員に好発する妄想型統合失調症に池田大作も罹患したと考えられる。
この高瀬広居のインタビューのみで池田大作が確実に妄想型統合失調症と診断される。
私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)ーーーーーーー 誇大妄想
私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)――――――― 電波妄想である(これは統合失調症に特有なものである)
平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築を示唆する。誇大妄想である。
池田大作は池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは当時は家庭裁判所が認めたときのみである。戸籍の名前を変えることは当時はそれほど困難なものであった。凄まじい執念で変えたものと思われるーーーー誇大妄想
元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」――――これは池田大作の芝居と元側近は考えたが、自分は大聖人の生まれ変わりであるという誇大妄想である。
本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めたーーーーこれを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性は高い。また、誇大妄想のための芝居とも取れる。
池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道、2002、p208)ーーーーこれは演出ではなく誇大妄想である
池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった――――誇大妄想
結婚後、かね婦人が池田大作が勤行唱題しないことに対し質問したら「俺は特別だから」と答えたーーーー誇大妄想
また、既にこの頃から池田大作には信仰心が無く、学会活動を次期会長になるためのビジネス(仕事)と考えていたと思われる。「天下を取る」を口癖に池田大作は学会活動に走り続けた。彼の学会活動は「天下を取る」という燃えたぎるような誇大妄想のためであったーーーーー誇大妄想
池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)
――――被害妄想と日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p81)―――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p261-2)――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p264-6 )――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー誇大妄想
子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー誇大妄想
池田大作の目から睨まれると誰でも怯えてしまうことーーーーー妄想型統合失調症者に特有の目である
ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー誇大妄想
海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー誇大妄想
全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー誇大妄想
竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に幹部よりそのことを知らされた――――誇大妄想
宗門乗っ取りは絶対不可能であったのに宗門乗っ取りを謀ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の最重症であっても、そのような無謀なことをする前に現実を認識し目が覚めるものであるーーーー妄想型統合失調症の誇大妄想
この2、3年海外旅行を行なう場合、かね子夫人同伴で出かけていくのも、池田は時々異常な発作を起こし、側近同行の者にあたりちらす。夫人の同伴は、そういう池田の発作を鎮めるためだ、と言われるーーーー妄想型統合失調症の興奮
同時放送には自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想に満ちた統合失調症者の姿を晒しているが、そのスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーーキンマンコはその一つである(しかし、幻聴であった可能性も高い)
意欲減退、社会的無気力はなかったようだーーーー創価学会の信仰を行っている統合失調症者には意欲減退、社会的無気力が出ないという特色がある。75歳の創価学会の統合失調症者で恋愛妄想があり、意欲減退、社会的無気力、人格の崩れは全くないが退院要求の非常に強い男性患者を知っている。退院してその女性と結婚すると主張している。
しかし、池田大作は既に26歳頃には信仰を退転していたという意見が多い。池田大作は軽症であった故に意欲減退、社会的無気力など陰性症状が出なかったと思われる。
創価学会員は妄想型統合失調症を神様のように崇めてきた、崇めていることになる。また、これが創価学会員の精神障害の異常多発を招いた、招いていると言っても過言ではないと思われる。
【考察】
私見ではあるが、潜在的に存在している統合失調症の患者は多い。奇人変人扱いされながらも彼らは病院から抗精神病薬をもらうことなく生きている。彼らは妄想と現実の両方で生きている。結婚もし、家庭も築いていることが多い。現実社会を生きてゆく上で最も問題となるのは性格の素直さ、優しさである。
彼らは精神科を受診している場合、反社会性パーソナリティ障害、統合失調症型パーソナリティ障害、または統合失調症質パーソナリティ障害と誤診されていることが多い。彼らはハロペリドール2mg/day (またはブロムペリドール4mg)を投与すると借りてきた猫のように大人しく従順になる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。これは妄想型統合失調症の軽症として良いと思われる。
各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラー、金正日たちは潜在性統合失調症と推定される。
この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その誇大妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気の執念で懸命に走らせた。大阪での参議院選挙、炭労問題などに誇大妄想による狂気の執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。これを「大学ノート事件」という
北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館、2004、p19)これは妄想性パーソナリティ障害も考えられるが、統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートで間違いない。
会長になってからは日本征服の野望(誇大妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
そして国会喚問の危機に立たされた時、子供のように恐れ戦き、軽井沢の別荘に閉じ籠もったりしたこと、このとき熱があると側近に何度も強調したこと。また、これ以外にも国会喚問の危機に立たされたが、池田大作は国会議員のみでなく創価学会の青年部を使って国会議事堂内に座り込みをさせ、国会喚問を阻止させた。これらは統合失調症の被害妄想と思われる。
折伏による日本制覇が不可能と解ると、総体革命という社会の重要ポストを創価学会員で占めて日本を制覇するという妄想に変わった。数少ない創価学会員で社会の重要ポストを占めることは不可能であるし、例え社会の重要ポストの多くを占めても日本制覇は不可能であり妄想の産物に過ぎない。これは現実認識能力が欠けていることを示唆する。
また、1990年代に自民党独裁政権が崩壊し、連立政権で大臣のポストを幾つも取った時、子供のように喜んだことは、これも現実認識能力が欠けていることを示唆する。
統合失調症の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想のため、宗門支配を企んだ。しかし失敗し、破門になった。宗門支配は池田大作の野望または狂気と言われている。宗門支配は不可能であることは分かりきったことであるのに行った。これも現実認識能力の欠如を示す。
自分が大聖人よりも偉いという誇大妄想が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。これは新興宗教の教祖には共通のことである。
最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という誇大妄想と人格崩壊のためと考えられる。
東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという誇大妄想と人格崩壊から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、統合失調症が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
潜在性統合失調症はイランなどの指導者にも存在しているらしい。潜在性統合失調症者に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症者同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。
潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。これは妄想型統合失調症の軽症ではなく妄想型統合失調症と別のタイプの統合失調症と考えて良いかも知れない。見逃されている潜在性統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにほとんど認識されていない。
池田大作、文鮮明、金日成、この3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。この3人は諸外国より勲章、メダルを買い漁った。3人の顔、体型はよく似ている。これは偶然性の一致と言われる。この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は考える。
国家指導者および宗教指導者に見逃されている潜在性統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。
【終わりに】
現代では、誇大妄想を主とする統合失調症者が新興宗教の教祖の多くを占める。池田大作もこの例に漏れず、精神科受診はなかったのかもしれない。しかし、池田大作の側近には精神科医もいる。その精神科医が抗精神病薬を服用させている可能性は高い。
池田大作は金貸し業を始めてから金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。このような人並み外れた霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。
池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。しかし、これは取り立てが異常に酷かったためという意見もある。実際、池田大作の借金を返すことが出来ない人達への仕打ちは極めて異常であったという多数の証言がある。
池田大作の借金取り立ては凄まじく、情け容赦もなかったと言われる。借金返せない人の家や土地を取り上げ、金目のものは何でも持って行ったという。家を取り上げられた人は住む所もなく放浪の旅に出た。大蔵商事の鬼の池田と恐れられていたと言われる。そのため大蔵商事は極めて危険な貸し金融と恐れられていた。病気で寝ている老人の布団を剥いで持って行ったという逸話も伝わる。
破綻し懸かっていた戸田城聖氏の事業は蘇生した。戸田城聖氏はこれ以来、池田大作に頭が上がらないようになったとも言われるが真偽の程は定かでない。また、これが池田大作が第3代会長になる大きな要因に成ったとも言われる。
鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。
【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002
5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003
7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994
8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004
9)DSM−?−TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007
*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda
**どんぐり病院(〒000−0000 どんぐり市どんぐり町000−00)
Toshiro MIFUNE:000 psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .
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日如上人様
自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移ったばかりのものです。是非、申し上げたいことがあります。
池田大作が亡くなった今、創価学会を元のように日蓮正宗の一宗徒団体として戻してくれませんでしょうか?
池田大作は病気だったのです。精神が病んでいました。自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害に罹患していました。これは一般に人格障害とも言われているものです。この病気はクスリも何もほとんど効きません。成り上がりの独裁者に多発する病気として有名です。外国にも数例、同じような症例が存在します。
或る小国の成り上がりの独裁者は国の至る所に自らの銅像を建て、テレビの放送でも自らを賛美する放送を流しています。この国は天然ガスが豊富に産生され、国が非常に豊かで平和であり、この独裁者への反抗はないようです。
異常な権力欲が池田大作を第三代会長に成らせ、巨大過ぎる権力を持ったことが彼をますます傲慢にさせました。そして宗門を支配下に置こうとまで考え至ったのです。
しかし、池田大作はパーソナリティ障害を越え、自分が本当に日蓮大聖人以上の存在だと思っている妄想性障害または軽度の妄想型統合失調症なのかもしれません。新興宗教の教祖にはよく見られることです。
その池田大作には創価学会員が一番苦しまされたと言って良いでしょう。池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会員に次々と不幸な現象を起こしました。
今、末端の創価学会員は不幸に喘いでいます。偽物の御本尊を拝んでいることと池田大作が創価学会に招き入れた悪鬼の大集団のためです。創価学会員全員が法華講に移ったら良いのですけど、それは不可能と思います。
不幸に喘ぐ末端の創価学会員は100万人に達すると思われます。どうか、彼ら彼女らを見捨てないでください。悪かったのは池田大作一人です。創価学会員は騙されていたのです。
悪いのはすべて池田大作です。創価学会員は被害者です。
池田大作亡くなった今、創価学会を破門から解いてもらいたいです。創価学会員は被害者であり、何も悪くありません。
池田大作は精神異常者でした。これは今後の池田大作の精神病理学的研究より明らかになることでしょう。創価学会員は精神異常者から騙され続けてきたのです。
創価学会員は非常なお人好しの集まりです。非常なお人好しだから池田大作に騙され続けていたのです。
寛大なご処置をお願いします。
創価学会内部改革派憂創同盟残党
魔性の創価学会(一)
一度、精神障害に罹った人は、ただでさえ治り難いのが精神障害である。これが創価学会に極めて多発している。これは四十年以上前から創価学会の上級幹部の間では良く知られていた。また折伏闘争華やかなりし頃には「急性精神病状態(acute psychotic state)」(以前は心因反応、急性分裂症様状態と呼ぶこともあった。現在では急性統合失調症様状態と呼ぶこともできるだろう)での精神病院入院が極めて多発しており精神科の医師の間で創価学会の「急性精神病状態」の患者の非常な多さは有名だった。
これは昭和四十九年頃発売の精神医学専門雑誌に詳しい論文が出ている。それは私の机の上に置いてあった。おそらく先輩が私を創価学会から辞めさせようとして私の机の上に置いたのだと思う。私はその雑誌から読んだ。その精神医学専門雑誌が何という雑誌であったか、また正確な発売された年が記憶にない(昭和四十五年から五十二年にかけてのものだったと思う)。「創価学会」「精神疾患」という二つのキーワードで医学文献のデータベースを検索すると出てくる可能性がある。この二つのキーワードで検索すると私が読んだもの以外の論文も出てくると思われる。しかしデータベース化されていない可能性は高く医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すのが一番と思われる。
医学専門雑誌の会員になるとインターネットで検索可能かもしれない。「精神医学」という精神医学専門雑誌であった気がする。しかしデータベース化されていない可能性は高い。医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すしかない可能性が高い。昭和五十五年以降は創価学会の言論弾圧により創価学会を題材とするような論文は決して掲載されなくなった。
「急性」(二週間から三ヶ月の入院)で治まった者は幸せで「慢性」となり(これを統合失調症と呼ぶ)精神病院に長期入院または入院と通院の繰り返しとなった創価学会員は多い。しかし大部分は一時的なエピソードで終わり極一部が慢性化したのみのようである。
創価学会員の「急性精神病状態」の特徴として必ず躁的であることが上げられる。しかし現在、勤行唱題が以前のように熱烈に、そして長時間は行われなくなったためと思われるが「急性精神病状態」はほとんど見掛けなくなっている。代わりに現在(少なくとも二十五年程前から)は、うつ病性障害が非常に多発するようになった。しかし今でも創価学会員に統合失調症の発生は有意に多い。一般の三倍として良い。
これらの精神障害に苦しんでいる創価学会員の数は極めて多く、それは全て池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。その大集団が池田大作の死とともに創価学会から立ち去れば良い。また最高幹部たちが池田大作の死とともに団結して立ち上がり池田大作批判を充分に行わないことには、それら悪鬼の大集団は創価学会から立ち去らないと思われる。
我が県の県青年部長も「パニック障害(うつ病性障害も併発していたと思われる)」で倒れた。未だに(三十年)自宅療養のままである。我が県で最も熱心に真面目に活動していた青年部長であった。自らに妥協せず限界まで戦っていた青年部長であった。県展も真夏の炎天下に二人で運んだ。尊敬すべき人であった(県が現在のように幾つにも分かれてなく一つの県は一つの県の時代であった)。
以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏して回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、創価学会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。創価学会は池田大作の時代になり見延派と同じになったのだ。
「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。
たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。
そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に書かれてある。
創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。
そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況である。自分が創価学会のときは異常な多発で半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。
「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「創価学会に傷が付く!」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」と二十年以上前ある大きな会合で池田大作が偉そうに言い放っている。
これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われ創価学会に入会しようとしていた。
同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。聖教新聞では、すべて削除されていた。私は創価班の仕事をしながら聞いていた。
その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。池田大作もそれらが「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観によるものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差――壮年部本部長の主観――がかなりあるようである。
同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人も池田大作が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。祈祷性精神障害である。それを創価学会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。滅茶苦茶である。創価学会は狂っている。元凶は池田大作である。彼が狂っている。
(今、自分は怒りに震えながら書いている! 精神疾患の苦しさ悲しさを創価学会は全く解っていない! いや、池田大作は全く解っていない! 池田大作が元凶である!)
統合失調症およびその他の精神疾患の患者は創価学会に於いて邪魔でしかないのである。「創価学会に傷が付く」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」とその放送で狂った池田大作が偉そうな調子で言い放っている。
私が学生部のときも学生部の拠点(古い木造の大きな家)にときどき統合失調症と思われる人が玄関を徘徊していることが多くあった。彼ら彼女ら統合失調症の患者は寂しいから来ていたのだと思う。昔ここは学生部の拠点になる前、辺りの学会の拠点であった。
そしてこの拠点での会合に良く参加していたのであろう。健康だった頃の懐かしい場所なのだろう。また学生部の題目の声に誘われるようにして来ていたのであろう。抗精神病薬を服用したぼんやりとした意識の中、過去への郷愁に駆られて来ていたのであろう。
学会はこういう人々に対して一般に冷たいことが多くある。信仰がなっていないから病気になったと定義されているからである。ある年配の幹部がその人に対して言った。「00さん、あなたが来るところではない。ここは学生部の拠点だ。あなたが来るところではない。出て行け!」その年配の幹部は厳しいことで有名であった。「00さん」と言うことは知っている人であったのであろう。しかし野良犬に対するようにそのようなことを言うことには納得がいかなかった。しかし私はその頃、未だ学生部であった。文句を言うことはできなかった。
後で解ったが「00さん」は昔、この一帯の責任者的存在であったそうだ。しかしある時、突然、発病して、このようになったということだ。この一帯の草創の大功労者(この一帯の初代の男子部部隊長であった。発病は昭和三十七年頃であり、池田大作の時代だった)ということである。
もう一人、良く来ていた人はこの県の初代の女子部部隊長であった。この人もある日、突然、発病して、このようになったということである(この人も昭和三十七年頃の発病であり、池田大作の時代だった)。
また、これも後で聞いたことであるが、池田大作が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会?)で言い放ったそうである。ある優しい副会長が悲しそうに言っていた。この池田大作の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。
精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。創価学会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これは創価学会の邪義である。邪義であることは御書を読めば解る。日蓮正宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
創価学会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。池田大作の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意な創価学会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも石川伸一という偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在では余程、僻地でない限り、ほとんど無い。いや僻地でも救急医療が発達しており現在ではほとんど無い。
三十歳の女性であり会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。治す方法は簡単で勤行唱題を中止したら寛解する。しかし私はその頃は熱烈な創価学会の信者であった。私は紹介者の入会させるまでの労苦を思うと勤行唱題を中止することを提言することができなかった。
そのため抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなる。抗精神病薬を必要とするようになる。学会製の“魔”の御本尊を拝んでいた。今も抗精神病薬を服用しながら学会製の“魔”の御本尊を拝んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。
一族全員、熱烈な創価学会員。小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
小学四年生の少女である。あまりにも可哀想であった。その怒りがこのレポートを書かせていると言っても過言ではない。ここの両親は熱烈な創価学会員であり、池田大作の悪行のことは全く知らない。恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。どうにかやってこの両親にも池田大作の悪行を知らしめて娘さんを救ってやりたい。ただ、この一心でこのレポートを書いている。あまりにも可哀相であった。
三十七歳、女性。ずっと以前、東京に池田大作に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京に池田大作に会いに行ったのかもしれない。詳細は不明。ただ、二十歳の頃だったという。
病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったらしい。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
社会人になって職場の上司から折伏され創価学会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。
三年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬をしたと言う。そのことに強く罪悪感を覚えている。暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して二十年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「聖教新聞は要らない、池田先生の講演集が欲しい」と言う。題目も一日何時間も上げることが多い。
男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症した。精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。入院して三十年以上が経過している。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい。」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われているのである。隔離室に入っていることが多いため勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は三十五年に及ぶ。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。器質性精神障害を考えられるも頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
このように精神病院には御本尊を所持しているが精神状態が悪く、御寿司を安置できない患者が多く、勤行唱題は全く行うことが不可能という患者が多い。現在は精神薬理学が急速に進歩してきた。以前のような鉄格子をしている精神病院は見られない。しかし、それでも創価学会の患者の場合はコントロール困難なことが多い。創価学会の統合失調症の患者は別枠で考えなければならないことが多い。
男性。幼い頃から統合失調症と診断されていた。幼い頃から創価学会の熱烈な信者。小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一生懸命に創価学会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたという。
ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変で宗門との第二次戦争の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。学会員からは「池田先生に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃から池田大作一筋であった。
男性。大学卒業の二十二歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症六年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
親族に精神疾患の家族歴はない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非学会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信な学会員。祖父の罪業が孫に降りかかってきたものと思われた。
女性。三十歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員で創価学会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親は創価学会幹部と激しい諍いを起こし、創価学会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、法華講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家には創価学会の仏壇と御本尊がある状況だった。それには妹が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊は創価学会が勝手に造った“魔”の御本尊に替わっていた。
平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。
男性。十八歳発症の社会不安障害(対人恐怖症)。高校三年の終わり頃、大学入試二次試験の直前、受験の時に御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する予定の都会の学生部より受験の時に泊まる処を世話するという電話が来る。(今は知らないが、その頃は受験の時、御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する会場の近くの学生部が、学生部の拠点などに泊まらせることが多かった。)
それまでは一家の中でただ一人、勤行唱題を熱心に行っていたが、両親が退転状態に近く創価学会とは接触をあまり持たなかった。その電話を受けるとともに社会不安障害が始まった、と言う。社会不安障害とは、対人緊張が激しく社会生活が損なわれる精神疾患である。
そのため現役時、試験時、強く緊張し、合格確実と言われていた帝国大学受験に失敗する。一浪後、ランクを大きく落とし、地方の大学へ進む。大学入学後も強い対人緊張に悩まされ、留年を繰り返した。
現在、罹患歴三十年になる。未だに強い対人緊張に苦しんでいる。
これらはもちろん極く一部である。創価学会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろん創価学会では秘密にされていることである。一般の創価学会員は知らない。
現在、東京に在る創価学会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部の創価学会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと思われる。
ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないのが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医は創価学会員に多発している精神障害は創価学会の信仰に由来することに気付いている故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない(うつ病性障害では“治癒”という言葉は用いない。怪我などと異なり、再発するからである)。
これら創価学会員に精神障害が非常に多発している現象は創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。
魔性の創価学会(二)
創価学会は統合失調症の患者を村八分のようにすることが頻繁にある。「相手にするな!創価学会に傷が付く!」と池田大作が厳命している。しかし、宗門は手厚く面倒を見てくれる。どちらが慈悲の団体で、どちらが悪魔の団体かは、すぐに解るであろう。
副会長も本部職員もその池田大作の厳命に戸惑っていた。
(統合失調症の患者も普通の会員と同じように手厚くもてなす地域も経験してきた。地域差があるようである)
ある創価学会の統合失調症の患者は創価学会が相手にしてくれないため七十一歳と成ったとき夫婦共々(夫婦共に統合失調症の患者である。旦那が婦人を折伏した)不安を感じ精神病院へ入院してきた。死ぬまで精神病院にいる予定である。会合の連絡はあるが仲間に入れてくれないという。会合の連絡も途切れることが多いという。病院内では聖教新聞の啓蒙を盛んにする、もちろん勤行は欠かさない。統合失調症でない創価学会員の冷たさに涙しながらも創価学会を疑わずに信仰を貫いてきた。病院に聖教新聞を取り、それを他患にも見せる。他患からは極めて非常に慕われている。完全に病棟一慕われている。病院一慕われていると言える。頭の下がる鉄の信仰の創価学会員である。これは近所の創価学会員が時折面倒を見てくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。近所の創価学会員が仲間に入れてくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。二人共に非常に軽症の統合失調症である。同時放送には同時放送の行われる正確な日時が解らず参加していない。もちろん入院してからは座談会には参加していない。聖教新聞の中からのみ創価学会を見ている。
一般に創価学会の統合失調症の患者さんは非常に熱心な人が非常に多い。これは非常に熱心過ぎたから統合失調症になった故と思われる。また、非常に厳しい環境が信仰熱心にさせているとも言える。
総本山(大石寺)は私が知っている元議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことで本山に恩を感じ法華講に入った。創価学会を脱会し宗門に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このとき創価学会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のように学会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはや創価学会は完全なカルトである。昭和六十三年頃のことである。(当時は、創価学会と宗門の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていた)
この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
すでにこの頃、創価学会は本山から離脱そして独立することを決めていた。早く本山が創価学会を破門するのを待っていた。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、宗門の人に娘のことを相談した。宗門の人は娘さんが創価学会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それでは大石寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう。」と言ってくれた。議員さんは創価学会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。池田大作が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
娘さんは大石寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。
魔性の創価学会(三)
創価学会にはガンが有意に多い。これは正確に統計を取れば解ることであるが、創価学会は決して行おうとはしない。一般会員でさえ創価学会にはガンが多過ぎることを気付いている。これも「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」。
池田大作が亡くなると、これらの現象が少なくなってゆくことを期待する。しかし、雪崩れ込んだ無数の悪鬼の浄化には時間が掛かると思われる。
池田大作が亡くなったら本山に全面的に詫びて本山に戻るようにしないと創価学会は大御本尊様との縁が完全に切れてしまう。創価学会は完全に邪宗化してしまう(すでに完全に邪宗化している??)。
ガンで苦しんでいる人は早く法華講に入るべきである。創価学会では治らない。何故なら創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。創価学会は完全に日蓮正宗から独立してしまっているからである。法華講(とくに妙観講)にはガン完治の体験談が多数存在する。
私は中等部の担当をしていたことがあり、創価学会員の大学・高校受験(一般の大学・高校の受験である。創価大学や創価高校ではない)の失敗があまりにも多いことを良く知っている。間違いなく合格すると太鼓判を押されている人も、その受験者が熱心な創価学会員の場合、不合格になってしまうことが頻繁に有った。
以前は中学生高校生で非常に熱心に信仰する者が多かった。完全に大人顔負けなほど信仰する者が多かった。純粋だからである。疑うことを知らないからである。純粋過ぎるからである。これは現在、顕正会に同じような傾向が見られる。顕正会は高校生が激しく折伏を行っている。
私も中学高校時代は一日一時間四十分(五千遍)唱題していた。二〜三時間唱題していた頃もあった。勤行ももちろん五座三座と行っていた。しかも気合いを入れてしていた。今はその十分の一もできない。あの頃は「広宣流布のために死ぬか?」と言われたら死んでいた。御本尊様を疑ったことは一度もなかった。御本尊様を信じて信じ抜いて厳しい少年時代を生き抜いてきた。御本尊様と一緒に厳しい少年時代を生き抜いてきた。苦しいとき、悔しいとき、御本尊様の前で心ゆくまで唱題して耐えてきた。何故、こんなに苦しいんだろう、苦しむんだろう、と思うことも良くあったが、ひたすら疑わずに信じ抜いていた。幹部は「親の信仰が足りないから子供がこんなに苦しむ」と責めていた。毎晩、声が掠れて出にくくなるまで唱題していた。毎晩、唱題が終わった十二時頃、法悦に浸っていた。
例えば高校浪人する人の半分は創価学会員であった(当時は高校浪人は特に地方に於いては少なかった)。“魔の働き”と私だけでなく多くの中等部担当者は推測していた。しかし“魔の働き”を言うと信仰しなくなるため中等部担当者の間では禁句になっていた。家の人が退転状態で全く勤行唱題したことがない創価学会員の場合は予想通り合格していた。――――これは昭和六十年頃までのことであり、現在、創価学会員の大学・高校受験がどうであるかは知らない。現在は創価学会の中学生高校生は大幹部の子であっても信仰をほとんど行わないことが多いので、こうした現象は非常に少なくなっていると思われる。しかし信仰を真面目に行っている少年部員・中等部員・高等部員はやはり受験に失敗しているようである。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。熱心に信仰しないと三障四魔は競い起こらないのである。しかし、創価学会員には三障四魔らしきものが余りにも競い起こり過ぎていた。本当に三障四魔に依るものか、池田大作が招き込んだ無数の悪鬼に依るものか、人生を棒に振った創価学会員は多い。これらはやはり池田大作が招き入れた悪鬼の軍団によるものと思われる。
極めつきの例を紹介する。この人は六浪して創価大学の一期生となった人だが、毎月三人、入信させていた。毎日三時間、題目を上げていた。毎月三人で一年間に三十六人、六年間で二百十六人になる。勉強も毎日三時間題目を上げて一生懸命に勉強していたのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。「この信仰をすると希望する大学に絶対、合格する!」と言って毎月三人入信させ、一緒に勤行唱題に励むのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。今、この人は、何処で、どのようにしているであろう。極めて信心強情であったから、大幹部になっているはずである。それとも池田大作の正体に気付いて退転したかもしれない。創価大学の一期生で六浪して入学してきた人は他にはいなかったと思われる。『創価大学に入るのが自分の使命だったんだ』と言って、その人は勇んで出来たばかりの創価大学に入学した。その人から折伏され入会した人から聞いた話である。その折伏され入会した人は非常に熱心な創価学会員である(しかし、若くして亡くなった)。
創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。
魔性の創価学会(四)
0000さん、創価学会員は治りにくいし重症化することを詳しくお教えください。自分も以前から気になっていたことです。
創価学会員は本当に治りにくいし重症化することを自分も以前から気づいていました。しかし誰に話しても本気にしない、病気は創価学会で治ると言い張られるばかりでした。 突然失礼します。
ベストアンサーに選ばれた回答
jd45678さん
はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。 医療分野に10年以上携わっておりましたが、確信したのは5年目くらいです。脳卒中や骨折、筋ジストロフィー、多発性の多少状など、癌や風邪であっても重症化したり、普通に症状が緩解するはずが合併症や薬物の副作用などが重なり悪性化、もしくは後遺症が残りやすい状況です。何故、気付いたかと言えば自宅に行けば、同じようなご仏壇やカレンダー、冊子があったのと、会話していると「毎日拝んでたのに・・・」など、親戚に学会の方がいるから何故か雰囲気でも「もしかしたら・・・」と思うとその通りだったりします。昔の仲間は、統合失調症(旧精神分裂病)で苦しんでいます。患者様(脳出血後遺症)では、立つ練習や起きる練習をしていたようですが一向に効果が無く、風邪や目眩でリハビリが進まないようでした。歩ける人(脳梗塞?)でも家族の助けが得られずいつも一人でした。脳の病気で話せない、動くのがやっとの方は民政員の介護者(家族)から虐めを受けていました。知人は、風邪が長引き20kgほど痩せてしまい、会ったときには驚くほどでした(入院時は一時意識レベルが危険になったようです)。また、頸椎の手術が失敗して首から下が動かなくなった方もいます。脳の後遺症がある方の多くは麻痺のレベルが大きいです(体の半身がほぼ完全麻痺など)。上記以外でも家族環境や社会的接触で気に懸かることが多くあります。
(質問した人からのコメント)
自分も医療分野にいますが創価学会員の治りの悪さや重症度の高さに気付いていました。病気だから創価学会に入るのだけでなく、創価学会員だから病気になると思っています。大変なところです。活動家でしたが、そうした現象を見て、今は批判的になっています。法華講に入りたいですけど、家庭上の都合や両親への厭がらせなどを考え、脱会はしないで居ます。
病気を治すためには
原島嵩氏は重度の不安障害を正信会を辞め法華講に入ることで治している。法華講員に精神障害が起こったという話は未だ聞かない。
原島嵩氏は目眩・吐き気を伴う重度の不安障害に二年余り、非常に苦しまれた。それは地獄の苦しみであったと書かれている。これほど重度の不安障害は珍しいが、創価学会員にこのような重度の不安障害は頻繁に見られる。創価学会員以外ではこのような重度の不安障害は稀である。創価学会病(または正信会病)とも言えよう。それが法華講に移るとともに自然に治っている。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
それならば創価学会に極めて多数存在するうつ病性障害などの精神障害で苦しんでいる人は日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。それが病気を治す一番の近道である。
不安障害の場合、抗不安薬は一時的には奏功するが一時的な効果しか望めない。抗うつ薬が不安障害を寛解させることがあると言われるが、寛解することは稀である。しかも創価学会の間違った信仰で不安障害になったならば抗うつ薬で寛解することはあり得ないと考えて良い。
とくに精神障害の場合はオカルトでしか説明のできない病気が大部分を占める。病気を治すためには法華講に入ることである。
しかし、最近、創価学会から脱会しなくとも勧誡式を受けることができることも頻繁にあると知った。それはご住職の考え次第であると書かれてある。家族に内緒に法華講に移っている創価学会員が多数存在する(とくに壮年部)。
勧誡式を受けて遙拝勤行、遙拝唱題をすると違う。
創価学会の日寛上人の“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているように何も感じない。それどころか悪いことが起こる。“魔”の御本尊であるからである。“魔”が入っている御本尊だからである。
病気を治すためには日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。(間違っても正信会の寺院に行ってはいけない。それが正信会の寺院か否かはインターネットで簡単に解る)
『私は「心療内科」ともかかわりました。しかし「心の病気」にはなんの解決にもならなかったのです。それもそのはずで、私の「心の病気」は正法に違背していたために起こっていたものだったことに、あとで気づいたのです。私が平成十一年元旦に日蓮正宗の勧誡を受けるまでの二年余りの年月、私も苦しい思いをしてきましたが、妻をはじめ、家族の苦しみもなまじっかなものではなかったでしょう。
ところが、平成十一年元旦の勧誡を受け、大御本尊様に合唱礼拝するようになって、あれほど苦しんできた不安神経症、うつ病が、気づいたときには、いつの間にか消え去っているではありませんか。あれほど一日何回も吐いていた吐き気も、跡形もなくなりました。』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
御書
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作 与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかとみえはんべり「是一」、又付法蔵の二十五人は仏をのぞ(除)きたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外に仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆえかとみえはんべる、正像猶かくのごとし、(略)
文永八年辛羊(かのとひつじ)十月五日 日蓮花押 大田左衛門尉殿 蘇谷入道殿 金原法橋御房 御返事
佐渡御書 文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
般泥おん経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ或いは形状醜る衣服足らず飲食楚々財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又曰く「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に因る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜る三には衣服不足四には飲食楚々五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり、
兄弟抄 文永十二年四月 五十四歳御作 与池上兄弟 於身延
今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又曰く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に曰わく「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に曰く「衣服不足にして飲食楚々なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云、
文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、
各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ
兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年十一月 五十四歳御作 於身延
(略) 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。(略)
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」
このように「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない。」という創価学会の教学(教学と言うより信仰観と言うべきだろうか)は間違っている。その逆である。病気になったのは過去世の重罪を打ち出すように熱心に信仰をしたからである。また、“魔”が憤然として競い起こるように熱心に信仰をしたからである。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。もう一度書く。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。
その病魔と闘う人たちを優しく助けることが大切である。「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない」と考えるのは非常に熱心な創価学会員に多く見られる。
この信仰を一生懸命にして病気になった人を軽んずる現在の創価学会の傾向性は全く間違っており、却って、そうした人たちを大切にすべきである。
また、このように御書には現世利益は余り説かれていない。「現世利益」を第一とすることは創価学会の誤り、創価学会の邪義である。「現世利益」を熱心に説いていたのは入信させるための方便であったとも思われるが(そのために日達上人などはこれらを黙認されていた)、全ての創価学会員は本気で「現世利益」を熱心に説いて入信を勧めていた。
この信仰をすると三障四魔が競い起こることが御書には書かれている。しかし生命は清められる。
日蓮大聖人も病気に罹られ、四条金吾により薬を処方され服用されている。日蓮大聖人は病を隠されていない。このことからも創価学会の病気をする人は「信心がない」という雰囲気は間違っている。池田大作が造り出した“邪義”である。病気によって信仰に奮い立つ人は多い。
「生」「老」「病」「死」は世の常である。むしろ病気によって人生経験の深みを増すこともある。病気によって道心(信仰する気力)が起こるのである。
「この病は仏の御はからいか。――――病によって道心は起こり候か」(「妙信尼御前御返事」p90)
うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。
「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。
結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。
私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。五年ほど前のことになる。
「三時間の唱題を“魔”の御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。二人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を三時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。
翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた。以来、現在までうつ病性障害の再燃はない」
洗脳されきった哀れな会員を救う
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。
昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。すでにこのとき池田大作は堕落していた。しかし私はそのずっと前から堕落していたと考える(異常なまでの権力欲)。
池田大作は戦後のどさくさの時は、川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸金の取り立てなどを手伝っていた。(山崎正友:懺悔の告白:日新報道:1994: p105)その経験を見込まれて戸田城聖氏は池田大作を雇ったのである。
二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に外見上の名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるために戸籍の名前をも変えた。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)。
何度も何度も役所へ行って執拗に頼み込んだのではないかと筆者は推測する。自己愛性パーソナリティ障害ならそういう恐るべき執念深いことを行う。賄賂を役所の担当員に渡した可能性も考えられる。この頃、池田大作は金融業で大成功し、非常に裕福であった。
池田大作は異常なほど国会喚問を怖れている。何故、それほど国会喚問を怖れるのか? 理解に苦しむ。
戸田先生は「国会喚問が来たら喜んで受ける、大聖人の仏法の素晴らしさを世に知らしめるチャンスである」と述べられていた。
池田大作は今まで公明党議員を使って国会喚問を避けさせてきた。公明党議員は国会議事堂の廊下に座り込むこともして池田大作国会喚問を阻止した(このとき青年部も多数、応援に呼ばれ参加した)。まるで暴力団である。
公明党は池田大作の私党であること、公明党の政策は池田大作の独断で決まることは常識である。公明党が在日外国人の参政権を推し進めようとするのは池田大作の独断であることは有名である。池田大作は在日韓国人の参政権のためにそれを強引に推し進めていると言われる。これは在日韓国人には創価学会員が多いため選挙を有利にするためであると言われているが本当の理由は不明であり、何か裏があると言われている。
何のための選挙なのか? 単に池田大作の醜い野望ではないか? 選挙が広宣流布を妨げた。政界進出を行わなかったなら、創価学会は現在の二倍以上の規模になっていたと思われる。政界進出が広宣流布を妨げた。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
現在、創価学会は選挙と財務しか行っていないといっても過言ではない。折伏にはほとんど力を入れていない。これは平成元年頃からである。
同時放送での池田大作のあの傲慢不遜な振る舞い、池田大作こそ悪鬼入其身である。同時放送でのあの言動と振る舞いは暴力団を彷彿とさせる。それを気付かない創価学会員がおかしい。あまりにもお人好し過ぎる(自分もそのお人好し過ぎる人間の一人であった)。自分の友達は一発で気付いた。
そして池田大作が招き入れた悪鬼が純真で真面目な創価学会員の身の上に次々と不幸を起こしている。熱心な創価学会員ほど不幸が起こっている。トップが悪いとそこから悪鬼が流れ込む、という文意の御文がある。池田大作が創価学会員を不幸に陥れてきたし、今も陥れている。もし池田大作が出現しなかったら、創価学会員は不幸にならず幸せになっていたはずだ。
創価学会員は一般にどうしようもないほど人が良いことが多い。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっていると思う。その人の良さは他に友達を作りたくないと思うほどである。貧困が存在していた昭和の時代には相互扶助および弱者への哀れみの心が人々に存在していたが、貧困が少なくなった現代では弱者への優しさを失った人々が激増し“いじめ”が社会問題化している。創価学会員の存在は現代に於いては一種の清涼剤のようである。それは元々、人が良かったから激しい折伏にも拘わらず素直に入信した故と思われる。もちろん例外もある。創価学会員にも私利私欲に凝り固まった信仰者とはとても思えない人も多数存在する。それは功徳欲しさ故に入信した欲深い人と思われる。元々、心醜い人は、どんなに勤行唱題、折伏、学会活動などを行っても、あまり変わらない。ただ、外見上、取り繕うことができるようになるだけである。
しかし、脱会すると今まで非常に親切だった人が、掌を返したように陰湿で冷たくなることをどう説明して良いか、判断に苦しむ。
人の性格を変えることは極めて困難である。不可能と言っても過言ではない。いや、遺伝生物学上、不可能である。人の性格は遺伝により生まれたときから決まっていると言われる。素直な性格の父親から生まれてきた子供は父親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。同じように素直な性格の母親から生まれてきた子供は母親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。父親、母親の性格を何割かずつ受け継いでいるならばその何割かずつの性格になる。子供は親の鏡ということわざが存在するのはそれ故である。性格は遺伝する。これは一卵性双生児の研究からも明らかになっている。育った環境が全く異なる一卵性双生児も性格は酷似する、育った環境により性格が修飾されることはほとんどない、という研究がある。学会二世三世の性格が一般に素直なこともその遺伝による。
選挙運動に一生懸命になることも、その素直さ故と、「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しがあるからと推測される。筆者は内向的な性格で友達が少ないこと、内向的な性格、また批判的な性格(へそ曲がりな性格と言うこともできるだろう。その頃、自分自身を「へそ曲がりな性格」と揶揄し幹部の人もそう言っていた。しかし「選挙運動に走り回る同志を批判力の無い人たちと定義することができる」とも思っていた)、それ故に選挙運動はあまり行わなかった。選挙には批判的であった。これは折伏のとき「宗教団体であるものが布教を二の次にし、選挙運動に没頭していることがおかしい。だから私は創価学会には絶対に入らない」「創価学会は政治に介入している。信仰団体とは思えない。信仰を隠れ蓑にした政治団体だろう?」「創価学会は公明党だから入らない」「創価学会は池田大作を総理大臣にする気だろう。だから創価学会には絶対に入らない」などと言われることが極めて多かったからである。公明党を造り選挙運動に没頭することがなかったら創価学会は現在の何倍かの規模になっていたかもしれない。しかし、このことを言っても幹部の人は「池田先生が、池田先生が、」と言って怒り狂うだけであった。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という言葉にはどうしても納得がゆかなかった。折伏を後回しにして選挙運動に没頭する同志の姿に納得がゆかなかった。宿命に苦しみ抜いている人たちを後回しにして選挙運動に走り回る同志の姿にはどうしても納得がゆかなかった。「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しの内部通達に「功徳欲しさ」に「宿命に苦しみ抜いている人たち」を後回しにして動いているように思えてならなかった。
その唆しは池田大作およびその取り巻きからきていることは明らかだった。自分はその取り巻きが悪いんだと主張することが良くあった。その頃の自分は取り巻きを悪く言っても池田大作を悪く言うことはできなかった。池田大作を崇拝する一般的な洗脳が自分にはやはりあった。また、幹部の前で池田大作を悪く言うことはタブーであったし、大変な反抗を受けることになっていた。
一人一人を根底から救うことを大聖人様は示された。政治が少し良くなっても宿業に喘ぐ一人一人は救われない。大聖人様の仏教を信仰しないことには一人一人は根本的には救われない。君主が法華経を用いると民衆にまで法華経が広まる時代であった昔ではない。池田大作が創価学会の歩みを狂わせた。「立正安国論」を池田大作は歪めて利用した。
創価学会員は人が良過ぎる。それは創価学会の激しい折伏に怒り心頭に達しなかった人たちが多く入会しているからであろう。円座になって取り巻いて創価学会に入ると言うまで帰さないというほどに締め上げても怒り心頭に達しなかった人たちが入会しているからであろう。そしてお人好しは遺伝する。人が良過ぎて池田大作の傲慢さ・魔性・嘘を見抜けないのだ。
創価学会は今まで間違っていた。あの狂気のような選挙運動、そして広宣流布が未だ成されていないのに正本堂を造ったこと。同時放送で池田大作は『広宣流布は私がした。あなたではない。私が広宣流布をやり遂げた。広宣流布は私がした。』と何回も言い威張っていたが、創価学会の現在の発展は何十万もの名も無き人々の血の滲むような努力の結晶である。そして広宣流布は未だ成し遂げられていないことは明白である。
もしも公明党を造って政治に介入しなかったら(池田大作の醜い野望)創価学会はいろんな政党から味方に付けようとされ、創価学会は守られていた。
「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。
池田大作は功を焦ったのである。もっと創価学会が大きくなってから政界進出すべきだったのである。政界進出とともに会員増加は頭打ちとなった。政界進出とともに創価学会への批判が高まり、選挙運動により会員が疲弊してしまい、会員増加が困難となった。池田大作は功を焦り「天下を取ろう」という野望を自ら砕いてしまった。
自分は選挙に批判的であった。しかし折伏は誰よりもしていた。選挙に反対の自分に対する狂信的な幹部による叱責・排撃は激しかった。
民衆救済という崇高な精神を踏みにじり権力へのあくなき執念を燃やすことは大きな誤りです。750年前、日蓮大聖人様は権力を取れと仰せになったでしょうか。国家かんぎょうはされましたが自らはあくまで正法を立て安国を実現するという権力と無縁のところに立たれていたのではないでしょうか。
池田大作は「自分が広宣流布をした」と同時放送ではいつも言っているが、そこが釈然と来ない。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか? もう一度書く。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか?
池田大作は自分がやったと同時放送では何回も言って威張っているが、それはおかしい。池田大作は邪魔をしただけである。
ある霊能者が語るところに依ると、池田大作には霊界から赤い木の乗り物がすでに迎えに来ているそうである(平成22年2月1日)。それは無間地獄への迎えの乗り物であり、赤く見えるのは火が燃えているからだそうだ。その乗り物の中で池田大作は業火に焼かれながら無間地獄へと落ちてゆくと言われる。
正本堂を造ったのは選挙に於いて「国立戒壇」のことで日本共産党などから責められないようにするため池田大作が考えたカモフラージュであったことは周知の事実である。その頃の創価学会員は貧乏な人が非常に多かった。しかし供養金を出すと功徳があると言われ、生命保険を解約したり、家や土地を売ったりして、正本堂建設のために献金した。献金すると幸せになれる、福運を積むことができる、と貧しい末端の会員に言い、多額の献金が集められた。しかし、創価学会員は幸せにはなっていない。周囲を見渡しても全て不幸になっている。幸せになっているところは一つもない。特に熱心にしていた処は悲惨な境遇に陥っている。
これからは『日如上人様なら、どう言われるか?』を行動の指針としてゆくべきである。
ジョージ・ウイリアムス理事長
アメリカのジョージ・ウイリアムス理事長が創価学会を辞め法華講に入ったと聞きました。信じられないことですが、詳しいこと、お教え下さい。命を賭して単身アメリカに広宣流布のために渡られた人です。私はとても尊敬していました。アメリカへと向かう飛行機内で父親が死亡した知らせを聞かれたと「人間革命」には書かれてありました。(現在の「人間革命」には、そのことが省かれてある??)
ウイリアムス理事長は池田大作の子息をアメリカの大学へ入学させるように命令されたが、アメリカでは池田大作は良く思われてないため(ドイツ、フランス、カナダ、オーストリアなど先進諸国では池田大作は極めて危険なカルトの親分として非常に悪く思われている。ただ貧しい発展途上国がお金欲しさに池田大作に媚びを売るだけである)入学させる大学を見つけることができず(第一庶務との連絡不徹底があったとも言われる)、そのために池田大作から激しく怒られ総括され、池田大作の本性を見、法華講に入ったと聞く。その激しい総括は数年にも及んだという。その数年にも亘る狂気じみた総括のためウイリアムス理事長は心身的にも大変疲弊し尽くしたと言われる。
アメリカではそのために法華講が大きな勢力を持っている。宗門と創価学会が同勢力を持っていると言われる。アメリカに創価学会の会館は多数あるが、使われずにいるところが多いという。たとえば池田大作はハーバード大学で二回講演した(かなり高額のお金を積んで根回しをして講演を行うことができるようにした)が博士号は貰っていない。アメリカの他の有名大学からも博士号を貰っていない。貧乏な大学からは博士号を貰っている。その講演のとき、池田大作は原稿のみを見て喋っていた。その原稿は池田大作のゴーストライター軍団が造ったものである。だから池田大作は内容も分からずに喋っていたことになる。内容も分からないから前を見る余裕も無かったのである。
ウイリアムス理事長が日本で「暴露本」を書いたなら、日本の創価学会は大打撃を受けることは明白です。
たしかに現在、日本の出版界に於いて創価学会の「暴露本」を出版することは非常に厳しくなっています。言論弾圧が行われています。インターネット上での暴露でも構いません。真実を日本の人々に知らせ、末端の創価学会員を不幸から救い出すのです。ウイリアムス理事長が日本で新しい創価学会を造られるなら私は喜んで馳せ参じます。たしかに生命の危険に遭うことになると思います。しかし、一度は広宣流布のために棄てた命ではないですか? たしかに日本の親族および子供達が危険な目に遭うことになるので、私は強く言えません。一考をお願いします。
同じく竹入義勝氏、矢野絢也氏、「暴露本」を出版するべきです。たしかに強い言論弾圧が行われていますが、末端の創価学会員に真実を知らせることが末端の創価学会員を救うことに繋がります。一考をお願いします。山崎正友氏、原島嵩氏、もう一度、「暴露本」を出版するべきです。たしかに出版することは現在は極めて困難になっています。命賭け、また家族、親類にも迫害が起こることになりますが、一考をお願いしたい。
創価学会はトップが間違ったから悪鬼が雪崩れ込み会員に不幸なことが競い起こった。トップが間違っているから不幸なことが競い起こる。
「その宗教団体のトップが間違っていたら其処から悪鬼が雪崩れ込む」という趣旨の御書の一節(あるいは他典)があるということですが、何処かお教え下さい。私は「日如上人様ならどう言われるか?」を現在、判断の基準にしています。(創価学会内部改革派憂創同盟より)
時代がどちらが正しいかを証明するだろう。創価学会に悪いこと不幸なことが起こるのは創価学会のトップが間違っているからである。悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでいるからである。創価学会の正常化(清浄化)を行うのが創価学会内部改革派憂創同盟である。広宣流布への情熱をそのままに創価学会を良くしてゆけば会員は幸せになれる。200万人もの創価学会員のためです。
創価学会は実質上200万人であるが、信仰する気を喪失し退転状態またアンチ創価学会の状態にある人たちを含めると四百万人になる。実質上200万人のうち、批判力を持たない狂信的な創価学会員の割合は8%と推定される。
創価学会は850万所帯などとでたらめを言っているが、筆者は19歳の頃、そのでたらめに非常に悩んだ記憶がある。他の邪宗(新興宗教)も同じように所帯数をでたらめに多く言っている。「他の邪宗と同じではないか」と19歳の頃、激しく悩んだ。キリスト教は所帯数を水増しして言っていない。
池田大作は大悪鬼である。広宣流布を妨げる大悪鬼である。何故、この大悪鬼が出現したのか? 御書には書かれている。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――しかし、これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。戸田会長は死の前に池田大作除名を言っていると私は信じる。しかし、それは池田大作そして池田大作に追従する人たちに握り潰されたのだと思う。または他に何かがあったのか? 池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。
池田大作が石田次男氏を抜いて第三代会長に成れたことに何かの秘密があると思われる。石田次男氏が第三代会長になっていたら創価学会員は不幸になることはなく幸せになっていた。現在、熱心だった創価学会員はほとんどが不幸に喘いでいる。また創価学会はもっと発展していたであろう。池田大作が第三代会長になったことに全ての不幸は始まっている。
そして広布の歴史の歪曲が「人間革命」など多数の出版物などで行われている。広布は名もない庶民が血みどろになって行ってきたことであって、池田大作が行ったのではない。池田大作は第一庶務の女性などを連れて研修道場の一角の超豪華な部屋(池田大作専用室)で楽しんでいただけである。このことを側近(最高幹部)は知っているはずである。また、そこを掃除していた女子部の幹部は疑いを抱き多数退転した。
大悪鬼である池田大作は現在、世俗の名聞名利を追い求める爬虫類(コモドドラゴン)と化している。また、選挙を至上として広宣流布をないがしろにしている。創価学会は今、宗教団体ではなく、むしろ政治結社になっている。
また、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を蔑如している(しかし、これを知らない創価学会員は極めて多い)。
これでは創価学会員が不幸になるのは当然である。大悪鬼を師そして生き仏として崇めると不幸になるのは当然である。
創価学会員はどうしようもないほど人の良いが多い。創価学会員以外とは友達で居たくないほどだ。友達はほとんどが創価学会員だった。創価学会員以外は信じることができなかった。創価学会員以外は疑ってしまっていた。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっている。
人の心は声に現れる、顔に現れる。同時放送で見抜かなければならない。
戸田先生の十回忌の法要は寺院で行われた。創価学会がもはや池田教と化していたため創価学会では行わず戸田家の判断で日蓮正宗の寺院で行われた。戸田家が法華講であることはよく知られている。また、これは戸田先生が亡くなられたとき、池田大作が戸田先生の見舞金として全国より寄せられた4000万円は渡さずに、二台のトラックで戸田先生の遺品を大量に強奪していったためとも言われる。このとき日本刀も強奪したが、これが戸田先生と池田大作の師弟の絆として記念館に展示してあるのを戸田先生の奥さんが見られて非常に驚かれたという話は有名である。これは池田大作除名の遺言状を探し出すためでもあったのではないかと私は邪推する。
韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。
質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。
三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円〜三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。
四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。
五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。
六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。
創価学会内部改革派憂創同盟
かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
正義の書
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。同時放送に出席して、その傲慢な振舞いと言動に呆れた人は多数存在する。池田大作こそ獅子身中の虫である。批判力をあまり持たない婦人部の人たちはほとんど創価学会池田派であるが、壮年部には内部改革派憂創同盟的考えを持った人が多い。しかし、そういう人は創価学会の会合にはほとんど出席することはない。
池田大作の間違いを諭し、原島嵩氏、山崎正友氏などが反逆者のレッテルを貼られ創価学会から去っていった。反池田を唱えない限り、反逆者のレッテルは貼られない。反逆者のレッテルを貼られるのを恐れ、池田派の振りをしている卑怯な者は大勢居る。
「内部改革派憂創同盟の自覚を強く持つ」と様々な苦難から逃れることができる。「改革派の自覚を強く持つ」と悪いことはあまり起こらなくなる。今まで「宿業が出た」「魔だ!」と言っていたことは起こらなくなる。
今までは熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こっていた。『創価学会に属していると不思議なほどの不幸なことが起こる』と法華講に入った人は多数存在するが、法華講に入らずとも創価学会のままで「改革派の自覚を強く持つ」ならば不幸なことは起こらなくなる。今まで多数の人が『この信仰は宿業が出る』と創価学会を辞めていったが、それは宿業と言うよりも大悪鬼・池田大作の存在があったから悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでおり悪いことが起こっていたのである。それを「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。
『こんなに熱心に信仰しているのに何故こんなに不幸なんだろう。熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こる』という人が多かった。それは大悪鬼・池田大作を神仏化しているからである。大悪鬼・池田大作ももう八十歳を越えている。大悪鬼は糖尿病である故、脳梗塞で死ぬ日は近い。
大悪鬼亡き後、池田大作の機嫌伺いをしている側近の最高幹部たちは反旗の烽火を上げる可能性も僅かだが有る。大悪鬼死すまであと数年掛かるだろう。その間は私も含め「改革派の自覚を強く持つ」しか選択の余地の無い人は多く存在すると思う。大悪鬼死すまでは強く胸に「改革派の自覚を強く持つ」っていくべきである。そうしないと悪鬼が我が身に入ってくる恐れがある。
これからはインターネットを通じて「池田大作」の間違いを追求し、創価学会が正しい信仰団体になるように努力するのみである。
(完) (文責・創価学会内部改革派憂創同盟残党)
※注:「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。――これは不可能なようである。法華講に入らないことには悪鬼の攻撃をブロックすることはできないようである。甘い考えであった。前に書いた創価学会内部改革派憂創同盟の人がガンで亡くなったらしいことも創価学会に充満する悪鬼の仕業であったと思われる。それほど創価学会には悪鬼が充満しているのである。
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
池田大作が悪いのである。池田大作が創価学会を歪めてしまった。池田大作が現れなかったら、たくさんの人が塗炭の苦しみに襲われることはなかった、塗炭の苦しみに陥ることはなかった。
我欲に凝り固まった執念の男と言うことができるだろう。池田大作は「天下を取ろう」を口癖にしていた我執の固まりの人間であった。その我執は病的であり、しかし、それが池田大作を創価学会第三代会長にした。池田大作は「天下を取る」執念の男だったのである。
その執念も途中で潰えた。たくさんのたくさんの人々の不幸を犠牲にして。池田大作のために不幸のどん底に落とされた人は数知れない。
破産して一家離散になった人、病気で苦しみ抜くことになった人、事故に遭い人生を棒に振った人、など数知れない。
それらはすべて池田大作が宗門を支配し宗門を傘下に置こうとした醜い我欲の結果である。池田大作が創価学会に導き入れた無数の悪鬼の集団によるものである。
謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。
墓の中で池田大作を呪っている創価学会員は多い。池田大作が連れてきた悪鬼の大集団により人生を狂わされた無数の人たちの怨恨の叫びが響き渡る。日本中にその怨恨の叫びは響き渡っている。創価学会を池田大作を呪う怨恨の叫びで夜の墓は満ちている。
多数の大幹部が癌で早死にした。彼らは死ぬとき何も分からなかった。何故、広布のために懸命に生きてきた私たちが早死にしなければならないのかを。それが池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることを死んでから気づいた。
統合失調症、うつ病性障害となり自殺した創価学会員も多い。彼らも死んでから自分たちの病気が池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることに気づいた。その怨恨の叫びも多い。
商売に失敗して一家離散した家族も多い。呪われたように商売に失敗した彼ら彼女らはその理由が死ぬまで分からなかった。そしてそれが池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた無数の悪鬼に依ることを知って今は池田大作を呪っている。
夜の墓は池田大作を呪う怨恨の声に満ちている。死後、無間地獄が決定した池田大作は現世に於いて謗法の罪はほとんど現れない。だが、池田大作は死後の無間地獄が決定している。池田大作は肥った肉塊を揺らしながら死後、無間地獄の苦しみにのたうち回る。池田大作はそして永遠に無間地獄の苦しみに奇声を発し続ける。その声は永遠に日本中に響き渡るかもしれない。
日本中に池田大作により人生を狂わせられた人たちは余りに多い。本当なら幸せな人生を歩んでいたはずの人も池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼のために人生を狂わせられた。その人たちは余りにも多い。
原田新会長へ
原田新会長、勇気と正義の人になってください。貴方まで池田大作の下部になってはいけない。末端の多数の純粋な学会員のためです。勇気と正義感で池田大作の間違いを末端の純粋な学会員に知らしめるべきです。池田大作の間違いに気付き始めた人は多くなっています。しかし学会執行部が聖教新聞を使って未だに池田大作を讃えている。
反逆者とされるアメリカのウイリアムス理事長・原島嵩氏・竹入義勝氏などは実は正義と勇気の人であることを貴方は知っているはずです。貴方は正義の人になるべきです。
元創価学会教学部長、原島嵩 著「絶望の淵より甦る」(日新報道刊)(1410円+税)を読みました。原田現会長のことが幾つか言及されてあります。
また、元公明党委員長、矢野絢也 著「黒い手帳」(講談社刊)(1710円+税)も読みました。
二つとも非常に興味深く面白く、感動しました。何度も何度も繰り返して読みました。是非、購読して読むべきものと推薦します。
なお、会館職員などは批判に返答できるようにするため、こういう書籍は回し読みをしている。一般会員もそうするべきと思う。
―――しかし、原田新会長も保身を貫くらしい(と言うよりもできない?)。反旗を翻しても潰されるだけである。これでは創価学会の改善はまだ待たなければならない。原田新会長は創価学会が韓国のように分裂してはいけない、という考えの下に、そうされているのだと信じたい。韓国のようにならないために、最高幹部たちは未だ行動を起こさないでいるのだと信じたい。
広宣流布への情熱が法華講にはあまり感じられないというのは間違いで、法華講には広宣流布への情熱を持った人が多数、存在する。それは創価学会以上と言える(創価学会は今は選挙団体である。政治団体ではない。何故なら、創価学会員は政治のことは知らず、ただ選挙運動に走らせられているからである)。創価学会から法華講へ移った人は迫害などを堪え忍びながら信仰を貫いた勇気ある人たちである。真実を見究める目を持った人たちであり賞賛に値する。
獅子身中の虫、それは池田大作である。池田大作が広宣流布を頓挫させた。もし、池田大作が出なかったら広宣流布は成し遂げられた可能性は高い。今から広宣流布をやり直すしかない。池田大作により頓挫させられた広宣流布を新しい正しい創価学会で成し遂げれば良い。悪鬼が逃げ去った後の創価学会ならば弘法は比較的容易くなる。現象として悪いことが余り起こらないようになるからである。今までは、現象として余りにも悪いことが起こり過ぎていた。そのために退転者が極めて多数生じていた。
私は聖教新聞の通信員をしていたことがあるが「ある人の体験談を書こうとすると、良いこと(良い偶然)も起こっているが、悪いこと(悪い偶然)が沢山起こっている」と先輩に相談すると「その良いところだけを繋ぎ合わせて創作したら良いのだ。それが広宣流布のためだ。」と言われ、私はそのように行ってきた。私はかなりの数を書いた。その頃は元気一杯の私であった。怖いものは無かった。池田大作の正体に気付かなかったならば、苦しい日々ではあったが元気一杯だった。しかし、気付いてしまった。怖いもの無しの自分ではもうなくなってしまった。元気一杯のあの頃の自分にはもう戻れないのだろうか? 怖いものが確かに無かった。世のため人のためにと元気一杯だった。ただ、元気に成り過ぎて社会常識を踏み外すことが頻繁にあって苦労した。そして悪いこと(悪い偶然)が起こり過ぎていた。運命も確実に下降線を辿っていた。不幸へ不幸へと進んでいた。
つまり、聖教新聞・大白蓮華などの体験談は半分嘘が多い。本当は少ない。悪いところは書かないである。半分嘘を読んで感動してはいけない。感動するように創作はしてある。
昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。
それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か?
最高幹部の結束した造反を期待する
現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書いただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
創価学会は広宣流布が成し遂げられていないにも拘わらず、正本堂(国立戒壇もどき)を造った。これは日蓮大聖人の御遺訓に背くものであった。選挙には「国立戒壇」は非常に邪魔であった。「国立戒壇」を日本共産党が強く突いていた。それを逃れるための苦肉の策であった。「顕正会」(元・妙信講)の主張は正しかった。宗門もその当時は創価学会の強い主張に従わざるを得ない状況であったと思われる。宗門もその当時、判断を誤ったと言えるであろう。
池田大作は純真な会員を懸命な選挙運動に走らせた。同時放送では「公明党が第一党に成りなさい」と狂気の言動を発していた。選挙運動に大きな功徳があると最高幹部たちに言わせていた。そして女子部・婦人部はそれを鵜呑みにしている。男子部・壮年部は批判力があるから鵜呑みにすることは少ない。
池田大作が亡くなった暁には「池田大作批判」で聖教新聞が埋まることは難しいが、最高幹部が結束して行動を起こすなら創価学会が正しい創価学会に生まれ変わると思う。しかし、最高幹部が結束して行動を起こす可能性は極めて低い。池田大作は子供に跡を継がせるためイエスマン以外は排除してきている。批判的な幹部は排除してきている。
やがて、正しい創価学会となり、会員が幸せになれる創価学会ができることを願う。その日が一日も早く来ることを強く願う。
(第1章終了)
緊急公示(1)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月1日2010年)
保田妙本寺こそ正統ではないかと思ってきた。法華講も保田妙本寺もどちらでも良いという考えもある。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ万人救済の大御本尊なのだと思ってきた。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をすると凄い。
今日にでも保田妙本寺に連絡を取ろうかと思う。
正本堂募金返還運動を起こした民音の松本氏は正しかったのだ。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ正統なのだ。
今からは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をする。
やっと本物の真実に出会えた。
保田妙本寺さんへ
自分は創価学会員でしたが池田大作の同時放送での横暴さに耐えかねて4年近く前に創価学会内部改革派憂創同盟と名乗りインターネットで活動を始めました。しかし“魔”の御本尊のことなどを考え、1年近く前に法華講員になりました。
しかし、創価学会へ退会届は出していません。女房一族が狂信的な池田教の信者です。そのため法華講員になったことを隠し続けています。法華講員になったことがばれたら離婚ものです。女房には何の未練もありませんが、4歳半ともうすぐ3歳の子供が愛しいです。法華講員になったことは言えません。
保田妙本寺に入ることを考えたのも、法華講に入っていることを知られるよりも安全と考えたことが一つの理由です。しかし、それよりも、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊と思って遙拝勤行すると全く違うのを体験しています。
以前、民音(創価学会の音楽普及団体)の松本氏が末法万年救護の大本尊こそ正統な大御本尊だと言って正本堂募金返済訴訟を起こしたのは正しかったと思います。
自分は女房に内緒で法華講員となっていますので御本尊は戴いてなく、遙拝勤行の日々です。
保田妙本寺に入って良いでしょうか? 末法万年救護の大本尊が正しいです。
法華講の人から連絡がありましたが、保田妙本寺と法華講は親戚のような関係なのでしょうか?
これからは末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をします。
http://sky.geocities.jp/mifune0008/ ホームページ
ccc998@infoseek.jp メール
ここは病院の医局でインターネットがありません。金曜の昼から月曜の朝九時まで当直です。明日、メールすると思います。
(完)
やっと真実の宗教に出会えたという喜びで一杯だ。(11月14日2010年)
池田の最大の失敗は宗門と手を切ったことである。しかし、たしかに学術上、間違いなく富士大石寺の大御本尊は第9世日有上人の時代に造られた偽造本尊である。それなのに、あれだけ力があった。本物の保田妙本寺の末法万年救護の大本尊はもっと力がある。
創価学会が保田妙本寺を新しく本山とするならば創価学会員は幸せになり、広宣流布も達成されると信じる。(1月3日2011年 午前6時48分)
最後の緊急公示:創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺を離山す
【創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺より離山する事を宣言する】
『創価学会内部改革派憂創同盟残党は、親・創価学会として再出発することを宣言する。しかし、反池田派は固持する』
(1月21日2011年 午後2時15分) 保田妙本寺より離山する。
(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)
僕は創価学会員として育ってきました。また、妻の一族は狂信的な創価学会一族です。創価学会を脱会することが許されないのです。幼い子供が2人います。
保田妙本寺は信徒が神社の氏子となっている、近所の他宗のおばちゃんたちが庭の掃除をしているなど謗法が存在することが判明した。よって、謗法の山と化した保田妙本寺を創価学会内部改革派憂創同盟残党は一人離山する。
保田妙本寺の昔からの信徒には広宣流布の情熱が感じられない。広宣流布の情熱が無いならば、そこは謗法の山である。
それに保田妙本寺の信仰を行うと自分はうつ病性障害が再燃するのです。ここ2ヶ月ほど、うつ病性障害の再燃に苦しみました。創価学会内部改革派だ、と思うと僕のうつ病性障害は軽くなるのです。
贋作の大御本尊を擁する日蓮正宗には歓喜が存在した。その歓喜は広布に駆ける一人一人の胸中に仏性として湧き上がってくるものです。日蓮大聖人は民衆救済を叫ばれました。創価学会にも日蓮正宗にも末端には民衆救済の情熱があります。カルト指定されているほどの民衆救済の情熱があります。しかし、保田妙本寺には極一部にしか民衆救済の情熱を見い出せなかったのです。
自分には学会っ子としての血が流れているのです。厳しい少年時代を御本尊様と一緒に生きてきました。辛く苦しい少年時代でしたが、御本尊様とともに育ってきたから負けませんでした。泣きながら帰っても御本尊様の前で一生懸命、題目を唱え、次の日には元気一杯に学校に行っていました。
(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)
創価学会に反池田派だけど付いていこうと決心したのです。日蓮正宗は大御本尊を始め贋作教団とされていますから付いていきません。反日蓮正宗の立場を取らせて貰います。
今も僕が創価学会員として戦っていると思っている宿命(統合失調症)に苦しみながらも戦っている昔の同志の年賀状に涙したのです。返事は未だ書いていません。
宿命に苦しむ同志を裏切ることは自分にはできないのです。
――――自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
正義の書
創価学会内部改革派憂創同盟残党
はじめに
愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言)
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。
同時放送に出席して、その傲慢さに呆れた人は多数存在するだろう。池田大作こそ獅子身中の虫である。創価学会の信仰を真面目に行っても幸せになれなかったのは池田大作が大悪鬼であったからである。敏感な人は同時放送のその声を聞くだけで池田大作が大悪鬼であることに気付くものである。その声は「傲慢の極み」であり、優しさ、謙虚さなど微塵も感じられない。
正しい御本尊に祈らなければ幸せにはなれない。正しい宗教団体に属さなければ幸せにはなれない。原田会長が池田大作の死後、英断を振るい再び宗門の一信徒団体に復帰することを期待する。すべて池田大作が悪かったのである。池田大作が我欲のために戸田先生の造られた正しい信徒団体を破壊尽くしてしまったのである。
正しい御本尊でも正しい信徒団体(講)に属して祈らなければ幸せにはなれない。正しい御本尊でも極悪の宗教団体(創価学会)に属したまま祈ると不幸になる。
http://sky.geocities.jp/mifune0008(**これがホームページのアドレスです)
ccc998@infoseek.jp⇦⇦⇦これがメールです。 (平成22年11月1日記す)
純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。自分はそれら純朴な古くからの会員が可哀想でならない。それが私が法華講に入らず、創価学会内部改革派を名乗っている理由の一つである。この純朴な創価学会員の存在を思うと法華講に移りにくい。創価学会を改革してこの純朴な創価学会員を救わなければという思いが強い。
我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。それ以外、創価学会が蘇生する方法はないであろう。創価学会が蘇生すれば純朴すぎて無知故に創価学会から法華講に移ることのできない人々を救うことができる。
昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切結びつきを持たない。正信会とは対決する(正信会は既にほとんど潰滅している)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
創価学会は宗門と縒りを戻し、戸田先生時代の創価学会に戻すようにする。正しかった時代の創価学会に戻すのである。つまり創価学会は日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。もう一度書く。創価学会を日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。または創価学会解散を行うべきである。
池田大作の亡き後、創価学会員が多数、宗門に入る(戻る)ことは難しい。創価学会員は聖教新聞などの偽りの報道しか知らない人が大部分である。そして創価学会に義理人情で縛られてしまっている人が非常に多い。また創価学会の矛盾に気付いていても今までの創価学会の友情と交際が絶たれることを怖れ自分から日蓮正宗法華講に移る(戻る)信仰心の強い人は少ない。日蓮正宗法華講に移る(戻る)と一人っきりになるからである。一人住まいの老人が多い昨今その仕打ちは辛い。また嫌がらせ、迫害もある。
もはや完全に謗法の魔窟と化してしまった創価学会であるが藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)が創価学会会長になると蘇生するであろう。この他に創価学会員を救う道は無い。
我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。他に可哀想な純朴な創価学会員を救う道はない。
(完)
第1章
池田大作の精神病理
【研究と報告】
池田大作の精神病理(第2稿)*
――――私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者であるーーーー
創価学会内部改革派憂創同盟残党**
【抄録】
タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国とくに欧米に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、妄想は奇妙で現実離れしている。故に妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、妄想型統合失調症を発症したと考えられる。
【key words】Daisaku-Ikeda, Soka-gakkai, Schizophrenia paranoid type
【はじめに】
日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
統合失調症には妄想型(Paranoid Type)、解体型(Disorganized Type)、緊張型(Catatonic Type)、鑑別不能型(Undifferentiated Type)、残遺型(Residual Type)があるが、妄想型が一番多く、緊張型は以前はよく見られていたが現在では先進諸国ではほとんど見られなくなった。統合失調症は生涯発病率は約0.85%(120人に1人)であり、国、人種による差はほとんど無いとされる。
池田大作は妄想型統合失調症である。下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症であることを支持する。
【症例】
昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)。
池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』
同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』
全てが奇妙で現実離れしている。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症である。妄想性障害では決してこのようなことは言わない。
以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして妄想性障害を説明する。
妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳以降(成年中期から後期にかけて)に発病する。
妄想型統合失調症とは異なり、妄想性障害は比較的稀である。
妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。
もう一つ、自己愛性パーソナリティ障害との鑑別が必要であろう。自己愛性パーソナリティ障害の統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。すなわち自己愛性パーソナリティ障害の妄想は説得により崩れる脆いものである。自己愛性パーソナリティ障害の患者は「世界は自分を中心に回っている」という妄想を良く抱くが、患者自身、その妄想に疑いを持っている脆いものである。
宗門支配にしても自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す。自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”と言われていた池田大作はやはり統合失調症しか考えられない。
よって創価学会員に好発する妄想型統合失調症に池田大作も罹患したと考えられる。
この高瀬広居のインタビューのみで池田大作が確実に妄想型統合失調症と診断される。
私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)ーーーーーーー 誇大妄想
私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)――――――― 電波妄想である(これは統合失調症に特有なものである)
平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築を示唆する。誇大妄想である。
池田大作は池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは当時は家庭裁判所が認めたときのみである。戸籍の名前を変えることは当時はそれほど困難なものであった。凄まじい執念で変えたものと思われるーーーー誇大妄想
元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」――――これは池田大作の芝居と元側近は考えたが、自分は大聖人の生まれ変わりであるという誇大妄想である。
本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めたーーーーこれを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性は高い。また、誇大妄想のための芝居とも取れる。
池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道、2002、p208)ーーーーこれは演出ではなく誇大妄想である
池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった――――誇大妄想
結婚後、かね婦人が池田大作が勤行唱題しないことに対し質問したら「俺は特別だから」と答えたーーーー誇大妄想
また、既にこの頃から池田大作には信仰心が無く、学会活動を次期会長になるためのビジネス(仕事)と考えていたと思われる。「天下を取る」を口癖に池田大作は学会活動に走り続けた。彼の学会活動は「天下を取る」という燃えたぎるような誇大妄想のためであったーーーーー誇大妄想
池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)
――――被害妄想と日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p81)―――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p261-2)――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p264-6 )――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想
ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー誇大妄想
子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー誇大妄想
池田大作の目から睨まれると誰でも怯えてしまうことーーーーー妄想型統合失調症者に特有の目である
ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー誇大妄想
海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー誇大妄想
全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー誇大妄想
竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に幹部よりそのことを知らされた――――誇大妄想
宗門乗っ取りは絶対不可能であったのに宗門乗っ取りを謀ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の最重症であっても、そのような無謀なことをする前に現実を認識し目が覚めるものであるーーーー妄想型統合失調症の誇大妄想
この2、3年海外旅行を行なう場合、かね子夫人同伴で出かけていくのも、池田は時々異常な発作を起こし、側近同行の者にあたりちらす。夫人の同伴は、そういう池田の発作を鎮めるためだ、と言われるーーーー妄想型統合失調症の興奮
同時放送には自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想に満ちた統合失調症者の姿を晒しているが、そのスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーーキンマンコはその一つである(しかし、幻聴であった可能性も高い)
意欲減退、社会的無気力はなかったようだーーーー創価学会の信仰を行っている統合失調症者には意欲減退、社会的無気力が出ないという特色がある。75歳の創価学会の統合失調症者で恋愛妄想があり、意欲減退、社会的無気力、人格の崩れは全くないが退院要求の非常に強い男性患者を知っている。退院してその女性と結婚すると主張している。
しかし、池田大作は既に26歳頃には信仰を退転していたという意見が多い。池田大作は軽症であった故に意欲減退、社会的無気力など陰性症状が出なかったと思われる。
創価学会員は妄想型統合失調症を神様のように崇めてきた、崇めていることになる。また、これが創価学会員の精神障害の異常多発を招いた、招いていると言っても過言ではないと思われる。
【考察】
私見ではあるが、潜在的に存在している統合失調症の患者は多い。奇人変人扱いされながらも彼らは病院から抗精神病薬をもらうことなく生きている。彼らは妄想と現実の両方で生きている。結婚もし、家庭も築いていることが多い。現実社会を生きてゆく上で最も問題となるのは性格の素直さ、優しさである。
彼らは精神科を受診している場合、反社会性パーソナリティ障害、統合失調症型パーソナリティ障害、または統合失調症質パーソナリティ障害と誤診されていることが多い。彼らはハロペリドール2mg/day (またはブロムペリドール4mg)を投与すると借りてきた猫のように大人しく従順になる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。これは妄想型統合失調症の軽症として良いと思われる。
各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラー、金正日たちは潜在性統合失調症と推定される。
この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その誇大妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気の執念で懸命に走らせた。大阪での参議院選挙、炭労問題などに誇大妄想による狂気の執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。これを「大学ノート事件」という
北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館、2004、p19)これは妄想性パーソナリティ障害も考えられるが、統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートで間違いない。
会長になってからは日本征服の野望(誇大妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
そして国会喚問の危機に立たされた時、子供のように恐れ戦き、軽井沢の別荘に閉じ籠もったりしたこと、このとき熱があると側近に何度も強調したこと。また、これ以外にも国会喚問の危機に立たされたが、池田大作は国会議員のみでなく創価学会の青年部を使って国会議事堂内に座り込みをさせ、国会喚問を阻止させた。これらは統合失調症の被害妄想と思われる。
折伏による日本制覇が不可能と解ると、総体革命という社会の重要ポストを創価学会員で占めて日本を制覇するという妄想に変わった。数少ない創価学会員で社会の重要ポストを占めることは不可能であるし、例え社会の重要ポストの多くを占めても日本制覇は不可能であり妄想の産物に過ぎない。これは現実認識能力が欠けていることを示唆する。
また、1990年代に自民党独裁政権が崩壊し、連立政権で大臣のポストを幾つも取った時、子供のように喜んだことは、これも現実認識能力が欠けていることを示唆する。
統合失調症の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想のため、宗門支配を企んだ。しかし失敗し、破門になった。宗門支配は池田大作の野望または狂気と言われている。宗門支配は不可能であることは分かりきったことであるのに行った。これも現実認識能力の欠如を示す。
自分が大聖人よりも偉いという誇大妄想が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。これは新興宗教の教祖には共通のことである。
最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という誇大妄想と人格崩壊のためと考えられる。
東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという誇大妄想と人格崩壊から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、統合失調症が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
潜在性統合失調症はイランなどの指導者にも存在しているらしい。潜在性統合失調症者に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症者同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。
潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。これは妄想型統合失調症の軽症ではなく妄想型統合失調症と別のタイプの統合失調症と考えて良いかも知れない。見逃されている潜在性統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにほとんど認識されていない。
池田大作、文鮮明、金日成、この3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。この3人は諸外国より勲章、メダルを買い漁った。3人の顔、体型はよく似ている。これは偶然性の一致と言われる。この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は考える。
国家指導者および宗教指導者に見逃されている潜在性統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。
【終わりに】
現代では、誇大妄想を主とする統合失調症者が新興宗教の教祖の多くを占める。池田大作もこの例に漏れず、精神科受診はなかったのかもしれない。しかし、池田大作の側近には精神科医もいる。その精神科医が抗精神病薬を服用させている可能性は高い。
池田大作は金貸し業を始めてから金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。このような人並み外れた霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。
池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。しかし、これは取り立てが異常に酷かったためという意見もある。実際、池田大作の借金を返すことが出来ない人達への仕打ちは極めて異常であったという多数の証言がある。
池田大作の借金取り立ては凄まじく、情け容赦もなかったと言われる。借金返せない人の家や土地を取り上げ、金目のものは何でも持って行ったという。家を取り上げられた人は住む所もなく放浪の旅に出た。大蔵商事の鬼の池田と恐れられていたと言われる。そのため大蔵商事は極めて危険な貸し金融と恐れられていた。病気で寝ている老人の布団を剥いで持って行ったという逸話も伝わる。
破綻し懸かっていた戸田城聖氏の事業は蘇生した。戸田城聖氏はこれ以来、池田大作に頭が上がらないようになったとも言われるが真偽の程は定かでない。また、これが池田大作が第3代会長になる大きな要因に成ったとも言われる。
鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。
【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002
5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003
7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994
8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004
9)DSM−?−TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007
*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda
**どんぐり病院(〒000−0000 どんぐり市どんぐり町000−00)
Toshiro MIFUNE:000 psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .
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日如上人様
自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移ったばかりのものです。是非、申し上げたいことがあります。
池田大作が亡くなった今、創価学会を元のように日蓮正宗の一宗徒団体として戻してくれませんでしょうか?
池田大作は病気だったのです。精神が病んでいました。自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害に罹患していました。これは一般に人格障害とも言われているものです。この病気はクスリも何もほとんど効きません。成り上がりの独裁者に多発する病気として有名です。外国にも数例、同じような症例が存在します。
或る小国の成り上がりの独裁者は国の至る所に自らの銅像を建て、テレビの放送でも自らを賛美する放送を流しています。この国は天然ガスが豊富に産生され、国が非常に豊かで平和であり、この独裁者への反抗はないようです。
異常な権力欲が池田大作を第三代会長に成らせ、巨大過ぎる権力を持ったことが彼をますます傲慢にさせました。そして宗門を支配下に置こうとまで考え至ったのです。
しかし、池田大作はパーソナリティ障害を越え、自分が本当に日蓮大聖人以上の存在だと思っている妄想性障害または軽度の妄想型統合失調症なのかもしれません。新興宗教の教祖にはよく見られることです。
その池田大作には創価学会員が一番苦しまされたと言って良いでしょう。池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会員に次々と不幸な現象を起こしました。
今、末端の創価学会員は不幸に喘いでいます。偽物の御本尊を拝んでいることと池田大作が創価学会に招き入れた悪鬼の大集団のためです。創価学会員全員が法華講に移ったら良いのですけど、それは不可能と思います。
不幸に喘ぐ末端の創価学会員は100万人に達すると思われます。どうか、彼ら彼女らを見捨てないでください。悪かったのは池田大作一人です。創価学会員は騙されていたのです。
悪いのはすべて池田大作です。創価学会員は被害者です。
池田大作亡くなった今、創価学会を破門から解いてもらいたいです。創価学会員は被害者であり、何も悪くありません。
池田大作は精神異常者でした。これは今後の池田大作の精神病理学的研究より明らかになることでしょう。創価学会員は精神異常者から騙され続けてきたのです。
創価学会員は非常なお人好しの集まりです。非常なお人好しだから池田大作に騙され続けていたのです。
寛大なご処置をお願いします。
創価学会内部改革派憂創同盟残党
魔性の創価学会(一)
一度、精神障害に罹った人は、ただでさえ治り難いのが精神障害である。これが創価学会に極めて多発している。これは四十年以上前から創価学会の上級幹部の間では良く知られていた。また折伏闘争華やかなりし頃には「急性精神病状態(acute psychotic state)」(以前は心因反応、急性分裂症様状態と呼ぶこともあった。現在では急性統合失調症様状態と呼ぶこともできるだろう)での精神病院入院が極めて多発しており精神科の医師の間で創価学会の「急性精神病状態」の患者の非常な多さは有名だった。
これは昭和四十九年頃発売の精神医学専門雑誌に詳しい論文が出ている。それは私の机の上に置いてあった。おそらく先輩が私を創価学会から辞めさせようとして私の机の上に置いたのだと思う。私はその雑誌から読んだ。その精神医学専門雑誌が何という雑誌であったか、また正確な発売された年が記憶にない(昭和四十五年から五十二年にかけてのものだったと思う)。「創価学会」「精神疾患」という二つのキーワードで医学文献のデータベースを検索すると出てくる可能性がある。この二つのキーワードで検索すると私が読んだもの以外の論文も出てくると思われる。しかしデータベース化されていない可能性は高く医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すのが一番と思われる。
医学専門雑誌の会員になるとインターネットで検索可能かもしれない。「精神医学」という精神医学専門雑誌であった気がする。しかしデータベース化されていない可能性は高い。医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すしかない可能性が高い。昭和五十五年以降は創価学会の言論弾圧により創価学会を題材とするような論文は決して掲載されなくなった。
「急性」(二週間から三ヶ月の入院)で治まった者は幸せで「慢性」となり(これを統合失調症と呼ぶ)精神病院に長期入院または入院と通院の繰り返しとなった創価学会員は多い。しかし大部分は一時的なエピソードで終わり極一部が慢性化したのみのようである。
創価学会員の「急性精神病状態」の特徴として必ず躁的であることが上げられる。しかし現在、勤行唱題が以前のように熱烈に、そして長時間は行われなくなったためと思われるが「急性精神病状態」はほとんど見掛けなくなっている。代わりに現在(少なくとも二十五年程前から)は、うつ病性障害が非常に多発するようになった。しかし今でも創価学会員に統合失調症の発生は有意に多い。一般の三倍として良い。
これらの精神障害に苦しんでいる創価学会員の数は極めて多く、それは全て池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。その大集団が池田大作の死とともに創価学会から立ち去れば良い。また最高幹部たちが池田大作の死とともに団結して立ち上がり池田大作批判を充分に行わないことには、それら悪鬼の大集団は創価学会から立ち去らないと思われる。
我が県の県青年部長も「パニック障害(うつ病性障害も併発していたと思われる)」で倒れた。未だに(三十年)自宅療養のままである。我が県で最も熱心に真面目に活動していた青年部長であった。自らに妥協せず限界まで戦っていた青年部長であった。県展も真夏の炎天下に二人で運んだ。尊敬すべき人であった(県が現在のように幾つにも分かれてなく一つの県は一つの県の時代であった)。
以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏して回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、創価学会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。創価学会は池田大作の時代になり見延派と同じになったのだ。
「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。
たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。
そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に書かれてある。
創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。
そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況である。自分が創価学会のときは異常な多発で半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。
「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「創価学会に傷が付く!」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」と二十年以上前ある大きな会合で池田大作が偉そうに言い放っている。
これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われ創価学会に入会しようとしていた。
同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。聖教新聞では、すべて削除されていた。私は創価班の仕事をしながら聞いていた。
その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。池田大作もそれらが「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観によるものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差――壮年部本部長の主観――がかなりあるようである。
同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人も池田大作が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。祈祷性精神障害である。それを創価学会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。滅茶苦茶である。創価学会は狂っている。元凶は池田大作である。彼が狂っている。
(今、自分は怒りに震えながら書いている! 精神疾患の苦しさ悲しさを創価学会は全く解っていない! いや、池田大作は全く解っていない! 池田大作が元凶である!)
統合失調症およびその他の精神疾患の患者は創価学会に於いて邪魔でしかないのである。「創価学会に傷が付く」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」とその放送で狂った池田大作が偉そうな調子で言い放っている。
私が学生部のときも学生部の拠点(古い木造の大きな家)にときどき統合失調症と思われる人が玄関を徘徊していることが多くあった。彼ら彼女ら統合失調症の患者は寂しいから来ていたのだと思う。昔ここは学生部の拠点になる前、辺りの学会の拠点であった。
そしてこの拠点での会合に良く参加していたのであろう。健康だった頃の懐かしい場所なのだろう。また学生部の題目の声に誘われるようにして来ていたのであろう。抗精神病薬を服用したぼんやりとした意識の中、過去への郷愁に駆られて来ていたのであろう。
学会はこういう人々に対して一般に冷たいことが多くある。信仰がなっていないから病気になったと定義されているからである。ある年配の幹部がその人に対して言った。「00さん、あなたが来るところではない。ここは学生部の拠点だ。あなたが来るところではない。出て行け!」その年配の幹部は厳しいことで有名であった。「00さん」と言うことは知っている人であったのであろう。しかし野良犬に対するようにそのようなことを言うことには納得がいかなかった。しかし私はその頃、未だ学生部であった。文句を言うことはできなかった。
後で解ったが「00さん」は昔、この一帯の責任者的存在であったそうだ。しかしある時、突然、発病して、このようになったということだ。この一帯の草創の大功労者(この一帯の初代の男子部部隊長であった。発病は昭和三十七年頃であり、池田大作の時代だった)ということである。
もう一人、良く来ていた人はこの県の初代の女子部部隊長であった。この人もある日、突然、発病して、このようになったということである(この人も昭和三十七年頃の発病であり、池田大作の時代だった)。
また、これも後で聞いたことであるが、池田大作が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会?)で言い放ったそうである。ある優しい副会長が悲しそうに言っていた。この池田大作の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。
精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。創価学会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これは創価学会の邪義である。邪義であることは御書を読めば解る。日蓮正宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
創価学会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。池田大作の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意な創価学会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも石川伸一という偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在では余程、僻地でない限り、ほとんど無い。いや僻地でも救急医療が発達しており現在ではほとんど無い。
三十歳の女性であり会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。治す方法は簡単で勤行唱題を中止したら寛解する。しかし私はその頃は熱烈な創価学会の信者であった。私は紹介者の入会させるまでの労苦を思うと勤行唱題を中止することを提言することができなかった。
そのため抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなる。抗精神病薬を必要とするようになる。学会製の“魔”の御本尊を拝んでいた。今も抗精神病薬を服用しながら学会製の“魔”の御本尊を拝んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。
一族全員、熱烈な創価学会員。小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
小学四年生の少女である。あまりにも可哀想であった。その怒りがこのレポートを書かせていると言っても過言ではない。ここの両親は熱烈な創価学会員であり、池田大作の悪行のことは全く知らない。恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。どうにかやってこの両親にも池田大作の悪行を知らしめて娘さんを救ってやりたい。ただ、この一心でこのレポートを書いている。あまりにも可哀相であった。
三十七歳、女性。ずっと以前、東京に池田大作に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京に池田大作に会いに行ったのかもしれない。詳細は不明。ただ、二十歳の頃だったという。
病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったらしい。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
社会人になって職場の上司から折伏され創価学会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。
三年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬をしたと言う。そのことに強く罪悪感を覚えている。暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して二十年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「聖教新聞は要らない、池田先生の講演集が欲しい」と言う。題目も一日何時間も上げることが多い。
男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症した。精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。入院して三十年以上が経過している。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい。」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われているのである。隔離室に入っていることが多いため勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は三十五年に及ぶ。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。器質性精神障害を考えられるも頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
このように精神病院には御本尊を所持しているが精神状態が悪く、御寿司を安置できない患者が多く、勤行唱題は全く行うことが不可能という患者が多い。現在は精神薬理学が急速に進歩してきた。以前のような鉄格子をしている精神病院は見られない。しかし、それでも創価学会の患者の場合はコントロール困難なことが多い。創価学会の統合失調症の患者は別枠で考えなければならないことが多い。
男性。幼い頃から統合失調症と診断されていた。幼い頃から創価学会の熱烈な信者。小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一生懸命に創価学会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたという。
ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変で宗門との第二次戦争の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。学会員からは「池田先生に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃から池田大作一筋であった。
男性。大学卒業の二十二歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症六年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
親族に精神疾患の家族歴はない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非学会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信な学会員。祖父の罪業が孫に降りかかってきたものと思われた。
女性。三十歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員で創価学会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親は創価学会幹部と激しい諍いを起こし、創価学会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、法華講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家には創価学会の仏壇と御本尊がある状況だった。それには妹が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊は創価学会が勝手に造った“魔”の御本尊に替わっていた。
平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。
男性。十八歳発症の社会不安障害(対人恐怖症)。高校三年の終わり頃、大学入試二次試験の直前、受験の時に御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する予定の都会の学生部より受験の時に泊まる処を世話するという電話が来る。(今は知らないが、その頃は受験の時、御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する会場の近くの学生部が、学生部の拠点などに泊まらせることが多かった。)
それまでは一家の中でただ一人、勤行唱題を熱心に行っていたが、両親が退転状態に近く創価学会とは接触をあまり持たなかった。その電話を受けるとともに社会不安障害が始まった、と言う。社会不安障害とは、対人緊張が激しく社会生活が損なわれる精神疾患である。
そのため現役時、試験時、強く緊張し、合格確実と言われていた帝国大学受験に失敗する。一浪後、ランクを大きく落とし、地方の大学へ進む。大学入学後も強い対人緊張に悩まされ、留年を繰り返した。
現在、罹患歴三十年になる。未だに強い対人緊張に苦しんでいる。
これらはもちろん極く一部である。創価学会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろん創価学会では秘密にされていることである。一般の創価学会員は知らない。
現在、東京に在る創価学会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部の創価学会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと思われる。
ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないのが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医は創価学会員に多発している精神障害は創価学会の信仰に由来することに気付いている故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない(うつ病性障害では“治癒”という言葉は用いない。怪我などと異なり、再発するからである)。
これら創価学会員に精神障害が非常に多発している現象は創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。
魔性の創価学会(二)
創価学会は統合失調症の患者を村八分のようにすることが頻繁にある。「相手にするな!創価学会に傷が付く!」と池田大作が厳命している。しかし、宗門は手厚く面倒を見てくれる。どちらが慈悲の団体で、どちらが悪魔の団体かは、すぐに解るであろう。
副会長も本部職員もその池田大作の厳命に戸惑っていた。
(統合失調症の患者も普通の会員と同じように手厚くもてなす地域も経験してきた。地域差があるようである)
ある創価学会の統合失調症の患者は創価学会が相手にしてくれないため七十一歳と成ったとき夫婦共々(夫婦共に統合失調症の患者である。旦那が婦人を折伏した)不安を感じ精神病院へ入院してきた。死ぬまで精神病院にいる予定である。会合の連絡はあるが仲間に入れてくれないという。会合の連絡も途切れることが多いという。病院内では聖教新聞の啓蒙を盛んにする、もちろん勤行は欠かさない。統合失調症でない創価学会員の冷たさに涙しながらも創価学会を疑わずに信仰を貫いてきた。病院に聖教新聞を取り、それを他患にも見せる。他患からは極めて非常に慕われている。完全に病棟一慕われている。病院一慕われていると言える。頭の下がる鉄の信仰の創価学会員である。これは近所の創価学会員が時折面倒を見てくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。近所の創価学会員が仲間に入れてくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。二人共に非常に軽症の統合失調症である。同時放送には同時放送の行われる正確な日時が解らず参加していない。もちろん入院してからは座談会には参加していない。聖教新聞の中からのみ創価学会を見ている。
一般に創価学会の統合失調症の患者さんは非常に熱心な人が非常に多い。これは非常に熱心過ぎたから統合失調症になった故と思われる。また、非常に厳しい環境が信仰熱心にさせているとも言える。
総本山(大石寺)は私が知っている元議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことで本山に恩を感じ法華講に入った。創価学会を脱会し宗門に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このとき創価学会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のように学会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはや創価学会は完全なカルトである。昭和六十三年頃のことである。(当時は、創価学会と宗門の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていた)
この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
すでにこの頃、創価学会は本山から離脱そして独立することを決めていた。早く本山が創価学会を破門するのを待っていた。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、宗門の人に娘のことを相談した。宗門の人は娘さんが創価学会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それでは大石寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう。」と言ってくれた。議員さんは創価学会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。池田大作が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
娘さんは大石寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。
魔性の創価学会(三)
創価学会にはガンが有意に多い。これは正確に統計を取れば解ることであるが、創価学会は決して行おうとはしない。一般会員でさえ創価学会にはガンが多過ぎることを気付いている。これも「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」。
池田大作が亡くなると、これらの現象が少なくなってゆくことを期待する。しかし、雪崩れ込んだ無数の悪鬼の浄化には時間が掛かると思われる。
池田大作が亡くなったら本山に全面的に詫びて本山に戻るようにしないと創価学会は大御本尊様との縁が完全に切れてしまう。創価学会は完全に邪宗化してしまう(すでに完全に邪宗化している??)。
ガンで苦しんでいる人は早く法華講に入るべきである。創価学会では治らない。何故なら創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。創価学会は完全に日蓮正宗から独立してしまっているからである。法華講(とくに妙観講)にはガン完治の体験談が多数存在する。
私は中等部の担当をしていたことがあり、創価学会員の大学・高校受験(一般の大学・高校の受験である。創価大学や創価高校ではない)の失敗があまりにも多いことを良く知っている。間違いなく合格すると太鼓判を押されている人も、その受験者が熱心な創価学会員の場合、不合格になってしまうことが頻繁に有った。
以前は中学生高校生で非常に熱心に信仰する者が多かった。完全に大人顔負けなほど信仰する者が多かった。純粋だからである。疑うことを知らないからである。純粋過ぎるからである。これは現在、顕正会に同じような傾向が見られる。顕正会は高校生が激しく折伏を行っている。
私も中学高校時代は一日一時間四十分(五千遍)唱題していた。二〜三時間唱題していた頃もあった。勤行ももちろん五座三座と行っていた。しかも気合いを入れてしていた。今はその十分の一もできない。あの頃は「広宣流布のために死ぬか?」と言われたら死んでいた。御本尊様を疑ったことは一度もなかった。御本尊様を信じて信じ抜いて厳しい少年時代を生き抜いてきた。御本尊様と一緒に厳しい少年時代を生き抜いてきた。苦しいとき、悔しいとき、御本尊様の前で心ゆくまで唱題して耐えてきた。何故、こんなに苦しいんだろう、苦しむんだろう、と思うことも良くあったが、ひたすら疑わずに信じ抜いていた。幹部は「親の信仰が足りないから子供がこんなに苦しむ」と責めていた。毎晩、声が掠れて出にくくなるまで唱題していた。毎晩、唱題が終わった十二時頃、法悦に浸っていた。
例えば高校浪人する人の半分は創価学会員であった(当時は高校浪人は特に地方に於いては少なかった)。“魔の働き”と私だけでなく多くの中等部担当者は推測していた。しかし“魔の働き”を言うと信仰しなくなるため中等部担当者の間では禁句になっていた。家の人が退転状態で全く勤行唱題したことがない創価学会員の場合は予想通り合格していた。――――これは昭和六十年頃までのことであり、現在、創価学会員の大学・高校受験がどうであるかは知らない。現在は創価学会の中学生高校生は大幹部の子であっても信仰をほとんど行わないことが多いので、こうした現象は非常に少なくなっていると思われる。しかし信仰を真面目に行っている少年部員・中等部員・高等部員はやはり受験に失敗しているようである。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。熱心に信仰しないと三障四魔は競い起こらないのである。しかし、創価学会員には三障四魔らしきものが余りにも競い起こり過ぎていた。本当に三障四魔に依るものか、池田大作が招き込んだ無数の悪鬼に依るものか、人生を棒に振った創価学会員は多い。これらはやはり池田大作が招き入れた悪鬼の軍団によるものと思われる。
極めつきの例を紹介する。この人は六浪して創価大学の一期生となった人だが、毎月三人、入信させていた。毎日三時間、題目を上げていた。毎月三人で一年間に三十六人、六年間で二百十六人になる。勉強も毎日三時間題目を上げて一生懸命に勉強していたのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。「この信仰をすると希望する大学に絶対、合格する!」と言って毎月三人入信させ、一緒に勤行唱題に励むのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。今、この人は、何処で、どのようにしているであろう。極めて信心強情であったから、大幹部になっているはずである。それとも池田大作の正体に気付いて退転したかもしれない。創価大学の一期生で六浪して入学してきた人は他にはいなかったと思われる。『創価大学に入るのが自分の使命だったんだ』と言って、その人は勇んで出来たばかりの創価大学に入学した。その人から折伏され入会した人から聞いた話である。その折伏され入会した人は非常に熱心な創価学会員である(しかし、若くして亡くなった)。
創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。
魔性の創価学会(四)
0000さん、創価学会員は治りにくいし重症化することを詳しくお教えください。自分も以前から気になっていたことです。
創価学会員は本当に治りにくいし重症化することを自分も以前から気づいていました。しかし誰に話しても本気にしない、病気は創価学会で治ると言い張られるばかりでした。 突然失礼します。
ベストアンサーに選ばれた回答
jd45678さん
はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。 医療分野に10年以上携わっておりましたが、確信したのは5年目くらいです。脳卒中や骨折、筋ジストロフィー、多発性の多少状など、癌や風邪であっても重症化したり、普通に症状が緩解するはずが合併症や薬物の副作用などが重なり悪性化、もしくは後遺症が残りやすい状況です。何故、気付いたかと言えば自宅に行けば、同じようなご仏壇やカレンダー、冊子があったのと、会話していると「毎日拝んでたのに・・・」など、親戚に学会の方がいるから何故か雰囲気でも「もしかしたら・・・」と思うとその通りだったりします。昔の仲間は、統合失調症(旧精神分裂病)で苦しんでいます。患者様(脳出血後遺症)では、立つ練習や起きる練習をしていたようですが一向に効果が無く、風邪や目眩でリハビリが進まないようでした。歩ける人(脳梗塞?)でも家族の助けが得られずいつも一人でした。脳の病気で話せない、動くのがやっとの方は民政員の介護者(家族)から虐めを受けていました。知人は、風邪が長引き20kgほど痩せてしまい、会ったときには驚くほどでした(入院時は一時意識レベルが危険になったようです)。また、頸椎の手術が失敗して首から下が動かなくなった方もいます。脳の後遺症がある方の多くは麻痺のレベルが大きいです(体の半身がほぼ完全麻痺など)。上記以外でも家族環境や社会的接触で気に懸かることが多くあります。
(質問した人からのコメント)
自分も医療分野にいますが創価学会員の治りの悪さや重症度の高さに気付いていました。病気だから創価学会に入るのだけでなく、創価学会員だから病気になると思っています。大変なところです。活動家でしたが、そうした現象を見て、今は批判的になっています。法華講に入りたいですけど、家庭上の都合や両親への厭がらせなどを考え、脱会はしないで居ます。
病気を治すためには
原島嵩氏は重度の不安障害を正信会を辞め法華講に入ることで治している。法華講員に精神障害が起こったという話は未だ聞かない。
原島嵩氏は目眩・吐き気を伴う重度の不安障害に二年余り、非常に苦しまれた。それは地獄の苦しみであったと書かれている。これほど重度の不安障害は珍しいが、創価学会員にこのような重度の不安障害は頻繁に見られる。創価学会員以外ではこのような重度の不安障害は稀である。創価学会病(または正信会病)とも言えよう。それが法華講に移るとともに自然に治っている。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
それならば創価学会に極めて多数存在するうつ病性障害などの精神障害で苦しんでいる人は日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。それが病気を治す一番の近道である。
不安障害の場合、抗不安薬は一時的には奏功するが一時的な効果しか望めない。抗うつ薬が不安障害を寛解させることがあると言われるが、寛解することは稀である。しかも創価学会の間違った信仰で不安障害になったならば抗うつ薬で寛解することはあり得ないと考えて良い。
とくに精神障害の場合はオカルトでしか説明のできない病気が大部分を占める。病気を治すためには法華講に入ることである。
しかし、最近、創価学会から脱会しなくとも勧誡式を受けることができることも頻繁にあると知った。それはご住職の考え次第であると書かれてある。家族に内緒に法華講に移っている創価学会員が多数存在する(とくに壮年部)。
勧誡式を受けて遙拝勤行、遙拝唱題をすると違う。
創価学会の日寛上人の“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているように何も感じない。それどころか悪いことが起こる。“魔”の御本尊であるからである。“魔”が入っている御本尊だからである。
病気を治すためには日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。(間違っても正信会の寺院に行ってはいけない。それが正信会の寺院か否かはインターネットで簡単に解る)
『私は「心療内科」ともかかわりました。しかし「心の病気」にはなんの解決にもならなかったのです。それもそのはずで、私の「心の病気」は正法に違背していたために起こっていたものだったことに、あとで気づいたのです。私が平成十一年元旦に日蓮正宗の勧誡を受けるまでの二年余りの年月、私も苦しい思いをしてきましたが、妻をはじめ、家族の苦しみもなまじっかなものではなかったでしょう。
ところが、平成十一年元旦の勧誡を受け、大御本尊様に合唱礼拝するようになって、あれほど苦しんできた不安神経症、うつ病が、気づいたときには、いつの間にか消え去っているではありませんか。あれほど一日何回も吐いていた吐き気も、跡形もなくなりました。』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
御書
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作 与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかとみえはんべり「是一」、又付法蔵の二十五人は仏をのぞ(除)きたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外に仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆえかとみえはんべる、正像猶かくのごとし、(略)
文永八年辛羊(かのとひつじ)十月五日 日蓮花押 大田左衛門尉殿 蘇谷入道殿 金原法橋御房 御返事
佐渡御書 文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
般泥おん経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ或いは形状醜る衣服足らず飲食楚々財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又曰く「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に因る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜る三には衣服不足四には飲食楚々五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり、
兄弟抄 文永十二年四月 五十四歳御作 与池上兄弟 於身延
今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又曰く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に曰わく「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に曰く「衣服不足にして飲食楚々なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云、
文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、
各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ
兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年十一月 五十四歳御作 於身延
(略) 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。(略)
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」
このように「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない。」という創価学会の教学(教学と言うより信仰観と言うべきだろうか)は間違っている。その逆である。病気になったのは過去世の重罪を打ち出すように熱心に信仰をしたからである。また、“魔”が憤然として競い起こるように熱心に信仰をしたからである。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。もう一度書く。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。
その病魔と闘う人たちを優しく助けることが大切である。「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない」と考えるのは非常に熱心な創価学会員に多く見られる。
この信仰を一生懸命にして病気になった人を軽んずる現在の創価学会の傾向性は全く間違っており、却って、そうした人たちを大切にすべきである。
また、このように御書には現世利益は余り説かれていない。「現世利益」を第一とすることは創価学会の誤り、創価学会の邪義である。「現世利益」を熱心に説いていたのは入信させるための方便であったとも思われるが(そのために日達上人などはこれらを黙認されていた)、全ての創価学会員は本気で「現世利益」を熱心に説いて入信を勧めていた。
この信仰をすると三障四魔が競い起こることが御書には書かれている。しかし生命は清められる。
日蓮大聖人も病気に罹られ、四条金吾により薬を処方され服用されている。日蓮大聖人は病を隠されていない。このことからも創価学会の病気をする人は「信心がない」という雰囲気は間違っている。池田大作が造り出した“邪義”である。病気によって信仰に奮い立つ人は多い。
「生」「老」「病」「死」は世の常である。むしろ病気によって人生経験の深みを増すこともある。病気によって道心(信仰する気力)が起こるのである。
「この病は仏の御はからいか。――――病によって道心は起こり候か」(「妙信尼御前御返事」p90)
うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。
「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。
結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。
私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。五年ほど前のことになる。
「三時間の唱題を“魔”の御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。二人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を三時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。
翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた。以来、現在までうつ病性障害の再燃はない」
洗脳されきった哀れな会員を救う
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。
昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。すでにこのとき池田大作は堕落していた。しかし私はそのずっと前から堕落していたと考える(異常なまでの権力欲)。
池田大作は戦後のどさくさの時は、川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸金の取り立てなどを手伝っていた。(山崎正友:懺悔の告白:日新報道:1994: p105)その経験を見込まれて戸田城聖氏は池田大作を雇ったのである。
二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に外見上の名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるために戸籍の名前をも変えた。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)。
何度も何度も役所へ行って執拗に頼み込んだのではないかと筆者は推測する。自己愛性パーソナリティ障害ならそういう恐るべき執念深いことを行う。賄賂を役所の担当員に渡した可能性も考えられる。この頃、池田大作は金融業で大成功し、非常に裕福であった。
池田大作は異常なほど国会喚問を怖れている。何故、それほど国会喚問を怖れるのか? 理解に苦しむ。
戸田先生は「国会喚問が来たら喜んで受ける、大聖人の仏法の素晴らしさを世に知らしめるチャンスである」と述べられていた。
池田大作は今まで公明党議員を使って国会喚問を避けさせてきた。公明党議員は国会議事堂の廊下に座り込むこともして池田大作国会喚問を阻止した(このとき青年部も多数、応援に呼ばれ参加した)。まるで暴力団である。
公明党は池田大作の私党であること、公明党の政策は池田大作の独断で決まることは常識である。公明党が在日外国人の参政権を推し進めようとするのは池田大作の独断であることは有名である。池田大作は在日韓国人の参政権のためにそれを強引に推し進めていると言われる。これは在日韓国人には創価学会員が多いため選挙を有利にするためであると言われているが本当の理由は不明であり、何か裏があると言われている。
何のための選挙なのか? 単に池田大作の醜い野望ではないか? 選挙が広宣流布を妨げた。政界進出を行わなかったなら、創価学会は現在の二倍以上の規模になっていたと思われる。政界進出が広宣流布を妨げた。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
現在、創価学会は選挙と財務しか行っていないといっても過言ではない。折伏にはほとんど力を入れていない。これは平成元年頃からである。
同時放送での池田大作のあの傲慢不遜な振る舞い、池田大作こそ悪鬼入其身である。同時放送でのあの言動と振る舞いは暴力団を彷彿とさせる。それを気付かない創価学会員がおかしい。あまりにもお人好し過ぎる(自分もそのお人好し過ぎる人間の一人であった)。自分の友達は一発で気付いた。
そして池田大作が招き入れた悪鬼が純真で真面目な創価学会員の身の上に次々と不幸を起こしている。熱心な創価学会員ほど不幸が起こっている。トップが悪いとそこから悪鬼が流れ込む、という文意の御文がある。池田大作が創価学会員を不幸に陥れてきたし、今も陥れている。もし池田大作が出現しなかったら、創価学会員は不幸にならず幸せになっていたはずだ。
創価学会員は一般にどうしようもないほど人が良いことが多い。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっていると思う。その人の良さは他に友達を作りたくないと思うほどである。貧困が存在していた昭和の時代には相互扶助および弱者への哀れみの心が人々に存在していたが、貧困が少なくなった現代では弱者への優しさを失った人々が激増し“いじめ”が社会問題化している。創価学会員の存在は現代に於いては一種の清涼剤のようである。それは元々、人が良かったから激しい折伏にも拘わらず素直に入信した故と思われる。もちろん例外もある。創価学会員にも私利私欲に凝り固まった信仰者とはとても思えない人も多数存在する。それは功徳欲しさ故に入信した欲深い人と思われる。元々、心醜い人は、どんなに勤行唱題、折伏、学会活動などを行っても、あまり変わらない。ただ、外見上、取り繕うことができるようになるだけである。
しかし、脱会すると今まで非常に親切だった人が、掌を返したように陰湿で冷たくなることをどう説明して良いか、判断に苦しむ。
人の性格を変えることは極めて困難である。不可能と言っても過言ではない。いや、遺伝生物学上、不可能である。人の性格は遺伝により生まれたときから決まっていると言われる。素直な性格の父親から生まれてきた子供は父親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。同じように素直な性格の母親から生まれてきた子供は母親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。父親、母親の性格を何割かずつ受け継いでいるならばその何割かずつの性格になる。子供は親の鏡ということわざが存在するのはそれ故である。性格は遺伝する。これは一卵性双生児の研究からも明らかになっている。育った環境が全く異なる一卵性双生児も性格は酷似する、育った環境により性格が修飾されることはほとんどない、という研究がある。学会二世三世の性格が一般に素直なこともその遺伝による。
選挙運動に一生懸命になることも、その素直さ故と、「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しがあるからと推測される。筆者は内向的な性格で友達が少ないこと、内向的な性格、また批判的な性格(へそ曲がりな性格と言うこともできるだろう。その頃、自分自身を「へそ曲がりな性格」と揶揄し幹部の人もそう言っていた。しかし「選挙運動に走り回る同志を批判力の無い人たちと定義することができる」とも思っていた)、それ故に選挙運動はあまり行わなかった。選挙には批判的であった。これは折伏のとき「宗教団体であるものが布教を二の次にし、選挙運動に没頭していることがおかしい。だから私は創価学会には絶対に入らない」「創価学会は政治に介入している。信仰団体とは思えない。信仰を隠れ蓑にした政治団体だろう?」「創価学会は公明党だから入らない」「創価学会は池田大作を総理大臣にする気だろう。だから創価学会には絶対に入らない」などと言われることが極めて多かったからである。公明党を造り選挙運動に没頭することがなかったら創価学会は現在の何倍かの規模になっていたかもしれない。しかし、このことを言っても幹部の人は「池田先生が、池田先生が、」と言って怒り狂うだけであった。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という言葉にはどうしても納得がゆかなかった。折伏を後回しにして選挙運動に没頭する同志の姿に納得がゆかなかった。宿命に苦しみ抜いている人たちを後回しにして選挙運動に走り回る同志の姿にはどうしても納得がゆかなかった。「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しの内部通達に「功徳欲しさ」に「宿命に苦しみ抜いている人たち」を後回しにして動いているように思えてならなかった。
その唆しは池田大作およびその取り巻きからきていることは明らかだった。自分はその取り巻きが悪いんだと主張することが良くあった。その頃の自分は取り巻きを悪く言っても池田大作を悪く言うことはできなかった。池田大作を崇拝する一般的な洗脳が自分にはやはりあった。また、幹部の前で池田大作を悪く言うことはタブーであったし、大変な反抗を受けることになっていた。
一人一人を根底から救うことを大聖人様は示された。政治が少し良くなっても宿業に喘ぐ一人一人は救われない。大聖人様の仏教を信仰しないことには一人一人は根本的には救われない。君主が法華経を用いると民衆にまで法華経が広まる時代であった昔ではない。池田大作が創価学会の歩みを狂わせた。「立正安国論」を池田大作は歪めて利用した。
創価学会員は人が良過ぎる。それは創価学会の激しい折伏に怒り心頭に達しなかった人たちが多く入会しているからであろう。円座になって取り巻いて創価学会に入ると言うまで帰さないというほどに締め上げても怒り心頭に達しなかった人たちが入会しているからであろう。そしてお人好しは遺伝する。人が良過ぎて池田大作の傲慢さ・魔性・嘘を見抜けないのだ。
創価学会は今まで間違っていた。あの狂気のような選挙運動、そして広宣流布が未だ成されていないのに正本堂を造ったこと。同時放送で池田大作は『広宣流布は私がした。あなたではない。私が広宣流布をやり遂げた。広宣流布は私がした。』と何回も言い威張っていたが、創価学会の現在の発展は何十万もの名も無き人々の血の滲むような努力の結晶である。そして広宣流布は未だ成し遂げられていないことは明白である。
もしも公明党を造って政治に介入しなかったら(池田大作の醜い野望)創価学会はいろんな政党から味方に付けようとされ、創価学会は守られていた。
「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。
池田大作は功を焦ったのである。もっと創価学会が大きくなってから政界進出すべきだったのである。政界進出とともに会員増加は頭打ちとなった。政界進出とともに創価学会への批判が高まり、選挙運動により会員が疲弊してしまい、会員増加が困難となった。池田大作は功を焦り「天下を取ろう」という野望を自ら砕いてしまった。
自分は選挙に批判的であった。しかし折伏は誰よりもしていた。選挙に反対の自分に対する狂信的な幹部による叱責・排撃は激しかった。
民衆救済という崇高な精神を踏みにじり権力へのあくなき執念を燃やすことは大きな誤りです。750年前、日蓮大聖人様は権力を取れと仰せになったでしょうか。国家かんぎょうはされましたが自らはあくまで正法を立て安国を実現するという権力と無縁のところに立たれていたのではないでしょうか。
池田大作は「自分が広宣流布をした」と同時放送ではいつも言っているが、そこが釈然と来ない。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか? もう一度書く。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか?
池田大作は自分がやったと同時放送では何回も言って威張っているが、それはおかしい。池田大作は邪魔をしただけである。
ある霊能者が語るところに依ると、池田大作には霊界から赤い木の乗り物がすでに迎えに来ているそうである(平成22年2月1日)。それは無間地獄への迎えの乗り物であり、赤く見えるのは火が燃えているからだそうだ。その乗り物の中で池田大作は業火に焼かれながら無間地獄へと落ちてゆくと言われる。
正本堂を造ったのは選挙に於いて「国立戒壇」のことで日本共産党などから責められないようにするため池田大作が考えたカモフラージュであったことは周知の事実である。その頃の創価学会員は貧乏な人が非常に多かった。しかし供養金を出すと功徳があると言われ、生命保険を解約したり、家や土地を売ったりして、正本堂建設のために献金した。献金すると幸せになれる、福運を積むことができる、と貧しい末端の会員に言い、多額の献金が集められた。しかし、創価学会員は幸せにはなっていない。周囲を見渡しても全て不幸になっている。幸せになっているところは一つもない。特に熱心にしていた処は悲惨な境遇に陥っている。
これからは『日如上人様なら、どう言われるか?』を行動の指針としてゆくべきである。
ジョージ・ウイリアムス理事長
アメリカのジョージ・ウイリアムス理事長が創価学会を辞め法華講に入ったと聞きました。信じられないことですが、詳しいこと、お教え下さい。命を賭して単身アメリカに広宣流布のために渡られた人です。私はとても尊敬していました。アメリカへと向かう飛行機内で父親が死亡した知らせを聞かれたと「人間革命」には書かれてありました。(現在の「人間革命」には、そのことが省かれてある??)
ウイリアムス理事長は池田大作の子息をアメリカの大学へ入学させるように命令されたが、アメリカでは池田大作は良く思われてないため(ドイツ、フランス、カナダ、オーストリアなど先進諸国では池田大作は極めて危険なカルトの親分として非常に悪く思われている。ただ貧しい発展途上国がお金欲しさに池田大作に媚びを売るだけである)入学させる大学を見つけることができず(第一庶務との連絡不徹底があったとも言われる)、そのために池田大作から激しく怒られ総括され、池田大作の本性を見、法華講に入ったと聞く。その激しい総括は数年にも及んだという。その数年にも亘る狂気じみた総括のためウイリアムス理事長は心身的にも大変疲弊し尽くしたと言われる。
アメリカではそのために法華講が大きな勢力を持っている。宗門と創価学会が同勢力を持っていると言われる。アメリカに創価学会の会館は多数あるが、使われずにいるところが多いという。たとえば池田大作はハーバード大学で二回講演した(かなり高額のお金を積んで根回しをして講演を行うことができるようにした)が博士号は貰っていない。アメリカの他の有名大学からも博士号を貰っていない。貧乏な大学からは博士号を貰っている。その講演のとき、池田大作は原稿のみを見て喋っていた。その原稿は池田大作のゴーストライター軍団が造ったものである。だから池田大作は内容も分からずに喋っていたことになる。内容も分からないから前を見る余裕も無かったのである。
ウイリアムス理事長が日本で「暴露本」を書いたなら、日本の創価学会は大打撃を受けることは明白です。
たしかに現在、日本の出版界に於いて創価学会の「暴露本」を出版することは非常に厳しくなっています。言論弾圧が行われています。インターネット上での暴露でも構いません。真実を日本の人々に知らせ、末端の創価学会員を不幸から救い出すのです。ウイリアムス理事長が日本で新しい創価学会を造られるなら私は喜んで馳せ参じます。たしかに生命の危険に遭うことになると思います。しかし、一度は広宣流布のために棄てた命ではないですか? たしかに日本の親族および子供達が危険な目に遭うことになるので、私は強く言えません。一考をお願いします。
同じく竹入義勝氏、矢野絢也氏、「暴露本」を出版するべきです。たしかに強い言論弾圧が行われていますが、末端の創価学会員に真実を知らせることが末端の創価学会員を救うことに繋がります。一考をお願いします。山崎正友氏、原島嵩氏、もう一度、「暴露本」を出版するべきです。たしかに出版することは現在は極めて困難になっています。命賭け、また家族、親類にも迫害が起こることになりますが、一考をお願いしたい。
創価学会はトップが間違ったから悪鬼が雪崩れ込み会員に不幸なことが競い起こった。トップが間違っているから不幸なことが競い起こる。
「その宗教団体のトップが間違っていたら其処から悪鬼が雪崩れ込む」という趣旨の御書の一節(あるいは他典)があるということですが、何処かお教え下さい。私は「日如上人様ならどう言われるか?」を現在、判断の基準にしています。(創価学会内部改革派憂創同盟より)
時代がどちらが正しいかを証明するだろう。創価学会に悪いこと不幸なことが起こるのは創価学会のトップが間違っているからである。悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでいるからである。創価学会の正常化(清浄化)を行うのが創価学会内部改革派憂創同盟である。広宣流布への情熱をそのままに創価学会を良くしてゆけば会員は幸せになれる。200万人もの創価学会員のためです。
創価学会は実質上200万人であるが、信仰する気を喪失し退転状態またアンチ創価学会の状態にある人たちを含めると四百万人になる。実質上200万人のうち、批判力を持たない狂信的な創価学会員の割合は8%と推定される。
創価学会は850万所帯などとでたらめを言っているが、筆者は19歳の頃、そのでたらめに非常に悩んだ記憶がある。他の邪宗(新興宗教)も同じように所帯数をでたらめに多く言っている。「他の邪宗と同じではないか」と19歳の頃、激しく悩んだ。キリスト教は所帯数を水増しして言っていない。
池田大作は大悪鬼である。広宣流布を妨げる大悪鬼である。何故、この大悪鬼が出現したのか? 御書には書かれている。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――しかし、これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。戸田会長は死の前に池田大作除名を言っていると私は信じる。しかし、それは池田大作そして池田大作に追従する人たちに握り潰されたのだと思う。または他に何かがあったのか? 池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。
池田大作が石田次男氏を抜いて第三代会長に成れたことに何かの秘密があると思われる。石田次男氏が第三代会長になっていたら創価学会員は不幸になることはなく幸せになっていた。現在、熱心だった創価学会員はほとんどが不幸に喘いでいる。また創価学会はもっと発展していたであろう。池田大作が第三代会長になったことに全ての不幸は始まっている。
そして広布の歴史の歪曲が「人間革命」など多数の出版物などで行われている。広布は名もない庶民が血みどろになって行ってきたことであって、池田大作が行ったのではない。池田大作は第一庶務の女性などを連れて研修道場の一角の超豪華な部屋(池田大作専用室)で楽しんでいただけである。このことを側近(最高幹部)は知っているはずである。また、そこを掃除していた女子部の幹部は疑いを抱き多数退転した。
大悪鬼である池田大作は現在、世俗の名聞名利を追い求める爬虫類(コモドドラゴン)と化している。また、選挙を至上として広宣流布をないがしろにしている。創価学会は今、宗教団体ではなく、むしろ政治結社になっている。
また、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を蔑如している(しかし、これを知らない創価学会員は極めて多い)。
これでは創価学会員が不幸になるのは当然である。大悪鬼を師そして生き仏として崇めると不幸になるのは当然である。
創価学会員はどうしようもないほど人の良いが多い。創価学会員以外とは友達で居たくないほどだ。友達はほとんどが創価学会員だった。創価学会員以外は信じることができなかった。創価学会員以外は疑ってしまっていた。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっている。
人の心は声に現れる、顔に現れる。同時放送で見抜かなければならない。
戸田先生の十回忌の法要は寺院で行われた。創価学会がもはや池田教と化していたため創価学会では行わず戸田家の判断で日蓮正宗の寺院で行われた。戸田家が法華講であることはよく知られている。また、これは戸田先生が亡くなられたとき、池田大作が戸田先生の見舞金として全国より寄せられた4000万円は渡さずに、二台のトラックで戸田先生の遺品を大量に強奪していったためとも言われる。このとき日本刀も強奪したが、これが戸田先生と池田大作の師弟の絆として記念館に展示してあるのを戸田先生の奥さんが見られて非常に驚かれたという話は有名である。これは池田大作除名の遺言状を探し出すためでもあったのではないかと私は邪推する。
韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。
質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。
三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円〜三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。
四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。
五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。
六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。
創価学会内部改革派憂創同盟
かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
正義の書
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。同時放送に出席して、その傲慢な振舞いと言動に呆れた人は多数存在する。池田大作こそ獅子身中の虫である。批判力をあまり持たない婦人部の人たちはほとんど創価学会池田派であるが、壮年部には内部改革派憂創同盟的考えを持った人が多い。しかし、そういう人は創価学会の会合にはほとんど出席することはない。
池田大作の間違いを諭し、原島嵩氏、山崎正友氏などが反逆者のレッテルを貼られ創価学会から去っていった。反池田を唱えない限り、反逆者のレッテルは貼られない。反逆者のレッテルを貼られるのを恐れ、池田派の振りをしている卑怯な者は大勢居る。
「内部改革派憂創同盟の自覚を強く持つ」と様々な苦難から逃れることができる。「改革派の自覚を強く持つ」と悪いことはあまり起こらなくなる。今まで「宿業が出た」「魔だ!」と言っていたことは起こらなくなる。
今までは熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こっていた。『創価学会に属していると不思議なほどの不幸なことが起こる』と法華講に入った人は多数存在するが、法華講に入らずとも創価学会のままで「改革派の自覚を強く持つ」ならば不幸なことは起こらなくなる。今まで多数の人が『この信仰は宿業が出る』と創価学会を辞めていったが、それは宿業と言うよりも大悪鬼・池田大作の存在があったから悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでおり悪いことが起こっていたのである。それを「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。
『こんなに熱心に信仰しているのに何故こんなに不幸なんだろう。熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こる』という人が多かった。それは大悪鬼・池田大作を神仏化しているからである。大悪鬼・池田大作ももう八十歳を越えている。大悪鬼は糖尿病である故、脳梗塞で死ぬ日は近い。
大悪鬼亡き後、池田大作の機嫌伺いをしている側近の最高幹部たちは反旗の烽火を上げる可能性も僅かだが有る。大悪鬼死すまであと数年掛かるだろう。その間は私も含め「改革派の自覚を強く持つ」しか選択の余地の無い人は多く存在すると思う。大悪鬼死すまでは強く胸に「改革派の自覚を強く持つ」っていくべきである。そうしないと悪鬼が我が身に入ってくる恐れがある。
これからはインターネットを通じて「池田大作」の間違いを追求し、創価学会が正しい信仰団体になるように努力するのみである。
(完) (文責・創価学会内部改革派憂創同盟残党)
※注:「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。――これは不可能なようである。法華講に入らないことには悪鬼の攻撃をブロックすることはできないようである。甘い考えであった。前に書いた創価学会内部改革派憂創同盟の人がガンで亡くなったらしいことも創価学会に充満する悪鬼の仕業であったと思われる。それほど創価学会には悪鬼が充満しているのである。
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
池田大作が悪いのである。池田大作が創価学会を歪めてしまった。池田大作が現れなかったら、たくさんの人が塗炭の苦しみに襲われることはなかった、塗炭の苦しみに陥ることはなかった。
我欲に凝り固まった執念の男と言うことができるだろう。池田大作は「天下を取ろう」を口癖にしていた我執の固まりの人間であった。その我執は病的であり、しかし、それが池田大作を創価学会第三代会長にした。池田大作は「天下を取る」執念の男だったのである。
その執念も途中で潰えた。たくさんのたくさんの人々の不幸を犠牲にして。池田大作のために不幸のどん底に落とされた人は数知れない。
破産して一家離散になった人、病気で苦しみ抜くことになった人、事故に遭い人生を棒に振った人、など数知れない。
それらはすべて池田大作が宗門を支配し宗門を傘下に置こうとした醜い我欲の結果である。池田大作が創価学会に導き入れた無数の悪鬼の集団によるものである。
謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。
墓の中で池田大作を呪っている創価学会員は多い。池田大作が連れてきた悪鬼の大集団により人生を狂わされた無数の人たちの怨恨の叫びが響き渡る。日本中にその怨恨の叫びは響き渡っている。創価学会を池田大作を呪う怨恨の叫びで夜の墓は満ちている。
多数の大幹部が癌で早死にした。彼らは死ぬとき何も分からなかった。何故、広布のために懸命に生きてきた私たちが早死にしなければならないのかを。それが池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることを死んでから気づいた。
統合失調症、うつ病性障害となり自殺した創価学会員も多い。彼らも死んでから自分たちの病気が池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることに気づいた。その怨恨の叫びも多い。
商売に失敗して一家離散した家族も多い。呪われたように商売に失敗した彼ら彼女らはその理由が死ぬまで分からなかった。そしてそれが池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた無数の悪鬼に依ることを知って今は池田大作を呪っている。
夜の墓は池田大作を呪う怨恨の声に満ちている。死後、無間地獄が決定した池田大作は現世に於いて謗法の罪はほとんど現れない。だが、池田大作は死後の無間地獄が決定している。池田大作は肥った肉塊を揺らしながら死後、無間地獄の苦しみにのたうち回る。池田大作はそして永遠に無間地獄の苦しみに奇声を発し続ける。その声は永遠に日本中に響き渡るかもしれない。
日本中に池田大作により人生を狂わせられた人たちは余りに多い。本当なら幸せな人生を歩んでいたはずの人も池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼のために人生を狂わせられた。その人たちは余りにも多い。
原田新会長へ
原田新会長、勇気と正義の人になってください。貴方まで池田大作の下部になってはいけない。末端の多数の純粋な学会員のためです。勇気と正義感で池田大作の間違いを末端の純粋な学会員に知らしめるべきです。池田大作の間違いに気付き始めた人は多くなっています。しかし学会執行部が聖教新聞を使って未だに池田大作を讃えている。
反逆者とされるアメリカのウイリアムス理事長・原島嵩氏・竹入義勝氏などは実は正義と勇気の人であることを貴方は知っているはずです。貴方は正義の人になるべきです。
元創価学会教学部長、原島嵩 著「絶望の淵より甦る」(日新報道刊)(1410円+税)を読みました。原田現会長のことが幾つか言及されてあります。
また、元公明党委員長、矢野絢也 著「黒い手帳」(講談社刊)(1710円+税)も読みました。
二つとも非常に興味深く面白く、感動しました。何度も何度も繰り返して読みました。是非、購読して読むべきものと推薦します。
なお、会館職員などは批判に返答できるようにするため、こういう書籍は回し読みをしている。一般会員もそうするべきと思う。
―――しかし、原田新会長も保身を貫くらしい(と言うよりもできない?)。反旗を翻しても潰されるだけである。これでは創価学会の改善はまだ待たなければならない。原田新会長は創価学会が韓国のように分裂してはいけない、という考えの下に、そうされているのだと信じたい。韓国のようにならないために、最高幹部たちは未だ行動を起こさないでいるのだと信じたい。
広宣流布への情熱が法華講にはあまり感じられないというのは間違いで、法華講には広宣流布への情熱を持った人が多数、存在する。それは創価学会以上と言える(創価学会は今は選挙団体である。政治団体ではない。何故なら、創価学会員は政治のことは知らず、ただ選挙運動に走らせられているからである)。創価学会から法華講へ移った人は迫害などを堪え忍びながら信仰を貫いた勇気ある人たちである。真実を見究める目を持った人たちであり賞賛に値する。
獅子身中の虫、それは池田大作である。池田大作が広宣流布を頓挫させた。もし、池田大作が出なかったら広宣流布は成し遂げられた可能性は高い。今から広宣流布をやり直すしかない。池田大作により頓挫させられた広宣流布を新しい正しい創価学会で成し遂げれば良い。悪鬼が逃げ去った後の創価学会ならば弘法は比較的容易くなる。現象として悪いことが余り起こらないようになるからである。今までは、現象として余りにも悪いことが起こり過ぎていた。そのために退転者が極めて多数生じていた。
私は聖教新聞の通信員をしていたことがあるが「ある人の体験談を書こうとすると、良いこと(良い偶然)も起こっているが、悪いこと(悪い偶然)が沢山起こっている」と先輩に相談すると「その良いところだけを繋ぎ合わせて創作したら良いのだ。それが広宣流布のためだ。」と言われ、私はそのように行ってきた。私はかなりの数を書いた。その頃は元気一杯の私であった。怖いものは無かった。池田大作の正体に気付かなかったならば、苦しい日々ではあったが元気一杯だった。しかし、気付いてしまった。怖いもの無しの自分ではもうなくなってしまった。元気一杯のあの頃の自分にはもう戻れないのだろうか? 怖いものが確かに無かった。世のため人のためにと元気一杯だった。ただ、元気に成り過ぎて社会常識を踏み外すことが頻繁にあって苦労した。そして悪いこと(悪い偶然)が起こり過ぎていた。運命も確実に下降線を辿っていた。不幸へ不幸へと進んでいた。
つまり、聖教新聞・大白蓮華などの体験談は半分嘘が多い。本当は少ない。悪いところは書かないである。半分嘘を読んで感動してはいけない。感動するように創作はしてある。
昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。
それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か?
最高幹部の結束した造反を期待する
現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書いただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
創価学会は広宣流布が成し遂げられていないにも拘わらず、正本堂(国立戒壇もどき)を造った。これは日蓮大聖人の御遺訓に背くものであった。選挙には「国立戒壇」は非常に邪魔であった。「国立戒壇」を日本共産党が強く突いていた。それを逃れるための苦肉の策であった。「顕正会」(元・妙信講)の主張は正しかった。宗門もその当時は創価学会の強い主張に従わざるを得ない状況であったと思われる。宗門もその当時、判断を誤ったと言えるであろう。
池田大作は純真な会員を懸命な選挙運動に走らせた。同時放送では「公明党が第一党に成りなさい」と狂気の言動を発していた。選挙運動に大きな功徳があると最高幹部たちに言わせていた。そして女子部・婦人部はそれを鵜呑みにしている。男子部・壮年部は批判力があるから鵜呑みにすることは少ない。
池田大作が亡くなった暁には「池田大作批判」で聖教新聞が埋まることは難しいが、最高幹部が結束して行動を起こすなら創価学会が正しい創価学会に生まれ変わると思う。しかし、最高幹部が結束して行動を起こす可能性は極めて低い。池田大作は子供に跡を継がせるためイエスマン以外は排除してきている。批判的な幹部は排除してきている。
やがて、正しい創価学会となり、会員が幸せになれる創価学会ができることを願う。その日が一日も早く来ることを強く願う。
(第1章終了)
緊急公示(1)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月1日2010年)
保田妙本寺こそ正統ではないかと思ってきた。法華講も保田妙本寺もどちらでも良いという考えもある。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ万人救済の大御本尊なのだと思ってきた。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をすると凄い。
今日にでも保田妙本寺に連絡を取ろうかと思う。
正本堂募金返還運動を起こした民音の松本氏は正しかったのだ。
保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ正統なのだ。
今からは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をする。
やっと本物の真実に出会えた。
保田妙本寺さんへ
自分は創価学会員でしたが池田大作の同時放送での横暴さに耐えかねて4年近く前に創価学会内部改革派憂創同盟と名乗りインターネットで活動を始めました。しかし“魔”の御本尊のことなどを考え、1年近く前に法華講員になりました。
しかし、創価学会へ退会届は出していません。女房一族が狂信的な池田教の信者です。そのため法華講員になったことを隠し続けています。法華講員になったことがばれたら離婚ものです。女房には何の未練もありませんが、4歳半ともうすぐ3歳の子供が愛しいです。法華講員になったことは言えません。
保田妙本寺に入ることを考えたのも、法華講に入っていることを知られるよりも安全と考えたことが一つの理由です。しかし、それよりも、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊と思って遙拝勤行すると全く違うのを体験しています。
以前、民音(創価学会の音楽普及団体)の松本氏が末法万年救護の大本尊こそ正統な大御本尊だと言って正本堂募金返済訴訟を起こしたのは正しかったと思います。
自分は女房に内緒で法華講員となっていますので御本尊は戴いてなく、遙拝勤行の日々です。
保田妙本寺に入って良いでしょうか? 末法万年救護の大本尊が正しいです。
法華講の人から連絡がありましたが、保田妙本寺と法華講は親戚のような関係なのでしょうか?
これからは末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行をします。
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ccc998@infoseek.jp メール
ここは病院の医局でインターネットがありません。金曜の昼から月曜の朝九時まで当直です。明日、メールすると思います。
(完)
やっと真実の宗教に出会えたという喜びで一杯だ。(11月14日2010年)
池田の最大の失敗は宗門と手を切ったことである。しかし、たしかに学術上、間違いなく富士大石寺の大御本尊は第9世日有上人の時代に造られた偽造本尊である。それなのに、あれだけ力があった。本物の保田妙本寺の末法万年救護の大本尊はもっと力がある。
創価学会が保田妙本寺を新しく本山とするならば創価学会員は幸せになり、広宣流布も達成されると信じる。(1月3日2011年 午前6時48分)
最後の緊急公示:創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺を離山す
【創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺より離山する事を宣言する】
『創価学会内部改革派憂創同盟残党は、親・創価学会として再出発することを宣言する。しかし、反池田派は固持する』
(1月21日2011年 午後2時15分) 保田妙本寺より離山する。
(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)
僕は創価学会員として育ってきました。また、妻の一族は狂信的な創価学会一族です。創価学会を脱会することが許されないのです。幼い子供が2人います。
保田妙本寺は信徒が神社の氏子となっている、近所の他宗のおばちゃんたちが庭の掃除をしているなど謗法が存在することが判明した。よって、謗法の山と化した保田妙本寺を創価学会内部改革派憂創同盟残党は一人離山する。
保田妙本寺の昔からの信徒には広宣流布の情熱が感じられない。広宣流布の情熱が無いならば、そこは謗法の山である。
それに保田妙本寺の信仰を行うと自分はうつ病性障害が再燃するのです。ここ2ヶ月ほど、うつ病性障害の再燃に苦しみました。創価学会内部改革派だ、と思うと僕のうつ病性障害は軽くなるのです。
贋作の大御本尊を擁する日蓮正宗には歓喜が存在した。その歓喜は広布に駆ける一人一人の胸中に仏性として湧き上がってくるものです。日蓮大聖人は民衆救済を叫ばれました。創価学会にも日蓮正宗にも末端には民衆救済の情熱があります。カルト指定されているほどの民衆救済の情熱があります。しかし、保田妙本寺には極一部にしか民衆救済の情熱を見い出せなかったのです。
自分には学会っ子としての血が流れているのです。厳しい少年時代を御本尊様と一緒に生きてきました。辛く苦しい少年時代でしたが、御本尊様とともに育ってきたから負けませんでした。泣きながら帰っても御本尊様の前で一生懸命、題目を唱え、次の日には元気一杯に学校に行っていました。
(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)
創価学会に反池田派だけど付いていこうと決心したのです。日蓮正宗は大御本尊を始め贋作教団とされていますから付いていきません。反日蓮正宗の立場を取らせて貰います。
今も僕が創価学会員として戦っていると思っている宿命(統合失調症)に苦しみながらも戦っている昔の同志の年賀状に涙したのです。返事は未だ書いていません。
宿命に苦しむ同志を裏切ることは自分にはできないのです。
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