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日立就職差別裁判元原告の朴さんが定年退職、支援者集い祝う会/横浜

2012年1月7日

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固い握手を交わす元原告の朴鐘碩さん(左)と、当時弁護団の一員だった仙谷元官房長官=川崎市川崎区

固い握手を交わす元原告の朴鐘碩さん(左)と、当時弁護団の一員だった仙谷元官房長官=川崎市川崎区

 1970年代初頭、在日韓国人であることを理由に採用を取り消されたものの、その後の裁判で勝訴し、入社に至った「日立就職差別裁判」。真っ正面から差別に立ち向かった元原告の朴鐘碩(パクチョンソク)さん=横浜市戸塚区=が昨年11月、60歳の定年退職を迎えた。6日には支援者ら約40人が朴さんを囲み、「退職を祝う会」が川崎市川崎区のコミュニティハウス「さくら」で開かれた。

つかの間の喜びは一瞬で消え、奈落の底に落とされたようだった」。朴さんは当時をそう振り返る。

 日立製作所の採用試験に合格したのは18歳の時。履歴書には日本名と現住所を記入した。しかし合格後、韓国籍であることを告げると、「一般外国人は雇わない」「うそをついた」などとして、採用を取り消された。「こんなことが許されるのか」。1970年12月、横浜地裁に提訴した。

 「高卒で大学に行っていない自分にとって、人生を大きく変えた、生きる原点となった裁判そのものが、私の『人生の大学』だった」。それまで「自分は一体何者なのか」について考えたことすらなかった朴さんにとって、その後の3年半にも及ぶ裁判は、民族や人権について多くを学ぶ機会になったという。

 判決では、日立製作所側の民族差別に基づく不当解雇が全面的に認められ、その後、22歳で日立製作所に入社。しかし当初は、複雑なコンピューター技術の習得など目の前の仕事に必死で、「民族差別や人権問題について話せる余裕はなかった」という。

 一方で、労働組合の職場集会などで、何の意見も言わない組合員を見て「おかしい」と感じ、徐々に人権問題について話しだすようになった朴さん。「これからもおかしいと思うことはおかしいと言い続けたい」

 会場には、当時25歳の駆け出し弁護士で弁護団の一員だった仙谷由人元官房長官も顔を出し、ねぎらいの言葉を述べた。弁護士として初めて担当した裁判だったという。

 「歴史的に大きな意味のある裁判だった。よく定年退職まで頑張った。何かを成し遂げたということは、必ず日本の歴史や在日韓国人の歴史に、画期的なこととして残ると思う」と仙谷さん。2人は固い握手を交わし、今後の活躍を誓い合った。

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