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「津波に強い」固定観念 被害拡大か 岩手・山田湾
 | 津波で多くの犠牲者を出した山田町中心部と山田湾 |
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津波に強いと言われた山田湾に面した岩手県山田町で、津波による死者・行方不明者が900人を超えた。目撃者の証言によると、最初に見えた津波が低かったことに安心した住民が自宅に戻り、その後の大津波にのみ込まれたという。波静かな山田湾という住民の固定観念が、被害拡大につながった恐れがある。
「山田は今回の津波でも大丈夫だ」。3月11日午後3時すぎ、町中心部の住民が避難した高台でこんな声が上がった。 住民によると、高台から見えた最初の津波は、じわじわと堤防からあふれるような様子だった。勢いは弱く、高さ3メートルの防潮堤にはね返された。 南北の半島が円状に海を取り囲む山田湾は湾口が500メートルと狭い上に、湾内の幅は最大約4キロに及ぶ。波は広い湾内で威力が減殺され、普段は白波さえ立たず、台風の時は船の避難場所となる。 町役場近くの高台に避難していた佐藤義英さん(76)は「多くの人が防潮堤を越えなかった津波を見て安心した。大勢の人が持ち物を取るため、高台を下って家や職場に戻った」と証言する。 高台にとどまった飯岡清助さん(59)は約10分後、信じられない光景を目にした。潮が引いて、湾内に浮かぶ二つの島の間の海底500メートルが完全に露出し、間もなく、大きなうねりが襲った。 飯岡さんは「一瞬にして海面が盛り上がり、防潮堤を越えた。町に戻った大勢の人が次々と飲み込まれた」と振り返る。 海岸から離れた住宅地に住む横田幸正さん(69)も最初の津波が小さかったことで警戒を緩め、家の外に出た。直後、遠くに濁流が見え、数秒で目前に迫った。 自宅2階に逃げて難を逃れた横田さんは「皮肉な話だ。最初に見た津波が防潮堤を越えていたら誰も町に戻らず、被害者はかなり少なくなったはずだ」と嘆く。 複数の住民によると、山田湾にはその後、南隣の船越湾を襲った高さ10メートル以上の津波が、幅500メートルの船越半島の付け根を越えて流入。湾岸沿いを北上して町中心部に入り、水かさが高まったという。 昭和三陸津波(1933年)は岩手県沿岸部で2500人以上の死者・行方不明者を出したが、当時の山田村の死者・行方不明者は7人だった。その後の津波や台風でも被害は軽く、三陸で最も波に強い湾と評されていた。(中村洋介、浅井哲朗)
2011年04月15日金曜日
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