【猫論】こんな猫はイヤだ!

  • 2011/07/21(木)

俺より先に読んじゃう



主食がポテトチップス



パケット料金を無駄遣い



勝手に身売り(しかも値引き)



古新聞で寒さをしのぐ



隠れて同性愛



黙って夜逃げの準備



趣味がのぞき



生き血を吸う


 ・・・以上、出演はミッ君、もぐもぐ、姫たん、ピキ、野良猫1号(5号までいるうちの1匹)でした。

おまけ(ネットで見つけたもの)


とにかく性格が悪い



上下関係がやたら厳しい



アル中(笑)



 コメント欄でも「こんな猫はイヤだ!」を書いてください(笑)(片岡亮)

【猫論】 がれきの下の被災猫9

  • 2011/07/10(日)

 猫を飼っている人なら分かると思うが、自分の家の猫の鳴き声ぐらいは聞き分けられるようになる。ウチの3匹もそれぞれ別の声をしていて、背後で鳴けばどの猫かは分かる。

 下田の世界戦を見終えてから、いくつかの仕事をこなし、一息ついて自宅に戻った夕方。庭の野菜たちがよく育ってきているので、明るいうちに水を撒いていたら、どこかで聞き覚えのある猫の鳴き声がした。ウチの3匹じゃない…そうだ、5日前までウチにいた被災猫だ。絶対に間違いないと思い辺りを静かに見回す。そっとしゃがんで車の下を覗くと…



 いた! キーちゃんだ。大慌てでエサを取ってくる。ついでにカメラもだ。そこそこ近づいても逃げる気配はなく、エサを投げると警戒もせずに車の下から出てきて食べ始めた。
 解放したときより明らかにスリムになっているが、この体型が野良猫として本来の彼なのだろう。お腹はすいているのだろうが、なんとなく健康的にも見える。チャンスは今後あまりないかもしれないと、少し余計に与えていたら他のうるさい野良猫たちもやってきてしまい困ったが、とりあえず今日はサービスデー。餌付けはなるべく避けたいが、今日は許して!という気分だ。

 何しろ解放してからというもの、ずっと気がかりで、昨夜も遅くに庭に出て見回したばかりだった。どこでどうしているんだろうと何度も思った。でも、彼はちゃんと生息していた。そして、僕のところにやってきた。

 解放前はナーバスになっている様子もあったが、威嚇もしないから精神的にはやはり今の方が良いのだろう。でも、なぜさっきは鳴いたのか。僕の家にいたとき、キーちゃんは鳴くこともよくあったが、外に出たいという要求に聞こえた。ただ、ドアを開けるとエサがなくなっていることもあったから、もしかすると僕の家で覚えた唯一の「会話」だったのかもしれない。

 相変わらずの片目だけれど、その姿は他の野良猫たちよりも強い親近感があった。僕の保護は自然界においては余計なお世話になるのだろうが、少し寿命を延ばしてやったことに後悔はない。去勢もしてあるんだし、こいつ一匹ぐらい大目に見てもらいたい。人には懐かないけど、悪い奴でもない。また立ち寄ったら、その鳴き声で知らせてくれ。(片岡亮)

【猫論】 がれきの下の被災猫8

  • 2011/07/06(水)

 同世代の人と話していて、たまに60歳になったときの未来図の話なんかになると内心「そんな先のことはどうでもいいや」と思うことがある。僕は今まで場当たり的な人生を送ってきたが、とてつもなく楽しい日々を送ってきたと思っている。それは特に学校を卒業したあたりから始まっている。子供の頃に戻りたいなんてまったく思わないのは、自分の選択肢を持っていることへの喜びがあるからだ。親の保護のもとにいたときは引越し先だって選べなかったが、今では「ネパールに移住も悪くないな」とか思ったりする。

 本当にやりたいと思ったことは何でもやれる。焼肉を食べたいと思えば夜には食べに行けるし、ビリー・ジョエルを聴きたいと思えば今すぐCDを取り出せる。なんだそんな些細なことと思うかもしれないが、僕の人生は僕の選択でどうにでもなるし、その選択を手に入れる労力を惜しまなければいい…と思うと愉快だ。20年後に生きていれば20年後の僕が「その状況に応じて」自分の選択をしているだけだと思う。

 猫にも猫の選択肢があるが、ときにウチの猫たちは僕に何かをねだる。お腹がすいた、庭に出たい、おもちゃで遊んでくれ、抱っこしてくれ、撫でてくれ…と、ひとりじゃできないことも多い。おかげで僕は保護者としての喜びも感じるが、猫たちにとってもそれが当たり前の日常になっていて、大きなストレスを抱えているという風でもなく、願いが叶えばすぐに床にゴロンと横になって気持ち良さそうな顔をしている。

 一方、被災猫(通称キーちゃん)は日々、健康を取り戻した。片目は開けられないままだが、体格もふっくらし、毛つやも飼い猫なみにきれいになった。困ったのは元気になるにつれ自己主張が強くなったことだ。以前は顔をなでさせてくれたのに、エサを入れるときですら、うなって怒るようになっていた。まめにケージ内を掃除したり、エサの種類を変えて喜ばせたり、いろいろ世話をしているのだが、なつく姿勢はまるでなかった。生粋の野良猫は、自分の選択肢を強く持っている。

 風呂場のドアを開け脱衣所まで移動できるようにしたが、さらに出してくれと鳴くことが増えた。夜はうるさいのでドアを閉めたが、そうするとドアの防水用ゴムが引っ掻いた跡でボロボロになっていた。天気の良い日は庭の隅にケージごと出したりもしていたのだが、そうすると怖がって鳴く。ある日、思いきってケージのドアを開けて放置してみた。1時間ぐらいして様子を見に行くとケージ内に被災猫はいなかった。

「ああ、行ってしまったのか」と思っていたら、また1時間後ぐらいにはケージの中にいた。その間、どこに潜んでいたのかは分からない。でも、これを繰り返せば、また外の生活に慣れるかもしれないとは思った。心配なのは片目であること。視界に死角が出きて片側が明らかに見えていない風なことがよくあった。車に轢かれてしまうんではないか、とも思った。ウチの庭の前は道沿いではなく駐車スペースに来る車以外はいないから危険度は低いが、少し先に足を延ばせば車道には出る。こういう猫がどこでどのように食事できるのかも見当がつかない。見た目も悪いから人にエサをもらえる機会も少なそうだ。首輪を付けておけば、人に意地悪されることもなく、何かあったら連絡が来るようにはできるかと、取り付けを何度か試みたが、キーちゃんはかなり怒ってダメだった。

 そんな中、クッキー行方不明の知らせもあって、保護すること自体についていろいろ悩んだ。起こったことは仕方ないが、あの子猫は保護するべきではなかったというのが僕の結論だ。また外で生活するなら生まれ育った場所にいればよかった。猫によっては保護されることが良い選択ではないことがある。自活することをいろいろ学ぶ幼少時の行動を奪ってしまったことは責任を感じる。猫は人ではなく場所になつく動物で、縄張り以外の場所で他の猫と喧嘩になり、血まみれになってしまうケースも多々ある。今さら外に出てみたその世界がクッキーの運命を左右するのだと思うと心が痛い。野良でいるよりはと保護したが、例え食に不自由してもそっちが彼女の生きる姿だったのだろう。この半年、クッキーに与えられたのは恐怖だったり窮屈だったり、結果的に僕のやったことは保護ではなく身勝手な場所移動と拘束だけだったのだろう。

 被災猫は瀕死の状態だったから保護に後悔はない。自然界の摂理でいえばそのまま静かに眠るべきだったのかもしれないが、自力で立てないほど弱ったキーちゃんが与えたエサを喜んでバクバクと食べる姿を見ていると、たまたまそんな奇特なことをする僕に巡り会ったことで再起のチャンスを一度得たって悪くはないだろうと思えた。たぶん彼の人生で最もお腹いっぱい食べることのできた日々。ただ、クッキーの件があったから、キーちゃんにはキーちゃんの選択をさせなければいけないと思った。ちょうど「私が飼おうか」という申し出もあったのだが、キーちゃんの様子では他の家に行ってもまた怯えるだけだと思った。この2ヶ月間、被災猫をどうするか非常に悩んだが、僕が悩むよりもキーちゃんの態度が回答だった。

 昨日の昼間、庭にケージを置きドアを小さく開けた(2枚目の写真)。これは僕の選択。隠れ家っぽくするために外に出すときはケージをタオルで覆う。それでもやっぱり鳴き出したが、1時間ほどすると姿はなかった。ケージ内のドライフードもそのまま残して消えた。また戻るかもしれないと思ったが、夜になっても戻らない。いつもは見かけるこのあたりの他の野良猫の姿もない。
 キーちゃんは「この状況において」自分の選択肢で、こっちを選んだ。どこからも鳴き声は聞こえない。しばらくはケージを置いたままにしようと思うが、おそらく戻っては来ないだろう。いまどんなところに落ち着いているのかは不明。猫にとっての2ヶ月ぶりの帰還がどの程度のブランクになるのかは分からない。でも、ここからはキーちゃんの人生だ。いつまでも風呂場に閉じ込められているのは彼が望まなかった。姿さえ見せてくれたら食事はご馳走してあげたいと思うが、少なくとももとの慣れた環境にはいるのだから、元気になったキーちゃんが彼自身の好きなように生きてほしい。

 また会えることを願って。(片岡亮)

【猫論】 琉球猫写4

  • 2011/06/18(土)

 沖縄の仙幸正樹カメラマンより。

「那覇の路地裏にある服屋さんの前。三匹の猫が餌にバクバク、猫タワー…じゃないか」という仙幸カメラマンのブログはこちら。(片岡亮)

 http://blogs.yahoo.co.jp/mackysnk48

【猫論】 がれきの下の被災猫 7

  • 2011/06/07(火)

 その後、相変わらず風呂場の中で保護を続けている。毎日見慣れている僕でも回復してきたのは分かる。

 終日ケージの扉は開けておくようになった。以前は小さなケースをトイレ代わりに使っていたが、ちゃんと猫トイレを導入してケージの外に置いた。風呂の扉も開けて、脱衣所まで自由に行動できるようにした。それでもトイレはちゃんと使ってくれたし、食事と水もちゃんと減るし、ドライフードも大丈夫。「減る」と書いたのは実際に食べるところを見かけないからだ。僕の姿を見るとケージの奥で丸まって行動はしない。人の見ていないところでゴソゴソ動くのだ。
 ただ、体が元気になるにつれ精神的な面が表に出てきた。やはりひとりだと寂しいようで「キューン」と鳴き声が聞こえる。その度に面会に行くけれど、黄色猫は僕に近づいてくるわけではない。ゆっくり近づけば普通に撫でることはできるけれど、少しでも驚かすようなことがあると臆病になって固まってしまう。
 あるとき、また鳴き声がして脱衣所のドアを開けると、ほふく前進するようにケージに逃げ戻る姿があった。その動きはぎこちなく、ゆっくりだ。外見は回復してもスムーズに歩けるほどではないのか。いつまでも狭い中で過ごさせたくはないし、首輪だけ付けて野良に戻すことも考えているのだけれど、もう少し様子を見ないといけない。猫本人はこのケージ内が自分の隠れ家だと思っているようだが…。(片岡亮)