2012年01月15日

細井日達氏の言をもって、反「犀角独歩・仮面」キャンペーンを質す

いま、盛んに反犀角独歩キャンペーンが貼られているが、これらは議論を目的としない。ただ、イメージダウンをし、あたかも、わたしとその言説が信憑性のないといったイメージを植え付けること目的としたプロパガンダである。

こうした人々には大石寺66代細井日達氏の言説をもって、態度を質すこととしたい。安永弁哲著『板本尊偽作論』への反駁である。

「本書(板本尊偽作論)が既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯なる仏教者の口にすべからざるところであるからである。
 凡そ宗門間の論争は飽迄清浄なる道念に立脚して教義の邪正を決し、仏教界の進展に寄与せしむるものでなくてはならない」(P2)

『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』の再々…読

この細井氏の教えを守り、大石寺僧俗は、発言を粛として謹厳実直であることを望む。

§


わたしが大石寺宗務院内事部『大日蓮』編集室の仕事をしていたことが、よほど都合が悪いらしく、これを嘘としたいようだ。しかし、わたしが仕事をしていたことは事実であって、そんなことは、当時、関わっていた大石寺の関係者に確認すれば直ぐにわかることだ。

平成の初頭、『大日蓮』編集室は、東京の法道院にあったという虚偽までをでっち上げる様は、まことに見苦しい。

「ペテン師」「あほ」などという言葉を使用することは、書き手の心象はむしろよく表すところだろう。これらの違法行為をどうするかは、慎重に考えることとしたい。

いずれにせよ、いくらキャンペーンを貼ろうが、事実は書き換えられないのである。

§


・他からの抜粋

大石寺今回の反「犀角独歩」キャンペーンに対して、わたしが本気で相手にしないのは、彼らの言説から、大石寺の中枢とは無縁であることがはっきりとわかったからだ。

タイトルにした件。たしかに内事部と宗務院は別の建物である。しかし、実際は、通路でつながっている。院内・部内に入ったことがある人間であれば、こんなことは経験として知っている。よって、これらを別の堂宇と思うのは不特定多数の一般信者であることを物語っている。

また、先に記したとおり、『大日蓮』編集室は平成初頭、既に内事部に置かれていた。20年前に役にあった人間であれば、誰しも知っていることだろう。このことを知らず、邪推を揚げている。つまり、当時はまだ大石寺の信者でもなかった新参者が何だかんだと知ったかぶりをしていることがわかる。

宗務院内事部はないと、さもまことしやかに書いているが、『大日蓮』の記載内容は、宗務院教学部が管理していた。よって、わたしは、一貫して宗務院内事部と書いてきたのはそのためである。

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