| (2006/02/23) |
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| 21.阪急神戸線拱橋(神戸市灘区) 執念が架けたアーチ
「長い径間のアーチはスレンダー。洋館のパラペット(腰壁)を思わせる上部のデザインも美的」。県ヘリテージマネージャーの松田道伸さん(58)はこの橋の魅力を語る。一方、下の道が斜めに交差するため、橋が”よじれて”いる。「構造計算やコンクリートの型枠づくりは大変だったろう」。阪急電鉄鉄道技術部の職員らは先人の苦労をしのぶ。 ◆ 阪急は一九二〇(大正九)年に大阪・梅田―神戸・上筒井(現在の王子公園西側)間に神戸線を開通。省線(現JR)、阪神との競争が始まった。その前年、阪急は神戸の中心市街地へ乗り入れるため西灘村原田(現・王子公園駅付近)で分岐し三宮に至る新線の特許を申請。地下式を条件に認められた。 ところが地下式は費用が膨大な上、工事が多難として二七(昭和二)年、申請を全線高架式に変更。これが神戸市会などの猛烈な反発を招いた。「市街地を分断する高架は市の発展を阻害する」「美観を損ねる」 それでも阪急は高架式に執念を燃やし続けた。「高架下は店舗に利用できる」「火災時には防火壁になる」。やがて識者らが理解を示し、三三年に市会も申請を可決。省線三ノ宮駅西に設ける神戸駅(現・三宮駅)までの新線建設が決定した。最初の申請から十五年目のことだった。 ◆ 建設にあたり阪急は特に架道橋部分に留意。騒音防止のため多くを鉄筋コンクリート構造とした。美観にも配慮し、建設が進められていた都市計画道路をまたぐ二カ所には、中央径間が三十メートルを超える三連アーチの原田拱橋(きょうきょう)と灘拱橋を、省線灘駅から北へ延びる道路上には径間二十五メートルの灘駅前拱橋を架けた。 後に原田拱橋の下には神戸市電が走るようになり、電車同士が立体交差する景観が市民に親しまれた。その路線は六九年に廃止されたが、往時を回顧する書物の多くに、ここの写真が収められ、思い出を今に伝えている。(写真・文 田中靖浩) <設計者・阿部美樹志> |
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