ロンドンにある Hot shoe galleryにて「For Japan」というチャリティーオークションに参加します。 2011、8/2から8/6まで。
私は被災地にはいる茨城県に住んでいますが、3月11日の揺れは、本当にひどいもので、家に戻ると、本から家具から色々なものが
倒れていました。キーボードなんか水浸しになっていたり。今こうして、いられることを感謝しています。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
> 震災の被害が大きかった東北地方での
> 長期的支援とそのための支援金集めを目的とし
> た、写真の展覧会「For
> Japan」に、共同キュレーターとして携わっており
> ます。この展覧会「For Japan」は、建築家団体
> Architecture for
> Humanity (アーキテクチュア・フォー・ヒューマニ
> ティ、本部・米国)と、イギリス・ロンドンでも有
> 数の写真専門ギャラリーHotshoe
> Gallery (ホットシュー・ギャラリー)の共催で行われ
> ます。
>
> Architecture for Humanity
> (AfH)は世界中で自然災害や戦争などの被害を受け
> た地域での、建築・建設を通した復興を目的とす
> る慈善団体です。AfHは3月11日の東日本大震災を受
> けて、新たに日本に仙台支部を設立し、日本の建
> 築家や建設関係者とともに、復興に向けたプロ
> ジェクトに動き出しています。支援プロジェクト
> には短期的で即効性のあるもの、長期的で持続可
> 能なものがあり、その中には震災で親を失った子
> どもたちのための施設の建設などが含まれており
> ます。
>
> そのための支援金集めを目的とした写真の展覧会
> 「For Japan」では、現在みなさまから展示販売させ
> ていただける写真作品の募集を行っております。
という、メールをいただいてお送りしたものです。選考などもあって
質の高いものを目指したチャリティーオークションだと思います。
http://www.hotshoegallery.com/upcomingexhibitions/for-japan-open-submission/
Architecture for Humanity London and Hotshoe Gallery are hosting a charity print sale/auction of photographs to raise funds
for the long term reconstruction of the tsunami devastated north east region
of Japan. The photographs were submitted through
an open call. The brief was to evoke and celebrate Japanese culture. The
response was overwhelming with entries from both
established and emerging photographers from all over the world, 100 photographs were selected. They will be on show
from 2nd August and will go up for auction on 5th August at Hotshoe Gallery between 6pm-8pm. All the photographs are
Lamda C-type prints on Fuji Crystal Archive paper. They all come framed
and are 30×40cm . The starting donation is £50.
There will be a chance to bid on the pictures during the course of the
exhibition so some may fetch a higher end price.
The proceeds will go directly to the Architecture for Humanity project
office in Sendai.
Architecture for Humanity, a non profit organisation which offers building and design support in response to humanitarian and emergency
needs, is working on the ground in Sendai on a number of projects including
an orphanage, an art and music therapy centre, an ‘urban acupuncture’
initiative to help get small businesses back on their feet to kick start
economic recovery on a local level, a small scale fishing village reconstruction
(rebuilding along the coastline is not included in the Japanese government’s 10 year plan). The operation is being headed by a team of top Japanese
architects and overseen by the charity’s founder, Cameron Sinclair. www.architecureforhumanity.org.
文身「笑」 2008
文身笑は、子供が笑顔でいて欲しいとの母の願いで彫られたtattooです。
これと同じ思いが、これからのこの日本に必要なのだと思います。
そして、収益金が被災した人々の笑顔につながればとの思いもあり
この写真を選びます。
(写真発送の際に添えたメールから)
グループ展参加します。30日の夕方ごろは会場にいます。
当日は少しトークする予定です。よろしくお願いします。
文身「魚禾」((蘇の草冠を無くした文字、音はソ)
文身「魚禾」、 この文字は「蘇」の源初の形で、草冠が無い。
彼女に会ったのは、2009年の6月だった。
彼女の肉体には、幾つかのTATTOOが入っている。
彼女は「絵人間になりたい。」と、そんな事を言っていた。
僕はその時、「えっ?」と思ったけど、彼女はその1つ1つのTATTOOに意味があって、
それぞれが彼女自身の人間性を取り戻すもの、回復していくものだと話してくれた。
彼女が生まれた所、その家では父親による虐待があり、そのことによって
心を閉ざすこともあった。彼女は結婚する事で、その家を出ることができた。
そこでは祝福されるべき生活が待っているかのように思われたが、
今度は、その結婚した男性の母親が彼女を虐げることになった。
結果、彼女はその男性と離婚した。今は一人で過ごしている。
彼女が、生きることで喪失したもの、それを1つ1つ、取り戻していく行為。
それが彼女のTATTOOの意味であり、その意志を示したものが「魚禾」という言葉だ。
彼女から、このようなメールが来た。
足るを知るという言葉がありますよね。
あの境地にたどり着いてみたいのです。
漢字でいうとなんになるのか、わからなくて…。
満足して完結、安定したい、という感じでしょうか。
不変のものになりたいという気持ちもあります。
そこで、僕は「厭(メールではこの字の雁垂を無くしたもの)」と「魚禾」の2文字を推薦した。
「厭」エン ①あきる(飽) ②たる(足る) ③やすらか、落着く ④満ちる
彼女は「蘇るという字は琴線に触れました。」と返事をしてくれた。
文身「魚禾(蘇)」、
この文字には幾つもの意味がある。
1、(散らばっているものを)かき集めて取る。
2、満ちる
3、めざめる
4、よみがえる
5、いきる(生きる)
「魚禾」は「蘇」と同義の文字として解釈していいが、『大漢和辞典』では、
説明されている意味に少し違いがあり、「蘇」では、上記の1や5の説明が
欠けている。生きる上で喪失してきたもの、生きる為には、喪失していか
なくてはいけなかったもの。それら一つ一つをかき集めること。
彼女はそういった意味からも、原初的な、この「魚禾」の方の文字を文身として刻みたい
と言った
2009の9月に「魚禾」の原案が完成した。草書のもの、行書のものなど、幾つか書いてみたが、
彼女の肉体は、幾つかの象徴的な絵が既に肉体に刻まれているので、こういった
絵画的要素のものと、親和性があるのは絵に近い象形的な古代の文字だろうと思い、
彼女の意見も聞きながら最終的に金文という書体で仕上げることにした。
施術を終え、再び会った時に、彼女は「魚禾」について書いてくれた。
「 魚禾とは 私の輪郭。 生の欠片を集め 私は 私を形作る。 日々よみがえってくる。 」
文身「魚禾」、それは彼女の祈り、願いのかたちである
自分を見つけることが出来た人は幸せです。
自分が何をすべきなのか、それを感じることが出来る人は幸せです。
文身「惺」(セイ)
「惺」
①さとる。すっきりとわかる。はっとしてさとる。
②しずか(シヅカナリ)。心が澄みきって落ち着いている。また、にぶることなく、いつもさめているさま。
といった意味がある。
焦燥感、不安、先の見えない暗さ、何をしたら良いか分からない故に、身動きが取れない、がんじがらめになった自分。
また、どうしていいかわからな い故に、繰り返される惰性的な生活。そんな生き方に、自分を見失う。
そのような時期が自分にもあって、それは大体、25歳頃から28歳くらいだろうか。
26歳で芸大に進学を志し、28歳で合格。実際に入学したのは29歳の頃だった。
実際、途方に暮れていたのは25、6の頃で、途方に暮れた次に、もたらされたのが
何度もの挫折だった。でも、これらは次の環境、景色を自分にもたらす為の準備期間だった
のだと思える。その時期は今でも私にとって豊かな財産だと思える。
その後、雛が卵の殻を割るように、視界が広がり、光を感じることができた。といっても
これは単に、芸大に入学して、新たな環境が整ったということだけでしかない。
卵から、雛の段階に進んだに過ぎないのだけれど。
今も変わらず、焦燥感、不安、先の見えない暗さ。というものはすぐ傍にある。無くなる事は
ない。でもかつてと異なる点は、自分は「意志」(何かを成し遂げようという思い)も、
同じように持ち合わせていることだ。
これらの不安や暗さを上 回る「意志」が、いまの自分を支えている。
意志は新たな環境を用意する。意志が新たな世界を用意する。
「惺」の文字は27歳の女性が、その身に刻んだ言葉だ。彼女は言う。
以前もお話したことがあったかもしれませんが、そもそも私には“強い思い”が欠如しているように思うのです。
いい様に言えば、私は穏やかで優しいと思います。(自分で言うのもなんですが…)
ただそれは自分に自信がなく意思が弱いことの表れで、本当は冷たい人間ですし、流されやすく、
調子がいいだけだと自覚しています。
流されて、何となく生きてきた結果、私には、何もないのです。
そのことが情けなくて、もどかしくて、自分の意思を強くもちたいと、常々思うのですが、どうしたらいいのかも分かりません。
やりたいこと、食べたいもの、向かうべき夢、好きな人、何一つはっきりしないままの毎日。
それがはっきりしている人が本当にうらやましい。心から尊敬します。
もしくはそんなことを考えずに生きていられる人も、本当にうらやましい。
何も考えなければ、人生はどんなに楽かと思います。
自分らしさって何なのでしょうか。
人を傷つけないようにつく嘘も、目立たないように過ごす毎日も、人の期待に応えるセックスも、何の意味もなさないことは
分かっていながら、何も終 えられません。
周囲からの印象と自分の思う自分とのギャップは皆持ち合わせていることとは思うのですが、周囲からの期待や望みどおりに
生きることはとても楽で、 若い頃はもっとトゲトゲして“私”がしっかりあったはずなのですが、騒ぎを起こすのは面倒で、怒ったり
怒られたりすることはもおうんざりで、穏やかさを追 い求めてきました。それは大人になるということなのかもしれませんが、、、。
自信がなくなるにつれ目立つのが嫌になり、普通を求めてきました。
結果、私には何もなくなってしまったように思います。
そんな私を表す言葉。
そんなものありますでしょうか?『我』?『自分』?
自分のありたい姿をもっと見つめないとダメですね。
今回の文身は、相手から既に決まったこの文字をということで依頼を受けていない。
彼女と共に、言葉を見い出すこと。そこからのスタートだった。私は、
・「藹」アイ
・「瓏」ロウ
・「惺」セイ・ショウ
・「燎」リョウ
など全部で19の文字を彼女に提示し、彼女が選び出したのが「惺」の一文字だった。以下は
彼女からの返事である。
”自分”の弱い私はこれだと思いました。
満たされない気持ちも,迷うばかりで焦る漠然とした不安も,
自分が何をしたいのか,どうありたいのか,自分が何をしているのか,自分は何なのか,,,
それがはっきりしないことが根本なんだと思うのです。
周囲の顔色をうがって生きているのは自信がないからで,
ただ他者と比べることではなく,自分が自分を認めて満足しなくては自信などもてるはずもなく,
私にはそれができていないのです。
自分の存在意義を認められずにいるのは本当に辛かったですが,
私を支えてくれる大切な人たちのためにも,自分を信じて,自分認めていきたいと,
この悶々とした日々から覚悟を決めて抜け出し,心の星を輝かせたいと思うのです。
『目を覚まし,真実の自己をしっかり保ちなさい』と自分に言い聞かせたいと思うのです。
如何でしょうか?
意志が、新しい自分を作り上げ、新たな世界を用意する。
それを自覚する事が「惺」である。
この文身「惺」の話を中心に、私の文身プロジェクトの内容が、2010、5月号の『正論』(産経新聞社)という
雑誌にコラムニストの上原隆さんの 文章で掲載されていますので、よろしかったらご覧下さい。
5月号は4月1日発売ですので、今なら書店に並んでいると思います。
● 2010 5月号の「正論」(産経新聞社)のP278~285の8ページにわたって文身プロジェクトの
ことが掲載されています。
書いているのは上原隆というノンフィクション・コラムライターの方で、
「文藝春秋」や「朝日新聞」、「文学界」などを媒体として寄稿している人です。
上原さんのテーマに沿って、文身プロジェクトが編集されていますが、文身という表現を
より多くの人に知ってもらうにはいい機会だと思います。表現をプロジェクトする一つの手段として
こういった形の提示も活用できればと考えています。
下記は冒頭部分です。4月1日から1ヶ月書店に並んでいると思いますのでよろしければ
手にとってみてください。この雑誌は一定の政治的な傾向のある雑誌ですが、僕自身は
政治的にはニュートラルです。
ある人からメールが届いた。
● 文身のプロモーションビデオ作りました。
http://www.youtube.com/watch?v=YN5oYTDHWDU
「素」の彼女は急いで撮影ということだったので、施術後1週間しか経っておらず
完全に皮膚が回復せずに、薄皮がまだカサブタのようにくっついたままでの
撮影だった。
この約2年間で7人の人の施術に携わった。この2年間の集大成となる修了展は
スタジオ撮影まで終えている「魁」・「笑」・「結」・「愛」・「志」・「素」の6人の人達から
なる文身を提示する。
こうやって幾つのも文字を書いてきたが、、文字の造形は既に僕の手元を離れ、
それぞれのキャラクターを帯びて、その人たちの人格を映し出したように感じられる。
文身「忍」
彼女との会話に出た言葉、
彼女は、自らに刻りたいという言葉を5つ挙げて僕に意見を求めてきた。
「忍」、「静」、「華」、「愛」、「薔薇」の5つ。
それに対して僕はこのように答えた。非常に砕けた感じでのメールのやり取り
中で会話しているので、ここでは以下のような文体になっています。
以下桐生メールから
僕がいいなと思うのは、忍、静、華、愛の内の一文字かな
薔薇はとても具体的なもので、文字にしなくても、絵でもいいような
気がする。言葉で表すより、絵の方がイメージが強くなるかもね。
「忍」や「静」、「華やか」、「愛」はやっぱり絵で示すことの出来ない
ものだと思うしね。
それに年齢、状況に応じて色々とその文字から受ける意味とかが
幅広くありそうな気がする。
「華」は前向きな姿勢が表れていい感じだと思う。「静」も良い感じだと
思うけど、忍は、今までの背負ったことの辛さや大変さを身に刻むようで、
今後も「忍」ような人生を振り返らないといけないような気がするね。
でも逆に言うと、とても密接に●ちゃんの人生と関わっているだけに、
深い言葉になっているかもしれない。言葉としては好きだし、良い言葉だと思う。
「決意」として刻んでいくなら良いかもしれないね。「ねばり強く鍛えた刀の刃」
が「忍」という文字だからね。仏教の言葉で「忍土」(にんど)と書いて
「この世」「娑婆」の意味だって。この世は、しのぶ世界なのかと思ったよ。
「愛」も「忍」と同じような意見かな。どちらも良い言葉だとおもうけど、
●ちゃんの場合は「背負う」部分に多くのものがあるね。それが良いことなのか
もしれないし、逆に言うと、色々と過去を振り返させてしまう言葉になるかも
しれないね。●ちゃんにとっては痛みと願い、希望を共に包み込む言葉になると思う。
「静」は波乱万丈から「静」に至った感じがして、過去の●ちゃんと、未来への
●ちゃんを繋ぐようで、良い言葉だとも思うけど、もし刻るとしたら、
この9年前の知り合いとの関係を少し説明がないと、文身としては意味がわかり
づらいかも。メールの説明だけを見るとその9年前の人との関係で文字が密接に
関わってくるからね。
最終的には●ちゃんが好きな言葉を選ばないといけないからね。
どれも良い言葉だけれど、
書家は、書の特質が何であるのかを掴み取らないといけない。書が出来ること。
書は、言葉(文字)を道具として表現してきた歴史で、それに造形性のニュアンスを
付ける事ぐらいしかできない。でもその「ぐらい」の部分に表現としての宇宙があることは
事実で、そのニュアンスによって、感覚である「印象」というものが支配されている。
同じ言葉でも視覚化されて導かれた「印象」というものによって「あっち」、「こっち」と
人の心を左右する。それって凄い事なんだなって、思えるようになった。
絵で表せるものもあるだろうけど、文字でないと表せないものもあるだろう。
楽しいを絵で表すって難しい。「楽」の文字は相手の記憶を利用して、相手の「楽」を想起させる。
「楽しい」を絵で描いて下さい!
抽象画でも具象画でもそれは難しいんじゃないかと思う。
楽しい=笑っている人を描く、「笑」=「楽しい」?
「面白い」と「楽しい」の違いは絵でどう表す?
どんどんと判らなくなってくる。なぜならそれぞれその人の思い浮かべる頭の中で限定的に
「楽しい」はこしらえられているものだから。言葉によって誘導されて頭でそれぞれが理解
していると思っているに過ぎないから。その人の頭の中にある「楽しい」の概念を引っ張り
出して検証するしかない。
「しのぶ」って絵でどうして伝えたらいいのだろう。そういった人間が人間であるため
に持ってしまった形而上の思考の象の存在がある。言葉を扱う、文字を扱うというのは
そういう所にも近づける1つの手段なんじゃないかと考える。
文身「素」
彼女に会って、文身について話し合って計画してから、1年と3,4ヶ月、
会う機会を何回か設け、そして原案作成について何回も話合い、ついに昨日7日、
彼女の身体に文身「素」が刻まれました。彼女の身体には既に、4つの文字、
4つの要素が入っている。「地」「風」「水」「火」、そして5つ目の要素
として「素」という文字が相応しいと言う。この4つは既に彼女がデザイン
して彫っていたものだ。
彼女は費用がかさんでも、また少し荒くなっても、「手彫り」という伝統的な
方法で文身を刻む手段を望んだ。そうすることが自分にとって儀式的な意味合い
へ強く繋がると言っていた。彫師は青竹を切ることから始めて、9本程の針を束ね、
竹に結びつけ道具をこしらえていった。そこから儀式(行為)は始まっていたんだ。
僕も手彫りを見るのは初めてで、彼女の皮膚は針で突かれるたびにピチピチと音を
立てて弾けていた。針は突いた後、抜くというよりも皮を持ち上げるように
跳ね上げられる。膚の音。
ピチッ ピチッ ピチッ ピチッ とリズム良く繰り返される。
そして時々、痛みのせいで彼女の体がピクリと反応していた。彼女は既に4つの
文字が入っているが、この5つ目は痛かったと言っていた。
だからこそイニシエーションに相応しいと。他のはイベントに近いと言っていた。
施術中に寝てしまえることもあったからと。
文身にはその人の生き方が見えてくる。ボディーペイントや2週間程度で消える
ヘナタトゥーではそういった人間の生き方や感情や気概そういったものは光輝いて
見えてこない。2週間程度のものは、どうしても2週間程度のものに感じる。
身体装飾と身体変工とはどこまでいっても次元も意味にも違いが出てくる。
可逆性を求められない何かを背後に置いたその人間の心の一歩、そこに心が動かされる。
生まれてから死ぬまでの間、本当は連続して時は過ぎている、それを季節や、行事、
時計、何でもいいけれど区切りを付けて人は生きている。
不可逆。そういった機会を自分に用意する。その機会を1つの基点として
ビフォーとアフターが生じる。その基点は起点となる。今後の生の時間に
変化が生じる。後の時間をどのように刻んでいくのか、自分自身に問いかける一点となる。
僕にはそこが美しく、また大切なものに感じる。
ピチッ ピチッ ピチッ、とその一針、一針が、何かを創り上げ用意していくものへと感じた。
今週の水曜日は名古屋へ。以前ここにも載せた現在48歳の女性の美容師さんの文身を刻り上げに行く。
彼女の文身は「忍」の一文字、この「忍」の「刃」の部分は、「粘り強く鍛えた刀のハ」の事をいい、
それに心を付けて「粘り強くこらえる心」をいう。「忍土」とは仏教の言葉で「この世」、
娑婆のことを言う。彼女はみづからを変えたいと僕に言った。
●文身
「行為」とはそれが経てきた歴史的な文脈に沿いながら、それをどのような視点で
捉えていくかによって「意味」や「価値」が変わります。
「刺青」・「入墨」・「文身」・「文繍」・「黥」すべて同じ「イレズミ」と読むことができます。
幾つもの文字が当てられたことからもわかるように「肌に墨を施す行為」は多義性を
有する人間の行為の1つです。その行為は幾つもの認識、解釈を生み出しました。
「文化」すなわち学問・芸術・道徳・宗教・政治など、それらは個々人の見る立場、
視点、によって意味や価値は変容していきます。
日本においてイレズミは、刑罰としての「負の文脈」を有しながら。一方で祈りや誓い、
願いや神聖化の意味会いで行われる「正の文脈」を併せ持つ行為でありました。
私は肌に墨を施す行為の多義性を提示することで、人間の「認識」の仕方、認識そのもの
について疑問を投げかけます。また、書の芸術の視点からは、本来あるべき「言葉を記す為
の芸術」として意義の再考し、書というメディア、芸術性の意味を問いかけています。
視覚化された心の痕跡である文身に、肉体と精神の関係を読み取ることができます。
人間が肉体を持ち、精神という目に見えないものを言葉として顕していくこと、そこに
「存在」が生じるのだと思います。そこに写しだされた人間と、そこで選ばれた言葉と、そこに
生じた書美は人に何らかの感情を与えるのだと考えています。
文身、それは感情、思考を永く心に留めておく行為であり、
そのための徴しとして、肉体に文字を刻む。
それを見ては心を憂し、
それを見ては心を興し、
それを見ては心と対し、
それを見ては心を奮わし、
それを見ては心の静に至る。
( 修了展カタログの原稿)
先日、ネットを通して理容師で47歳の女性と色々とお話をしました。
彼女は今、バイクの教習中に事故をして腰を痛めたことで入院しています。
彼女が文身を行うのかは まだ未定ですが、彼女とのメールのやり取りは
感じる所があったので、ここに挙げたいと思います。
●=桐生 ○=彼女
○ 2008年09月27日 21時27分
足跡ありがとうございます。
興味があったのでメッセージいたしました。
突然のメッセージ失礼します。
色々と聞きたいけど・・・
●桐生 2008年09月27日 22時07分
××さんはじめまして。
こんばんは。
ご興味を持ってくださりありがとうございます!!
どうぞ色々とおたずね下さい。(笑
○ 2008年09月28日 11時14分
昨日は、メッセージありがとうございます。
何から質問すれば良いのか?
私は、47歳独身です。
年齢的に・・・肌の事とかありますが(--;)
去年から・・・入れたいなぁって
安室ちゃんみたいな感じが素敵で憧れですね
オバサンだけど・・・
●桐生 2008年09月28日 11時56分
お返事ありがとうございます。もちろん歓迎致します。年齢も関係ありません。
ただ僕のホ-ムペ-ジご覧いただけたでしょうか。いうなれば、万葉の歌人が心に画いたような、
心の叫び、願い、祈り、誓い、感情何でも構いませんが、言葉なり気持ちを文字にしていただいて、
それを僕が××さんの為に書として表します。また写真として発表しますし、時に個人的に
背負っていることにもふれてしまうかも知れません。もちろんどこまで公開するかはお話しして
決めていきますが。今、外出中で携帯から打ち込んでいますので、また帰宅後にご連絡いたしますね。
よろしくお願いします。
○ 2008年09月28日 12時04分
わかりました。
まだホームページは拝見していませんm(__)m
●桐生 2008年09月28日 17時52分
どうも。今帰宅いたしました。
ホームページはこちらになります。
http://www3.to/sin-k
何か過去の自分から変化したい。
それがアムロちゃんのようにかっこよくというのでも
良いと思います。
変化したいという願いは人にあります。
ただ、これを芸大の僕が行うということは、どこかに
表現としての美しさがないといけません。
その美しさとは、なぜ人がそのように願ったか。なぜそのように
感じたのか。人の心の微妙さです。そこから文字が生じ、
それを書芸術として表現しなくてはいけません。
人間の心の奥深さと、その人の歩んできた姿と、その人によって
選ばれた言葉と、そして僕が視覚化した書の関係です。それが美しさです。
それは難しい言葉だから良いとかではもちろんないです。
その人と、その人の選んだ文字の関係が深いということですから。
そういった感じで、良さそうでしたら、僕は××さんのために
そのための書をデザインします
××さんの言葉に美の形を宿らせるため尽力いたします。
難しいことはありません、心配されることもありません。
素敵な言葉はきっと素敵な書を生み出しますから。
いつもは、こうしてお尋ねくださった方と直接お会いして、詳しく説明して
色々と話を積み重ねていきますが、××さんはどちらにお住まいでしょうか。
もし上記のような感じで、文身を出来るかもとお感じになりましたら、
話を進めていきましょう。お待ちしております。
○ 2008年09月28日 18時19分
お返事・・・ありがとうございます。
確かに変わりたいと思います。
私は、××県××市に住んでいます。
今は、入院中なんですよ。
金額とかも聞きたいですが・・・正直、今は収入がないので難しいかなぁ?
●桐生 2008年09月28日 18時51分
僕は一切の金銭を受けませんし、同時にお支払いすることも
出来ません。お互いに金銭のやり取りはありません。
僕は書のデザインを制作、提供し、代わりに写真など撮影し発表します。
あと、メールなど、言葉のやり取りを発表のため使うこともあります。
写真となぜこの言葉なのかという思いや感情を、数行でもいいので
紙に書いていただきたいと思います。××さんの名前は表に出ませんが
お顔は出てしまいます。
実際の費用は、彫師に支払う分だけです。
3、5センチ四方のもので、1万5000円から2万でした。(東京)
12センチ四方のもので、3万5000円から4万程度でしょうか。
機械彫です。
××県となると、僕との間に距離があるので、大きさ、文字の選定、
場所など色々メールでやり取りして、
完成した原案もメールで確認していただいて、いざ刻るのは関西では
大阪か京都で探すのがいいかもしれませんね。もちろん××県でもかまいません。
彫師の所へ一緒に行きますので心配しないでください。(僕が探しますが、技術など未確認ゆえ
不安です。技術的に確実な所を探す努力をしますが、完璧はお約束できません。)東京では
もちろん技術的にも信頼できるお店が何件かありますので、そちらで施術できます。この施術中も
写真で撮影しますのでもちろん僕も彫師のところへ一緒に行きます。(ホームページを見ていただける
とわかりますが、今は見れないですからね。)といった感じで進んでいきます。
お腰の怪我で入院されているのですよね。大変です。
先ずは退院されてから、実際に話が進行していきますが、こういった感じ
でよろしければ、文身をしましょういかがでしょうか。
○ 2008年09月28日 19時11分
そうなんだぁ。
う~ん(--;) 金額ですね。
問題は・・・今年中になんとかなればですが・・・ちょっと退院するまで待って貰えませんか?
勝手ながら・・・申し訳ないです。 m(__)m
それとマイミクは駄目でしょうか?
●桐生 2008年09月28日 19時16分
そうですね。退院しないとなんとも先ずはわからないですもんね。
きっとホームページ見ていただけたら、色々と感じていただける
と思います。
マイミクよろしくお願いします。こちらから申請いたしますね。
早くお腰が良くなるように願っております。!
○ 2008年09月28日 19時31分
金額の問題だけなんですよ。
私は・・・書いて欲しいんです。
近々、退院予定です。
退院しても後1ヶ月は動けない状態です。
●桐生 2008年09月28日 19時45分
そうですね。病院への通院等。
費用面で大変なことが沢山あると思います。
でも将来的に、きっと得るものも出てくると
思います。僕の書は一流と言って良いです。
お金では得られない色々なものが文身には
ありますから。
今は××さん自身、動けない体で色々と
不安なこともあると思いますから、
時間をかけて色々とご検討してみてください。
これは僕の表現でもありますが、同時に
××さんにも喜びとして得るものがなければ
意味のない表現でもあります。
これまでも一度も、相手に無理強いはしたことありませんし、
どんなプロセスの途中でも、例えば原案が出来て後は
彫師の所に行くだけだとしても、この文身は中止してもいいわけです。
刻る本人の強い自発性がなければ、この文身は美しくはなりませんからね。(笑
ではいつでもお待ちしておりますので、決意されたときは
いつでも構いませんのでメールくださいね。(笑
○ 2008年09月28日 19時55分
決心と言うか。私の心の中では決まっているんです。
波瀾万丈な人生を変えて生きたいと思います。
1年前から思っていました。
お願い致しますm(__)m。
心の病持ちでもあり。
もう、疲れている自分がいます。
どうか、私を変えて頂きたいです
●桐生 2008年09月28日 20時03分
そういう言葉をお待ちしておりました。
私は貴方の心の言葉を、文字に変え美しく仕上げていきます。
そして、××さんの波乱万丈な経験と、そこからでた言葉に
人は、時に自分の姿を見るかもしれませんし、感動するかも
しれませんし。何かを感じ、何か心が動かされるはずです。
××さんの経験や心に感じたものを、自分だけに閉まって
過ぎてしまうのではなく、世の中の他の人たちにとっても
経験になるようなものにしたいのです。
そこに宿る感動こそが美ですから。
そこに宿る美に、肌、体系、年齢などは関係ないですからね。
一緒に良いものを作っていきましょう
宜しくお願いしますね。先ずは退院して体調を整えなくては
いけませんね。遠くからですが、祈っていますよ。
○ 2008年09月28日 20時09分
はい、こちらこそ宜しくお願い致しますm(__)m
若干の不安はありますが・・・
K sさんを信じています。
体調が整いましたら・・・宜しくお願い致しますm(__)m
何だか、少し元気がもらえた気持ちです
●桐生 2008年09月28日 20時23分
こちらこそ、よろしくお願いしますね。
きっと良いものが出来ますよ。!!
少し元気が出たと言って頂けたらとても嬉しいです。
あと、××さんとのこのメールのやり取りは
とても感動しました。××さんのハンドルネームや
住んでる地域などはふせますが、ホームページなど
に掲載してもいいでしょうか。とても素敵なお話でした。
○ 2008年09月28日 20時37分
えっ、私のですか。
お恥ずかしいですが・・・
どうぞ・・・宜しくお願いします。
実は、今日は三人いる息子のうち二人 次男と三男が××市から××県まで・・・お見舞いに
来てくれたんです。(中部××市から関西××県)
三男18歳ですが働いています。 独り暮らし
背中にまだ顔だけですが、彫っています。途中ですけど
私は・何も言わなかったですけどね
息子が言った言葉が、「俺の勲章みたいなもんだと(笑)」
次男には、「オカン」お母さん 落ち着きなよって
波瀾万丈な人生を送ってきたしって
何だか・・・いつの間にか大人になってきた息子達を見ていたら・・・嬉しくもあり
お母さんもまだまだ青春だもんって言ってしまいました(笑)
●桐生 2008年09月28日 20時50分
嬉しいです。ありがとうございます。
私たちはこうして腹割って話せなくては
いけないのです。もし僕の書が××さんの
体に入れば、僕の書とは永く付き合わなくては
いけないからです。(笑
元気出して行きましょう!!
僕もいつもこけては、立ち上がれるかを問われる
ような人生でした。まだまだ浅いのですが、30年で
これですから。××さんは更に色々経験され、感じて
こられたはずですからね・・・。
今日は息子さんたちもお見舞いにこられて良い日だったのですね(笑
ではでは、よろしくお願いしますね。
また、退院されて、体の調子が整ってきたときに、
話を進めていきましょうね。
○ 2008年09月28日 21時07分
はい、ありがとうございます。
えっ、そうなんですか。 永く付き合って行くんですね。
わかりました。
体を治して・・・1日も早く K sさんとお逢いしたいです。
待っていて下さい。
●桐生 2008年09月28日 21時13分
はい、楽しみにしております!!
僕にとっても今日は素敵な日でした。
彼女は今、退院するためにリハビリを続けています。
このメールの2日前にも、文身「結」さんの職場の先輩にあたる女性と
お話をして文身の計画を進めました。彼女には2人のお子さんがいて、
このお子さんたちと自分との関係を文身として表したいということでした。
実際の施術は来年ということになりました。
文身「笑」の彼女もまた、お子さんとの関係でした。文身「笑」の
彼女は主に子供という対象に向けた、また投げかけた言葉でしたが、
先日お会いした彼女は子供から享受した力、満たされた自己自身という
また異なる視点での「母」の話だったと思います。
また話が進展したら、ここで挙げたいと思います。
「文身」
文身は感情、思考を永く心に留めておく行為であり、
そのための徴しとして、肉体に文字を刻む。
それを見ては心を憂し、
それを見ては心を興し、
それを見ては心と対し、
それを見ては心を奮わし、
それを見ては心の静に至る。
文身とは隠された詩でもある。
詩、これも美術の一部であり、人の感情や思考に変化を与える。
詩として提示されているもの。それらは詩の形態を備えていれば、
詩らしく見えるかもしれない。けれども詩の心がなければ
それらは詩として成立しない。少なくとも私にとってはそうだ。
文身を身に施した彼らの心の響きは、詩の形態をとっていない。
けれどもそこには詩の心とも言うべき、人間の心の玄妙さ、
深遠さを備えている。
その詩を、書の文化が培ってきた要素を用いることで、
視覚化し、普遍の人間の心裡の象として、美術という形式
のもと提示し、残したいと願う。
そこに人間が見てこようとした美(術)の「理」とする部分が
存在していることに気が付いたからだ。
「魁」の彼自身にしても、彼はもう、すぐには会うことができない息子
の名前を胸に刻んでいる。それは彼の息子自身の姿でもあるし、息子
を名付ける際に生じた彼自身の心の姿であり思考であり願いでもあったはずだ。
万葉の頃の、人を想いその感情を言葉に代え現そうとしたその行為と何も変わらない。
美術とは「形」が変わっても、それは時代と環境に応じて姿を変えているだけで、
その背景にある人間の精神や感情や思考というのはそれほど大きな変化が無いように
思う。だからこそ、そういった人間の感情や思考の普遍的な部分に視点
をおいて、「象」として、その時代の姿をとって表現することができるのだと考える。
文身は場所によっては、一回の施術で上手く皮膚に墨を定着させる事が出来ない。
定着せずに皮膚ごと墨が剥がれ落ちたり、排出されてしまう。浅すぎても定着せず、
深すぎると瘡蓋(カサブタ)となってボロリと落ちる。肉と皮の狭間、新聞紙5枚分
の厚さの所へとその針を刺し込まなくてはいけない。
唇は代謝も激しく、墨が落ちやすい。そういったところも多くの彫師がこの部分に
施術する事を避けたがる一因となっている。
先日、墨の落ちた部分にもう一度墨を入れなおす為に彫師のところへ出向いた。
取手校にいた所、急に彼から電話があった。今から彫師のところへ墨を入れにいくという
連絡であり、その為に原稿の写真データーを携帯の方へ送って欲しいという。
急いで家へと戻り、原稿を彼の携帯へと送る。すぐに電話をかけ、僕も一緒に付いていくと
告げる。シートフィルムを詰める暇も、そういった判断もしていられないので、
マミヤの645AFDをもって、フィルムは現地調達。急いで彫師のもとへ向かう。
詳しく彼に説明を聞いていなかったのだが、今日は彫師の都合がうまく付けば施術、
忙しい場合は、彫りの調子を見て後日に施術という診断のような日で
あったとのこと。その日は生憎、数分の診断で終わった。
TATTOOスタジオを出て、すぐ近くの細い小道へ入り、白い壁のある建物を背に
フィルム2本分の撮影を終え、急いで午後から本来予定を入れていた上野で開講
の授業へと向かう。40分だけその授業を聞くことが出来き、また取手へと戻った。
撮影機材一式を持って大雨の中、往復6時間をかけて横浜まで行く。機材の重さで左肩は
毛細血管が切れ帰宅する頃には所々が内出血で薄く紫色に変化していた。
その「魁」撮影の前には、ライティングをメインとして撮影について考察。論理として数冊
の本をあたり、家にてライトを配置し実際に考察をする。人の高さに対し、どの高さで
ライトを設定するのか?ライトとライトの距離は?、人とライトの距離は?
入学前に藝大の上野校地でガチャガチャしてゲットしたマルスを三脚の上に乗せて
色々とライティングを考えていたりする。
ギリギリまで理論的、技術的に自己が成熟(比較してだけど、未だに未熟)
するのを待ってからでないと今回の撮影には挑めなかった。これが期限というもの
を前にしての自分の中での駆け引きだった・・。
6月30日を迎える。この日は母の誕生日だけれど、そんな大切なことも忘れていた。
この日、文身「笑」の彼女は最撮影に応じてくれ、取手にまで来てくれた。26日のように取手駅
まで迎えに行く。この日の14時から17時までシ-トフィルム(4×5サイズのフィルム)で30枚ほど撮影した。
そこから再び取手駅へ。学校から学バスに一緒に乗って駅まで彼女を見送りに行く。迎えに行った際に
乗ったバイクがあるので、そのバイクに乗りすぐさま大学にまで引き返した。
そこからスタジオの撮影機材を急いで片付け、直ぐに撮影したフィルムをもって写真演習室に行く。
JOBO(ヨーボ)という全自動の現像機を用いて30枚のフィルムをその日の内に
現像しおえることが出来た。
その日の撮影で疲労困憊、さらに制限時間のある中で現像まで終えるのは
至難だった。写真の制作に携わった事のある人ならわかると思う。
翌、7月1日にフィルム乾燥機からフィルムを取り出し、スキャニング、画像の調整
を行う。その日の内にメディアデザインスタジオにて出力をする。この日は
メディアデザインスタジオで授業があり夕方からしか使えず、急いで何とか文身「笑」・「愛」 ・「魁」の
3枚をその日のうちに仕上げる。
7月2日朝から東京の業者へパネル装に行く、この日に出すと4日搬入最終日になんとか
パネルを受け取れる。2日に出して4日の午前中に仕上がるように一週間ほど前から事前に
電話で頼んでおいた。
2日に電車に乗って東京の業者へと移動中、電車の社中で問題があってプリントした3枚全てが
パネル装しても消えないくらいの損傷を受ける。・・・・些細なミスなんだけど、それを誘発するような
過労と精神がその時には用意されていた。少し絶望的に感じた。ここでまた選択肢が生じる。
今から直ぐに取手に戻り、再びプリントして業者に届けるか。この傷ついたプリントでパネル装し
事前審査ということで乗り越えるか・・・。
直ぐに東京の池袋から茨城の取手校へ引き返し、再びプリントにかかる。翌朝3日の朝一番に
業者の方へ出したら、今回は温情により、その日に何とか仕上げてくれるということになった。
3日、早朝5時に起きて電車に乗り業者へと行く。その業者の人が出勤してくるのを待ち、
新たにプリントしたものを 手渡す。・・・その日はもう疲れてしまって近くの公園のベンチに身を横たえる。
梅雨の時期で天気は悪く、空に太陽は出てこない。時折ポツポツと雨が落ちてくる。風もきつい、 少し寒かった。
そこは、浮浪者が過ごすような場所になっていたけれど、僕も同じようにその場へ 寝転んだ。
もう、体を維持できなかった・・・。
なんとか4日に搬入を終え、事前審査のために予定していた3枚の写真を展示をすることが出来た。
今回の撮影は大変だったけれど、文身「笑」の彼女のアルカイックな雰囲気の良い、
そんな笑が切り取れていた。
昨日、京極夏彦さんの『幽談』が刊行されましたが、
この本の題字を担当させていただきました。
アートディレクターは有山達也さんです。
こういった題字は、京都、大徳寺の芳春院の墓誌銘
や、ほかにも数冊の刊行物などで担当させてもらった経験はあるのですが、ほぼ
実績の無い、そして経験の浅い僕にリスクを負ってこのように仕事を任せて
いただけたのはとてもあり難い経験です。
文身「志」,6月11日に施術しました。
柏にて、21時から施術の準備。
図案を転写できない部位である唇に、原稿からの転写を試みる。
確りとうつることがないのは了解済み。
ただ、ある程度の形が分かる様にということで
転写をするも一回目が失敗し、2回転写の作業を
することになった。唇への施術とそのプロセスは
難しいのだと実感する。
結局帰宅は深夜の2時、終電が無くなったので、
彫師の方が取手駅まで車で送ってくれた。
文身「志」の彼とその後午前五時、空が明るむまで
色々と話す。午前6時就寝。
ここ最近、制作の為に思惟と実践(撮影・プリント)、それらの検討を行っている。
幾つもの自分の至らなさや、反省点が浮かび上がる。
これが表現の領域を越境することの難しさなのか。
いや、やっとこの思考態度に到ってきたのか。
書においての考察、そこでの論理的な批評態度は自分でもいいものを持っていると自負している。
一つの点を打つ時の、その点が現す方向性(点を打つ時の角度、強度等)すら思考し、その点が
文字全体に与える意味、効果を僕は専門家としての視点から考察できるし、またしている。
その積み重ねによって一つの文字が出来上がっている。それを理解している。
僕の表現は幾つもの工程を経ている。
①人との出会い
↓
②そこからなる言葉との出会い
↓
③そこで生み出され形にされる文字造形の作成
↓
④その文字がその人へ肉体化するまでの工程
↓
⑤撮影
↓
⑥プリント
↓
⑦展示の構成
その幾つもの過程で僕は危うい橋を渡らなければならない。どこかで崖から滑り落ちる可能性
をいつも有している。書としてどうしても形にならない文字というのもある。
書家はそれらを避けて作品を作ることが多い。それが書家が自律的(自分をコントロール)に
制作する通常の制作態度だ。「いくら書いても、その言葉、その文字じゃ作品にならないよ」
これが書教育を受けてきた現場での言葉だ。
僕は人との関係から、すなわち他律的(他者から導かれた言葉)に文字を導き出し、
その文字に造形性を付与し、輝きを持たせる事を、新しい書芸術の場所とする。
それは、その人の肉体と、思考の形である抽出された言葉(すなわち文字)を因由として書を表現する行為である。
その人と、その人の言葉、(肉体と思念)の関係に、人間の一つの在り方、小宇宙を見たい。
それが僕の導き出した芸術だ。
ただ悲しいかな。ストイックなまでに切り詰め、省略化を重ね、たった数枚でこれらの出来事を圧縮させて、
「静かな爆発」を、その紙面(写真)に現さなければならない。
「断じて敢行すれば鬼神も之を避く」
(志しを固くして断ぜずに敢行すれば、何者もこれを妨げることはできない。『史記・李斯伝』)
藝大受験の時、書道を専門にする僕が、はたして藝大に受かるのかと感じながら
自室の机の前に、この言葉を書いたものを貼って自分を信じながら励ましていた。
目の前に在るのは壁なのか、未だ開かない扉なのか?
それが「扉」か「壁」なのかを見極める事は難しい。
「志」なんてなければ楽に過ごせる事もあるのにね。
今度6月11日に文身「志」の施術を行う。
今回は色々と話しながら、最終的に古代文字を用いる事になった。
左と真中は古璽、金文を参考に甲骨を意識して仕上げる。右は篆書から。一番左の「志」の字に決定。
「志」とは「之」と「心」の2つのパーツから成り、「心の之く所」=「志」となる。
彼はこの言葉を唇の裏側、口内の粘膜に刻りたいという。
今までのケースと異なり、口内の粘膜には転写が出来ない。
また口内は血液が皮膚に比べ、多く出たり、仕上げるのが
なかなか難しい為、何件かの彫師に断られた。(感染症の問題や、仕上がりの不安定さから嫌がられる)
何ヶ月か彫師が見つからずに過ぎた。実行できるかわからず草稿も中途の状態だった。
彼に彫師のことを告げると、ある程度進んだ話も、中断、取りやめ
の雰囲気となった。今回はもう無理かなと思うも、
数ヵ月後にミクシーで見つけた彫師に交渉すると、唇も刻るという。
彫師確保を彼に告げ、草稿段階の原稿を話を重ね本原稿に
仕上げる。それらに約一ヶ月を要し、いざ施術という段階にまで到った。
そのミクシーで出会った彫師はスタジオを構えている。
ただHPがなかったので、過去作品が確認できなかった。
正式に依頼しようという時に、過去の作品を確認したくなった。
見せてもらうとまだ線も滞り、滲みがある。
この人には任せられないと不安がよぎる。でも口内に刻れる彫師は
もう見つけられないかもしれない。悩むも、この彫師を止める方向で
文身「志」の彼に相談する。またしばらく頓挫するかもしれない。
でも、これを推し進めるのはリスクが伴う。
もしかしたら文身「志」の話はなくなるかもしれない覚悟で
彼に話す。彼も確認し、やはりこの彫師は止めることになった。
数日後、彼から連絡があり、彼の知人が口内へ刻ってくれる彫師を知っている
とわかり、今回施術と到った。彼も必死に探してくれたように思う。
ネグリイベントで書のライブを行ってきました。
「6コの圓」を書いています。圓 はサークル、「完全なるもの」を
示しますが、そのような完成された世界、状態を求めるも、
ままならない 人間(作者自身)を、6コの圓を書くパフォーマンス
で現しています。
写真 具滋龍
youtubeに映像アップしておきました!!
http://jp.youtube.com/watch?v=ZWwpaPY7bWY
ネグリデングリ、桐生も参加します。桐生は今回の響宴に掲げられた
3文字「貧、戦、共」を書きました。
書きましたといっても、単に書きません。
本来、書を行うべきに用いる手を拘束することで
異なる世界を見ようと試みました。
僕は時々思います。
「異なるところに自分を置いてみて、 また置かされて、
初めてそこにある差違(=価値)を意識する。」
ある機能を失う、封じる、抑える、事で、
新たに見えてくる世界、姿、動きが浮かび上がってくる。
ある機能を禁止する事で自分自身でも予測できない
世界が見れるかもしれない。
写真 髄
「貧・戦・共」三文字
http://jp.youtube.com/watch?v=EbknNtbjVqE
先日3月1日から3日まで横浜のBankARTStudioNYKにて展覧会「TERMINAL」を行いました。
この展覧会でギャラリーのディレクターによる講評会を設け、オオタファインアーツの鶴田さん、Take Ninagawaの竹崎さん、
hiromiyoshiiの吉井さん、レントゲンヴェルケの池内さん、ワダファインアーツの和田さんに講評いただきました。
その中で、自分の作品について参考になる意見を随分頂き、前回の展覧会に併せとても勉強になりました。
自分の中ではこれからどのように変化していくべきか頭の中で構想ができていますので、
それを形にできるようにしていきたいと思います。
3月の展覧会告知
昨年の10月に行ったタマムサ芸大の有志展 「21世紀美大院生交流展示・講評会」を受けて
今年の3月に 「TERMINAL」という展覧会を横浜のBankART Studio NYKホールにて行います。
JR京浜線の桜木町駅から歩いて10分ほどです。
期間は3月の1、2日あと3日は16時ごろまでやっています。その後搬出です。
今回は写真を用いず、軸物の書と映像を用いてインスタレーションを行います。
文身が皮膚に刻まれていく間の40分の時間が映像として、そしてその時の音として、
会場に映し出されています。
詳しくは下記のWEBサイトにありますので是非確認してください。
http://21cartmasters.noor.jp/
※このフライヤーには会場がBankART1929とありますが、NYKの方です。
TAPでのM1ユニットを用いた人間の愛を確認する為の装置、
佐藤研アスレティックピラミッド本日12月3日に解体しました。
写真は夜姿のアスレティックピラミッドですが、昼の姿のアスレティック
ピラミッドは、ちょっと違います。
そのモニュメンタルな夜の部分と、昼の流動的かつダイナミック
な機能美で魅せるという、2つの姿を持つアスレティックピラミッド。
という事で、昼の姿の報告ログは
以下のアドレスからチェック!
http://www14.atwiki.jp/tokihirosato/pages/231.html
事後報告ですが、鶯谷の旧坂本小学校にて「伝統と現代 墨 モノクロームの世界」
という展示に出品させていただきました。
日本人作家は
小沢剛、ノーヴァヤ・リューストラ、保科豊巳(油画教授)、三井田盛一郎(油画准
教授)、池田嘉人、杉本博司、遠藤利克、小瀬村真美、高浜利也、元田久治、瀧将仁、
北京電影学院生6名、東京芸大大学院生9名
といった方達の中で作品を展示させていただきました。中国人作家も錚々たる方が
出品されていました。
http://www.geidai.ac.jp/guide/120th_anniv/gendai_01.html
告知 日中韓藝術大学交流事業 藝大アーツ・サミット’07
日中韓学生交流展 「美の環」
出品者及び藝大アーツ・サミット催事内容
http://www.geidai.ac.jp/guide/120th_anniv/pdf/summit2007.pdf (PDF)
http://www.geidai.ac.jp/guide/120th_anniv/summit2007.html
この秋は、タマムサ芸大の院生有志展「21世紀美大院生交流展示・講評会」、藝大120周年記念事業、「日中韓学生交流展、美の環」、藝大先端芸術表現科、院生の一年生が行う展覧会の「アトラス展」といくつかの展示をする機会を与えてもらいました。
タマムサ芸大の有志展
「21世紀美大院生交流展示・講評会」
<出展作家情報> アドレス変更しました。9月21日
http://21cartmasters.noor.jp
会期 10月16(火)-19(金)、22(月)-25(木) 11:00-19:00
会場 スペース アネックス http://www.space-tokyo.co.jp/gallery/
藝祭についての報告
藝祭の神輿見てきました。今年は台風のためパレードが中止になりましたが、音校にて神輿を担ぎました。
サンバのリズムもあいまって結構盛り上がってました。
法被に書かれている文字を私が書きました。下の法被案が原案にリンクしています。
藝祭 法被案
募集
現在、身体に私の書いた文字を文身(イレズミ)として入れる方を募集しています。私自身は文字をデザインする所までです。
デザイン持込の彫師の所へ行かれる方でお願いします。またその後、東京のスタジオもしくはどこかのロケにて撮影が可能な方
でお願いします。撮影した写真は後日、六つ切りサイズ(約20センチ×25センチ)のモノクロ写真で1枚差し上げます。
彫られる際にかかる費用は一切負担できません。
※イレズミを入れてよい年齢制限、18、9才では親の同意、20歳以上の方でお願いします。
(要約)
●デザインの提供のみです。(彫る経費は自己負担でお願いします)
●私の方から東京のtattooスタジオの手配出来ます。
●東京のスタジオ等で写真撮影が可能な方を探しています。
●これらの制作で生じた一切の権利、また展覧会、出版などで使用される際の一切の権利は作家に帰します。
※金銭のやり取りはありません。作品に生じる肖像権と著作権は作家に帰す形となります。すなわち、これらの作品が、
展覧会、出版、ネットなど,公表されうるあらゆる機会が生じた際の、一切の権利が作家に帰する形となります。
以上で賛同して下さる方の募集をお待ちしております。
あと、この募集は、表面は単に漢字の文身を入れるだけのようですが、表現の背景としては、これらの行為を通して、
社会における意識的、無意識的に生じる差別意識への疑問や、その差別に対する認識とは何であるのかを問うことや、
人間が行う社会での行為で「正しい」って何?を問いかける為のものです。
詳しくは、プロジェクトをご覧下さい。
応募する
時間が許せば提言にも目を通してください。
※ なお、これら公表されているものは、すべてご本人の同意を得ています。
ミクシーやっています。よかったら寄ってください。[mixi]
東京藝術大学の研究室WIKI satoLabo' @Wiki - 桐生真輔のページ
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