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ETV『自由民権 東北で始まる』 - 植木枝盛の革命権と地方自治
NHK-ETVが放送しているシリーズ『日本人は何を考えてきたのか』、偶然に見た1/8の第1回が出色の出来で、中江兆民の思想的意義を浮上させた説得に大いに啓発された。その昂奮のまま、先週はルソーの「人民集会」(peuple assemblé)からOWS(general assembly)を考察する記事を書いた。NHKにもまだ人がいる。第2回の予告では、案内役で菅原文太が登場、東北の自由民権の歴史を旅して歩くという触れ込みだったので、さらに期待していたが、実に期待に違わぬ見事な作品に仕上がっていて満足させられた。菅原文太が素晴らしかった。本格的な知識人の姿だ。仙台一高出身。今の日本に最も必要な言葉を菅原文太が発していて、われわれの心情を率直に代弁している。番組の解説には、色川大吉と樋口陽一という碩学の大物二人が登場、色川大吉の監修の下で取材と編集が行われていることを窺わせ、二人の説明も当を得た過不足ないものだったが、番組に命を吹き込み、感動を与えた主役は菅原文太であり、最初から最後まで菅原文太が視聴者を魅了していた。冒頭、「自由民権のどんなところに惹かれたのでしょうか」と問う三宅民夫に対して、菅原文太がこう答える。「さあーって...」。「何度も何度も、人間は平等だ公平だと言われ続けながら、そうなってないじゃないですか、未だに」。


「そのことが、彼らが、自由民権の側で自分の身を犠牲にして死んで行った者たちが、絶えず問いかけてきたことじゃないかと、そう思って旅を続けて参りました」。明らかに、菅原文太の言葉と態度は、三宅民夫の欺瞞を衝く意思が垣間見えた。お前のような反動の権力者に自由民権を語る資格などあるのかと、そう言いたげな微妙な間合いをカメラの前で見せた。早大の後輩だ。番組中、東北に対する差別や仕打ちに菅原文太が何度も憤るところがある。それは、明治政府の方針に対する怒りであると同時に、それを引き継いでいる今の日本政府への告発でもあり、あまりのストレートさに驚かされ、そして共感させられる。まるで、明治の東北の草の根の民権活動家が甦ったかのように、その末裔のように、各地を旅する菅原文太が言葉を発していた。沖縄ほどではないにせよ、東北は近代日本の発展の犠牲にされ、踏みつけにされ、後回しにされてきた事実は歴然だ。東北の官尊民卑は尋常でなく、全てが官直轄で民間資本の育成がなく、明治国家の内地植民地のような性格で近代史を紡いできた。官と東京の直轄支配。東北は国鉄のみで私鉄がない。天明や天保の大飢饉の犠牲の話が出たが、世界恐慌で生糸の値が暴落し、娘を身売りする悲劇に見舞われるのも東北であり、戦後もまた、冬場の出稼ぎ労働力を首都圏へ送り続けたのは東北だった。

今でも差別はある。優先順位の低さがある。あの大津波の被害が東海や関西なら、西日本の沿岸なら、瓦礫の処理ももっと迅速に進み、復興予算も多く早くついたのではないか、政府の遅延や怠慢を批判する情報発信が多く出て、監視の機能が強く、行政へのフィードバックに威力があったのではないかと、そういう感覚を抱かざるを得ない。政府は、東京は、東北を軽んじ侮っていて、その忍耐強い気質と習性を逆手に取っている。番組の前半、福島の自由民権に光が当たり、浪江町の民権運動家の苅宿仲衛が紹介された。知らなかった名前だ。高校の日本史で出るのは河野広中だけ。当時の福島が自由民権の拠点であり、県令の三島通庸によって凄絶な弾圧を受けた件は、教科書でも触れられていたが、いわゆる喜多方事件における県令側の謀略の事実とか、検挙された者の中で拷問で殺害された者がいたという生々しい歴史には、今回初めて接することができた。小林多喜二の虐殺事件とか、大杉栄が殺された甘粕事件とか、その前の幸徳秋水の大逆事件とか、それらに連なる暗黒の歴史が、明治15年の時点ですでに始まっている。三島通庸は福島の自由党を壊滅させた論功で内務省土木局長(現在の国交大臣)に出世、最後は警視総監になった。SPEEDIの情報隠蔽を指示した枝野幸男は、経産相となり、将来の首相候補として朝日に推されている。

今回の番組の日本政治思想史としてのハイライトは、やはり植木枝盛の憲法草案(『東洋大日本国国憲案』)の紹介だっただろう。特に2点、抵抗権・革命権の規定と、連邦制による地方自治の思想である。第70条「政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得」。第71条「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得」「政府威力ヲ以テ擅恣暴逆ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得」。第72条「政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得」。高知市の自由民権記念館を訪れた菅原文太が、植木枝盛の憲法草案の展示コーナーの前に立ち、その「特色」と題されたパネルの第4番目の項目を読み上げる。「抵抗権・革命権の規定がある」。これについて、高知近代史研究会の公文豪が、当時の世界の人権思想の到達点を憲法草案に採り入れたのだと解説する。実際に1776年のアメリカ独立宣言にはこの規定がある。もう一つの地方自治については、第7条で、日本を70の州に分け、第9条に「日本聯邦ハ日本各州ニ対シ其州ノ自由独立ヲ保護スルヲ主トスヘシ」、また第13条に「日本聯邦ハ日本各州ニ対シテ其一州内各自ノ事件ニ干渉スルヲ得ス、其州内郡邑等ノ定制ニ干渉スルヲ得ス」とあり、完全な連邦国家が構想されている。

国家の基本原理で中央集権を廃し、ここまでラディカルな地方自治を採用したのは、植木枝盛が、政治の単位は小さければ小さいほど民主主義が徹底できると考えたからだった。まさに、ルソーのコミューン思想が生きている。代議制と政党政治が行き詰まり、地方分権が言われ、そしてOWSの挑戦と模索が新しい可能性を示唆していると思わせる今日、植木枝盛の憲法草案は説得的で、その意義の大きさにあらためて気づかされる。自由民権は地方自治の理想を求め、自治政府の連合体としての日本国家を構想していた。9条を別にして、植木枝盛の憲法草案と比較したとき、日本国憲法は妥協的であり、民主主義の憲法として中途半端であると言わざるを得ない。冨が全て東京に集中し、資本の生産と流通が東京で一元化されている現代、地方自治と民主主義の理想を具体化するにはどうすればよいのか。一つヒントになるのは、マコーマックが元日の夜に沖縄について論じた言葉だろう。「日本で最も民主主義が発達した地域が沖縄である」という指摘。意思と理想を持って戦うということ、中央の暴政に抵抗するということ、そこに未来があり、可能性がある。常に自分たちの生き方と暮らし方の理想を持ち、理想を共有する単位で結合するということだ。その土地には、50年、100年の長い共同体の夢がある。歴史と反省と悲願がある。広島と長崎にもある。福島と三陸もそうなる。

これまで、政治学者も政治評論家も、政策と政局ばかりにフォーカスし、政治運動という問題に関心を払わず、研究を向けることがなかった。民主主義は制度ではなくて運動だと丸山真男は言ったが、その言葉は廃れてしまっている。自由民権は運動である。自由民権によって何か理想が形として歴史に残ったということはない。だが、その運動は後世の日本人に大いなる政治の財産を残している。われわれがするべきは、後世の日本人に政治の財産を残すことだ。OWSのように民主主義の運動を作ることである。この30年ほど、自由民権は積極的に顧みられることはなかった。むしろ、否定的に扱われ、忘却されるままになっていた。NHKがこれほど大きく前向きに取り上げるのを見て、正直なところ驚く気分を隠せない。自由民権への視線が30年間も冷淡だったのは、戦後にそれに注目した勢力の衰えによる。例えば、家永三郎が植木枝盛を担ぎ、丸山真男は福沢諭吉を担いでいる。丸山真男は自由民権にネガティブで、明らかに諭吉のエリート主義に傾いている。それには理由があり、河野広中の晩年を見ても分かるとおり、日比谷焼打事件を起こしたり、玄洋社の頭山満と亜細亜義会を設立したりと、日本の大陸侵略と右翼ショービニズムを鼓吹する役割へと転轍して行ったからである。自由民権の闘士論客たちは、日清日露戦争を経て、『三粋人経綸問答』の中の「豪傑君」の類型に収斂して行くのだ。それがあり、福沢諭吉と自由民権という構図では、常に福沢諭吉が花形だった。

そして、自由民権を担いだ革新勢力が政治的に退潮し、ますます自由民権は歴史の彼方に姿を消す一方だった。今回のNHKのシリーズで、第3回が「田中正造と南方熊楠」だが、この30年間、脱構築主義の蔓延の中でひたすら脚光を浴び続けたのが南方熊楠である。今回のシリーズでは、第4回に「幸徳秋水と堺利彦」が特集されている。これなど、今日のNHKの反動を思うと信じられない企画であり、世の右翼は顔面蒼白の事態だろう。さらに、第7回には「河上肇」が登場する。講座派と労農派の日本資本主義論争が紹介されるだろうし、『蟹工船』の世界が取り上げられるに違いない。この30年間、明治の実像はすっかり視界から消え、日本の近現代史は暗黒に塗り潰されていた。脱構築主義の南方熊楠で語られるか、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の一面性か、あるいは東大法の官僚たちが、やたら後藤新平を担ぎ、戦前の二大政党制の政権交代は素晴らしかっただのを言い、右翼の歴史認識をサポートする時代が長く続いた。石川啄木の『時代閉塞の状況』が映す明治末の世界が消えていた。鍵は幸徳秋水だろう。最後に、番組の中で菅原文太が、25歳の植木枝盛があのような画期的な憲法草案を書いたエネルギーはどこから来たのかと色川大吉に質問した場面があった。きっと、菅原文太の中には同意して欲しい解答があったのだ。色川大吉は話題を逸らしたが、答えは龍馬である。先輩の半平太と龍馬と慎太郎だ。兆民も枝盛も辰猪も、龍馬が生きていたらこうしたと思う行動をしたのである。

枝盛の「憲法草案」は龍馬の「船中八策」だ。連続しているのであり、二人とも革命家なのだ。


by thessalonike5 | 2012-01-16 23:30 | Trackback(1) | Comments(1)
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Tracked from NY金魚 at 2012-01-17 06:02
タイトル : モモのいた場所 モモのいる時間(1)
もう30年もまえになるけど 僕がこのへんな国アメリカに来たのは 実は いつのまにかぼくのこころの中からいなくなった、モモを捜しにきたんだ かの女が地球星のどこにいるかなんて まったくわかんなかったけど サンタフェ近くのタオスの山々から、だだっぴろいメサを見渡してると もうモモはゼッタイこの平らな大陸のどこかにいるって カクシンしたわけさ まぁそのプエブロ族のむかしの聖地では 生きものという生きものが種族を超えて夜ごと話しあってる感じがしたね それどころか 自然と呼ばれる......more
Commented by カプリコン at 2012-01-16 23:20 x
 自由民権運動というと、板垣退助とか大隈重信の名前くらいしか浮かばないので興味深く番組を見ました。明治の福島でそんな大きな潮流があったとは驚きです。高知とのつながりもあったのですね。植木枝盛の憲法草案もすごい迫力ですね。抵抗権や革命権。それにしても幕末の志士もですが、25歳という若さで、本当にものすごいエネルギーです。

「今でも差別はある。優先順位の低さがある。あの大津波の被害が東海や関西なら、西日本の沿岸なら、瓦礫の処理ももっと迅速に進み、復興予算も多く早くついたのではないか」これは、きっと多くの東北の人たちがもっている気持ちです。だからこそ、菅原文太の憤りに共感しました。いつになっても国は、被災地の人々の悲しみや不安や願いに寄り添った政治を行いませんよね。

『日本人は何を考えてきたのか』この次も必ず見たいと思います。




 
 
 
 
 
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