きょうの社説 2012年1月17日

◎高峰の桜里帰り事業 地域で紡ぐ日米友好物語
 世界的な化学者、高峰譲吉博士が米国の首都ワシントンに桜を贈ってから今年で100 周年になるのを記念する事業として、米政府は米国人が愛する花木ハナミズキの苗木3千本を日本に贈る計画を進めている。「高峰桜」を博士ゆかりの石川、富山に移植する「ワシントンの桜・里帰り事業」が新たな広がりをみせた形であり、政治面では何かとすきま風が絶えない日米間に、国民の心をほぐす春風が吹くような思いを抱かせる計画である。

 米政府は、ハナミズキの植樹候補地として、東京のほかに、東日本大震災からの復興支 援メッセージとして東北の被災地をまず考えているというが、この北陸もぜひ対象に含めてほしい。

 今回の記念事業は、桜の里帰り事業がそうであるように、日米の親善友好事業の主舞台 が地方であり、地域が主役を担っていることに大きな意義がある。

 政府間の外交では同盟の深化ということが決まり文句になっている。東日本大震災では 在日米軍の救援活動が友邦の証しと称賛されたが、政府同士だけでなく、地域主体の交流があってこそ安定した友好の土壌がつくられる。里帰りの桜と新たに届けられるハナミズキを地域に根づかせ、それをめでる心を育んでいくことは、その象徴的な取り組みとなろう。

 桜とハナミズキは日米親善のシンボルとして、まことにふさわしい。高峰桜は、ハドソ ン川での蒸気船運航を記念するハドソン・フルトン祭を祝してニューヨークにも植樹されたが、その時の式典で米側代表は、欧州各国は祝意を示すのに軍艦や将軍を送り込んできたが、日本は平和を表象する桜をくれたと述べて深く感謝したという。

 ハナミズキは「返礼」の花言葉通り、ワシントンでの桜植樹から3年後に日本に寄贈さ れた歴史を持つが、その原木や子孫樹はあまり残っていないようだ。花樹を通した日米友好物語は1世紀を経て、桜の里帰りとハナミズキの寄贈再現で新たな展開を見せる。背後にある高峰博士の志を含め、その物語をしっかり引き継いでいくことが、この地の責任であることをあらためて銘記したい。

◎2選手の五輪出場 「王国」の土壌の厚み示す
 ロンドン五輪のトランポリン女子個人で、金沢学院大クラブの岸彩乃選手(金沢学院大 )の出場が決まった。同クラブの伊藤正樹選手(金沢学院大大学院)の出場決定に続く快挙は、石川の地で半世紀近くにわたって積み重ねられたトランポリンの普及と競技力向上を目指す活動の成果と言える。

 「トランポリン王国」と呼ばれるほど、石川の選手のレベルが高いのは、情熱を持つ指 導者が地道に種をまき、水をやり続けてきたからである。岸、伊藤両選手のロンドンでの活躍は次の有力選手を生み続ける布石となっていく。ふるさとの地に脈々と築かれた「王国」で、世界に挑戦しようという機運が広がることを期待したい。

 岸選手は5歳の時にトランポリンを始めた。現在は金沢学院大クラブの古章子コーチ( 金沢学院大准教授)のもとで実力を伸ばしている。古コーチは2000年のシドニー五輪で6位に入った。五輪入賞経験者の教えにじかに触れることは、若い岸選手の力強い支えになっていることであろう。

 その古コーチを手塩にかけて育てたのは塩野尚文金沢学院大名誉教授である。塩野氏は 1964年に珠洲市の飯田高でいち早くトランポリンをクラブ活動に採り入れた。以来、県内各地でトランポリンの普及に取り組んだ。トランポリンに親しむ子どもが増えてくると、才能を見いだして一流の選手に育てることに力を注いできた。その恵まれた環境のもとで五輪を目指そうと、東京から金沢学院東高に来たのが伊藤選手である。

 1995年、国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長(当時)が北國新聞 社の招きで石川県を訪れた際、トランポリンが五輪の正式種目に採用される見通しを示した背景にも、こうした石川の取り組みと熱意があった。

 中国が国を挙げてトランポリンに取り組み始めた時に技術指導を求めてきたのも金沢学 院北國クラブ(当時)である。塩野氏や古氏が力を貸した中国は今や世界の強豪に育っている。将来の選手たちのためにも、ロンドン五輪で先進地石川の底力を見せてほしい。