阿佐吉広 | |
54歳(逮捕当時) | |
1997年3月/2000年5月14日 | |
殺人、逮捕監禁、傷害致死、横領 | |
都留市従業員連続殺人事件 | |
山梨県都留市の朝日建設(2003年8月に倒産)社長阿佐吉広被告は全国から労働者を受け入れていたが、都留労働基準監督署などには「給料を払ってもらえない」との苦情が多数寄せられており、同社と労働者の間でトラブルが絶えなかった。同社の従業員は常時50−60人、多いときには100人を上回っていた。会社側は寮に住み込ませ、行動を監視。反発する従業員の頭を、幹部がガラス製の灰皿で何度も殴り続けるなどしていた。 1997年3月、阿佐被告は前夜に人夫寮でナイフを持って暴れるなどの騒ぎを起こした身元不明の男性労働者に対して説教を始めたが、男性が反抗的な態度をとったことから、制裁を加えようと考え、木刀を手にとって男性に暴行を加えた。男性は肺挫滅による気管支肺炎の傷害により死亡した。 2000年5月14日、阿佐被告は元暴力団組長(病死)、元社員ら6人と共謀。当て逃げ交通事故を起こした制裁として労働者3人の手足を縛って社内に監禁した。このうち抵抗したり暴れたりした男性2人(当時50、51)をロープなどで手や足を縛ってワゴン車で運び、阿佐被告と元暴力団組長、元社員の3人は車内で首を絞めて殺害した。遺体はいずれも都留市にある自社経営の朝日川キャンプ場に埋めた。2人を殺害した動機は、解放すれば後日労働争議団に訴えられ会社の経営に支障を来すことや、自分への報復を恐れたためであった。 また阿佐被告は元従業員と共謀し、2002年10月1日に会社の労働者が負った交通事故について、保険金約2412万円を横領した。 2003年10月6日午後4時頃、朝日川キャンプ場の駐車場で土中に男性の遺体が埋められているのを捜索していた県警捜査1課と都留署が見つけた。約40分後には、近くから別の男性の遺体が見つかった。7日朝、残る1名の遺体が発見された。 | |
2006年10月11日 甲府地裁 川島利夫裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2008年4月21日 東京高裁 中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
阿佐被告は1997年に従業員を死なせた傷害致死について、逮捕時は関与を認めたが初公判では無罪を主張。 2000年の事件については、会社事務所に監禁したことは認めたが「キャンプ場でけがの手当をしろと指示しただけで、自分は行っていない」「殺害したのは知人の(死亡した)元暴力団組長」と殺人について無罪を主張した。阿佐被告の長女と長女の友人も法廷で「5月14日には母の日の贈り物を買いに行くために一緒にいた」とアリバイを主張したが、検察側はこの日、「買い物をした際の領収書など、客観的な証拠が残っていない。被告人にも確定的な記憶が残っていない」とアリバイの不成立を主張した。 検察側は「共謀者の供述が重要部分で一致しており、信頼性は極めて高い」とし、公判で十分に裏付けられていると主張した。 検察側は補充論告で「阿佐被告のアリバイは成立せず、共謀者の供述が重要部分で一致している」と主張したのに対し、弁護側は「懲罰的な暴行はしたが、死因とつながらない」「検察側証人の証言は二転三転しており全く信用できない」として傷害か暴行罪が妥当だと主張した。 阿佐被告は最終陳述で、「私はキャンプ場には行っていない。無実で冤罪です」と訴えた。 判決で川島裁判長は「当日午後から夕方は多くの証言により阿佐被告らが被害者らに暴行を加えた時間帯で、時間的な信用性に大きな疑問がある」などと被告のアリバイ主張を退けた。また、阿佐被告による殺害を証言した共犯者の供述について「具体的で不自然な点はなく、一連の経過が大筋で一致している。阿佐被告は責任を免れようと関係者に口裏合わせをしようとした」と認め、主導的な役割を果たしたことを認定した。そして「殺害の実行を最終的に決定し、実行した中心的立場にあった」「意に添わない者には命をも奪う人命軽視の態度が甚だしい」と厳しく糾弾した。 2008年2月18日の控訴審初公判で、弁護側は殺人について、阿佐被告の長女らが「当日は一緒に買い物に行った」と証言しており、アリバイの成立を主張。一審で「殺害直前の時間帯に阿佐被告をキャンプ場で見た」と証言したキャンプ場管理人(当時)による「証言はウソで、検事から言わされた」との書面を新たに提出した。そして「殺人時のアリバイ成立は明らかで、傷害と死亡の因果関係にも合理的疑いが残る。一審判決は事実誤認」として、殺人と傷害致死の罪について否認し、一審判決破棄を主張。 一方、検察側は「アリバイ証言に客観的な証拠はない」と指摘。「一審判決に事実誤認はなかった」などと主張し、控訴棄却を求めた。 3月19日の第2回公判で、弁護側は阿佐被告が当日キャンプ場にいなかったことを証言する証人への尋問などを申請したが、却下された。これを受け、弁護側は「裁判所の対応は特異で不当」として、裁判官3人の忌避を申し立てたが、「裁判の遅延のみが目的なのは明らか」として却下された。 一方、「検察の取り調べに対し、阿佐被告を当日キャンプ場で見たと話したのはうそだった」とするキャンプ場の管理人の話を弁護士が聞き取った書類や、阿佐被告の主張をまとめた書類などは採用された。 4月2日の最終弁論で弁護側は、前回公判で証拠採用されたキャンプ場の管理人の陳述書を挙げ、「検察の取り調べにうそをついていたとする管理人の話は信頼性が高く、管理人の供述に基づいた原判決は破たんしている」などと主張した。検察側は「管理人の供述には具体性がなく、不自然極まりない」と反論。前回公判で弁護側から証拠提出された阿佐被告の陳述書についても「虚偽の弁解を蒸し返しているだけ」とし、「控訴には理由がない」と主張した。 判決で中川裁判長は、2人殺害については共犯者の供述の信用性を認め、阿佐被告側の主張を退けた。傷害致死についても「阿佐被告の暴行が死亡の唯一の原因」と認定した。そして「被告にアリバイがあるとする長女らの証言には裏付けがない。殺人への関与を一切否定しようとする被告の供述は到底、信用できない」と述べた。弁護側は判決前に「元管理人の証人尋問は事実認定に必要不可欠」として弁論の再開を申請したが、退けられた。 阿佐被告は身じろぎせずじっと聞き入っていたが、被告に不利な元社員らの証言を採用した部分に差し掛かると、「うそばっかりじゃないか」と声を荒らげ、退廷を命じられた。 2011年12月20日の最高裁弁論で、弁護側は共犯とされる男性受刑者(懲役9年が確定)が「阿佐被告ではなく、病死した元暴力団組長が犯人だ」と新たに証言したことを明らかにし、殺人について無罪を主張した。受刑者は一審公判では阿佐被告が現場に来て2人を殺害したと証言していた。弁護側は、受刑者にはうそをつくメリットがなく、新証言は信用できると主張。阿佐被告には事件当日のアリバイもあり、無罪は明らかだと訴えた。 検察側は、アリバイには客観的な裏付けがなく、一審公判での受刑者らの証言は信用できるとして上告棄却を求めた。新証言については改めて意見を述べるとした。 | |
2004年9月16日、山梨地裁は従業員2人を殺害した共犯者の元社員に対し懲役9年(殺人、逮捕監禁 求刑懲役15年)、逮捕監禁罪に問われた元従業員に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)、元労働者に懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)、関連会社の元従業員に懲役1年、執行猶予5年(懲役1年)。逮捕監禁と横領罪に問われた元従業員に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。判決理由で川島利夫裁判長は「会社の非人間的な体質から起こるべくして起きた事件」とし、「いずれの被告も阿佐被告の指示の下、従属的立場で犯行に関与した」と指摘した。5人はいずれも犯行を認めたため、犯行を否認している阿佐被告とは分離して公判が進められていた。いずれも一審で確定している。 |
F・T | |
18歳 | |
1999年4月14日 | |
殺人、強姦致死、窃盗 | |
山口県光市母子殺人事件 | |
1999年4月14日午後2時半頃、山口県光市のアパートに住む会社員男性(当時23)方に、当時18歳1ヶ月のF被告が排水管の検査を装って、強姦目的で侵入。男性の妻(当時23)を強姦しようとしたが抵抗されたため、首を両手で絞めて殺害後、姦淫した。さらに、そばで泣いていた長女(当時11ヶ月)を床にたたき付けた後、持ってきたひもで首を絞めて殺害した。その後、事件発覚を恐れ2人の遺体を押し入れに隠し、妻の財布を奪って逃走した。 F被告はその後、友人の家やゲームセンターなどに寄っていたが、4月18日に逮捕された。山口家裁は6月4日、少年審判で検察官送致(逆送)を決定。6月11日、F被告は殺人等で起訴された。 | |
2000年3月22日 山口地裁 渡辺了造裁判長 無期懲役判決 | |
2002年3月14日 広島高裁 重吉孝一郎裁判長 検察側控訴棄却 無期懲役判決支持 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2006年5月20日 最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長(退官のため上田豊三裁判官が代読) 二審判決破棄 高裁差し戻し 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2008年4月22日 広島高裁 楢崎康英裁判長 一審判決破棄 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
1999年8月11日の山口地裁初公判で、被告側は起訴事実を認めた。 12月22日の論告求刑で、検察側は乱暴目的の計画的な犯行だったと主張。生い立ちなどについても「母親の自殺と犯行は関係なく、殺人が許されないのは小学生でも分かる。自己の欲望と感情のおもむくまま、幸福な家庭を築いていた主婦と乳児を殺害した冷酷かつ残虐極まりない非人間的犯行。真摯な反省の態度もうかがえない。遺族は極刑を望んでおり、少年犯罪の凶悪化を考慮して刑罰で知らせる必要がある。事件の重大性を考えると極刑をもって臨むほかはない」と述べ、少年に死刑を求刑した。 最終弁論で弁護側は、主婦宅に入れたために乱暴の意思が芽生え、計画性はなかったとし、「母親の自殺と父親の再婚で心の支えを失った。少年の内面の未熟は顕著で、18歳未満を死刑にしないという少年法の精神が適用されるべきだ」と主張した。 判決で渡辺裁判長は「犯行は身勝手、自己中心的で酌量の余地はないが、犯行当時18歳になったばかりの少年であり、矯正教育により更生の可能性がないとはいいがたい。被告はそれなりに反省の情を芽生えさせている」と理由を述べた。 検察側は量刑不当を理由に控訴した。 2000年9月7日の控訴審初公判で、検察側は一審判決について(1)死刑適用の判断で重視すべきでない被告の更生可能性を強調して死刑選択を回避(2)遺族の被害感情を考慮していない(3)少年であればいかなる犯罪を犯しても極刑にはならないとの誤った風潮を助長しかねない――と批判し、死刑を求めた。一方、弁護側は死刑違憲論を今後展開する考えを示すとともに「更生の可能性がある」とした一審判決を妥当として控訴棄却を求めた。 10月5日の第2回公判で、被害者の夫である男性の証人尋問が行われた。男性は「少年を自分の手で殺しても構わない」と死刑判決を求めた。 2001年4月26日の公判で、事件後に少年が友人に出し、検察側が「不謹慎な内容で反省がみられない」とした計23通の手紙が証拠として採用され、一部が公開された。手紙は、一審の公判中だった1999年11月から、一審判決後の2000年6月にかけ、拘置所内で再会した友人にあてたもので、量刑不当を理由に控訴した検察側が証拠として提出。一部を法廷で読み上げた。 検察側は「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」などの手紙を紹介した上で、文面にわいせつな言葉があふれている点にも触れて「反省がみられない」と指摘。「裁判官、サツ(警察)、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず」「検察のバカ」など、司法手続きをちゃかす内容が多いことも強調した。さらに事件後、被害者の権利擁護や少年法改正に取り組んでいる被害者の夫の男性を「調子づいている」とからかうなど、遺族を中傷する内容も多いと述べた。少年は「不謹慎なところもあると思うが、手紙をやり取りするうちに相手を笑わそうとしたもので、公開されるとは思わないで書いた」と釈明。弁護側は「本人の同意なしに証拠とするのは憲法が保障した信書の秘密を侵害する」と主張したが、退けられた。 2001年12月26日には、被害者の夫である男性が初めて意見陳述。改めて、改めて死刑判決を求めた。 2002年1月15日の最終弁論で、検察側は「被告からは反省の情が全くうかがえず、遺族が今なお厳しい感情を抱いており、極刑以外に選択の余地はない」として死刑を主張。弁護側は「少年の更生可能性を認めた一審の無期懲役判決は妥当」と述べ、死刑回避を求めた。 判決で、重吉裁判長は「極刑の当否を慎重に検討すべき事案」と認定。その上で、殺害の計画性を否定し、最大の争点だった更生可能性についても(1)18歳になって間もなく、内面が未熟(2)前科がなく、顕著な犯罪的傾向がない(3)家庭環境が不遇(4)矯正は可能とする鑑別結果―などを考慮した一審判決を「主観的事情を過大に評価したものとはいえない」と支持。「極刑がやむを得ないとまではいえない」との判断を踏襲した。 検察側は控訴審で、元会社員が一審公判中から知人にあてたわいせつな表現や遺族らを中傷する内容の手紙を証拠として提出。重吉裁判長はこの点について「犯行の重大性や遺族らの心情を真に理解しているのか疑問」としながらも、公判での供述などから「不十分だが、悔悟の気持ちを抱いている」と指摘した。 検察側は判決を不服として上告した。同高検の五島幸雄次席検事は「本件は人倫にもとる残忍な犯行であって、2名が殺害されたという結果の重大性などを勘案した」とするコメントを出した。 2005年12月8日、最高裁第三小法廷は、弁論の期日を2006年3月14日に指定。しかし定者吉人弁護士ら2人が3月6日付で辞任し、3月6日付で新たに弁護人に就任した安田好弘弁護士と足立修一弁護士は、「準備期間が必要な上、14日は日弁連で研修用模擬裁判のリハーサルがあり出頭できない」と延期を申し立てたが、最高裁が却下した。以降連絡が取れない状態が続き、13日午後になって、出頭できないとのファクスが提出された。 3月14日の法廷では、裁判長以下4人の裁判官、検察官、遺族を含む傍聴人が出廷したが、弁護人だけが姿を見せなかった。異例のドタキャンに検察側は「7人の遺族の方々が傍聴している。裁判を遅らせる目的なのは明らか」と主張。検察側だけの弁論で結審するよう求めたが、最高裁は認めなかった。浜田邦夫裁判長は「何ら正当な理由がない不出頭は極めて遺憾」と異例の見解を表明。4月18日にあらためて弁論期日を指定した。刑事訴訟法は、3年を超える懲役、禁固刑にあたる事件の公判を弁護人なしで開くことができない、と規定されている。 最高裁第三小法廷は、意図的な審理遅延行為を防ぐために改正刑事訴訟法に新設された「出頭在廷命令」を、15日付で2人に出した。出頭在廷命令は、裁判員制度での審理遅延を防ぐ目的から、2005年11月施行の改正刑事訴訟法で新設された規定で、適用されたのは全裁判所で初めて。弁護人が命令に従わない場合、裁判所は、10万円以下の過料と開廷費用の賠償を命じることができ、その場合、弁護士会に懲戒などの処分も請求しなければならない。 2006年4月18日の口頭弁論で、検察側は、「犯行は冷酷残虐。反省も全くうかがえず、被告の年齢などを考慮しても死刑の適用を回避すべき事情はない」と述べた。弁護側は弁論で、「被告の行為は傷害致死罪および死体損壊罪にとどまるもので殺意はなく、検察官の上告は前提事実に誤りがある」などと主張。その上で、(1)検察側の上告棄却(2)事実誤認がある二審判決の破棄、差し戻し(3)弁論の続行−の三点を求めたが、浜田裁判長はこれを認めず、結審した。しかし、1ヶ月以内に書面を提出すれば内容を検討するとした。5月18日、弁護側は上野正彦・元東京都監察医務院長による鑑定書や、被告が遺族にあてた謝罪の手紙を添えた弁論要旨補充書を最高裁第三小法廷に提出した。 5月20日、最高裁第三小法廷は死刑を求めた検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。判決は、「計画性のなさや少年だったことを理由に死刑を回避した二審判決の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」と述べた。 浜田裁判長は、「何ら落ち度のない2人の命を踏みにじった犯行は冷酷、残虐で、発覚を遅らせようとするなど犯行後の情状も良くない。罪責は誠に重大で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と指摘。その上で、死刑回避のために考慮すべき事情があるかどうかを検討した。 判決は、犯行の計画性について「事前に殺害までは予定していなかった」と認めたが、「主婦に乱暴する手段として殺害を決意したもので、殺害は偶発的とはいえず、計画性がないことを特に有利な事情と評価できない」と述べた。 また、二審判決が犯行時に18歳1ヶ月の少年で更生の可能性があることを死刑回避の理由とした点について、「被告の言動、態度を見る限り、罪の深刻さと向き合っているとは認められず、犯罪的傾向も軽視できない」と指摘。「少年だったことは死刑選択の判断に当たり相応の考慮を払うべきだが、犯行態様や遺族の被害感情などと対比する上で、考慮すべき一事情にとどまる」とした。 また、遺体の状況から「殺意がなかった」とする弁護側主張についても「一、二審の認定は揺るぎなく認められる」と退けた。 差戻審で、被告側には21人の弁護士が就いた(後に1人解任されている)。 2007年5月24日の差し戻し審初公判で、弁護側は殺意や強姦目的はなく、傷害致死罪に当たると主張した。弁護側は独自に行った法医鑑定から殺意を否定。「女性については、騒がれたため口をふさいだら誤って首を押さえ続け窒息死させた。長女については、泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々結びにしたら、死んでしまった」などと傷害致死罪を主張。強姦目的についても「被害者に中学1年の時に自殺した母親を重ね、甘える思いで抱きついたら、予想外の抵抗を受けパニック状態に陥った」などと新たな主張を展開した。さらに、弁護側は独自実施の精神鑑定と心理鑑定から、犯行時の精神年齢を12歳程度だったとし、当時の心理状況を「幼少期からの父の虐待と中1時に母親を自殺で亡くしたストレスなどで、幼児化した状態」と説明、女性の殺害については「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」と論じた。検察側が「美人の主婦を物色した」と主張する、元少年が会社の作業服を着てアパートを戸別に回った行為を、「会社を欠勤した罪悪感をまぎらわすための仕事のまねごと、つまりママゴト」と弁護側は表現した。 検察側は「社会に及ぼした影響は深甚で、一般予防の見地から格段の厳罰に処する必要がある。被告は現在に至っても真摯な反省もうかがえず、矯正可能性があるとの判断は根拠に欠ける」などと訴えた。 6月26日〜28日の集中審理で弁護側の被告人質問があり、元少年は「赤ちゃんを抱くお母さんに甘えたいという衝動に駆られた。背後から抱きついたが、性的なものは期待していなかった」などと述べ、殺意や強姦目的を否認した。また長女殺害については「事件当初は赤ちゃんの首にひもを巻いたこと、蝶々結びにしたことすら分からない状態だった。取り調べの際、ひもを提示されて、蝶々結びにしたことなどを知らされた」などと述べた。また、「長女を押し入れの天袋に入れた」と話し、理由について「押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットで、ドラえもんが何とかしてくれると思った」と説明。更に、死亡した女性を姦淫したことについて「生き返ってほしいという思いだった。(以前に読んだ本を通じて)精子を女性の中に入れて復活の儀式ができるという考えがあった」と述べた。 弁護側の依頼で元少年の犯罪心理鑑定をした日本福祉大の加藤幸雄教授の証人尋問では、「自我が低下した中で、女性に優しく接してもらい、亡き母のように甘えさせてくれるはずだという強い思いこみが(元少年に)生じた」と分析。一方、動かなくなった女性の体を触ったことについては「母に対する依存感情が性的願望として大きくなっていくことはあり得るので、性的感情が全くなかったという元少年の主張は必ずしも適切ではない」と述べた。この他、一審前の少年鑑別所の記録で「退行した精神状況だった」などと、今回の鑑定と類似した結果が出ていたことも指摘した。 7月24日〜26日の集中審理における弁護側の被告人質問で、元少年は現場のアパートに向かった理由について「多くの人と話をしてぬくもりが欲しかった」などと述べ、改めて強姦目的を否認。「部屋に入るつもりはなかった」とも供述した。排水検査を装ってアパートを戸別訪問した理由について、元少年は「直前の昼休みの時間に(自宅で)父と再婚した義母に抱きついて甘えていたが、『仕事に遅れる』と言われて寂しかった。人と会話して寂しさを紛らわしたかった」と供述。作業服を着て排水検査員になりすました点については「作業服を身にまとうことで、会話ができやすくなるかもしれないという期待があった。ロールプレーイングゲームのように会話を交わし、次のステージに行くという感覚」と話した。その後、女性に「作業をやって下さい」とトイレに案内されたが、室内に入ったことについても「実際の作業はできないので、想定外の出来事」と説明。強姦目的ではなかったかと聞かれ、「違います」と答えた。 弁護側が請求した日本医科大大学院の大野曜吉教授が証人尋問で、女性の殺害方法について「(検察側が主張するような)首の損傷は見られない」と証言し、絞殺を否定した。長女を床にたたきつけたとする検察側の主張について、鑑定人は、遺体の損傷から否定。ひもで首を絞めたとされる点も「痕跡がない」と指摘した。また同じく弁護側が請求した上野正彦・元東京都監察医務院長は証人尋問で「口をふさごうと右手で押さえていたら、ずれて首を押さえたと考えられる」と弁護側の主張を肯定。検察側が主張する「両手の親指で圧迫した」痕跡はないと説明した。 弁護側の依頼で元少年の精神鑑定をした野田正彰・関西学院大教授の証人尋問では、「人格発達は極めて遅れており、他の18歳と同様の責任を問うのは難しい」と述べた。野田教授は、元少年の父親が妻と元少年に繰り返し暴力を振るっていたことが、元少年の内面に大きな影響を与えたと指摘。その上で「事件当時までの人格発達は極めて遅れており、更に母親の自殺で停滞した」と述べた。 9月18日〜20日の集中審理で、元少年は、一、二審で認めた起訴事実を差し戻し審で否認した理由について、「当初否認していたが、検察官に『否認していると死刑の公算が高まる』と言われ、調書に署名した」と供述した。被告人質問で、元少年は強姦の意図を「逮捕当初から否認していたが、検察官から『否認していると死刑の公算が高まる。生きて償いなさい』と言われ、涙を流して調書に署名した。なのに一審で死刑を求刑され裏切られたと思った」と話した。当初担当した弁護士に、全調書に署名したと伝えると「検察側の主張をのんで無期懲役を維持した方がよい」と助言を受けたとも述べた。 差し戻し前の控訴審で取り上げられた友人への手紙で、「7年でひょっこり芽を出す」と書いたことに関しては「差し入れの本に、無期懲役の場合は少年なら7年で仮釈放されると書かれてあった」と説明。犯行を犬の交尾に例えたとされる内容についても「当時、自分が鬼畜のように言われていたから、自分を犬に例えた」とした。 検察側の依頼で遺体の法医鑑定をした川崎医療福祉大学の石津日出雄教授の証人尋問で、石津教授は、元少年が右手の逆手で首を絞めたとする弁護側主張について、「逆手だと力が入らず、簡単に払いのけられ、現実的にはあり得ない」と否定した。石津教授は、長女については、弁護側が頭にあった皮下出血は打撲程度で、たたきつけるなどはしていないと主張している点について、「乳児の頭の骨は、衝撃を吸収して骨折は起こりにくい」と話した。 意見陳述で、初めて法廷に立った女性の母は「娘はやっと自分の幸せを見つけることができた。孫を抱く笑顔が忘れられない。それを一瞬で壊された」と声を詰まらせ、死刑を求めた。続いて遺族の夫である男性は「心の底から真実を話していると思えない。君の犯した罪は万死に値する。自らの命をもって罪を償わなければならない」と改めて死刑判決を求めた。男性は「(一、二審で)起訴事実を認め、反省していると情状酌量を求めていたが、すべてうそだと思っていいのか。ここでの発言が真実だとすれば君に絶望する。この罪に対し、生涯反省できないと思うからだ」と述べた。 意見陳述を受けての被告人質問で、元少年は「事件と向き合うことができず、(真実を)言えなかった。(今法廷で)述べたことは真実です」と述べた。そのうえで、「亡くなった2人のことを考えると、生きたいとは言えません。よければ生かしていただきたい」と述べた。生きて何をしたいのかと問われ、「拘置所で男性に会いたい。謝りたい。会えるような自分を目指したい。法廷では、男性の中に作っているモンスターを見てるから、僕自身を見てほしい」と訴えた。 一方で法廷内の仕草についてまで厳しく問いつめた検察官に「なめないでいただきたい」と言い返し、反感をあらわにした。 10月18日の検察最終弁論で、検察側は「被告の弁解は言い逃れで、死刑を回避する理由はない」などとして改めて死刑を求めた。 検察側は差し戻し審での元少年の新たな供述について、「弁護側の法医・精神鑑定に合わせ、供述を変遷させたのは明らか」などと不合理さを指摘。女性の殺害方法に関し元少年が「抵抗されたので右手の逆手で押さえようとしたら、首を絞めてしまっていた」などと殺意を否定した点については、「5分以上素手で圧迫し続け、殺意は明らか」とした上で、検察側の法医鑑定を基に「右手の逆手では力が入らず、現実的にあり得ない。遺体の所見とも一致しない」と反論した。 強姦の計画性については、「女性に抱きついたのは、実母の姿と重なって見えて甘えたかった。姦淫は生き返らせるため」とする弁護側の主張に対し、「唐突に言い出したもので、明らかに荒唐無稽のこじつけ」と主張。一方、検察側が「床にたたきつけられた」としている長女の脳に障害が残っていなかった点については、「障害が残る前に絞殺された」とした。 12月4日の最終弁論で、弁護側は、殺意や乱暴目的を改めて否定したうえで、「精神的に極めて幼い少年が起こした偶発的な事件。生きる道しるべを指し示す判決を」と訴え、死刑回避を求めた。弁護側は差し戻し審で行った独自の精神、法医鑑定などに基づき、2人への殺害状況などについて、一、二審は事実誤認があったと強調。「少年特有の未成熟さから、捜査官により事実をねじ曲げた調書が作られ、一・二審と最高裁の判決は問題点の検証を怠って正義に反する事実誤認をした」と主張。実母に甘えたいような感情を持ち、女性に抱きつき、反撃されたために無我夢中で押さえつけ、誤って窒息死させてしまったとして殺意を否定。長女についても殺意を否定し、「殺意も乱暴目的もなく、傷害致死罪に過ぎない」と主張した。さらに、元会社員の家庭環境にも触れ、父親の虐待や中学時代の実母の自殺が影響し、元会社員が精神的に未成熟だったために起きた事件で、計画的犯行ではないとし、「犯行当時、18歳1ヶか月で成人同様の責任を負わせることはできない」と述べ、「未熟な少年による事件であることを考慮し量刑を決めるべきだ」と訴えた。元会社員の更生の可能性については、教誨も受けるなど反省は以前より深まっているとした。 判決で楢崎裁判長は主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。まず、新弁護団がついた上告審の途中から、元少年側が殺意や強姦目的の否認を始めた経緯を検討。「弁護人から捜査段階の調書を差し入れられ、『初めて真実と異なることが記載されているのに気づいた』とするが、ありえない」「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」と述べた。 また、元少年側が「被害女性の首を両手で絞めて殺害した」との認定は遺体の鑑定と矛盾し、実際は右手の逆手で押さえつけて過って死亡させたものだとした主張を退け、「そのように首を絞めた場合、窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」と判断した。また、「右手で首を押さえていたことを『(元少年が)感触さえ覚えていない』というのは不自然。到底信用できない」とした。長女殺害についても、首にひもを巻いて窒息死させたとの認定にも誤りはないとし、「(元少年の)供述は信用できない」と否定した。 さらに、被害女性に母を重ねて抱きついたとする元少年側の「母胎回帰ストーリー」を「犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。「性欲を満たすため犯行に及んだと推認するのが合理的だ」と述べた。元少年が強姦行為について「女性を生き返らせるため」としたことについて、「荒唐無稽な発想であり、死体を前にしてこのようなことを思いつくとは疑わしい」と退けた。 事件時、18歳30日だった年齢についても「死刑を回避すべきだという弁護人の主張には賛同し難い」とした。また、元少年の差し戻し審での新供述を「虚偽の弁解をろうしたことは改善更生の可能性を大きく減殺した」と批判。「熱心な弁護をきっかけにせっかく芽生えた反省の気持ちが薄らいだとも考えられる」とした。 そして楢崎裁判長は「犯行は冷酷残虐で非人間的と言わざるを得ない。殺害の計画性や強姦の強固な意思があったとは言えないが、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」「身勝手かつ、自己中心的で、(被害者の)人格を無視した卑劣な犯行」と述べ、一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。 | |
本事件では被害者の夫である会社員は、積極的にマスコミに登場し、事件や裁判について積極的に意見を述べた。また、犯罪被害者遺族が司法から疎外されていると訴え、他の人たちと犯罪被害者の会(現全国犯罪被害者の会)を2000年12月に設立し、各地で講演を行っている。被害者の権利を保障した犯罪被害者基本法が2005年4月に施行される原動力となった。 最高裁から弁護人に就任した安田好弘弁護士と足立修一弁護士の2名は、3月14日の最高裁弁論を欠席したことについて、テレビをはじめとするマスコミからバッシングを受けた。 被害者の夫である男性は、安田弁護士、足立弁護士への懲戒請求を2006年3月15日に提出。2007年1月19日、第2東京弁護士会の綱紀委員会で初めて請求理由の説明を行った。請求から10ヶ月を経て行われた事情聴取で、男性は「弁論欠席で遺族を苦しめただけでなく、国民の司法に対する信頼を失墜させた」などと述べた。 広島弁護士会は3月30日付で、同弁護士会の綱紀委員会が、「弁論欠席は被告のために最善の弁護活動を尽くす目的だったと認められ、不当な裁判遅延行為とは言えない」とした議決を受け、同会が決定した。広島弁護士会の決定は、「公判期日の延期を見込んで、批判覚悟で、あえて弁論に欠席した動機は、死刑か無期懲役かという究極の局面にある被告の弁護活動を尽くすためだったと認められる」と指摘した。 12月20日付で第2東京弁護士会の綱紀委員会は「模擬裁判のリハーサルと重なることを欠席の理由の一つにしたのは妥当ではなかった」としながらも、「被告の権利を守るため、やむを得ず欠席したもので、引き延ばしなどの不当な目的はなかった」と議決。これを受け、同弁護士会は懲戒せずの決定を下した。遺族側は日弁連に異議申し立てしたが、2008年3月24日付で棄却された。 2007年5月、橋下徹弁護士(その後大阪府知事)がテレビの番組で、「(弁護団を)許せないと思うのなら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」と視聴者に呼びかけたことから、差し戻し審の弁護団に対する懲戒請求が急増し、約8000件に達した(橋下氏は提出していない)。東京、仙台、大阪、広島の各弁護士会はいずれも請求を却下した。 この件に関し、弁護士業務を妨害したとして、今枝仁弁護士ら弁護団のメンバー4人が橋下徹弁護士に1人当たり300万円の損害賠償を求めて提訴した。 2008年4月、放送倫理・番組向上機構(BPO)が、弁護団に批判的なテレビ番組を「一方的、感情的な放送」と指摘し、疑問を投げ掛けた。 |
謝依俤 | |
25歳(逮捕時 2002年9月19日) | |
2002年8月31日 | |
強盗殺人、出入国管理及び難民認定法違反他 | |
品川製麺所夫婦強殺事件 | |
中国福建省出身、元解体工の謝依俤(シェ・イーディ)被告は2002年8月31日、住んでいたアパートの大家だった夫婦の製麺所兼自宅に侵入。持っていたナイフで男性(当時64)と妻(当時57)を刺殺し、現金約47000円、指輪やネックレスなど52点(約7万円相当)を奪うなどした。 謝被告は2002年春ごろから、殺害された夫婦が所有する製麺所裏のアパートに住んでいたが、家賃月18000円は滞納しがちで、先月分の家賃を支払っていなかった。8月上旬に解体工を辞めた後は職に就いていなかった。 謝被告は1999年2月ごろ、船で名古屋港に密入国。入国時に背負った借金もまだ残っていた。解体工のほか、飲食店の皿洗いなどをしていたが、長続きせず職を転々としていた。 | |
2006年10月2日 東京地裁 成川洋司裁判長 死刑判決 | |
2008年9月26日 東京高裁 須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
謝被告は「盗みをするつもりだった。誤って刺したが、殺すつもりはなかった」と強盗目的や殺意を否認している。 論告で検察側は「金銭目的で何の落ち度もない2人の命を奪った身勝手で冷酷な犯行。反省も見られず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。 成川裁判長は「被害者と会った際、いつでも鋭利なナイフを使用できる状態で所持しており、むしろ計画的な犯行」と指摘。その上で「ナイフで息の根を止めるまで執拗に突き刺し、強固な殺意に基づく犯行だ。その凶悪さには目を覆わしめるものがある。金銭的欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の命を奪った。遺族が極刑を望むのも当然。前途がある年齢で反省も示しているが死刑を回避する事情とまでは認められない」「自らの金銭的な欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の尊い生命をちゅうちょなく奪い、身勝手極まりない動機は酌量の余地が皆無。死刑をもって臨むことはやむを得ない」と述べた。 控訴審で謝被告は、殺意はなかった、一審が重すぎると主張。 判決で須田裁判長は、謝被告が犯行後もディスコで頻繁に遊ぶなどしていた点を指摘。また「ストッキングをかぶって侵入し、直後にナイフを抜き身にした」ことから、「(2人殺害は)強固な殺意のもとに行われた。落ち度のない被害者の生命を相次いで踏みにじった冷酷で残虐な犯行。非人間的で、極刑をもって臨むほかない」と述べ、謝被告側の主張を退けた。 | |
高見沢勤 | |
50歳(2005年11月17日逮捕当時) | |
2001年11月〜2005年9月 | |
殺人、死体遺棄、窃盗、銃砲刀剣類所持等取締法違反違反(加重所持)、火薬取締法違反 | |
暴力団組長による3人殺害指揮事件 | |
指定暴力団山口組系組長高見沢勤被告は以下の3事件を起こした。
2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は死体遺棄容疑を認めた。同日、同事件で使用されたとみられる拳銃を所持した銃刀法違反容疑(加重所持)で再逮捕された。 2月14日、2005年9月の事件の殺人、銃刀法違反(発射)容疑で再逮捕された。 3月7日、2005年4月の事件の死体遺棄容疑で再逮捕された。 4月11日、2005年4月の事件の強盗殺人容疑で再逮捕された。(起訴は殺人容疑)。 6月6日、2005年4月の事件に絡み、高崎市内に住んでいた殺害男性方で拳銃1丁と密造散弾銃1丁、散弾銃用の実弾百数十発を所持するなど、県内4カ所に拳銃7丁、密造散弾銃1丁、日本刀1本と実弾三百数十発を隠し持っていた疑で再逮捕された。 11月20日、2001年11月の事件の殺人容疑で再逮捕された。死体遺棄容疑は時効が成立した。 | |
2008年2月4日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2008年12月12日 東京高裁 安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は2005年9月の事件についての死体遺棄容疑を認めた(他容疑では逮捕、起訴されていない)。 2006年5月22日の公判で、高見沢被告は2005年9月の殺人罪について認否を保留。7月3日の公判でも、2005年4月の事件の殺人罪について認否を保留。このため、争点を整理する公判前整理手続きが2007年5月まで続いた。 手続き終了後の初の公判となった2007年6月11日、高見沢被告は2001年11月の事件について全面的に否認。2005年4月の事件について「他の組員ともめたため殺した。正当防衛だった」と主張。2005年9月の事件については配下幹部の単独犯行として関与を否定、死体遺棄だけを認めた。 T受刑者は自身の公判で、高見沢被告の指示を認めている。 YO受刑者、O被告は高見沢被告の公判で、高見沢被告の指示を否定している。 11月26日の論告求刑で、検察側は「犯行は冷酷かつ凶悪」「規範意識の欠如は極みに達しており、改善更生の可能性は絶無」と死刑を求刑した。 12月10日の最終弁論で弁護側は「共犯者の供述は信用性に欠く」と訴え、死体遺棄事件はいずれも偶発的で、計画的なものではないと主張。殺人行為についても正当防衛が成立するとして無罪を求めた。高見沢被告は「遺族には心から申し訳なく思う」と述べた。 2月4日の判決で、久我裁判長は「組長の立場から組員に殺害を指示したり、自ら拳銃発射行為に及んだ。いずれも組織力を活用しており、被告が責任を最も問われる立場にある」と指弾、高見沢被告の刑事責任を明確に認定した。 また被告側の無罪主張について、「共犯者の供述は信用性が高く、被告の共謀が認められる」、「積極的な加害行為の意思が認められ、正当防衛は成立しない」とそれぞれ退けた。特に、高見沢被告らが関与した保険金詐欺事件に絡み、口封じのため男性を殺害した動機について「極端に人命を軽視した身勝手な犯行」と厳しく非難した。 そして「組織力を活用しており、被告が最も責任を問われる立場にある」と指摘。「社会に与えた不安も計り知れない」「被告なくしては実行され得なかった事件で、極刑はやむ得ない」と述べた。 さらに判決言い渡し後、「これだけ証言や証拠がそろっていると有罪は免れず、死刑以外ありえない」と言及。「死にたくないと思って(関与を)否定していたのでしょうが、被害者の人たちも死にたくなかったと思います」と諭した。 控訴審で被告側は1番目と3番目の事件については組員との共謀の事実がないとして、2番目の事件については正当防衛が成立するとして、殺人については無罪を主張していた。安広文夫裁判長は「正当防衛は成立しない。配下の組員らの供述から関与は明白。死刑判決を是認せざるを得ない」と述べた。 | |
YA受刑者は2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役17年(求刑懲役20年)判決がそのまま確定。 O被告は2007年6月5日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。控訴中。その後確定。 YO受刑者は2006年6月27日、犯人隠匿罪他により前橋地裁で懲役4年6月(求刑懲役6年)判決がそのまま確定。さらに2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決がそのまま確定。 O容疑者は土木作業員男性への殺人・銃刀法違反容疑で2006年12月に指名手配された。2010年11月30日、山梨県で逮捕されたが、12月24日、証拠不十分で釈放した。 I被告は、2006年10月30日、殺人罪他により前橋地裁で懲役25年(求刑懲役30年)判決。2007年3月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。 S(旧姓Y)被告は2006年11月14日、殺人罪他により前橋地裁で懲役24年+懲役10ヶ月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年3月1日、東京高裁にて検察・被告側控訴棄却。 T受刑者は2006年10月19日、殺人罪他により前橋地裁で懲役27年+懲役8月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年4月19日、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。2007年8月29日、被告側上告棄却、確定。 H被告は2006年3月13日、死体遺棄罪により前橋地裁で懲役1年8ヶ月(求刑懲役3年)判決。 NO被告は2006年8月28日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役7年(求刑懲役10年)判決。 S受刑者は2006年3月27日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役1年6ヶ月(求刑懲役3年)判決がそのまま確定。 NA被告は2006年7月20日、死体遺棄罪、覚せい剤取締法違反他により前橋地裁で懲役3年6月+罰金20万円(求刑懲役5年+罰金20万円)判決。 H被告は2006年7月6日、死体遺棄や覚せい剤取締法違反の罪により前橋地裁で懲役6年+罰金70万円(求刑懲役8年+罰金70万円)判決。 H被告の逃走を助けた露天商T被告は2006年4月28日、犯人陰徳の罪により懲役1年(求刑懲役1年6月)判決。 他にも犯人隠匿などで逮捕者が出ている。 |
若林一行 | |
29歳 | |
2006年7月19日 | |
強盗殺人、住居侵入、強盗強姦未遂、死体遺棄他 | |
岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 | |
青森県八戸市の塗装業若林一行被告は2006年7月19日午後3時ごろ、盗みや乱暴目的で岩手県洋野町の会社員女性(当時52)宅に擂り粉木を持って侵入。午後5時10分ごろ、帰宅してきた女性を玄関で襲い乱暴しようとしたが、女性が激しく抵抗したため覆面が取れ、逆上。頭部を何度も殴り付け、最後には馬乗りになって首を絞めつけて殺害した。そして午後6時ごろに帰ってきた女性の二女(当時24)を和室前の廊下で頭を殴り、両手で首を絞めて殺害した。さらに室内や2人の車の中から現金22000円と、テレビゲーム機や音楽CDなど77点(約45000円相当)を奪った。さらに2人の遺体を南西約5キロの山林の雑草の中に遺棄した。 連絡が取れないのを不審に思った親類の男性が22日午後、県警久慈署署交番に届け出た。近くの住民から20日、女性方の近くで19日に不審な軽トラックを目撃したという情報が寄せられていた。捜査本部はナンバーから若林被告を割り出し24日、八戸市内にいるところを任意同行を求めた。当初は否認していたが、同日夜になって殺害をほのめかす供述を始めた。その後、観光宿泊施設近くの遺棄現場に同行させ、女性の遺体を発見した。 若林被告は殺害前日にも女性の部屋へ侵入していた。物色しながら女性の二人暮らしであることを把握し狙いをつけた。 若林被告は2005年9月に勤めていた塗装会社を辞めて独立。自営で塗装業を始めたが、ほとんど仕事がなく実質的には無職の状態だった。その一方でパチスロや釣りにのめりこみ、400万円の借金を抱え、2006年春ごろから空き巣を繰り返すようになっていた。 女性宅は事件後無人となっていたが、11月5日午前5時半頃出火し、木造2階建て約100平方メートルを全焼した。久慈署は不審火として出火原因を調べている。 | |
2007年4月24日 盛岡地裁 杉山慎治裁判長 死刑判決 | |
2009年2月3日 仙台高裁 志田洋裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
公判前整理手続きが適用され、弁護側は起訴事実を争わず、当時借金で生活に困っていた事情などを訴えた。 2007年3月5日の初公判で、若林被告は起訴事実を全面的に認めた。 3月22日の論告求刑で検察側は「仕事はしたくないが金は欲しいという動機は身勝手極まりない。落ち度のない命を一方的に奪っており、極刑に処するほかない」「自己中心的で卑劣な犯行。遺族の処罰感情も強い」として死刑を求刑した。同日の弁論で弁護側は起訴事実を認めた上で「殺すつもりはなかった」と主張した。また、若林被告が犯行前日に女性方に侵入し、女性の2人暮らしを確認した上で待ち伏せして犯行に及んだとして、計画性を指摘。相次いで帰宅した2人を殺害し、犯行の発覚を逃れようと遺体を遺棄した悪質さを強調した。 同日の弁論で弁護側は強盗の動機となった借金のきっかけに同情の余地があることや、殺害動機は目出し帽の中の顔を見られたためで「強盗の意思はあったが、殺害は計画的でない」「被告は罪を認め、死刑を覚悟するほど反省している」と述べたほか、死刑制度自体に問題があるとして無期懲役を求めた。 判決で杉山裁判長は「女性の2人暮らしであることを犯行前日に知り、金などを奪おうと帰宅を待ち伏せした。犯意は強固で執拗だ」と計画性を指摘。「パチスロなどで借金をつくり、生活費などに窮して犯行に及んだ動機に酌量の余地はない」「被害者の抵抗をまったく意に介さず、棒で強打するなどの行為を重ねており、犯行完遂に向けた意思は異様なほど強固」と述べた。杉山裁判長は「2人の恐怖、無念などは筆舌に尽くしがたく、遺体を遺棄されるなど死後も苦痛を被った。遺族の悲痛や落胆は極めて深い」と被害者感情に言及。「殺害は顔を見られたことによる突発的なものだった」とする弁護側主張を「事前に計画したものではないが、抵抗抑圧や犯行発覚防止のためだった」と退けた。 勤務先の脱税が原因となって独立して塗装業を営むに至った経緯については「若干同情すべき点がなくはない」としたが、現実逃避のためにパチスロや釣りに興じるなどして借金が膨らんでいったことや、発覚防止のために2人を殺害したことは「酌量すべき点は全くない」と断罪した。 そして最後に杉山裁判長は「死刑の適用には慎重を期さなければならないことを考慮しても、極刑をもって臨むほかはない」とし、死刑以外の選択肢はありえないことを強調した。 弁護側は公判で、死刑制度自体の問題性を主張していたが、杉山裁判長は「現行の死刑制度が憲法に違反しないことはすでに確立した判例」との見解を示した。 一審の弁護人が量刑不当と事実誤認を訴え控訴した。 2008年3月17日の控訴審初公判で、弁護側が控訴趣意書を朗読。若林被告は以前から産業廃棄物の不法投棄をしているグループと付き合いがあり、強盗殺人と強盗強姦未遂について「被告は事件発生時、産廃を山中に捨てており殺害現場にいなかった。実行犯はこのグループの可能性がある」と述べた。 一審で犯行を全面的に認めた理由を「グループにだまされたが、話せば妻子(現在は離婚)に危害が及ぶと考えた。家族を守る唯一の方法だった」と説明した。自白については、「自己の体験していないことを想像で組み立てて話した」と主張した。被害者宅への住居侵入は「キヨカワと名乗るメンバーにここはおれの家≠ニ言われて入ったので罪に当たらない」と否定。死体遺棄も「キヨカワが遺棄したとみられる」とした。 さらに、事件から約4ヶ月後に被害者宅で発生した火災も取り上げ、「このグループが証拠隠滅のため放火した可能性がある」と主張した。 検察側は、「弁護人の主張には理由がない」と控訴棄却を求めた。 被告側の照井克洋弁護士(一審弁護士とは別)は閉廷後、一審の態度を翻した理由を「接見の中で被告に事実を話すべきだ≠ニ諭した。ただし、キヨカワらのグループについては特定していない」「被告は前からこれらの事実を話していたが警察に聴いてもらえなかった上、暴行まで受けたようだ」とした。また、被害者方から盗まれた物を被告が持っていたことについては「『キヨカワ』から渡されたらしい」と述べた。 5月13日の第2回公判で若林被告は被告人質問で、事件当時かかわっていた産業廃棄物処理業の組織から、2人を殺害したとされる2006年7月19日、「産廃の仕事がある」と言われて洋野町に行き、ほかに男3人が集まった。同日夜、うち1人の男から「投げたい物がある」と投棄に都合の良い場所を尋ねられ、若林被告は後に2人の遺体が見つかった同町の山林を案内した。組織は青森県の暴力団と関係があり、投棄場所を尋ねた男も組織関係者だという。被害者の血が付いた軍手や目出し帽などが見つかった被告の軽トラックは当日、男に一時預けており、逮捕時に遺留品発見を聞かされ、「はめられたと思った」と述べ、あらためて無罪を主張した。これらの話を一審で明かさなかった理由については「組織が家族に報復するのが怖かった」と説明。さらに捜査段階で「やっていない」と否認した際、岩手県警の取調官から顔を殴られるなどの暴行を受けたと述べた。一審までの取り調べについては「推理小説のストーリーに沿って供述した」とし、凶器や証拠など本と食い違う部分は「遺体の引き当たりの際、負傷の状況をよく覚えておき、世間の情報などを基に話を作った」と説明した。 11月5日の最終弁論で弁護側は起訴事実のうち、強盗殺人などについては「犯行の事実はない」と主張。犯行は、産業廃棄物の不法投棄グループの「清川」という人物らによるものだとし、「事実を話すと関与していた真犯人のいる組織から報復を受け、妻子に危害が及ぶ。葛藤の末、虚偽の自白で罪をかぶった」と一審までの供述の不自然性を訴えた。また、「取り調べで捜査官に受けた暴行など、(二審の)供述は迫真に富み信用できる」とした。さらに、事実誤認が認められない場合でも、「被告に前科や犯行の計画はなく、死刑は重きに失して不当」と死刑回避を求めた。 これに対し検察側は、犯罪組織が母子を殺害し山中に遺棄するというのは、労力やリスク、経済的な面からして何ら合理性がないことと、若林被告が主張する不法投棄グループの活動実態などに具体性がない点を指摘。そして「妻子への報復を危惧したとしても、黙秘や否認をすれば足りる。極刑が見込まれる事件で一審まで虚偽の自白を維持し、罪をかぶる理由はない」と不自然さを主張。「被告の弁解は裏付ける客観的証拠が皆無で真犯人の人物像など具体性を欠く」と二審での供述の信用性の乏しさを指摘した。そして「自白は動機や経緯、犯行状況など犯人でなければ語り得ない内容で信頼できる。荒唐無稽な弁解に終始し、遺族の心情を逆なでするような態度に出ており、死刑を回避する余地は皆無」として控訴棄却を求めた。 判決で志田洋裁判長は被告側の無罪主張を「弁解は極めて不自然で不合理。(一審段階までの)供述は犯人しか知り得ないはずの被害者方の血痕の付着状況や被害者の死体が発見されるという秘密の暴露などを含んでおり、信用性がある」と退けた。その上で「仕事がないのにパチスロにふけって金銭に困り、性的な欲求不満を解消しようとした犯行で、身勝手極まりない動機に酌むべき点はない」と指摘。「被害者宅で待ち伏せし、順次帰宅した二人を殺害しており、遺族らが極刑を求めるのも当然」と述べ「刑事責任は重大極まりなく、一審の死刑が重すぎて不当とはいえない」と結論づけた。 12月8日の最高裁弁論で、弁護側は「被告が加わっていた産業廃棄物の不法投棄グループに犯人に仕立て上げられた」と改めて無罪を主張。検察側は「荒唐無稽な弁解で遺族の被害感情を逆なでしている。死刑の判断は妥当」と上告棄却を求めた。 | |
盛岡地裁での死刑判決は、1965年12月、盛岡市で男が母子3人を殺害した事件以来。求刑では1999年11月に、小2女児をいたずらして殺害した被告に言い渡されている(判決無期懲役)。 |
渡辺純一 | |
28歳(2005年6月23日、逮捕監禁容疑で逮捕時) | |
2004年10月13日〜16日 | |
傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反、傷害 | |
架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 無期懲役判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年3月19日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑判決 | |
公判前整理手続きを採用。 2006年9月4日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。 その後の公判では、清水大志被告とともに審理された。 検察側は清水被告を詐欺グループを取りまとめた「頂点」と位置づけ、渡辺被告を暴力団構成員としての経歴を生かして犯行に加担したなどとした上で、「2人のグループ内での影響力は絶対的だった」と指摘。両被告を、殺害を指示した「主犯格」と位置付けた。 両被告は「暴行は指示したが、殺せとは言っていない」「検察の主張するエピソードは間違えている。やってもいない殺人に対して、反省を求められても困る」と繰り返し、殺人と傷害致死罪に当たるのは実行犯の3被告だと主張。弁護団も「共犯者同士で『殺害を指示された』と口裏を合わせている」との見方を示していた。 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。 4月27日の最終弁論で、渡辺被告、清水被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。 最後に裁判長から「何か言っておくことはないですか」と問われた際、清水被告は「逮捕されてから(仲間が)どんどん敵味方に分かれ、(実行犯の)3人と争う形になってしまった」と言葉少なに、また渡辺被告は「自分はグループのトップではない」と、それぞれ述べた。 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。 清水被告、渡辺被告は事実誤認を理由に即日控訴。検察側は殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認であると、両被告に対して控訴した。また渡辺被告については量刑不当も訴えた。 2008年6月19日の控訴審初公判で、清水大志被告は「共謀の認定について1審判決には事実誤認がある」として死刑回避を求めた。一審で無期懲役とされた渡辺純一被告も減刑を求めた。検察側は、一審判決が被害者のうち1人について殺人罪を適用せず、傷害致死罪としたことについて事実誤認を主張した。 以後は公判が分離された。 判決で長岡裁判長は、2007年8月の一審判決と同様、検察側が殺人罪の適用を求めた被害者のうち1人の死亡について、傷害致死罪に該当すると判断。しかし、「4人を監禁した後、『殺すしかない』と積極的に発言し、グループでの影響力も大きかった。渡辺被告は反省の念が乏しく、改善・更生が著しく困難。犯行は執拗で残忍。刑事責任は極めて重大」として、死刑を選択した。 一審判決は、グループ内での渡辺被告の役割について「首謀者の立場ではなかった」と認定したが、この日の判決は、渡辺被告が共犯者に対して何度も殺害の指示を出し、「しゃべったら家族を殺す」と口止めまでしていた点を重視。「事件が重大化したのは、渡辺被告によるところが大きい」と認定した。 | |
一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 |
岩森稔 | |
61歳 | |
2007年2月21日 | |
強盗殺人、窃盗 | |
埼玉本庄夫婦殺害事件 | |
埼玉県狭山市の無職岩森稔(当時61)被告は2007年2月21日午後、顔見知りである本庄市の無職男性方で、男性(当時69)と妻(当時67)の頭などを鈍器で殴って殺害し、少なくとも現金1万円を奪った。 また岩森被告は2月15日午後、同市内の知人男性方で、約1万円入りの財布を盗んだ。 岩森被告は事件直後に逃亡。3月5日、山梨県の実家近くに止めた乗用車内で逮捕された。 岩森被告は運送会社を経営していたが2004年頃に倒産。移転後も現場付近をたびたび訪れ、知人らに金を無心していた。 | |
2008年3月21日 さいたま地裁 飯田喜信裁判長 無期懲役判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年3月25日 東京高裁 若原正樹裁判長 一審破棄 死刑判決 | |
2007年11月21日の初公判で、岩森被告は「初めから現金を奪おうとしたわけではなく、借りようと思った」と強盗目的を否認した上で、「遺族には一生残る悲しみと傷をつけてしまい、極刑をもって償いたい」との書面を読み上げた。 検察側は強盗殺人の根拠として、〈1〉被告があらかじめ凶器を用意していた〈2〉緊縛目的で針金を持ち込み、妻を縛った〈3〉経済的に困窮していた−−などを挙げた。 弁護側は、岩森被告が男性に借金を申し込んだが断られ、「死んだら保険金が出る」と言われたことに腹を立て、殺害したと説明。殺人罪に当たると主張した。 2008年2月22日の論告求刑で、検察側は、鈍器や針金を持ち込むなど犯行は計画的だったとした。そして「金目的の計画的な犯行で、冷酷非道で悪質極まりない」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は、妻に対する強盗殺人罪は認めたが、夫の殺害については、借金を断られ腹を立てて殺害した殺人罪だと主張。「室内にあった凶器を使い、計画性はなかった」として寛大な判決を求めた。 岩森被告は最終陳述で「極刑をもって償いたい」と述べた。 判決で飯田裁判長は、弁護側の「夫婦宅を訪れたのは、借金を申し込むためだった」との主張を退け、被告は凶器と夫婦を緊縛するための針金を持ち込み当初から強盗目的だったとし、検察側の主張通り、二人に対する強盗殺人罪を認定した。 その上で「日々の食事に困るほどの生活苦を、何の落ち度もない夫妻に対する凶行で解消しようとした動機は、短絡的で身勝手というほかなく、殺害方法も執ようで残虐。遺族の被害感情などを照らし合わせると、死刑をもって臨むしかないとする検察の意見には相応の理由がある」と、死刑選択も十分考えられるとした。 一方で、夫婦殺害後、金品の物色もそこそこにして、指紋などを残したまま逃走するなど、ち密さや周到さに欠けていたことを指摘。当初は借金を申し込むつもりもあったとし、「強盗目的が確定的でなかった」と検察側が主張した計画的な強盗殺人は否定した。 殺害態様の残虐性については「無我夢中で歯止めが効かなくなったところがあった」と述べ、「事件以前は犯罪とは無縁の生活を送り、反社会的性格が強いとまで断ずることができない」と指摘。「死刑よりもむしろ、終生をかけて被害者夫婦の冥福を祈らせ、反省と悔悟の日々を送らせるべき」と無期懲役が相当と判断した。 死刑を求める検察側と有期懲役を求める弁護側の双方が控訴した。 判決で若原正樹裁判長は「夫婦宅を訪問した当初から、2人の殺害、強盗を計画していた。近所付き合いをしていた2軒隣の落ち度のない夫婦の頭や顔をめった打ちにした残虐な犯行で、真摯な反省も認められない」と述べた。 判決は、被害者の頭部や顔面に激しい打撃が加えられ、岩森被告が殺害後の短時間のうちに金目の物を物色していた点などを重視。また殺害に使用された凶器の形状と合致する凶器が夫婦宅に存在しないことから、凶器は被告人が持ち込んだ物と考えるほかないとし、殺害に計画性がなかったとする一審判決は誤りだと指摘した。 弁護側は「借金を申し込むために被害者宅を訪問。殺害は予想外の事態だった」と主張していたが、若原裁判長は「夫婦に借金を申し込み、断られた状況を酌んだとしても有期懲役刑は不相当」と弁護側の訴えを棄却。勤務先の会社を辞め、定職に就くことなく過ごして金銭に窮した状況を「自身の無計画で忍耐力に欠ける生活態度に起因するなど、斟酌するほどの事情と認めることはできない」と述べた。 また「夫婦は2006年に2,3万円の借金を申し込んだ被告人に10万円貸しており、事件直前に空腹の被告人に食事を振る舞うなど被告人にとっては恩がある間柄であるにもかかわらず、命が奪われるのは理不尽」とし「罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑をもって臨むほかない」とした。 | |
清水大志 | |
26歳(2005年6月8日、詐欺容疑で逮捕時) | |
2004年10月13日〜16日 | |
傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反、傷害 | |
架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年5月12日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
公判前整理手続きを採用。 2006年9月1日の初公判で、清水被告は「殺人の実行行為も共謀もしていない」と主張し、殺人と傷害致死の起訴事実を否認、逮捕監禁と死体遺棄は認めた。清水被告側は「監禁、暴行が続いた2日間に、清水被告が常に現場にいたわけではなく、4人が死亡した時にも不在だった」とし、「ほかのメンバーに監禁や暴行は指示したが、殺せとは言っていない」と主張。殺人罪と傷害致死罪に当たるのは、あくまでも実行犯のメンバーで、清水被告は共謀関係にないとした。 検察側は冒頭陳述で、残酷なリンチの様子を詳細に再現。「一連の犯行は、グループのリーダーだった清水被告が主導した」と断定した。 なお清水被告は、徳島地検が追起訴した組織犯罪処罰法違反罪(組織的詐欺)の容疑についても「私はその事実に関与していない」と全面否認している。 2006年9月5日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。 4月27日の最終弁論で、両被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。 被告側は即日控訴した。検察側は「殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認だ」として控訴した。 長岡哲次裁判長は判決で「清水被告に殺害を指示された」とする共犯者の供述は信用性があると認定。殺害の共謀関係はなかったとする被告側の主張を退けた。検察側は被害者1人について殺人罪が相当だと訴えたが、判決は一審同様、傷害致死罪を適用した。 そして長岡裁判長は「人命を無視した冷酷かつ残忍な犯行で中心的役割を果たした。反省の念に乏しく、更生は困難」と述べた。 | |
一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 |
伊藤玲雄 | |
31歳(2005年6月9日、逮捕監禁容疑で逮捕時) | |
2004年10月13日〜16日 | |
傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反 | |
架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
2007年5月21日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年8月28日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
2006年3月29日の初公判、起訴事実の認否で3被告(伊藤玲雄被告、阿多真也被告、鷺谷輝行被告)は、YOさん(当時34)殺害については否認したが、他の3人の殺人、傷害致死についてはほぼ認めた。 2006年11月13日の論告求刑公判で検察側は「犯行は執拗で残忍」「まれに見る凶悪、重大な犯行。被害者に対する暴行はこの世の地獄を思わせるもので、人間の所業ではない」と指摘した。 2007年1月11日の最終弁論で弁護側は、口や鼻を粘着テープでふさがれるなどして殺害されたYOさんの事件について、「殺意はなかった」と傷害致死罪の適用を主張。また、清水大志被告らリーダー格による殺害の指示を拒めなかった、と情状面の理解を求めた。阿多被告側は、起訴されたすべての罪で自首が成立すると主張した。 3被告は最終陳述で涙ながらに謝罪し、このうち伊藤被告は「裏切ったら家族ごと殺すと脅された。生きて罪を償う道を与えてほしい」と訴えた。 彦坂孝孔裁判長は「人命を全く軽視した非道な犯行で、主導的に殺害行為をした責任は極めて重大だ」と述べた。検察側は男性3人に対する殺人罪が成立すると主張したが、彦坂裁判長は、テープで縛られて死亡した1人の死亡について「殺意までは認められない」と傷害致死罪を適用した。また、殺害の指示を否認しているグループの主犯格メンバー清水大志被告らの指示を認めた。弁護側は「殺害は(グループ内の首謀者とされる)渡辺被告への恐怖心に支配された結果」などと主張したが、彦坂裁判長は「行為に直接関与しており、認められない」と退けた。一方、阿多被告は捜査段階で供述した殺人以外の罪について自首の成立を認め、「伊藤被告らの言動に影響された面があった」として死刑を適用しなかった。鷺谷被告は「伊藤被告に同調した従属的な犯行」とした。 被告側は量刑不当を理由に控訴した。千葉地検は地裁判決に事実誤認があったとして、東京高裁に控訴した。判決で、地検が殺人罪を主張した3人のうち1人について傷害致死罪が相当と認定した点を事実誤認とした。地検は控訴に踏み切った理由を、犯行グループのリーダーで無職の清水大志被告らの量刑に影響があるためとしている。 2008年3月13日の控訴審初公判で、検察側は、一審判決が傷害致死罪に当たると認定した1人について、「事実誤認で殺人罪に当たる」と主張。死刑求刑に対し、無期懲役とされた阿多被告については量刑不当を訴えた。 伊藤被告の弁護側は「リーダーらのマインドコントロール下での犯行だった」と主張、死刑回避を求めた。 判決理由で長岡哲次裁判長は「被告は反省しているが、執拗で残忍な態様、結果の重大性などを考えれば死刑を回避すべきとはいえない」と結論付け、無期懲役を求めた弁護側の訴えを退けた。被害者4人について、は被害者が死亡した状況は被告の供述から「殺意があったと認定することはできない」として、殺害3人、傷害致死1人との検察側主張を認めず、殺害2人、傷害致死2人と認定した一審判決を踏襲した。 | |
一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 |
山田健一郎 | |
36歳 | |
2003年1月25日 | |
殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂 | |
前橋スナック乱射事件他 | |
指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告らは、対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)の殺害を計画。 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部山田健一郎被告(当時36)は、同幹部小日向将人被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部(後に殺人予備容疑で逮捕)を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。 前橋市のスナック乱射事件は、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件がきっかけになったとされる。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙ったとみられる。 2002年2月21日の大前田一家元総長宅(前橋市)発砲事件にかかわった矢野睦会幹部が、4日後に入院先の日医大病院(東京都文京区)で射殺された。元総長宅襲撃失敗の口封じが目的で、警視庁は同会会長の矢野治被告ら3人を2003年9月に逮捕した。 矢野睦会の襲撃はその後も続き、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶が投げ込まれ、2002年10月14日には白沢村の銃撃事件も発生。こうした流れの中で2003年1月にスナック発砲事件が起きた。 小日向被告は事件後、フィリピンに逃亡するなどしていた。2002年10月、不法滞在容疑でフィリピンから強制送還され、警視庁が旅券法違反容疑で逮捕した。捜査本部が、抗争事件に絡む盗品等有償譲り受け容疑で逮捕していた。 矢野被告は2003年7月8日に元組長宅への放火容疑で逮捕された。矢野被告らとともに小日向被告は前橋事件への関与を追求された。小日向被告は2004年2月に、「会長の指示で2人でやった」などと供述を始める。本事件で矢野治被告と小日向被告は2004年2月17日に逮捕された。 山田被告は2004年5月7日に逮捕された。山田被告は白沢村銃撃事件でも射撃の実行犯として起訴されている。 | |
2008年1月21日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年9月10日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
山田被告は逮捕当初から犯行を黙秘した。 2004年7月22日の初公判で、山田被告は起訴事実を全面否認した。 2006年11月28日に東京地裁で開かれた矢野治被告の公判で、山田被告が弁護人証人として出廷し、自身の事件への関与を初めて認めた。しかし、事件直前に携帯電話で矢野被告に「撃ち合いになる。危険すぎる」と話したなどとする小日向被告の法廷証言については、「全くのでたらめだ。証言の7、8割はウソ」と明言。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。また小日向被告が襲撃に消極的だったとされる点について「(準備段階で)自分の目からはやる気に見えた」と述べ、その後も小日向被告の供述に対して逐一反論を述べた。山田被告は事件当日の模様についても詳細に供述した。 2007年2月26日の公判で、山田被告は矢野被告の公判で述べたとおり、実行役であることを認める証言を展開した。被告人質問では矢野被告の公判での証言と同様、もう1人の実行役である小日向将人被告の証言をことごとく否定。事件の全容解明に貢献したとされる小日向被告の証言は「事実と違う。だまされないでほしい」と訴えた。 7月2日の論告求刑で検察側は、「冷酷無比で残忍極まりなく、一般市民の平穏安全など眼中にない傍若無人な犯行」と指弾。「捜査段階では黙秘を貫き、公判段階では(首謀者の)矢野をかばうなど、真相解明を阻む態度に終始し、反省にはほど遠く、矯正可能性はいささかもない」「一般市民の生命を奪うのも構わないと凶行に及び、憐憫や躊躇など人間らしい感情は全くうかがわれず鬼畜の仕業に等しい」とした。また、遺族側の「犯人に対する刑としては死刑しか考えられない。私たちの苦しみを犯人たちに思い知らせてやりたい」とする言葉も読み上げた。 10月15日の最終弁論で、弁護側は山田、小日向両被告の証言の違いに言及。会長の矢野治被告が「事件を指揮した」とする小日向被告の供述を「刑事責任を軽減するために作り上げたストーリー」として、矢野被告を首謀者とする事実認定には「誤りがある」と指摘した。また、女性客の射殺について、両被告は「撃ったのは自分ではない」としてきたが、弁護側は残った銃弾などの状況証拠を挙げ、山田被告の犯行ではないと訴えた。山田被告による死傷者は抗争相手の元組長と元組長と間違えた男性客2人とし、「一見して一般人と分かる女性らへの発砲は、共犯者による、共謀を超えた行動」と訴えた。そして、「小日向被告の虚偽(の証言)をうのみにした判断は承服できない」と述べ、小日向判決にとらわれない判断を求めた。 暴力団関係者が見守る中、約2時間の弁論を聞いていた山田被告に、裁判長が「最後に言いたいことは」と問うと、被害者の名前を1人ずつ挙げ「私が誤射してあやめてしまった人やご遺族に心からおわび申し上げます。いかなる刑でも受ける所存です」と述べ、傍聴席の遺族に深々と頭を下げた。言葉は5分以上続き「なぜこんなことになったか分からない」と述べた。 当初、12月17日に判決予定だったが、前橋地裁は弁護側の申し立てを受け弁論を再開。判決を2008年1月21日に延期した。 弁護側は1遺族との和解成立を陳述。改めて減軽を求めた。検察側は「和解を斟酌するには限度がある」と反論した。 久我裁判長は判決で、「住宅街のスナックで、たまたま居合わせただけの一般人3人を射殺するなど前例のない痛ましい事件。被告も必要不可欠な役割を果たした。計画性、組織性が極めて高度(な犯行)で、被告の果たした役割も重大。(被害者は)残虐な方法で殺されており、その無念さは察するに余りある。山田被告が上位者の指示を受けて犯行に及んだ経緯などを考慮しても、罪刑の均衡の見地から極刑はやむを得ない」と述べた。 弁護側が「(亡くなった4人のうち)3人の殺害は、もう一人の実行犯の犯行」などとし、責任が限定的だと主張していた点については、指示役とされる矢野治被告や、もう1人の実行犯とされる小日向将人被告と比較すると、山田被告は「犯行計画や準備行為への関与の度合いが低い」などと情状酌量すべき点も指摘。山田被告側の「責任は客の男性1人の殺害と男性1人の傷害にとどまる」とする主張も一部認めた。しかし、結論としては、「遅くともスナックに入って客が多数いることを認識した時点で、元暴力団組長の殺害に障害となる者をも拳銃で殺害するという意図を、小日向被告との間で暗黙のうちに共有した」と指摘。死傷者全員について山田被告は共同正犯として責任を負うとした。 久我裁判長は、山田被告に対して「まだ時間はある。これまで語っていない部分を正直に話してほしい。それが遺族にとっても、自分にとっても唯一できる最善のことだ」と説諭。山田被告はこの言葉を聞いた後、遺族のいる傍聴席に向かって土下座をした。 2008年11月13日の控訴審初公判で、弁護側は控訴理由について「市民3人のうち2人の殺害は小日向被告によるもので、一審判決は事実誤認。山田被告に殺意はなかった」として減刑を求めた。また事件は小日向被告の主導によるもので、山田被告は従属的な立場だったとの主張を展開した。そのうえで、山田被告が犯行に積極的に関与したと結論づけた一審判決は事実誤認だと訴え、「(死刑ではなく)一生をかけて罪を償う機会を与えてほしい」と減刑を求めた。 弁護側の主張に対して検察側は、店の営業時間中に乱入し、拳銃を発砲している時点で殺害行為に加担しており、死刑は免れないとして控訴棄却を求めた。 判決で長岡裁判長は「ほかの実行犯との間で事前に役割分担が決められ、多数の客がいる店内で拳銃を発射した犯行に酌むべき事情はない」と指摘。共謀はなかったとする弁護側の主張を退けた。そして「狭い店内で発砲すれば、客に当たることは想定できた。住宅街での銃器犯罪で、法治国家への露骨な挑戦だ」と指摘。「刑事責任は極めて重い。遺族らに見舞金を支払っていることなどを考慮しても死刑が相当。結果の重大性などを考えれば、死刑が重すぎて不当とはいえない」とした。 | |
他の被告については、矢野治被告の項参照。 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。 矢野治被告は2007年12月10日、東京地裁で求刑通り死刑判決。2009年11月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。現在上告中。 | |
矢野治被告の項参照。 |
川崎政則 | |
61歳 | |
2007年11月16日 | |
殺人、死体遺棄他 | |
坂出祖母孫3人殺人事件 | |
香川県高松市の元会社員川崎政則被告は2007年11月16日午前3時45分頃、坂出市に住む義姉でパート従業員の女性(当時58)の自宅に無施錠の玄関から侵入。女性と、隣家から遊びに来ていた女性の孫(当時5、3)姉妹を持参した包丁で刺して殺害。3人の遺体を自分のワンボックスカーに積み込み、坂出港の岸壁近くの資材置き場に埋めた。 姉妹は15日午後6時ごろ、女性方に泊まりに行ったが、翌日午前7時50分ごろ、母が迎えに行ったときには3人の姿が消えていた。寝室の床やベッド、玄関、浴室などには血痕が残され、女性の携帯電話や靴、自転車がなくなっていた。香川県警は事件発覚から2日後の18日、坂出署に捜査本部を設置した。 県警は11月27日、川崎被告を死体遺棄容疑で逮捕。川崎被告は当初山中に捨てたと供述したが、遺体は発見されなかった。その後、供述を変更。28日に3人の遺体が発見された。12月18日、県警は川崎被告を殺人容疑で再逮捕した。 川崎被告は妻が女性の借金を肩代わりする形で金を貸していたことを1997年頃に知って夫婦関係が悪化し、女性のことを恨んだ。その後女性や妻の両親の遺産で女性の借金は片が付いたが、2007年2月に妻が入院。さらに4月に妻は死亡したことから、女性を恨んでいた。遺族側は金銭トラブルについて否定している。 高松地検は2008年1月9日に殺人などの罪で川崎被告を起訴した。簡易鑑定の結果、同容疑者の責任能力に問題はないと判断した。 | |
2009年3月16日 高松地裁 菊池則明裁判長 死刑判決 | |
2009年10月14日 高松高裁 柴田秀樹裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
公判前整理手続きにより、殺害の事実関係については争わず、主に川崎被告の犯行時における責任能力について争われた。 2008年7月17日の初公判で、川崎被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。弁護側は「精神遅滞などが原因で責任能力は限定的だった。川崎被告の犯行時の責任能力は、精神鑑定で明らかにされるべきだ」などと述べた。高松地裁はこの日、精神鑑定を行うことを決定した。 精神鑑定の結果を受けて、裁判の争点や日程などを決めるための期日間整理手続きが行われ、3月9〜12日に集中審理し、16日に判決を言い渡すことが決められた。 検察、弁護側双方が推薦する2人の鑑定人が精神鑑定を実施。ともに知的能力は低いものの、刑事責任能力を完全に認める診断内容だった。 2009年3月9日の第2回公判では、川崎被告の責任能力について争われた。検察側は以前から恨んでいた女性を完全犯罪で殺害する計画とし、姉妹を殺害した理由については犯行の発覚を防止するためと主張した。そして責任能力はあると主張した。弁護側は犯行や動機について争わず、川崎被告について「知的能力、精神能力、特定不能の広汎性発達障害があり、犯行に大きな影響を及ぼしている」と指摘した上で「悪いことと分かっていても行動に出ることを思いとどまることが著しく困難だった」と心神耗弱を主張した。 3月12日の論告で検察側は争点となった責任能力について、精神障害はないとした鑑定医2人の鑑定結果などを踏まえ、「善悪を判断し、自らの行動を制御する能力に障害はなかった」と指摘。弁護側の主張に対し、「少年法は、少年の健全育成を期すためのもので、被告にその趣旨を及ぼすことはできない」と反論した。さらに「現場を下見し、事前に遺体を埋める穴を掘って包丁を準備するなど犯行は計画的」と述べた。そして「金銭トラブルによる恨みで祖母を、発覚を防ぐため孫2人を殺すという短絡的で身勝手な動機に酌量の余地はない。殺害方法は残虐、執拗で卑劣極まりない。遺族の悲しみは深く、極刑を希望している」と述べた。 同日の最終弁論で弁護側は事件当時の被告について「知的能力が低く、広汎性発達障害の影響もあり、悪いと分かっていても行動を思いとどまることが著しく困難だった」と限定的責任能力を主張した。そして前科前歴がないことや、謝罪の手紙を出し弁護人に150万円を預けて遺族の支払いを確約していることを述べた。最後に精神年齢は15歳程度で、(18歳未満を死刑にしない)少年法を適用して無期懲役とするのが相当だとした。 判決は、被告が事前に凶器の包丁を用意し、女性方を2度下見するなど計画的で、殺害後も失跡を装うため女性の自転車を持ち去るなどの証拠隠滅を図ったと指摘。「精神障害はなく犯行に著しい影響は及ぼさなかった」とする検察側、弁護側双方の精神鑑定の結果を信用できるとし、「心神耗弱状態だった」とする弁護側の主張を退けて完全責任能力があったと判断した。殺害の動機については、病死した妻が実姉の女性の借金を肩代わりしたことなどで恨みを募らせたと認定。幼い姉妹については、女性殺害後に2人が目を覚まして泣きながらそばにやってきたためと認めた。そのうえで「極めて身勝手で自己中心的。酌量の余地はまったくない」と指摘。3人を何度も刺した殺害方法も「執拗かつ残虐で、遺族が被告に極刑を求めるのも当然だ」と述べた。一方、一貫して起訴事実を認めている▽姉妹殺害について謝罪している▽一度決めたら容易に変更できない性格だった――など被告に有利な事情を挙げたが、「それらを最大限考慮しても、恐怖で泣き叫ぶ罪のない子どもに攻撃を加えており、小さく弱い者に対する情など人間性のかけらも見いだせない残虐な犯行。動機や経緯、結果の重大性などにかんがみて死刑を選択する以外にない」と結論づけた。 弁護側は即日控訴した。「被告は広汎性認知障害の影響で、悪いと分かっていても行動を思いとどまることが著しく困難だった」と限定的責任能力を主張し「無期懲役が妥当」と訴えている。 2009年9月10日の控訴審初公判で、弁護側は「川崎被告は事件当時、精神障害を患い、女性が財産を横取りしようとしているとの妄想を抱いていた。被告は行動制御能力が著しく低下しており、限定責任能力を認めるべき」との控訴趣意書を提出。検察側は「精神的障害があったとは考えられない」と主張し、即日結審した。弁護側は「川崎被告は妄想を抱く精神障害のパラノイアにかかっており、心神耗弱状態だった」として、再度の精神鑑定を要求したが、柴田裁判長は新たな鑑定の実施は認めなかった。高裁は、一審で精神鑑定を行った医師2人に改めて精神障害の有無について照会したが、2人ともその可能性を否定したという。証人尋問では、姉妹の父が「恐ろしい思いをさせて子供や義母を殺した。死刑を求めたい」と証言。川崎被告は被告人質問で「姉妹にはかわいそうなことをした。女性も殺す必要はなかった」と述べた。また同日の公判では殺害された女性の父親が弁護側証人として法廷に立ち、「被告の知的能力が低いのは分かっていた。一人で悩まずに相談してくれれば今回の事件は起こらなかったはず。できれば減刑をお願いしたい」と述べた。検察側証人である姉妹の父親は「被告も人の命の重さは分かっているはず。反省しているとも思えない。死刑を望む気持ちに変わりはない」と訴えた。 判決で柴田裁判長は、一審で被告を精神鑑定した医師2人に照会した結果を踏まえ、「一審の鑑定人が見落とすとは考えられない」として弁護側主張を退けた。事前に凶器を準備するなどした犯行の計画性や、川崎被告が女性の失跡を装うために犯行後に自転車などを廃棄した証拠隠滅工作なども挙げ、犯行時の完全責任能力を認定した。 犯行動機については、一審で十分触れていなかった殺意を抱いた経緯を検討。川崎被告は1997年ごろから、妻(既に病死)への借金などをきっかけに女性に不満を抱き始めた。金銭トラブルから「女性に家庭を壊され、(妻が消費者金融から用立てた金の)返済に苦しめられている」と殺意を持つに至ったとした。そのうえで、量刑について検討。女性殺害について「極めて強固な殺意に裏打ちされ、殺害方法も執拗かつ残虐」とし、たまたま泊まりに来ていた幼い姉妹を殺害したことも「悪事の発覚を防ぐため、何の関係もない幼児2人を殺害した。事情を理解できないまま、恐怖と痛みの中で短い生涯を閉じさせられた幼い姉妹はあまりにあわれだ。酌むべき余地はまったくなく人倫に反する行為。状況も分からず泣きながら近寄ってくる幼い子供たちに執拗に包丁を突き刺し、誠に凶悪」と指摘。控訴審で女性殺害を謝罪するなど反省の態度を示した▽一審判決後に遺族に150万円の被害弁償をした――など被告に有利な事情を考慮しても、「(一審の死刑判決が)重すぎて不当とは言えない。残忍な犯行と結果の重大性により社会に脅威を与えており、死刑をもって臨むとした量刑はやむを得ない」と判断した。 | |
事件発生当初から親族、特に姉妹の父親の関与を疑う声が強く、一部週刊誌やインターネット上などで父親を犯人視、中傷した発言、問題視する記事などが相次いだ。2007年11月21日には女優が自身のブログ中に家族の会話として「父親の仕業」と記載し、ブログは炎上した。後に謝罪するとともにブログを閉鎖。所属事務所も謝罪文とともに、1年間の活動停止処分を発表した。 11月19日にはワイドショーで人気司会者のみのもんたが、発生後に父親が直接警察署に届け出たことについて、強く疑問を投げかけるコメントをした。2008年1月11日にみのがスタッフとともに謝罪したとの報道があったが、番組内では一言も触れられていない。 母親は2009年3月11日の公判で読み上げられた手記の中で、長男(11)がマスコミによる父親犯人視報道によって学校でいじめにあっていたことを述べている。 川崎被告は東京都の消費者金融会社を相手取り、妻が1989年9月以前に契約を結び、2007年1月までに借り入れと返済を繰り返し、利息制限法で定められた上限を超えた金利を課せられ、約554万円の利息を違法に多く支払わせられたとして、過払い金変換訴訟を高松地裁に起こした。2009年1月15日、高松地裁で和解が成立したが、内容は明らかにされていない。 一審では裁判員制度を控え、第2回公判以降は4日間連続の審理で結審した。また専門用語が多くてわかりにくいとされてきた医師の証人尋問では、大型モニターを使って講義形式で実施された。 |
矢野治 | |
54歳(2003年7月逮捕当時) | |
2002年2月〜2003年6月 | |
盗品等有償譲受け、有印私文書偽造・同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物放火未遂 | |
日医大暴力団組長射殺事件、前橋スナック乱射事件他 | |
2001年8月、東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件が発生した。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙った。 2002年2月21日、住吉会系の組長(当時54)が稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長宅を襲撃しようとして発砲したが失敗した。24日夕方、組長は豊島区で男に短銃で撃たれて入院した。 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告は、矢野睦会辰力組組長T元被告、知人の元暴力団員A元被告と共謀。2月25日午前9時ごろ、日本医大病院一階の集中治療室の窓から、ベッドで寝ていた組長に拳銃数発を発射、殺害した。組長は暴力団抗争から抜け出そうとしたため、口封じのために殺害したものである。 矢野被告は2月下旬、埼玉県三郷市の鉄工所でガソリン噴射機を製造し、放火を計画。3月1日に対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)宅を襲撃し、塀などに銃弾を打ち込み、噴射機で放火しようとしたが、放火前に見つかって未遂に終わった。 矢野被告は同会幹部山田健一郎被告、同D元被告らと共謀。2002年10月14日午後4時35分ごろ、群馬県白沢村の村道で、ゴルフ場から帰る途中の元組長の乗用車に拳銃を発砲。元組長の右肩に重傷を負わせた。 さらに矢野治被告らは、元組長の殺害を計画。 矢野被告の支持を受けた暴力団幹部小日向将人被告は、同幹部山田健一郎被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部のD元被告を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。 矢野被告は2003年7月8日、放火未遂事件の容疑で逮捕された。9月1日、日本医大病院での殺人容疑で再逮捕。2004年2月17日、前橋のスナック乱射事件で再逮捕。6月2日、白沢村の殺人未遂事件で再逮捕された。 | |
2007年12月10日 東京地裁 朝山芳史裁判長 死刑判決 | |
2009年11月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
2003年12月19日の初公判で、矢野被告は日本医大病院での殺人容疑を辰力元被告と共に否認した。A元被告は単独犯行を主張した。 2004年6月1日の、前橋スナック乱射事件の初公判で、矢野被告は起訴事実を全て否認した。また後に、白沢村襲撃事件でも容疑を否認した。 2006年11月28日の公判で、山田健一郎被告が証人に立ち、小日向将人被告の証言はでたらめと非難。証言の7,8割は嘘と明言した。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。小日向被告は2004年2月に乱射事件への関与を認めた後、事件の全容解明に向けて積極的に供述している。 12月12日の公判でも、山田被告は殺害が矢野被告の指示だったとする検察側の主張について「それはありません」ときっぱり否定した。またスナックで拳銃を乱射した後、小日向将人被告の携帯電話に「このやろう、女が巻き込まれているんじゃないのか」などとどなり声で電話があったことを明らかにしたが、電話の相手については「わからない」と繰り返した。 2007年5月23日の論告求刑で、検察側は「被告は犯行を指示した首謀者で刑事責任は最も重いのに、起訴事実を全面否認し反省の情も見られない。もはや人間性は失われ、矯正不能だ」と指摘した。検察側はこの日の論告で、矢野被告について、「一片の反省悔悟の情も認められず、矯正不能」「暴力団特有の論理で一般人の犠牲もいとわない姿勢は反社会性の極み」などと指弾。「何の罪もない父や、その仲間たちの命を容赦もなく奪っていった犯人たちに私たちと同じ社会に存在してほしくない」などとする遺族の言葉も読み上げた。 9月3日の最終弁論で、弁護側は「共犯者らの供述は虚偽で、有罪とする十分な証拠はない」などと改めて無罪を主張した。 判決で朝山裁判長は「スナックでの銃乱射は至近距離から撃つなど残虐で、一種の無差別テロの様相を帯びている。実行行為を具体的に指示しており、実行犯と同等以上の責任がある。極刑をもって臨むしかない」「拳銃で弾丸を何発も発射するという残虐な犯行。合計5名もの人命が奪われ、犯行結果も重大。極刑をもって臨むほかない」と述べた。朝山裁判長は、犯行動機は対立していた指定暴力団稲川会系の元組長に対する報復だったと認定。その上で「暴力団特有の論理に基づく反社会的犯行。矢野被告の反社会的人格は根深い」と指摘し、死刑の選択もやむを得ないと判断した。 朝山裁判長は矢野被告の関与を認めた実行役らの供述について「具体的で信用できる」と判断。いずれの事件も被告の指示で行われたと認定し、弁護側の無罪主張を退けた。その上で、前橋事件について「残虐きわまりない一種の無差別テロ。人生の充実期にあった、暴力団と無関係の3人の無念の情は、察するに余りある」と指摘。「暴力団抗争に多数の一般市民を巻き込んだ社会的影響は極めて大きい」と述べた。日医大事件についても、「制裁と口封じ目的で、酌量の余地はない。ほかの患者らに危害が及ぶ可能性もあった」とした。 矢野被告は初公判から「身に覚えがない」と一貫して起訴事実を否認。このため、県警の捜査員や小日向被告らの証人出廷が余儀なくされ、矢野被告の公判は他の事件も含めて求刑時69回を数えるまで長期化した。 控訴審で弁護側は、矢野被告は実行犯との連絡役か調整役に過ぎないとして、一審同様無罪を主張した。また検察側の主張に対し、共謀の証明が不十分と訴えた。 判決で山崎学裁判長は2002年2月〜2003年6月にあった計11の事件について「被告は犯行の実行行為こそ担当していないが、暴力団組織の上下関係を利用し、犯行を具体的に指示した首謀者だ」と認定。「責任は重大で実行犯と同等以上。一般人を含む多数の犠牲者を出しており、社会への影響は極めて大きい。5人の人命が奪われた結果は極めて重く、とりわけ乱射事件で殺害された一般人3人の無念さは筆舌に尽くしがたい」と述べた。住吉会総裁らが昨年9月、スナック乱射事件の責任を認め、遺族らに計9750万円を支払う内容で和解したことも被告に有利な事情として言及したが、「極刑がやむを得ないとした一審判決は相当」とした。判決に矢野被告は出廷しなかった。 | |
2004年10月29日、東京地裁はA被告に懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。そのまま確定か。 12月13日、前橋地裁は見張り役として襲撃の手助けをしたとして、殺人未遂ほう助罪に問われた元組員に懲役2年4月(求刑懲役4年)を言い渡した。 12月27日、前橋地裁は実行犯を車で運び逃走させたとして、犯人隠避などの罪に問われた組員に懲役7年(求刑懲役8年)を言い渡した。 2005年1月17日、前橋地裁は小日向被告に拳銃一丁と実弾四発を約三十万円で譲り渡したとして銃刀法違反の罪に問われた暴力団幹部に懲役2年8月(求刑懲役5年)を言い渡した。 2月14日、前橋地裁は狙われた元組長の情報を教えたなどとして、殺人未遂ほう助の罪に問われた元組長に懲役3年(求刑懲役5年)を言い渡した。控訴せず確定している。 4月18日、前橋地裁はスナック乱射事件の見張り役をしたほか、旧大胡町で発砲事件を起こしたなどとして殺人未遂ほう助、銃刀法違反などの罪に問われた元暴力団幹部に懲役11年(求刑懲役13年)を言い渡した。 4月26日、前橋地裁はスナック付近の見張りなどをしたとして殺人未遂ほう助罪などに問われた元組員に懲役5年(求刑懲役8年)を言い渡した。 6月6日、前橋地裁はスナック乱射事件で、見張り役をしたとして殺人未遂ほう助の罪に問われた元組員に懲役2年8月(求刑懲役4年6月)を言い渡した。 2006年6月9日、東京地裁はT被告に無期懲役(求刑同)を言い渡した。控訴するも後に取り下げ、確定。 6月19日、前橋地裁は旧白沢村での拳銃乱射事件や、スナック乱射事件で拳銃を準備し現場の下見をしたなどとして、殺人予備、銃刀法違反などの罪に問われたD被告に懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。この幹部は当初スナック乱射事件の実行役として指名されていたが、直前に小日向被告と仲違いして山田被告と交代している。また、事件直後にこの幹部は「自分がやった」として出頭、逮捕されたが、証拠不十分で釈放されていた。被告は即日控訴したが、10月31日付で取り下げ、確定している。 6月19日、前橋地裁は旧白沢村で元組長に拳銃を発射し、重傷を負わせたとして殺人未遂罪などに問われた暴力団組長に懲役15年(求刑同)を言い渡した。被告は即日控訴している。 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。 山田健一郎被告は2008年1月21日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2009年9月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。現在上告中。 | |
警察庁によると、暴力団の発砲事件に巻き込まれて3人の一般市民が死亡するのは初めて。 2006年11月22日、被害者男性の遺族3名が指定暴力団住吉会の西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額約1億9760万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。別の遺族は提訴する意思がなく、もう一方の遺族は弁護士紹介の要請があったが、引き受ける弁護士がいなかったという。原告弁護団(石田弘義団長)によると、2004年2月に矢野被告らが逮捕され、不法行為の損害賠償請求権の消滅時効(3年)が迫っているとして提訴に踏み切ったという。 2007年2月23日、前橋地裁での第1回口頭弁論で、使用者責任を問われた西口総裁と福田晴瞭会長は請求棄却を求める答弁書を提出。小日向将人被告は請求内容を認め、裁判が終了した。答弁書によると、西口総裁と福田会長は「事件があったことは知っているが、詳しい役割分担までは知らない」などとして、傘下組員による事件への責任は負えないとし、全面的に争う構えを示した。一方、小日向被告は答弁書で「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪し、裁判所側が「争いがない」と認定。今後は原告側が小日向被告への賠償金などを協議する。 2007年4月27日、前橋地裁の松丸伸一郎裁判長は矢野治被告、山田健一郎被告に対し、慰謝料など8219万円の支払いを命じた。このうち慰謝料分は3000万円で、原告が求めた1億2000万円から大幅に減額された。刑事裁判で山田被告は発砲を認める法廷供述をしたが、矢野被告は関与を否認している。しかし民事裁判の口頭弁論にこれまで出廷せず、松丸裁判長は原告の主張を全面的に認めたと判断した。原告側は判決を不服として控訴した。 2007年7月13日、被害者女性の遺族や重傷を負った客、スナックの経営者ら8人が西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額1億5000万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。 9月11日、遺族3人が総額約1億9760万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が東京高裁で開かれ、矢野被告と山田健一郎被告は一審同様代理人を立てず、答弁書も提出しなかったため、即日結審した。 9月12日、遺族8人が総額約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が前橋地裁で開かれ、西口総裁、福田会長側は、同事件の別の遺族が起こしている裁判と同様、使用者責任を否定する姿勢を見せ、請求棄却を求めた。矢野治被告と山田健一郎被告は答弁書を出さず、即日結審。小日向将人被告は「申し訳ない」などと請求を認める答弁書を提出し、訴訟が終了した。 10月16日、東京高裁の判決で、宗宮英俊裁判長は、一審前橋地裁判決を変更し、660万円を増額、矢野被告と山田被告に対して計約8880万円の支払いを命じた。原告側は、殺された男性への慰謝料が、1審判決では交通事故死のケースとほぼ同額しか認められなかったことについて、「銃で殺された男性の慰謝料が、過失による交通事故と同じでいいのか」と主張していた。宗宮裁判長は「慰謝料額はそれぞれの事件ごとの事情を酌んで個別に算定すべきで、交通事故の慰謝料とたまたま符合したとしても直ちに不当とはならない」と退けたが、遺族への慰謝料は増額した。 10月19日までに、遺族8人が総額約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟で、「被害弁償が済んだ」として提訴を取り下げた。原告側代理人によると、代理人間の交渉で実行役の被告らが今月、被害弁償額を提示。代理人は金額は公表していないが「被害者の納得のいく額に達したため、和解に応じた」と話している。 2008年5月30日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は男性被害者の子供3人が慰謝料増額を求めた上告を退ける決定を出した。8880万円の支払いを命じた二審・東京高裁判決が確定した。 2008年9月26日、男性客(当時50)の遺族3人と、西口茂男総裁、福田晴瞭会長との和解が前橋地裁で成立した。原告側代理人によると、和解は、下部団体の構成員が事件を起こしたことについて、西口総裁らが自らの責任を認めて再発防止を約束し、計9750万円を支払うという内容。暴力団犯罪の使用者責任を巡り、指定暴力団トップが自らの責任を明確に認めたのは初めてという。 |
加賀山領治 | |
58歳(2008年の事件当時) | |
2000年7月29日/2008年2月1日 | |
強盗殺人、強盗殺人未遂 | |
中国人留学生強殺事件/DDハウス事件 | |
元アルバイト、加賀山領治被告は2000年7月29日午前1時頃、大阪市中央区の路上で帰宅途中の中国人女子留学生(当時24)のバッグを強奪。自転車で逃走し、取り押さえようとした会社役員の男性(当時34)の左足を刺し、さらにバッグを取り返そうと追いすがってきた女性の胸や腹などを刺して逃げた。女性は搬送先の病院で約1時間後に死亡した。加賀山被告は1999年に退社後はアルバイトをしていたが、事件直前は大阪城公園でホームレス生活を送っており、借金も断られ所持金はほとんどなかった。 加賀山被告は「当時一緒に路上生活をしていた男に誘われた」と語っている。犯行直後「60歳ぐらい」とされる共犯の男と大阪城公園で合流し、奪った6000円を山分けしていたが「名前は知らない」と言い、特定には至っていない。 加賀山被告は2008年2月1日午後10時15分ごろ、大阪市北区にある複合ビルのトイレに窃盗と強盗の両方の準備を整えて潜み、たまたま入ってきた会社員の男性(当時30)にナイフを突きつけ「金を出せ」と脅したが、応じなかったため、胸などを刺して殺害した。加賀山被告は2007年秋に仕事を辞めて以降、競馬やパチンコで所持金を使い果たしていた。 加賀山被告は2月8日午前、大阪府府警此花署に出頭した。当初は盗みの準備をしていたところを見られたため殺害したと供述していたため殺人容疑で逮捕されたが、後に強盗目的を認めた。 大阪府警は加賀山被告の余罪を調べていたが、2000年の事件現場に残されていた犯人の血液のDNA型が加賀山被告と一致。3月21日、大阪府警は加賀山被告を再逮捕した。 | |
2009年2月27日 大阪地裁 細井正弘裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2009年11月11日 大阪高裁 湯川哲嗣裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
2008年11月20日の初公判で、加賀山被告は「殺そうとは思っていなかった。取り押さえられそうになり夢中で刺した」と述べ、被害者2人への殺意を否認した。検察側は冒頭陳述で、1999年に会社を退職後、借金をしながら遊び暮らしていた加賀山被告が知人と強盗計画を立て、自転車で帰宅中の女性からバッグを奪った際、逮捕を逃れるため胸を狙ってナイフを突き刺したと指摘。胸と腹を2回刺し、傷口も17センチと深いことから殺意があったとした。 12月26日の論告求刑で検察側は胸などを複数回刺したことや傷の深さが7〜17センチに達していたことなどから殺意があったと主張。「犯行は冷酷、執拗で残虐非道。鬼畜と化した者のなせる沙汰。一片の人間性のかけらも見いだすことができない。反省の態度が認められず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。同日の最終弁論で弁護側は「捕まりそうになり夢中で刺した。殺意はなかった」として強盗致死罪にあたると主張。2月の事件後、警察に出頭しており、自首を認めて懲役刑にするよう求めた。加賀山被告は最終意見陳述で「今さら遅いが、申し訳ないことをした」と述べた。 判決で細井裁判長は強盗殺人が、ナイフを用意した上で胸などを複数回突き刺し、傷も深いことに触れ「計画的であり、殺意を持って犯行に及んだと認められる」と殺意を認定。加賀山被告が男性の事件後、警察署に出頭したとして、自首の成立を主張していた点についても、強盗目的を隠していたことなどに言及し「申告したとは評価できず、自首と認められない」と弁護側の主張を退けた。その上で「留学生事件から約7年半後に男性を殺害しており、真摯(しんし)に反省し、再犯防止に努めると期待するのは困難。加賀山被告は法廷で不合理な弁解に終始しており、真に反省しているとは認められず、死刑回避を相当とするような酌量すべき事情は見当たらない。2人の若者の尊い命を奪った結果は重大。遺族らの処罰感情もしゅん烈。殺意も認められ、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。 被告、弁護側は控訴した。 弁護側は一審に続き控訴審でも「いずれの事件も、無我夢中で振るった刃物が当たった。事件当時は正当な判断能力を欠いていた」として殺意を否認し心神耗弱状態にあったと主張。加賀山被告が男性刺殺事件の1週間後に出頭した点に触れ、「殺人を申告したことで捜査を容易にした」として無期懲役への減刑を求めた。 湯川裁判長は判決で「相当の力を込めて何度も突き刺しており、いずれの事件にも、未必の殺意が認められる。金品を奪取しており、完全に責任能力はあった」などと弁護側の主張を退けた。そして「危険かつ残忍な犯行で若い2人の無念は察するに余りある。性懲りもなく凶悪犯罪を繰り返し、金銭のために人の命を顧みない危険な犯罪性向は根深く、更生の可能性は乏しい」と述べた。 | |
加賀山被告には強盗致傷等の前科がある。 |
野崎浩 | |
40歳(1999年の事件当時) | |
1999年4月22日/2008年4月3日 | |
殺人、死体遺棄・損壊 | |
フィリピン女性2人連続殺人事件 | |
野崎浩被告は1999年4月22日、横浜市神奈川区の当時の自宅マンションで、交際していたフィリピン国籍で埼玉県草加市に住む飲食店従業員の女性(当時27)の首を布団に押しつけて窒息死させた。 野崎被告は出所後の2007年に台東区の飲食店に勤めるフィリピン国籍の従業員女性と知り合って交際し、12月に東京都港区のマンションで同居を始めた。女性は六本木の飲食店に移るとともに、同じ店に勤める親類女性2名とも同居した。家賃は4等分の予定であったが、野崎被告はすぐに家賃を支払わなくなり、女性とたびたび口論になっていた。 2008年4月3日夕方、出勤しようとした女性(当時22)に声をかけたが無視された野崎被告は腹を立て、首を絞めて殺害。包丁などで遺体をバラバラにした。 女性が出勤しないことを不審に思った親類女性が午後8時頃部屋に戻ると、肉片を抱えた野崎被告がいたため、女性は逃げ出した。野崎被告も遺体を抱えて逃げ出した。 女性の通報で22時頃に駆けつけた捜査員は、紙袋に入った女性の肉片を発見。野崎被告を手配した。 野崎被告はバラバラにした肉片十数個をスーツケースに詰めJR浜松駅前にあるビルのコインロッカーに隠すとともに、残りの遺体の肉片を近くの運河から投棄した。 野崎被告は6日夜、埼玉県川口市内の路上で手首を切って自殺を図ったが軽傷だったため、自ら119番通報。駆け付けた救急隊員に「ロッカーに遺体が入っている」というメモを手渡した。持っていたメモに基づき捜査本部は7日未明、コインロッカーのスーツケースが見つけたため、野崎被告を死体損壊容疑で逮捕した。4月11日、野崎被告の供述に基づき捜査本部は近くの運河から未発見の頭など7ヶ所の部位を発見した。4月26日、供述に基づき遺体の内蔵などが栃木県那須町のホテル跡地の生活排水処理槽内で発見された。4月28日、捜査本部は野崎被告を殺人容疑で再逮捕した。 さらに警視庁は1999年の事件についても追及し、野崎被告は殺害を自供。供述に従って横浜市内の運河から多数の骨片が発見された。10月8日、警視庁と埼玉県の合同捜査本部は野崎被告を1999年の事件における殺人容疑で再逮捕した。 | |
2009年12月16日 東京地裁 登石郁朗裁判長 無期懲役+懲役14年 | |
2010年10月8日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑+懲役14年判決 | |
横浜の事件を巡り死体損壊・遺棄罪で2000年に実刑判決が確定していることから、複数の罪を合わせて刑を科す「併合罪」は適用できず、事件ごとに起訴された。 2009年7月23日の初公判で、野崎被告は「(起訴状の内容に)異議を申し上げることはありません」と起訴事実を全面的に認めた。しかし弁護人は1999年の事件について「被告は早く極刑になりたいと願って虚偽の自白をしている。客観証拠や(供述に)秘密の暴露がない」と殺人について無罪を主張した。 7月30日の第3回公判で、野崎被告は1999年の事件について「殺害した覚えはない」と一転して起訴内容を否認、「朝起きたら亡くなっていた」と述べた。 9月29日の論告求刑で検察側は2008年の殺人と死体遺棄などについて「2度も交際相手を殺害し遺体を切り刻んで捨てており、9年前の事件の経験を生かして同様の犯行に及んだのは、悪質で非人間的。犯罪性向は根深く、矯正の余地はない」とした。そして1999年の殺人で無期懲役、2008年の殺人、死体損壊・遺棄事件で死刑を求刑した。 同日の最終弁論で弁護側は最終弁論で「横浜の事件(1999年)は、殺害する動機も証拠もない。密室で起こった事件であり、(犯行を認めた)野崎被告の自白に犯人しか知り得ない内容もない。被告の自白に信ぴょう性がなく無罪。台場の事件(2008年)は長期の懲役刑が相当」と主張した。 最終意見陳述で野崎被告は「すべての事件について罪を認める。うそ偽りはない」と2女性の殺害を認めた。 登石裁判長は1999年の事件について「自白は具体的で、被告の車から人骨が発見されるなど補強証拠もある」と弁護側の無罪主張を退けた。両事件の動機については「交際女性に利用されていると思い込み憎悪を募らせた」と述べた。そしていずれも「冷酷で残忍な犯行で刑事責任は重大だ。死刑求刑も理解できる」と述べた。しかし2008年の女性殺害事件について、被害者が1人で死刑が確定したほかの事件と比べ「殺害手段が殊更に残虐で執拗とはいえず、利欲的背景もうかがえない」と指摘。「2度にわたって殺人、死体損壊・遺棄の罪を犯し、犯罪性向があることは否定できない」と非難する一方、かつて否認していた99年の殺人について捜査段階で詳細に供述するなど心情の変化が見受けられるとして、「2度にわたり殺人を犯したが、矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない」とし、2008年の事件について無期懲役(求刑死刑)、1999年の事件について懲役14年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。 刑事訴訟法は二つ以上の刑を執行する場合、重い方を先に執行すると定めており、このケースでは無期懲役刑の執行が優先される。 ただ、10年以上の有期懲役は、確定から15年を経過すると執行できなくなるという規定がある。このため、法務省刑事局では「無期懲役刑の仮出所が可能になる10年を経過した段階で、一度、無期懲役刑を停止して懲役14年の執行を開始し、その刑期が終了した後、無期懲役刑を再執行する可能性が高い」と話している。 検察側と弁護側の双方が、量刑不当を理由に控訴した。 長岡裁判長は自白について、「自己満足を得るためにしたことで、真摯に罪と向き合う姿勢と評価することはできない」とし、「被告の反省や矯正の可能性が死刑回避に足り得ないとする検察側の主張は採用できる」と断じた。そして2008年の事件について、「殺人と死体損壊、遺棄を一連の行為として評価すべきだ」と指摘。「仮釈放後、5年8カ月で再び事件を起こした点を一審は著しく軽く評価している。強固な犯罪傾向が認められ、反社会性が著しい。他の死刑確定事案と比較すると、刑のバランスや犯罪予防の見地からも死刑をもって臨むしかない」と述べた。 | |
元コンサルタント会社役員だった野崎浩被告は1999年4月22日の女性殺害後、遺体をカッターナイフ等でバラバラにし、横浜市内のビルのトイレなど数ヶ所に捨てた。 野崎被告は都内のレンタカー会社から車を借り、料金を支払わず、約4ヶ月間にわたって車を使ったとして1999年9月に横領容疑で逮捕された。その取り調べで「女性が死亡したので、扱いに困って捨てた」などと供述。草加署が裏付け捜査したところ、東京都台東区内にある同被告の実家から女性の歯と髪の毛が見つかったため、2000年1月20日、死体遺棄・損壊容疑で逮捕した。 野崎被告は殺人について否認。他の遺体がほとんど発見されなかったことから死因を特定することができなかったため、殺人容疑を立証することできず、検察側は死体遺棄・損壊容疑で起訴した。 2000年4月14日、浦和地裁は懲役3年6月(求刑懲役5年)を言い渡し、後に確定。野崎被告は服役していた。 |
高柳和也 | |
39歳 | |
2005年1月9日 | |
殺人、死体遺棄、死体損壊、覚せい剤取締法違反(使用、所持) | |
姫路2女性バラバラ殺人事件 | |
兵庫県相生市の無職高柳和也被告は2005年1月9日、自宅和室で、交際していた姫路市に住む会社員の女性(当時23)と購入を約束していたバッグの資金などを巡って口論になり、ハンマーで頭を殴って殺害。騒ぎに気づいて別室から出てきた、女性の友人であり大阪市に住む専門学校生徒の女性(当時23)も殺害した。その後ノコギリで2人の遺体をバラバラにし、1月11日から16日の間に姫路市の飾磨港や上郡町の山中などに遺棄した。 高柳被告は女性二人が勤めていた店の客であり、会社員女性とは2004年12月に知り合った。高柳被告は資産家である旨うそをついて高額な買物をするなどしていた。専門学校生は会社員女性から「仕事を紹介する」と言われたため、1月7日に3人で会った。女性二人は高校時代の同級生だった。 高柳被告は1月31日に覚せい剤取締法違反(使用、所持)の疑いで逮捕され、起訴された。逮捕時、高柳被告の家には別の女性(当時19)が発見されており、女性は高柳被告に誘われ9日前から一緒にいた。 兵庫県警捜査一課は会社員女性と交際していた高柳被告の自宅から複数の血痕を検出。DNA鑑定の結果、女性二人のものと一致したため、行方について何らかの事情を知っているとみて高柳被告を追及。高柳被告は当初犯行を否認していたが、後に犯行を自供。4月17日、飾磨港から若い女性の骨盤や肩甲骨などの複数の骨が見つかった。そのうちの一つが、DNA鑑定の結果、2人のものと一致した。高柳被告は5月10日に死体遺棄容疑で逮捕、5月20日に殺人容疑で逮捕された。 | |
2009年3月17日 神戸地裁姫路支部 五十嵐常之裁判長 死刑判決 | |
2010年10月15日 大阪高裁 湯川哲嗣裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
殺人他の追起訴後に開かれた2005年8月11日の公判で、高柳被告は姫路市の女性殺害について「かみそりを持ってきた女性ともみ合いになり、とっさにハンマーで殴ったが殺意はなかった。そこを目撃した女性には殺意を持ったが、殴ったのは一度だけ」と殺意を否認した。 9月21日の公判で弁護側は、会社員女性の殺人について「殺意はなく傷害致死事件」とし、「相手が襲いかかってきたもので、正当防衛が成立する」と無罪を主張した。 その後、高柳被告は遺体を遺棄したとする詳しい場所などを示した上申書を提出。2007年2月21日の公判で証拠として採用され、五十嵐裁判長は「信用性は別として、壺根港の捜索をしてもよいのではないか」と述べた。検察側は「警察と相談の上、検討する」とした。兵庫県警は3月下旬に相生湾の壺根港を捜索し、頭部以外の人骨片数十個を引き上げた。県警のDNA鑑定の結果、骨は2人のものと分かり、6月5日の公判で検察側はDNA鑑定結果を提出した。 しかし、高柳被告が弁護団全員を解任したため、公判は長引いた。 2008年9月16日の論告求刑で検察側は「極めて自己中心的な残忍かつ悪質な犯行で、各遺族の処罰感情も極めて峻烈だ」と断じ、「殺意をもってハンマーで多数回、頭部などを殴打したのは明らか」と指摘。「他害的性向の根深さは甚大」とした。 11月18日の最終弁論で、弁護側は「犯行は計画性がなく偶発的だった。死刑は回避すべき」などと訴え、無期懲役刑で40年以上服役した例もあるとして死刑回避を求めた。弁護側は「被害者から金銭を要求され、もみあいとなり、とっさにハンマーで頭を一回殴った」と殺意を否定。もう一人は「犯行を目撃され、発覚を恐れて偶発的に起きた」とした。高柳被告は「二人に謝りたい。遺族に深い傷と悲しみを与えて申し訳ない」と謝罪した。 判決理由で、五十嵐裁判長は犯行動機については、「自分が資産家であるとのうそが発覚すれば報復されると恐れていたところ、女性から髪をつかまれたことで激高し、犯行に及んだ」と認定。「動機は極めて自己中心的。二人の尊い命が奪われ、結果は重大。罪を軽減しようと供述を二転三転させるなど、罪を償う意識が乏しい」と指摘。さらに「被害者らの受けた肉体的苦痛はもとより、恐怖感、無念さには想像を絶するものがある」などと述べた。また弁護側の正当防衛の主張に対しては、「(被害者が)カミソリで襲いかかった形跡はなく、殺害現場の跡などから二人の頭部をハンマーで数回にわたって殴るなど強い殺意が認められる」と退けた。また弁護側の偶発的な犯行という主張については、「計画性が認められないことを過大に考慮できない」と述べた。そして「犯行様態は極めて残忍で、凶暴かつ残忍極まりない。遺族の処罰感情も厳しい。犯行の重大性を真剣に受け入れようとせず更生の余地は乏しい」と断じた。 2010年2月3日の控訴審初公判で、弁護側は知的障害が判明したとして、心神耗弱を主張、精神鑑定を申請。さらに、2人の殺害順序が違うと主張する、被告自身が書いた控訴趣意書を提出した。さらに「突発的な犯行で計画性はなかった」とも主張した。公判には高柳被告も出廷した。これに対し、検察側は「いずれも理由がない」と控訴棄却を求めた。 後に精神鑑定は却下された。 判決で湯川裁判長は交際をめぐるトラブルがあったことを指摘し、「動機は理解可能で、犯行後、被害者に連絡を求めるメールを送るなど(生存を装う)工作もして証拠隠滅を図るなど犯行の社会的意義を理解していた。完全責任能力が認められる」と弁護側の主張を退けた。そして「確定的殺意に基づく残忍な犯行で、一審判決は不当とは言えない」と指摘した。 | |
本事件では、会社員女性の両親が姫路警察署に捜査願を提出したが、警察は全く動こうとしなかった。両親は知人から紹介された現職警官の巡査部長に相談。巡査部長は独自に高柳被告を発見し、姫路警察署にその後を託した。しかし2005年1月30日に高柳被告の自宅を任意捜査した姫路警察署員は、家の中に入るもすぐに帰ろうとした。女性の母親が部屋に入り、拘束器具や薬物、さらに血痕を発見。中にいた女性の意識が朦朧としていたことも含め、署員に訴えたが、署員はそのままその場を立ち去った。そのため母親は巡査部長を現場に呼んだ。巡査部長は高柳被告の口の中から覚せい剤の臭いをかぎ取り、追求し認めたため、所轄の相生警察署に相談して、ようやく高柳被告は逮捕された。しかしその後も、姫路警察署は両親にまともな対応をしなかった。さらに兵庫県警の捜査一課長は実際とは異なるのに被害者二人を風俗嬢と決めつけ、一部マスコミに情報を流していた。(一部報道番組より) 高柳和也被告は交通事故で、主婦とその娘を死亡させて実刑判決に処された前科がある。 専門学校生の父は高柳和也被告に慰謝料や逸失利益など約5000万円の損害賠償を求めた。2006年7月10日、神戸地裁姫路支部(田中澄夫裁判長)は、高柳被告に約3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。 |
沖倉和雄 | |
60歳 | |
2008年4月9日〜13日 | |
強盗殺人、死体遺棄、住居侵入、窃盗他 | |
あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 | |
東京都あきる野市元職員の沖倉和雄被告(当時60)は、マージャン仲間である東京都福生市の土木業伊丸岡頼明被告(当時64)と共謀。2008年4月9日午後8時頃、あきる野市の無職男性(当時51)宅にカギのかかっていない勝手口から侵入。在宅していた男性と、約2時間後に帰宅した姉の図書館職員女性(当時54)をナイフで脅して両手足を粘着テープで縛り、現金35万円などを強奪。翌10日午前1時頃、2人の頭に袋をかぶせて窒息死させた。2被告は13日に2人の遺体を長野県飯綱町の農地に埋めた。さらに、奪ったキャッシュカードで預金口座から計約526万円を引き出した。 また沖倉被告は4月10日、300万円を借りていた知人男性とその知り合い女性を立川市内の銀行に伴い、女性に殺害した女性を自分の姉と偽って姉名義の通帳3冊と印鑑を渡し、生年月日を伝えて全額を引き出すように依頼。しかし窓口で女性が生年月日を忘れて別人と見破られ、委任状がないとおろせないと断られて失敗した。二人は委任状をもらいに行こうと沖倉被告を促したが、沖倉被告ははぐらかした。二人は利用されただけで、事件には関係ない。 沖倉被告は2004年12月に市役所を退職後、スナック経営に失敗。賭けマージャンにより、2008年2月時点で約4700万円の借金を抱えていた。市役所の元同僚から資産家である姉弟の情報を入手。殺害して現金やキャッシュカードを奪う計画を立て4月1日、伊丸岡被告に持ちかけた。伊丸岡被告も会社や飲食店経営の失敗で約1700万円の借金があったため、会社を再興するためにまとまった金が欲しくて応じた。 沖倉被告は伊丸岡被告を誘う前にマージャン仲間3人に声を掛けたが断られていた。 姉の車が、最寄りの駅近くの駐車場に放置され、10日朝に弟を名乗る男が調布市役所に「姉は体調を崩して休む」と連絡していたため、警視庁捜査1課は姉弟が事件に巻き込まれたとみて捜査。自宅から血痕をふき取った跡や土足のような跡が見つかったほか、9日夜〜14日午後、マスクなどで顔を隠した男が複数のATMから計15回、姉弟の口座の現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像の分析から沖倉被告と伊丸岡被告が浮上し、4月21日に窃盗容疑で逮捕。伊丸岡被告の供述から2人の遺体が発見され、5月8日に死体遺棄容疑で再逮捕。5月29日に強盗殺人容疑で再逮捕した。 | |
2009年5月12日 東京地裁立川支部 山嵜和信裁判長 死刑判決 | |
2010年11月10日 東京高裁 金谷暁裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
公判前整理手続により、「犯行のいきさつ」と「犯行の主従関係」が争点になった。 2009年3月9日の初公判で、沖倉和雄被告、伊丸岡頼明被告はともに罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で、沖倉被告が市役所の元同僚から男性は資産家との情報を得て、元同僚らに犯行を持ち掛けたが断られたと明らかにした上で「金に困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と指摘した。 弁護側も冒頭陳述を行い、沖倉被告側は、沖倉被告が計画後1ヶ月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。伊丸岡被告側は、強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、「見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。 3月16日の論告求刑で検察側は「計画段階から沖倉被告が主導した。2人は遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には、明白な主従関係があり、求刑において考慮せざるをえない」と指摘した。沖倉被告について凶器や道具の多くを準備したことや、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点などを重視。「借金苦を免れたいとの動機に酌量の余地はなく、死刑以外の選択の余地がない」と指摘した。一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」などと述べ、死刑選択を回避した。 同日の最終弁論で沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は中身の薄い稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主犯になった。沖倉被告が、殺人を実行する決意がないうちに、伊丸岡被告が弟を殺害し、これに影響されて犯行に至った。検察官、伊丸岡被告がタッグを組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が一貫して主犯格で、被告は従属的立場だった。沖倉被告の供述は信用できない。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」などと主張した。 結審前、山嵜和信裁判長が「最後に何か言いたいことは」と尋ねると、沖倉被告本人は「私は人を殺しました。迷惑をかけました」と声を振り絞った。また伊丸岡被告は、「私が自供したのは有利・不利を考えたのではない」と改めて述べた。 判決で、山嵜和信裁判長は「両被告とも借金の返済に窮した犯行動機で、あまりに身勝手で酌量の余地はまったくない。(両被告に)死刑を選択することも考慮する必要がある」とした上で、それぞれが果たした役割や逮捕後の態度を検討。沖倉被告が殺害方法や死体遺棄の場所などを事前に決めていたことに触れ、「終始指導的な立場で、中心的な役割を果たした」と主導性を認定した。伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる一方「本来の責任は重く、一定の年齢にあることを考えると、仮釈放を許すことは適当ではなく、生涯、刑務所で罪の償いをさせるべきだ」と、異例の付言をした。 そして「被害者の恐怖や苦しみを想像すると戦慄を覚える。すべてを計画した上で凶器を用意し、何ら落ち度のない2人の命を奪った。あまりに身勝手で酌量の余地はない。遺族の処罰感情は峻烈。社会に与えた衝撃や不安も大きい。自己の責任を軽くしようとあいまいな供述をしており、真剣に反省しているか疑問だ。死刑の選択を避けるべき特別な事情はない」と厳しく批判した。 被告側は即日控訴した。 2010年8月9日の控訴審初公判で、弁護側は一審に引き続き伊丸岡頼明受刑囚が主導したと主張。「一審判決は重大な事実誤認や量刑不当がある」として死刑適用の回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。 9月6日の第2回公判で、沖倉被告が「被害者の人生をめちゃくちゃにし、手を合わせる毎日です」と謝罪し、結審した。 判決で金谷暁裁判長は「賭けマージャンによる多額の負債を返済しようとする利欲的な動機に基づく計画的犯行だ。冷酷、残虐で、何の落ち度もない2人の命を奪った結果は重大」と指摘。伊丸岡頼明受刑囚と比べ、沖倉被告は計画段階では主導的立場にあり、犯行時もほぼ同等の役割を果たしたとして、「共犯者に比べて負うべき刑事責任は極めて重く、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。 | |
結審までは移転前の東京地裁八王子支部で審理されている。伊丸岡頼明被告は同日、求刑通り無期懲役判決が言い渡された。控訴せず確定。 |
小川和弘 | |
46歳 | |
2008年10月1日 | |
殺人、殺人未遂、現住建造物等放火 | |
大阪個室ビデオ店放火事件 | |
大阪府東大阪市の無職小川和弘被告は2008年10月1日午前1時半頃、大阪市浪速区の雑居ビル1Fにある個室ビデオ店に、3日前に知り合った露天商の男性と入店。知人とは別の18号室でDVDを観賞後の午前2時55分頃、室内にあったティッシュペーパーにライターで火をつけ、持っていた知人男性のキャリーバッグ内にある新聞紙や下着などに放火した。店の天井や壁などに燃え移らせ、約240平方メートルを全焼させた。客の男性15名(25〜62歳)が一酸化炭素中毒により死亡した。客や上層階の住民、管理人など32〜77歳の男女10名が一酸化炭素中毒などで病院に搬送されたが、1人は意識不明の重体で、約10日後に死亡。また2人が重傷を負った。重傷者の中には、小川被告と一緒に来た知人男性も含まれる。出火当時、店内には客22人、店員3人がいた。 小川被告が放火した18号室は、南北に長い個室エリアの中央部分にあった。18号室より奥にいた被害者12人のうち、10人が個室内で死亡。仮眠中だったと見られる。残り3人は廊下で死亡した。逃げる途中だったと思われる。そのうち1人は、廊下の突き当たりにおり、暗闇で道を間違えたと見られる。また、18号室より手前だった被害者3人のうち、2人が個室内で死亡。1人が廊下で死亡していた。犠牲者の大半は、料金の安さからホテル代わりに利用していた。 小川被告は事件直後、現場に駆けつけた警察官に謝罪。「火を付けた。客が死ぬかもしれないのはわかっていた」などと自供した。大阪府警捜査1課浪速署捜査本部は午後、小川被告を逮捕した。 最終的に起訴された対象は殺人16人、殺人未遂6人(うち重軽傷4人)である。 小川被告は大手電機メーカーの下請け工場で働いていたが1993年に離婚。長男を引き取っていたが、長男は数年前に家を出たままになっている。2001年に希望退職。その後はほとんど就職もせず、退職金や同居する母の金で、競馬やパチンコ、遊興に明け暮れていた。2004年秋、母親の死亡に伴い遺産や実家の売却などで現金計約5000万円を得たにもかかわらず、借金100万円の返却、1500万円のマンション購入を除く3500万円をわずか2年間でギャンブルや遊興費に使い果たしていた。2007年には約600万の借金があったが、自宅マンション売却などで全額返却。しかし小川被告は2007年末から鬱病や心臓病で入院し、7月からは生活保護を受給していた。事件当時、約300万円の借金があった。 | |
個室ビデオ店が入っていたビルは地上7階建て、述べ1318平方メートル。面積約220平方メートルの1階にあった個室ビデオ店は、ほとんど窓がないため、消防法上の「避難上または消火活動上有効な開口部を有しない階(無窓階)」に該当していた。無窓階は地下階と同様、防災上の観点から設備面でより厳しい規制がかかるが、同店は非常ベルや自動火災報知機などを規定通りに設置しており、同法上の違反はなかった。しかし、同店は個室が並ぶエリアへの出入り口がひとつしかなく、廊下は約40mに渡る迷路のような状態であった。また改装前の1Fにあった排煙用の2つの窓は、客が料金を支払わずに逃げるのを防止する目的で、ビデオ店の経営者が石膏ボードでふさいでいた。また、ティッシュなどの消耗品や使用済みバスタオルを置くスペースがなかったため、個室エリア中央付近の通路に棚を据え付けて保管。個室から回収したごみ袋もこの場所に一時的に集めていた。市消防局が「避難時の障害物になる」と口頭注意したが、店側は改善していなかった。また出火当時の廊下は真っ暗で、非常用照明設備に不備があった可能性も指摘されている。ただし消防局によると、昨年5月に立ち入り検査した際、消火器や自動火災報知設備など消防法で定める防火設備は設置され、設備の点検・報告のミスや防火戸の不備など軽微な違反しか確認していない。また建築基準法で複数の出入り口の設置が義務付けられるのは、建物の2階より上の部分だけで、1階だった同店は適用外。スプリンクラーも、同店は設置が必要となる店舗面積以下で、窓については設置を義務付ける規定はない。 ビルの元所有者で、防火管理者でもあり、ビル6Fに住んでいた男性管理人は、出火後に鳴った火災報知器を、過去にもあったタバコの煙による誤作動と思いこんで切ったことが明らかになっている。このときにはすでに店内全体に火が燃え広がっており、客の死亡との因果関係はなかったという。消防法は設備の維持・管理や訓練の実施を求めているが、出火時の具体的な対応は定めていないため、法違反は問われていない。 総務省消防庁は2003年2月の通知でホテルや旅館のほかに、マッサージやレンタルルームなどのような(1)不特定多数者が継続的に宿泊(2)ベッド、長椅子など宿泊設備の設置(3)深夜営業――など「副次的目的で宿泊サービスを提供している施設」にも厳しい防火管理を求めたのに、大阪市消防局はこの個室ビデオ店に対し、店独自の防火管理者を置くよう指導していなかったことが判明している。市消防局は立ち入り検査の際、継続的に宿泊施設として利用されている実態をつかめず、一般事務所と同じ扱いにしていた。 大阪府警浪速署捜査本部は2009年9月30日、ビデオ店の経営者や入居先のビル所有者について、業務上過失致死傷容疑での立件を断念し、捜査を終結したと発表した。排煙設備の不備など法令違反はあったものの、放火によって火勢は一気に広がっており、経営者らが重大な結果回避義務を怠ったとまでは言えないと判断した。府警によると、(1)窓など排煙設備がない(2)非常用照明の不備(3)壁の決められた部分に燃えにくい壁紙を使っていない−の建築基準法違反が見つかった。しかし、出火から2分程度の短時間で、店の入り口付近まで燃え広がっていたことが判明。3点の不備がなかったとしても被害は防げなかったと判断した。 | |
2009年12月2日 大阪地裁 秋山敬裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
2011年7月26日 大阪高裁 的場純男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
小川被告は逮捕当時に「たばこに火をつけた」「寝ていた」と供述するも、すぐに「生きていくのが嫌になり、火を付けた」と容疑を認めていた。10月4日の弁護士との接見では、放火の動機と当時の行動について「自分としては1人で死ぬつもりだった。でも、煙で苦しくて、我慢できなくなり部屋から出てしまった」と明かしていた。 しかし小川被告が接見した弁護士に対し「夢の中のような状態だった。火を付けてから少しの間、記憶がない」などと心理的に不安定な状態だったことを話していたこと、さらに事件の半日前、奈良県内の宗教施設で幻覚作用をもたらすお茶を飲んでいたことも判明したため、大阪地検は刑事責任能力の有無を見極めるため、専門医に依頼して10月14日から簡易精神鑑定を実施。心理テストや問診などで、数日かけて小川容疑者の犯行当時の精神状態を分析した。「犯行当時、善悪を判断し、自分の意思に従って行動する能力があった」との鑑定を踏まえ、地検は小川容疑者に刑事責任能力があったと判断。大阪地検は10月22日、殺人と殺人未遂、現住建造物等放火の罪で小川和弘被告を起訴した。地検は物証などから放火の立証は十分可能と判断。殺人罪の適用についても、▽個室は狭く、ソファベッドなど多くの可燃物があった▽店内は実質的に窓がなく、通路も狭いなど脱出困難だった▽深夜で客が就寝していることを予想できたなどの客観的事実から明確な殺意があったと判断した。起訴内容は、他の個室にいた男性客22人のうち、16人を一酸化炭素中毒などで殺害、残る6人中4人に重軽傷を負わせた、としている。ほかにも店員や近隣住民計5人が負傷したが、殺意が立証できる対象は、個室内にいた客22人(うち死傷者20人)であるとした。地検によると、被害者数22人、死亡16人は、起訴された放火事件では過去最多という。 小川被告は起訴数日前から、「火を付けた記憶はない。キャリーバッグを持って入った記憶もない」と供述を変え、犯行を否認するようになった。 公判前整理手続きの結果、主な争点は▽火災原因は小川被告の放火か▽火を付けたとして、小川被告に客への殺意があるか▽逮捕直後の自白に任意性があるのか▽事件当時、責任能力があったか――とされた。 2009年9月14日の初公判で、小川被告は「放火はしていません」と無罪を主張。弁護側も「殺意を持ったことはなく、放火行為もない」などと述べた。 冒頭陳述で検察側は火災直後、小川被告がいた部屋のキャリーバッグから火の手が上がっていたとする客の目撃があったと指摘。「壁の焼損などから、小川被告がいた部屋が出火元なのは明らか。失火ではここまで燃え広がらない。店内の構造を熟知しており、火災発生も周囲に知らせず逃げた」と主張した。 一方、弁護側は「小川被告が利用していた部屋が火元ではない。もっとも焼損が激しいのは9号室であり、それは警察の実況見分調書に記されている。犯人は9号室の使用者である可能性が高い。自白は警察官の強要によるもの」と反論した。 検察側は、「小川被告が使っていた18号室が火元と推察される」とした大阪市消防局の検証結果を明らかにした。同市消防局は、燃焼状況などから火元の可能性がある場所を9号室を含む4か所に絞り込み、男性客の目撃証言をもとに18号室と特定したことを明かした。 17日の第2回公判で店員が証人出廷し、「小川被告の部屋でバッグから約80cmの炎が立ち上るのを見た。他の部屋では炎も煙も見なかった」と証言した。また現場の焼損状況を鑑定した大阪府警科学捜査研究所の研究員も出廷し、「一番よく燃えているのは別の部屋だが、炎の流れをさかのぼると、小川被告の部屋から燃え広がったと考えられる」と述べた。 18日の第3回公判で火災の第1発見者とされる男性客が証人出廷し、「廊下が焦げ臭かったので周囲を見渡すと、個室のドアが開いて小川被告が出ていった。部屋をのぞくとバッグが燃えていた」と証言した。9号室の客の男性も出廷し、「ドアのすき間から黒い煙が入ってきたので開けると、火が入ってきたので逃げた」と述べた。 10月1日の第6回公判では、起訴前日の2008年10月21日に撮影し、検察の取り調べに小川被告が否認する状況を録画したDVDが上映された。双方が証拠申請したものだが、弁護側は「自白に任意性がないことを示す証拠」、検察側は「自白は任意になされたものだ」と主張しており、同じ証拠を巡り立証趣旨が対立している。 9日の第7回公判で、秋山敬裁判長は、小川被告が放火を認めた供述調書など14通について、「任意性がある」として証拠採用した。 15日の論告求刑で検察側は、「焼損状況や証言から被告の部屋が火元なのは明らかで、失火も考えられない」と指摘。逮捕直後の自白は任意だったとした上で「自白によるまでもなく、火事になれば客の避難が困難になると認識しながら、自殺するために火を付けたことは優に認められる」とした。そして「起訴された放火事件では戦後最大の被害。動機は身勝手で、無責任な通り魔的無差別殺人が社会に与えた影響は大きい。突如強制的に人生に幕を下ろされた被害者の無念さは計り知れない」とした。 同日の最終弁論で弁護側は「被告の部屋を火元とする大阪府警科学捜査研究所職員や目撃者の証言は信用できない。出火元が別の部屋で、その使用者が真犯人である可能性がある。自殺する気持ちはなく、犯行の動機がない」などと反論した。 小川被告は最終意見陳述で、涙声で「本当に火をつけていない」と繰り返し、「やっているなら認めて死刑になる。自分だけ助かろうとは思っていない。言い逃れしているわけではない」と述べた。また、遺族3人が論告求刑に先立ち、悲痛な思いを陳述し、論告で検察側が犠牲者全員の経歴や遺族の心情を述べたことについて、「同じ人間として、聞いていてつらかった」と話した。 秋山裁判長は判決理由で秋山敬裁判長は、証言や現場検証の結果を基に「火元は被告がいた部屋で、失火は考えられない」と小川被告の放火を認定。「狭くて避難しにくい店舗の構造や、ほかに客がいたことを理解しており、放火すれば死者が出ると認識していた」と殺意も認めた。焦点となった供述調書についても秋山裁判長は「厳しい刑から逃れたいと思って否認に転じたとみられ、供述調書は信用できる」と弁護側の主張を退けた。その上で「自殺目的の動機は身勝手極まりなく、何の落ち度もない16人を殺害した残虐な犯行だ。放火を否認するなど、結果に真摯に向き合う態度に欠けている。最大限の非難に値し、生命をもって罪を償うべきだ」と述べた。 2010年11月30日の控訴審初公判で、弁護側は、炎の流れなどから火元を特定し小川被告の放火を認めた一審判決について「焼け方が一番激しかった別の部屋が火元」と反論。同被告の部屋から火が出ているのを見たとされる店員の証言も「目撃した位置の供述が変遷しており、信用性を欠く」と述べ、一審同様無罪を主張した。検察側は「主張は一審の繰り返し。判決は正当で誤りはない」として控訴棄却を求めた。 2011年4月26日の公判で弁護側は「放火を認めた自白は取調官の誘導があり、信用性はない」と改めて無罪を主張。検察側は「現場から収集された客観証拠と自白は整合し、一審判決に誤りはない」と控訴棄却を求めて結審した。 判決で的場純男裁判長は「捜査段階で放火を認めた供述や、被告がいた個室から火が出たとする目撃証言は信用できる。炎が流れた形跡や壁面などの焼損状況からも被告が放火したのは明らかで、ほかの客が死亡する危険があることも分かったはずだ」と述べ、殺意を認定し、無罪の主張を退けた。また、失火の可能性がなく、被告が店の外で「すいません」「補償します」と述べたという証言を踏まえ、「放火は事実誤認」との主張を退けた。供述調書の任意性についても「警察官が机をたたくなどして追及した可能性はあるが、脅迫的とまではいえない」と退けた。量刑を争う控訴審ではなかったが、的場裁判長は事件の重大性を考慮し、職権で量刑を検討した。被告が捜査段階の終盤で否認に転じて公判で放火を全面否定したことなどを挙げ、「個室ビデオ店が避難しにくい構造だったことが、多数の死者を出した原因の1つにあるが、それを承知で放火し、犯罪史上まれにみる大惨事を引き起こした。事件に真摯に向き合う姿勢が欠けており、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。 | |
犯行のあった2008年10月1日は、消防法施行令の改正により、カラオケボックスや個室ビデオ店、ネットカフェなどに自動火災報知機の設置が義務づけられた日だった。 事件後の10月1日、国土交通省と総務省消防庁は全国の自治体などに、類似店舗に対する緊急調査を指示。11月25日の結果報告で、個室ビデオやマンガ喫茶など計8574店のうち、3分の1以上の計3085店に非常用照明装置や排煙設備がないなどの建築基準法違反があった。また、計1028店が消防法に違反し、自動火災報知設備を設置していなかった。両省は違反店舗に是正を求めた。 2009年4月の消防庁の調査では、全国の個室型店舗8514施設のうち約4割で、消火器具や誘導灯が未設置など消防法上の違反が見つかっている。 被害者の1人である俳優の青木孝仁さん(当時36)が出演した映画「火天の城」(田中光敏監督)は、2009年9月12日より全国公開された。試写会には遺族も招待された。 |
小泉毅 | |
46歳 | |
2008年11月17日〜11月18日 | |
殺人、殺人未遂、殺人予備、銃砲刀剣類所持等取締法違反 | |
元厚生次官宅連続襲撃事件 | |
さいたま市の無職小泉毅(たけし)被告は元厚生事務次官とその家族を殺害しようと計画。2008年11月17日午後7時頃、宅配業者を装い、さいたま市に住む元厚生事務次官の男性(当時66)方を訪れ、男性と妻(当時61)を包丁(刃渡り約20cm)で刺して殺害した。死因はいずれも心臓損傷による失血だった。夫婦の遺体は18日午前、男性方を訪れた親類によって発見された。 小泉被告はさらに11月18日午後6時半頃、宅配業者を装い、東京都中野区に住む元厚生事務次官の男性(当時76)方を訪れた。印鑑を持った男性の妻(当時72)の胸などを包丁で刺した。妻はリビングや台所を逃げ回ったが、小泉被告が追いかけてきたため、さらに屋外へ逃げ出した。小泉被告はそのまま逃亡。妻は通りがかりの男性に発見されたが、約3ヶ月の重傷を負った。 小泉被告はレンタカーで千葉県浦安市まで移動し、元社会保険庁長官の女性とその家族を殺害しようと計画。宅配便を装い、女性の名を書いた送り状を張ったダンボールを準備し、18日午後8時過ぎに女性方近くまで行った。警備の様子はなかったが、家の中で警備しているかもしれないと思い、そのまま帰った。 埼玉県警と警視庁は、2つの事件に共通点が多いことから、19日に共同捜査本部を設置して連携して捜査を進めた。 小泉被告は11月22日午後9時20分、レンタカーで警視庁本庁舎北西側の内堀通り沿いに乗り付け、警戒中の機動隊員に「自分が事務次官を殺した」と出頭。小泉被告はすぐに身柄を確保され、麹町署に連行された。出頭の約2時間前、テレビ局のホームページに自首を予告していた。車にあったバッグの中に、血の付いた包丁など刃物10本が見つかったため、警視庁は銃刀法違反容疑で23日、逮捕した。さらに12月4日、2件の殺人と殺人未遂容疑で再逮捕した。都道府県をまたがる2事件を合わせて逮捕するのは異例。 小泉被告は事件の2年ほど前に東京都内のコンピューター関連会社を辞めさせられた後、インターネットを使った株取引で生計を立てていたが、事件当時数百万円の借金があった。 小泉被告は元厚生事務次官ら3人を殺傷した動機について、「34年前に保健所で殺された飼い犬の仇討ちであり、私怨から」と述べた。「元次官ら厚生官僚トップとその家族10人前後を殺害する計画だったが、警備が厳しくなって断念した」とも供述している。小泉被告は元厚生次官らの住所を、国会図書館にある職員録より取得していた。小泉被告の自宅からは、複数の厚生労働省の事務次官経験者の名前を書いたメモや、自宅に印の付いた地図が押収されている。 また元社会保険庁長官の女性を殺害しようとした動機については、「国民審査で罷免されるのが怖いから判事を退任したひきょう者。義憤にかられた」として義憤であると述べた。また小泉被告は逮捕直後から被害者の元次官を「マモノ」と呼び続け、「マモノを殺しても殺人罪ではない。無罪を主張する」と供述している。 さいたま地検は12月22日、小泉毅被告の刑事責任能力の有無を判断するため、さいたま地裁に約3か月間の鑑定留置を請求し、認められた。 2009年3月26日、さいたま地検は殺人他の容疑で起訴した。小泉被告の動機について、さいたま地検は「不可解さは残る」としているが、精神鑑定でも刑事責任能力を認める結果を得ており、公判維持は可能と判断した。 なおペットの処分を規定する動物愛護法を所管するのは環境省で、保健所を設置しているのは、都道府県や政令市などの地方自治体。厚生労働省(旧厚生省)は狂犬病予防法を所管するだけで、犬や猫の処分は保健所の判断に委ねられている。 また狙われた元社会保険庁長官の女性は2008年9月、任期を2年7ヶ月残して最高裁判事を依願退職している。しかし任期を全うしたとしても、東京地検は「客観的には国民審査の対象にならないタイミング。小泉被告の思い込みだ」としている。 | |
2010年3月30日 さいたま地裁 伝田喜久裁判長 死刑判決 | |
2011年12月26日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
公判前整理手続きで争点は▽東京都中野区で元厚生事務次官の妻を襲った際、犯行を途中でやめて逃走したことが、刑の減軽や免除を定めた刑法43条の「中止未遂」規定に当てはまるか▽警視庁への自首を理由に刑を減軽すべきか――の2点に絞られた。 2009年11月26日の初公判で、小泉被告は起訴内容を大筋で認めたうえで、「あくまで無罪を主張する。私が殺したのは人間ではなく、心の中の邪悪な魔物。邪悪な魔物が作った狂犬病予防法という法律が毎日たくさんの罪のない犬を殺している」などと声を荒らげた。 検察側は冒頭陳述で、小泉被告は、飼っていた犬を保健所に殺処分されたと考えたことや、数十万匹の犬や猫が毎年殺処分されていることなどを知り、「厚生省が保健所を所管していると思い、恨むようになった」と指摘。「多数の厚生事務次官経験者を殺害して死刑になって人生を終わらせ、動物の命を粗末にすれば自分に返ってくることを思い知らせようとした」と動機を説明した。 弁護側は冒頭陳述で、なぜ事件を起こしたのかということと、捜査段階での精神鑑定結果も「重要な争点」と指摘した。 弁護人は、初公判終了後に開いた記者会見の冒頭、小泉被告から「きちんと報道してほしい」という強い要望があったとして手記を配布した。 12月14日の第2回公判で、11月18日に襲われた女性とその夫が出廷し、極刑を訴えた。小泉被告を鑑定した精神科医は「事件当時、精神障害はなかった」と証言。動機について「愛犬を処分されたことに収斂させるのは適切でない」と述べた。 12月15日の第3回公判で、殺害された夫婦の長男と次男が出廷し、極刑を訴えた。 12月16日の第4回公判における被告人質問で、小泉被告は犯行について「飼い犬を殺されたあだ討ちだった」「私怨によって多くの魔物を殺すことを考えていた」などと供述した。元次官宅を襲撃した理由については、「最初は誰を殺したらいいかわからなかったが、中学のころ、保健所が厚生省の管轄だと習った記憶があったから」と述べた。判決の見込みを尋ねられると、「1000%死刑と思っている」とする一方、「無罪を主張しているので、無罪以外は上訴します」と答えた。弁護側は閉廷前に「小泉被告は妄想性障害の可能性があり、起訴前の鑑定は不十分。責任能力を争う」と精神鑑定を請求。これに対し、小泉被告は「私は心身共に正常。精神鑑定は無意味」と反論した。 12月18日の第6回公判で、伝田喜久裁判長は、弁護側から請求されていた小泉被告の精神鑑定を却下した。 2010年1月13日の論告求刑で、検察側は「人生の最期に大きな達成感を得たかった。自己の正当性を訴え、人生に幕を下ろそうとした無差別殺人。前代未聞の凶悪事件で、およそ人間の所業と思えず、命をもって償わせる以外にない」と指摘した。 2月10日の最終弁論で弁護側は「飼い犬のあだ討ちという動機は理解できない。妄想性障害のため、心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張。自首が成立している点などを強調し「死刑の選択には疑問がある」と訴えた。 小泉被告は最終意見陳述の冒頭で「私は事件当時も今も、心身ともに健康な健常者」と強調。事前に用意したメモを見ながら「官僚は身勝手な理由を付けて動物を虐待する法律を作っており、万死に値する」と、これまでの主張を繰り返した。 判決で伝田裁判長は主文を後回しにし、判決理由の朗読から始めた。 争点の一つとなった中止未遂規定については、小泉被告が女性に対し、治療を施さなければ死亡してしまうほどのけがを負わせており、積極的な防止措置をとらなかったことから退けた。争点の一つである責任能力について伝田裁判長は、「計画は周到かつ綿密で、違法性を十分認識したうえで合理的に行動した」などとして完全責任能力を認めた。さらに「長期間下調べをし、襲撃対象者を確実、効率的に殺害するため、念入りに計画を立て、公判でも自己の行為の正当性を主張し続けた」と指摘した。 「飼い犬のあだ討ち」との動機については、「論理自体は特段の飛躍が見られず、了解は可能」としたが、「愛犬をどれだけかわいがっていたにせよ、重大事件を起こす事を正当化できない」とした。さらに、小泉被告が公判で述べた「殺したのは人ではなく、心の中が邪悪なマモノ(魔物)」などとする無罪主張を、「被告独自の見解で採用できない」と退けた。 自首した点についても「正当性を訴えるため当初から計画されており、社会不安や捜査の必要性は何ら減少していない」として自首による刑の減軽を認めず、「被害者らを『マモノ』と呼んで冒涜し、今も元次官らに殺意を持っていると表明しており、更生する意欲は全く見せていない。罪質、計画性、悪質性、社会的影響の大きさなどからすれば、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。 2011年4月27日の控訴審初公判で、弁護側は一審に続き、心神喪失か耗弱だったと主張し、死刑回避を求め再鑑定を請求した。弁護側は(1)動機(2)平素の行動(3)一審判決後の心境―の被告人質問を請求。安井裁判長は、動機については「一審で取り調べ済み」と退けたが、被告が「こんないいかげんな裁判で私を殺すのですか」「忌避する」「控訴を取り下げる」と発言したため、弁護人と協議して対応を決めるよう促し閉廷した。 9月7日の第4回公判で八木正一裁判長は、弁護側が請求していた再度の精神鑑定を「必要性がない」として却下した。 10月28日の第5回公判で弁護側は、「愛犬のあだ討ち」との動機は理解不能で、妄想性障害などの可能性があり、責任能力を認めた一審の判断には誤りがあると主張。そして「利欲目的の犯行ではなく、量刑は不当」と死刑回避を求めて結審した。 判決で八木裁判長は、八木裁判長は「『34年前にいなくなった愛犬チロのあだ討ち』を動機とする小泉被告の主張には筋道において特段飛躍はなく了解できる」と指摘。完全責任能力があるとした起訴前鑑定を踏まえ「長期間にわたり周到かつ綿密に計画を立て、公判でも病的な妄想の存在を疑われる兆候はない」と述べた。動機については、「被告は行政への不満などから元官僚らの殺害を自己目的化し、司法の場で犯行を誇示しようとした」と指摘。小泉被告が主張した「34年前に殺処分された愛犬の敵討ち」については、「公判で無罪を主張する計画の中で、口実として(動機を)脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」と述べた。さらに「犯行の準備を用意周到に進める中で行為の違法性を認識し、制御する能力も備えていた」と述べ、死刑の量刑判断についても「冷酷かつ残虐で、計画性の高さも際立った犯行。遺族らの処罰感情は峻烈を極め、被告には反省や更生の意欲がうかがえない。被告は被害者らを侮辱する言動に終始しており、極刑は回避できない」などと指摘した。 | |
殺害された男性は1999年、重傷を負った妻の夫は1990年に厚生次官を退官。1985年前後には上司と部下の関係で、基礎年金制度の創設に尽力している。そのため事件当初、2007年から明らかになった年金記録問題に絡めた厚労行政に不満を持つ者の犯行の可能性があるとして、連続殺傷事件が発覚した11月18日以降、各警察署が歴代厚生労働省(旧厚相)、元次官、社会保険庁長官経験者や厚生労働省現役幹部の自宅などを24時間体制で警備した。通常は現役の副大臣や政務官、事務次官でさえ護衛官(SP)が付かない。小泉被告が再逮捕され、単独犯で明らかになった以後は、警戒レベルが引き下げられ、警戒態勢も段階的に縮小された。 小泉被告が被害者らの住所を図書館にある職員録で調べたと供述したことを受け、都立図書館を管轄する都教育委員会は2008年11月26日、中央(港区)、日比谷(千代田区)、多摩(立川市)の3館で旧厚労省職員の住所などが記載されている平成7年版以前の「厚生省名鑑」の閲覧を一時的に禁止すると発表した。他の省庁の職員名簿や著名人の名簿などについてもコピーを禁止するなどの措置を行う。同様の措置は全国の自治体の一部でも実施された。都立図書館では、2009年3月1日より制限付きで閲覧が認められるようになった。 また厚生労働省のホームページでは事件後の11月19日より幹部名簿約350人分が削除されていたが、12月4日より再掲載された。 |