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 取材が進み終わりに近づいてきたころ、「今日のインタビューをどうするんですか」と田村さんに尋ねられた。「まず、新聞に載せます。そして本の材料にします」と答えた。そして「決して興味本位の内容にせず、いまの田村さんの思いをストレートに伝えること」を約束した。「原稿ができたら見せますか?」と尋ねると「いや、いいですよ」と答えた。それが田村さんらしい、思った。
 思えば田村さんは甲子園で準優勝した瞬間から、世間に注目されるという重荷を背負うことになった。その後も高校野球に関わったうえに「磐城高校=田村」という印象が強く、どこに行っても「あの小さな大投手」という代名詞で呼ばれた。それは田村さんの人生に重く大きくのしかかった。強い光を当てられたぶん、同じぐらいの影が生まれたのだった。それは、本人でなければ理解できないことだと思う。
 「監督になって選手たちを甲子園に連れて行っても、自分の方が注目され、スポットライトが当たってしまう。それが選手たちにもうしわけなかった」と田村さんは言った。
 純粋な野球バカが道を踏み外してまったこと、世間的にはそれが肯定されるものではない。田村さんも、自らがしてしまったことを背負ってひっそりと生きている。だが、田村さんの野球に対する稀有な指導力を社会のために使う、というのも一つの道ではないのか。
 一緒に話を聞いた須永さんも「世間が許してくれるような真摯な生き方ができるようになれば、一肌脱ぎたい。あのままにしておくのはもったいないし、もうひと花咲かせて名誉挽回の道筋を敷いてやりたい」と話していた。
 かつて、高校野球を通して多くの市民を勇気づけ、誇りを与えてくれた田村さん。その復活の日が来ることを粘り強く待ちたい。



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