ナマステ。
栗城です。
今、ABCに無事に降りてきました。
プジャ塔の前で、シェルパと栗城隊全員が待っていて、
皆の前で崩れるように大泣きをしてしまいました。
泣くことだけは我慢していたのに、
全身の力が抜け、感情が一気に爆発してしまいました。
でも倒れないように、
必死に、両足に力を入れていました。
今、ヤフー、HP、ブログ、ガジェットなどから届いた、
全てのメッセージを読みました。
そして、みなさんとの繋がりを感じ、
逆に応援され、心の灯を消さないことを硬く誓いました。
9月22日。朝を迎える。
目の前に大きな山がある。
山はとても冷たく、
心も体も全てが迎える状況にならなければいけない。
でも今の僕は力が半減している。
泣いても何をしても状況は変わらない。
ただ、モンスーンが27日にあける。
それまでは登らないといけない。
自然界にも時間切れがあるのだ。
4日分の荷物を背負うのだが、
ザックを背負った時に自分の調子がわかる。
登頂よりも無事に帰るだけも奇跡だと。
天候もよく、順調に高度を上げていく。
7700mに近づくとグレートクロワールが良く見える。
核心部分は尿道結成と呼ばれる岩(NDK)を、
どう乗り越えるかだ。
ちなみに尿道結石は勝手に僕が名をつけました。
肝心なところが詰まっていて痛そうだから。
8200mラインで岩を超え、
200mもある雪壁を越え、
そして、無酸素状態でのビバーク。
今では沢山の人が、
酸素とシェルパの助けで登っているエベレストだが、
本来人間が登るべき山ではないのだと思ってしまう。
9月23日。
朝の森下副隊長の無線で目を覚ます。
風は強く、自分のテントが軽く宙を浮くような感じがした。
傾斜が強いところに無理やりテントを張ったのだが、
ポール2本だけのテントで、よく一晩を過ごせた。
SPO2は57%。
体に酸素は行き渡っていなく、
手も足も思うように動かない。
とにかくもっと寝ていたい。
ヒマラヤでの行動には強い意志が必要だ。
ここから先、1キロ程の距離をトラバース(横に移動)して、
クロワールに入る。
そこからNDKを突破すれば、頂上へ王手だ。
強風の中、7000m級の山々が眼下に見え、
濃い青い空が見える。
僕はここを本当に歩いていいのだろうか。
生命の居ない場所に自分がいれることが奇跡に思える。
いったい何m進んだのだろう。
目的地の岩が見えるのだが、体が思うように進まない。
いや、時間も空間も全てがスローモンションだ。
雪は深く、突然自然に体が沈みかけていく。
それでも体を前に持っていく。
意志が自分の体を前に引っ張っていく。
こんなに自分の体は重かっただろうか。
空間も体も全てが止まり始めた。
タイミングが悪いことに、
腕時計の電池がなくなっていた。
森下さんからの無線で時間を聞くのだが、
自分がいつ何時に何をしているのかわからなくなってきていた。
ただ、あの奥にある岩の部分に行かなければ、
全ては始まらないことだけは知っていた。
夕方17時。
太陽が上ではなく、横にきていることに気づいた。
あと1時間もすれば目的の岩につくだろう。
しかし、進んでも進んでも近づかない。
森下副隊長から引き返した方がいいとの無線が入る。
ノースコルにいる撮影隊のおかわり君が、
望遠レンズで距離を測る。
「横180m縦100m。夕暮れまでには間に合いません。」
僕は何度も距離の測定をお願いした。
目の前に見えるのにそんなに距離があるのだろうか。
しかし太陽はもう横ではなく、下に向き始め、
エベレストが赤く夕日に染まり始めた。
「生と死の分岐点です。もう迷うな。」
森下副隊長から「死」という言葉が出てきた。
「一度、C2に戻り、体力を回復させて明日行こう。」
しかし、それは嘘だということはすぐに分かる。
C2に引き返したとしても標高が7700もある。
無酸素で体力が回復することはない。
エベレストの単独・無酸素のアタックは1度しかないのだ。
引き返す、ということ。
それは「敗退」を意味する。
しかし、太陽は沈み、手と足の感覚がなくなってきた。
「C2に戻り、明日挑戦します。」
そう言いながら涙を流し、脚を来た方に向けた。
自分の登ってきたトレース(自分の足跡)を必死に探していく。
風が強く、そして夕暮れが視界を奪っていく。
太陽が沈みかけた時、死を感じるようになった。
生中継ができなくなり、
登山というものに意味を見出せなくなった自分に、
更に登頂という希望もなくなった今、
暗闇の中で自分の終わりを感じた。
心の灯は消えたのだ。
時間の感覚はなくなり、雪壁に座り込み、
何もできないでいる自分がいる。
こんなに自分は冷たかったのか。
無線が何度か聞こえてくるが、何を言っているのかわからない。
無線を聞いているうちに、
「生きて帰らなくては」という思いが出てきた。
しかし、時間の感覚はわららなく、
C2への距離が遠いことがわかった。
生きて帰りたい。
登ることよりも大切なことだ。
僕は森下副隊長に無線で、
10分おきに時間を教えてくれと頼んだ。
それから10分後に森下副隊長の声が聞こえる。
「生きてこそチャンレジです」
ブログやHPに来ているメッセージが聞こえてくる。
生きてこそ。
生きてこそ。
ABCにいるシェルパの声も聞こえてくる。
ただ、僕は返答する力は無い。
でも心の灯は消してはいけない。
無酸素のせいなのか。
ヒマラヤの夜が寒いのか。
どんどん視界は無くなっていき、
自分のトレースは完全に消えた。
星が明るく、
このまま星の仲間に入れないだろうかと考えはじめた。
それでも無線は聞こえてくる。
無線が聞こえるたびに無意識に脚を出していく。
前の前に星が見えるのだが、その星は左右に動き始め、
そして徐々に近づいてくる。
体は寒く、何も食べてないのに嘔吐だけをした。
でも嘔吐をすると呼吸をしているようで、
まだ生きている感覚がする。
C2に近づいたころ、星は僕の目の前にきた。
それは救助のために向かってきてくれたシェルパの一人だった。
お湯を口に入れられた時、胸が熱くやけどしそうだった。
そして、無線でシェルパと合流したことを告げた時、
無線の置くから、ABCの歓声が聞こえた。
僕はまだ、生きている。
仲間がいて、一緒に夢を共有する人がいる。
今、6400mのABCで休養をして、
軽く食事をとれるようになった。
7700mに居る時は別の世界があり、
手も足も自分の意志で動く。
生きているからこそ挑戦できる。
ミスターチャレンジャー栗城史多は、
生きていないとチャンレンジができない。
ただ、今はチャンレンジどうこうよりも、
こうして仲間と語り合い、生きていることに感謝だ。
そして、消えかかった心の灯は、
小さいながらも静かに暖かく光り始めている。
僕は、決してあきらめない。
ナマステ。
写真集の栗城さんは、つらい無酸素登頂なのに
笑顔が素敵で、ユーモアたっぷりで、すっかりファンになりました!
今回はつらい決断をされたようですが つД`)・゚・。
世界一の頂上でまた、タイガーマスクしている栗城さんw
見れることを祈ってます!