かんごのブログ

のんびりやるつもりだったのに。

kurodakangoの投稿
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          自然の摂理  
 

春先になると、筍やらフキやらつくしやらワラビやらスカンポやら

冬の間に溜め込んだ毒素を排出するための野草、山菜がたくさんできる。

私の田舎の生活での定番はスカンポだった。

田舎では「ボコン」と呼んでいた。

山に登って秘密の場所で取って来たボコンを塩をつけてもりもり食べる。

繊維質の塊だから、翌朝には巨大なウンコが生み落とされる。

それで私の体は冬の垢を落として、春から夏への身軽な体へと変化していく。





ボコンはスイバ、スカンポ、イタドリなどいろんな呼び名があるらしい。
一日で急激に伸びる。太った若いのが美味しい。





もう一つ私がすきなのは、つくしの佃煮である。

よく一人でつくしを取りに行っては

「おかあさん、これ」と言って調理してもらったものだ。

ほろ苦いのがいい。

苦味は身体を引き締めてくれる。

最近の研究では、つくしは花粉症の予防になるらしい。


夏になると身体を冷やすような食べ物ができる。

瓜とかスイカ、トマトになすにレタス。

南国でとれるくだものにも身体を冷やす作用がある。

秋になると魚も動物も体に脂肪をまとう。

秋刀魚は秋の終わり頃がおいしい。

野にはたっぷり脂肪ののったクルミなどの木の実ができる。


それは寒い冬に備えて、少し脂肪をつけるためである。

だから秋から冬にかけてはダイエットなんて考えずに、少し太めなほうがいい。


自然の摂理は巧くできている。

ただ、これだけでも私達を生かしている何者かの意志を感じとれる。

それはこの宇宙の大親分の意志なのだ。

                    (キリスト教では自然啓示という)





            時計仕掛けのオレンジ

西欧において、16世紀まで宗教と科学は不可分のものだった。
科学はキリスト教、錬金術、哲学などの総合知識の一部であった。
自然の摂理への洞察は、すなわち神の意思を探る事であり、それはスコラ哲学以来、13世紀のトマス・アキナスの『神学大全』に集大成を見ている。

『神学大全』は今日読んでも面白い本である。
そもそもトマス・アキナスが影響を受けたアリストテレス哲学自体が、薬草学、医学、動物学などを含む膨大な科学(当時の)体系であった。

しかし自然科学の発達にはかかる宗教や哲学の干渉から切り離される必要があった。

ガリレオの「それでも地球は回る」と言うつぶやきに象徴されるように、キリスト教の権威が科学の発展を、その狭い知見によって迫害、排斥するようになった時、科学はこれらの宗教権威から独立しなければならなかった。

そのために役に立ったのがデカルトの理性論スピノザの機械論的宇宙観であった。
かれらは、宇宙は大きな機械のようなものだと見なしたのである。宇宙の全情報があって、法則性が分かっていれば、宇宙の終わりまで予測できると彼らは考えた。しかしなんと間違っていた事か!

20世紀の後半、ミクロの世界の研究は不確定原理の登場を促した。
CGユングは『シンクロシニティー理論』を唱え、ルパート・シェルドレイクは『形態形成因果説』を唱えた。ホーキング達はビックバンの前に何が存在したのか?考え初め一部の物理学者は『人間原理』説を唱えるに至った。

すなわち、一度宗教から分離した自然科学が再び宗教へと回帰しているのである。

すなわち、科学は今、パラダイム・シフトを経験しているのだ。


デカルトやスピノザの機械論的宇宙観はキューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』のテーマでもある。
唯物論的社会主義は機械論的社会を造ろうとしたからである。
しかし瑞々しく豊けき心が、機械論的社会に反抗するのは当然であると言える。


20世紀の自然科学は「科学が発達すれば、人類は幸福になる」という幻想を振りまいていた。
この幻想は多くの人の心に宿っていたように思う。
科学万能主義という幻想である。
なるほど科学の発達は人類の幸福に不可欠ではあるが、それだけで人が幸福を築ける訳ではないのだ。

だからこそ、宗教が必要なのである。





   トマス・アキナス━文明は出会い、衝突し、そして融和する


上の記事でトマス・アキナスの事を少し書いた。
ついでだから彼について少し知識を広げておこう。


トマスは1225年、十字軍戦争の真っ最中に生まれた。
以下、ウイッキーからの抜粋である。
赤字は私。


トマスは南イタリアの貴族 の家に生まれた。母テオドラは神聖ローマ帝国 ホーエンシュタウフェン 家につらなる血筋であった。生まれたのはランドルフ 伯であった父親の居城、ナポリ王国 ロッカセッカ 城であると考えられている。

              <略>

こうして5歳にして修道院にあずけられたトマスはそこで学び、ナポリ大学 を出ると両
親の期待を裏切ってドミニコ会 に入会した。ドミニコ会は当時、フランシスコ会 と共に
中世初期の教会制度への挑戦ともいえる新機軸を打ち出した修道会であり、同時に
新進気鋭の会として学会をリードする存在であった。家族はトマスがドミニコ会に入るのを喜ばず、強制的にサン・ジョバンニ城の家族の元に連れ帰り、一年以上そこで軟禁されて翻意を促された。初期の伝記によれば、家族は若い女性を連れてきてトマスを誘惑までさせたが、彼の決心はゆるがなかったという[2]
ついに家族も折れてドミニコ会に入会を許されている。

当時、ドミニコ会は生まれたばかりで、いわいる今日の新興宗教のようなものだった。だから家族も反対し、トマスを拉致し、長らく監禁したのである。
家族は美しい女性を送り込み、性的関係にして出家を諦めさせようとしたのである。
しかしトマスはこの誘惑を退けるだけでなく、家族達を次第に感化してついに協力者にしてしまった。
彼のすばらしい人格を教えるエピソードは様々だが、次の文章にあるように非常に温厚だが、高い知見とカッコたる信念をもっていた。
こうして彼は中世最大の神学者と呼ばれているのである。

1269年 再びパリ大学神学部教授になり、シゲルス を中心とするラテンアヴェロエス派や、ジョン・ペッカム を中心とするアウグスティヌス派と論争を繰り広げる[5] 。同時代の人々の記録によるとトマスは非常に太った大柄な人物で、色黒であり頭ははげ気味であったという。しかし所作の端々に育ちのよさが伺われ、非常に親しみやすい人柄であったらしい[6] 。議論においても逆上したりすることなく常に冷静で、論争者たちもその人柄にほれこむほどであったようだ。記憶力が卓抜で、いったん研究に没頭するとわれを忘れるほど集中していたというそしてひとたび彼が話し始めるとその論理のわかりやすさと正確さによって強い印象を与えていた。

          (略)

トマスは会う人すべてに強い印象を与えている。彼はパウロ アウグスティヌス と並び立つ人物といわれ、「天使的博士」(Doctor Angelicus)と呼ばれた。1319年 にトマスの列聖 調査が始められ、1323年 7月18日 アヴィニョン の教皇ヨハネス22世 によって列聖が宣言され、聖人にあげられている[9]
1545年 トリエント公会議 。議場に設けられた祭壇の上には二つの本だけが置かれていた。一つは聖書、そしてもう一つはトマス・アクィナスの『神学大全 』であった


                 『神学大全』
 さて、ウィッキーによる『神学大全』の解説を読んでみたが、いまいちなので私が簡単に解説しよう。


十字軍は東西の文化・文明の交流を促す事になった。
当時、オリエントのイスラム教徒はアリストテレス哲学を吸収し発展させていた。
これが十字軍によってヨーロッパに紹介されると神学と哲学における大きな混乱が生じた。
なぜならアリストテレス哲学は、極めて多くの真理を含む、一個の巨大な哲学体系だったからである。
それは、神を頂点とし、薬草学、天文学、動物学などを含んでいた。


これに対しては次の2つの立場が存在していた。
①アリストテレス哲学を無視する(保守派)
②アリストテレスを受け入れ従来のスコラ哲学を捨てる(革新派)


我らのトマスはどちらの立場も取らなかった。
彼はアリストテレス哲学を吸収し、従来のスコラ哲学をより高い次元で説明しうる一個の体系へと昇華させたのである。


ところで20世紀、トマスの時代と同じような事が、より高次に起こっている。
それはキリスト教と東洋思想との本格的な出会いである。


A・トインビーが述べているようにこの出会いは、人類史上でも有数な文明レベルの衝突なのである。

ゆえに、トマスの時代と同様に、東洋思想を吸収し、キリスト教をより高い次元に昇華させる体系的神学、哲学の登場が求められているのである。

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