 苦難を乗り越えた高部知子の生き方、加護にも参考になる(クリックで拡大) |
誰も“前例”があるというのに、触れないので敢えて触れる!!
1999年夏、「生きているだけでめっけもん」(モッツコーポレーション製作+愛育社)と名付けた“元祖喫煙タレント”高部知子の告白本を私がプロデュースした。その16年前の83年。人気絶頂のアイドル、15歳の高部を嵐の中に巻き込んだ“ニャンニャン事件”が起きた。たった数枚の写真が関わったすべての人の運命を変えた…。
ベッドに寝転がる少女!! 慣れない手つきで指の間にはさむ1本のたばこ。そして、数年後にはニャンニャン写真に一緒に写っていた少年H君が自死…。
高部の高校の同級生で、その本名「佳世」と呼び合う親友だった岡田有希子の自殺…。
高部は本の中で、「19歳の時に私の左腕には一生涯消えない五本の傷跡が残っています(略)。ニャンニャン事件から私の人生の何かが変わった。そして、H君と佳世の自殺で私の心の中にできた暗闇に光が差し込むことはありませんでした…」と書いた。
高部は1967年生まれ、既に四十路を越えた。80年、NHK銀河ドラマ「ガラスのうさぎ」で主役に抜擢され、一躍脚光を浴び、その後の「欽ちゃんのどこまでやるの!」(テレビ朝日)に出演し、「めだかの兄弟」が大ヒットし、アイドルの道を歩む。
ドラマ「積木くずし」(TBS)の不良少女役で女優として有望視された矢先に、ニャンニャン事件で活動を休止。翌84年、復帰したものの、90年に引退した。そして、2度の離婚をへて、心臓に疾患を持つ2人の女児を女手ひとつで育てながら、98年末に復帰した。99年には「オブジェ・ダ・ムール」(モッツ出版)という奇妙奇天烈前代未聞の性器ピアス写真集を出して、「子供の養育費」に充て、自らある有名大学の通信課程に入り直し、数年かけて卒業した。
そして、今彼女は「生きているだけで、めっけもん」を地でいく様に、肝っ玉母さんぶりを発揮。踏まれてもたたかれても、たくましく生きている。
昨年末、私は元モー娘。加護亜依の母親に写真集の依頼をしに奈良の実家に行った。
加護ママは「高部さんの告白本を探しているのよ…」と私に告げた。
私は間髪を入れず、手元に1冊だけ残る保存用の資料を送った。
私の突然の訪問は、格好の標的になり、私と加護ママの写真がスキャンダル誌の年始の巻頭スクープに載った…。
私は謹慎と自戒の意から、加護ママとの連絡を絶った。四半世紀に渡る元祖未成年喫煙タレント、高部知子の生き方は、加護亜依には“いいケーススタディー”になるはずだ。
これを乗り越え、言い訳をせず、生き抜いている高部の愛唱歌は、「ひとりでも私は生きられる けど でもだれかとならば人生は はるかに違う…」と歌う中島みゆきの「誕生」だ!!
心臓に疾患を持つ高部の長女は、高部のスキャンダルまみれだった15歳に今年なる。
「生きているだけでめっけもん」だよ、加護ちゃん!!
(出版プロデューサー)
高須基仁の“百花繚乱”独り言=http://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji
ZAKZAK 2008/04/10