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あらためて「功徳って何だろう?」

全国の方が突然ここのコメントが読めなくなるというトラブルが起こり、スワッ、サイバー攻撃か?!と身構えましたが、グーグルのブログ故の不具合だったようです。みなさま大変ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。多くの方がWINDOWSのIEでブラウズされているため、あちらこちらでコメントが表示できないとかフリーズしてしまうなどのトラブルが発生した模様です。とりあえず原因がわかってほっとしました。ただ、緊急避難的にこのFC2さんに引っ越しては来ましたが、なにぶん勝手がわからず、お世話になっていてあつかましいですが居心地悪いです(笑)。個人的な好みもあるでしょうけど、とにかく広告があるのが耐えられないんです。
。引っ越しのやり方もなんとかわかりましたし、少し落ち着いたら広告のないすっきりした場所にサイド引っ越そうと思ってます。今後ともよろしくお願いします。
ひとつお詫びをしなければなりません。このブログをFC2さんへ移した時に、なぜかコメントされた方の名前がのきなみクロさんと希望さんの名前に入れ替わってしまいました。もう私の方ではどうにもできません。とくにクロさんと希望さんには大変申し訳ないのですが、どうか見過ごしてやってください。お願いします。
ということで、今日はこのゴタゴタであまり仕事にならなかったので、これから徹夜で仕事です(笑)。

しかしまあ、今回はほんとにサイバー攻撃を受けたときにどうするかということがわかりました。勉強になります。そして多くの方がこのブログをガッチリ守ろうとしていただきました。ほんとに心強いです。ありがとうございました。ほんとに一人じゃないって思いました!
 
この騒ぎで、先の「功徳って何だろう?」が薄れてしまったので、ここからもう一度始めるために、ここに再度アップさせていただきます。ここはひとつ仕切り直しってことで、よろしくお願いします。
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創価学会員のみなさん。「功徳」って何だろうって、もう一度あらためて考えてみませんか。
私は学会のおかしさに気づいてから、功徳ということばがどれだけ滑稽なものかを感じます。多くの学会員は「功徳」につられて信心を始め、「地獄に落ちる」という言葉で学会から抜けられなくなります。信心したおかげで病意が治った。信心のおかげで貧乏から抜け出した。私も子どもの頃からそんな話をさんざん聞かされて育ちました。信心すれば、もっといえばお題目を唱えるだけでどんな夢も叶う。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」などと御書の中のいろんな箇所を引っぱり出しては、とにかく何も考えなくていいから信じていきなさいという。信心してもしなくても、人生にはいいこともあれば悪いこともあります。なのになぜか学会では入信した途端いいことは信心による功徳であり、悪いことは信心が足りないことになる。どんなときもです。幹部は会員のそうした一喜一憂を功徳と信心が足りないのどちらかで済ませてしまいます。つまり「余計なことは考えなくていいから、学会活動に励みなさい」結局幹部が言うのはこれだけです。会員はそれを真に受けます。さらに近頃は功徳は「信心のおかげ」ではなく「先生のおかげ」になっています。いいことすべては「先生のおかげ」であり、することすべては「先生のために」が合い言葉です。どこかの将軍様とひとつも変わらないですよね。
昔、私が若い頃勤めていた仕事場の同僚がネットワークビジネスにはまったことがありました。「ちょっと話があるんだけど家に行っていいかな」から始まりました。私も別に断る理由はなかったので、軽い気持ちで彼が来るのを待っていました。結局簡単に言うと「一生遊んで暮らせるビジネスをしないか?」ということでした。「これだけのことをやるだけで、孫の代まで遊んで暮らせるんだ」ということです。「今度そんな暮らしを実現している凄い人が来るから、話だけでも聞きに来ないか」と言うんです。どこかで聞いたような話でしょ(笑)。「僕はね、君の幸せを思って誘っているんだ」「ここでほんの少し頑張れば、あとは素晴らしい人生が待っている」「ほら、こんなにたくさんの人が入っていて、みんなで楽しくやってるよ」「僕もね、最初はそんなうまい話があるわけないだろと思ってたんだけど、実際にこれをやってる人たちは、ものすごい財産を築いてる。それも最初に数人の友だちを誘うだけで、あとは何にもしなくてもその友だちがまたその友だちを誘って、その人たちが稼いだ利益が全部自分のものになる仕組みなんだよ。これは驚いたね。友だちに健康にいい食品や素晴らしいキッチン用品を勧めるだけで、あとは何もしなくてもどんどんお金が舞い込んでくる。夢のビジネスが目の前にあるんだ。その利益はたとえ自分が死んだとしても、自分の子どもたちに入って来るんだよ、ありがたいよね、凄いだろ。」やはりどっかで聞いた話です(笑)。そのとき私は友人として止めるべきだったのかもしれません。しかし彼はまさに欲に目が眩んでしまって「僕はこの夢のようなビジネスに人生をかけてみるよ」という始末。結果は案の定でした。もちろん私はそんな口車には乗りませんでしたが、つきあいでいろんな健康食品やキッチン用品を買いました。商品はどれも粗悪なものでした。トマトすら切れない包丁やバカ高いフィルターをしょっちゅう交換しなければならない浄水器。ほんとに効果があるのか分からないサプリメント…彼ばかりではなく、それまで会ったこともなかった彼の家族までがどかどかと自宅に乗り込んで来ては商品を売りつけに来ます。30万円ほどは買ったでしょう。そのうち彼はそのビジネスを辞めました。私に何も言わなくなりました。辞めたことすら言いませんでした。まあ、それはそれでよかったのだと思います。
それから10数年後に、別の友人が彼とは別のネットワークビジネスにハマりました。私は以前の友人のことがあったので、「君とは今まで通り友人としてつきあっていきたいから、僕の前ではネットワークビジネスの話をしないでくれ」と言いました。彼は約束を守ってくれました。そのうち彼もネットワークビジネスから足を洗いました。以前の友人と同じで、そうとう損をした結果のようでした。
ネットワークビジネスがあれだけ社会問題として世間を騒がしていたにもかかわらず、なぜ彼らはハマっていったのか。それはまさに欲に目が眩んでまわりが見えなくなるんですね。「一生遊んで暮らせる方法」を目の前にちらつかせる。実際に億万長者になったほんの一部の人の体験談のパンフレットを読ませる。話を聞かせる。自分もこんなふうになりたいと思ってしまう。それはそっくりそのまま創価学会の折伏にあてはまります。学会はそれこそ「功徳」ということばの魔力によって多くの会員を獲得しました。「これをやれば夢のような人生を送ることができる」「これをやれば不治の病も必ず治る」といった甘い言葉で会員を増やしていく手法はネットワークビジネスとひとつも変わりません。
ご存知のようにネットワークビジネスで実際に利益を上げるのは、上層部のほんの一部だけです。上にお話しした友人のようにほとんどの人が犠牲となります。つまりもともとこの犠牲を目的としています。会員は多くの自分の顧客(会員)を獲得することで組織の上部に昇進することが出来ます。逆に昇進しなければいつまでも自分で商品を仕入れて売り続けなければなりません。会員の多くは昇進を目指してビジネスを続けますが、結局とんでもない量の在庫を抱え込んで破綻します。一定期間に販売実績を確保しなければ上には上がれない。だから売れもしない商品を自腹を切ってでも仕入れて数字をあわせることで現状をキープするのです。来月もその次の月も同じように…ということで、いつのまにかビジネスではなく自分自身がネットワークビジネスの餌食になっていることに気づかない。それは欲に目が眩んでいるから現実が見えなくなってしまっているんですね。ほんの一部の億万長者を掲げることで、そこにたどり着けるよう一心不乱にビジネスに駆け回る。あの遠慮のない異様な姿はほんとうに創価学会員によく似ています。こうした何も知らされずに狂ったように働く末端会員の犠牲をほんの一部の上層部が吸い上げて巨万の冨を独占するシステムがネットワークビジネスであり、それはそのまま創価学会の「功徳」による集金システムでもあります。
もうひとつ創価学会によく似たことをやる集団がいます。「あなたは先祖を粗末にした罰で病気になった。このままではあなたの子どもまで長くは生きられない。でもこの印鑑を買えばすばらしい先祖供養ができて、家族共々幸せがやってきます。はい30万円」「どうやらあなたの曾祖母がとてもひどい死に方をして成仏できないでこの家に災いをもたらしています。でも安心してください。この壷を買って玄関に飾っておけば、すべての災いを跳ね返してくれます。はい200万円」こうした霊感商法に引っかかる人が今でも絶えません。わけのわからない不安を煽って恐怖心を植え付け、そこにつけ込んで法外な高額商品を売りつける。この手口もどこかで聞いたことがありますよね(笑)。創価学会員がみんな口にすることば「地獄に落ちる」。会員さんの多くはほんとうにそれを信じています。私もそうでした。毎日行なっている朝晩の勤行を何かの理由でできなかった日に、ちょっと悪いことが起こると「あ、勤行さぼったからかもしれない」と思ってしまう(笑)。それくらいならまだ可愛いものですが、子どもが大きな病気にかかってしまったとか、連帯保証人になって他人の莫大な借金をかぶってしまったとか、そんなこともみんな自分の信心が足りなかったからなんだと思い込まされて、ますます学会活動に励みます。それでいくら折伏や新聞啓蒙をやり、全財産を財務に貢いでも何も事態は変わらない。当然です。たとえ疑問を抱いたとしても幹部は「仏法は道理だ。仏法に背けば地獄に落ちるのはあたりまえ」そんな言葉で脅しに脅してなんとか学会に留まらせる。こうした精神的な脅しは完全に暴力です。いまどき他人にそんなことを言えば普通に訴えられます。ここにコメントしてくださる方も、この精神の暴力に耐えられなくて脱会できないでいた場合が多いようです。創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます。
このように創価学会はネットワークビジネスと同様の「功徳」と、霊感商法と同様の「精神の暴力」によって末端会員からお金をすいあげてきました。こんなわかりやすいシステムが内部にいるとわからなくなるんですね。これがMCの恐ろしいところです。要は人間の心の弱さにつけ込んで、どこまでもお金をしぼりだしていく。それだけの集団です。創価学会は世界の平和や文化とは無縁の非合法な営利集団なのです。
53年間、創価学会員であるこの私がはっきりと言います。
創価学会の信心による功徳なんかありません。
功徳欲しさに信仰にすがりつく姿は、欲に目が眩んでネットワークビジネスに明け暮れる人と同じです。
学会活動をやめても地獄へ落ちません。
私はこの2ヶ月間、勤行唱題目を全くしていません。でも悪いことは何一つないばかりか、以前より仕事も順調で家庭も円満です。
創価学会員のみなさん。ここに寄せられる多くの学会員の体験や思いを、この「功徳」と「精神の暴力」といった観点から、もう一度見直してみてはいかがでしょうか。自分が日々行なっている信仰は、単に「功徳」と呼ばれる甘い汁欲しさのためではなかったろうか。そして信仰に背くことに対して異常なまでに恐怖心を抱いてはいないか。はたしてそれが信仰と呼べるものなのかどうか。もしかしたらとんでもないネットワークビジネスと霊感商法の餌食になっているんじゃないか。一度でいいですからそうした視点でここに寄せられる多くのコメントを読んでみてください。きっと自分のやってきたことの本当の姿が見えてくるかもしれませんよ。
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コメント

[C284]

シニフィエさん、今回はコメント閲覧できずどうしたものかと思っていました。
私はPCでは閲覧できなかったけどスマホからはできていました。
単なる不具合で良かったです。

私も半年前位から勤行せず、三唱だけ。今年7日脱会する事を決めてからは三唱もしなくなりました。子供も全くしていません。
何も悪いことは起こっていません。
それよりとても気持ちがすがしがしいです。
もう脱会するんだ、学会と私は関係ない、本当の素の私でいられる、偽らない何も隠すことのない私でいられると思うととても嬉しいのです。
子供の時は学会反対の父の顔色を見ながら隠れて勤行娼題をし、
学会員であることを心の中で後ろめたく思っていました。
大人になっても周りの人たちに
学会宣言はなかなかできませんでした。
職場の責任者はアンチ学会で
なぜか学会員のお客さんは変な人ばかりで要注意人物として印
つけて誰が書類を見てもわかるようになっています。
学会幹部も要注意人物でした。
そんな状況では自分が学会員だと口が裂けても言えません。
どうしてお客さんの学会員が見るからに変な人たちなのだろう、個性が強すぎるのかなとも思っていました。
思い返せばバリバリの地区婦人部長は自営業が上手くいかず持ち家を手放し、
次の地区婦人部長も同じく自営業が破産し家を手放し、公営住宅に転居しました。
本人たちはそれでも幸せなのかもしれないけど端から見たらどうみても幸せには見えません。
母はボロアパートで1人暮らし。
「精神は自由だ!」と言っていますが
子供が愛想つかして寄りつかず寂しいといってました。
先生について行く!と言っていますが先生は何をしてくれるのでしょう。
母が哀れです。
功徳と言われるものがもらえることよりささやかでもいい、
幸せを感じることや、穏やかな気持ちを持てることが大事なのではないでしょうか。
新聞啓蒙やF取りに躍起になるより自分の好きな事、趣味などに打ち込んだり家族と過ごす時間を大切にする事が
人生を豊かにするのではないかなと
思い始めています。
子供に早く脱会しようと催促されているので
予定より早く脱会します。
また、報告します。
今日の新聞、地方版は、青年部の決意を載せていました。
相変わらず勝利しますだの、前進しますだの、先生にお応えしますとかで、いつもと同じ言葉の羅列でした。自分で考える事を放棄した人たちが本当に可哀想になりました。

  • 2012-01-13 22:20
  • eri
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[C285]

レモンです。
ブログの引越し、お疲れ様でした。
心配していましたが、とりあえず安心しました。

『功徳』・・・自己満足だと思います。なにかあると、『お題目しかない』だの、『お題目が足りない』だの。
一生懸命な人ほど、酷い形相していますよね。そして、次から次へと、『魔』が襲ってくる・・・。更に、『お題目しかない!もっと!もっと!』冷静に考えて、おかしいでしょ。MCの極みですね。そういう人達は、他人に対して、『折伏』し、功徳の押し付けをしてきます。せめて、MCは、ご自分だけにして下さいな。
私の仕事仲間の女性のことですが、少しお話しますね。
同じ仕事仲間の男性を、違う件で休みの日に呼び出し、そのまま会館へ連れて行き、入決カードに記入させました。普段からその男性は、あまり強く自分の意見を言えなく、正反対に、その彼女は普段からズケズケと物を言う方です。彼女曰く、「この信心をしない人は、2012年から不幸になる」と、ガンガン言ってたそうです。本尊流布の数字が欲しいんでしょうけど、「功徳」は「苦毒」のほうが、漢字として正しいようですね。私は、その男性に正直に自分の考えを話しました。池田カルトの話も全てです。一人、救った気持ちになりましたが、その彼女との戦いは避けて通れないかもしれません。
  • 2012-01-13 22:40
  • レモン
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[C286] eriさんへ

eriさん、言葉からすがすがしさが伝わってきます。私も気づいてからは急激に学会が見えてきました。いかに今まで何も見えないでいたかが猛スピードでわかってきます。突然目隠しを外されたような感じです。それまでは目隠しをされていたことさえ気づかないのですから、そのギャップの大きさに毎日が驚きっぱなしでした。
私には同居はしていませんが高齢の母がいて、今でも変わらず信心しています。もう入信60年です。もう認知症が次第にひどくなっていて、今さらこの信心が間違いだったなんて言えません。言ったところで理解できないし、たとえ理解したとしても苦しむだけです。いろいろと考えた末、ほんとうに残念なのですが、母には最期まで隠しておこうと思っています。母親にしてみれば子どもたちが幸せであればそれ以上の幸せはないのだと思います。20年前に亡くなった父親ともども、私の両親の人生は何だったのか、こればかりは考えるたびに怒りがこみあげてきます。圏幹部の兄夫婦とはいずれ話し合うことになるでしょう。話し合うと言ってもどこまで話が通じるのかわかりません。お互いもういい年なのですから、それぞれの意思を尊重しあうべきなのですが、私が脱会するなどと言おうものなら縁を切るぐらいのことは言うでしょう。やはり「ご本尊に祈るしかない。お題目をあげて考え直せ」としか言わないでしょうね。悲しいですが兄弟とはいえ思考停止している人間とは対話さえできないと思います。すみません、なんか愚痴ってしまいましたね(笑)。とにかくeriさんは気持ちの整理ができて本当によかったですね。おめでとうございます。こうなったら一日も早く脱会してしまったほうがいいと思います。また報告まってますね。
  • 2012-01-14 00:12
  • シニフィエ
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[C287]

シニフィエさん、こんばんは。
お引越しがこんなに早まるとは!!ビックリですね。落ち着かれたご様子で安心しました。

功徳も仏罰も存在しません。
生きていれば体調も崩すし、事故に遭うこともあるでしょう。それが生きているってことなんですよね。
家族に向き合えば、子供は応えてくれる。
仕事に向き合えば、成果が見えてくる。
これは、功徳なんかじゃなく「努力」です。
祈っても知恵なんか湧いてこない。大事なのは考えて経験し糧とすることだと思います。

私たちは、考えて話しましょう。
それこそが最大の武器だと思います。

お仕事頑張ってください。
  • 2012-01-14 00:25
  • SJ
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[C291] レモンさん、SJさんへ

レモンさん、SJさん、コメントありがとうございます。
先ほどからお返事を投稿しているのですが、エラーばかりでてうまくいきません。しばらく様子を見てからまた投稿します。
よろしくお願いします。
  • 2012-01-14 02:08
  • シニフィエ
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