弟のようにかわいがっていた故津田恒実さんと同時の栄誉に「一緒にもらえて、本当にうれしい」と相好を崩した。
直球一本で勝負した津田投手と、タイプは対照的。130キロ台の球速で、歴代18位の通算213勝を積み上げたのは、制球力のおかげだ。「150キロを投げていたら、野球をなめていた。いまの自分はなかった」と振り返る。
転機は18歳の春、キャンプ初日だった。3年春の九州大会で完全試合を達成し、ある程度の自信を持って足を踏み入れたキャンプのブルペンで、先輩投手の速球に圧倒された。制球で勝負するしかない、と決意した。
投球練習の最後は、必ず外角低めで締めくくった。プロで覚えたスライダーを生かすために、シュートを身につけ、内角の使い方を会得した。
本拠地の広島市民球場は狭かったから、セ・リーグ最多被本塁打記録も持つ。しかし勝率は6割超。当時の主砲、山本浩二さんは「守りやすいし、打つ方にもリズムが出た。北別府が先発した試合、ぼくはすごく打った」という。針の穴を通す制球力は、チームの勝利にも直結していた。
実家が農家で、趣味は土いじり。自身のブログでも「家庭菜園便り」が人気だ。「手をかけると成長が見えるのがいい」。今後は今も奔走している少年野球の指導で「野球に恩返ししたい」という。成長を見られる喜びは、通じるものがある。【冨重圭以子】
【略歴】鹿児島県出身。76年宮崎・都城農高からドラフト1位で広島入り。19年で通算213勝141敗。沢村賞2度。
毎日新聞 2012年1月14日 0時34分