官邸の5日間(連載第12回)
朝日新聞朝刊に連載中の「プロメテウスの罠」の本日(2012年1月14日)掲載分を以下に引用します。
■官邸の5日間:12
手伝ってくれないか
日本の基礎科学研究の最先端を行く理化学研究所の横浜研究所。
15日午後1時ごろ、研究推進部長の生川浩史(いくかわ・ひろし)が自席の電話を取った。菅直人からだった。
生川は文部科学省の官僚。2009年、菅が科学技術政策担当相(副総理兼務)だったときの秘書官を務めている。
「久しぶり。ところで君の専門は原子力だったよね」
「え? 私はウチューですよ、宇宙工学」
「……とにかく大変なことになっているんだ。手伝ってくれないか」
タクシーで来た生川を菅は執務室に招き入れた。間もなく菅の母校・東京工業大学原子炉工学研究所の有冨正憲(ありとみ・まさのり)(64)や斉藤正樹も着いた。菅の依頼を受けた東工大学長の伊賀(いが)健一(71)から協力を要請された。
菅は、個人ルートで呼び寄せた科学者たちに、こういった。
「正しい情報がタイムリーに入ってこないんです。水素爆発だって、原子力安全委員会の班目さんは『起きない』と言っていた。なのに爆発は起きてしまった。保安院や原子力安全委以外にも、色々な意見を加味して判断したい」
2号機の危機が収まらないのに、今度は4号機の使用済み燃料プールの温度上昇という問題が加わっていた。
「統合本部に行って、気づいた点があれば教えてください」
菅の要請を受けて、有冨らは夕刻、この日東電に設置されたばかりの統合本部に入った。
翌日から、有冨らは専門的な対応策を菅に助言し続けた。生川は菅が退陣するまでの約半年間、統合本部に詰め、作業状況などを携帯で即座に菅にメールした。
15日は、菅の個人的な人脈が機能し、動き始めた日だ。この日、菅は統合本部の事務局長に首相補佐官の細野豪志を任命した。細かい対応を細野に任せ、指示があれば細野を通じて発した。
菅は津波被害への対応は官房長官の枝野幸男らに託し、原発災害にかかりきりになった。にもかかわらず、事態は菅が打つ手の先を走っていく。爆発、放射能の拡散……。危機は次々にあふれ出し、広がった。
最高責任者は首相であり、菅には一切の責任を背負う責務がある。だが、根底には官僚組織の機能不全が横たわっていた。
震災当日の3月11日に戻ってそれを見てみよう。(木村英昭)
(引用終わり)
>「正しい情報がタイムリーに入ってこないんです。水素爆発だって、原子力安全委員会の班目さんは『起きない』と言っていた。なのに爆発は起きてしまった。保安院や原子力安全委以外にも、色々な意見を加味して判断したい」 原子力ムラは、だれひとりとして、水素爆発を予見していなかったのは事実です。(参照①②)まあ、原子力ド素人が原発を運転して、管理していたんだから、事故して当然なんですね。福島第一原発事故は、起こるべくして起こった「人災」です!
> 翌日から、有冨らは専門的な対応策を菅に助言し続けた。生川は菅が退陣するまでの約半年間、統合本部に詰め、作業状況などを携帯で即座に菅にメールした。
原子力ムラが「つかえない」人たちだらけだから、菅前総理は母校・東工大に専門的な対策を求めた。突然降って沸いて出たような、浜岡原発停止やストレステストもその中に含まれるのではないかとわたしは邪推していますが、どうでしょうか?
>菅は津波被害への対応は官房長官の枝野幸男らに託し、原発災害にかかりきりになった。にもかかわらず、事態は菅が打つ手の先を走っていく。爆発、放射能の拡散……。危機は次々にあふれ出し、広がった。
しばらく、菅前総理が表に出て来ず、枝野氏が表に出ていたのはこのためだったようですね。わたしは、政治家で一番事態が見えていたのは、菅前総理だと信じています。彼以外の政治家はみんなプラントからの撤退を容認していたのですから。
参照
①2011年8月17日当ブログ記事:こんなド素人集団が原発を動かしていた!(怒)
②2011年8月17日当ブログ記事:原発ムラは皆、原子力ド素人!!
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