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☆ブログ更新☆ 大王製紙事件に思うことです
年末年始に、色々なことがあり、
依存症者が助けをつかむことの難しさを憂いています

依存症は不思議な病気です。
病気なのに、治療すれば必ず回復する、
それなのに治療を拒み、多くの依存症者は死を選ぶ・・・

この悲しい現実を変えていく私たちでありたいと思います

さて、本日は、このブログには珍しく、社会問題を取り上げたいと思います。
このネタ、書くことをずっと躊躇していました。
しかし、やはり私は書かなくてはならないと思い始めました。

それは、昨年世間を騒がせた「大王製紙事件」
元会長が、巨額の会社の資金をカジノに投じたあの事件です。

何故このネタを書くことを決断したか
それは、この依存症に関わる人々の中で、
この問題で一番良く彼の気持ちが分かるのは、
私と、私の夫だと思うからです。

これを書くには、私たちのダーティーな過去に触れねばなりません。
しかし、ビックブックに忠実に考えるなら、
「どんな過去にも意味があり、
それを生かすことこそが、人生の価値である」と信じ、
本日、書くことに決めました

どうか読者の皆さま、私の反社会的な時代のお話をお読みください。
もし、このことで、読者の皆さまが私を軽蔑するとしても、
私は、そのことを受け入れようと思っています

今から約15年ほど前、私は東京は上野で、
非合法カジノに約3年間勤めていました。
職種はフロント係でした

もちろんそこは換金ありの、違法カジノで、
風営法の許可店でしたが、法令を全く守ってはいませんでした。

当時の私は、毎月カジノのお給料や、あぶく銭で、
月100万円位のお金は貰っていました

その上、昼間はOLをしていたので、
普通ならお金には全く不自由しない暮らしが出来たはずです。

ところが、カジノに勤務するようになり、
私は、カジノという賭けごとの魅力に取りつかれ、
ギャンブル依存症となっていきました。

カジノのお客様は、中小企業の社長さんや、老舗の商店主、
税理士さんや、会計士さん、お医者様、
水商売の方々、中には普通の勤め人の方々もいました。
そして私たちのようなカジノ関係者

私は、夜中2時に、カジノ勤務を終えると、
ほぼ毎晩、錦糸町や新宿、浅草、小岩、赤坂、六本木、などなど
ありとあらゆるカジノに行き遊んでいました

今、振り返ってみても、勝って帰った記憶は殆どありません。
一度だけ、最後の5万円が、80万円まで勝ち上がったことがあり、
その記憶だけは鮮明に覚えています

それなのに、私はカジノ通いがやめられませんでした。
夫や、従業員仲間が「今日はやめとく」という日でも、
一人で出かけていったこともあります。

カジノに出入りし始めた頃、最初のベットは2000円でした。
おっかなびっくりやってみたのはバカラ。
日本でいえば、おいちょかぶのようなものです。
約5万円ほど使って、負けて帰ったことを覚えています。

その時は「あぁ5万円も使っちゃって馬鹿みたい」と思いました。
しかし、あっという間に、5万円など、一張りに使うようになりました。

バカラをやる時は、「絞り」と言って、
カードを開けるのをわざと時間をかけてじらすのですが、
この緊張感の時が、たまらなく興奮するのです。
頭の中がしびれるような感じ。
殆ど細かい記憶は忘れていますが、
あの絞りの時の、じ〜んとなる緊張感は今でもまざまざと思い浮かびます。

ほんの1,2分の緊張感のために、5万も10万も賭けていました。
負けがこんでくると、やけくそになり、
それこそ一張り、1本といって20万円を賭けていました。

しかし、今では大金だと分かりますが、
そんな私なんぞ、カジノの世界では小物も小物でした。
大きなハコで行われている「大バカラ」は、それこそ一張り数百万。
1本と言えば200万円を差すのです

とてもそんな大勝負のテーブルには座れませんが、
やっているのを見たことは何度もあります。

それだけの大金を一晩で使えるわけですから、
私も含めて、カジノの客は決して貧乏な人たちではありません。
むしろとても裕福な人たちです

お客さんの中には、日経新聞に載るような有名な社長さんもいました。
ですから、大王製紙の社長さんが、カジノ通いにはまったと聞いても、
全く不思議はありません。

何度も言いますが、カジノのお客さんは、皆さんお金持ちでした。
けれども、本当にまさにあっという間に、落ちぶれて行きました。
一体、何人のオーナー達が「あの社長飛んだよ
と噂されるのを、聞いたかわかりません。

あるホテルオーナーは、一晩に500万1000万と使い、
羽振りの良い所を見せていました。いわゆる太い上客です。
ところがある日、役員の皆さんが、お店に押し掛け、
「社長、帰りましょう」と強制的にお店から引っ張り出しました。

そしてフロントに立つ私に、
「もう2度とうちの社長を入れないでくれ。
あんたたちも困ることになるよ
と一喝し帰って行かれました。

そう、皆さんお金になんか困っていない、
そして人の上に立つことも出来る優秀な人たち
私たちカジノ関係者は、そういった社会性はありませんでしたが、
私たちもまたお金になんか全く困っていませんでした。

そして、勝つことなんか殆どないカジノ。
けれども、私も3年間、全くやめることができず、
毎月の収支は火の車で、賭け金以外は何も使わず、
洋服は真冬でも短パンにTシャツ、すっぴんで髪も伸び放題で、
ファッションなんぞ全く構ってなんかいられませんでした

どれだけ、もうやめよう、バカバカしい、
当時はまだ未婚でしたけど、夫と
「バカラは馬鹿らしい」などと、
自虐ネタのダジャレを言っていました

私たちは、自分に甘い人間でもありませんでした。
それこそ朝から晩まで働きずくめで、
寝ないでカジノに行っていました
仕事はとにかくきっちりやっていました。
その他の贅沢も一切しません。
6畳一間のマンションに4人で住んでいた位ですから

でも、自分で自分の身をどれだけ苦しめようとも、
カジノ通いを決してやめることができませんでした。
やめれば、ゆっくり寝られるし、贅沢も手に入る、
でもでも絶対にやめられなかったのです。

大王製紙の元会長さんの行為は、
普通の人には決して理解されないでしょう。
もしかしたら、一発逆転を狙っていた、
ギャンブラーにも理解されないかもしれません。
「それだけお金があるなら、俺はやらない
と思うかもしれません。

でも私には、はっきりと分かります。
あの大王製紙の御曹司 井川意高元会長に必要なのは、
懲罰などではなく「治療」なのです。
あの方には、「治療」が絶対に必要なのです。

今、世論は、決して「治療」へは向かっていません。
「甘ったれ」「愚か者」という評価が殆どです。
けれども、これはもしかしたら、我々ギャンブル依存症に関わり、
この病気と闘い続けているものにとっては、
大きな転機となるのかもしれないと思い始めています。

これだけ大きな事件なのだから、「病気の概念」を社会に伝える、
とてつもなく大きな機会なのではないかと思うのです。
私たちの施設の名前なんか出なくて構わないのです。
でも、「ギャンブル依存症という病気の概念」を、
社会に知っていただきたいと願っています。

私は、あの事件になんとかして、メッセージを届けたいと思っています。
情状証人にも立ちたいです。
でも、弁護士でもなければ、地位も名誉もない、ただの人の私が、
一体どうすれば、メッセージを届けられるのか皆目見当がつきません。

ですから、こうしてブログに書いて呼びかけることにしました。
どうか、読者の皆さま、私のこの願いをのせたブログを、
出来るだけ拡散して下さらないでしょうか。

私のブログは、更新するとタイトルがツイッターに連動されます。
ツイッターをなさってる皆さま、
どうか今日のブログをリツイートして下さい

何かが出来ればいいなぁと思っています

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posted by: 管理者 | - | 02:24 | comments(1) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2012/01/14 6:07 AM |









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