2011-02-18 20:28:13

大粒の涙~父親の父親~

テーマ:*父のこと母のこと

お店を大きくしたり

店舗数を増やしてはいましたが


改装や新店をオープンさせるための資金は

銀行から借り入れるわけで


父の会社は

常に自転車操業状態にありました



見た目の華やかさとは裏腹に

生活は常に苦しく


お給料が半分しか入らない月

3分の1しか入らない月

全く入らない月

ざらにありました


家賃 年金 健康保険・・・


払いきれず

どうしようもなく途方にくれる母の姿に

小さい頃のわたしは

本当は気づいていました


母は知らないと思うけど


母は 今のわたしと同じ歳で

わたしを生みました


だからかな

ものすごく悲しいです

つらかったと 心細かったと思います




それでも美容師という職業は

お客様に美しさを提供する仕事だから


父も母も 身なりやファッションには

相当気を配っていました

(母は美容師ではないけれど 美容師の妻という立場で)


だから わたしたち家族が生活に困っているなんて

きっと 誰ひとり気づいていなかったんじゃないかと思います




そんな苦しい生活だったにもかかわらず

父は わたしと弟を何不自由なく育ててくれました


『やってみたい』

と言ったことは何でもやらせてくれたし

大学にも進学させてもらいました


お雛様も X’masツリーも

お誕生日プレゼントも

X’masプレゼントも

大きなケーキも

毎年かかさず用意してくれたし


家族旅行にもたくさん連れて行ってくれました






― そこには 父の固い決意がありました





父親の父親(わたしの祖父)は

残念ながら あまりちゃんとした人間ではありませんでした


それが原因で

父は若い頃から ずっとずっと苦労してきました


父はとても手先が器用な人で

当時かなり難関だった

東京の美大へ進学が決まっていました


猛勉強の末の合格だったそうです


大学に行かせてもらうことは

父と祖父との一生に一度の約束でした


ところが 入学の前日

父親(祖父)から突きつけられた言葉は

若かった父の夢を 粉々に打ち砕きました





「実は入学金全部使ってしまったから 大学には行かせられなくなった」





この時 父は実の父親と縁を切りました


美大を諦め 美容師の道へ進み

母親(祖母)の生活を支えながら 必死に生きました


そして わたしが生まれたときに誓ったんです



この子には

決して自分と同じ思いはさせない 




わたしは祖父に会ったことがありません


でもわたしが生まれたことを

風のうわさで聞いて

贈り物が届けられることがありました


皮肉なもので

父の器用さは祖父から受け継いだもので


贈り物はどれも

精巧な手作りの 木のおもちゃでした


こんなぬくもりのあるおもちゃを作れる人がどうして・・・

と悲しい気持ちになります




スズラン印のお砂糖 知っていますか?

北海道にしかないのかな?


あのパッケージのスズラン印は

祖父がデザインしたものらしいんです


才能はあったんだろうに

本当に残念です




そういう過去があって

父は わたしが生まれてから31年もの間

一度もその誓いを破ることなく

わたしたち家族を守り続けてくれました



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