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宮城県漁協志津川支所/浜を明るくした好漢

遠藤さんが愛した地元・袖浜地区の漁港

 仕事に厳しく、まなざしは温かい。宮城県漁協志津川支所(南三陸町)の支所長だった遠藤一男(としお)さん=当時(58)=は、明るい人柄で浜の誰からも慕われた。

<魅力づくりに意欲>
 旧志津川町漁協で総務部長や参事を務め、合併で県漁協となった2007年度に支所長に就いた。日頃から組合員への説明を重んじ、十分納得してもらうよう職員に徹底させた。10年2月のチリ大地震津波などで打撃を受けた志津川湾の再興にも奔走した。
 支所運営委員長の佐々木憲雄さん(64)は「一つの仕事を頼むと、十の仕事までやってくれる男だった」と話し、悔やむ。
 「一男が生きていてくれれば、震災からの復興は早く進むのだが…」
 海産物の品質向上を図り、生産者の顔が見える販売方法も模索するなど、浜の魅力づくりに意欲を燃やした。養殖漁場の過密状態を懸念し、改善を強く主張していたという。
 佐々木さんは「潮の流れを良くし、志津川湾を日本一いい海産物をつくる海にする。一男の思いに報いたい」と誓う。
 職場仲間たちとの酒宴を好み、持ち前の歌唱力やユーモアで、場を盛り上げた。
 遠藤さんの自宅がある袖浜地区で近所に住んでいる渡辺長喜さん(65)は「まさに芸達者。漁協の年金旅行では歌や踊りで楽しませてもらった。集落を明るくする存在。漁業だけでなく、地域にとっても欠かせない人だった」と惜しむ。

<300人が別れ惜しむ>
 昨年3月11日、遠藤さんは支所からいったん高台に避難した。その後、海の方へと向かう姿が目撃されている。
 「支所に来た人に避難を呼び掛けるために戻ったのではないのか」「今後の仕事に必要な物を取りに行ったのか」。遠藤さんの人柄や熱心な仕事ぶりを知る人たちは推し量る。
 県漁協の職員でただ一人の犠牲だった。昨年6月に袖浜地区の寺院で執り行われた送る会には、約300人が町内外から参列し、別れを惜しんだ。
 妻の良子さん(58)は「人との絆をとても大事にする人だった。漁協職員で亡くなったのが自分一人だけでよかった、と思っているのではないか」と言い、夫をしのぶ。
 「行き交う船が少しずつ増えてきた海を見せてあげたい」
(田村賢心)
=週1回掲載


2012年01月09日月曜日

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