南に吹く風

Singapore General Hospital(SGH)にて一年間研修してきた病理医の報告記です(主たる専門は乳腺の病理診断)。同業者である病理医を主な読者対象に想定しており、その中でも特に若い世代の病理医や、病理を目指す研修医・学生さんに読んでいただければと思っています。コメントや感想は歓迎します。他人の目に触れたくない場合は、ブログ右欄プロフィールの中央をクリックして、直接メールを下さってもけっこうです。

セミナーは満席となりました

冒頭記事にも追加コメントしたとおり、11月の乳腺病理セミナーは早々に満席となってしまいました。多くのお問い合わせ、ありがとうございました。

参加者名簿を入手しましたが、最終的な参加者数は64名、内訳は以下の通りです。

フィリピン 16名
シンガポール 10名
オーストラリア 11名
インドネシア 8名
ニュージーランド 7名
日本 4名
マレーシア 3名
バングラデシュ 2名
フィジー 1名
台湾 1名
タイ 1名

日本から私以外に参加表明された4名の先生方、ありがとうございました。当日を楽しみにしています。

それにしても、定員数十名の小規模病理セミナーで、これだけ多くの国(11カ国)からの参加者を集められるのはすごいですね。欧州は陸続きなのでもしかすると十カ国くらいから集まるのかもしれませんが、他にこれだけ多くの国から参加者を集められるは、せいぜい米国くらいではないでしょうか。

東南アジアからの参加者が多いのはもちろんですが、(私見ながら)特筆すべきはオセアニアからも19名もの参加があることです。以前に私はこのブログで、「既に南アジア・オセアニアで一つの文化圏ができている感がある」、と書きましたが、それゆえに今回のセミナーのオセアニアからの参加者数には密かに注目していました。結果はこの通りの数字で、私の予想をかなり上回って少し驚くとともに、やはりこの地域の人や情報の行き来は、私が従来考えていたよりも既にはるかに活発なのだろうと推察します。(ちなみにフィジーはオセアニアの国です。念のため。)

Commonwealth_of_Nations欧州~ユーラシア大陸を中心とした世界地図を貼っておきます。これを見ると、東南アジア・オセアニア文化圏というブロックの規模や地理的結びつきがより具体的にイメージできるのではないでしょうか。ちなみにこれはWkipediaの「イギリス連邦」から落とした世界地図で、濃紺色が現在のイギリス連邦です。日本を中心とした地図よりもこちらの方が全体像を把握しやすくて、私は好きです。

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以下、例によって病理とはまったく無関係な話です。興味のない方はパスしてください。

アジアの沿岸帯は、地理的・機能的に大きく三つに分けることができます。一つは東北アジア、すなわち日本を中心として韓国や中国沿岸部、台湾あたりが含まれる地域で、逆側はインド・パキスタンを中心とする西アジア、残る一つが両者の中間に位置する東南アジアです。(ちなみにいずれも古典的地政学上はクレセント(マッキンダー)、あるいはリムランド(スパイクマン)などと呼ばれる地域です。)

で、従来は日本を含む東北アジアが圧倒的な経済規模を誇っていたわけですが、躍進中の東南アジアとオセアニアの一体化が進んで一つの大きな地域ブロックが完成すると、近未来的にはこちらに経済活動の中心が移っていく可能性もありそうです。少なくとも一つの大きな経済ブロック、「極」を形成するのは間違いないでしょう。そしてその中心地がどこになるかと言えば、地理的にも経済的にもシンガポールが最右翼ではないでしょうか。(もちろん香港という可能性もありますが。)

脱線ついでに。現時点での世界の三大通貨は米ドル・ユーロ・日本円であり、世界の三大証券取引市場も(どこも崩壊中とはいえ)一応まだNY・ロンドン・東京なのですが、既にここ数年は上海や香港市場が取引高でもかなり肉薄してきていますし、経済成長率ではシンガポールがその中国をも凌駕しそうな勢いです。あたかも終章へ向かっているかのような昨今の欧・米・日の経済的惨状を見ると、数年後の世界がどうなっているかは、もはや誰にもわからない状態と言えましょう。もしかすると我々は今、世界秩序が大きく変わりつつある、時代の大きな曲がり角に立っているのかもしれない、やや大きな話ですが、私は個人的にそういう目で見ています。

昼食会(学生教育・実習のことなど)

SGHの病理部では、たまにDr.Tanが教室員を誘って外の昼食に出かけます。私も何回か誘っていただきましたが、いつもきちんとしたホテルのレストランで、なかなかゴージャスな昼食をご馳走になっています。今週は乳腺グループを主体としたメンバーでした。

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これまではいつも日本での習慣に従って目を隠してきたのですが、どうもシンガポールの方々には「あれは不気味だ」という声が多くて不評でした。今回こそはぜひ外してくれとの要望がありましたので、目隠し無しでそのまま掲載します。若い人が多いのは、学生がかなり含まれているからです。


病理部には学生が常に数人来ていて研究生活を送っています(ですのでSGHは単なる一般病院というよりは、日本でいえば大学と同様の機能を果たしていると言えるでしょう)。その多くの面倒をみているのが、Dr.Tanの真後ろに立っておられるDr.Ayeです。学生の多くは医学部学生ではありませんが、医学部学生が数ヶ月やってくることもあるそうです。

どのタイミングで研究目的で病理部に来るかは、人によってかなりまちまちです。学士、修士、博士、各課程の学生がいます。学部生の場合は簡単な鏡検と染色程度の実習ですし、博士課程であれば当然高度な組織化学や分子生物学的なトレーニングを受けさせつつ、論文を一つ二つ書かせなくてはなりません。五人以上を同時並行で面倒を見るというのは、かなり大変なことだろうと思います。
(ただし、日本と違ってDr.Ayeはほぼその専任職です。日常診療・学生教育・研究業績の三つを全て求められるようなことはありません。)

男子学生の一人は、NUS(シンガポール大学)を卒業してから、先日の記事で紹介したDuke-NUS大学院の医学部課程に進むために論文書きをしていました。一つか二つの原著論文がないと、入学が許可されないそうです(厳しいですね)。別の学生は、日本でいう短大を出たあと兵役二年間をこなしながら週末に研究に来て、兵役が終わった後で大学への進学を希望しているとのことでした。他国の大学を卒業した人間もいるし、併設されているNational Cancer Centerから出向するような形で配属されている学生もいました。一番年長の学生は、既に学位を取得してこの秋からポスドクとしてボストンへの留学が決まったそうです。

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実はインタビューをしつつ私も何度か頭が混乱しそうになったのですが、要するに日本のように、皆が同じようなタイミングで画一的なコースを進むのではないらしい。短大(これに相当する学校がいくつかあるようです)、大学、大学院に加えて兵役が絡むし、いったん社会に出てから大学院に戻る人間も少なからずいるようですので、かなりゴチャゴチャしています。しかも、これまでの英国式システムに加えて、先日来書いているとおり米国式のDuke-NUS大学院ができたことにより、医学部は現在二つの国のシステムが併存している状態なので、ますます複雑になっています。
(ちなみに卒後の肩書きというか称号も、従来のNUS医学部卒の場合は英国式の「MBBS」、Duke-NUS大学院医学部卒の場合は米国式の「MD」になるそうです。前者は五年間、後者は四年間ですが、後者は他学部を卒業してからでないと入れません。)

しかしこういう多様性は、私は特に学生時代にはむしろ望ましいものだと思います。ヘテロな環境で、ヘテロな人たちの中で揉まれることにより、より高い順応性や向学意欲が身に付いて、たくましい研究者や社会人に育つのではないでしょうか。しかも、いつも書くとおり彼らは母国語が英語ということもあり、大学から、あるいはポスドクとして、英・米・豪あたりへ行くことになんら抵抗がありません。さらにそのまま向こうに居着くも良し、帰国して上の学校に進んだり、一般企業に就職するも良し、すべては個々人の自由です。(シンガポールは好景気の真っ只中ですので、就職には困らないでしょうし)。

で、どうしても日本と比較してしまうのですが、シンガポールと比べると日本社会はやはりどうも画一的で、窮屈に思えてしまいます。もっとごちゃ混ぜの混沌状態にして、その混沌として中でエネルギーを育むような方向に持っていければと思うのですが。むろんこれは大学教育のみならず国全体に言えることですけれど。ただ、やはり日本では移民に対する偏見や反対がとても根強いし、それ以上に言葉の障壁が大きくて、現実的にはとても難しいでしょうね。せめて意欲のある学生は、学部の段階からどんどんためらうことなく海外へ出て行くことを強く勧めたいところです。

個人的な感想としては、こちらで接している学生は年齢の割に「大人」で、向学心が高いという印象があります。ただし、そもそもSGHへ来て研究生活をしようとしている意欲の高い学生達ですから、これを一般化するのには無理があるでしょうし、最近は日本の医学部生も、二十年前の私などとは比較にならないくらい真面目でよく勉強するようになっているとは思います。
(私は三つの大学、それも国立、公立、私立の三種類の大学で教育に携わってきていますが、最近の学生はどこでも本当によく勉強しているなあと思います。特に高学年の医学部生は、五年目くらいの平均的臨床医よりも向学心が高く、やや難解なアカデミックな話題へのレスポンスも良いという印象があります。もちろん、繰り返しになりますが私の個人的な感想に過ぎませんけれど。)

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この日の食事で私の隣に座った学生は、例によって(?)六カ国語を使えるそうで、しかもその一つは日本語でした(English・Mandarin・広東・福建・マレー・日本語)。恐らくこの記事も、彼女が目を通して教室員に説明することになるでしょう。こういう彼らの言語能力の高さにも、最近はさすがに慣れてきました。日本人とは置かれている環境が違いすぎて、最初から勝負になりません。

ただし、最後になりますが世界では、というか隣国でさえも、既にこういう動きがあることを、少なくとも若い世代の向学心に富んだ方々は知っておいて損はないと思います。私見ですが、国の内を向いて悲観する暇があったら、もう国の外を向いて焦るべき時だろう、と思います。

また病院から呼ばれました

先月数回病棟から呼ばれたことは書きましたが、先週から今週にかけてはまた別の患者さんのために外来と病棟から何回か呼ばれました。

先週木曜日の昼頃に電話があって、これから日本人の患者さんが来るから、時間があったら通訳をしてほしいとのこと。シンガポールは外国人の受診も多いので、そのための専門部署があり(International Medical Service)、そこからの連絡でした。

患者さんは六十代男性で、例によってプライバシー保護のために詳細は省きますが、外来でイレウスの可能性が高いと判断されてそのまま入院となってしまいました。隣国在住で(非英語圏)、たまたまシンガポールに来られている方でしたので入院は気乗りがしないようでしたが、私の目から見てもこのままではまずかろうという感じでしたので、その旨説明して納得してもらいました。

P8131117ところがその日の深夜に再び病棟から携帯に電話があり、翌早朝に来てくれないかとのこと。六時起きで病棟へ行き、病状および今後の段取りや治療についての通訳を務めました。病状が重いので本社のある隣国やご家族のいる日本との連絡も必要となり、また午後には準緊急でCTと内視鏡も施行され、その説明のためにも呼ばれてかなり忙しくなりました。病棟が病理部のちょうど反対側に位置していて大きなSGHを端から端まで移動せねばならず、最短でも徒歩で十分以上かかります。(写真は、早朝に呼ばれたときに撮った救急外来棟です)

結局土曜日に緊急手術となり、月曜日の早朝に再度病棟へ出向いて経過説明やら術中所見の説明やら今後のことやらを通訳し、病状が落ち着いた水曜日に元の国に戻って、そのまますぐに日本に帰国して本格治療という段取りになりました。

この間に病棟に呼ばれた回数は十回以上、電話での説明はその倍以上あったと思います。正直なところ四月じゃなくて良かったなあと思いました。来たばかりの頃だったら、この役割は少しきつかったかもしれません。さすがに四ヶ月以上になるので病院のシステムも多少把握できていますし、コミュニケーション能力もわずかながら上がっているようで、疾患に関する外科医との会話はもちろん、事務員等の通訳でもほとんど困難は感じませんでした。
(ただし、それはあくまでも面と向かったときのことで、電話では早口でまくし立てられるとまだまだ付いていけず、何度も聞き直して確認しながらモタモタしましたけれど。)

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さて、今回私は入院から退院までの病院側の対応をずっと脇で見守る形になったので、その印象を記しておきます。まず外国人対応を専門業務としている上記IMS職員と他の職員との連絡がとても良くて感心しました。外来でも病棟でも何か説明があるときには専属のIMS事務員が常に付き、言葉が不自由な患者の対応に手慣れているなあという感じです。初日のみならず二日目以降も、話し合うときには必ず担当のIMS担当者が病棟にいて、随時状況を把握しつつ事務手続きを進めていきます。実にテキパキとした対応でした。

また、他の職員についても、患者さんへの説明や気配りが実にきちんとしていて(それゆえに私が呼ばれる回数も多かったわけですが)、病状等の説明や証明書・紹介状の発行とその説明、薬の説明、傷口の処置や注意事項、その他もろもろ退院に至るまでの段取りがきっちりしていて、とても感心させられました。日本の一流どころの病院と比べてもまったく見劣りしないどころか、事務員をはじめとする職員数が多い分、むしろこちらの方がきちんとしているのではないかとさえ思いました。

以前にも書いたとおりシンガポールは医療立国を目指しているそうですが、外国人向けサービスに相当に力を入れていることが実感できました。今回の患者さんが住んでいる国の病院を受診したらたぶんこんなにスムーズにはいかなかっただろうと思いますし、技術的にも厳しかったかもしれません(その国からSGHによく患者さんが紹介されてくるそうです)。加えてSGHの担当外科医は日本の某有名外科医とも直接コンタクトをとれる方で、紹介状や患者情報の伝達もほぼ完璧だったはずです。CTフィルムのコピーのみならず、CD-ROMまで手渡していました(さすがに病理の未染標本はありませんでしたが)。

ただし、このように質の高いサービスを受けると、当然ながら治療費は日本よりもはるかに高くつきます。この方の場合は勤務されている会社が負担されましたが、もしも無保険で全額自己負担となったらちょっと大変だろうな、という額でした。

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おまけ。SGHに隣接というか連続しているNational Eye Centerの建物内です。外来脇の小ぎれいなスペースには売店が並んでいて、なかなかリラックスできる空間となっています。この類の場所は採光面もよく配慮されており、どこもとても明るい雰囲気になっています。

秋のセミナー申し込みは満席間際です

冒頭の記事にも追加コメントしましたが、11月のSGH乳腺病理セミナーがそろそろいっぱいになってきたと、本日Dr.Tanに言われました。九月末を締め切り予定としていましたが、恐らくその前に締め切ってしまいそうだとのことです。希望される先生方は、お早めにお申し込みください。

先週あたりから、私も手伝いながら症例のチェックに入っていますが、一症例ごとに伝えるべきメッセージが明瞭となるよう心がけて選ばれており、よく練られたセミナー内容と思います。私の印象では、日本で昨年・今年と行われた乳腺病理診断セミナー(病理医専門医向け)よりはやや易しめに振られていますと思いますので、初学者の方が受講されても十分に消化できると思います。

また、良悪はともかくとして疾患名・病名については若干日本と異なる症例がいくつか含まれており、当日はオーストラリアや香港からも講師が来られるので、それらの国の診断基準とも比較してterminologyについても議論できるのではないかと、私自身も楽しみにしています。

日本からも大勢の先生方のご参加をお待ちしております。

専門医へのインタビュー

先日の帰国前のことなのですが、迅速診断に同行させてもらった際に、コンサルタント(専門医)であるDr.ATにいろいろとインタビューをしました。

この日は珍しく迅速診断がたった四件しかなくてかなり時間に余裕があったので、彼女の専門である肺病理について長時間ディスカッションしたり、あるいは雑談も混じえながらじっくりと話せました。語学能力の低い私でも長時間さほど苦痛なく話せるのは、彼女の話す速度がふだんから穏やかなのもありますが、それ以上に彼女がペルー出身でスペイン語を母国語としているからだと思います。これまでの経験では、イタリア人やスペイン人の話す英語は聞き取りやすく、逆に中国人やフランス人の話す英語はわかりにくい。当病理部で仲良くしているフィリピン人のDr.Rも、メインの母国語がスペイン語系なのでわかりやすい英語を話してくれます。
(フィリピンは米西戦争以前は300年以上もスペイン領だったので、現地の言葉には単語・アクセント・発音等がスペイン語とほぼ同じか、あるいは全く同じというものが多々あるそうです。)

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Dr.ATはコロンビア生まれのペルー人で、祖父は日本人、父親は病理医で祖国でまだ現役の病理医だそうです。兄弟は一人がペルー、もう一人が日本にいます。子供の頃に父親の研修のためニューヨークに数年間住み、帰国後も学校では英語を学んでいたので、もともとほぼバイリンガル。ペルーの大学を出て地元の大学病院で半年研修をした後に1990年にアメリカへ移り、ボストンで四年、コネチカットで二年、ニューヨークで一年間の研修を積みました。病理組織と検査医学、いわゆるAP/CPの専門医資格をもっています。

ふつうならこのままアメリカに居着くパターンが多いと思うんですが、アメリカを離れたくなって世界中のjob huntingをしているなかで彼女の目に付いたのは、祖父の祖国でもある日本。雑誌の公募を見て応募した結果、1998年に鎌倉S病院にポストを得て、二年間を鎌倉で過ごしました。

S病院では宿舎を病院側が負担してくれて、彼女は自転車で自宅と病院を往復する生活だったそうです。一人病理医なので、毎週東京の国立がんセンターに通って難解症例のコンサルテーションをお願いしていたらしく、慈恵医大のF先生や、札幌医大のH先生、防衛医大から国立がんセンターに戻られたT先生などにお世話になったそうです。(病理医を対象としている本ブログでは、イニシャルにする意味がほとんどない先生方です。)

資格の問題はどうなっていたのかよくわかりません。恐らく彼女の診断は暫定的ということにして、あとで誰かがまとめてサインアウトしていたのでしょう。期間限定の契約だったので、2000年にはS病院を離れました。まわりの方々には国内にいくつかの病院を紹介してもらったのですが、やはり言葉(漢字)の壁が彼女には厚かったらしく、彼女自身の意志で二年間で断念する気になったようです。

次に選んだのはサイパンで、そこに赴任して二年間働きました。さすがにサイパンのような離島では病理だけというわけにはいかず、検査全般(clinical pathology)に加えて、forensic medicine and autopsyも引き受けていたようですが、解剖は年間15体程度だったといいますから、仕事としてはきつくなかったでしょう。米国の病理研修システムでは法医学も三ヶ月トレーニングするそうで、その経験が生きたと言っていました。サイパンではダイビングを覚えながらのんびり暮らしていたらしいのですが、さすがに二年も過ごすと飽きてしまうらしく、2002年にシンガポールにやってきて、そのまま2010年現在に至っています。
(サイパンは遊びに行くにはいいけれど、住むとねえ・・・・と言っていました。私も行ったことがありますが、確かにグアムと比較してもかなり小さくてすぐに飽きてしまいそう。)

いろいろ移り住んで楽しかったし、広くいろいろと勉強できたけれど、その一方でそろそろ自分の専門の仕事にも腰を据えたいから、もうずっとここにいるつもり、だそうです。昔と違って専門分化が進んだからgeneralにとりあえず広く浅くってのは、もうなかなか難しいよねえ、と二人で話しました。このあたりの認識は私とだいたい同じです。

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《日本の印象について》
・鎌倉に住んでいただけだから他のことはわからないけれど、もちろん住み心地は悪くなかった。
・言うまでもないが、病理のレベルについても国立がんセンターは米国の一流どころになんら遜色がないと思った。
・それにしても日本のお医者さんは、みんな無茶苦茶働く。国立がんセンターなんか、九時過ぎに帰ろうとしてもいつもまだ全員残っていて驚いた。
・年功序列がすごい。年配の病理の先生があきらかに間違っていても、その場では気を遣って誰もそれを指摘しないのに驚いた。
・一人病理医って本当に大変。難解例があっても誰にも相談できない。
・とにかく医師数が少なすぎると思う。
(訳者注:日本でお世話になった多くの先生方に心から感謝していると、繰り返し言っておられました)

《シンガポールの印象について》
・とても過ごしやすいと思う。先進国だし、医療のレベルも十二分に高い。
・治安が良くて、すべてがきちんと回っている(works well)感じ。面倒なことがほとんどない。
・四季がないのも面倒がなくて、私にはかえって楽。すべてがsimpleで、troubleの少ない国。
・強いて問題を言えば、ちょっと物価が高い。

《シンガポールでの資格について》
・基本的には英国資格が主だが、米国の資格保有者でもシンガポール国内で二年間の実務期間の後に専門医として認められる。
・ただし、教育システムが違うので、シンガポールの医学部を出てアメリカでそのまま研修することはできないはず。

《その他》
・アメリカは悪い国じゃないけれど、研修もきつかったし、ちょっといろいろと疲れちゃって、ずっと住む気になれなかった。
・祖国ペルーも今は政情が安定しているので帰ろうと思えばいつでも帰れるんだけれど、やはり病理医の人数が少なすぎるのがねえ。(彼女の母校は一千床を越える大学病院でありながら、病理レジデントは現在たった一人だそうです)
・日本で過ごした二年間は自分にとってものすごく大きかった。言葉が不自由でも、きちんとした能力を身につけていたらどこでも働けて生活していけるんだと、自分の人生に自信を持てた。

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彼女は政情の安定しなかった南米を抜け出て大国アメリカに行き、そこで専門医資格を得てからそのアメリカが傾き始めるタイミングでそこを脱出して日本に渡り、さらに日本が本格的に沈み始める前に抜け出して、太平洋の島を経てから急成長が始まる直前のシンガポールに移り住みました。私の目から見ると、うまく時流に乗っているというか、時代を見通す目というか感覚が実にしっかりしていて、本当に感心してしまうし羨ましくもあります。その点を最後に彼女に問いただすと、「うーん、仕事を探して動いているうちに偶然そうなっちゃっただけよ。」とのことでしたが、でもその次に、「とは言うものの、今の各国の状況を見ると、あなたの言うとおり本当にラッキーだったと思う。」と、付け加えました。本当にただの偶然だったのかどうかは、わかりません。

いつも通りの私見ですが、彼女と話をしながら、日本の若い方々は彼女のこういうフットワークの軽さや積極性および環境適応性、さらに物怖じしない行動力をぜひとも参考にしてほしいなあ、と思ってブログ記事にしました。特に資格に縛られない医療関係以外の技術職・専門職であれば、ぜひ参考にしてほしい。私は彼女の話を聞きながら、二十年前か、せめて十五年前にこういう話を聞きたかったなあ、と思いました。彼女のような活動的な人の話は、聞いているだけでもエネルギーを分けてもらえる気がします。
(ただし、もちろん語学の能力はどうしても必要になります。高度な専門能力はある程度それをカバーしてくれますし、それは私もここで実感していますが、しかしそれでもやはりpermanentの職を得るためには、それなりの語学能力が必須となります。いつも言うとおり、グローバル化が一気に進んだ現代においては、英語駆使能力は高めておくに限ります。)

第二回 乳腺病理診断研究会セミナー(日本)

SGHネタではないのですが、また一時帰国して乳腺セミナーのお手伝いをしてきました。昨年と異なり今回は国外にいるために事前検討に参加できず、じっくり標本を見る時間もなかったために講師陣からは外していただき、会場の準備以外の仕事はほぼ実習中オブザーバーのみとさせていただきました。

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昨年同様に日本医科大学大学院棟地下1階の実習室を使いました。学生用顕微鏡には対物二倍レンズが無いので乳腺を見るのにはちょっと辛いところがあるのですが、その他は設備的にはまず申し分のない施設だと思います。


初日は臨床医の先生方を中心に比較的典型的な症例や基礎的事項の復習、二日目は病理専門医の先生方を中心に難解例を見ていただきました。二日目の
五十症例は私も前日にすべて鏡検しましたが、ざっと流すように見ただけで二時間近くかかり、昨年の連続百例ほどではないにせよ今年もかなりきつかったと思います。乳腺は良悪の鑑別に悩む症例の比率が他臓器に比べて高く、集中して鏡検するとかなり消耗します。
(まわりにいた人たちに、症例が進むにつれ私の表情がどんどん変わっていったと指摘されましたが、これだけの難解例をぶっ続けで見るのですから当然です。気がついたら二時間近くが経過していた、という感じでした。)

参加された先生方はお疲れさまでした。

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二日目の解説を担当された先生方です。左から解説された順番に、津田均先生(国立がんセンター)、土屋眞一先生(日本医大)、梅村しのぶ先生(東海大)、秋山太先生(癌研)、森谷卓也先生(川崎偉大)。講義後には質疑応答時間もあり、活発な議論が展開されました。講師の先生方もお疲れさまでした。

ちなみに私自身の成績というか講師の先生方との良悪一致率は90%で、明らかにズレたのが五例。その内訳は病変見落としが二例、誤診が二例、難解で見直してもわからないのが一例、でした。もちろん実際の現場では難解例にはもっと少し時間をかけますし、標本の深切りや免疫染色も追加できますので最終的な一致率はもっと上がると思いますが、こちら(SGH)ある程度集中的に乳腺を見ていても、やはり乳腺のCNBやMMTは微妙で難しいものです。

行ったり来たりしているうちに、この二国間の診断基準や疾患名の付け方に若干の違いがあることもわかってきましたが、現実的にはそれらはさほどというかあまり問題にならないレベルで、そんなことよりも良悪の判断の方がよほど難しくてシリアスだと感じました。二国間の差については、そのうちにこの場で少し論じるつもりでいます。

なお、来年は秋に臨床細胞学会を開催する都合上、このセミナーの開催は難しいかもしれません。

シンガポールの剖検事情

前回の内容の一部を引き継いで、今回は剖検についてもう少し詳細に紹介します。

 

まず、この国では(小児症例を除き)学問的興味を目的とする剖検は非常に少ない。SGH病理部には剖検室が無く、どうしても剖検したい場合には隣の法医学(forensic medicine)の解剖室を借りるのですが、その件数は年々減っていて、病理部の責任で行った剖検は一昨年が三体、昨年はゼロだったそうです。今年もまだゼロらしい。剖検トレーニング数の少なさをカバーするために、病理のレジデントには全員半年間の法医出向が義務づけられており、このトレーニング期間中に百から二百体の剖検を行うそうです。

 

病理解剖が少ないのにはいろいろな理由があるのでしょうが、Dr.Tanによると宗教・風習的な理由がかなり大きいそうです。中でも特にマレー系の人は遺体に傷を付けることにひどく抵抗があるらしく、法的強制力のない剖検承諾はまず得られないとか。また臨床科が剖検を依頼した場合、病理と(建物を貸してくれる)法医の両方にお金を払わねばならず、それが約3500 SGD(二十三万円)とけっこうな額なので、滅多なことではやれないというのもあるようです。
(この話から察するに、SGHの各部門
は金銭的にもかなりお互いがindependentに運用されているようです。)

  

この国のシステムでは、病院以外の場所での死亡があった場合、医師が死亡届にサインしないと検死に回り(これはどうも医師が判断するようですが、詳細は不明)、検死官の判断でその一部が解剖に回ります。これには法的強制力があり、遺族は拒否できません。法医はSGHにのみあり、専属の専門医師は六名。年間の検死数はだいたい四千前後で、だいたいその半数が解剖に回るそうですので二千前後というけっこうな数になりますが、前述の通り病理からトレーニングに来ているレジデントが常に五~六人いて、実際に法医の専門家が手がけるのは半数以下らしい(と言っても、少ない数ではありませんが)。私は見学させてもらったことがありませんが、剖検室にはテーブルが八つあって、同時並行で八体までできるそうです。年間二千件となるとだいたい日に十体近く行うことになるので、これくらいの数がないと回らないでしょうね。感染対策の施されたベッドももちろん用意されています。

 

解剖の内容的には自然死と事故死が2:1くらいの比率で全体の多くを占め、犯罪がらみは一割以下、中でも殺人事件は年に三十件以下だそうです。殺人事件の対人口比を見ると、日本と並んでシンガポールはかなり低いですね。ちなみに自殺件数はだいたい四百とのことですので、こちらは年間三万人超の日本よりも、対人口比がかなり低いことになります。

(ただし、これはまったくの私見ですが、日本にしろシンガポールにしろこの手の政府公表数値をどの程度信用して良いのかという疑問はありますし、実際病理部内にも、自殺件数は実はもっと多いと思うよ、と個人的に言ってきた人がいました。)

 

なお、現在法医から病理にトレーニングに来ている若いレジデントがいて(日本同様に法医志望者は少ないので、貴重な人材だと思います)、今回の記述はまわりの病理医達に加えその彼の話も参考にしつつ書いています。きちんとした裏付けは取れていませんので各数値には厳密さに欠ける部分もあろうかと思いますが、誰に聞いてもさほどコメントがずれていないので、大きくは外れていないと思います。病理部には法医との関係が深い人間が他にもいるので、機会があれば今後も今回の数値を確認したり追加の情報を得ていくつもりです。

 

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さて、いずれにしても、近年剖検率が低下している西欧諸国や日本に比べても、シンガポールの病理の剖検率は上述のとおり格段に低く、彼らが病理診断業務として剖検を重視していない(あるいはそうならざるを得ない)ことは明らかです。病理部門チーフのDr.Hwangとはこれまでも何回かこの剖検の話をしているのですが、私の質問が細かいせいか、最後にはいつも私の顔をじっと見て、「Do you like autopsy?」(あなたは解剖が好きなの?)と、なかなかダイレクトな質問をしてきます。彼女は明確に剖検を嫌がっているようです。


ただ、そうは言っても法医解剖を百数十件やるだけでおしまいとなると、例えば神経病理や心臓病理のトレーニングはどうなっているんだろう?とか、肺のDADの多彩な像を見たことがあるのだろうか?とか、解剖嫌いの私でもさすがにいろいろな疑問を持ってしまいます。ドイツ病理学の流れをくみ剖検を重視する傾向にある日本の病理学とはコンセプトや感覚が出発点から少し違うのかもしれませんが、それにしても同じ東南アジアでも香港ではふつうに病理解剖をやっているようですし(香港からのフェロー談)、コンセプトの違いや承諾が得られないという慣習上の理由だけでは、今ひとつ説明がつかないような気がします。

 

これはまったくの私見というか想像ですが、この国はかなり徹底した資本主義をやっていますので、コストパフォーマンスが悪いというか、コストパフォーマンス面ではやった分だけ必然的に赤字が増える剖検にどうしても積極的になれないという理由もあるのかもしれません。遺族側は病院には一切お金は払いませんので、剖検は百パーセント持ち出しになります。国が病理解剖についての金銭的サポートをすることはないのかとDr.Tanに尋ねたところ、「国が我々にお金を出すことなんかあるわけないじゃない、彼らはお金を取っていくだけよ。」、と冗談交じりに笑いながら答えてくれました。


なお、過去には遺族が剖検報告に不満を覚えて別の病理医にお金を払って再レポートを依頼するということもあったようですが、こういうのは極めて稀とのことでした。

 

シンガポールの病理医数

現時点で正式に登録されているシンガポールの専門医数は76名です(これは本部に問い合わせてもらった数値なので、正確な数値だと思います)。SGH22名ですので、だいたい三分の一がSGHに集中していることになります。この専門医数は、以前のインタビュー内容から察するに、英国あるいは豪国の病理専門医資格を有した上で登録されている病理医数、と考えて良いでしょう。人口五百万人ほどのシンガポールで、これを多いと見るか少ないと見るか。


比較のために、かつて在籍していたことのある北海道を例に挙げると、人口が約五百五十万人で、日本病理学会HPによると昨年度時点での専門医数が101名、人口比ではさほどシンガポールと変わりません。北海道の面積はシンガポールとまったく違いますが、海で囲まれていて他県からのサポートが得にくいという独立性を考えると、人口五百万のシンガポールと比較するのはさほど見当違いではないように思います。だいたい同じくらいの人口を有する県としては他に兵庫や福岡がありますが、それぞれ75人、91人ですので、いずれもそんなに大きな差はないと思います。


ですが、私の目から見て日本の病理医環境とかなり違うと思われる点が三つあります。

 

1.シンガポールはレジデントの数が多い。


高齢化の進む日本と違い、シンガポールは国全体が若い(一時帰国時に街を歩くと、日本は本当に高齢化が進んだなと実感します)。人口もどんどん増えていますので、以前に書いたとおりSGHでも現時点ではレジデントが専門医とほぼ同数いて、昼食会の時などに集まるとかなり賑やかです。私は雑踏嫌いかつ大勢で群れるのも嫌いなタチなので、賑やかすぎると感じることも多いのですが、しかしやはり若手がたくさんいてワイワイやるエネルギーというのは、職場の活気を維持するために大切だなあと羨ましくも思います。


2.シンガポールの専門医は病理診断に特化している。


日本のように実験がメインで週に一日二日病理部のお手伝いをする、あるいはバイトに出る、といった形の病理医はいません(ご高齢で週に数日だけの勤務、あるいは午前中だけの勤務という形の病理医はいますが、診断専門の方々ばかりです)。ですので、上記76人は(ほぼ)全員が病理診断のスペシャリストと考えて良いと思います。さすがに76人全員を把握しているわけではないので「ほぼ」と書きましたが、いずれにせよこれは日本とは大きく違うだろうと思います。ここSGHでは専門医は全員がバリバリのスペシャリストとまでは言いませんが、皆がほぼ全臓器に対応していますし、レベル的にもかなりのものと思われます。

(もちろん私の目から見ての話ですから、お前のレベルが低いだけじゃないのか?と言われると、ひと言の反論もありませんが。)


3.シンガポールは病理剖検数が少ない。(というか、ゼロに近い)


これはかなり決定的に違うと思います。現在SGHの病理部には剖検室がありません。となりに法医学forensic medicineのビルがあり、そこで剖検業務を一手に引き受けて行っています(これについては、次回に詳細に記載するつもりです)。SGH以外の病院でも、小児病院を除いてほとんど剖検業務は為されていないそうです。小児病院については、これはDr.Tanから聞いただけで裏を取っていませんが、国内に専門医が六名前後、剖検数は恐らく月に二十くらいあるだろう、とのことでした。数値の正確性は保証できませんが、だいたいこれくらいのイメージということでご理解下さい。

 

注)上記2と3については、いいか悪いかの問題ではなく、事実としてそういう違いがあるということです。私はこれらの点、特に2については実は問題もあるのではないかと思っていますが、ここでは論じないことにします。


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我が国では大都市圏以外の病理医不足「感」はかなりのものがあると思いますが、では対人口比率の病理医数がほぼ同じのシンガポールにも同じように不足感があるのかどうかというと、十分とは言えないまでもそこまでの不足感は無いようです。SGHは国の中枢病院ですので症例数も多く、土曜日に出てきて標本を見ている病理医もいるくらいなんですが、それでも私の目からすると日本国内の病理医ほど忙しい感じは受けません。あえて上記に入れませんでしたが、書類仕事や会議といった無駄にエネルギーと時間を消耗する雑事が少ないのも大きいと思います。

(実は上記三つより大きな差かもしれませんね。所見を口述して秘書にタイプさせてサインするというスタイルの病理医もいますし、検体の処理や標本・レポートの整理などに従事する事務員の数が日本とはまったく違います。事務等のサポート人員は、ざっと見渡しただけで二十人以上はいます。技師の負担も当然日本より相当に少ないはず。)

 

さらに、私の考えでは上記三つ(+1?)に加えてもう一つ大きな理由があり、それは先ほどはあえて度外視しましたが、「国土が小さく、かつほとんど平坦なこと」です。このコンパクトさが、患者の移動や管理、医師の移動、検体の移動などの効率上とても有利に働いていると思います。このことは、例えば欧州のオーストリアとほぼ同じ面積を有する北海道や、三千メートル級の山脈によって分断されている上に豪雪地帯を多く含む岐阜や長野、有人離島が四十ほどもある沖縄などと比較すれば、容易に想像できると思います。

 

ちなみに、医療に限らず国が小さくコントロールしやすいことは、現在この国の大きなアドバンテージになっていると思います。もちろんそれはディスアドバンテージとも表裏一体なのですが、少なくとも現時点まではこの国はそれを上手にアドバンテージとして生かし切っているように私の目には見える。この短いサイトに書かれているシンガポールのアドバンテージは、まさに私がこの地に住んでみて実感していることにぴったり合致しているので、ご興味がある方はご一読下さい。

 
付記
若干正確性に欠ける数値ですが、同じ東南アジアの香港では病理専門医数が115-130名だそうで(人口は700万人)、やはり対人口比ではさほどシンガポールと変わらないようです。(2/Aug/2010)

論文の紹介(3)---- 続き

前段からの続き。ブログ規定文字数オーバーとなってしまったので二段に分けました。

【結果3:再発性腫瘍の詳細と、予後(生存率)との関連】

 

・再発43例中、9例が二度の再発、4例が三度の再発、1例が四度の再発を来した。

・ほとんどが局所再発だが、脊髄転移が1例(三度目の再発)、肺転移が1例(二度目の再発)にあった。


(訳者注5:病理組織学的に確認されている症例のみの記載です。画像にて転移が疑われている症例はこれよりも多い。)


転移性腫瘍はいずれも間質細胞成分のみで、上皮成分は含まれていなかった。

57再発症例中、36例(63%)では腫瘍グレードは変化せず、14例(25%)がアップグレード、6例(11%)がダウングレードした

・ダウングレード症例の内訳は、境界悪性→良性が2例、悪性→良性が2例、悪性→境界悪性が2例。


(訳者注6:局所再発を繰り返しながら、一部は徐々に悪性度が増していき、場合によっては遠隔転移するというパターンが見て取れますが、再発時に腫瘍グレードが落ちる症例が一割以上もあったというのは彼らも少し意外だったとしています。ディスカッション中では、「もしかすると切り出し時のサンプリングが足りなかったのかもしれないが、一方で
PTにおいては組織グレードと予後は必ずしも相関しないのかもしれない。」と記載されています。個人的には後者の仮説に魅力を感じるものの、ここでの切り出しを見ていると、失礼ながらやはり前者の可能性をも考えたくなります。)

 

・死亡症例は9例。他因死が2例で、PT腫瘍死は7例、PT腫瘍死症例の初診断はすべて"悪性PT"であった

Coxの多変量解析結果からは、PASHの存在P=0.028)と完全切除P=0.033)の二因子が良好な予後(生存率)と相関していた。

・腫瘍グレードも予後と相関していたが、統計的に優位と判断できるほどではなかった(P=0.28)。

・異型や細胞密度、顕微鏡的辺縁の性状は、予後との相関が明らかではなかった。

 

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PTの組織学的予後規定因子は、やはり難しいようです。原著論文中のtable4に死亡症例の詳細が出ていますが、最小腫瘍は35ミリで、断端陰性です(1mm以内とのことですので、ギリギリの切除ですが)。また、PASH所見があると予後良好というのは今後の検討課題でしょうね。"PASH, breast, prognosis"でPubMed検索しても、ほとんどヒットしません。

 

なお、この論文が書かれた2005年当時では、世界で最も症例数の多いPT論文でした。ざっと検索したところ、病理組織を検討した論文としてはまだこれ以上の症例数の論文は無いようです。本論文の詳細なtableのデータはPTのデータベース的に使えると思いますので、手元にコピーを置いておくとカンファの際などに便利かもしれません。

(外科では米国から七百例ほどのレビューが出ていますが、abstractしか見ることができず、詳細な内容は確認できていません。)

Malignant phyllodes tumors: a review of 752 cases. Grabowski J, Salzstein SL, Sadler GR, Blair SL. Am Surg. 2007 Oct;73(10):967-9.


なお、いつものことですが、これらはブログ主による抄訳・抜粋に過ぎませんので、方法論や結果の詳細については直接原著論文を当たることをおすすめします。(もしも明らかな間違いがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。)

論文の紹介(3)

Phyllodes tumorの症例がこのところいくつかあったので、自身の知識整理も兼ねてSGHの論文を紹介いたします。

 

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Phyllodes tumors of the breast: the role of pathologic parameters.
Tan PH, Jayabaskar T, Chuah KL, Lee HY, Tan Y, Hilmy M, Hung H, Selvarajan S, Bay BH.
Am J Clin Pathol. 2005 Apr;123(4):529-40.

【序】

Phyllodes tumor (PT) においては、間質細胞密度、核異型や核分裂像、stromal overgrowth、腫瘍辺縁の増生パターン(圧排性か浸潤性か)などの組織学的因子が組織グレードを決めるとされてきている。ただし、今のところグレーディングについては絶対的な診断基準はまだ存在しない。また、切除縁の性状のみが予後を左右し、他の組織学的因子は予後にはさほど影響しないという報告もある。過去の報告は症例数が多くないので、我々は335例のPT症例を解析し、予後と組織学的因子との関連を検討してみた。

 

【方法】

1992年から2002年までのSGHファイルから335例を抽出し、以下の通りに組織学的に分類し、比較検討した。(乳癌が4842例なので、それに対するPTの比率は6.92

良性:辺縁が圧排性増生を示し、細胞異型および細胞密度は低~中程度、核分裂像は4/10HPF以下、stromal overgrowthなし。

悪性:辺縁が浸潤性増生を示し、高度な細胞異型および細胞密度、核分裂像は10/10HPF以上、stromal overgrowthあり。
(さらに、悪性の
heterologous elementが存在した場合にも、悪性PTとする。)

境界悪性:上記の悪性所見の一部のみが見られた場合には、本カテゴリーとする。

注)Stromal overgrowthの定義=対物四倍、接眼十倍の視野内に、上皮成分がなく間質細胞のみの場合に陽性(あり)とする。

 

【結果1:病理組織所見の概略】

患者年齢は16歳から69歳、平均41.4歳、中央値42.0歳(40歳以上が57.6%を占める)。人種別では、中国系71.3%、マレー系16.1%、インド系5.7%、その他6.9%。左右はほぼ同数で、2例のみが両側発生であった。Overallの腫瘍径は0.924cm、平均5.4cm、中央値4.0cm。良性腫瘍の平均値は4.3cm、境界悪性が8.1cm、悪性が9.2cm

 

各群について下記の因子を検討し、それぞれの比率を算出した(訳者注1:膨大な量なので、詳細は原著論文table1を参照ください)
・肉眼所見における辺縁の性状、嚢胞状変化の有無、壊死、出血

・顕微鏡所見における粘液腫状変化、巨細胞出現比率、PASHの有無、出血、梗塞と壊死(karyorrhectic particleの有無や構築が保たれているか等で判断)、上皮増生の程度(三段階)、切除法(Ex., Wide Ex., Mastectomy)、断端状態(一部露出、広範露出、完全切除)

 

《主な所見まとめ》

間質化生11例に見られ、脂肪化生(良性)、軟骨粘液腫状化生(境界悪性)が各一例ずつ、他は全て悪性で、脂肪肉腫が5例、軟骨および類骨を含むものが1例、骨肉腫が2例、横紋筋肉腫+脂肪肉腫が1例であった。

上皮増生は全体の73.9%に見られ、内訳は軽度36.5%、中程度28.1%、高度9.3%。さらに悪性PTの一例では、DCISを伴っていた。

・腫瘍内上皮成分では、ADH5例、ALHおよびLCIS1例、扁平上皮化生が12例に見られた。

・腫瘍周囲組織には、DCIS1例、ADHおよびALHが各3例に見られた。

PTと同時にFAが切除された症例が14例あった。(同側が5例、対側が9例)

 

【結果2:再発関連因子】(訳者注2:同じく詳細は原著論文table2を参照ください)

・平均30.3ヶ月(中央値20.4ヶ月)の経過観察中、43例(12.8%)が合計57回の再発を来した。

・臨床病理的な20因子を検討した結果、再発との関連が認められた因子(p<0.05)は、以下の通り。

 数値は再発率)

1.腫瘍グレード:良性が10%、境界悪性が20%、悪性が23% ・・・・・ 腫瘍のグレードが高いと再発しやすい。

2.肉眼的出血:出血なしでは11.1%、出血ありでは24% ・・・・・ 肉眼的出血があると再発しやすい。

3.間質細胞の異型:異型の弱い群が10.7%、中程度の群が14%、高度な群が32% ・・・・・ 細胞の異型が高度だと再発しやすい。

4.顕微鏡的な辺縁性状:境界明瞭群では10.0%、浸潤性発育群では18.9% ・・・・・ 浸潤性発育腫瘍は再発しやすい。

5.間質細胞密度:低密度群では8.6%、中程度群では18.1%、高密度群では15% ・・・・・ 細胞密度が中程度以上だと再発しやすい。

6.壊死および梗塞:無い群では10.2%、梗塞群では21%、壊死群では23% ・・・・・ 壊死や梗塞を伴うと、いずれも再発しやすい。

 

(訳者注3:核分裂像と再発とは相関しないという結果が得られています。彼らはディスカッションの中で、上述のパラメーターをそれぞれレポートに記載するべきであると主張しています。)

(訳者注4:過去の別施設からの論文では、腫瘍壊死は予後規定因子であるとされています。6については、まだ今後の議論の余地があるでしょう。)

(続きます)

SGHのフィットネス(小ネタです)

SGHには職員専用のフィットネス・ジムが併設されており、職員は朝七時から夜九時まで、随時無料で使用できます。昨夜は金曜日の遅い時間帯ということもあって他の人がいなかったので、写真を撮ってみました。

P7231064P7231063
ご覧の通り、かなり広々としたスペースを有するフィットネスです。さすがにトレーニング機器の種類は民間施設ほど豊富ではありませんが、エアコンがよく効いていて照明も明るく、かなり快適な空間です。


ちなみにこの部屋の外には無料ロッカーとシャワールームまで設置されており、まさに至れり尽くせりとなっています。多いときには十人以上が使用しています。

病棟から呼ばれました(2)

(1)からの続きで、以下は私の雑感です。病理とは関係ないので、興味が無い方はスルーしてください。

シンガポールのように穏やかな国だと、片言レベルで生活していてもあまり不便がなく、私自身も入居前後の一ト月が若干大変だっただけで、その後は片言英語でも生活の苦労が予想よりはるかに少ない。逆に言うと、ふつうに生活しているとなかなか英語が上手くなりません。余談ながら、外務省によると海外在住日本人は既に百万人を越えているようですが(PDF9ページ参照)、言葉に堪能な人間はかなり限られるのではないでしょうか。

しかし海外で生活をすると、いざという時に(トラブル時に)やはり言葉の壁が大きく立ちはだかるなあ、とあらためて実感しました。今回の方のようにかなり長期間この国に住んでおられても、必ずしも医療を受けるに足るレベルの語学能力が身に付いているわけではない。もちろん医療費そのものも保険が利かない分日本より高くつきますが、それをクリアできたとしても言葉の壁がかなりの重圧となります。

医療について言えば、それを海外で受ける側だけの問題ではありません。シンガポールは医療立国をもくろんでいるらしく、前にも書いたとおり近隣諸国のVIPがSGHにやってきて手術を受けることが少なからずあるようですし、いずれは世界中から患者を集めようとしているとの噂を耳にします。つまり、英語が母国語だとそういうtacticsを立てることが可能になります。ひるがえって我が国では、医療レベル的には十二分にその権利があると思うのですが、患者にすべて英語で対応できるかというと、言うまでもなくそれはかなり難しい。医師もですが、大勢のパラメディカルがそれ以上にアウトでしょう。国策上、もしかすると大きなチャンスを逃しているのかもしれません。

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いつもこの場で強調することですが、若い世代の方々はとにかく英語駆使能力を高めておかないと、グローバル化した時代に生きながら、孤立した世界の中でしかコミュニケーションがうまく取れず行動範囲がうんと狭くなる、という状況に陥る可能性があります。どうか、このことをぜひ現実のこととして認識していただければと思います。アジアにありながら英語を母国語とする国シンガポールにいると、本当に日々嫌というほどに実感します。欧・米・豪の人たちが英語を話している姿を見るのと、インパクトがまったく違う。

先日、楽天の三木谷社長が社内公用語を英語に切り替え世界へ進出する第一歩とすると発表しました。ユニクロやパナソニックも国内新規採用者の多くが日本人でなくなっています。財界と異なり医療界では資格の問題があるので、日本の医師が自由に外で活躍するのはまだ当分難しいとは思いますが、しかし遠からずそういう波が押し寄せて、外からの患者をたくさん受け入れて競争しなくてはならない時代がやってくるかもしれません。そもそも、前述のように日本でもいよいよ皆が外向きの動きをし始めつつある時代に、自分達だけが内向きな閉鎖社会を形成することに、若い方々は精神的に耐えられますか?

(もちろん楽天の試みはどうみても極端すぎるので、成功するかどうかわかりませんが、それはここでは論じないことにします。私個人の意見としては、成功するにせよしないにせよ、心意気は素晴らしいと思う。とにかく第一歩を踏み出さないと、二歩目は永久にありません。)

こういうことを言うと、「英語だけできればいいわけじゃない」、「日本語の能力も大切だ」、「英語が世界共通語とは思えない」、等々いろいろな言い訳じみた反論が出てきがちなのですが、日本語の能力を高めることと英語の能力を高めることは二律背反ではありませんし、とりあえず現時点での世界共通語はもはやほとんど議論の余地無く英語ですので、言い訳をしたり逃げ回る前にやはり前向きに取り組むべきと思います。むろんブログ主の、「深い自戒と自省を込めて」、のコメントです。

もちろんシンガポールはかなり特殊だと思います。Dr.Tanによると、香港ではシンガポールほどには英語が通じないそうですし、上海ではさらにその率が落ちるでしょう(私が訪れた二十年前には、街中ではほとんど英語は通じませんでした)。ただし、これらの国でも若い世代では大きく変わる可能性が非常に高いと思います。現にシンガポールでも、五十代と二十代では英語駆使能力に明らかに差がありますし、台湾・韓国の若者の英語駆使能力はかなり高いようです。フィリピンに至っては、当病理部にも二名のフェローがいますが、言わずもがなです。他のアジア諸国の若い医師達も基本的に医学教育が英語ですので、シンガポールほどでないにせよ英語での業務には抵抗がありません。やや極端な言い方になりますが、遠くない将来に例えばシンガポールを中心としてアジア医療が世界標準と密に繋がるとき、携帯電話のように日本だけが蚊帳の外に置かれて、domesticな世界に閉じこもるのか。もちろんこれは言葉の問題だけではありませんが、日本の若い世代の方々には、ぜひそういうことをご考慮いただければ、と思います。(くどいけれど、私自身の「深い自戒と自省を込めて」のコメントです。私の英語駆使能力は、情けなく低い。)

P.S.
話は変わりますが、先日ここで二編の論文を紹介したところ、両論文の主著者であるDr.Ayeの名前をご覧になった新潟大学の先生からメールをいただきました。Dr.Ayeがミャンマーの病理学教室に所属しておられたころに、交流があったそうです。以下のホームページを教えていただきましたので、遅まきながらこの場で紹介させていただきます。

ミャンマーの医療を支援する会

地道な活動に頭が下がる思いですが、同時に同じ東南アジアに位置しながら、ミャンマーとシンガポールの経済レベルの差があまりにもあるのにあらためて驚かされます。どこかで読んだのですが、一人あたりのGDPは既に百倍の差があるとか。では、なぜシンガポールがたった四十数年間でここまで急速に発展できたのか?建国者リー・クアン・ユーが書いた本の内容の一部を、いずれこの場で紹介したいと思っています(日本語訳本がありません)。社会保障の項などを読むと、先を見据えたその慧眼ぶりに尊敬の念を抱かずにはいられません。

病棟から呼ばれました(1)

こちらに来て間もない頃のこと、病院の本部から、「必要なときに諸外国語の通訳や翻訳を頼める人がいたら、ぜひ登録をお願いします」という内容のメールが送られてきたので、私も登録しました。その後何もレスポンスがなかったのですっかり忘れていたのですが、今日の午後に携帯に連絡が入り、病棟で通訳をしてくれないか?とのこと。少し驚きましたが、私はこちらでは特に急ぎの仕事を持っているわけでもないので、目の前の仕事を軽く片付けて、三十分後に病棟へ出向きました。

日本と違って病棟のエレベーターホールの入り口と出口には守衛が複数名いて、常に不審者をチェックしています。もちろん私は医師の名札と通行証を持っているのでふだんでも入れるでしょうが、用もないのに行くことはかなりはばかられる雰囲気で、病棟に入るのは今回が初めてでした。そもそも、私が医師として病棟に入るのはたぶん十五年ぶりくらいです。日本で病理外来をやることがたまにあったので、患者さんと接して話をする機会はこれまでもちょくちょくあったのですが、今回は異国の病棟で知り合いゼロですし、入室前には少し緊張しました。

病棟には大部屋と小部屋があり、具体的な金額はわかりませんが、当然小部屋の方が値段が高い。大部屋は四人相部屋で、こちらもかなり空間的には余裕がありゆったりとしていました。もっとも、日本でも最近の大病院はこれくらいのスペースのところが多いとは思います(さすがに写真は撮りませんでした)。全体の雰囲気や設備は、日本のそれとまったく変わりません。NSステーションもNS達の雰囲気も日本のそれとほぼ同じで、違和感はありません。新しい建物なので、とてもきれいです。大部屋の各ベッドには天井から吊り下げ式のテレビがあり、また入院患者さんは食事のメニューを選べるようになっていました。

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患者さんは六十代の日本人男性。プライバシーの保護上その疾患については詳細を省きますが、準緊急手術が必要な患者さんで、しかも複数科が共同で診ていく必要のある状態でした。ご本人はかなり長期間(十年以上)こちらで働いておられるので英語のやり取りは可能で、奥さんもご主人と同じかそれ以上のレベルらしいのですが、それでもやはり医学用語となると理解しがたいとのこと。日本人ドクターのいる病院も他にあるのですが、準緊急ということもあり、SGHでそのまま処置を受けることになったようです。

もっとも、私を必要としていたのは患者さんというよりも病棟のドクター達だったらしく、彼らが病院本部に連絡をして、そこを介して私に連絡があったようです。彼らは私が何者かを知らなかったらしく、自己紹介をしたらどちらの科の先生も嬉しそうな表情になって、「ありがたい、とても助かります。」、と言いました。まさか通訳を呼んで病理医が来るとは思っていなかったのでしょう。

主な病状や臨床側のプランを聞いた上で、病状説明および手術の必要性、合併症などについて主治医に代わって説明をしました。手術前の説明というのは、日本語であっても医師・患者のどちら側にとっても時に難しいわけですから、たしかにこれをすべて英語でやられたら一般の人はちょっと厳しいでしょうね。とりあえずお役に立てて何よりでした。たぶん術後も治療が続くので、何回か呼ばれると思います。

(続きます)

自動印字機(小ネタです)

四月の部内見学の時には気付かなかったというか、見逃していたのですが、切り出しの隣部屋にパラフィン包埋カセットに自動印字する機器を見つけました。

P7121036こんな具合にカセットが縦にずらりとプラスチックケースというかスタンドの中に重なっていて、色によってそれがいくつかに分けられています。印字機は左側にあるディスプレイとPCが繋がっており、そちらで操作すると、指定したスタンド内の一番下からカセットが自動で印字機内に送り出されて、レーザー印字されて下のシルバーの台からポコンと飛び出してきます。


この印字機は日本製ではありませんでしたが、同様の機器は日本でも使われているのでしょうか。私は初めて見ました。

P7131038これが印字されたカセットです。ごらんの通り小さな文字も非常にくっきりと印字され、アルコールを通しても乱暴にこすっても消えません。これは便利そう。以前にも書いたとおり当病理部は昨年データで年間組織検体数4.5万件、ブロック数が約14万個ですから、これで相当に省力化できているのだろうと思います。(もちろん切り出し担当者が汚い手で直接キーボード操作するのではなく、サポートする専任の方が打ち出しています)

前立腺の切り出し

今日は乳腺ではなく、前立腺の切り出しにたまたま立ち会う機会があったので、紹介します。
(ちなみに、PubMedで論文をサーチしていただければわかりますが、大ボスのDr.Tanの専門は、乳腺および前立腺です)

ふだんはホルマリン固定されて提出されるのですが、たまに研究用のfrozen tissueを採取することを依頼されるらしく、本日は切除直後の生状態で提出されていました。病理側の仕事はあくまでも採取だけらしいのですが、ついでにそのまま切り出しもしてしまうというので、フニャフニャの生臓器だから割を入れるのが大変だろうなと思ってみていたら、こんな機器が登場しました。

P7080982P7080980
調理用のゆで卵スライサーみたいな器具です。U字型断面を持つ半パイプ状の金属に、細かい溝というか切れ目が入っています。片側は透明プラスチックいたが固定されており、もう片方は可変式。



P7080972のコピーP7080973のコピーだいたい想像が付くと思いますが、この中へこのように生材料を入れて、両側からプラスチック板でしっかりと固定して、切り出し用の薄い刀で切っていくわけです。私はこういう機器を見たことがありませんでしたが、日本国内でも同様の機器を使っている施設はありそうです。



P7080976横から見るとこんな感じで、刃が飛び出しています。ちなみにこの機器は自分たちで作った特別製品らしく、市販はしていません。現在これの自動版、オートスライサーを開発している最中だそうですが、前立腺のみならず乳腺その他でもどんどん使えばいいのに、と思いました。(今は前立腺専用だそうです)



P7080974のコピー切り出された一ブロックというか一切片です。これはどこでも同じだともいますが、こうやって順番にカセットに入れていきます。マッピングをするので、ここに見えている通常カセットではなく、四倍の大きさの大型カセットに入れていました。なお、当然ですが全ての切離面を色付きインクでマーキングしています。


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前立腺の切り出しで日本の多くの施設と異なるであろう点は二つ。一つは遠位側の一切片のみ細かく垂直というかtangentialに切っていくこと(つまり近位側の切片はその割面のみしか標本化されませんので、断端評価が甘くなります)、もう一つは各割面の写真やコピーを取らないということです。

異論はあるでしょうが、以前にも書いたとおりやはり私は割面をきちんと記録に残しておく方が良いと思います。かつての35ミリスライド時代ならともかく、今のデジタル画像だったら一枚一メガ程度の画像を百万枚撮っても一テラ、今や個人でも何ら問題なく管理できる容量です。いくらSGHの検体が多くても年間百万枚は撮影しないと思いますし、別に二百だろうが三百だろうが保存には問題ありません。
(それにしても恐ろしい時代ですね。私が二十年近く前に買ったMacのノートは、HDが40メガで四十万円以上しましたし、さらにその十年前に買ったPCは、HDどころかフロッピーもなくて記憶媒体はカセットテープでしたが、それでも本体価格は二十万円以上だったと記憶しています。)

私は通常ルーチンワークの当番には入っていませんが、時折Dr.Tanから乳腺症例を回してもらってレポートを書いています。もちろんDr.Tanがチェックの上で最終登録してくれるのですが、いつも思うのはやはりマクロ所見がわかりにくいなあ、ということです。最初は英語に慣れていないせいかと思っていましたが、多少慣れてきてもやはり分からんものは分からんです。

例えばinvasive lobular ca.でも断端は目視で上下左右の一カ所ずつだったり(もちろんmastectomy症例での話です)、近接して二つの腫瘍があるように見える重複疑い症例でも、両者を結ぶ線に直角方向の切片をいくつも作ってきちんと連続性を確認するというようなことをしません。両者を結ぶ線と平行に標本を作っておしまいです。これでは厳密な連続性は評価できない。もちろん切り出し担当者の性格や経験にもよるのですが、全般に日本の方が切り出しは丁寧だろうなと思います。他の臓器についてはあまり多くを観察していませんが、恐らく同様だと思います。
(ただし、日本での細かい作業に、それを正当化しうるだけのコストパフォーマンスがあるかどうかは私には分かりませんし、実は本当はそこが一番重視されるべきなのかもしれません)

もう一つだけ付け加えると、これは切り出し側の問題ではなく提出側の問題だと思いますが、全体的傾向として固定状態はあまり良くありません。もちろん日本国内でも提出する側の意識の高さ(低さ)によって全然違ってくるわけですが、これまで非常勤を含めて二十カ所以上の施設で鏡検してきた経験をもとに比較すると、固定状態は日本の方が概ね良いと思います。それもかなり。ただ、いつも書いているとおりSGHは施設がものすごく大きく医師数も膨大なので、なかなか提出する臨床側に良い固定方法を徹底させるのは難しいだろうとは思います。

(注)
いつものことですが、これらの写真は全て病理部チーフのDr.Hwangの許可を得て掲載しています。Dr.Tanは検査部全体のボス、Dr.Hwangはその中の病理部のチーフです。

ホームパーティ(2)

先週今週と職場の話題が少ないので、プライベートな話題で恐縮ですが、五月末のDr.Tan宅のホームパーティに引き続いて、先週末にDr.Mのご自宅に招いていただいた際のことを書きます。(病理の項目以外に興味のない方は無視してください)

以前にも書きましたが、Dr.MはSGH病理部最年長の病理医で、現在は隔週のパートタイムで勤務されています。といっても出勤される週は朝の検討会にも出てこられますし、知識量といいまだまだ現役バリバリの病理医です。見た目もですが、非常にテキパキとした立ち振る舞いから、実年齢より十歳は若く見えます。

彼女は明るく外向的、かつとても気の利く優しい人物で、日本から初めてやってきた私をよく気遣ってくれます。病理部で仕事をするとどうしても鏡検主体となりあまり人と話をしなくなりがちですが、折を見てはわざわざ話しかけてくれたり、時々我々の部屋に自ら作ったケーキを差し入れてくれたりしています。ご主人は外科医で、二人して世界中の病院を回った経験があるようで、日本の医療レベルや過酷な労働条件などの問題点、あるいは日本社会そのものが抱えている諸問題も、実によくご存じです。(平均的日本人よりも良く理解しておられるかもしれません)

P7050958のコピーP7040954のコピー郊外にあるDr.Mのご自宅は、HDB(公営住宅)ではなくコンドミニアム(私営住宅)で、かなり以前に購入されたそうです。とても広い。シンガポールは近年地価高騰が著しく、一億円超のコンドミニアムが発売直後からどんどん埋まっていくそうですが、昔はそんなに高くなかったとか。今回のホームパーティには同僚であるDr.Aとそのご家族がメインで呼ばれ、他に私を含む職場のメンバー数名も呼んでいただきました。

Dr.Aの娘さんのうちの一人はシンガポールのヤマト運輸に勤務していて、かなり上手に日本語を話します。たぶん私の英語よりも上手でしょう。ふだんなら大歓迎なのですが、なにせ他の方々が英語なので、正直なところ私はかなり混乱しました。懸命に英語で話していると流ちょうな日本語で返事が返ってきて、それではと日本語で応対していると、今度は他の人と話すときに強く意識して英語に切り替えなくてはならない。正直なところ、全て英語で話すよりも疲れました。ふだんから三カ国語四カ国語話す彼らの能力に、あらためて脱帽です。
(件の娘さんも、中国語は日本語以上に流暢らしい。むろん母国語は英語です)


P7040956のコピーP7050959のコピーパーティは、購入後に改造された半屋外のテラスで肉や魚を焼いてワインを飲みつつ始まり、そのあとで屋内へ移動してコーヒーとケーキをいただきながら、ダイビング歴二十年間以上というDr.Aの世界各国でのダイビングシーンを皆で鑑賞したりして過ごしました。


Dr.Aのみならず、そのご主人やDr.Mのご主人もダイバーです。シンガポールは赤道直下の国で、隣国のマレーシアやインドネシアをはじめ、有名なタイのプーケットやフィリピンのセブ、あるいはインド洋のモルジブなども近く、国内に便利この上ないチャンギ空港を有することもあり、非常に気楽に潜りに行けるようです。

Dr.Aは南アフリカやコモド島(インドネシア領)、驚いたことに伊豆にも行っていて、さらに海のみならずサハラ砂漠のトレッキングにも参加されていました。うらやましい話ですね。日本でこんな自由に世界中を遊び回っている病理(専門)医というは、少なくとも私のまわりでは一人いるかいないかです。SGHでは年休三十日を常にフルに使えるからこそ為せる技ですが、やはり病理部内に人員が多いというのがとても大きいと思います。大勢の予定がかち合わない限り、だいたいいつでも好きなときに一~二週間ほどの休みを取れるようです。
(余談ですが、Dr.Aの使ったノートパソコンはソニーのバイオ、撮影カメラはオリンパス、Dr.Mの自室にある大型液晶テレビはパナソニックと、全て日本製で、ついでにDr.Aの車はホンダCRV、Dr.Mの車もレクサスと、日本製品のオンパレードでした。病理部の顕微鏡も、ほとんどがオリンパス製。)

実にくつろげる素晴らしいひとときを過ごさせてもらって感激している私に、Dr.Mは笑顔でこう言いました。「私は本当にラッキーだったのよ。この家を買えたのもラッキーだったし、良き家族に恵まれ、やり甲斐のある職と素晴らしい職場や仲間にも恵まれた。昔はこんなすばらしい人生を送れるとは思ってもいなかったわ。明日死ぬことになっても、私は全然不満がないのよ」。

この国の歴史は45年ですので、建国時にはDr.Mは二十歳前だったことになります。つまり、成人後の人生=シンガポールの歴史ということですので、空前とも言えるこの国の大発展が彼女自身の人生とシンクロしてきたわけで、そう考えると彼女のこの言葉がとてもよく理解できます。ほとんどゼロから出発した国ですから、うんとドラマティックでうんと充実した人生だったことでしょう。羨ましい限りです。

P7050962P7050965のコピー帰りは親切にも私の自宅までご夫妻が車で送ってくれたのですが、なんとそのために実のお兄さんからロールスロイスを借りてきてくれました。ふだんからレクサスに乗っておられるので、それでも十二分に感激ものなのに、まさか自宅までロールスロイスで送っていただくことになるとは。とても恐縮してしまいました。私の人生で、最初で最後の経験でしょう。

彼女自身も、あるいは外科医であるご主人も、人生の成功者という感じですが、お兄さんはそれを上回るサクセスストーリーを歩んでこられたようで、工場をいくつも持っておられる大実業家そうです。このロールスロイスも、買ったはいいが全長六メートルの大きさをもてあまし気味であまり乗っていないらしい。もったいないというか、贅沢な話ではあります。

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自宅に送っていただいたあとで、Dr.M夫妻やそのお兄さんの人生を我が国でたとえると、(成人後に戦後急成長を体験した)昭和初期の方々の人生に類似しているのではないかと、思い当たりました。一般に、こういう経済的な急成長というのは途上国が先進国に生まれ変わるときに一度だけあるもので、今後このような急カーブの成長が続くはずはありません。リー・クアン・ユーの本を読むとこの国が建国時からいかに徹底して資本主義をやってきたかがよくわかりますが、こういう顕著なサクセスストーリーの世代の次は、我が国と同じように次世代次々世代とどんどん行き詰まっていくのか、あるいは(未来永劫ではないにせよ)成長カーブは緩やかになっても発展し続けるのか。

シンガポールの我が国に対するアドバンテージは、舵取りをする政治家がきわめて優秀で国のシステムが合理的であること、かつ歴史が浅く国が小さいので思い切った政策をとれること、世界標準となった英語を母国語とし、さらに今後需要が急増するであろう中国語も広く使われていること、などでしょう。逆にディスアドバンテージはそれの裏返しになりますが、国土が小さく天然資源に恵まれないこと(私見ですが、日本は日本人が思っているほど小さい国でも天然資源に乏しい国でもありません。いったい誰がそんな自己を矮小化するようなネガティブキャンペーンをやってきたのか)、他民族・他宗教国家なので舵取りを間違えると瞬時に崩壊する危険性を常にはらんでいること、などでしょうか。

本ブログ内では私が常にシンガポールを賞賛しているように見えるでしょうが(ブログの趣旨上当然そうなります)、一方でこの国には言論や政治活動、宗教活動の自由がほとんどありません。チューインガムの持ち込みが禁じられていることに象徴されるように、全てが細かく規制され取り締まられていて、罰則も極めて厳格かつ重い。「幸せな北朝鮮」と揶揄する人がいるくらいです(この言葉は、こちらに来て数回聞きました)。当然負のエネルギーも徐々に溜まっていくでしょう。つまり全てが順風満帆ではないし、当然ながら百点満点の国でもありません。

ただ、海洋国家というか島国であることと、ユーラシア大陸から見て地政学的要所に位置していることなど、人種以外にも日本との類似性がかなり高い国ではないでしょうか。母国日本との比較という意味も込めて、個人的に今後のシンガポールの進み方にはとても興味を持っています。

論文の紹介(2)

(1)からの続きです。引き続き、予後についての検討が為されています。

 

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Triple Negative Breast Cancer: Outcome Correlation With Imuunohistochemical Detection of Basal Markers

Thike AA, Iqbal J, Cheok PY, Chong AP, Tse GM, Tan B, Tan P, Wong NS, Tan PH

Am J Surg  Pathol. 2010 May 20 [Epub ahed of print]

 

【対象と方法】

・前回検討に基づき、CK14, EGFR, 34bE12の免疫染色のいずれか一つが陽性であれば、Basal-like phenotypeとする。

(訳者注:前回同様なので、TN653例中、Basal-like54984%)

・観察期間は1-185ヶ月、平均88ヶ月、中間84ヶ月。

・腫瘍の局所再発と遠隔転移の両者を再発と見なす。

 

【結果1】

TN乳癌全体で、再発は12820%、死亡は15824%(死亡のうち再発は70例なので、半数以上は他因死と思われる)。

TN乳癌全体での再発のうち、局所再発が2520%、転移が6349%、両者が76%、対側発生が3325%。

TN乳癌全体での再発のうち、67%は初診断から三年以内に生じている。

 

【結果2】

TN乳癌の中で以下の項目についてbasalnon-basal typeを比較検討した。

年齢、腫瘍径、核分裂像、グレード、IDC or non-IDC、随伴DCISの有無、脈管侵襲の有無、リンパ節転移、浸潤様式

(訳者注:書ききれないので、詳細は原著tableをご覧下さい)

・転移70例のうち、basal60例、non-basal10例。

basal TN乳癌はnon-basal TN乳癌に比較すると、若年者に多い、核グレードが高い、腋窩リンパ節転移が多いなどの特徴がある。

 

【結果3】

・単変量解析によるTN乳癌全体の予後検討結果は、以下の通り。(DFS=disease free survival, OS=overall survival

1)DFSを短くする因子=若年性、脈管侵襲、圧排性浸潤

2)DFSOSのいずれをも短くする因子=大きな腫瘍径、高い核グレード、リンパ節転移

 

・多変量解析では、以下の通り。

Overall

1)OSを短くする因子=高い核グレード

2)DFSOSのいずれをも短くする因子=若年性

【リンパ節転移陰性例】

1)OSを短くする因子=若年性、高い核グレード

2)DFSを短くする因子=大きな腫瘍径

【リンパ節転移陽性例】

1)OSを短くする因子=高い核グレード

 

【結果4】

・免疫染色スコアリングを用いてKaplain-Meier曲線を作成すると、CK17陽性TN例ではDFSOSの両者の低下が見られ、CD117陽性TN例ではOSの低下が見られた。また、(なぜか)SMA陽性TN例では、DFSが良い傾向が見られた。

basalnon-basalの全体比較では、DFS/OSのいずれもbasal群が悪いものの、統計的に有意な差を得るには至らなかった。

 

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若干ややこしい結果になっていますが、TN乳癌全体では若年性発生、高い核グレードが特に予後を悪くする因子であり、またTN乳癌の中で比較した場合には、(統計的に有意な差を得るには至らなかったものの)basal-like typeの方がNon-basal typeよりも全般に予後が悪い傾向にある、と言えると思います。特にCD117(=KIT)陽性例でOSが悪いというデータが示されたことは、今後KIT陽性乳癌のGleevec治療の議論につながるかもしれません。

 

なお、これらはブログ主による抄訳・抜粋に過ぎませんので、方法論や結果の詳細については直接原著論文を当たることをおすすめします。(もしも明らかな間違いがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。)

 

論文の紹介(1)

先週は国内の乳癌学会で一時帰国していたので、更新できずにいました。学会ではワークショップで話す機会を与えていただきましたが、自らの発表内容はこちらに来る前のデータで、この場で報告する意味があまり無いので、つい最近SGHから出たばかりの最新のTriple Negative乳癌の論文の概要を、自分の勉強も兼ねて紹介いたします。
(昨年の終わりに出たModern Pathologyの論文と先月出たばかりのAmerican Journal of Surgical Pathologyの論文は、内容が対になっているので、二つ続けて紹介します)

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Triple-negative breast cancer: clinicopathological characteristics and relationship with basal-like breast cancer.
Thike AA, Cheok PY, Jara-Lazaro AR, Tan B, Tan P, Tan PH.
Mod Pathol. 2010 Jan;23(1):123-33. Epub 2009 Oct 23.

【対象と方法1】
・1994~2007年にSGHで診断された乳癌が7048例あり、その内訳はDCISが1145例、浸潤癌が5903例。今回は後者のみを研究対象とした。
・5903例中767例がTriple Negative(ER-, PR-, HER2-)であり(以下TN乳癌)、これらのうちCNB(針生検)を除いた679例を対象とした。
・ER, PR, Her2の再レビューを行って不適切例を除き、最終的に653例が残った。
・これらTN乳癌全例にtissue microarrayを施行し、下記の免疫染色についてスコアリング(0,1+,2+,3+)を行い、その比率を明らかにした。
→ CK5/6, CK14, CK17, CD117, EGFR, p63, SMA, 34bE12
・さらにこれら653例について、下記データを検討して明示した。
→ 年齢、人種、腫瘍径、grade、subtype、随伴DCISの有無、リンパ管侵襲の有無、リンパ節転移、核異型、核分裂score、tubular formation score、浸潤性/圧排性、壊死、リンパ球浸潤の程度、growth pattern

【結果概要1】
(訳者注:書ききれないので、詳細は原著tableをご覧下さい)

・40歳以下は98例15%。
・人種別では中国系が82%、残りはマレー系、インド系、その他。
・腫瘍の平均径は29mm。
・核グレード3の症例が503例77%、核分裂スコア3の症例が453例69%をそれぞれ占めている。
・組織型は、IDC(NOS)が606例92%とほとんどを占め、次いでMedullary ca.が18例2%、ILCが15例2%と続く。
(訳者注:日本の乳癌分類とは若干異なり乳頭腺管癌・充実腺管癌・硬癌がすべてNOSに含まれており、さらに乳頭腺管癌の一部がpapillary carcinomaとして別扱いになっています)

【対象と方法2】
次いで、これらTN乳癌中からBasal-like ca.を抽出する染色パネルを決定するために、以下の予備実験(検証)を行った。
・過去にcDNA microarrayデータを得ている61例を用い、
(訳者注:上記との重複があるかどうかは不明ですが、たぶんあるでしょう)
・上記の免疫染色結果と、過去のarray profiling dataとを比較して、合致率を検討した。

【結果概要2】
・上記の免疫染色をいろいろ組み合わせ、ROC曲線を用いて検討した結果、一種類あるいは二種類の抗体によるチェックでは特異度は高いものの感度が低く、CK14/EGFR/34bE12のトリプルパネルが、Basal-like typeの検出に最も有用であると判断した(specificity100%, sensitivity78%)。
・このトリプルパネルを用いて上記のTN乳癌中653例を再評価すると、549例84%がBasal-like typeに相当した。
(訳者注:本論文の検討では、CK5/6は感度が低すぎると判断されています)

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ポイントとしては、本来cDNAアレイ上の疾患概念であるBasal-like typeを免疫染色で抽出するのにトリプルパネルが必要であったこと、さらにTN乳癌の八割以上がBasal-like typeであること、などでしょうか。現時点では、TN乳癌とbasal-like typeの関連においては世界で最も症例数の多い論文ではないかと思います。

レジデントへのインタビュー(4)

今日は一年目のジュニアレジデント、Dr.Lとのインタビュー内容を紹介します。

Dr.Lは一見日本人と区別が付かない顔立ちで中華系かと思ったのですが、マレーシア国籍です。父親は中国系だそうで、このあたりシンガポール同様マレーシアも人種はけっこう複雑らしい。中華系の言葉を三種類使いこなし、さらにマレー語と英語も堪能です。父親の出身は中国の南の地方だそうで、母国語はちょっと特殊な言葉なのだそうです。我々は中国語というと北京語と広東語しかないような気がしますが、実際には百以上の言葉があるらしい。考えてみればあれだけ広大な土地でしょっちゅう民族も入り交じっているわけですから、言葉が複雑化するのは当たり前ですね。そう言えば、中国人がお互いに会話できるようになったのは北京語(Mandarin)が普及した比較的最近のことだと、どこかで読んだ記憶があります。

彼女はマレーシアの大学を出て、マレーシアでインターン研修をしました。本来であればそのままマレーシアでずっと仕事をするはずだったと思うのですが、前回少し紹介したとおり、2007年からシンガポールはマレーシアの医師資格をそのままスライドすることを認可しました。医師不足に悩むシンガポールが、医師輸入を計ったと考えて良いでしょう。彼女はそれに応募して、シンガポールで医師としてのトレーニングをすることにしたわけです。余談ながら、かつてシンガポールはマレーシアから切り離されるようにして独立させられた国ですが、今や経済状況は完全に逆転しており、マレーシアからシンガポールへ出稼ぎに来ている人がたくさんいます。私も既に休日に二度マレーシアに行きましたが、国境を越えた瞬間に街の風景や走っている車の値段というかランクが変わるので、経済状態に大きな差があることをすぐに実感します。
(マレーシアからすると、せっかく自国で育てた医師をシンガポールに取られる形になるので、何らかの軋轢が生じているとは思うのですが、そのあたりの詳細については今回は聞く余裕がありませんでした。機会があれば、彼らに聞いてみたいと思います)

さて、マレーシアも英領でしたので、教育システムはシンガポールに似ています。卒後研修は二年間で、内科・ギネ・整形・外科・小児科・麻酔科をそれぞれ回るのだそうです。その二年間を終えてから彼女はシンガポールへ来て、最初は彼女の当初の希望であった循環器研修をしたのですが、あまりにも対象臓器がピンポイントであることに加え、循環器研修のハードさに嫌気がさしたらしく、上司に相談した上で、半年後に病理に転向してきたとか。先日書いたとおり、これはかなり希なケースだと思います。なぜ病理を選んだかと聞いたところ、全身を勉強することができるから、とのご返事。さらに、放射線科では実体から離れてしまうし、総合医では深く物事を勉強する機会がほとんどない、なので基礎医学にも比較的近い病理にした、と説明してくれました。どうやら基本的に勉強好きな真面目な人物らしい。

ずっとシンガポールにいるのか、いずれマレーシアに戻るのかはまったく考えていないそうですが、マレーシアとシンガポールであればそんなことは大して悩むことではなく、元々同じ国だったのですから戻りたいときにいつでも戻ればよいという感覚なのでしょう。

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以下、例によってまったくの私見です。(ちょっと政治的な話ですので、嫌ならスルーしてください)

英国は数世紀にわたる植民地支配の歴史から十分な経験を積んで、目に見えにくいところで実に巧みな外交をやっているなあという印象を、ここに来てあらためて受けています。日本人は海外というとアメリカを考えがちですし、実際アメリカは圧倒的軍事力を有するのみならず、科学においても膨大な資金をつぎ込んで世界中の研究者を呼び込んできたわけですが、では果たしてその投資に見合うほど世界中で尊敬されているのかというと、どうもあまりそういうことはなさそう。むしろ中東にしろアフガンにしろ、イスラムを相手に恐らく百年単位の怨恨を残すことばかりしている気がします。

一方、英国はというと、実は19世紀にはインドや東南アジアでも相当なことをしてきたはずなのですが、なんかそれが蒸し返されることもなく、上手に今でも旧イギリス連邦として共同体を形成しています。パレスチナ問題だって、そもそもは英国の二枚舌外交が発端なのに、今や誰もそれを蒸し返そうとしません。シンガポールでは反日感情を感じることはほとんどなく、むしろこちらに住む日本人に聞いても親日的だという印象を持っている人がほとんどですが、しかし英国(人)はむしろ尊敬・尊重されています。シンガポール建国以来、英国は自国経済がガタガタだったせいもあってほとんど金銭的な援助活動をしていないのに、そのくせソフト面でのコントロールが実に上手い。ちょっと皮肉な言い方になりますが、最小限の金銭的負担で最大限の恩を売る術に、実に長けているように見える。

病理部のチーフであるDr.Tanはかなり頻回にoverseas consultationをしていますが(なので、英連邦内の「目合わせ」はかなりできているはずです)、コンサルト先はというとほとんど英国か豪州のようです。先日来書いているように専門医資格も共通ですので当然と言えば当然なのですが、こういった英国の影響力は病理あるいは医療に限ったことではないようです。少し遠目から冷静に観察すると、今後アジアが隆盛を誇るようになっても、あるいは最近時折言われるように世界の多極化・ブロック化が進んでも、英国は自分たちが上手にその中で立ち回れるよう既にセットアップを済ませているような気がします。(話に出てきませんでしたが、香港も当然ながら旧イギリス領です。)

日本人研究者

(最初にアップロードした内容に若干の間違いや不適切箇所があったことを板鼻先生から直接指摘していただいたので、訂正いたしました。板鼻先生にも、この場を借りてお詫びいたします。11/June/2010)

SGH構内にあるDuke-NUS大学院研究施設に日本人研究者を見つけ、アポを取った上で本日訪問させてもらいました。

P6100845P6100847これがDuke-NUS大学院です。大きなビルで、まだ新しい。入り口は病院ほど厳重ではありませんが、それでもSGHのバッジを胸に付けていてもフロントで止められてどこへ行くか聞かれ、そこへ電話を入れて確認が取れてから入っても良いというOKが出ました。


P6100848板鼻康至 先生です。

私と同じ1966年の生まれで、京大理学部を卒業されてから1996年に米国に渡り、サンフランシスコやノースカロライナなどで十年間以上過ごされたのち、半年前にDuke-NUSに来られたそうです。

最近の厳しい就職事情から約百カ所の研究施設に応募されたそうですが、既に米国のGreen Cardを取得されているにもかかわらずあえてシンガポールを選んだ理由はというと、やはり待遇面が他よりもかなり良くて、しかも受け入れ側の方もかなり積極的だったからだそうです。スタートアップ時点で、米国の平均的なラボの倍近いと思われる研究費を与えられるようで、しかも設備を含む研究環境も、米国の平均よりは明らかに上だそうです。米国のGreen Cardは一年以上他国に住んでいると失効してしまうのだそうですが、たぶん短期間で米国に戻ることはないだろうから、苦労して取得した資格であっても失効は既に覚悟しているご様子。

米国の研究者は取得したグラントの中から、研究費のみならず自らの生活費や雇ったポスドクの給与も出さねばなりませんが、ここシンガポールでは自分の給与はグラントとは別に確保されているそうです。もちろん米国同様にラボ開設当初はスタートアップ資金が与えられ、具体的な数字は伏せますが、研究助手を二~三人雇えるくらいの金額だそうです。三年後に中間審査、六年後に正式審査があり、そこで再度契約できるかどうかが決まります。そして六年後の審査をパスすると、もう終身だそうです。
(もちろん研究を続けるためにグラントは自分で取り続けなくてはなりませんが、その後の審査はないらしい。ちなみにシンガポール国内で応募するグラントもたくさんあるようです)

外国人ラボヘッドの場合は、住居費・教育費などを大学が三分の二負担するそうで、シンガポールの本気ぶりがわかります。Institutionによってはグラントを取らなくても自動的に国が研究費を支給するところさえあるくらいだそうです。驚き。(さすがに最近はそういうところが減っているそうですが)

ポスドクの給与は、例えばDuke-NUSでは最低で月に4100SGDと決まっているものの、実際にはシンガポールの場合はシンガポール人のポスドクというのがほとんどいないようです。大学を卒業した人間のうち大学院にストレートで行けるのはトップのごく一部だけで、他は二~三年ラボでポスドクならぬプレドク生活をして、その間に技術や知識を習得し、場合によっては業績もきちんと上げてから大学院に行く、というが通常のパターンだそうです。日本では院浪人に相当するのでしょう。院を卒業した人間は、企業に就職するか、ポスドクポストを求めて海外へ出るそうで、やはりこのあたりは、いつも私が羨ましく思うように母国語が英語であるアドバンテージが生きるようです。

また、先日も紹介しましたが、現在ではアメリカ式に他学部を卒業した人が入学できる四年生医学部がDuke-NUSに設立されており、その学生は最初の一年間で基礎と一部の臨床科目を教わり二年目からは臨床実習主体となるのですが、三年目は各研究室に配属されて一年間研究助手をすることになっているそうです。板鼻先生の印象では、学生の質は非常に高いとのこと。四年目になると再び臨床実習に戻り、卒業、インターン研修となります。
(私の感想としては、研究助手を増やす目的と、将来医学部を出てから基礎研究を目指す人材を増やす目的をもつ、一石二鳥を狙ったシステムではないかと思いました。ただ、一般の医学部生が五年間のところを実質三年間で卒業となると、彼らのカリキュラムはかなり厳しいでしょうね。先日書いたとおりまだ施行されたばかりなので、今後このシステムについては多少の変更があるかもしれません。)

板鼻先生曰く、国の中でも国の内外でも非常に人の動きが活発だという印象だそうで、いかにもシンガポールだなあという感じです。研究レベルそのものも予想よりも高く、しかも国が小さいために他の施設も近くて共同研究などもしやすく、環境としてはかなり良いとのことでした。

もしも本ブログをご覧になっている若手の方の中で、真剣に基礎研究を志したい、海外できっちりとした研究生活を送ってみたいと考えておられる方がおられましたら、板鼻先生に直接連絡してみてはいかがでしょうか。むろん生半可な気持ちでは受け入れ側に迷惑をかけるばかりになりかねませんが、もしも本気でやりたいと思っているのであれば、もしかすると今は米国よりも良い研究環境に身を置けるかもしれません。

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2000年頃からシンガポールは国策として医学・医療に重点を置き、人材を集め始めたようです。Duke-NUSも、HPによると構想は2001年からですが、実際には2005~2006年に始まっています。次回あたりに書きますが、基礎研究だけではなく臨床医療についても、2006年頃からシンガポール国内の医師不足を補うために隣国マレーシアの医師資格をそのままスライドして認可するようになっています。

国の方針としてだいたい五年間を一単位として考えているらしく、板鼻先生のお話では、最初の五年間は基礎研究に対して投資、次に臨床応用を主体に投資、次にはそこから回収できるようなアプリケーションへの投資と、だいたいこういう方針なのではないか、とのことです。医学に限らずシンガポールは常に投資とそこからの収益を考えながら動く、まさに資本主義の権化のような国ですので、もしかしたらそろそろ基礎研究への投資範囲も限定されてくるかもしれないと、若干危惧もされていました。例えば、製薬などの「金」になる部分の研究への集中投資に切り替えていくのではないか、ということです。シンガポールに限らず、ヒトゲノムが解読された2000年頃の高揚感に比べると、この十年間の基礎研究からのリターンは当初の予想よりはかなり少ないという印象を持っている人が多いはず。そのあたりの方針変更についても、この国は規模が小さいこともあって柔軟に対応していきそうです。

いずれにしても、先日書いたとおりやはり五年ひと昔という時代なのではないでしょうか。

ところで、雑談しながら理解したことですが、この国では外国人労働者の場合は医療保険が無いようです。アメリカでは、例えばある研究所や企業に就職した場合、その人の医療費は基本的にその施設が負担します。雇う側からすると、給与に加えて医療保険も負担しなくてはならないのでとても大変なわけです。ところがシンガポールの場合は、日本の国民皆保険制度とは違いますが、国民は強制的に所得の20%以上を天引きされてストックさせられますので(CPFという優れたシステムで、これが将来の年金となります。つまり積み立てシステムで、日本のような賦課システムとは異なります)、いざというときはそこから医療費も捻出させられます。それに対し、外国人にはこのシステムが適応されませんので、逆に医療費は自分で払ってください、となります。アメリカのように法外に高いわけではないと思いますが、日本のように法外に安い負担金ということもないでしょう。このあたりは、機会があればもう少し詳細にいろいろな人の話を聞いてみます。

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P6100850P6100851
ラボとベンチを見せてもらいました。大部屋内に各ラボのスペースが割り当てられていて、物品は当然ながらとても新しい。現時点では、ご自身を含めて研究者はまだ三人とのこと。今後のご活躍を心から期待したいと思います。


なお、今回は板鼻先生の研究内容についてはお聞きする時間がありませんでしたが、p53結合蛋白であるARFを主な研究テーマとされておられます。興味のある方はPubMed等で検索してみてください。

四月のセミナー&パーティのことなど

まだこちらに来て間もなかった四月最初に、SGH主催の乳腺セミナーに参加させてもらいました。5th Breast Screan  Singapore Multidisciplinary Seminar 2010、と題されたそのセミナーに参加したときに受けた印象を書きます。本当は、もっと早い段階で書くつもりだったのですが、なかなか追いつかなくて。時系列が乱れてしまってすいません。

研究会の内容そのものは症例検討が半分くらいを占めていて、東京でちょくちょく開かれている各種乳腺研究会と似たものでしたが(当然ですね)、講演者やパネリストはバラエティに富んでいて、地元シンガポールの各施設のみならず、オーストラリア、カナダ、アメリカなどから招かれて来ている人たちもいました。参加者数は百人くらいでしょうか、会場には比較的若い人が多くて、日本のこの手の研究会に比べるとかなり平均年齢が低かったような印象があります。

でも、何よりも私の心に強いインパクトを与えたのは、外見ではまったく日本人と見分けが付かない若手の外科医や病理医、放射線科医に囲まれながら、そこで話されている言葉が全て英語だったことです。こんなのは考えるまでもなく当たり前のことで、なーんだと思われるかもしれませんが、知ると見るとでは大違いです。日本人と同じ顔をした若い人たち百人が、全員英語でコミュニケートしているのです。会場でもっとも英語駆使能力が低かったのは、間違いなく私。休憩時間に彼らがあちらこちらで雑談しているのを見ながら、「なんで日本語じゃないんだろう?」と思ったくらい、彼らは本当に日本人そっくりの顔つきをしています。

たまたまその日の晩は、年に一度開かれるSGH全体のパーティがあったので、セミナーに引き続いてそこにも出席しました(会場は超豪華ホテルで驚きました)。やはり同じようにアメリカやイギリスからの来賓が来ていて、それぞれ演題の上で挨拶をしています。アメリカのDuke大学との共同大学院が設立されていることも、私はその時初めて知りました。しかし残念ながら、英語の演説は私には半分くらいしか理解できず、非常に情けない思いさせられました。

同じテーブルに座ったのは、病理部の面々ばかり。まだSGHに来て間がない頃だったので、ほとんど顔が分かりませんでしたが、もともと中華系・マレー系・インド系が混じり合ったシンガポール人に加えて、海外からの移住組およびフェローとして、パキスタン・NZ・フィリピン人がいて、壇上の人たちと併せて、まるで国連会議にでも出席しているような気になりました。くどいけれど、言葉はすべて英語です。ほとんどの人にとって母国語ではない、英語です。(ただし、前にも書いたとおりシンガポールの若い人たちは既に母国語が英語になっていますが)

昼間のセミナーと夜のパーティに続けて参加して感じたのですが、既に南アジアおよびオセアニアあたりで一つの文化圏ができていて、地理的にも経済的にも今やシンガポールがその中心にいるような印象を受けました。上述の移住者達もイギリスかアメリカの専門医資格を持っているので、十年か少なくとも二十年前なら国を出るにしても英米、あるいは豪あたりに移住する道を選んだのではないかと思うのですが、今はこうしてシンガポールに来ているわけです。しかもシンガポールの公用語は英語ですので、欧米との心理的・言語的距離が非常に近い。そのことに感銘を受けるとともに、内向きの我が国を思って少し不安を感じずにはいられませんでした。

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以下、まったくの私見です。

携帯電話の置かれている立場がまさに日本を象徴していると思います。技術的にはたぶん世界トップレベルなのでしょう。そもそもi-phoneに代表される今のスマートフォン開発競争に火を付けたのは、日本の携帯技術です。ですが、細かい技術競争に明け暮れてユーザーフレンドリーではない機能を付加することに熱中する一方で、世界標準を作れないどころか世界に背を向けているうちに、どんどん他国の企業に大きな世界シェアを奪われてしまいました。

五十億人を超える世界市場と、一億人かそこらの(しかも二十年間も経済が停滞している)日本国内市場では、商売の規模がまったく違ってきます。シンガポールの携帯はサムソンかノキアです。日本製というか半日本製としてソニーエリクソンがあるくらい。逆に、グローバル携帯をうたっている私のAU機種はほとんど使い物になりません。日本の携帯はもはやガラパゴス携帯、ガラケーと揶揄されるようになってしまいましたが、それは一歩海外へ出ればすぐに実感できます。最近になってi-phoneの登場で各社が泡を食っていますが、私の記憶ではMS-DOSの一太郎・花子時代からウィンドウズのワード・エクセル時代に移行した頃にも、同じようなことがあったような気がします。外圧が内側深くに及ぶまで動けない体質なのか?

私がこちらで買った携帯はノキアの再安価のプリペイド携帯です。見るからに安っぽくてカメラも説明書も付いていないし、e-mailも使えず、ハード面では日本の携帯とは比較にもなりませんが、そんな携帯電話にも海外各国へかける時のダイアル表だけは付いてきます。これが世界標準機なんだなあと、実感させられました。もちろん世界中で使えます。

「十年ひと昔」というのは、それこそもうひと昔の話だと思います。今は五年で世の中がドラスティックに変わってしまう。SGHに病理医がたくさん移住してきてDr.Tanの論文が一気に増えてきたのも、十年ではなくこの五年間のことのようです。グローバル化に伴って、世の中の動きはうんと早くなった。T.フリードマンが「フラット化する社会」を書いたのはほんの五年ほど前の話ですが、今読むとひどく昔の本に思える。何を今さら、という気がします。

若い世代の方々にまたひと言申し上げます。日本の文化や歴史も大切だし、大事にしなくてはなりません。だが、英語駆使能力を高めることは、そのことと二律背反ではありません。英語駆使能力は、十分条件ではなくもはや必要条件です。このシンガポールの姿を見ると、白人(主としてアングロサクソン)が英語で話す姿を見るのとは、まったく違うインパクトを受けるでしょう。私も頭では十分に分かっていたつもりでしたが、現実を見ると、驚くとともに日本の今後を思って背筋が少し冷たくなりました。どうか、折を見て外へ出て世のグローバル化を理屈ではなく肌で感じてください。医療界が携帯電話と同じ道をたどらないことを祈らずにはいられません。

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先日Dr.Tanが私にちょっと珍しいmalignant phyllodes tumorの症例を手渡して、レポートを書かせてくれました(ちなみに日本では「フィローデス」と発音することが多いのですが、こちらでは「ファイロイデス」と発音する人が多くて、最初はちょっと面食らいました)。ですが、先日も書いたとおり、Gross Reportを見てもどうも肉眼所見がよく分かりません。

P6080840で、彼女にそれを指摘したら、わざわざ切り出し場に出向いて一緒に確認してくれました。時折レジデントに直接指導もするようです。
(ちなみに、レポートは良くできていたから少しだけ手を加えてそのまま出しておいたよと褒めてくれたのですが、うーん、いくら英語でもPhyllodes tumorの病理レポートくらい書けるよと、正直ちょっぴり残念な気もしました)


ところで、「切り出しについては日本のシステムの方が優秀だと思う」と後日正直に指摘したところ、彼女はそれに反対するどころか、「実は私もそう思っている。癌研のDr.秋山のプレゼンを見て、あのやり方は素晴らしいと思った。今は切り出し場が手狭でどうにもならないが、一~二年後に新棟に移る際に日本式のシステムを取り入れることを検討している」、と答えました。このあたりの柔軟性がシンガポールの恐ろしいところだと私は思います。欧米人だったら、そこで日本人が何を言おうとも、一部は納得してもリーダーが動くまでにはなかなか至らないのではないでしょうか。

レジデントへのインタビュー(3)

(続きです)

ところで、従来シンガポールでは日本と違って医学部の社会人入学はほとんどありませんでした。医学部入学時の制約がかなりあるようで、よほどのことがない限り入学が許可されないそうです。ところが2005~2006年に創設された米国のDuke大学との共同大学院施設Duke-NUSにおいて、三年前から社会人、つまり他学部をいったん卒業した人間の医学部編入・再教育を始めたそうです。これはつまり、英国式のシステムに加えてアメリカ式のシステムを併用し始めたことになります。

彼らの教育は四年間ですのでまだ卒業生が出ていませんが、もしかすると彼らの中からは基礎系に進む人間が若干増える可能性があります。
(私の想像ですが、やはり基礎系に進む医学部生があまりに少ないことに対する危惧が多少あるのではないでしょうか。)

さて、病理の場合は、ジュニアレジデント三年間、シニアレジデントが二~三年間ですが、当然この期間は科によって多少異なります。もしも途中で病理が嫌になって他科に変わるような場合にはどうなるかと聞いたところ、まずそういう例は非常に少なく、仮に受け入れが認められても、転科する場合は最初のステップに戻ってやり直しになる、とのことでした。日本と違ってどの科においても各ステップで明確に収入が違いますので、上述の場合はかなりの収入ダウンになります。それを受け入れてまで転科する人間はほとんどいないということなのでしょう。またまた私見ですが、合理的かもしれないけれどやはり自由度が低いなという感想を持ちました。

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Dr.Sへのインタビュー内容はだいたい以上なのですが、その後に先日夕食に誘ってくれたDr.Mのところへ行って、専門医試験等について少し話を聞きました。

先日も書いたとおり、五年あるいは六年間のレジデント研修を終えると、英国へ行って専門医試験を受けます(FRCPath)。この試験は非常に難しいらしく、約一週間かけていろいろな科目別に試験を受けさせられ、合格率は二十パーセント程度。何度も落ちている人間もいるようです。

一例として、バングラディシュから移住してきた某ドクターの話を聞きましたが、インドの大学を出てからシンガポールに移住し、リサーチアシスタントとして三年間ほとんど無給状態でNUSにて働いたあと、チーフであるDr.Tanの特別許可にてレジデント研修をすることが認められ、安い給与で必死に六年間働いて、先日の試験で遂に全科目パスしたそうです。既に三十代後半の彼にとって、初めて自分の人生に明るい光が差し込んだ感じではないでしょうか。ヒンドゥー教徒の彼は、神への感謝のために髪を全部剃って感謝の祈りを捧げたそうですが、その気持ちはよくわかります。

逆にうまくいっていない例も聞きましたが、そちらは気の毒なので割愛します。とにかく、ここは移民も多いので、いろいろなドラマが展開されているようです。最後にDr.Mがいつものように名台詞を口にしました。

「人生っていうのは、難しいものなのよ」。

SGH病理部に1973年から在籍し、まさにこの国の発展とともに人生を送ってきた彼女がこれを口にすると、とても説得力があります。

レジデントへのインタビュー(2)

(続きです)

一年目の研修先は主として病院側が研修医を選ぶそうです。研修医にとっては、最初の一年間をどこで過ごすかは、国が狭いこともあってあまり重要ではないそうで、もしかするとある程度機械的に割り振られるのかもしれません。内容的には外科と内科が必須で、ギネや小児科は選択制とのこと。恐らく研修病院によっても多少の差があるのでしょう。

二年目からは各自が望む専門研修が始まります。Dr.Sの場合はもちろん病理を選んでSGHに来ているわけですが、どの科が人気なのかと聞いたところ、「皮膚科、眼科、ちょっと落ちて麻酔科」という返事が返ってきました。High income, low taskの科ということで、まさに日本と同じ傾向ですね。当然ですが、脳外や心外は不人気だそうです。内科も全般にあまり人気が無く、むしろ小児科や産婦人科の方が人気があるらしい。このあたりは診療報酬や訴訟のせいで不人気な日本とは状況が違います。でも、どちらの国にも共通して病理は不人気。彼女に言わせると、一人前になるまでにたくさん勉強しなくてはならないのと、患者さんを直接見ることがないのが不人気の理由だそうです。希望者が多い科では当然セレクションがかかりますので、MBBSの試験成績とか面接結果とか、いろいろな観点から病院側が評価して研修医を選ぶようです。

さて、基礎系の生化や微生物などにはどれくらいが進むのかというと、「ほとんどゼロ、less than one」。つまりこの国では、
1.医学部=臨床医になるための場所
2.病理=臨床科

という認識であることがわかります。どうやらシンガポールでは収入を含む待遇面で医師が他とかなり差があるらしく、わざわざ医学部を出て基礎系に行く人間はいない、ということなのでしょう。

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では、学位(PhD)はいつ取得するのかというと、ほとんどの医師が興味を示さず取らないそうです。基本的にアカデミズムへの憧れとか尊敬は(昔の?)日本ほど高くないようです。日本でも最近はそうなってきていますし、こういう国ではなおさらのことインセンティブがなければそうなるでしょう。

ただし、Dr.Sは奨学金制度を使って学部の途中の三年生終了時からいったん英国に四年間留学し、あちらで免疫学を学びPhDを取得しているそうです。たぶん優秀で、向学意欲も高いのでしょう。なので彼女の現時点での肩書きは、MBBS, PhDとなります。年齢も他よりも上になります。

そもそも数人いるレジデントの中でなぜ特にDr.Sにインタビューしているかというと、別に彼女が美人だからというわけではなく(実はかなりの美人ですが)、たまたま私が貸した、「Histology and Cell Biology」の教科書を彼女が非常に気に入ったらしく、使わないときは是非貸してくれと申し入れてきたので、その代わりにというか、それをきっかけとして話をするようになったのです。見ていると彼女はそれをきちんと読み込んでいるようで、この本はそこそこ基礎的な内容を含んでいて初学者には若干難しい本なので感心していたのですが、今回彼女の経歴を聞いてみて納得しました。

ちなみに先々週にドイツの研究者が来て病理部でmicro RNAと乳癌に関する講演をしていったのですが、彼女の話からすると、卒後に基礎的なトレーニングを受けていない病理医はあまり理解できていなかったんじゃないかと思います。「先週のmircoRNAの話は、けっこう説明が丁寧だったからあなたはよくわかったでしょ?でも、今の教育システムの話からすると、他の人たち、特に若い人たちはきっとあまり理解できていないよね?」、と聞いたところ、小さな声で、「Maybe」と返事が返ってきました。

(さらに続きます)

レジデントへのインタビュー(1)

Dr.Mに招かれた翌日に、一年目のレジデントであるDr.S(女性)にインタビューする機会を得たので、今日はそれをまとめてみます。病理のレジデントは、女性の方がやや多いようです。

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子供の頃の話から始めました。1st School(六年)、2nd School(四年)では必ずしも授業は英語では無いそうですが、それでも英語比率は年々高まってきているようです。シンガポール人の中でも、若い世代ほど英語の浸透度というか習熟度が高い傾向があり、それは私が見ていてもそう感じます。

次いで国内に14校あるというJunior College(二年)では何を習うのかと聞いたところ、英語・数学・科学(物理・化学・生物など)等との答えでした。

彼らの母国語は英語なので、科目に英語が含まれているのは少し意外だったのですが、主にJournalを読んでまとめたりディスカッションしたりといった内容のようです。シンガポール人の英語はSinglishと揶揄される特殊なもので、これは街中で買い物などをすればすぐにわかりますが、かなり難解というか、私のみならず欧米人にとってもかなり難解な英語です。シンガポール国政府は正統的というか正しい英語を話せるよう積極的に啓蒙しているようで、恐らく文法などもこの時点できちんと教え直すのでしょう。

余談ですが、Dr.S自身は四カ国語を自由に操ります。後述するようにイギリスで四年間生活していたこともあり英語が堪能ですが、中国語(北京語)、広東語、マレー語も自由に使います。シンガポールには、こういう人間が珍しくありません。彼女と話をしている最中に脇からコメントをくれたレジデントのDr.Tは、ちょっと驚かされたのですが日本語をかなり話します。第三カ国語として、合計五年間学んだらしい。英語が第一であることは国策ですが、第二はだいたい中国語かマレー語、さらに第三まで選べるようです。チーフであるDr.Tanの娘さんも、かなり日本語が堪能らしい。

さて、話を戻して、シンガポールではjunior collegeどころか、2nd Schoolの後半二年からは科学系と人文系に大まかにコース分けがされるようです。医学部志望だった彼女は、当然科学系コースを取っています。彼らがどの程度自然科学以外について、すなわち歴史や地理、経済、文化、文学、宗教などの知識を持っているかは、もしも今後機会があったら(さらに私の英語力で可能だったら)話してみようと思いますが、これだけ早い段階でコース分けされてしまうと、こういったことについて学ぶチャンスは少ないかもしれません。

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大学医学部は一学年220人です。以前に書いたとおり、医学部があるのはNUS一つのみ。ただし、海外組もいるので、最終的に医師資格を得る人数はもう少し多いようです。医学部一年生では解剖、生化、生理などを学び、二年生では病理、微生物、薬理、疫学などを学びます。三年生からは内科や外科などの臨床科目が主体となりますが、二年時までの各科目の試験が散発的に入ってくるので、しょっちゅう基礎科目を復習するような状況のようです。

留年生は非常に少なく、試験のできが悪いと、とことん面接を受けさせられ、さらにレポートを課されるようです。退学者もほとんど無し。(私見ですが、このことは学校教育がきちんとしているとも言えますし、個々人のモチベーションが高いとも言えましょうが、国家統制が厳しく個人の自由度が低いとも言えるような気がします。気楽にドロップアウトできる国ではなさそう)。ちなみに、これは日本でも同様ですが、最近は臨床科目が徐々に一年生二年生に降りてきているようです。

五年生終了時には卒業試験があり、パスするとMBBS(Bachelor of Medicine and Bachelor of Surgery: 医学学士)という資格を得ることになります。この試験では5%程度が落ちるらしく、その場合は半年後に再試験です。ここで何回も落ちて最終的にドロップする人間も、ほとんどいないとのこと。そしてさらに一年間のインターン研修を経て、初めて正式な医師となるわけです。

余談ですが、シンガポールのシステムは英国式です。アメリカのシステムとは違います。MBBSとMD、MDとPhDの称号については、各国のシステムがそれぞれ違うので、厳密に考えるとかなり面倒で、インターネットでもちょっとした議論になることがあるようです。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4408084.html

(長くなるので、続きます)

教育システムと給与について

今日はいつもの朝の検討会のあとでコーヒーとケーキが振る舞われ、その際にDr.Mが一時間近くもかけていろいろと教育システムやら何やらの説明をしてくれました。概略は知っていたのですが、詳細な話を聞いたのは初めてです。
(Dr.Mは既に60歳を越えている大ベテランですが、振る舞いやしゃべり方も含めてとても若く見えます。チーフであるDr.Tanもレジデント中は彼女の教え子だったとか。SGHの生き字引的存在のようです。)

まず、この国の公的教育システムは七歳からで、最初がprimary schoolの六年間、次がsecondary schoolの四年間、それからjunior collegeの二年間を経てから、最後に医学部が五年間です。日本より一年間短いですね。各学校のあとに試験があって、ランク付けされる様子。なお、医学部はNUS(National University of Singapore)の一カ所しかありません。

医師になってからは、これはいずれもう少し詳細にレジデントに聞いてみるつもりですが、学部を卒業してMBBSという資格を得たのちに一年間の臨床研修(インターン)が義務付けられ、それを終えないと正式な医師として認可されません(full licence)。その後、各専門に散ってトレーニングが始まります。

SGH病理部ではレジデントはジュニアとシニアに分かれていて、最短でジュニアが三年間、シニアが二~三年間。後者は虫垂炎とか子宮筋腫などの典型的な良性疾患については、サインアウトが許されています。
(私に言わせればそういう良性疾患が意外と怖いんですが、彼らももちろんそれはわかっていると思います)

それぞれの最終時点で、英か豪の専門医資格のpart 1、part 2をそれぞれ受けます。両方受けることももちろん可能で、両方の国の資格を最終的に持っている人間も多い。ただし、part 2はそれぞれの国に出向く必要があるので、特に英国の場合はそれなりの出費になるようです。私は知りませんでしたが、今は英国のライセンスがそのままオーストラリアで使えるというわけでは無いようですね。

part 2の試験はけっこう難しくて落ちる人間もけっこういるようですが、晴れてそれに受かると晴れてコンサルタント(専門医)になり、コンサルタントになってからもジュニア・シニアという多少の段階はあるものの、基本的にそこからは本人の自由になります。なので、一応この段階が彼らのとりあえずの目標となっています。

というわけで、年数的には最短でも大学を卒業して七年目に資格を得ることになるので、六年目に専門医試験を受けられる日本の病理システムと比較すると、(大学までが一年間短いので)まったく同じになります。つまり、早くて三十歳。総じて、資格が他国で有効であるかどうかという点を除けば、日本のシステムとさほど大きな違いはありません。

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さて、Dr.Mは現在のそれぞれの段階の給与も教えてくれました。聴いた内容については自分のウェブに載せるよ、とあらかじめ言っておいたので、たぶん公開しても問題ないでしょう。結婚や子供の有無などでかなり個人差があるようですからあくまで目安に過ぎませんが、だいたい下記の通りだそうです。
(金額は月当たりで、単位はシンガポールドル)

インターン:~2500 SGD
ジュニアレジデント:2600~5000 SGD
シニアレジデント:7000 SGD
コンサルタント:9000~ SGD

現時点でのレートは1SGDがだいたい65円ですので、インターンで月給16万円くらい、コンサルタントで最低60万円くらいからです。意外と大したことがないやと思ったら大間違い、何せ日本とは物価が全然違いますし(例えば私の一日の食費はだいたい十ドル以下です)、それ以上に税率が非常に低い。最高限度に達しているというDr.Mでさえ所得税は25%です。しかもシンガポールは住民税がありません。恐らく日本の感覚でいうと、額面の倍近いのではないでしょうか。もちろんその後も他の取得資格や論文業績などによって、どんどん加算されていくそうです。ただし、トップがどれくらいかは、さすがに教えてくれませんでした。
(!他国の条件をご存じの方がいらっしゃったら、比較のために教えていただけると幸いです。)

最後にDr.Mがひと言、私とまわりで聞いていた数人のドクターに対して、とても教訓的で印象的なコメントをくれたので紹介します。

「給与や環境やシステムについて、他国と比較して羨ましがるのはお止めなさい。私はいろいろな国を見て回ってきたけれど、どの国にも良い部分と悪い部分があって、理想の条件を持った国は一つもないのよ」

病理のミーティング

SGH病理部では、ほぼ毎週のように水曜日朝八時半からコンサルタント・ミーティングが開かれます。以前にも書いたとおり各標本はほぼランダムに全員に配布されて処理され、専門医が迷うような難解例はその臓器の専門家に回されるのですが、専門家でも迷う症例はありますので、そういう症例はこのミーティングに供覧されて、皆でディスカッションするわけです。

P5120663これがそのミーティングルームです。見てのとおり、ディスカッション顕微鏡が三組あって、ふだんは三組のペアが同時にディスカッションできるようになっています。この部屋の問題はエアコンの効きがすごいことで、上着必携です。別の部屋にも一台ディスカッション顕微鏡があるので、レジデントとしてはとても勉強しやすいはず。
(もちろん勉強しやすいからよく勉強するかというと、必ずしもそうならないのは日本と同じです)


朝早いこともあり(と言っても八時半ですが)、全員が出てくるわけではありません。これに出ているとだいたい誰が熱心なのか、誰の実力が高くて頼りにされているのか、だいたいわかります。ちなみにチーフであるDr.Tanは朝からとても忙しいので、このミーティングに顔を出すことはありません。

余談ですが、彼女はだいたい八時前には出てきて、遅い日だと七時半くらいまで職場にいます。私のように夜八時過ぎまで職場にいる人間はほとんどいません。
(私の場合は職場の方が静かで涼しくて快適なのと、いずれ内容を紹介するつもりですが、帰宅前にリー・クアン・ユーの名著、「From third word to first」を少しずつ読むことを習慣にしているので、どうしても遅くなります。朝も早いほうが涼しいので、八時前には病院に来ています)

話を戻して、このカンファには私も毎回出させてもらっていますが、正直なところ日常会話よりもはるかに気が楽です。症例が難しくなるほど相手はゆっくりしゃべりますし、会話に間が多くなりますし、こちらも素人じゃないので相手が何を言っているのかほとんど分かります。症例は多彩ですが、やはり消化器や婦人科臓器が出てくることはあまりなくて、脳腫瘍や骨・軟部腫瘍が多い。

最初のうちに少し困惑したのは、議論が進まなくなると、「Dr.XX, do you have any comment?」、と振られることでした。難解例に限って振られることになりますので。まだはっきりと覚えていますが、最初に振られたのが脳腫瘍か多発性硬化症かウイルス性脳炎かという中枢神経症例、二例目はchordomaか、chondrosarcomaか、chondroid meningiomaかという頭蓋底付近の症例でした。内心、「なんで首から上の症例ばっかし振るんだよぉ・・・・」と思いつつも、一例目はBリンパ腫の可能性に言及し、二例目はBNCTの可能性に軽く言及しました。こうして診断名が分からなくても何かしらのコメントをするようにして、それを繰り返すうちに、だんだん皆が認めてくれるというか場に馴染むようになった気がします。(もちろん最初から実に丁重な扱いを受けていて、こちらが恐縮するくらいなんですが)

ディスカッションの内容は、当たり前ですが日本と変わりません。診断レベルは、これも当たり前ですがやはりいろいろです。彼らは基本的に英国の専門医資格を持っているので、極端なのはもちろんいないのですが、全員がバリバリのスペシャリストというわけでもなさそう。まあ、当たり前です。特に乳腺は、Dr.Tanがいるせいだと思いますが、他の人たちは若干不得手なように見えなくもない。これも日本と同じで、だいたいある臓器のスペシャリスト的専門家が一人いると他の人が頼って、その領域に疎くなりがちなものです。

ですが、前述のように朝のミーティングにはDr.Tanが出てこないので、乳腺症例が出てくるとコメントを求められることが多くなりました。あるいは、大ボスが忙しくてつかまらないのか、レジデントや他のドクターが、「乳腺症例についてコメントをもらえませんか?」といって来たりすることもあります。問題は日本と若干診断基準や用語の使い方が違うことで、特にレジデントにコメントするときには間違ったことを教えるとまずいので、気を遣わされます(どこがどう違うのかは、折を見てまたこの場で紹介できると思います)。とはいえ、基本的にはほとんど日本と同じです。くどいけれど、当たり前。

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P5110661私に与えられている部屋です。当初は別の部屋だったのですが、広い部屋が新たに空いたからと、こちらに移動させてくれました。パーティションで区切られていて、ほとんど個室です。ネットももちろん使えますし、専用電話もありますし、奥に見えているように小さな洗面所も付いています。

P5110660
快適度がきわめて高いので、土曜日も他に用事がないときは職場に出てきて、この部屋でのんびり論文を読んだり読書をすることがけっこうあります。日中でも涼しく、しかも土曜日はいつにもまして静かなので、とても気持ちよく過ごせます。正直なところ、土曜日などはそのままここでビールでも飲みたくなってしまいます(冷蔵庫もポットもあります)。

ホームパーティ

今日はちょっと職場を離れたテーマです。

先週末の土曜日はボスのDr.Tanのご自宅でホームパーティがあり、そこに招いてもらいました。香港のDr.Tseが遊びに来ていたのでその歓迎のためのワイン会ですが、我々(というか一時的に来星していた家内の)歓迎も少し兼ねてくれていました。他の病理部メンバーも招かれ、総勢十名。

P5290807のコピー

画面中央奥がDr.Tan、隣がご主人のDr.Michell(外科医)。他の方々は承諾を得ていないので、目隠しを入れておきます。


ここに並ぶ人間の国籍は、シンガポール、香港、ミャンマー、フィリピン、日本です。まるでASEAN会議ですが、共通言語はもちろん英語。私も家内もお世辞にも英語が得意でないので、ちょっぴり苦労しました。もっとも当然ながら仕事の話は皆無ですので、少々理解度が低くてもさほど問題にはなりませんし、料理もワインもとても美味しかったので、とても楽しいひとときを過ごさせてもらいました。

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以下は、まったくの私見(主観)です。

僭越ながら、ここを訪れてくれている若い世代の方々に御助言申しあげます。今後も繰り返し本ブログ内で書くことになると思いますが、とにかく英語駆使能力を高めておくことが次の若い世代には必須となると心してください。これはもうまず間違いなく必須となると思います。一般論として、一昔前までは、「英語ができれば優位に立てる」、というレベルのことが多かったろうと思います。ですが今後は、「英語ができないことで劣勢に立たされる」、ことが多くなると思います。この二つは、似ているようで違います。何が違うかと言えば、日本の立ち位置が相対的に低くなったことを意味しているからです。

例えば、既に世界各国の一人あたりのGDP値はこういう状態です。国家経済を論じる場ではありませんので詳細は申しませんが、こういう事実ああいう事実があることも知っておいた方がいいと思う。

話を戻して、英語が未来永劫今の絶対優位を保てるわけがない、とか、日本語の能力を高めることの方が先決だとか、いろいろなことを言う人がいて、それはそれで多少の真実を含んでいるのかもしれませんが、とりあえず既に現実の問題として、英語は現時点において世界標準語です。この十年間のインターネットの爆発的普及がそれを一気に促進したのではないかと愚考しますが、とにかく若い方々は、英語駆使能力が低いことに対する言い訳や正当化をしたり潜在的劣等感を持たずに済む程度、とりあえずその程度の最低限のレベルの英語駆使能力は身につけましょう。

深い深い自省と自戒を込めて。

(言うまでもありませんが、日本語とほぼ同じ速度で例えばNew York Timesが読める、ABCやBBCのニュースがほぼ百パーセント理解できる、英語の映画を見てもほとんど字幕が不要、こういうレベルの方々は、どうか今回の低レベルのブログ記事を笑って読み流してくださいませ)

病理部の紹介(2)

切り出し場の紹介です。(切り出し=tissue trimming)

以前にも書きましたが、切り出しは原則としてレジデントの仕事です。ただしpolypectomyなどの小物については技師が担当し、二人がかりでカセットに入れる作業をしていました。また、それとは別に切り出しサポートの助手が二人から三人います。

P4150532
切り出し場はSGHにしては珍しく狭いのでちょっと窮屈です。特にこの写真に写っている研修医は大柄なので、なおさら狭く見えます。奥に見えているディスプレイはシステム端末で、ここで臨床経過や画像報告書を見ることができます。

P4150534
欧米式というべきか、マクロ写真の撮影は必要最低限のみです。三人で切り出ししていながら、撮影装置はこのシンプルな一台のみ。全体写真はとりますが、割面やら短冊写真やらはほとんど無し。


レジデントもジュニアとシニアが別れていて、シニアクラスになると当然ですがかなりのレベルになっていますので、処理スピードがジュニアとはかなり違います。ジュニアが一人あたり十件程度らしいので、シニアは十五件かそれ以上切り出しているでしょう。他の業務は無いので、肉体的には少々きつくても翌日に持ち越すことが無くて、総じてそんなに苦痛ではないと思います。昼休みも一時間以上とっていますし、エアコンもよく効いています。

彼らが切り出し方法に悩んだときにどうするのかと思ってみていたら、

1.まず、CT画像レポートを画面に呼び出して読む。
2.それでもわからなければペアを組んでいるコンサルタント(専門医)を呼び出す。
3.それでもさらにわからなければ、臨床医を電話で呼び出して検討する。

というわけで、このあたりの段取りは日本とほぼ同じでした。

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私の感想としては、もしもこの私自身がSGH病理部でルーチン業務に入って仕事をするとなった場合には、この切り出しが一番難しいだろうなと感じました。所見の口述、臨床医とのディスカッション、やはり言葉の壁を一番感じさせられる作業です。

本質的に、マクロ所見をとるということは、目の前にある「臓器」という具体的なものを「言語」という抽象的なものに置き換える作業です。いったんそれができるようになってしまった人間には何ということのない作業ですが、そうなるまではけっこう難しい(ベテランはだいたいその難しさを忘れています)。そして、当たり前のことですが、表現する言語能力が低いと、より複雑な具体物を言葉に置き換えるのに苦労します。あるいはうまく言葉に置き換えることができません。

私がこちらで本格的に仕事をするとなった場合、病理診断そのものについては、後日述べるようにカンファの議論などから考えても十分にやっていけるというか、多少の違いも速やかにアジャストできる自信があります。迅速診断も、そりゃかなり苦労はするだろうけれど、でも何とかこなせることでしょう。ですが、切り出しは恐らく最低でも丸一年間以上のトレーニングを経ないと、一人ではできないと思いました。

英語圏某国の大学病院病理部で二十年間近く部長をされているY先生にかつてお話を伺ったことがありますが(日本人)、レジデントのマクロ所見記述にはとてもかなわない、まるでそこに臓器写真があるかのように上手に表現する、と言って嘆いておられました。四半世紀近く英語圏で生活された先生の感想ですから、やはり言語の壁というのは大きいなと思います。

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さて、日本と大きく異なるのは、先ほど紹介したように肉眼写真をあまり撮らないことと、その代わりに口頭で所見を取り録音することです。英米式の施設ではどこもだいたい同じではないでしょうか。この方法の利点は、コピーを取らないので時間短縮できる、マクロ所見をとるトレーニングになる、コピー機代がかからず場所もとらない、といった点です。一方、欠点としては、やはり複雑な臓器の場合、あとで立体構造や切り出し部位がわかりにくくなるということが挙げられると思います。

いろいろな意見があるでしょうが、私はこの切り出しについては日本のシステムの方が優れていると思います。いくら細かく所見を取っても、微妙な点はあとでわかりにくくなってしまいますし、だいたい切り出し担当者のレベルがまちまちですので、口述筆記を百パーセント信用できるかどうかやや疑問です。特に私の今の専門は乳腺ですので、彼らの切り出しを見ていて少し失望しました。ちょっとラフに見える。

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この研修医はかなり細かく短冊にして、必要に応じて切り落として上に並べています。でも、この割面写真は撮りませんでした。ちなみに、三人の中で一番経験が浅いローテーターなので、他よりも細かかったのかもしれません。


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こちらの研修医は、細かく割は入れるものの切り落とすこともなく、硬く触れる部分を二カ所計測していました。比較的若年の症例でけっこうマクロ所見がわかりにくかったし、何よりも事前の診断でdouble cancersと分かっている症例ですので、もうちょっと丁寧にやってもよいと思うのですが。

ブロック数はというと、この翌日にDCISが三例あって数えてみたのですが、断端チェック用のブロックを入れても総ブロック数はそれぞれ13, 9, 17枚。日本国内での私の感覚からすると、かなり少ないと思いました。(リンパ節を除く)

このあたりは考え方の違いもありますし、検体絶対数との兼ね合いもあります。日本では、かつて胃の早期癌もそうだったと聞き及んでいますが、臓器の専門家たらんとする病理医であれば全例できるだけ細かくたくさん切り出して、とにかく周辺病変までもきっちり観察して、細かい所見をとろうとします。彼らは欧米式トレーニングを受けていますので、質的診断、つまり断端と大きさと浸潤の有無が分かればそれでOK,OKみたいなところがあります。結果的に、これは多少偏見混じりかもしれませんが、細かい所見をきちんと把握する能力は、恐らく日本の病理医の方が上ではないかと思います(むろん平均的病理医での話です)。

ちなみに、日本と異なりリンパ節を脂肪組織からほじくり出すのは病理医の仕事です。これはかなりやっかいな作業に見えました。もっとも、世界的にはそれを外科医にやらせる国は日本くらいのものでしょうが。

病理部の紹介(1)

こちらに来てしばらくしてから部内の見学をさせてもらいましたので、少し詳しくその紹介をします。(病理組織部門のみ)

技師のチーフ (Senior Medical Technologist)は、Jennifer Chin氏。大ボスのDr.Tanもそうですが、大変に明るく如才ない感じの女性です。他科を見ていても思うのですが、恐らく病院で管理職になるための条件に、専門能力に加えて、「人当たりが良く、明るく如才ないこと」といったことが暗黙裏に含まれているのではないでしょうか。もともとが他民族国家である上に他国からの移住者も多く、かつかなりの大所帯ですので、「無口で無愛想だけれど仕事はきっちりやるし頼りがいのある人間」、というのは、仕事の評価が高くともこちらではチーフになれないような気がします。(あくまでも私の想像に過ぎませんが)

(以下の写真は、全てDr.Tanの許可を得て掲載しています)

P4150505薄切・染色室です。それなりに広いと思うのですが、前にも書いたとおり来年には移転予定です。技師の仕事は7~16時、8~17時、9~18時の三パターンが混在しているそうです。一ト月おきくらいに各係をローテーションすることになっています。


P4150499自動包埋機は全部で七台。ただし肝移植用等にスタンバイ状態のものが常に一台フリーで確保されていますので、実働は六台です。



P4150502薄切機は八台で、見学時は七台が稼働していました。スライド式ではなく、全て回転式です。技師一人の一日あたりの薄切数は、だいたい75-150枚くらいとのこと(75枚というのは新人の数字です)。一日のブロック総数は500-700個ですので、ブロックあたり複数枚の臓器もありますから、だいたい計算が合います。私が見学した当日の全技師数は16人でした。

P4150506伸展台は八十度、伸展時間は三分と、少し温度が高くて時間が短い印象。





P4150516できあがった標本は、この大きなトレイ(マッペ)入れて診断者の元へ届けられます。標本を十枚くらい重ねて置くこともできるくらいの深さがありますので、当然ですが満杯にするととても重い。



P4150523

免疫染色は装置六台で、それぞれがだいたい2~3回/日ずつ稼働しています。一日200枚程度。一台30枚なので計算が合いませんが、これは枚数が一杯になるまで待たず随時時間差をもたせて回しているからです。担当技師は3人です。

P4150525PCRのサーマルサイクラーは二台ありますが、件数的には月に数件とかなり少ない。リンパ腫のB/T判別がほとんどだとのことでした。現時点ではまだ病理部門ではさほど積極的に分子病理学的診断手法を取り入れている感じではありませんでした。ただし、まだ見学していませんが分子診断部門が一つ上の階にあるので、恐らくそちらではかなりのことをやっているはずです。

P5120673ブロックはこの別室で半永久保存です。天井にエアコンが付いているのがおわかりになるかと思いますが、エアコン+天井ファンで常に室温二十度くらいに保たれています。寒いくらいに涼しいので、私はここを食後に汗をかいたときなどの避難場所にしています。検体数が検体数ですから、当然とても広い。写真は部屋の一部に過ぎません。

P4150515一方、ガラスの保管は最低十年間。私が見ている範囲では、十年前の標本は退色していてほとんどが診断の役に立たないようです。



クオリティコントロール(QC)についても、簡単に紹介します。手術材料などの大組織は全標本の20%をランダムに、小組織については全標本に対して、標本の出来具合のチェックすることになっています。決められた担当者が詳細に一枚一枚チェックしていきます。感覚的にOKを出すのではなく、細かい項目ごとに全てチェックしていきます。もちろん免疫染色のQCも同様に行います。

過去の記録を見せてもらいましたが、不適切(unsatisfactory slides)は2.5~5.0%。なんでこんなに変動幅があるのかと聞いたら、不適切が多くなるのは、新人が担当したとき、新しいミクロトームが入ったとき、症例が多くて忙しいときなどだと、即座に返事が返ってきました。技師一人一人が状況をよく把握しているようです。

検体提出受付は夕方までで、随時包埋機にかけていくので、固定時間は最短3時間、長くても24時間以内。ただし、例によって乳腺だけはかなり厳密に固定時間をコントロールされています(各ステップの時刻を記載することになっている)。ちなみに包埋機は土曜日もスケールダウンして稼働させています。

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総じて、日本のきちんとした病院と同レベルの管理をしているのではないでしょうか。これまで見てきた限りでは、HE標本の品質も、若干退色が早い印象はあるものの基本的にかなり良いと思います。

迅速診断(2)

参考までに、朝九時前に出てきた最初の検体から、私が五時半に帰るまでに出てきた検体を順に記しておきます。

1.鼻部皮膚BCCの断端チェック。(迅速標本数五枚)
2.舌SCCの断端チェック。(同六枚)
3.乳腺DCISのSN。(同三枚)
4.鼻腔~副鼻腔のSchneiderian papillomaの質的診断。(同一枚)
5.乳腺tubular ca.のSN。(同二枚)
6.化学療法後大腸癌の質的診断。(同一枚)
7.子宮筋腫の質的診断。(同一枚)
8.卵巣および乳癌後患者の肝転移巣の質的診断。(同一枚)
9.HCC疑いの針生検による質的診断。(同二枚)
10.卵巣dermoid cystの質的診断。(同一枚)

これでちょうど十件ですが、他にも研究用凍結保存組織は病理医がサンプリングすることになっているので、その依頼が二件ありました。さらに、私は所用があって五時半に帰宅しましたが、まだその後に二件ほど残っていましたので、本日の迅速はたぶん12件だったと思います。帰宅後に呼び戻されることは滅多にないが、皆無ではなく、一応担当者は夜もon call状態だそうです。オペ室自体は24時間営業体制。むろん夜中はフル回転ではないでしょうが、手術予定表を見ても、最初から夜八時スタート予定などという症例があり、24時間体制であることを伺わせます。

P5180773

壁に貼られていた凍結標本のサンプリング説明書です。かなり大がかりで、SGHを挙げてのプロジェクトのようです。




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3.のSNチェックの際には、若い外科医(レジデントか?)が鏡検している私のところにやってきて説明を求めたので、histiocyteとcancer cellの違いについて簡単に説明しました。病理の話をしている限りは、英語駆使能力の低さも「さほど」気になりません。

4.は二人ともけっこう悩んだので、「まあ、papillomaでも矛盾はしない、くらいにしておこうや」、という結論になりました。

6.の患者は某国のVIPだそうで、控え室まで大使が同行してきたそうです。珍しく術者がわざわざ直接結果を聞きに来ました。近隣諸国のVIPはSGHに来ることが珍しくないらしい。
(もちろん日本人だったら迷わず帰国するわけですが、東南アジアではやはりシンガポールの医療レベルが別格なので、自国よりもSGHを選ぶそうです)

7.は壊死壊死を伴うdegenerative leiomyoma、肉眼でだいたい見当がつきました。

9.が難しく、肝細胞の異型が今ひとつで、しかも二つとも小さな検体なので、「たぶんHCCだが、断定はしがたい、永久標本待ち」、としました。臨床情報が乏しいのも辛いところ。

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考えてみると、私も日本では既に指導する側なので、このレベルの病理医と二人でペアを組んで迅速を担当することがあまりありません。一緒に鏡検しつつ、一歩引くべき微妙な部分や、断定しても良い部分、鑑別対象とすべき疾患などにおいて二人の意見が常にほとんど合致していて、精神的にとても快適というか、日本ではあまり味わったことのないちょっとした高揚感をおぼえました。もっとも、今回は特に難しい症例がなかったからというのもあるでしょうが。

いずれにしてもいろいろな臓器がポンポンと出てくるので、復習を兼ねた良いトレーニングになることがわかりました。今後も特に帰国直前になったらちょくちょくここへ来て、頭の整理をさせてもらおうと思います。

迅速診断(1)

流れからして病理部の標本作製や切り出しについての報告を書くつもりでいましたが、昨日は丸一日迅速診断の見学に行ったので、印象が薄れないうちにその報告をすることにします。

先日書いたとおり、迅速診断はオペレーションビルディングに病理医の方から出向いて、一日中そこにいて出てくる検体を片端から処理するという形式です。担当者は二人のこともあるし、一人のこともあります。今回の担当者は一人で、中国系シンガポーリアンです。年齢は四十手前くらいかと思います。中国訛りの強い英語を大声で話すのでちょっとこちらは大変なのですが、とても優しく気を回してくれる好人物です。

SGHに私が来た当初は彼と同じ部屋でしたし(計四名)、既に何度もカンファ等でディスカッションしていますから、気心が知れています。ですので、見学させてもらうというよりも、実際には全例を二人で相談して報告していました。自分で言うのも何ですが、たぶん彼も一人よりは気が楽だったと思います。迅速診断を一人で全て判断するのは、誰にとっても怖いもの。

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(以下の写真は、全てDr.Tanの許可を得て掲載しています)

手術場の建物はoperation theatre (OT) と呼ばれています。彼の説明によると、buildingでなくtheatreと呼ぶのは、かつて(今でも?)外科医のプライドが非常に高かった頃に、あたかも劇場で演じるように手術をしていた、その名残だとのことです。イギリス流の呼び方らしい(シンガポールは旧イギリス領です)。

そのOTは、空調が効きすぎてとても寒い建物でした。病理医もオペ着に着換えて入らなくてはいけないのですが、薄い術衣ではとても寒い。私は暑がりなので普段なら歓迎するところなのですが、この日は朝から腹具合が悪くて何も食べずに入室したので、この寒さがかなり堪えました。

標本作製技師は二人です。作製時間は測りませんでしたが、薄切を始めてから標本ができあがるまでの時間がかなり早くて、少し驚きました。標本の質については、日本の標準的な迅速診断標本とほぼ同じです。

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迅速診断室はこんな感じ。こざっぱりしているというか、ちょっと殺風景。もっとも、廊下を出てすぐに医師の控え室があって、コーヒーや紅茶を飲み放題、仮眠も取れるようになっています。



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クリオスタットの薄切機は二台。この日は二台同時に使用することはありませんでしたが、当然忙しいときにはそうなるのでしょう。


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ところで、駆け出しの病理医だった頃の私は今以上に生意気で、迅速の依頼書にろくな記載がないことや、意味のない迅速診断が多いことによく腹を立てていましたが、ここSGHでも状況はまったく一緒です。というか、かつて私が見てきた某国の病理部でも同様でしたし、いろいろな人の話から察するに、たぶんどこの国でも似たような状況なんだろうと思います。当番の彼も、「意味が無いとしか思えない依頼もけっこうあるんだ」、「せっかく報告しても、既に担当外科医がオペ室にいなかったりするし」、などとぼやいていましたので、「まったく同じだよ、日本も」、と答えておきました。

オペ室の数は25もあり、しかもこことは別にNational Urology CenterやNational Cancer Centerにも小さいながらオペ室があるので、迅速診断件数はとても多い。上述の通り臨床情報がほとんど無い症例もけっこう多く、病理医側も割り切って、その場で判る範囲でどんどん処理しています。細かいところにこだわっている暇がない。それに迅速診断室には教科書一つ置いてありませんので、ある程度の実力がないとここの迅速係は勤まらないと思いました。この場合のある程度の実力とは、私流に端的に言えば、「自分が分からない症例を、堂々と分からないと言えるレベル」、のことです。

病理部の概要

病院の概要に続いて、病理部について簡単に説明します。

・病理部というよりも、検査部として一つの独立したビルになっています。検査部の長が、Dr. Puay Hoon Tanです。
(つまり、病理pathologyという言葉に検査学laboratory medicine全体が含まれています)
・今もかなり大きな建物なのですが、一年後には新棟(Pathology building)への移転が決まっていて、しかも総床面積が今の倍になるそうです。
・病理部としての年間検体数は4.5万件、迅速診断2200件。(2008年データ。2009年はさらに多いはずです)
・年間の総HE標本数16万枚、免疫染色3.5万枚、ブロック数14万個。

・病理医は、専門医(コンサルタントと呼ばれる)が22名、レジデントが18名、海外フェローが5~10人。
(ただし、専門医には週に一日二日しか来ない非常勤のような人も含まれているようです。)
・レジデントとコンサルタントはペアを組み、一対一で教育します。この組み合わせは一~二週間で変わっていきます。

・切り出し(トリミング)担当は常にレジデント三人、担当者は一週間切り出しだけを行い、その間鏡検業務は一切なし。
・切り出し時間はだいたい九時から十八時くらい(昼休み一時間)。それ以上かかることはまず無いとのこと。

・組織標本の配布はできあがり次第随時行われるので、配達専門の人が一日数回各病理医の机まで届けます。
・受け取るメンバーが一覧表になっていて、多くの症例はランダムに配布されます。
・ただしそれぞれが専門臓器を持っているので、難解例に限ってはその専門者へコンサルテーションとなります。
・逆に、私は○○の臓器はイヤ、という病理医も何人かいるようです。どの程度のわがままが通るかはボス次第なのでしょう。
・週に一度、コンサルタントが迷う難解症例をコンサルタントミーティングにかけます。これには私も出席しています。

・迅速診断は、手術室(というか専用ビル)へ病理医が一人か二人出向きます。これは専門医がローテートして回しています。
・オペ室の数が25ある上に各室で何回転もするので、迅速診断件数は多い日は20件を優に越えます。
・迅速当番は三日間くらいとなっていることが多いようです。その間の鏡検標本は無し。
(迅速診断者と固定後標本鏡検者は別の人になることが多い)

・基本的に病理部には剖検業務がありません。隣の建物にある法医学教室forensic medicineでやっています。
(ちなみにこの話題になると、彼らは皆とても得意げな嬉しそうな表情になります)

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細かい話は今後も紹介していきますが、とりあえずの概略をご説明しました。病院の規模と比較しても、相当な大所帯だということがおわかりいただけると思います。病院として病理をかなり大切にしているようで、玄関口にある各科医師一覧表の中でも病理が筆頭に来ていますし(すいません、三番目でした。14/June)、そこの医師数も麻酔科・放射線科と並んでトップ3を形成しています。

SGHの概要

Singapore General Hospital (SGH) の概要を簡単に紹介します。。今後も機会があると思うので、本当にアウトラインだけ。実をいうと私もまだ全貌どころかほんの一部しか把握できていませんし、恐らく最後まで全貌は把握できないと思います。

・ひとことで言うと、シンガポールの中枢たる病院です。創立は1812年。
・国内に五百床クラスの病院が数カ所ありますが、SGHが中枢として機能し、互いが協力し合う形のようです。
・ベッド数は約二千床。(すいません、人によって答えが違うので正確な数字が把握できていません)
・キャンパス内に各科が半ば独立したビルディングとして存在し、それらが連結されて病院群のようになっています。
(29科ありますので、もちろん完全に一科一ビルというわけではありませんが)
http://www.sgh.com.sg/Clinical-Departments-Centers/Pages/departments-centres-overview.aspx

・ですので、キャンパスは広大です。シャトルバスが走っています。国土面積との比では、世界一かもしれません。
・私事ですが、自宅から病院までよりも、病院に入ってから病理部の方がはるかに遠い。
・キャンパス内には、National cancer institute、National eye center、Nathional heart center等々も併設されています。
(一応別組織のようですが、実際には同じ屋根の下という感じで運営されています)

・学内に卒後研修を担当する部署(Post Graduate Medical Institute: PGMI)があり、世界中からフェローを募っています。
http://www.pgmi.com.sg/
・さらにキャンパス内に、米国デューク大学およびシンガポール国際大学の共同運営による大学院ビルがあります。
http://www.duke-nus.edu.sg/web/index.php

看護や教育についても相当に力を入れているようで、講習会などもしょっちゅう見かけますが、残念ながらとても把握しきれません。
病院の詳細はこちらをどうぞ。
http://www.sgh.com.sg/Pages/default.aspx

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とにかく、相当な規模の病院であることがおわかりいただけたかと思います。私も大病院であることは知っていましたが、まさかここまでとは思っていなかったので、最初に敷地に足を踏み入れたときにはかなり仰天しました。

余談的ですが、立て替え直前の病理部以外は建物も新しくてきれいですし、レストランや喫茶店、売店のたぐいも非常に充実していて、私は朝昼晩のすべて病院内で食事を済ませる日も少なくありません。値段も市中と同じで安い(全般にシンガポールの食費はかなり安いです)。しかも、これほど食堂類が充実しているにも関わらず、昼を挟んだ三時間は近くのフードセンター(レストラン街)への職員専用無料シャトルバスが出ています。さらに院内に職員専用のフィットネスクラブ(着換え部屋・シャワー付き)まであり、夜九時まで開いているので、私も週に二~三回は帰りに立ち寄っています。

とにかく、この病院キャンパスだけでも一見の価値があると思います。一通り回るのには半日かかりますが。
(ちなみにガードマンの数も半端ではなく、バッジか職員カードがないとすぐに身柄確保されますので、希望があれば事前に私に連絡をください。)

病理部については、次回に。

付記)
現時点での正式なベッド数は、1650床程度とのことでした。(14/June)

シンガポールという国

シンガポールの詳細についてはネット情報や書籍がそれこそ無数にありますので、興味のある方はそれらを参照していただければよいのですが、今後の理解のために、とりあえず私が知る範囲で簡単にアウトラインを説明しておきます。

・シンガポールはマレー半島の先端に位置する、いわば一つの島です。
・太平洋とインド洋の境界に位置する、いわば海上貿易の要(かなめ)たる場所です。
・赤道直下に位置しており、文字通りの熱帯です。平均最高気温は、通年三十度を越えます。
・ですが、まわりが海ということもあり、私の感覚では真夏の東京よりもはるかに過ごしやすい。(主観)
・面積は琵琶湖、あるいは淡路島、あるいは東京都23区程度と、非常に狭い。
・人口は、現在は五百万人弱。十年間で百万人近く増加しているそうです。
・国というよりも都市国家で、古代ギリシアのアテネをイメージした方がいいのかもしれません。(主観)

・独立は1965年、まだ四十五年の歴史しかありません。
・公用語は英語ですが、八割近くを華僑が占めるので中国語もかなり広く使われています。
・他に、本来のマレー語、インド語(タミル語)の四つが公用語です。
・国策として、英語は必須、第二語は選択となっています。つまり、英語はどこでも通じます。

・一人あたりのGDPは、2007年に日本を抜いてアジア一です。外貨準備高も、中国・日本に次いで世界第三位。
・つまり、紛れもなく世界有数の先進国と言えます。
・私の実感としても、衛生状態、治安ともに、恐らく日本の平均を上回ると思います。(主観)
・少しバブル気味だと思うのですが、世界不況もなんのその、ものすごい建築ラッシュです。
・厳しい法治国家であることで知られ、罰則は厳しく、チューインガムの持ち込みさえ禁止されています。


書き出せばきりがありませんが、医療従事者としてある程度関連があると思われる事項を思いつくままに記載しました。繰り返しますが、興味のある方は各自で調べてみてください。建国者であるリー・クアン・ユーの本は一読の価値があるのですが、日本語版はもうほとんどが絶版のようです。いずれ本ブログ中で一部紹介していきたいと思います。

ポイントとして、熱帯気候であること、人口が五百万人弱程度であること、英語が公用語であること、GDPで日本を抜くほどの経済先進国であること、国家統制が厳しいこと、などが挙げられるでしょうか。

はじめまして

2010年の三月半ばより日本からSGH(Singapore General Hospital)へ、主に乳腺の病理診断を勉強しに来ている病理医です。

もう少し早い段階からこの報告記を書くつもりでしたが、来た当初は落ち着かないのに加えていろいろと驚くことも多いので、あえて少し冷却期間をおいて冷静になってからにしようと思っているうちに、二ヶ月近くが経過してしまいました。これからSGH病理部やそこでの生活、場合によっては興味のある論文の紹介などをしていくつもりです。

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ブログ内容を理解していただくために、最初に簡単な自己紹介させていただきます。私は1992年の卒業ですので今年で卒後18年目になります。現時点で学位および専門医資格三つ(病理・検査・細胞診)を持っています。卒後一年間の臨床研修を行った後は、二年目からずっと病理医として働いてきました。基本的なスタンスは診断医で、初期研修も病理部(検査部)でしたが、市中病院での経験を経た後に基礎研究にも計四~五年間従事していたことがあります。

病理を選んだ理由の一つが、「できる限り広い範囲で、全身のことを知りたい」、でしたので、診断医として特定の専門臓器を極力限定せずにできるだけgeneral pathologistとしてレベルを高めようとしてきましたが、卒後十年を過ぎた頃から、総合的にやっていくにしてもやはり何か自分の専門領域を持とうという思いが強くなり、自分の中では形態学的に一番難しいと思われた乳腺をそれに選びました。

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毎日というわけにはいきませんが、不在時を除き少なくとも週一回は更新していきたいと思います。表題下にも書いてあるとおり、本ブログはかなり限定した閲覧者を想定している点をあらかじめご理解ください。人気ブログになりたいとか、閲覧者数を増やそうという意図は、まったくありません。特に若手の病理医、あるいはそれを目指す方々に、わずかでも良い刺激が与えられればそれで十分です。

帰国予定である来年二月まで、よろしくお願いします。

【付記】
本ブログを立ち上げようとしていた矢先の五月七日(金)に、かつてお世話になった山口潤先生(元帯広厚生病院病理部長)がお亡くなりになりました。遠く離れた地にいるため葬儀にも参列できませんでしたので、せめてこの場を借りて哀悼の意を表したいとおもいます。
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