きょうのコラム「時鐘」 2012年1月13日

 「歌会始(うたかいはじめ)」の日になると、柄(がら)にもなく歌が詠(よ)めたらいいなと思う。作品に接し、無理な相談だとすぐに悟(さと)る

大震災の津波被害に思いを寄せた両陛下のお作を、心に深くかみしめる。最年少の入選者の作は「岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君がみえない」。何度逆立(さかだ)ちしても、こんな歌は出てこない。若い才能がうらやましい

詠むのは無理でも、歌は幾つか覚えている。教科書よりもドラマや小説で知った。太閤秀吉(たいこうひでよし)の辞世(じせい)もその一つ。大阪城の展示室に短冊(たんざく)があり、感心して眺めていたら、横から「代作(だいさく)だよ」と声を掛けられた。近年の研究成果だそうな

「露(つゆ)と落ち露と消えにしわが身かな浪速(なにわ)のことも夢のまた夢」。言われてみれば、うますぎる。やりたい放題(ほうだい)をして「夢のまた夢」は、あんまりだろう。今も昔も為政者(いせいしゃ)のきれいごとはどこか怪(あや)しい。「関心はカネではなく天下国家」を素直に信じるほど、おめでたくはない

厚化粧(あつげしょう)をし、飾り立てた言葉が相変わらず流行する。そうではなく、飾らぬ「素顔」の言葉こそ本物であり、心を打つ。歌会始の作品がそう教えてくれる。